発熱して寝込んでしまいました。もう治りましたが、久しぶりに寝て過ごしました。
体調には、皆さまもご注意ください。
六導玲霞は、己のサーヴァントであるアサシンを好いている。
第一に、アサシンは玲霞を助けてくれた。助けてと言われたからという単純な理由だけで。そんなことをしてくれる人に玲霞は今まで会ったことが無かったから、まだアサシンと一緒にいたいと思う。
聖杯戦争の過酷さより、玲霞にはアサシンとすぐ別れる方に天秤が傾いたから、玲霞はルーマニアを訪れたとも言える。それを、アサシンが歓迎していないと知っていても。
次の別れたくない理由だが、アサシンと話すのは楽しいのだ。それに、夢で覗き見る彼女の過去には胸が踊る。
人の過去を見るのはいけないことだろうが、こればかりは止められなかった。
アサシンの言う通りなら、玲霞が見ているのは神代。神と人の距離が近かった失われた時代だ。
その夢の中に、繰り返し出てくる青年が一人いる。名はカルナ。アサシンの夫で、マハーバーラタにも登場する英雄の一人だ。
そんな英雄の妻だったと知ったときは、玲霞は思わず口を開けてしまったものだ。
玲霞から見たアサシンは、どこか儚げな少女のようで、まさか人の妻だったとは思いもよらなかったからだ。
そして、アサシンは彼のことが好きだ。本当の本当に、大好きなのだ。自分で思っているよりずっと深く、アサシンはカルナを慕っている、と玲霞は夢を通して感じた。
「ねえアサシン、カルナって、どんな人なの?」
だから、ライダーと遭遇した日の夜、玲霞は思い切って尋ねた。
結局、ライダーの提案を呑む形でアサシンと玲霞は、ミレニア城塞に赴くことになった。
領主として“黒”のサーヴァントたちが頭として仰ぐサーヴァントには、ライダーが話を通してくれるらしい。
騙し討ちや待ち伏せがないとも限らないのだが、アサシンが言うにはその可能性は低い、とのことだった。
領主と自ら名乗るのだから、間違いなく“黒”を率いるサーヴァントは王候貴族の人間だったはずだ。
貴族や王族は誇りを重んじ、名誉を尊ぶ。時には、そのために幼子を犠牲にして憚らない無慈悲さ傲慢さもあるが、同時に己の誇りを守るためなら彼らは俄然心を砕く。
加えて、仲介にあのライダーが立つという。その上で策謀を仕掛けてきたなら、それは“黒”のライダーの面子を潰した形になる。
初っ端から、裏切ったかも定かでなく、一騎当千でもない暗殺者一人を嵌めるのにそんな手間はかけず、配下の英雄の誇りを汚す真似はしないだろう、というのだ。
何より、“黒”に見つかってしまったのだから、何とかしなければならない。
ただ、いざとなったら令呪で逃げましょう、とアサシンは付け加えた。
推測だが、“黒”の領主はヴラド三世である可能性が高いから、という。串刺し公、ヴラド三世ともなれば、彼を今も護国の英雄としているルーマニアでは、彼なら最高の知名度補正を得られるはずだからだ。
だが、ヴラド三世は、裏切りにより幽閉され何年も不遇を囲った君主でもある。裏切り者と見なされたら、さぞ苛烈に対処されるだろう。
と、そういう話をしている最中に、玲霞が茶飲み話のような合いの手を挟んだものだから、アサシンは呆けたように言葉を途切れさせた。
「レイカ?私の話、聞いていましたか?」
「聞いていたわよ。でもあまり難しい話、疲れるもの」
だからと言って何でまた、とアサシンは肩を落とした。
教会の部屋は、ベッドと小さなテーブルに椅子という簡素なもので、玲霞はベッドに腰掛け、アサシンはテーブル前に置かれた椅子に座っている。
「……レイカ、その名前を知っているということは、あなたは私の過去を夢で見ましたね」
アサシンが上目遣いに玲霞を見る。
アサシンは、あまり自分のことを話さない。今で言うインド辺りで、西暦よりもっと前に生きていた、本業は癒し手の呪術師、白兵戦は『そこそこ』にできる、ということくらいだ。
真名がないというサーヴァントとしての異常さも、そういうものと流してくれると有難い、というだけ。聞き出そうとすると、ただ自分にはそういう呪いがかかっているから、と言うきりだ。
正直、もう少しマシというか詳しい説明はできないのだろうか、と思う。多分、アサシンは玲霞を信用していないわけではなく、単に己を語るのが苦手なだけなのだろうが。
「気を悪くした?」
「いえ、夢を見るのはサーヴァントとマスターの繋がり故の、当たり前の現象です。でも……恥ずかしいというか。話していない過去を知られているというのは、妙な気分になります」
ほんのわずかに顔を赤らめたアサシンは、頭を支えるように机に頬杖を付いてしまった。
「レイカはカルナのことを知りたいのでしたね」
「ええ」
正確に言うなら、カルナとアサシンの関わりが知りたいのだが、そこは言わない。
「しかし、私は詩人のようにあまり口が上手くありませんが……」
「良いの。あなたの言葉で聞きたいから」
「……分かりました」
居ずまいを正し、カルナの武人としての強さは概ね『マハーバーラタ』にてさんざ語られている通りなので省きます、と前置きしてからアサシンは口を開いた。
「有り体に言って、誠実な人です。不器用なくらい、真っ直ぐな生き方しか知らない、というよりできないのでしょうね」
何かを恨んだり憎んだりもせず、怒るときもいつも己のためではない。歯痒いくらいに、他人のためにしか怒らない。
「ただ、私より数段上の口下手です。本人にそのつもりはなくても、人を怒らせること数知れなかった」
もうとっくに地平線の向こうに沈んだ太陽を探すように、アサシンは視線を窓へとやる。ガラスのすぐ外側まで押し寄せている暗闇に、彼女が何を見ているのか、玲霞には分からない。
「そんなところです。もう寝ましょう」
話はお仕舞いです、という風に、アサシンはぱん、と手を叩いた。
顔は変わらない無表情で、声音も淡々としていたが、アサシンにしては珍しく玲霞の目を見て話そうとせず、白い貝殻のような耳は先だけがほんの少し薄紅色になっていた。
おまけに玲霞の返事も待たず、アサシンは霊体化して消えてしまう。見張りのために屋根へと出てしまったようだ。
あらまあ、と玲霞は一人になった部屋で首を傾けた。この話題は、余程アサシンの琴線に触れる部分だったらしい。
それも、サーヴァントとしてではなく、人間として、女としての琴線だ。
―――――踏み込みすぎたかしら?
でもあれくらい言わないと、あの不器用なサーヴァントは自分を語らなかったはず。
それにしても、と玲霞は明かりを消してベッドに潜り込みながら思う。
あの、口下手なアサシンをして、数段上の口下手といわせるカルナは、どれだけ不器用だったのだろう。
小さな疑問を頭に留めながら、玲霞はシーツを被り、やがて穏やかな寝息が真暗な部屋に響き始める。
その夜、玲霞はまた夢を見た。
青い瞳の少女が、泣いている夢だった。
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ヴラド三世という英霊がいる。
ワラキア公としてオスマン帝国の軍勢を相手取り、これを撃退せしめた護国の英雄にして、後世の作家により吸血鬼ドラキュラのモデル。
相反する二つの側面を持たされた串刺し公は、ランサーのサーヴァントとして、ユグドミレニアの長、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアをマスターに現界した。
彼が聖杯に託す悲願は、己の汚名を雪ぐこと。汚名とは即ち怪物ドラキュラを指す。
ヴラド三世は、過去を変えようとは思わない。ただ、己の名を汚し続ける虚構の化け物を亡き者にすることを望んでいる。
と、そういう事情を、玲霞を教会に残し、ミレニア城塞に一人赴いたアサシンはライダーから聞かされた。
「やはりあなた方の頭はヴラド三世でしたか。ルーマニアと聞いて、予想はしていましたが」
「やっぱり予想されてたかー。うん、知名度補正って言うのかな?そういうのがあるから、ユグドミレニアはあの王様を呼んだみたいだね」
「でもライダー、私に真名を漏らして良いのですか?」
先程から何度かすれ違う、白髪赤眼の使用人らしき人間を避けながら、アサシンはライダーに聞く。
彼らは皆、アサシンが避けるたびに何の感情も籠っていない、紅玉のような瞳で見返してくる。ミレニア城塞のあちこちで、アサシンは白髪赤眼の彼らを見かけていた。画一的な顔立ちと雰囲気から察するに、彼らは人造の生命体、恐らくはホムンクルスなのだろう、と辺りをつけていた。
「良いんだよ。キミを通す前に言っとけってさ」
多分、牽制かなとライダーは嘯く。
ヴラド三世ともなれば、この地では絶対的なアドバンテージを持つ。何せ、救国の英雄として今も語り継がれているのだから、その知名度による恩恵は計り知れない。正しく、暗殺者一騎程度では、引っくり返しようもないほどの強さを持つだろう。
先にそれを伝えることで、自分を屈させるつもりなのだろうか、とアサシンは思う。
「それに、ボクらはみんなキミの真名を知ってるしね。―――――そうだろ?ジャック・ザ・リッパー?」
ちらりとライダーがアサシンを振り返って言う。真名を知られているのはアサシンも同じ、と言いたいのだろう。
元々、アサシンが新宿の町へ蹴り出したあの男はジャック・ザ・リッパーを喚ぶ腹積もりだったのだから、確かに真名がユグドミレニアにばれていても不思議はない。
だがしかし。
「あの、私はジャック・ザ・リッパーではありませんよ」
“黒”側にとっては想定外だろうが、アサシンはジャック・ザ・リッパーではないのだ。
「え?あ、そっか。キミ、女の子だもんね。じゃあ、ジル・ザ・リッパー?」
「……いいえ」
そんなに自分は血生臭くみえるか、とアサシンは肩を落とした。
娼婦たちを極めて残酷に殺め、十九世紀ロンドンを恐怖のどん底に叩き落とした殺人者、それがジャック・ザ・リッパーである。
そちらと間違われていたのは、アサシンには複雑だった。
「キミ、切り裂き魔じゃないのかい!?」
「はい」
ロンドンどころか、アサシンはイギリスに行ったこともない。
「それじゃ一体、キミはどこの誰なんだい?」
それは、とアサシンが口を開きかけたところでちょうど廊下の突き当りの扉の前に着き、アサシンとライダーは共に口を閉じた。
「じゃ、ちょっと行ってくるよ」
ライダーが扉の向こうに消え、アサシンは一人残される。
それにしても王様か、とアサシンは一人ごちる。
生前仕えていた人も王だった。正しくは、王たらんとした人だが、人を統べていたのには違いない。
真名は分からないが、あのライダーも名うての英霊のはず。アーチャーやセイバーとてそうだろう。彼らが皆、仮初めだろうと王と仰ぐからには、ヴラド三世はさぞ苛烈な王の風格備えた英雄なのだろう。
そのような英霊と彼を取り巻く五騎の英霊たちと、これからアサシンはたった一人で相対しなければならない。
それでも―――――頑張りましょうか。
玲霞の、マスターの命がかかっている。足をすくませている暇はない。今から挑むのは、勝てはしなくても負けなければいい戦だ。
軋んだ音を立てて、大きく開いた扉の中へアサシンは踏み出していった。
部屋の中央、一際高い位置に据えられた、玉座と言える豪奢な椅子。そこに座るは黒い貴族服を纏った王者であり、横には彼のマスターらしき目付きの鋭い青年が佇んでいる。
王者の周りに侍るのは、大剣を背負った青年、涼やかな面立ちの長身の男性、白いドレスを纏った虚ろな瞳の少女、それに桃色の髪の可憐な騎士である。
六対の眼に一度に見られているアサシンは、素顔を晒したまま玉座に近付き礼をするが、跪きはしなかった。
「お前がアサシンか」
「はい」
肘置きに肘をついたまま、優雅な仕草でランサーはアサシンを見ていたが視線は槍のようで、声は氷のように冷々としている。
「ライダーの話では、我々の陣に加わりたいようだな。無名のアサシンよ。だが、何故お前は今の今までここに馳せ参じなかった?」
確かに、“赤”が駄目なら“黒”に与したいというのは虫の良い話だと自嘲する。
マスターを守るためと言う理屈はあれど、それはアサシンの理屈であってランサーには何の関わりもない。
答え方を誤れば串刺しにされるのだろうか、とぼんやり思う。
「答えます、領主。まず、私のマスターはユグドミレニアの者ではありません」
玉座の横に侍る青年が眉をひそめたが、アサシンは構わず続ける。
「故に、ユグドミレニアに即座に加われるのか分からず、これまでトゥリファスに潜んでいました」
「なるほどな。だが一つ問おう。お前は、ユグドミレニアのマスターを裏切ったのか?」
虚偽は許さないとばかりのランサーに、アサシンは答える。
「いいえ。私は、今のマスターの声を聞いて喚ばれました。私を喚んだのは、間違いなく今のマスターで、こちらは主を一度も裏切ってはいないつもりです」
正確に言うなら、令呪を宿していたのはユグドミレニアの魔術師で、アサシンに声を届かせ、引き寄せたのが玲霞だったが、そこまでは言わない。
「理屈はそれなりにあるようだな。だが、その身に纏う気配は不愉快でもある。ジャック・ザ・リッパーではない、無名のアサシンよ、お前は紛い物の神々に連なる者だな」
サーヴァントたちが一斉にアサシンを見る。
ランサーの推測は当たっていた。
アサシンは確かに神に連なっている人間だ。生きていた頃は一度も会うことはなかったし今後もないだろうが、アサシンには炎神の力が流れ、神性スキルも保有している。
そして、異教徒との戦いに心血を注いだランサーからすれば、それは不快極まりなかった。
「だがそれは今はいい。聞かせろ、アサシン。お前の真名は何だ?」
それは最も聞かれたくなかった質問で、必ず聞かれるだろうと予測していた質問だった。アサシンは一瞬だけ足元に目を落としてから、まっすぐランサーを見上げて答えた。
「……ありません」
アサシンの返答に、何だと、とランサーが眉をつり上げる。
「無いのです。私は、数ある無銘の霊魂の一つがサーヴァントとしての形に嵌められたモノ。英霊の『座』から召喚された英霊ではないのです」
「……何と」
ぼそりと呟いたのは魔術師の男。やや忌々しげにアサシンを睨んできた。余程気配の薄い英霊が『手違い』で喚ばれたと思ったらしい。
アサシンは、嘘は言っていない。この場で呪いがどうのこうのという話など、場をややこしくするだけで、それにアサシンが『座』を知らないのは、紛れもない事実。
“黒”のランサーは変わらず、冷然とアサシンを見下ろしている。
しばし黙考したのち、ランサーは宣告を下した。
「暗殺者のサーヴァントよ。お主が我が領土に存在し、“赤”と戦うことは許そう。だが、我が麾下の将とは認めん。城には今後、無断で立ち入るな。立ち入ればそれは敵意と見なす」
「……承知しました」
再び一礼して、アサシンはあっさりと部屋を辞する。
廊下に出たアサシンは詰めていた息を吐いた。
正体は分からず、ユグドミレニアの魔術師に使役されているわけでもなく、おまけに“黒”のランサーからすれば不愉快な『怪物』の気配を放つ暗殺者である。
目障りだからと、消されなかっただけ御の字だった。ともあれ、悪いことばかりではない。これで少なくとも、玲霞はトゥリファスの街を自由に歩けるのだから。
さっさと帰ろう、と廊下を進むアサシンに、ぱたぱたと駆け寄るサーヴァントが一騎。
「ちょっと待ってアサシン!」
「ライダー、何かご用ですか?」
「あ、うん。用って言うかさ……」
玉座の部屋から、アサシンを追いかけてきたライダーの話はアサシンの魔力供給についてだった。
ユグドミレニアのすべてのサーヴァントは、魔力をマスターから直接与えられているのではなく、ホムンクルスから得ている。令呪のラインは繋がっているが、それ以外はほぼホムンクルスからの魔力で賄い、マスターたちは十全に己の魔術を振るえる状態にあるという。
つまり、アサシンもその魔力の経路を繋げ、という話だった。
麾下とは認めないが、“赤”を打ち倒すまではあっさり脱落されては割りに合わない、とユグドミレニアは考えたのだろう。
それに、ユグドミレニア経由の魔力でアサシンが戦うなら、いざというときの首輪にもなる。
その提案、というか命令に、分かりました、とアサシンは頷いた。
ニアミスは、残念ながらまだ続きます。