では。
「インドラ神が、ここで姿を顕すとおまえは知っていたのか?」
司令室からレイシフトの部屋へと向かう途中のカルナの言葉に、
「全然。でも、視えてないわけありませんから、もしかしてとは思っていました」
少し前の司令室にて。
カルナの懐から、小さな金属音が響いたときまで時間は遡る。
金属音の正体は、カルナのサンドバッグについている
そこから現れたのは、カルデアのインドラ神の眷属神、ヴァジュラの片割れ。
曰く、インドラが今回限り手を貸してくれると言ったのだ。
かつてカルナに鎧と引き換えに授けた槍と同じく、
ただし、アグニ神と直接相対し、戦い、その力を振るう機会をつくるのは、あくまでカルナに
インドラ神はその奮闘を、酒の肴にするらしい。力を貸してくれるなら、この際動機は何だって構わなかった。
まだカルナに抱えられている
「インドラ神が力を貸してくれるの、やっぱりアルジュナたちがいたからかな?」
「そうでしょうね。弓のアルジュナ様はずっと気が気でないという顔をされていましたし。このままだと、カルナとの勝負に障りが出ますしね」
「あの男はおまえのことも気にかけているとは思うが」
「わかっていますよ。だって散々叱ってくれます」
怒りをぶつけられるのではなく、真面目に叱られたことはあまり無かったから、アルジュナの対応は嬉しいと言えば嬉しい。
以前と比べれば、どちらも丸くなったものだ。摩耗でないのが、良い。
「よし、じゃあ早く皆の力を取り戻しに行こう!」
「ああ」
「ありがとうございます、マスター」
レイシフトのきらめきの中へ、そうして飛び込む。
くぐり抜けた先は変わらない生命なき森の辺りで、アグニは変わらず空を見上げて佇んでいた。
カルナの腕の中から地面に滑り降り、華奢な背中に目をやる。
他人の視点で見れば、自分は脆そうだった。確かにこれは、利用しやすそうに見えるだろう。生前も、最期も、何度もそんなことがあった。
黄金の鎧も、神の剛弓も、きらめく神器も、それらを扱うよな度量も技量も、何も持たない普通の人間─────にしか見えない。
たぶん、本当に自分が普通だったらこうはならなかったろうに。
とっくに自我を無くして【父】へと還り、終わりにできたはずだ。
大した欲望も持てないくせに己を手放すことだけはできなくて、こうなった。【我】だけは強かったのだろう。
何故そうまで、変わらずにいられたのだと言われても、わからないのだ。
歩いて歩いて、気がついたらまた、カルナの手が目の前に差し出されていて、自分はその手を握った。
何度だってそうするし、これからもそうだろう。
だから、今更、自害と消滅の道以外を選ぶべきだったとは思わない。
選択は変わらない。正しくなくても、選んだ道を最後まで歩く。
そうありたくて、そうなったのだ。
だったら、逃げるわけには行かない。
「アグニ神」
立香が呼びかけると、アグニ神は振り返った。
「やぁ、キミたちか。何をしてくれるのかい?」
「俺たちはあなたに、待ってほしいって言いに来たんだ。あなたの望みは、なくした子どもを取り戻すことと考えていい?」
「そうだね。そうだよ。思い出せないけど、
ああ、なら、コレは本当に汎人類史の──────【父】のアグニらしい。
変質はしているようだから、アルターエゴとも言えるかもしれないけれど、だとしたら司るのは何だろう。
父性、或いは親愛のアルターエゴだとしたら、笑えないにもほどがある。
呑んだというのは、喰らったと同義だろう。
「アグニ神よ、それだけか?」
「ん?」
「異聞帯の記憶を手に入れ、あのアグニ神と同調し、その上で
「言いたいことがあるようだね、ヴァイカルタナ。アルジュナ目当てに競技会へ殴り込んだときと同じ性急さだ。おまえは、あんなふうに死んでもちっとも変わらないらしい」
根底にカルナへの敵意を感じさせる鋭い目線で、アグニ神はゆらりと手を振った。
その敵意の源が、わからない。
「オレの死に様を記憶しているならば、彼女はどうだ?インドの異聞帯で、彼女の過去を見る機会はなかったのか?」
「ああ、見たよ。でも、よく覚えてはいないな。彼女はおまえの妻だろう?似たような破天荒で、似たように行いを改めず、排斥された。だからこそ上手くやっていけたのがキミたちじゃないか」
「……彼女の過去を見た上で、その浅はかな有り様なのは悲劇でしかないな。神であるにも関わらず……いや、神だからこそ、限られ、縛られた視野に囚われている自覚もないとは」
「カルナ!」
言い過ぎだった。
これが侮辱だの挑発だのならまだわかるが、そうではないのだ。カルナの気配に怒りが滲んでいない。
呪いの影響で、過去を見ても尚
慈悲深いのは知っているが、時と場合というものがある。神が憐れみに敏感だと、知らないわけではないだろうに。
立香がカルナの隣に並び、神を見据えた。
「アグニ神、俺たちはあなたに協力できないと言うことを伝えに来たんだ。……あなたの探しものは、あなた自身が変わらないと絶対に戻っては来ない。だから、皆から取ったものを返してほしいんです」
「へぇ、ボクに変われと言うのか、新しきカルデアのマスター」
「そうです。……本当に、思い出せないんですか?あなたが探しているのが、誰なのか、本当に?」
それは、カルデアのマスターとしての最後通牒だった。
アグニの眼の凪は変わらず、ただそこに変わらず在る。
力を返す素振りも、立ち去る素振りもない。
「アグニ神よ、奪ったものを返せ。おまえと言葉を交わすのはそれからだ。そうでないならば、まず交わすのは拳となる」
「言うじゃないか、半人が。インドラもスーリヤも、今のキミを見てはいないのに」
「オレのマスターと妻が見ている。オレには惑う必要も理由もない。……おまえとは、違う」
瞬間。
アグニの金の瞳が光った。
「マスター、失礼します!」
「えっ⁉」
立香を所謂横抱きにして、
小さな背中から二対四枚の焔の翼が生まれ、空中に浮いた体を支える。
先程まで立っていた地上には炎が駆け巡り、融解した大地が煮えていた。
サーヴァントと神がぶつかり合った余波で地面が吹き飛び砕け散り、宙に浮いた岩や土塊を次々飛び移り、アグニとカルナが空を駆ける。
槍も弓もなくただ拳を交えているだけだと言うのに、風が吹き荒び、大地が割れ、焔が妖精の舞踏のように踊り狂う。
「じ、地面が……!」
「はい、割れていますね。アグニ神の焔の力は、大地に流れる炎、つまりマグマなどとも相性が良い。どこかからか呼び寄せて大地を融解させているかと。ここが火山地帯でなくてまだ幸いしました」
「……わ、かった!キャスターは俺抱えてどれぐらい飛べる?」
「ガルーダ神鳥のような乗り心地を期待しないでくださるなら、ずっと」
「しないよ!でも任せた!」
「承知しました」
砲弾のように飛ぶ岩と土をすり抜け、四枚羽のうちの二枚で立香を覆いながら、
飛びながら様子を窺えば、カルナが遠慮も容赦もなく、アグニ神の華奢な体に拳を向けていた。
親しんだ人間と顔形が同一な程度で、鈍る武術の腕などカルナは持たない。それはわかっていたことだが、同時にアグニの回復力の高さと厄介さも見て取れた。
カルナの拳は通っているが、アグニの体は焔である。物理攻撃はほとんど無効化される。毒は効く前に燃え落ちる。
カルナは拳に纏わせた太陽神由来の魔力放出で削っているが、あまりにも足りていない。どころか、インドラに借りた一度きりの力でも、削り切れるかわからない。
アグニが持ってしまった、カルナの鎧の力が厄介だ。神にすら破壊困難な鎧を、神が纏えばどうなるかの答えがあれだ。
自分の遥かな上位互換はこうも厄介なのか、と
カルナを弄んでいてさえ、これだけの強さなのだ。今さら神代再現でもあるまいに。
と、立香に袖を強く掴まれた。
「キャスター、ごめん、もっと近寄れる?ふたりがどうなってるか見たいし、距離があるとカルナに魔力が届かなくなるから」
「謝る必要はありません。しっかり掴まっていてください。加速します」
幼い少女の体で、筋肉質な少年を一人抱えて飛ぶのは難題だが、できないわけではない。元の形でもカルナを担いで飛ぶくらいはできる。
焔の翼を畳んで流線形となるや、燕のようにくるりと回って破壊の大元に突入した。
アグニから放たれる焔の熱は、ただの人間ならば焼け落ちるほどの高温だ。
鎧が無くともカルナは太陽神の子であるから耐えられるとしても、魔術礼装越しでも藤丸立香にはきついものがある。
実際、彼は苦しげに息をしていた。呼吸するだけで喉に熱が籠もるのだから、至極当然だ。
「礼装越しでも、ここ、熱い……ッ!」
「アグニは焔で喰らう神です。この空間は彼の力で満ちていますから、留まり続ければ燃やされ、喰らわれます」
「やっぱり神様はスケールが大きいなぁ、もう!」
「マスター、なので、私と体質を一部共有しましょう。焔の熱とダメージを抑え、思考を正常に留めます。が、あまり長くは保ちません。その時間で、状況把握と指示をお願いします」
「了解!カルナと動くタイミング合わせられる?」
「はい。念話で繋げていますので、状況把握は互いにできています」
「ありがと!」
快活に笑った少年を頼もしく思いながら、
炎に阻まれない生来の体質は、サーヴァントになろうと、姿形を変えられようと健在だ。
その力を一部マスターと共有し、留まり続ければ炎神の魔力に汚染される空間で正常を保つ。ただ、あまり続けてはいられない。
半神の肉体情報共有もまた、現代の少年には重すぎる。良くも悪くも、神はいるだけで周囲を変えていくモノだ。
そもあの神に、汚染しているつもりはないだろう。
炎は暗闇で燃えるだけで虫を呼び、翅を焦がして火に焚べる。それと同じだ。
つまり、あのアグニは在るだけで周りが焼け落ち、爆ぜる。
そこに神の意志はない。傍迷惑なことに。
カルナがあのアグニと正面切って殴り合えるのも、ひとえに太陽神スーリヤの子であるからだ。半神と神の差は、本人の気合いと根性で埋めているのだろう。
「私に無茶するなって言っときながら、本当そういうところですよ……!お互い様ですけど……!」
「自覚あったんだ⁉」
「ありますよ?ないとやっていけないでしょう!」
マスターとサーヴァントで軽口を叩き合う間にも、カルナとアグニがぶつかるだけで凄まじい勢いで土地がめくれ上がり、割れていく。遠くなった、かつての神代を彷彿とさせる破壊の仕方だった。
水の雨の代わりに炎の雨が降る台風の只中のような有様なのに、カーンダヴァの森だけは残っているのは、アグニ神の郷愁だろうか。
「マスター」
「うん、アグニ神の足を一瞬止めて、削らないといけないんだよね。……キャスター、行ける?」
「はい。ただ、想定より魔力を消費してしまったので、令呪を一画お願いします」
「了解。足場はあの森で大丈夫?」
「はい」
立香を抱えたまま森の上に戻り、森から植物を伸ばさせて足場を組む。
即席の草の土台は心許ないが、言っている場合ではなかった。
「令呪を以て頼んだ!キャスター、作戦通りにやって!」
「わかりました」
魔力の込められた三画の刻印から一画が消え、魔力が高まるのを感じて
────本当に。
こんな手段、使いたくなかったのだ。
自爆の宝具も好きでないけれど、あれよりもさらに
だけれど、ここは割り切る。
やらねばならないことは明確で、そのためにあの父神の介入は邪魔でしかない。
今更、父から娘に言いたいことがあったのだとしても、あまりにもすれ違いすぎた。
関われば関わるだけ痛みが嵩んで、いつしか会いたくなくなったのだ。
昔は、生命をくれたとこに、素直に感謝だってできたのに。
────
話は、それからしかしたくない。
それでも一言、贈る言葉があるとするなら。
「……終幕のその後までも、悪い娘でごめんなさい────
感傷はここまでだと、呪術の触媒たる剣を引き抜いて足元に突き刺す。
展開された呪術の陣が輝くのを感じながら、
「令呪の魔力を以て我が肉体に命ず────私に有り得た未来、私が手折った一枝を、此処に齎しなさい!」
変化は劇的だった。
焔によって赤く染まった空が一筋の白光によって切り裂かれ、光は
光の中で、自分の肉体の変化を感じた。
幼く細く、脆く小さな体が形を変えていく。元の形よりも、さらに変貌する。
髪は黒より黒く、瞳は金と赤に、身の丈は少女のものより高くなり、手足も伸びた。
光が収まったのを感じて目を開ければ、視界に入るのは本来のそれよりもやや
「……成功、するんですね」
こんな呪術で、こんなもので。
─────
それは、あり得たかもしれない自分の未来の姿で。
過去に拒絶した、生前は成ることがなかった姿だ。
サーヴァントとしての性能が上がるわけでも、宝具が変わるわけでもない。
ただの己の可能性の一つ、
無駄に魔力を喰う張りぼてで、何ら恩恵はない。
どころか、死者の墓を掘り起こすようなものだから、極力したくはない/なかった。
けれどその
すう、と息を大きく吸った。
「アグニ─────
炎の渦の中にまで轟く澄んだ声に、少女の形の炎神が頭を巡らせる。
いつも読んでいただきありがとうございます。
何度か2部4章を読みたいと言ってくださる方がおられるので申し上げますと、正直書くのは難しいです。
というのも、開幕早々主人公がカルナを庇って消滅し、ストーリーで喋っているのはずっとアグニ神だからです。
主人公が出てくるのは、最初の消滅と異聞帯が終わる最後だけなので、そういう意味で書けません。
割とカルナにとっては苦行と言うか、
・神たるアルジュナからの無視
・会話する間もなく主人公が自分を庇い消滅
(リンクロストどころかデータロストの可能性浮上)
・ガネーシャ神は神の空岩による数千年の孤独
・アグニ神(主人公の姿)によるノンデリ発言オンパレード
というロストベルトです。
癒しがラーマぺぺさんアシュヴァッターマンぐらいで、ログを見たアスクレピオスやウィリアム・テルが、ほんのりカルナに優しくなる感じです。
雷霆神の話が終わったら、以前申し上げたstay nightをちょっと連載しようかと思います。
書けるよう頑張ります。