嫌な予感がするとき、アサシンは自分の勘に忠実に動くことにしている。
生きていた頃から、勘が鋭いと言われることはあって、サーヴァントになって直感スキルなるものが与えられていたのは少し嬉しかった。自分の勘の良さを認めてもらえたような気がしたからだ。
といっても、何が自分にスキルを与えパラメータを決めるのかはよく分からない。多分聖杯なのだろうが、ともかく与えられたなら使うまでである。
ミレニア城塞まで駆け戻ったアサシンは、辺りを見回せる木々の上にまで上り、辺りを見回す。そうすれば、“黒”のライダーの気配が城の裏手から感じ取れた。だが、その近くには“黒”のセイバーの気配もあって、アサシンは眉を顰める。
ライダーはホムンクルスを逃がすために動いているとして、セイバーの方は十中八九それを止めるために動いているのだろう。キャスターがホムンクルスに執心しているようだと、以前ライダーが言っていたから。
さてどうする、と立ち竦むアサシンの耳に、今はホテルで待っているマスターの声が蘇った。
―――――その子、助けてあげられないの?わたしを、助けてくれたみたいに。
ああもう、と声にならない叫びを上げ、アサシンは一度だけ両手で目を覆った。
数秒そうしてから、アサシンは目から手を離し、大きく息を吸うと足場の木を蹴り飛ばして、サーヴァントたちの気配が集まる方へ跳んだ。
“黒”のライダーに助けられ、城から抜け出したホムンクルスの少年がいた。
彼はもともとユグドミレニアの魔術師によって魔力供給用に造られた生命だったが、何の偶然かそこから抜け出したいと願った。けれど、彼はあまりに脆く一人では立つことも満足にできない。医術の覚えのある“黒”のアーチャーの見立てでは、三年ほどの命しかない。
けれど、彼の願いに応えたのは天衣無縫なライダーで、彼は“赤”のバーサーカー襲撃のどさくさ紛れにホムンクルスを連れ出して城から逃げた。
そこまでは良かったのだが、彼は途中で“黒”のセイバーとそのマスターに追いつかれることになる。セイバーのマスター、ゴルドはライダーにホムンクルスを寄こすように言い、ライダーはあっさりとその提案を撥ね退けた。
最優であるはずの自分のセイバーが、初戦も二戦目も相手の首を上げられなかったことに苛立っていたゴルドには、ライダーの奔放な振る舞いが耐えられず、セイバーにライダーを抑えるように命じた。
そうして、今、夜の森の中で支えを無くしたホムンクルスは冷たい地面に倒れ、ライダーはその横でセイバーによって地面に押さえつけられていた。
「全く、このような些事に私が関わり合うなど……ありえない」
不満げに呟くゴルドにきつく手首を掴まれながらも、ホムンクルスは無感動に彼を見上げる。疲労はどうしようもなく弱い体に圧し掛かり、彼にはもう動く気力も残っていなかった。
けれど、その彼にライダーは叫んだ。
「馬鹿野郎!簡単に諦めるな!キミは生きたいってボクに言っただろ!それを最後まで貫けよ!」
ライダーの叫びはホムンクルスの心を覚まし、彼は迎撃用の魔術をゴルドへと編み上げた。しかし、仮にも魔術師で、ホムンクルスたちの生みの親で、錬金術を修めたゴルドには通じず、却って彼を激昂させることになった。
被造物が主に逆らうなど、魔術師であるゴルドの常識ではありえず、怒ったゴルドはホムンクルスに鉄拳を振るい、華奢な体を蹴り上げた。
それにホムンクルスの少年が、耐えられるはずもない。地面にたたきつけられて、ぴくりとも動かなくなった彼を見て、ライダーは叫んだ。
「やめろ!ボクを離せよ!セイバー!ボクたちはサーヴァントだけど、騎士で英雄だろう!ボクは絶対にあの子を見捨てないからな!」
その言葉に、“黒”のセイバーであるジークフリートの手がわずかに動く。
けれど、怒り狂ったゴルドにはその言葉は聞こえず、彼がさらにホムンクルスへ拳を振るおうとする。
冷たい地面に横たわって、ホムンクルスはただそれを見ているしかなかった。
けれど、なおもライダーがやめろと絶叫した瞬間、ふわりと風が吹いた。
「―――――待って、それ以上は。この子が死んでしまう」
ゴルドとホムンクルスの間に飛び降りてきたのは、灰色の少女。
“黒”の暗殺者は、ゴルドの鉄拳を受け止め受け流すと、少年を庇うように両手を広げた。
少女は肩で大きく息をしていて、ホムンクルスはほつれた黒髪に縁どられ、星の光で白く照らされた横顔を、ぼんやりと見上げる。
「やめてください、セイバーのマスター。お願いします、この子を見逃がしてあげることは、できませんか?」
青い石のような目で、アサシンはゴルドを見、ゴルドは気おされた。
彼は自分のサーヴァントであるセイバーとろくに会話もしていない。こんな風に、怖いくらいに真っ直ぐ自分を見据えてくるサーヴァントと、彼は今まで会ったことが無かった。
「……ふざけるな!」
だが、彼も令呪を宿した魔術師で、サーヴァントという使い魔を従えるマスターという自負もある。
彼からすれば、自分が造り出したただのホムンクルスを寄ってたかって庇い、守ろうとするライダーやアサシンの方が理解できなかった。まして片方などは真名がないという怪しい暗殺者である。
「そいつを逃がせだと!バカも休み休み言え!お前も、ライダーも私たちの下僕だろう!それがどうして逆らう!?」
「確かに、そうです。でも、私たちも人でした。心があります。生きたいという子を、見殺しにできません。お願いです、セイバーのマスター」
丁寧だが愚直なアサシンの物言いは、さらにゴルドを苛立たせた。
このアサシンを何とかしろ、とセイバーに命じようとして、ゴルドは目を点にした。いつの間にか、セイバーはライダーから離れてゴルドを見ており、ライダーは地面のホムンクルスの傍らに駆け寄っていた。
二体のサーヴァントの視線にさらされ、ゴルドは後ずさり、セイバーは口を開いた。
「マスター、俺からも願う。そのホムンクルス一体を逃すことくらい、見逃してやれないか?」
これまでゴルドの命を守って、黙り続けていた使い魔に見据えられ、ゴルドの思考はつかの間空白になり、次の瞬間憤怒に染まった。
“赤”のランサーも、ライダーも仕留められなかったサーヴァントの言い分など、誰が聞けようか。セイバーにふさわしい働きなど一つもこなさなかったくせに、とゴルドの怒りは燃え上がる。
「お前まで、何の世迷言を言い出す。たかが無価値なホムンクルスだぞ!?」
「マスター、俺はあなたの良心に訴えている。見逃せないだろうか?」
「くどい!」
我慢の限界に達したゴルドが、三画揃った令呪の刻まれた手を掲げる。しかし、ゴルドが何かを言うより速く、セイバーの拳がゴルドの腹に突き刺さり、彼は丸太のように倒れた。
「……え?」
呆けたような呟きは、アサシンかライダーかどちらか分からない。
セイバーはそれに構わず、アサシンとライダーに挟まれて地に横たわるホムンクルスの側に跪いた。ホムンクルスの手を取っていたライダーの顔は、悲しみと怒りで真っ赤に染まっていた。
「遅いよ!どうして、もっと早く止められなかったんだ!」
それだけで、セイバーは悟った。ホムンクルスの少年は、もう助からないのだと。
助ける義理も何もないはずの、儚い命のためにここまで怒り嘆き悲しむことのできるライダーは、きっと本当の英雄にふさわしいのだろう。
助けを求められなかったからと、彼を見捨てようとした自分とは違う、とセイバーは思い、その欺瞞は自分の命で償おう、と決意した。
「待って下さい。まだ助かります」
だが、ライダーと同じくホムンクルスの手を握っていたアサシンは顔を上げてそう言った。
アサシンはセイバーとライダーに離れるように言い、ホムンクルスを地面に丁寧に横たえたアサシンは、彼の胸に手を置く。重ねた手から、ホムンクルスを中心に橙色の焔が渦を巻いて立ち上った。
それにライダーは驚いたが、その焔に包まれながら、次第にホムンクルスの顔が穏やかになっているのに気づき、ほっと胸を撫でおろす。
やがて、焔は徐々に勢いを弱めて、最後にアサシンが髪を束ねている金の環に吸い込まれるようにして消えた。環はくすんだ黄金色に輝き、時々中が燃えているように小さな焔を立ち上らせている。その環を、アサシンは髪から外してホムンクルスの胸の上に乗せた。
「助かったのかい!?」
地面に座り込んだまま、アサシンは駆け寄るライダーに向けてこくりと頷いた。
「良かった!良かったよう!ありがとう、アサシン」
「……いいえ。礼なら、私のマスターに言ってください」
笑いながら泣き出したライダーに、淡く微笑みを返したアサシンは立ち上がった。
「これで、怪我は治りました。その環に私の宝具を分けて込めたから、彼が起きたなら、渡してあげてください。認識障害の術も併せて仕込んだから、役に立つでしょう。……すみません、あとは頼みました」
「え、ちょっと!?アサシン!?」
ライダーはアサシンの腕を掴もうと手を伸ばすが、一瞬早くアサシンは光の粒子になって、虚空に溶けてしまった。
「……行っちゃったよ」
消耗したのだろうか、とにかくアサシンは言うだけ言って、霊体となって消え失せてしまった。ライダーが呼んでみても、返事すらない。
宝具を分けたとかなんとか、かなりとんでもないことをアサシンが言った気もしたが、“黒”のライダーには理性が蒸発してしまっていた。だから彼は、そのことを瞬間で忘却して、ただただ一命をとりとめたホムンクルスの無事を喜ぶことができた。
倒れたままのゴルドだとか、キャスターとランサーにどう説明するのかとか、そんなことは後で考えればいい。
アサシンが消えた後をしばらく無言で見つめていたセイバーも、ゴルドを肩に担いで立ち上がった。
「俺は先に城に戻るぞ、ライダー」
「分かったよ。ボクもこの子が起きてお別れを言ったら、すぐ戻るさ」
ライダーにセイバーは頷きを返し、そのまま立ち去る。
後に残されたのはライダーとホムンクルスの少年だけで、ライダーの見守る中、少年の瞼がゆっくりと震え、持ち上がった。
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“赤”のランサーという英雄がいる。
赤の陣営が抱える中ではライダーと並んでの最高の戦力で、マスターの指示であるのなら、どんな命令だろうと忠実に動く。
シロウがランサーのマスターを介して要請した、審判役であるルーラーを真っ先に誅殺せよという命令にも彼は従った。彼の第一義は、マスターに槍を捧げること。己の願いもあるが、優先されるべきはまずマスターであるというランサーの立ち位置は、シロウとセミラミスにとっては、今のところは都合が良かった。
しかしあくまで今のところあって、彼らが内に秘めている謀が露見すれば、そうはいかなくなるだろう。
それを防ぐためにセミラミスが目を付けたのは、ランサーの願い事だった。願いと綺麗に言っても、所詮は欲なのだからそこに付け込めばいい、マスターを裏切るように仕向ければいい。謀略で鳴らしたセミラミスはそう考え、それは当たり前のように上手く行かなかった。
―――――確かに、オレは願いを叶えるためにこの世に引き寄せられた。しかし、それならば、その機会を与えてくれたマスターに報いるのが先だ。順序を違えるわけにはいかない。
至極当然の理屈のように語られ、セミラミスはこのサーヴァントが、名誉や誉を欲する英雄とは違う類のものだと認めざるを得なかった。
シロウは逆にランサーに薄く微笑んで見せ、あなたの願いも最後にはきっと叶えられるだろう、と告げただけだった。
シロウの裡にある願いを知るセミラミスにすれば、確かに嘘ではなかった。
少なくともシロウは、ランサーの願いも叶うはずだと、そう信じていることもある。
―――――人を一人、探し出したい。今どこにいるのか、それが知りたいのだ。
それがランサーの願いで、女帝であるセミラミスにはまるで理解できなかった。
人探しなどという些細なモノのために万能の願望器を求めることも、しかも探し相手は妻だということも、この世にただ一人君臨する女帝になろうと願うセミラミスからすれば、冷笑するほかない。
ランサーも、それは当然分かっているのだろう。万人に等しく価値があると考えている彼は、人の抱く野望も否定せずに受け入れる。
ともあれ、“赤”のランサーと“赤”のアサシン主従との距離はそうしてともかくも落ち着いた。
“赤”のバーサーカー暴走という事態が発生したときも、セミラミスはシギショアラから使い魔を通して観察していた。あの“黒”のアサシンが使い魔越しの映像に映って、しかも幻術とはいえ火柱をぶち上げたときは、少し驚いた。
あちらにアサシンが付いても、それは捨て置いていいと思っていたが、彼女が“赤”のライダーにかすっただけとはいえ傷を与えたことは予想外で、それは心底忌々しかった。
消しておけばよかったか、とセミラミスは思う。弱いくせに男のように剣を取って戦うアサシンは、女帝セミラミスにとっては愚かな女そのものだ。
セミラミスは使い魔との視覚共有を切り、自分の向かいの椅子に座って書類を読んでいる己のマスターへ目を向けた。
「マスター、どうやらあのアサシンはあちらに付いたようだぞ。それと、奴は神性の持ち主だ」
「おや、それはまた」
言葉とは裏腹に、さして驚いた風でもなくシロウは肩をすくめた。
「それとな、“黒”にはあ奴の他にも神に連なる者がいたぞ。“黒”のアーチャーだ」
「では、今のところライダーに傷をつけられる“黒”は二騎ですね」
「ああ。だが、ライダーに立ち向かってくるのは間違いなくアーチャーだろう」
暗殺者を前線に放り込んでは、その真価は発揮できない。
アサシンに関して一番に用心すべきは、マスターが狙われることだ。だが、間も無くセミラミスの『宝具』が完成する。そうなれば、暗殺者の刃など恐れるに足りなくなる。
そのときが楽しみだと、女帝は口の端を吊り上げて笑った。
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高くて遠い空を眺めるのが、好きな人だった。
何もない日に姿が見えなくなったときは、大抵空のよく見える場所を探せば、見つけ出すことができた。気まぐれな猫のように姿を消すのは、人と交わるのが苦手だからか、と聞けば首を振られた。
『彼女』には特に理由などなくて、ただそうするのが好きなだけだった。
花だとか宝石だとか、そういうものもそれなりに好んではいたようだったが、空を見る時の瞳が一番輝いていた、と思う。
どうしてそこまで拘るのかと聞けば、空に果てはなくて、どこにでも繋がっている。朝には雲が流れ、昼には太陽が輝き、夜になれば星の瞬く、どこまでも高くて遠くて見飽きることなんてない、と言っていた。
そういうものかと、自分は頷いた。
時が経った今でも変わらない青空を見上げてみれば、分からなくもないと思う。父たる太陽が輝いているのだから、自分も空を厭う理由はない。
ただ違うのは、この空を澄んだ目で見上げていた彼女はもういない、ということだけ。
彼女が空に溶けたのか地に還ったのか、自分では分からない。誰かの槍であり、盾でありさえすればよかった自分は、探しものの類は下手だ。
下手なまま迷っていた自分は、しかし、何の因果か今生に生を与えられた。
奇跡を欲していたつもりはなかったのだが、こうして呼び出されたということは、案外そうでなかったかもしれない。
そうして呼ばれた先で求められることは、詰まる所は武を振るうこと。そのことに不満はなく、元から自分にはそれくらいしか能がない。
そうやって決めつけてしまうのは良くないと、彼女は少し怒ったように言っていたが、一人の人間すら見つけられていないのだから、事実だろう。
槍を振るう先が、彼女の行方に繋がっているならこれ以上のことは無いと、そう思っていた。
―――――それなら、何だというのだろうな、あの焔は。
闇夜を一瞬だけ穿ち、何も燃やさず消えた青い焔は思わず目を奪われるほど綺麗だった。
そしてちょうどあんな色の焔を創りだせる人間を自分―――カルナは、一人知っていた。
―――――これも、因果だろうか。
シギショアラからトゥリファスを眺める槍のサーヴァントは、そう呟き、誰もその声を聞く者はいなかった。
難易度ルナティックは何も主人公だけではない。