ホムンクルスの少年の一件は、結局表立っては誰も咎められなかった。
最大の理由は、あの後、王の元まで急いで取って返したライダーとセイバーの二人が、そろってホムンクルスを庇ったからだ。
ホムンクルスを材料に至高のゴーレムを生み出そうとしていたキャスターは露骨に不満げだったが、貴族であるランサーは、弱者を守るという騎士の誓いとそれにかける誇りは尊いものだとして、今回はキャスターに譲るように命じた。
報告の際、セイバーがもしあのままホムンクルスの少年が死んでいたならば、自分は命を差し出しても彼を救うつもりだったと、言いのけたこともある。
セイバーがそう言ったことで、アサシンが状況報告を怠ったこととセイバーのマスターに逆らったことも、合わせて咎められることは無くなった。
要するに、ランサーとダーニックは何もなかったことにしたのだ。
セイバーを下らない内輪もめで失っていたら、目も当てられない事態になっていたと考えれば、怒りより安堵の方が強くなる。結果として、セイバーの発言が決め手となってともかくもそれで一件は落着した。
さらに、アーチャーのケイローンからの報告で相手方のライダーの真名が判明した事実もある。
アーチャー曰く、ライダーの真名はアキレウス。
疑いなくギリシア神話最大級の英雄で、しかもアーチャーによれば、彼は一定値以上の神性スキルを持つものでなければ、傷すらつけられないという。“黒”の陣で神性スキルを持つのは、アーチャーとアサシンだけで、太刀打ちできるかどうかというとアーチャーだけになる。
この問題の方が、ダーニックとランサーにとっては遥かに重要視すべき件となった。
ともかくも、そうして王への報告を終えたライダーとセイバーはランサーの王座のある部屋を辞し、廊下に出たとたんにライダーは両手を天井へ突き上げた。
「良かった~。何とかなったねぇ」
ホムンクルスの少年を最後に見送ったのはライダーだ。
アサシンが即席で生み出した魔道具と護身用にライダーの渡した細剣を持って、少年はしっかりした足取りで山へと消えた。アサシンの宝具は傷を癒すものであるらしく、その力が込められた環は、少しの魔力を流せば持ち主の傷を癒していくという効果を持つようになっていた。
脆弱なホムンクルスの少年だが、あの宝具が体を癒す速度の方が、彼の肉体が傷つく速度より速かった。だから多分大丈夫だろう、とライダーは思っている。
「にしても、アサシンも無茶やるよね。道具作成スキルも使ったんだろうけど、宝具を分けちゃうなんてさ」
サーヴァントにとって、起死回生の一手になりえる宝具はとても重要だ。
それをマスターでもない人間にやってしまうなど、普通のサーヴァントならやらない。第一、マスターが許可しないだろう。
「……そうだな」
ライダーの隣を歩くセイバー、ジークフリートはそう口を開いた。
「無茶をしたってんなら、君もだよね。セイバー。どうしてあそこで、マスターに逆らったんだい?令呪もあったのにさ」
頭の後ろで腕を組んで歩きながらライダーは聞き、セイバーは少し黙ってから口を開いた。
「……俺はサーヴァントとしてこの地に招かれた。だから、マスターの命に従うことがすべてと思っていた。だが、俺にも願いと想いはある。自分が何をしたかったのか、それをお前とアサシンの言葉で思い出しただけだ。その意味で、俺はお前たちにとても感謝している」
「そう、なのかい?だったら良かったよ」
ライダーはきょとんとした様子で首を捻っていた。彼にとっては、ホムンクルスの少年が助かったことの方がよほど重要で、自分が何を言ったのかそれほど覚えていなかった。
「まあでも、アサシンにもそう言っとくよ」
ライダーはそれでも底抜けに明るく笑った。
結局、消耗したらしいアサシンは変わらず城外待機を言い渡されて、王の間にはやって来なかった。
「それがいい。俺はマスターと話し合わねばならないから、すまないが頼むぞ」
「いやいや、それはちっともすまなくないよ、大事なことだろ。セイバー」
ライダーは顔の前で手をぶんぶんと振った。
ホムンクルスの少年を助けるために、自分のマスターであるゴルドをセイバーは殴って止めた。
未だゴルドは気絶したままだが、目覚めたら今度こそ彼と向き合おうとセイバーは決めていた。大いに罵られるだろうし、令呪を盾にされることも考慮しなければならない。それでも、まずは彼とまともに向き合わなければならないと、セイバーは、今はそう思っていた。
「――――ああ。そうだな。では、俺はマスターの元へ向かうとしよう」
珍しく真面目に言ったライダーに頷き、セイバーは霊体化した。ゴルドの元へ向かったのだろうが、上手くいくと良いと願いながらライダーは廊下を歩く。
同時に、どこかぽけっとしていたマスターと生真面目なサーヴァントの組み合わせを思い出し、ライダーは彼女たちのいる方へと足を向けることにしたのだった。
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同じころ、夜の森を歩く一人のサーヴァントがいた。金の髪と紫の瞳の少女、ルーラーである。
イデアル森林での戦いをルーラーはすべて見届けた。
戦い自体は、“赤”のバーサーカーの捕縛、“赤”のライダーとアーチャーの撤退という形で幕を閉じ、ひとまず人的被害が一つもなかったことにルーラーは安堵していた。せいぜい、燃え盛る幻影の炎が森に出現した程度だ。
あとは森を抜けて、拠点にしている教会へと帰ればいい。だが、ルーラーの勘はまだ森に何かあると告げていた。
勘を信じて感覚を研ぎ澄ませれば、微弱だが、サーヴァントに似た気配を感じた。“赤”も“黒”もサーヴァントをそろえた以上、はぐれはありえないのだがそれでもルーラーは気になり、勘を頼りに気配の元を探していた。このときのルーラーは、相手がこちらに気付かないよう、サーヴァントとしての気配をぎりぎりまで抑えた状態だった。召喚時のイレギュラーな事態によって完全な霊体ではなく、生身のに憑依しているルーラーにはそれができた。
そうして歩いた先に、一つの人影をルーラーは見つける。
「―――――待って、下さい!」
ルーラーの声に驚いたように振り返ったのは、銀の髪と赤い瞳が夜闇の中でも目立つ、一人の少年だった。
警戒して後ずさる少年に、ルーラーは自分が敵ではないことと聖杯戦争での己の役割を丁寧に説明し、そうしてやっと少年の目から警戒の色が薄れた。
「……分かった。あなたを信じる」
そういう少年は何かを手に握りしめているようだった。ルーラーの感じた微弱なサーヴァントの気配も、彼からしている。
「ありがとうございます。あの、一つ聞きたいのですがあなたはサーヴァントの誰かから何か与えられましたか?」
しばし迷ってから、少年は手のひらに乗せた環を見せた。
焔を封じ込めたように闇の中で光る環を見て、ルーラーは気配の元が『これ』だったのだと悟る。
「アサシンが宝具を分けて入れたそうだ」
「それは、あなたを助けるために?」
「そう……だと思う。俺は気絶していて分からないのだが、俺を逃がしてくれたライダーがそう言っていた」
それはまた、人として好ましくはあるが、ずいぶんとお人好しなサーヴァントたちだとルーラーは思う。だがその彼らが後押ししたからこそ、この少年はここまで来れたのだろう。
「――――君はこれからどうするつもりなのですか?ええと……」
話を急くあまり名前を聞いていなかったルーラーは恐縮し、これまで名前を与えられていなかった少年は、しばらく黙ってからアッシュと呼んでほしいと言った。
灰を意味する言葉を少年が名前に選んだのは、きっと彼を今も癒し続ける焔と関係があるのだろう。
顔すら一瞬しか見えなかったサーヴァントが渡してきた、暖かさを感じる金環を握りしめて、少年はルーラーの問いの答えを探した。
彼にはずっとずっと、自分と同じように供給槽に入れられたホムンクルスの助けを求める声が聞こえていた。脆弱な自分では応えられるはずもなかった、助けを求める声を、少年は忘れることができていなかった。
けれど今、自分の体は脆くはない。
元をたどれば、アサシンの魂の一部ともいえる宝具は、確かに少年に馴染み、彼を癒していた。その馴染み方は彼女の予想を上回る勢いで、魂が無色に近い少年に力を与えてしまっていた。
「ルーラー。俺は――――」
やがて口を開いた少年の思いを、ルーラーは確かに聞き届けた。
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―――――思っていたより、平気。
霊体となってミレニア城塞を後にしたアサシンは、走りながら感覚を確かめるために掌を握ったり閉じたりする。
具合は特に問題ない。さすがに切り取ってすぐは、霊基が乱れて一時霊体化しなければならなくなったが、今はもう問題はなくなっていた。
セイバーのマスターに逆らってホムンクルスの子を逃がしたことは咎められるかと思ったのだが、城塞の外で待っていたアサシンにライダーはあっけらかんと、“黒”のランサーは何にもなかったことにするみたい、と言ってのけた。
多分、セイバーとライダーが取りなしてくれたのだろう。そうでないと、ここまですんなり収まったとは思えない。
もちろん、何もなかったことにすると言っても無くしたものはある。宝具の一部はしっかりとアサシンの中から失われた感触があった。
宝具が武器や道具の形をしているライダーやセイバーと違って、アサシンの宝具は自分の生前に持っていた能力が元になっている。
恐らくは神の権能の千分の一くらいの代物で、野菜や果物のように切って人にくれてやっていいのか、と言われたら少し自信がない。
あるいは、不信心者として罰でも当てられるかもしれないが。
―――――いや、罰なんて今更か。
神秘が薄れ、神がいずこかへ去ったこの世で気にかけるべきはそこではない。
三つある宝具の一部を削って人にやった。個人で言えば惜しくはないが、暴挙には違いないだろう。
けれど、玲霞はアサシンにホムンクルスの子を助けてと願っていた。だから、そのために宝具を削ったと、自分は指示を完全に果たそうとしたからだと自分に言い訳もできる。
―――――いや、違うな。あれは私がしたいと思ったからしたこと。
誰かに請われたわけではなかった。それでも手が勝手に動いてしまった。
ついでにいうと宝具だけでなく、長年使い続けて魔力が溜まっている髪飾りまでやってしまった。即席で魔道具にできるものがあれ以外なかったからとはいえ、やってしまったという思いはある。
アサシンは足を緩め、服の一部を裂いて作った紐で髪を束ねながら、町の屋根を歩く。
宝具の一部はなくなったが、元からあれは戦うには向いていない。多少の怪我なら呪術でも修復可能だから、戦力でいえばそれほど下がったわけではない、と思う。
音も立てず、夜風に逆らって歩きながら、アサシンは今日の戦いを思い出す。
戦ったのは、“赤”のバーサーカー、アーチャー、ライダー。バーサーカーは“黒”が捕獲できたから戦うことはないとして、問題はアーチャーとライダー。
自分一人で戦ったなら、接近戦に持ち込んで幸運に助けてもらって、それで何とかアーチャーを倒せるか否か、というところだろう。
だが、ライダーは駄目だ。あのセイバーを正面から押し込めそうな相手など、全く勝てる気がしない。そしてそう考えるなら、セイバーと互角に戦ったという“赤”のランサーも同じく無理だ。
―――――戦いは、お前の生き方ではないだろう。
ふいに耳の奥に低い声が蘇ってきて、アサシンは夜空を見上げた。今の時代は灯りが多くなって、銀砂のような星は少なくなり、夜の闇が薄くなったせいか朝日までも昔とは輝きが違ってしまった気がしていた。
アサシンは声を振り払うように、足を速めることにした。霊体の身だから、足音も立たない。
戦いは好きではないし、これからもそんな風には絶対に思えないだろうが、今の自分に求められているのは、相手を倒し、殺すための力で、突き詰めれば他には求められていない。
―――――もしかして、だから私はあの子に宝具をやったのかな。
奇跡に等しい偶然で、現世に戻ってこれたから、一つくらいこの世に形ある何かを残したいと思ったのかもしれない。
死ねば、サーヴァントは骨の一欠けらも残らない。元が死者なのだからそれが正しい逝き方だろうが、物寂しいと思わないわけはなかった。
我ながら未練がましいとは思う。第一、玲霞にはなんと説明しようか、と思い当たったアサシンの走る先に、ホテルの灯りが見えてきた。炎の灯りと違って、揺らぎのない電気の灯りの灯る部屋の窓を、アサシンは叩いた。
「おかえり、アサシン」
すぐに窓が開いて、玲霞が顔を出す。
実体化して中に入ったアサシンを、玲霞はいつもの淡い笑みで出迎え、アサシンの体に傷がないのを見ると安心したように一つ息を吐いた。
魔術師でない玲霞は、遠見の術も使い魔も使えない。消滅しているかしていないか程度はサーヴァントとマスターの間のラインで分かるが、アサシンが出て行ってしまえば、玲霞には状況を想像するほかない。
念話ならできるから、令呪が必要な場合はアサシンの方が玲霞に直接念話を繋げることになっていた。視界共有もできないことはないのだが、アサシンは玲霞にあまり戦う姿を見せたくはなかった。玲霞は、戦場の空気にあっという間に慣れてしまいそうな気がしたからだ。
「……戦ったんでしょう?どうだった?」
「“赤”のサーヴァントは三騎来ました。バーサーカー、ライダー、アーチャーです」
アサシンは手短に、戦いの模様とその後のひと騒動を語った。
戦闘のところは多少省き、宝具を切ってホムンクルスの少年にあげた、というくだりで玲霞の顔を見たが、玲霞は微笑んでいるだけだった。
「じゃあその子、あそこから逃げられたのね」
「……ええ」
「良かったわ。ありがとう、アサシン。……でも、宝具を人にやるって、あなたは大丈夫なの?その、痛くないの?」
玲霞の言葉に、アサシンはつかの間目を閉じてから答えた。
「平気です。生身なら無理だったでしょうが、もともと私たちはエーテ……ええと、魔力でできている体なので、自分を弄るのは割と感覚でできます」
「そうなの?」
「そうです。そういうものです」
こくんとアサシンは頷き、玲霞は首を横に曲げた。
外にはすでに朝日が昇りかけていて、部屋は白い朝日が差し込んできていた。それを浴びた玲霞はまぶしそうに目を細めて、小さく欠伸をした。
「レイカ、ひょっとして寝ていないのですか?」
「ええと……うん、そうかもしれないわね」
そうして玲霞は待っていてくれたのだ、一晩中ずっと。自分がずっと外にいて戦っていたから。
そう考えたら、玲霞の腫れた目元やまぶしそうに太陽を見ている、どこか虚ろな目も分かる。それはそうだ。だって、昔は自分も同じように帰りを待っていたのだから。
「……レイカ、まだ、戦いは続きます。私もまた戦いに行きます。でも……今日はもう一日どこへも行かないので、ゆっくり休んでください」
気休めの言葉を聞いて、ふわ、と玲霞は柔らかく微笑んだ。
自分もこんな顔をして笑っていたのだろうか、とふと思う。
「そうなの。じゃあアサシン。わたし、あなたの昔の話、聞きたいわ」
ただ次の瞬間悪戯っぽく玲霞の言った言葉に、アサシンはがっくり肩を落とした。
人と話すのは嫌いではないが、自分のことをあれこれ語るのは心底苦手なのだ。
お前ら二人は揃って互いを補完してしゃべらないと、口下手すぎて話にならん、と、昔ドゥリーヨダナに言われたことを、アサシンは引きずっていた。
それを自分に言ってくれた王も、顔を見合わせて困ったように笑い合った相手も、誰ももうこの世にいないと思うと、寂しくなる。
贅沢なことだけれど、サーヴァントになると物想うことが増えるな、と思いながらアサシンは知りたがりの子どものように目をきらきらさせているマスターに向き直ったのだった。
以下、関係ない話。
図書館にて、『インド幻想紀行』なる本を発見。
著者は、H・P・ブラヴァツキーなるお方。
……危うく図書館でヘンな声を上げかけました。
そして本は面白いです。