“赤”のバーサーカーの襲撃を切り抜け、表面上、“黒”の陣営は静けさを取り戻した。
けれどそれは戦いの前の静けさで、いずれ必ず“赤”の陣は攻め込んでくるのだろう。
今回の聖杯大戦では、勝利者の得るべき聖杯を“黒”側が最初から持っているのだから、欲しいのなら“赤”は取りに行くしかない。
サーヴァント六騎が、一般の人々も住む町の近くにまで攻めてくるとして、ダーニックや“黒”のランサーは本気で戦いの隠蔽ができると考えているのか、とアサシンは思う。
あるいは聖杯を使って根源に至るためなら、自分の悲願のためなら、町一つ滅ぼしても構わないと思っているのだろうか。
大儀と誇りがかかった戦いだから犠牲も仕方ないという考え方は、アサシンは嫌いだが、結局のところ自分自身もその破壊をもたらし兼ねない十四騎の中の一騎だという事実に変わりない。
そしてサーヴァントが十四騎もいるのだから、この戦争を監督するべきルーラーなど、自分たち以上に大変だろう。おまけにルーラーは願いが叶えられるわけでもない。
そのルーラーまで引っ張り出さなければならないのが、今回の聖杯大戦。
ライダーのふわふわした説明からすると、ルーラーは世界に歪みを生みそうな聖杯戦争に召喚されるということらしいが……。
「アサシン?」
襲撃を切り抜けた後の日の夕刻。
ユグドミレニア城塞の廊下を歩きながら、考えに耽っていたアサシンは、廊下の角の向こうからやって来ていた “黒”のアーチャーと出くわし、慌てて考えを打ち切った。
「これから任務ですか?」
「ええ。シギショアラを探って来いということです」
前回、セイバーの後衛を命じられて戦ったアサシンは、“赤”のアーチャーと一戦交えた。
それを見ていたダーニックとヴラドは、戦力に関して言えばアサシンの評価を上方に修正したらしく、今度はシギショアラに単独で赴いて偵察をして来い、と命じてきた。
トゥリファスに潜入していた“赤”のセイバーとそのマスターがシギショアラへと移動したから、その動向も合わせて見てこいというのだ。
他の“赤”の主従と別行動を取っているというセイバーの組が、トゥリファスからシギショアラへとわざわざ戻るというのは、それ相応の理由があるはず。
“赤”の陣に何か変事があったのかどうなのかは分からないが、捨て置くわけにもゆかぬ、とランサーはアサシンに命じた。
斥候はアサシンやアーチャーの努める仕事で、自分が頑張ればそれだけ玲霞の重要度も上がるからと、アサシンも力が入っていた。
“赤”のセイバーとまともに戦うつもりも全くない。勝てないと分かっている相手なのだから、様子を伺うだけに留める。
「あなたも知っているでしょうが、セイバーは強敵です。間違っても勝とうなどと思わない方が……」
言い淀むアーチャーにアサシンは淡々と答えた。
「もちろんです。忠告、ありがとうございます。アーチャー」
そのまますれ違いかけ、アサシンはふとアーチャーを呼び止めた。
「アーチャー、そういえばセイバーとそのマスターの様子は?」
ああ、とアーチャーは一つ頷いてから答えた。
「話し合いをしたようです。次の戦いで、セイバーがサーヴァントを討ち取ることで手打ちにするということになったと聞きました」
「それは、セイバーの口から?」
「はい」
真名を守るため、ひいては弱点を隠すためにマスターのゴルドはセイバーに口を利くことを禁じていたが、その歪な主従関係のまま起こったのがあのホムンクルスの少年の一件である。
ゴルドは、アサシンとセイバーという二騎のサーヴァントにきっぱりと異を唱えられた上に、殴られて気絶させられた。
セイバーは、目覚めて気絶させられたことに怒るゴルドに、正面から彼なりに真摯に非礼を詫び、今後の戦いで必ず勝利を捧げると言った。
ゴルドも完全に納得したわけではないが、サーヴァント二騎の眼光にさらされ、彼らが唯々諾々と命令を聞く存在でないことを、身を持って思い知ったばかりの彼は、不承不承ながら矛を収めたのだと、アーチャーは語った。
「あなたにも、感謝すべきなのでしょうね。あなたがやらなければ、セイバーは自分の心臓を捧げてホムンクルスの少年を助けるつもりだったそうですから」
「ええ!?」
さすがにアサシンは驚き、大声を上げた。
無表情の剥がれた顔は、アーチャーの思うよりずっと若かった。
「けれどあなたが宝具を分けたから、そうはならなかった。ゴルド殿もあなたに感謝していると思いますよ、恐らく」
それを聞き、曖昧に肩をすくめたアサシンは、アーチャーに一礼して去っていった。
小柄なその姿が、門を潜り抜けて霊体となって消え失せるまでアーチャーはその後姿を見ていた。
シギショアラといえば、玲霞とアサシンがかつて逃げ出してきた町である。
戻ってくるとは思っていなかったな、と霊体化して町の屋根を跳びながら、アサシンは思う。
この町には、ユグドミレニアと敵対している魔術協会側の魔術師たちが潜伏している。
彼らを潜り抜けて町に潜入することは、何故だか拍子抜けするほど容易かったが、“赤”のアサシンの警戒網となるとそう簡単にはいかなかった。
それをすり抜けた上で、“赤”のセイバー陣を偵察して町の様子も探ってこい、というのだから、“黒”のランサーとダーニックも、また難しいことを平気で命令してくる。
それでもと、アサシンは呪術を使って町の気配を探った。
そうして魔力の流れを辿るうちに、手近なところに魔術協会側の魔術師の拠点を発見し、アサシンはそこへ忍び込むことにした。
霊体化して気配遮断を行い、他の家々と同じような三角屋根が特徴の一軒の家にアサシンは入り込んだ。侵入者除けの仕掛けも発動させず、魔術師の工房にするりと滑り込んで、アサシンはそこで思わぬモノを見つけた。
――――――これは?
彼女が見たのは、ぼんやりとした灯りに照らし出される工房の椅子に座り、虚空を見つめたままの魔術師。
その瞳は虚ろで、目の前で実体化したアサシンにも気付かず何事かをぶつぶつと呟いている。顔の前で手を振ってみても、魔術師は眼球すら動かさなかった。
――――――正気じゃない。
そう判断して、工房を抜け出たアサシンは、また別の魔術師の家を見つけて忍び込む。
そこの工房も、その次の工房も同じ有様で、中にはその工房の主であるはずの魔術師が、虚ろな廃人同様の姿となって残されているきりだった。
――――――呪いか、それともまさか……毒?
毒というなら、真っ先に思い出されるのは、玲霞を毒の満ちた部屋に誘おうとした、危険なマスターとそのサーヴァント。
あの女王のような“赤”の暗殺者なら、毒を使って魔術師を廃人にしてしまえるだろう。
だけれど、それはおかしいのだ。
あのシロウ神父は、協会と協力関係にあるはず。その彼が、どうして味方のはずの魔術師たちに毒を盛るのだ。
――――――シロウ神父が、協会を裏切った?
しかし、“赤”には他にも協会所属のマスターがいるだろう。彼らと魔術協会の派遣してきた魔術師は同門の協力者。その彼らが、町の魔術師たちを廃人にすることを見逃すとは思えない。
万能の願望器という景品を前にして、欲で目がくらんだ結果と考えることもできるけれど、そうだとしても戦いの序盤から協力者を根こそぎにしてしまうのは考えにくかった。
――――――シロウ神父とそのサーヴァントが、独断で実行したとして、他のマスターは何をしているの?
――――――もしや、彼らは何か手が出せない状態にある?
そうだとして、考えられる理由は、シロウ神父にはもう協力者である魔術師たちは用済みとなり、魔術協会と繋がりのある彼らが邪魔になったか。
清廉を旨とする聖職者だろうが、本気で聖杯を得たいと望むならそれくらいはやるだろう。第一、すでに彼は玲霞に毒を盛ろうとしている。
――――――そうだとしたら、シロウ神父はそれだけ聖杯が欲しいのか?
町を一望できる時計塔の上に、霊体化したままアサシンは立ち尽くした。
何れにしろ、アサシンに判断は下せない。
アサシンも“赤”の陣が一枚岩ではないのだろうとは思っていたけれど、まさかこんなことがシギショアラで起きているとは思っていなかった。これは、“黒”のランサーたちには間違いなく報告しなければいけないことだろう。
残る任はあと一つ、とアサシンは頭を振った。
“赤”のセイバーとそのマスターを見つけなければいけないと、アサシンは地面に降り立ち、石畳の上を走り出した。
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“赤”のセイバーは、真名をモードレッドという。
マスターは、魔術協会の雇ったフリーランスの死霊術使い、獅子劫界離。
華やかなアーサー王伝説に幕を引いた反逆の騎士と、荒くれ者の魔術師とは、不思議と馬が合い、今のところは極めて良好な関係を築いていた。
“赤”のアサシンとそのマスターからの共闘の誘いを彼らは蹴り、彼らは単独で行動していた。どことなく胡散臭い笑みを浮かべる彼らを、獅子劫とセイバーは信じることができなかったのだ。
どこかの暗殺者主従とは違って、“赤”のセイバーとマスターにはそうしても問題ないだけの力もあった。
彼らはトゥリファスへと潜り込んでいたのだが、バックアップ要員としてシギショアラに潜んでいたはずの協会側の魔術師たちと連絡が取れなくなり、一時的にシギショアラへと戻ってきていた。
「これで、五つ目か」
獅子劫は魔術師の家から出て嘆息した。
彼とセイバーとが訪ねた魔術師は、正気を失っていた。目は虚ろ、半開きの口からは意味のない言葉を呟き、獅子劫とセイバーに反応すら返さない。
獅子劫たちは五つの魔術師の拠点を訪ねたが、どこも同じ有様だった。この町に潜入した魔術師全員があの状態になっているのだとしたら、確かに連絡など来るわけがない。
「どうなってんだ、マスター?あいつら正気じゃない。“黒”の仕業か?」
「それも考えられるがな……。セイバー、お前さん、そう思ってねえだろ?」
現代の衣装を着た年若い美しい少女、セイバーは肩をすくめて肯定した。
「怪しいのは“赤”のアサシンだ。あの女なら毒の一つや二つ使うだろうよ」
「そうかよ。……それで、根拠は?」
「オレの勘だ」
黒衣を纏った女アサシンと、自分に向けてきた絢爛な毒の花のような笑みを思い浮かべ、獅子劫はそれを否定できない自分がいることに気付いた。
彼女の仕業だとするなら、それにはアサシンのマスター、シロウも関わっているだろう。“赤”のアサシンの独断という可能性も捨てきれないが、いずれにしろ尋常な事態ではない。
「ったく、アサシンっては何でこうどいつもこいつもコソコソと鬱陶しいんだ!」
苛立たし気に獅子劫の隣を歩くセイバーは吐き捨てた。
「そりゃアサシンなんだから当然だろ。正面から戦う暗殺者なんぞいるか?」
アサシンに求められるのは普通なら偵察、斥候やマスターの暗殺だ。マスターが最も警戒しなければならないサーヴァントであるが、セイバーにとっては雑魚である。
「それはそうだ。だがな、気に食わん!」
荒ぶるセイバーを見ながら仕方ないやつだと、獅子劫は思う。けれど彼は、セイバーのこの猪突猛進な考え方が嫌いではなかった。
若い獅子のように唸っていたセイバーが、視線を鋭くしたのはそのときだった。
「……マスター。誰かがオレたちを見てやがる」
「使い魔か?」
セイバーは獅子劫に応えず、手で彼に静かにするように示した。
辺りを見回したセイバーは、やおら一軒の建物を睨み据える。獅子劫が見る間に、そこに光の粒が集まり、人の形を成した。
風が吹いてその人影が纏っている灰色の布がなびく。月の光を背にして屋根の上に立っているのは、紛れもないサーヴァントだった。
獅子劫を背にし、実体化させた剣を構えるセイバーを前に、灰色の人影は何も反応を返さなかったが、獅子劫は布の奥からサーヴァントの視線を感じた。
“黒”のセイバーは大剣を纏った剣士だから姿かたちが違い、ランサーはヴラド公なのだからこんなところに現れるはずはなく、ならばアーチャーだろうか、と獅子劫は考える。
「お前、“黒”のサーヴァントか?」
「ええ。そういうあなたたちは“赤”のセイバーとマスターですね」
何か術でも使っているのか、距離は離れているにも関わらず、サーヴァントの澄んだ声はよく聞こえた。
飛び出しそうなセイバーを手で制し、獅子劫はそのサーヴァントに問いかけた。
「この町の魔術師たちの正気を奪ったのはお前たち“黒”か?」
つかの間、影のようなサーヴァントは黙り、それからゆっくり首を振った。
獅子劫はそれを見届け、セイバーを制していた手を下ろす。鎖を解かれた餓狼のように、セイバーは周囲に魔力を集め始めた。
屋根の上のサーヴァントはそれを見ながらも、淡々と呟いた。
「それを聞くということは、あの魔術師たちの惨状はあなた方の仕業ではない。となると、他の“赤”なのですね」
「そんなこと、ここで死ぬお前には――――関係ないな!」
怒号と共に、セイバーは魔力を噴出させて砲弾のような勢いで襲い掛かった。
灰色のサーヴァントは避けようとするが、セイバーの方が遥かに早い。
セイバーの大剣がサーヴァントの肩から腰までをざっくりと切り裂き、しかし、次の瞬間、人影は霞となった。
「幻術……!?テメエ、キャスターか!?」
幻術は何も答えず、かしゃん、とガラスの割れるような音と共に砕け散る。
きらきらと輝く光の雪のような幻術の名残がセイバーの周りに降り注ぎ、彼女は剣を持ったまま油断なく辺りを見回した。
「それだけ分かれば、十分。私は去ります」
だが、声は獅子劫の背後から聞こえた。
セイバーと獅子劫が振り返れば、小柄な人影が道を隔てた建物の上に立っている。
最初から幻術だったのか、それとも途中で入れ替わったのか、セイバーと獅子劫にはそれすら見抜けなかった。
「この――――――!」
欺かれたと知って、セイバーの頭に血が上る。
即座に踵を返し、屋根の上の人影へ弾丸のように飛びかかろうとしたセイバーだが、それより早く灰色のサーヴァントが手を振り下ろし、放たれた青い焔の矢が獅子劫の足元に突き刺さった。
焔は一瞬で消えたが、次は容赦なくマスターを狙う、という無言の意思表示にセイバーは、舌打ちをした。自分があのサーヴァントを斬り捨てるより、獅子劫に焔が放たれる方が速い、と判断したのだ。
同時に、灰色のサーヴァントの輪郭も朧になる。
「逃げるのか、“黒”のサーヴァント!」
獅子劫の挑発にも、灰色のサーヴァントは機械仕掛けの人形のように何の反応も返さない。
だが、灰色のサーヴァントが闇に溶ける寸前。
セイバーたちの背後。町に聳え立つ、一際高い時計塔の上で、爆発的な魔力の高まりが起こった。
獅子劫とセイバー、灰色のサーヴァントの集中がそちらへ逸れる。
振り返ったセイバーの超人的な視力が捉えたのは、時計塔の上に立つ一人の長身痩躯の青年だった。おそらくは、サーヴァント。
“黒”側の新手か、とセイバーが灰色のサーヴァントの方へ視線を戻せば、どうしたことか屋根の上のサーヴァントは霊体化を止めてしまい、凍り付いたように固まっていた。
「―――――隙だらけだぜ!」
怒号と共に魔力を放出しながら、セイバーは一直線に灰色のサーヴァントへ斬りかかった。
直前で気付いたサーヴァントは、横へ大きく跳ぶ。
だが、セイバーの踏み込みの方が遥かに早い。横なぎにした剣がサーヴァントの顔を隠した布と肩を裂いて鮮血が飛び散り、まだ若い女の顔が露わになった。
女の顔が衝撃で歪むが、彼女は右手を一閃させるとそこから氷の矢が放ってきた。
高ランクの対魔力スキルを持つセイバーは、ちゃちな魔術だと鼻で笑って突進し、直撃した氷の矢に思わぬ力で弾かれる。セイバーは知らないことだが、女サーヴァントの使ったのは魔術ではなく、呪術。対魔力スキルで減衰されない、物理攻撃だった。
それでも、最優のセイバーの突進を完全に止めることはできない。次なる剣を振るおうと、セイバーが剣を大上段に掲げた。
間合いも何もかも、女サーヴァントを屠るには十分のはずだった。だが、後ろから放たれた殺気で、一瞬だけ反射的にセイバーの動きが止まる。
その隙に女サーヴァントは屋根から飛び降りて、路地の暗がりへ姿を消してしまった。
「くそっ!!」
セイバーの怒号が町に響くが、女サーヴァントの気配はもう残っていない。
殺気を飛ばしてきた時計塔のサーヴァントも、振り返ればもう姿を消していた。
どうやら、殺気を向けるだけ向けて、青年のサーヴァントは、セイバーと戦うつもりはないらしい。
追うか、とセイバーは考え、しかし下から獅子劫の呼ぶ声を聞きつけて、地へと飛び降りた。
「逃げたのか?」
「ああ。一太刀浴びせたが、殺せなかった」
セイバーは吐き捨て、獅子劫は肩をすくめた。
「ま、今日のところはもう引き上げよう」
その獅子劫の返答にセイバーは頷いたのだった。
自分を一度あしらった女サーヴァントへの敵意を、たぎらせたまま。
上司たちに働かされて、若干下手を打ったアサシンの話。
色々やらかしてたのはアサシンだけでは無いですが。
次回(話を)詰めます。
12/13 前話に一部描写を追加。