太陽と焔   作:はたけのなすび

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ここすき、感想、評価、誤字報告、ありがとうございます。

では。


太陽と医者と昔の話(下)

 

 

 

「タキシーラのさらに北の山村で次々村人が倒れた。祈祷も供儀も効果がなく、神霊の言葉もなければ、アスラやラークシャサからの要求もない。何もないが、何かは起きているので何とかしてくれと泣きつかれたので何とかしてこい……というのが、ドゥリーヨダナ様のご命令でした」

「無茶振りね。というかあの悪王子、あなたにきちんと命令してたのね」

 

 カルナの前で、【昔】を語り始めた少女(キャスター)はやわらかく頷いた。

 

「あの方は今も昔も、カルナがわし様を助ける友なのでおまえもわし様を助けよ精神なので。それに女の半神という扱いづらいのを用いて下さったのはドゥリーヨダナ様たちぐらいです」

「オレにしてくれたように、能力主義だからな。ゆえに戒律や規律を重んじる長老とは合わなかったが」

「本人も、相応に悪事はされていましたけどね」

 

 ともかく。

 

「カルナの手が偶々空いており、二人で行って来いと言われたので、行きました」

「そうだな」

「尤も、【偶々】はカルナの嘘だとドゥフシャラー様に出発前にこっそり教えてもらいましたけど」

「初っ端から愉快だな」

 

 皮肉げに笑ったアスクレピオスの隣で、巴御前とブリュンヒルデがくすりと笑った。

 

「嘘ではないぞ。オレに与えられた任務が偶々全部終わったから同行できると言っただけだ。嘘はついていない」

「急に早口にならないでくれるかしら?無理について行ったとしか思えないわよ」

「……ひとまず村には二人で行きました。着いたところ、老若男女身分の上下関係なく数十人が倒れ、下痢、嘔吐、腹痛、発熱などの症状が出ていました」

「医者は何をしていた?というか、いたのか?」

「おられましたが、街の方が神に祈るのに適した祭壇がありますと言ったら、すぐに去っていかれました」

 

 要するに、体よく追い払ったのである。

 だが、医者になれないスータの男とクシャトリヤの女に後を任せて帰った辺り、もしあの医者をアスクレピオスが見たら激怒していたろうとカルナは思う。

 

「まぁいい。で、村について患者を前にして、おまえたちはまず何をした?」

「衰弱が酷い方たちの処置をしつつ、情報収集です。患者の性別、年齢、住環境、生活習慣等聞き出せるだけ聞き出して、分類しました」

「いいじゃないか。僕もそうしていただろう」

 

 満足そうなアスクレピオスの横で、巴御前が口を開く。

 

「カルナ殿も同じことを?」

「無論だ。尤もオレに看病の知識等はないので、彼女の言う通りに動く木偶だったが」

「全然そんなことありません。まず、私にはまともに話をしてくれない方々もいたので、カルナに助けてもらいました」

「つまり問診を渋る愚患者を威圧させたのか。さぞ効いただろうな」

 

 完全に悪い笑みを浮かべるアスクレピオスは、話の続きを促した。

 

「患者の手当てと分類が終われば原因の特定だろう?どうだったんだ?」

「なかなかわかりませんでした。身分の区別なく倒れ、程度の差はあれど症状は一様に同じ。最近村人の誰かが変わった鳥や獣を見かけたり、狩ったりした話もなく」

「変わった動物?獣からの感染を疑ったのか?」

「はい。それと、鳥や獣にはたまに動物に変身したアスラやラークシャサや聖仙などが紛れているので、どなたかがそうした物言う獣を狩っていないかと」

「呪いで姿を変えられた者が獣として彷徨っていたり、力ある聖仙が獣の姿で山野にて遊んでいることが稀によくあった。オレの生みの母が神との間に子を願ったのも、夫が、鹿になって妻とともに戯れていた聖仙をうっかり狩りで仕留め、女性と子を成そうとすれば絶命する呪いを受けていたからだ」

 

 アスクレピオスとクリームヒルト、巴御前の目が丸くなった。

 ブリュンヒルデの驚きが彼らよりやや薄いのは、やはり大神の娘という旧い神秘の存在だからだろうか。いや、アスクレピオスも太陽神アポロンの息子で、大差はないはずだが。

 内心不思議がるカルナをよそに、少女(キャスター)は当時と同じ困り顔で続けた。

 

「つまり、うっかり鳥や獣を狩ったら国が滅ぶ場合もあったんです。村などひとたまりもありません。しかもこの変身、全然見分けられないんですよね」

「おまえたちの故郷、無法すぎるぞ」

「私たちより旧い時代ですから、あり得たのではないでしょうか?かのファヴニールも、元は人ですから」

 

 ブリュンヒルデは一度言葉を切り、ほぅと息を吐いた。

 

「けれど、カルナさんのような英雄が武器を手にせず戦った話は、新鮮ですね。……不謹慎で申し訳ありませんが、不思議と心が躍ってしまいます」

「あれは生命を奪うのではなく、ただただ救うための戦いだった。その意味では、オレにとっても新鮮だったな」

「私には本分でしたよ。でも、普段使い魔しかいないところを助けてもらえるのは頼もしかったですね。……定期的に、いらない休息を取らせようとしてくるところ以外は」

 

 むす、と他人から見れば冷たい無表情に見える顔に、【不満】が乗った。

 あのときも、同じ顔をした少女(キャスター)を掴み上げて寝床に埋めたものだ。

 大丈夫なので離してくださいと散々じたばたしていたが、腕の中から出さずに髪を撫でているうち寝落ちしたのだから疲れていたのだろう。

 

「オレより遥かに脆い体で突っ走ろうとするのは、おまえの悪い癖だ。止めるものなら止めている」

「物理でしか止めに来なかったくせに……」

「負ける土俵に上がる謂れはない。粗野なオレが、おまえに舌戦で勝てるか?」

「負ける勝負に乗らないという卑怯を向ける相手が、何故私だけなんですか」

「夫婦喧嘩に逸れるな。話を戻せ。面倒臭い変身馬鹿どもの可能性は排除できたんだな?」

 

 はい、と少女(キャスター)は頷いて、耳に髪をかけた。

 

「ただ、調査の過程でまた揉めました。……低い身分の人たちを、村が隠していたんです。同じ症状が出ていたのにも関わらず、蔵に全員を放り込んで閉じ込めて」

「医者が診ないと判断した者たちだ。オレたちには関係ないので、全員診たが」

「つくづく度し難い!愚患者どころか愚者しかいないのか!」

 

 アスクレピオスだけでなく、他の三人も眉を顰めた。まさに少女(キャスター)も同じ顔で、あの村人たちを見ていたものだ。

 

「結果、彼らの中から手がかりが出ました。原因は、水でした」

「水……水質汚染か?」

 

 即座に答えたアスクレピオスに、少女(キャスター)は頷いた。

 

「はい。彼らの階級の中でも、症状が出ている方と出ていない方がいました。ほとんど同じ物を食し、行動範囲を制限された彼らの唯一の違いは、使っている井戸でした」

「普段家畜用の井戸を使う者は無事で、村人と同じ井戸を使うのを許されていた者は症状が出ていた。土の中を調べ、同じ村の二つの井戸が違う水脈から来ていることがわかった」

「なので、私たちは山登りをしました」

「ん?」

 

 アスクレピオスが目を瞬く。

 巴御前が理解したように手を打った。

 

「私たちの国でも、山の村で水は貴重でした。水源を調べに山へ向かったのですね?」

「ああ。源は険しい山の中の小さな湖だったが、そこに男の亡骸があり、それが異変の原因だった」

「腐敗した遺体から発生した屍毒が水源に溶け、水脈を流れ、井戸を汚染していました。となれば遺体を供養し、水源を浄化すれば解決できます。……ただ、湖の精霊が俗に言ってぶち切れていたのです」

 

 亡骸が放置された事に対して、湖の精霊は元々怒っていた。

 しかも、やっと現れたのは太陽と炎の気配を帯びた半神。

 

 どちらも水の対極たる、火。

 

 炎神はかつて水の精霊と親しいナーガ族を殺めたことがあり、その縁者が喧嘩を売りに来たのかと精霊は怒り狂い、襲い掛かってきたのだ。

 巴御前が哀しげに目を伏せた。

 

「カルナ殿とキャスター殿のお父上の血が、そんなところで働いてしまうとは……。それで、どうされたのですか?」

「まず、武器を捨てて殴った」

 

 アスクレピオスが、途端に遠い目になった。

 

「だと思った。おまえはつくづく解決方法がアルゴー号のあいつらと同じだな」

「お待ち下さい。カルナ殿は、何故武器を捨てたのですか?」

「殺めては駄目だと彼女が止めたからだ。なので、弓と剣を捨ててとりあえず拳を出した。持っているとつい使ってしまうからな」

「あのときは受肉した純粋な精霊種相手に無茶を振ってすみませんでした……!」

 

 真剣に謝る少女(キャスター)だが、カルナからすれば見当違いの謝罪だった。

 

「謝る必要はない。あの時も言ったが、あれが正しい選択だった。それに、オレのほうが強いと疑いなく思ってくれていたからこその言葉だろう?現にオレが勝った」

「普通なら心配するのは精霊種より夫のほうだろうと言いたいが、黙るぞ僕は。解決方法が気になるんでな」

「キャスターさんは、それだけカルナさんの武勇を信じていらしたんですね。良い事です」

 

 一点の曇りもない笑顔のブリュンヒルデに、咄嗟に言葉が出てこなくなったのだろう。

 少女(キャスター)は目を逸らし気味に控えめに頷いた。

 

 どうやら、先に攻撃されたのがカルナではなく自分だと言うことは、話さないつもりらしい。

 精霊種の一撃で傷を負いながらも、殺さないでと咄嗟に叫べた少女(キャスター)のあの胆力がなければ、確かに己の矢は精霊を貫いていただろう。

 

 が、少女(キャスター)に言うつもりがないならカルナも口を閉ざすことにした。

 

 さて、その後のことだが。

 

 素手で戦って勝って精霊の動きを止め、守り人の死に気づかなかった非礼を詫びた。

 遺体を引き取って供養し、水源を浄化すると願い出て、やっと湖の精霊は落ち着いたのだ。

 

 ただし、すべての作業に村人の手は借りるなと命令がついた。

 あの男の亡骸に気がつかなかった人間どもが、我の水に触れることは許さないと、精霊が言ったのだ。

 

 そのため、カルナと少女(キャスター)の二人しか動けなかった。

 少女(キャスター)が使い魔を動員して湖の水を汲み上げて抜き、深山の清らかな雪を山ほど集め、蒸発させない程度の炎で水に変えて湖を満たし、ようやく精霊の怒りは静まり、水源は浄化された。

 

 水の中で亡くなっていたのは、長年ひとりで水源を清めていた世捨て人。

 社会から外されながら、村の生命線である湖をひたすらに守っていた名もなき男だった。

 彼は老いて足元が覚束なくなり、足を滑らせて長年守った湖に落ちて生命を失った。

 けれど、精霊に看取られて水の中で迎えた最期が孤独で不幸とは、カルナには思えなかった。

 社会から排斥されようと湖を守った彼が何を思っていたのか、精霊が彼をどう想っていたか、カルナも少女(キャスター)も問うていない。

 

 ただ、己が誕生した湖から離れられない精霊は、男が生まれ変わり、再び湖を訪れるのを待つと言った。

 あるかもわからない再会を信じ、ただ一人の人間を待つことを選んだのだ。

 ならばあれ以上、立ち入るべきではなかった。

 

 湖を見下ろせる涼しい木陰に彼の墓を建て、その墓へ花と涙を振り撒く精霊と別れ、カルナは少女(キャスター)と水源を後にした。

 

「それで村に帰って今度は井戸の処置か?汚染水で満ちた井戸など使えないだろう。周りの土まで死ぬぞ」

「はい。でも、井戸水をすべて汲み出し、乾かして井戸を封じるべきだと言っても、受け入れてくれませんでした」

「どうしてですか?原因はわかったのに」

 

 ブリュンヒルデの問いは、カルナにはどこか純真に聞こえた。

 

「井戸ごと汚染されていると、伝わらなかった。今まで村を支えてくれた井戸を枯らすつもりかと」

「精霊はあの井戸はもう使えないから、別の場所に水を出すと仰ってくれたのですが、信じてもらえなかったんです」

 

 神や精霊の罰ではないのに、井戸を破棄する意味が伝わらなかった。

 時代として、まず【汚染】や【感染】を彼らは知らなかったのだ。

 

 無論当時のカルナも知らなかったが、少女(キャスター)は【病にかかった者に触れれば、健康な者が同じ病にかかる自然現象がある】と認識はしていたらしい。

 防ぐために必要なのは、祈祷や供物ではなく、手や体を洗い清める清潔さだということも。

 教わったのではなく、周囲の病人や怪我人を視て得た経験から来る知恵で、ナイチンゲールの言う【衛生】や【消毒】の概念を朧気だが持っていたのだ。

 

 だが、彼女は医者になれなかった。

  

 医者でないクシャトリヤの女の言葉、普通ならあり得ない夫婦という異質さ、しかも口下手と無表情だったのも、よくなかった。

 

 恐らく、ユディシュティラやアルジュナならば村人は信じただろう。

 

 果ては、あの悪王子に仕える粗暴なスータなど信じられるかと叫んだ村長に対し、少女(キャスター)の目が青く尖り、カルナは止めかけた。

 

 が、一歩遅く、少女(キャスター)の張り手が村長に炸裂して錐揉み回転させてしまったのだ。

 あのときの少女(キャスター)の地を這う低い声を、カルナは覚えている。

 

 ─────祈るのは、己のやるべきことをやってからでしょう。

 ─────己の責務を果たした者にだけ、神々は手を差し伸べるのです。

 ─────長たるあなたが神に頼り切り、目を閉じ祈る怠惰を積み上げ、何人が苦しんだと思っているのですか!

 ─────死者がいないのは、幸運以外の何ものでもない!次は無いのですよ!

 

 ─────カルナ!

 

 その一言で、彼女が求めるものはわかった。

 即座に弓に矢を番え、精霊が新たな井戸の場所だと教えてくれた地面を、深く穿った。

 矢を放った瞬間、ようやくまともに役に立てると安堵した自分は、やはり根っから武骨者である。

 

 矢が大地を割るや否やたちまち清らかな水が地面から湧き出し、村人たちは簡単に【奇跡】を受け入れた。

 

 その光景を目の当たりにしつつ、これ以上村人の歓声も聞きたくないし、村に留まりたくないという気配を出している少女(キャスター)と共に、カルナは村を去った。

 報告を受けたドゥリーヨダナは、それならば水源を守る人間を新たに送ると言い、その通りにしていた。

 誰に感謝されずとも村を守り続けるような、おまえたちのような奇特で無欲な人間など早々いるか、欲で繋いだ人間でないと任せられん、と。

 

 あのあと、村がどうなったかをカルナは知らず、村長の顔も覚えていない。

 ただ、何人かは村を出て、ドゥリーヨダナが治めているならばと、クル国のハスティナープラへ移り住んだらしい。

 いずれも蔵に閉じ込められていた者たちで、彼らが決死の覚悟で移住したのは、階級に目もくれず治療に奔走した少女(キャスター)がいたからだった。

 彼女が仕える王子ならば或いは、と希望を持って移り住み、受け入れられた彼らは、クルクシェートラの戦いの後どうなったのだろうか。

 

 カルナには、最早知るすべもない。

 

 聴き終えた医者は、気怠げに唸った。

 

「原因は屍毒による水の汚染か。そこに、村人の愚鈍が嵩んで被害が拡大したと」

「はい。加えて、屍毒と何らかの土壌菌が結びついて強毒性を帯びたかと。尤も、あのときの私に【菌】の概念はなかったので、あの土地と屍毒の溶けた水の相性が極めて悪いことしかわかりませんでしたが。医学というより、衛生と防疫の話ですね」

「……そうだな。が、神の可能性を早々排除し、土と水に注目したのは正しかった。助手が武辺者だけだったのを加えれば、上手くやったほうだろう」

 

 クリームヒルトが、アスクレピオスを横目に頬杖をついた。

 

「前置きが長いわ。普通に褒めればいいのに、本当に素直じゃない医者ね」

「僕は事実を述べたまでだ。愛する夫への照れ隠しで魔剣が飛び出るおまえに、素直じゃないなどと言われたくない。少しは天然惚気の友人たちを見習えばどうだ?」

「何ですって!」

「クリームヒルトさますとっぷ!」

「バルムンクはだめです!」

 

 巴御前と少女(キャスター)に左右から宥められつつ、クリームヒルトは席へ戻った。

 さっとブリュンヒルデが追加の紅茶をクリームヒルトのカップに注ぐのを見るに、この四人の関係は連携できるほどに深まっているようだ。

 

 何千年も前のあの日、カルナだけを信頼して精霊や村人に向き合った彼女が、今、穏やかに友と語らっているのを見ると、心の奥に穏やかな光が灯る。

 

 それは、戦意の炎とは似ても似つかない。

 けれど、決して絶やしたくないのだ。どれほど小さな灯火であっても。

 

 己のような、戦うことしか知らぬ者に、このかけがえのない安らぎを与えてくれた■■■■■の名を、いつか正しく彼女の友人たちに伝えたい。

 

 それが、カルデアに召喚されてからカルナが抱くようになった新たな望みだ。

 サーヴァントで争う聖杯戦争ではなく、数多の英霊が集うカルデアでなければ、持たなかった願いだ。

 

 誰に言う気もなく、彼女本人に伝えるつもりもない。

 名を奪われたことを、少女(キャスター)本人は当然の結果だと受け止めてしまっている。

 

 誤ったことはしていない。

 

 だが相手がクリシュナであれ誰であれ、他人の生命を奪おうとした己には、受けるべき罰もあると割り切っている。

 神々が定めた不敬の罰には頷かず、しかし己で己に定めた殺人の罪は認めているのだ。

 

 感謝などしなかった村人でも救おうと駆け回った彼女にとって、敵だろうと生命を奪うことは重いのだ。

 されど、たとえカルナのための殺人であったとしても、決して言い訳にしてはくれない。

 

 その強さは目を逸らせないほど美しく、時に目を覆いたくなるほど耐え難い。

 けれど、耐えるととうに決めている。

 

 自分は彼女を、愛しているのだから。

 この痛みも、受け入れたいと思うのだ。

 

「カルナ?」

 

 カルナの中で動いた感情を感じたように、■■■■■は小鳥のように首を傾げた。

 

「何でもない。オレはマスターとの約束がある」

「はい、いってらっしゃい。気をつけてくださいね」

 

 まるで仮面を取るように無表情が一瞬で剥がれ落ち、にこりと微笑む少女(キャスター)の、その一言が耳に心地良い。

 無事な帰りを祈られ、その祈りを護れこと。

 それが決して、当たり前ではないと知っているのだ。

 

「ああ、いってくる」

 

 そうして部屋を出て。

 

「もういいのか?アスクレピオス」

 

 何食わぬ顔で共に部屋を出て来たアスクレピオスは、カルナに向けて顔を顰めた。

 

「おまえ抜きであの我と癖の強い空間に留まれるか。大体、呪いは僕ではなく彼女の領分だ。それに取り掛かると言うなら、症例の回収はまた今度にする。ナイチンゲールには僕から上手いこと言っておくが」

「……感謝するがどうした?症例集めはもういいのか?」

「良くない。良くないが、今回の話をまとめる時間が必要だ。……凡庸な例だが、医療者の正しい行動として記録する価値はある。おまえの妻が、村長を張り飛ばした下りも含めてな」

「あれも記録するのか?」

「当たり前だ」

 

 言い切り、忙しなく足を動かすアスクレピオスは、前しか見ていなかった。

 

「神々によって世界から消されようが、それがどうした。僕が聴いて、覚えた。ならば、なかったことになどしない。それだけのことだ」

「……」

「何を呆ける。言っただろうが、おまえの妻は僕より旧い時代を生き、神に頼ることを良しとせず、医学を前へ進めた紛れもない僕の先人だ。そのデータなら貴重に決まっている」

 

 尤も、とマスクをずらしたアスクレピオスは続けた。

 

「情報提供意欲は鈍いし、彼女は医学の探求者ではなく、目の前の人間を助ける対処療法が主だったようだがな。その割に医術を後退させかねん愚物には容赦なかったようだが、あの苛烈さが寿命を縮めた原因か?」

「……そうだ。……そうだな。その点において、彼女とおまえはよく似ている、アスクレピオス。オレがおまえとの会話を楽しいと感じるのも、その点だろう」

「は?楽しんでいたのか?」

 

 幾度も目を瞬くアスクレピオスに、カルナは首を傾げた。

 会話を厭うていると言った覚えも、煩わしく感じたこともないのだ。

 ただ、それを相手に伝えたのかと尋ねられれば。

 

「すまない。言っていなかったな。オレはおまえとの会話が快い。むしろおまえこそ、太陽神の気配を持つオレと語らうのは不快ではないかと思っていた」

「何だそれは。あの羊モドキとおまえは似ても似つかん」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてからアスクレピオスは腕を組んだ。

 

「……おまえは、愛する女をつまらん疑いで焼き殺すような浅はかで傲慢な過ちを、絶対に犯すわけないだろうが。自分で自分を貶めるな、脳筋が」

「そうだろうか。……オレは、戦いしか知らない男であるのに?他人の生命を奪うことをあれほど厭う彼女に、ふさわしかったのだろうか?」

 

 アスクレピオスは、苛立たしげにカルナを睨んだ。

 

「ふさわしいかどうかなんて僕が知るか。少なくとも、彼女はおまえ以外を夫として愛さないし、愛していることに後悔なんて微塵もない。彼女の幸せを決めるのは彼女自身だ。本人が"良し"としたんだ。何をぐだぐたと悩む必要がある」

「……」

「カルナ、おまえは精々、妻の愛に胡座をかいていろ。それぐらいで丁度いい」

「いい、のだろうか?」

医者()の診断を疑う気か。四の五の言うならナイチンゲールを呼び出すぞ」

 

 おまえの調子が崩れると助手の調子まで崩れる、とアスクレピオスは不機嫌そうに付け加え、それからやや目を逸らした。

 

「まぁ、おまえも妻に色々苦労は掛けたようだが、それに関して僕からは何も言えない。……僕にもエピオネがいる」

「おまえの妻か。……確かにおまえの真っ直ぐな偏屈さで共にいるのは、様々な苦労があっただろうな」

「その通りだが、おまえに言われると尚更腹立たしいな……!」

 

 そうして、医者と英雄は歩いて行った。

 他愛ないことを言いながら、争い合うこともなく。

 

 

 

 




割とさらっと異類純愛譚を見た過去の話でした。
精霊と男が再会できたかは、ご想像にお任せします。

ドゥフシャラーと主人公の関係は、

一人ぐらい姉か妹がいたらなぁと思っていたところに現れた、ちょっと年上なのに年下みたいなところがある仲良くしたい人!
VS
主君の妹で敬うべきなのに超フレンドリーな方なのですがどうしましょうか、え、自分とドゥリーヨダナみたいに友を名乗っていいのではって何言ってるんですかー!

というものでした。多分、普通に仲良しです。忘れられましたが。
主人公がペーパームーンに行けていたら、すぐアーユスの正体に気がつけますが、状況が整うまで黙ってます。ややこしくなるので。

ドゥリーヨダナ的には、解決できたなら恩を売れるし、もし門前払いされたらそれを口実に攻めていいかぐらいの思惑はあり、能力的には合格でも社会的には人選ミスなペアに命令してます。悪王子なのでそれぐらいはやるかなと。

カルナと主人公もそれに気がつきつつ、戦は要らんので平和的()に解決したという裏設定がありました。
物語には必要なかったのでここに書きます。タキシーラは色々と面白い土地でもあります。


リクエスト、ありがとうございました。
ご期待に添えるものができたかはわかりませんが、楽しんでいただけたなら望外の喜びです。

マシュマロではまだリクエスト開いています。

では。
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