難産でした。遅れて申し訳ないです。
では。
シギショアラの町は一見したところ、平静だった。スパルタクスの爆発はこの町からでも遠目に見えただろうが、町の住人には少なくとも某か納得できる理屈が広められているのだろう。
手を回したのはルーマニア全体に根を張るユグドミレニアか、あるいは魔術協会かもしれない。
どこの組織が処理したのかは分からないが、何れにしても観光地としても有名なシギショアラには表向きの平穏な時が流れていた。
そして古き町並みを今に残すという観光の町である以上、人の出入りもそれなりにある。その流れに紛れて三騎のサーヴァントに二人のマスターが町へと入った。
何の酔狂か、三騎のサーヴァントは霊体ではなく皆実体となった上で現代風の格好をしていた。
そうやって道行く彼らは、一目で外国人と分かる若い女性や、華奢な少年少女たちが寄り集まった一団である。町の破落戸やスリには獲物と映るだろう。
だが、町の人間は不思議と彼らに注意を払っていないようだった。通行人として認識はしているが、彼らが見慣れた町の一部であるかのように見過ごしている。
―――――十中八九、何かの術を使っているのだろうな、と彼らの様子を遥か離れた場所から霊体となって遠目に観察する“赤”のランサー、カルナは呟いた。
サーヴァントとして鮮烈な彼の気配を、ルーラー含む“黒”の一団はまだ感じ取れていないようだった。彼らとカルナの間に相当な距離が開いていることもあるが、“赤”のアサシンのかけた気配を薄れさせる術が効果を発揮していた。
カルナはそのまま、“黒”の彼らを見る。
ルーラーであるジャンヌ・ダルクにマスターはおらず、幻獣ヒポグリフを駆っていたライダーはホムンクルスらしき少年の手を引っ張ってはしゃいでいることから、あの白髪の少年がライダーのマスターなのだろう。
となると、最後に残る女性が“黒”のアサシンのマスターということになる。
一見したところは、普通の若い女に見えた。神秘の気配も何もない。その手に刻まれた令呪がなければ、間違っても誰もマスターとは思わないだろう。
元は巻き込まれた一般人、という“黒”のセイバー、ジークフリートの言葉をカルナは思い出した。
さらに様子を見るかとカルナが思ったところで、不意に明後日の方向を見ていた“黒”のアサシンが、前触れなくからくり人形のような動きでくるりと頭を巡らせ、カルナの方を凝視した。
姿は見えず気配も感じ取れないはずなのに、カルナは青い宝石のような瞳が、長い距離を貫いてこちらを見据えているのを感じた。
だが、どうするかと考える前に、アサシンの肩をマスターである女が叩き、アサシンの注意はそちらへ逸れた。
町の様子を指差すマスターに何か問われ、アサシンが首に巻いた毛糸で織られた幅広の布を引き下げて答えている。そのままアサシンはカルナの方にはもう視線をやらず、ルーラーやライダーたちと共に市街地へと歩いていき、雑踏の中に溶け込んだ。
振り向きもしない小さな背中が、街中へ消えるのを見送ると、嬉しいような寂しいような妙な感慨を感じた。
“黒”のアサシンはカルナの気配を察知したのではないようだった。彼女はただ何となく、何かあると感じた方向を見ただけだったのだろう。
相変わらずの勘の良さだった。
これ以上近付けば、アサシンは間違いなくカルナの気配を感知するだろう。加えてあちらには、サーヴァントの気配を読むのに長けたルーラーもいるのだ。
とはいえ、近寄らなければまずどうしようもないのだ。
彼らがシギショアラにまでぞろぞろと何をしに来たかに関しては、カルナ個人としては然程興味がない。ルーラーにしてもライダーにしても、カルナにとってはいずれ戦い、倒すべき敵というだけだ。
策を巡らすのは自分の本分ではなく、前線で槍を振るうことこそが使命だと、カルナは割り切っていた。
だが、アサシンに関してはそこまで割り切れていなかった。走れば数分とかからない距離を挟み、手を伸ばせば届きそうな所を歩いているのは散々探してきた相手で、長年自分の隣にいた女性だ。
頭の後ろでひとつに束ねた黒髪を揺らしながら日差しの元を歩く姿は、服装を除けば記憶の中と何も変わっていない。
もしかしたらあのときから今までずっと生きていたのではないか、とも思ってしまいそうだった。が、それだけはないとすぐ分かった。
アサシンから漂う気配は、死者の魂をサーヴァントという器に嵌め込んだモノのそれだ。カルナや他のサーヴァントと同じく、彼女もすでに死んでいる。
ただ、どうしてそうなったか、アサシンが人としてどんな最期を迎えて、真名が抹消されたサーヴァントになったのか、それが分からない。そして誰に聞いても答えが得られないなら、探して本人に聞くしかないのだ。
その一心で、これまであちこちを探した。
地上を遍く照らす太陽の神の高御座から、世界を見渡した。人として生きていた頃より多くが見渡せた。それでも見つけられなかった。
数多英雄の魂が集う『座』も探した。探したが、空振りも良いところだった。
カルナには自分に分かったところで何が出来る訳でもないことも、過去が覆ることがないのも、勿論分かっている。
彼女の生き死にに関わる何かをカルナが覆せたとしたなら、それは生きていたときだけで、その機会はもう永劫訪れない。
死ぬというのはそういうことだ。
けれど、知らなければ何も変わらないのだ。
死んで今更変わるも何もないが、サーヴァントとしての正しい道理だけを取ってマスターの意向のままアサシンへ槍を向けるのは、したくなかった。槍を向ければ、カルナの槍はアサシンを確実に屠るだろうから。
それは予感ではなく確信で、かつ純然たる事実だ。
尤も、そんなことはカルナよりアサシンの方が骨身に染みて理解しているだろうから、この先庭園に乗り込んで来ても、アサシンはカルナに一対一で絶対に向かって来ないだろう。そういう計算を忘れるような人間ではなかった。
―――――まあ、その割りにこの戦いでは派手にやらかしているようだが、あれは色々間が悪いのだろう、多分。
ともあれ、そうなればますますこの機会くらいしか話を聞く時間はない。口下手どうのこうのと、言っている場合ではなかった。
詰まる所、カルナの個人としての心が傾いているのは、アサシンとそのマスターくらいなものだった。アサシンの焔の一部を持つホムンクルスの少年は、微妙なところである。
さてどうするかとカルナが思案するうちに、彼らは二手に分かれることにしたようだった。ルーラーは町はずれの教会へ、残りの面々は街中へと向かうようだった。
カルナは後者の一団を追うため、その場から跳躍した。
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ルーラーはシロウたちの陣取っていた教会へ向かうことになった。
恐らくは目ぼしいものは無いだろうから、後から合流する。それまでライダーをよく見ておいて下さいね、とルーラーがアッシュの手を握ってよく頼んでから歩き去った。
アッシュは大真面目に分かったと頷き、何度も言わなくていいじゃん、第一マスターの面倒を見るのはボクの方なのに、とライダーは頬を膨らませていたが、他の二人からは賛成が得られなかった。
そんな始まりになったものの、残りの面々は街に点在している魔術師たちの拠点を一つ一つ虱潰しに探していくことにした。
ライダーはほぼ観光気分で、アッシュの手を引っ張っては小さな土産物の並べられた店や焼きたてのパンの匂いを漂わせるパン屋に目を輝かせている。
アッシュの方はライダーについていくだけで精一杯という感じで、あっちに行ったりこっちに行ったりと忙しいライダーに引っ張り回されていた。
アサシンと玲霞とは、その彼らの後ろをのんびりついて行く。時々、アッシュが振り返っては助けを求めるように彼女たちを見ているのだが、玲霞は町並みをぼんやり見ながら歩いているし、アサシンは目が合っても無表情のまますっとアッシュから視線を外すのだ。
二人とも、ライダーのことはアッシュに任せてしまったようだった。
実際の所は、こんな風に騒ぐこと自体、アッシュには始めてのことだろうからと敢えてマスター思いのサーヴァントがマスターを巻き込んで楽しむに任せていた。
開けっ広げに楽しんで、自分と一緒に隣の誰かの気分も明るくしてしまうのは、何でもかんでも生真面目に考えてしまいがちな自分よりライダーの方がずっと得意だと、アサシンは思っていたし事実だった。
もちろんアサシンもぼうっと歩いているわけではなく、術で魔術の気配のする家々を探っていた。――――玲霞は本当に町並みを見渡しながら歩いているだけだったが。
そうして歩いていると、当然だが探知の術に引っかかる家が出てくる。
先を行くライダーたちをアサシンは呼び止め、一軒の家を指さした。見たところは他の家と比べて違いもない。少なくとも、アッシュや玲霞にはそう見えたが、アサシンの感覚からしてみると違ったらしい。
「この家です。魔術の気配があります」
「待ってました!ボクの出番ってことだね」
言うが早いか、ライダーは手の中に顕現させた魔術書で扉を叩いた。
ひょいと軽くやったように見えてもサーヴァントの力で叩いたのだから、扉が後ろにたわむほどの勢いだった。彼は、侵入者除けの魔術を魔術を無効にする書物で無理やり解除したのだ。
「これで開いたよ。どうだい、持ってるだけで便利だろ、この宝具」
開いた扉の前で ライダーはえへんと胸を張り、アサシンは無表情のまま、玲霞はにこにこしたまま、ぱちぱちと胸の前で手を小さく叩いていた。
アッシュは呆気に取られて何も言えなかった。
「ええ、とても見事です、ライダー。……ところで、それの真名はどうなっているんですか?」
「あ、それはちょっと待ってほしいカナー」
途端に目を逸らすライダーに玲霞とアッシュは苦笑しながら、家の中へ入る。
ちなみに、古書でいきなり扉を叩いて中に入るなど、周りから見ればとても奇妙な振る舞いだが、アサシンの使っている認識障害の術のおかげで、通りかかった誰かに見られても見過ごされるようになっているので問題はなかった。
そのままライダーを先頭に彼らは家に入る。ベッドや机など、生活に最低限の家具が置かれているだけの部屋は飾り一つなく、人の暮らしの気配のないものだった。
「魔術師さんの家って、結構殺風景ね。というか、誰もいないのかしら」
部屋の中を見渡しつつ言う玲霞に、アッシュが答えた。
「ここは潜入のための拠点だからこんなものなのだろう。魔術師が工夫を凝らすのは彼らの魔術工房と決まっている。魔術師がいるとしたら、その工房だ」
そういうものなの、と呟く玲霞の前で、ライダーはまたまたアサシンの指示に従って魔術書で地下へ続く扉を叩いていた。というより、叩き壊していた。
「あ、魔術師見っけ!」
そうやって彼らが押し入ったのは、書物やら宝石やらが乱雑に転がる薄暗い地下室だった。その中心に、やつれた風情の男が一人椅子に座ったまま動きを止めている。
男の瞳は虚ろで口は半開き。侵入者たちにも一切の反応を示さなかった。
アサシンが駆け寄って脈を取り、瞼を押し開けて瞳を確認する。それから男の額に手を押し当てて二言三言何かを呟いた後、彼女は手を離した。
「何か分かったの?」
「……この場ですぐにどうこうできる毒でないことが分かりました。でも、然るべきところで治療を受ければ回復するでしょう」
アサシンはそう言って、工房を見渡す。
傍で見ていたアッシュも、つられて工房の様子を解析した。
工房には傷一つなかった。しかしその主は意識を虚空にさ迷わせてしまっている。幾重にも敷かれていただろう守りも、セミラミスというサーヴァント相手には藁の楯にもならなかったのだ。
立ち向かう相手の巨大さを思うと、腹の底から薄ら寒い気分になって来る。
知らず自分で自分の二の腕を掴むアッシュの手をライダーは握り、魔術書を掲げて明るく言った。
「オッケー、これで一つクリア!次に行こう!」
後からやって来るユグドミレニアの回収班たちに向けての目印になる魔術的な印を工房に刻んでから、彼らは一つ目の家を後にした。
ライダーとアッシュの後を歩きながら、玲霞はアサシンにこっそり耳打ちした。
「結構暇がかかるわね。この街全体を覆ったり、しないの?」
「……それをしてしまうと、すぐに終わってしまいますよ。この街をちょっとは楽しまないと損です」
潜めた声で答えるアサシンの視線の先には、アッシュとライダーがいる。
小さな声で唄うようにアサシンは続けた。
「アッシュ君はもっと楽しんでほしいんです。あの子はこのまま戦いに行ったら、命を魔力に変換してまでライダーに捧げかねない」
アッシュの短い人生の大半は、ライダーで占められている。彼のためなら、きっと何でもしてしまうだろうと思えるくらいに、アッシュはライダーに恩を感じている。
それは幼子が親に向けるような親愛や、友愛や様々なものが絡まりあっているもので、言葉で切り分けるようとしてもきっと上手くいかないだろう。
アッシュはいざとなったら間違いなく自分の命より、ライダーの命を大切にするだろう。
無論彼だって、進んで命を捨てようとは全然思っていない。ただ、いざその時になってしまえば、彼の中の天秤はライダーの方へ傾くだろう。
アッシュが他人の命と自分の命を秤にかけてしまえるのは、例えばカルナのような意志の強さというより、人生の短さのせいだ。
ライダーは彼にそうしてほしくない。
友や庇護する者へ向ける優しい愛で、彼もアッシュを好いているのだ。
でも彼がやめろと言っても、アッシュは確実に聞かないことも分かっている。
だったら、どうすればいいのか。
アッシュ自身に、もっとこの世で生きていたいと思ってもらうしかない。
未練でも何でもいい。アッシュをこの世に繋ぐ杭がいる。
だからライダーははしゃいで楽しんで、アッシュに世界の綺麗な所、楽しい所をできるだけ見せようとしているのだろう。
「それ、考えてやってるのかしら?ライダーは、理性がお月様にあるんじゃなかった?」
思わずしみじみ言う玲霞に、アサシンは笑いをこらえるように眉を下げた。
「考えずにやっているなら、ライダーの勘は天才的ですし、考えてやっているならやっぱり凄いですよ」
「つまり?」
「ライダーは、理性があっても無くても関係ないくらいとっても良い人ってことですよ。……まあ、ちょっとはしゃぎすぎかもしれませんけど」
それはそうね、と玲霞は頷いて、ただ気になっていることを告げた。
「でも、ライダーと楽しく過ごせば過ごすだけ、あの子はライダーを大切に思ってしまわないかしら?」
前を向いて歩いていたアサシンは、そこで玲霞の方を見た。真摯な光の宿った目をしていた。
「……レイカ。あなたはあの子が気になるんですか?あの子のことを、心配しているんですか?」
「そうよ?だって……」
続けようとして玲霞は言葉につまった。自分がアッシュを気にかける意味なんて、特に考えていなかったのだ。
でも言われてみたら、そもそもアサシンがアッシュを助けた切欠は、玲霞がアサシンにホムンクルスの子を助けてくれないかと、頼んだからだ。彼の生き死にに、玲霞は最初から関わっていた。
それだって理不尽に魔術師の糧にされかけた自分と、魔力と一緒に命を取られるホムンクルスが重なったから、というだけのことだったが。
「だって……気になるもの」
結局、玲霞はそう言うしかなかった。
アサシンはその答えにも何も言わなかったた。アサシンなら、言葉で玲霞の気持ちを解体出来ただろうが、彼女はそれをしなかった。その気遣いは有り難かった。
「そう思っているなら、ね、レイカもあっちに行って楽しんで来てください」
『幸せ』になりたいのならこの一日くらい楽しまないと、とアサシンはどこか突き放すように言った。言葉とは裏腹に、目には優しい光が灯っていた。
建物の陰が落ちている道から、玲霞は少し先の明るい石畳を歩くライダーたちを見た。
日の見下ろす道を、ライダーに引っ張られながら歩くアッシュの白い髪が太陽に当たってきらきら輝いている。
玲霞は横のアサシンを見た。白い顔は建物が作った黒い陰に沈んでいたが、青い目は麗らかな春の海のように穏やかだった。
その目を見て、瞳に浮かんでいる光を見て、不意に玲霞は隣のアサシンが遠く遠く離れていくような感じがした。
―――――どんな気持ちで。
どんな気持ちで、アサシンはアッシュや自分を見ているのだろう。
玲霞はアサシンの一生を知っている。マスターだからという理由で、アサシンの過去を見たから。アサシンが何を大切に思っていたか、どういう気持ちで自分の死を見つめたか、みんな知ってしまっている。
だから、どうしてアサシンがそんな穏やかな目をしていられるのかが、分からなかった。
玲霞の口が動きかける。しかし想いが言葉になる前に、アサシンがいきなり鞭のような素早さで振り向き、遥か離れた虚空を見つめた。
同時に戦う者としての気配を一瞬でアサシンは纏い、ライダーもアサシンの変化に気づいて振り返った。
「アサシン、どうかしたのかい?」
「……ライダー、“赤”のサーヴァント……カルナがこちらにいます。今、気配がしました」
絶句するアッシュを他所に、ライダーは目をくりくりと動かしただけだった。
「そりゃ大変だ。でも戦う感じ……じゃないみたいだね。殺気があったらボクでも分かるし」
そう聞いて、アサシンが頷くのを見て、玲霞は思わずアサシンの腕をつかんだ。
「アサシン、行って」
呆気に取られたようなアサシンの顔を見て、玲霞はとてももどかしい気分になった。
「良いから、行って!」
叫ぶと同時そこで玲霞の手の甲が輝いた。
赤く光る刻印はマスターの証。六導玲霞の使えるただひとつの神秘の結晶だった。
令呪を使うのに神秘はいらない。ただの叫びでも、意志があれば奇跡が引き起こされるのだ。
「えっ!ちょっとレイカ、それまさか、令―――――!」
ライダーが言い終わる前に、令呪から放たれた赤い光にアサシンが包まれる。光が消えたあと、その姿はその場からかき消えていたのだった。
令呪をそんなことに使ってしまうのか、という話。
次は対話の回。