本当に色々励みになりました。
では。
立っている者は弟でも使え。
フィオレによると、フォルヴェッジの家訓だそうだ。アサシンには馴染みのない諺だったのだが、意味はすぐに知れた。
要は、きりきり働けということである。働くのは好きだから良いのだが、フィオレに済まし顔で言われたときは吹き出しかけた。
明後日に空中庭園に向かうというのは確定した。ならば、そこから逆算してできる限りの準備を整える。
飛行機はユグドミレニアの財力で買う。黄金律スキルを持つ“黒”のセイバーにも協力してもらう。
囮の飛行機には爆薬を積む。そうやって、大量に飛ばした飛行機に紛れてマスターとサーヴァントは庭園に近づく。
そして、近付いてからは空中戦だろう。
言うまでもないが、サーヴァントもマスターたちも全員が間違いなく空中庭園に辿り着ける保証はない。それができるとは、誰も思っていなかった。
それでも、できるだけ大勢が辿り着いて、天草四郎を倒し彼が手にしている聖杯をどうにかしなければならない。
「でもさぁ、どうにかするってどうするんだろうね?聖杯ってあのデカい庭に積まれちゃったんだろ?あそこから持って帰って、またお城の地下に聖杯を収めるの、無理なんじゃないかなぁ」
この季節には珍しい、麗らかな昼下がり。
ミレニア城塞の中庭に通じる石段に腰掛け、頬杖を付きながら呟いているのはライダーである。暖かな日の光は、彼の桃色の髪に光輪を浮かび上がらせていた。
ライダーの視線が向けられているのは、中庭で戦闘用ホムンクルスを相手にしているアッシュだ。
「……無理、でしょうね。あれだけの宝具と癒着した聖杯を引き剥がすには、儀式場などの相応の準備が要ります。本格的なキャスターのいないこちらでは、元の通りに格納できると思えません。今の状況では、聖杯を取り戻してその場で使ってしまうか、完全に壊してしまうかの二択でしょう」
ライダーより数段上の石段に、玲霞と並んで座っているアサシンが言う。手元には布を持ち、さっきから白い手が布の上を踊り、複雑な文字を白布に刺繍していた。
道具作成スキルを持っているなら、魔術的な防御礼装を作れますよね、とフィオレとアーチャーに言われ、二つ返事で頷いたアサシンはまたも道具作成スキルを使って作っていた。
玲霞は白い兎のような勢いで、布の上を走るアサシンの手元を面白そうに見ていた。
彼女らの横にはバーサーカーもいて、足をぷらぷらさせながら、中庭で摘んだ花を編み、花輪を作っていた。
花を摘んでは千切る、摘んでは千切るということを繰り返していたバーサーカーに、気晴らしにと花輪の作り方を教えたのはアサシンだ。
気に入ったのか、さっきから黙々とバーサーカーは花を編んでいたが、ライダーの一言は聞き流せなかったのか手を止めた。
その前では、アッシュがトゥールに掴みかかっては投げられ、受け身を取って転がる、ということを繰り返していた。
ライダーがアッシュに渡した剣は、使えない剣を持っても仕方ないからと、元の持ち主に返された。
アッシュは、カウレスたちと同じく空中庭園に付いてくることになった。ライダーたちの戦いの側にいて、最後まで見届けたいと彼が言って聞かなかったのだ。
実際、契約を急ごしらえで結び直したライダーとアッシュでは、正式に契約したゴルドたちと違い、あまり長い距離を開け過ぎると魔力供給ラインが不安定になるかもしれないという懸念もあった。
今回の空中戦で、要になるのは魔術を無効化できるライダーだ。
それもこれもあって、城の壁が揺らぐのではないかというくらいの喧々轟々のやり合いの結果、ライダーの方が折れたのだ。
そうなると、アッシュに振りかかる危険は、サーヴァント同士の戦いに巻き込まれる危険の方がずっと高くなる。
それなら受け身の一つもできた方がいい、とアサシンが言い、アッシュはそれに従ってトゥールに挑んでは投げられている。
打ち身や青痣ができても、その度アッシュは橙の焔で治してはトゥールに挑んでいた。
ライダーはマスターから視線を外して、玲霞を見上げた。
「そういやレイカ、キミまで空中庭園に来るとか言わないよね?ね?」
「言わないわ。アサシンのマスターはルーラーに代わってもらうつもりよ。ルーラーがフォルヴェッジの人たちとの用を済ませたら、令呪を移すつもりなの」
「あー。そう言えばアーチャーが言ってたっけ」
フォルヴェッジの姉は、魔術師ではなくなることを選んだそうだ。
その理由をアサシンは知らない。予想はなんとなくできるが、確かめることはしていない。そこまで踏み入るような関係ではないからだ。
結果だけ言うと、フォルヴェッジの後継はカウレスになり、姉弟は今ルーラーとアーチャーの見守る中で、魔術刻印の移植の準備をしている。
魔術刻印はその家の歴史がすべて刻まれた、門外不出の魔導書に等しい。
中庭に揃っているバーサーカー以外の面々は、万が一にも魔術刻印を垣間見ることがあってはならないからと、移植が終わるまで城の中に立ち入らないでくれと言われた面子だった。
ゴルドも地下の工房に籠もっている。彼は彼で城の修繕からホムンクルスの調整から、いくらでもやることがあるのだ。
本当なら、フィオレたちはライダーやアサシンたちにトゥリファスからも出てもらいたかったようだが、街にいるユグドミレニアの他の魔術師に動きを悟られたくないから、彼らは城の中で最後になるだろう戦いのない時間を過ごしていた。
「家の跡継ぎが変わるって、同じ家の人にも絶対知られたくないくらいの一大事なの?」
と、魔術にも後継者争いにも疎い玲霞は素朴に疑問を抱いたようだった。
「フィオレさんはフォルヴェッジの家の後継というだけでなくて、ユグドミレニアの次期当主ですから、同門と言ってもそこにつけ込もうとする人もいるでしょう。下手にばれてしまったら、カウレスさんを押しのけて聖杯戦争に関わりたがる人もいるかもしれません」
それを聞いて、バーサーカーが顔をしかめて首をぶんぶんと振った。
マスター替えは絶対嫌、と彼女は全身で言っていた。
ここまでサーヴァントに慕われるなんて、カウレスはマスターとしてもいい人なんだろうな、とアサシンはそれを見て思った。
ルーラーに令呪を引き継いだら、アサシンは事情が事情とは言え都合三回目の主替えである。ライダーも元のマスターとは完全に決別している。
そのライダーは肩をすくめた。
「うへぇ。魔術師の家は怖いなぁ……」
「後継者争いなんてどこだって怖いものです。王家なんてまさにそれの典型ですよ」
文字通り血で血を洗った大決戦、クルクシェートラの戦いの時代を生きていたサーヴァントは思わずと言った風に、王に仕えていた騎士の英霊に向けてそんなことを言った。
アサシンはそこで、我に返って頭を振る。
「……この話題、お終いにしませんか?続けても袋小路になりそうです」
「そうだね。でもさボク、ヒマなんだよー。何かおしゃべりでもしないと退屈だよ」
バーサーカーが花輪を持っていない方の手で、手足をばたばたさせるライダーの背をべしんと叩いた。
「あ痛ッ!」
「アゥ、ウウァ!」
バーサーカーに唸られ、ライダーが助けを求めるようにアサシンを見た。
通訳も慣れたなと思いながら、アサシンは答えた。
ライダーに言っても仕方ないが、動きたいと思い、急き立てられているのに動けない歯痒い想いをしているのはアサシンも同じだ。
喩え自分の終わりが待つにせよ、空中庭園へ飛び立たなければ何も始まらない。
「……お喋りするくらいなら、宝具の真名はどうにかならないのか、だそうですよ。……ライダー、真名、本当にまだなんですか?」
アサシンの青い目、玲霞の茶色い目、バーサーカーの薄い紅と青の目。三人分の色合いの違う視線がライダーに注がれる。
ライダーはますます申し訳なさそうに小さくなり、その様子を見ていたアサシンは心の中の熱くなっていた部分が冷めていくような感じがした。
彼も彼で責任を感じているのだろう。
理性と一緒に宝具の真名が頭から抜けたのは、問題ではあるけれど何も彼が悪い訳ではない。
「……ライダー、そう言えばあなたの行った月とはどんな世界だったんですか?確か、お友達の理性を取り戻しに行ったという伝承でしたが」
ライダーの顔がぱっと輝いた。
「その通り!ボクの友達にローランっていうとっても強い奴がいたのさ。でも色々あって理性が月の方に吹っ飛んじゃってねぇ。放っておいたら不味いことになっちゃって、それを回収しに行くために月に行ったら、ボクの理性もあったって訳さ」
ライダーの明るい声を聞き付けたのか、汗だくのアッシュとトゥールが寄って来た。
「何の話だ?随分、楽しそうだが」
くたくたのアッシュをライダーの隣に座らせながら、トゥールが涼しい顔で聞いた。
「うん、ボクが月に理性を取りに行ったときの話さ。大変なことも多かったけどさ、楽しかったなぁ、アレ。でももう一回、行っていいって言われたらやっぱりボクはあそこに行きたいかな」
「あそこ、とは、どこだ?」
アッシュが肩で息をしながら聞いた。
ライダーはにこにこしたまま答えた。
「異次元の向う側、とでも言うのかな。ヒポグリフに乗ったときにちょっとだけ見える、ここじゃない世界のことさ。もう一回探検できるんなら、ボクは断然あそこがいいな。もしボクが聖杯を好きにしていいって言われたら、あの世界に行きたいって願ってたかもね」
と、屈託なくライダーは笑った。
「世界の裏側のような所ですか。面白そうですね」
「そうだね。……ねぇ、ちなみにさ、ここの皆って聖杯を使うとしたら何の願いに使う、とか考えたことあった?」
ライダーは全員の顔を見渡してゆっくり言った。
「俺は特に無い。……強いて言うならライダーの願いに付き合ってみたいが」
アッシュが言い、ライダーはその頭をくしゃくしゃ撫でてから、少し寂しそうな顔になった。
「嬉しいけどさぁ、それはやっぱり何か違うよ。ボクは、キミにしかできない何かを見つけて欲しいなぁ。聖杯に頼らないといけないようなことじゃなくて、キミの手でできる何かをさ」
「……分かった、努力する」
「その意気だよ、マスター!で、次はレイカはどうなの?あ、答えたくないなら別に良いけど」
「構わないわよ。……わたしはね、聖杯を使って『幸せ』になりたかったの」
ライダーだけでなく、アッシュやトゥールも首を傾げた。
玲霞は苦笑して話を続けた。
「ふわふわした願いでしょ?でも、最初は結構本気だったのよね。……今は、聖杯を使っても意味がないって分かったからもういいんだけど」
「あー、うん。あれ、無色の願望器だもんね。お金持ちになりたいとか、何か具体的な方法を打ち込まないと使えないんだっけ。『幸せになりたい』って願いじゃあ、そりゃ使えないよ」
「ええ。言われたら簡単なことなのにね。十数日前のわたしはそう思ってなかったの」
「……アサシン、キミはそこの所レイカに伝えてなかったのかい?」
アサシンは一度手を止めた。
「言われて分かるのと、自分で理解して納得するのでは話が違いますよ。十日前に私が言っても、レイカは納得してくれなかったと思います」
人の考え方は誰かにあれこれ言われて変わるものじゃありません、とアサシンはついでのように付け加えた。
「キミがそう言うなら、そうなんだろうね」
そう言われ、柔らかく微笑んだアサシンはさり気なく視線を外して布を縫うのに戻った。
玲霞やライダーの話す楽しそうな声を聞いていると、心が少し落ち着いた。
ライダーのいたシャルルマーニュの騎士団はどんなところだったのだろう、とアサシンはぼんやり考えた。
ライダーは話し上手だし聞き上手だ。
口下手なカルナと話しても、ライダーなら多分上手くいくだろう。状況が違ったら彼らは友人になれたかもしれなかった。
そんな厄体もないことをアサシンが思う間に、ライダーはバーサーカーの願い事も聞き出してしまった。
フランケンシュタインの怪物である彼女は同じ存在の伴侶を求めていたという。
死人に生者を作ってもらいたいとなれば、それは本当に奇跡が必要なことだろう。
サーヴァント同士でお互いの願いを争うこともなく尋ね合うなんて、これが聖杯大戦だったからこその珍事だ。普通だったらこんなことはあり得まい。
今このとき、ここにいる皆の願いが叶って皆それぞれに幸せになれれば良いのに、とアサシンは不意に思った。そう思うくらいには、アサシンはこの場の人々のことが好きだったし、そう思える人に出会えたことは幸運だとも心底思っていた。
それでも、そう祈っていても、奇跡はたった一人にしか与えられないのだ。
「アサシン?」
玲霞に呼びかけられ、アサシンは我に返った。
「何でしょう?」
「何ってこともないけどね、ぼうっとして手が止まっていたわよ。また何か考えごと?」
「まあ、少し。縫い物をしていると、昔歌っていた歌を思い出して」
何でもない顔で、アサシンは嘘を付いた。
「歌か、それはどんなのだ?歌って見せてくれないか?」
意外にアッシュとトゥールが興味を示したことに驚いた。
言ってしまったものの、アサシンは自分の歌はあまり上手くないと思っている。覚えている数も多くない。
それでも心無しか目をきらきらさせているアッシュを見ると、今更歌えないとは言えなかった。
「……笑わないでくださいね」
そう前置きしてから、アサシンは低く澄んだ声で歌を口ずさんだ。もうこの世に覚えている人は誰もいない、失われた子守唄だった。
緩やかで伸びやかな、川のせせらぎのような旋律は城の壁で区切られた四角い空に立ち昇って、静かに消えていく。
「何か良いわね、その歌。上手く言えないけど、聞いてると落ち着くわ」
「ありがとうございます、レイカ」
カルナもそんなことを言っていたなと、アサシンはそう言われて少し懐かしくなった。
「うん、歌はいいよね。ボクも吟遊詩人とかの歌は好きさ。冒険の歌とか楽しいからね」
言って、ライダーも明るい声で幾つか歌いだし
た。傍で聞いていたアッシュが鼻歌をし始め、ライダーはますます陽気に歌い続ける。
彼が歌い終わると、玲霞が一曲だけ歌った。
トロイメライという名で、歌詞が無い旋律だけの曲だった。普通なら、ピアノという楽器を使って弾く曲なのだと、玲霞はアサシンに教えてくれた。
昔はもっと沢山の曲を覚えていたそうだが、今はもう数曲しか歌えなくなったと、玲霞は少しだけ寂しげに言った。
「良い歌ですね、優しい曲です」
アサシンはそれだけを言って、トロイメライをそっくりそのまま全部鼻歌して見せて、玲霞たちを驚かせた。
バーサーカーも二、三度真似しているうちに鼻歌でアサシンの歌とトロイメライを覚える。
上手いのね、と玲霞が言うとバーサーカーは照れたのかそっぽを向いてまた花輪作りに戻った。
アサシンもそれを見て、また道具作りに戻り、アストルフォはアッシュとトゥールの訓練に付き合うと言って石段を降りた。
石段が座ったまま、アサシンは太陽が優しく暖める中庭とそこに集まった人々を見て、太陽を振り仰ぎ小さくため息をついた。
戦の前の、最後の穏やかな一時はそうして終わった。
最後の一時。歌を覚えた話。
次は飛び立ちます。
以下は些細な話。
このSSのフランは、カルデアで鼻歌しながら花輪を作って遊んでいるという設定があったりなかったり。