歴史を食べる、上白沢慧音のお話です
森の奥の奥、そう易々とは入ってこられない広がりで、
「――客人とは、珍しい」
一言呟き、それは木々の先に目を向ける。
「……む?」
それが訝しげな声を漏らしたのも、無理からぬ話であった。何故ならそこにいたのは、知を欲する賢者でもなければ、永劫を夢見る王でもなく、
「ひっく、えっぐ……」
泣きじゃくる、幼い少女であったからだ。少女は、
「ふむ……?」
何故、このような少女がここまで来れたのか。その理由は、すぐに悟る事が出来た。
「ほう、これはまた」
何処かおかしそうに、
――これが、我の求めていた者か。
このような場所で、このような者に会えた。そのことに、
「――少女よ」
泣く少女に、声をかけた。
「……え?」
その声にようやく気がついたのか、少女は不思議そうな声を漏らす。
「……ぁ」
顔を上げ、少女は小さく声をあげる。それは驚きの表現としては小さなものであったが、その見開いた目が彼女の心情を如実に表している。
「汝、両親を失ったのだな」
「……どうして」
「我には、分かる」
重苦しく、
「――汝、己が両親のことを、正したいと願うか?」
「え?」
「己が両親の罪、……否、間違った罪を、正したいと願うか?」
その言葉の意味を、少女が十全に理解できたかというと、決してそうではなかっただろう。言葉がやや難解であったということもあるが、何より妖怪という存在そのものが、少女の思考を恐怖で淀ませていたのだから。
――だが、それでも、
「……お父さんとお母さんが、悪くならないの?」
突如、少女に降りかかった災難。そして、もはや亡き彼女の両親に対する悪意。それを、目の前の存在がどうにかしてくれるのかもしれないと、そのことだけは少女にも分かった。
「然り。汝がそれを求めるのであれば、我は汝に力を授けよう。その力をもってすれば、汝らの歴史を正すことも出来よう。――如何する?」
「――ちょうだい」
はっきりと、そう口にした。
――お父さんたちが、悪くならないのなら。
少女の心は、それだけであった。逃げるように人里から出て、泣きながら歩き続けたその理由。それを直せるのならと、少女は縋る。……欠片も、その言葉を疑うことなく。
「左様であるか」
少女の返答に、
「であれば授けよう。汝に、歴史を正す力を。――我が力の一端を」
「汝が歴史を糧に、汝に歴史を授けん……!」
「――――」
その言葉を最後に、少女の意識は永遠に消え去った。
――そして、少女は歴史から消え去った。
「――確かに、授けたぞ」
そう言い残し、
「……」
その場に残ったのは、一人の少女だけであった。
「私は……」
ここにいる理由も、今で自分が何をしていたのかも。今が、彼女にはまったく分からなかった。唯一つ、分かっていたことは、
「私の、名前は――」
「……ふう」
月光の降り注ぐ室内で、上白沢慧音は軽く首を回す。
「次で最後にするか」
今日は月に一度の満月の夜、歴史の編纂を行う日であった。月が昇ってから今まで、ずっとやっていた作業の疲れを感じ、慧音は次の編纂を最後とすることにした。
「次は……」
最後にと慧音が選んだのは、随分と前にこの里で起こったとある事件であった。
当時の有力者の夫婦の屋敷に火がつき、それが原因で多数の人間が死んでしまった事件。それは、当時こそその夫婦の所業だと思われ、憎まれていたが、後に別の者によって引き起こされていた事件だと分かった。
当時の住民たちの怒りは深く、その夫婦の一切は否定されていた。その影響の大きさゆえに、その事件は人里の歴史と、幻想郷の歴史として数えられるほどのものであった。幸いにも、その夫婦に
その事件の歴史を正すべく、慧音が編纂に入ろうとしたところで、
「……あれ?」
何故か、その頬を涙が伝っていた。困惑し、彼女は涙を拭おうとするが、涙は止まらない。
「何故……?」
理由も分からぬまま流れる涙に、彼女はただただ困惑する。まるで意味が分からなかった。
「……どうして……?」
――どうして、嬉しいんだ?
その心に浮かんだ感情を胸に、彼女はしばし泣き続けた……。