侍女のアリィは死にたくない 作:シャングリラ
第1話 ああ、こんなふうには死にたくない
アリィ・エルアーデ・サンディスは貴族である。
父であるゴーザンと母マリアンヌ、そして自分の3人家族。
両親からは愛情をもって育てられ、アリィはとても充実した日々を送っていた。
外に出るときは護衛が必ずついたりなど一部自由でないところはあるが、些細なことだ。
むしろ両親が自分のことを心配して護衛をつけてくれている、その愛情の証明にもなっていたからだ。
「そうだ……アリィや」
ある日の夕食。
恰幅のいい腹を揺らして、ゴーザンは娘であるアリィに話しかけた。
「なんでしょうか、お父様?」
「うむ、アリィも大きくなった。そろそろ一つくらい、楽しみを覚えるべきだと思ってな」
「楽しみ……ですか?」
純白に輝く皿に盛りつけられた肉を食べようとした手を止め、アリィはゴーザンの言葉に耳を傾ける。
ゴーザンにグラスを持ち上げ、使用人にワインをつがせると話を続けた。
「我々貴族は特別な存在だ。平民とは違う、上に立つべき存在なのだ。無論、我々の上にはさらに皇帝陛下がおられるわけだが」
ここでワインをごくりと飲み、喉を潤す。
大きく息を吐くと、愛する娘に夕食の後、多少は汚れても構わない服装で地下室に来るように言った。
「アリィにも見せてあげるのね。いいんじゃないかしら」
「お母様、一体何があるのですか?」
「うふふ、すぐにわかるわ。楽しみにしていなさいな」
アリィはそれまで、地下室には両親が使う道具が置いてあるから勝手に入ったりしないように、と言われていた。
今まで自分には秘密だった何かが、ついに解禁されるのだ。
子供にとっては嬉しいことである。アリィにとってもまた、例外ではなかった。
「わかりました、お父様、お母様!」
「あぁ、楽しみにしていなさい」
ゴーザンは嗤う。
地下室に閉じ込めてあるモノたちのことを思い出し、それらがあげる音色を頭の中で再生する。あぁ、なんと甘美であろうかと。
貴族である我々だからこそ許される特権。
この楽しみをぜひ、娘にも教えてあげようと。
ここは帝国。
始皇帝の時代から時は流れ、その中枢では腐敗が進んでいた。
人も国も、時間がたてば腐っていくものなのだ。
この帝国も例外ではない。幼い皇帝を帝位につけた大臣、オネストにより帝国は腐敗が進んでいた。
民は飢え、一部の特権階級の者などだけが財に笑う。
その中心都市である帝都が腐敗真っ只中なのは、言うまでもない。
「さぁ、おいでアリィ」
「はい、お父様」
夕食を終え、地下室に潜る家族。
楽しみを教えると言われたアリィにとっては、最高にワクワクしていた。
一体何を両親は見せてくれるのだろう、と。
だがその笑顔は――足を止めたそこで凍りついた。
両親の顔を仰ぎ見るが、彼らの笑顔は消えてはいなかった。
いやもっと醜悪に……歪み、嗤う。
「これは……」
「私たちはね、特別な存在なのだよアリィ。だから、こんなことも許される」
蒼白になるアリィの視線の先には……阿鼻叫喚にふさわしい光景が並んでいた。
あたりに飛び散った血の跡。
充満する肉の腐った臭い。
ゴーザンが歩いて行ったその先には、アリィと同じくらいの年の少女が血だらけで台に固定されていた。
手にしたムチを軽くしならせると、ゴーザンは勢いよく
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!?」
動けない少女の背中めがけ、振り下ろした。
少女があげる悲鳴を聞き、ゴーザンはブルリと身を震わせる。
「あぁ……いい音だ、そうは思わないかアリィ。このモノは下賤な平民。我々のように高貴な血を引いていればお前の友人にもなっていたかもしれん。だが下賤な血はこのように飛び散っても仕方ない。汚らわしいがな」
そう吐き捨てるとゴーザンは持っていたムチをアリィに手渡した。
その視線の先には痛みに震える少女。
彼が何を言いたいのか、アリィは察した。察して、しまった。
「だからアリィ。おまえが彼女で遊んでやりなさい。なに、気にすることはない。我々貴族に遊んでもらえるのだ。さぞかし、光栄なことだろう」
手に渡されたムチの感触が、汗と一緒に感じられる。
肩には父の手が乗せられている。振り返らずとも、アリィにはゴーザンとマリアンヌが笑顔でこちらを見ていることがわかっていた。
「あ……あ……」
対して、自分を見上げる少女の顔は絶望に染まっていた。
もう自分が何を見ているのかすらわからないかもしれない。その虚ろな目が自分へと向けられているが、果たして彼女には自分がどのように見えているのだろうか。
きっと、両親と同じ悪鬼にしか見えないだろう。
「さあ! さあ! サア!!」
両親の手に力が入るのを肩で感じながら。
アリィは無表情に、ムチを振り下ろした。
初めて両親の本性を知ってから、年月は流れた。
アリィは今も、両親の趣味につきあっているが彼女が加虐趣味に目覚めることはなかった。
むしろ、彼女は恐れたといっていい。
主に若い平民が両親の手によって連れてこられた。時には自分と同じかその下の子供も。捕らえられた彼らが痛めつけられ死んでいく姿は、彼女に確かな恐怖を与え続けた。
「自分は、こうはなりたくない……」という恐怖を。
アリィが恐怖を覚えつつも両親の誘いを断らなかったのはこの恐怖を逃れるためでもある。相手を痛めつけることで、「自分は痛めつけられる側ではない」と認識するための、儀式にも近い意識で彼女は腕を振るった。
(死にたくない)
(傷つけられたくない)
(目の前で叫ぶ彼らと同じにはなりたくない)
(私は――そちら側にはいきたくない)
悲鳴をあげる青年を見下ろしながら、今日もアリィは恐れ続ける。
その横ではゴーザンとマリアンヌが、それぞれのやり方で楽しみを続けていた。最近、ゴーザンは倉庫にあったという首輪を使うのがお気に入りだ。黒い革と白い骨で作られたそれは明らかにおぞましい雰囲気を放っている。内側には小さいが骨でできた棘があり、首輪をつければ当然首に突き刺さる。
「ひ……イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「おぉ……やはりいいなこの首輪は」
なんでも、何かの失敗作なのだとアリィは聞いていた。かの始皇帝から先祖がその管理・調査を命じられたそうだが詳しく書かれた文献をアリィはまだ読んでいない。読もうと思えば父の書斎にあるので、この後にでも読むかとアリィは拷問中に考えていた。
首輪をつけられたとたん、それまで強気に叫んでいた女性は怯え、顔が恐怖で染まっていた。ブツブツと何かつぶやきだし、どんどん正気が失われていく。
アリィが拷問していた青年は、自分の妻が壊れていく姿を見せつけられ、生きる気力がどんどんと消えていた。彼らの息子はすでに、マリアンヌによって壊されている。
「家族三人……くしくも私たちと同じ。でも私じゃなくてよかった。私がそっち側じゃなくてよかった」
私は、死にたくない。
恐怖に狂う少女は、自分がそちら側ではないことに安堵しながら、青年を死へと追い詰めていった。
アリィにとって、他人が死ぬことはもうどうでもいい。
だって、自分が死ぬわけではないのだから。むしろ自分が死ぬかもしれないときには、何の躊躇もなく人を殺せるだろう。大事なのは己のみ。
彼女は順調に……歪んでいた。
だから、彼女はこう言うのだ。
「ああ、こんなふうには死にたくない」
翌日の夜。
書斎で顔をつぶされて死んでいるゴーザンの死体を前にアリィは……
悲しむこともなく、怒ることもなく。ただ、自分は死にたくないと恐怖していた。
予定している番外編の中で、特に優先して書いてほしいものがあれば意見をください
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IFルート(A,B,Cの3つ)
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アリィとラバックが子供の頃出会っていたら
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皇帝陛下告白計画
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イルサネリア誕生物語
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アリィとチェルシー、喫茶店にて