憑依魔王の契約者 作:こんこん
迅さんに息子さんがいる――彼を親父と呼んだ青年を見て、その事実を悟った私は、迅さんの腕を掴むと有無を言わさずファミレスの外に連れ出した。人気のないファミレス近くの路地裏まで迅さんを引っ張り込むと壁際に彼を押し付け、問いただす。
「ちょっと……どういうことですか」
「どういうことって何が」
「あなたに子供がいるってことです!」
とぼけたような言葉を返す迅さんに苛立ちを覚えながら、私は叫ぶ。
「迅さんは私の境遇というものを理解しているんですよね? だったら私に関われば厄介事に巻き込まれることを理解しているんですよね?」
「ああ」
「どうして? ならどうして私に接触してきたんですか!? 迅さんには息子さんがいるんじゃない! 私と一緒にいたらその息子さんが危険に晒されるってことが理解できていないんですか!?」
「……」
私が迅さんの口車に乗ったのも、彼が独り身の、大人の男だと思っていたからだ。私と関わればどのような事になるかを理解した上で声をかけ、声をかけたのならかけたなりの責任は自分で取れると思ったからだ。
しかし、迅さんには息子がいた。この世の誰よりも大切な……守らなければならないはずの家族がいたのだ。
「答えてください! 迅さんは自分の家族を危険な事に巻き込んでいいんですか!? そんな無責任な男だったんですか!?」
「……」
しかし迅さんは答えない。ただ神妙な眼差しを私に向けてくるのみだ。
気が付けば私は彼の胸ぐらを掴み上げていたが……しばらくするとその腕も力無く項垂れる。
「……もういい。何も答えないなら、それでもいい」
ただ、もうこの男の力を借りるつもりは微塵も無くなった。この男には守るべき家族がいる。そんな家族を巻き込ませてまで、私は助かりたくもない。
家族を失う悲しみは何より知っているからこそ、私は絶対に彼の力を借りるわけにはいかなくなったのだ。
「……私たちを助けようとしてくれるその心意気だけは受け取っておきます」
――だからもう二度と私たちに関わらないで。そう言い放とうとしたその時だった。
「ならお前は……俺に息子がいる、と言ったら素直に着いてきてくれたのか」
「えっ……?」
「俺はお前たちをどうしても守りたかった。これは勇者としてではなく……子供を持つ一人の親としてだ」
「……!」
思わず彼の顔を見るとそこには悲しげな眼差しを向ける迅さんの顔があった。
「お前は優しすぎる。本当なら誰よりも守られるべき存在なのに、大人ぶって、自分だけで全てを背負い込もうとする」
「そっ、そんなことっ……」
見てられないんだ、と迅さんは反発しようとした私の言葉を遮る。
「お前が俺の息子を気にかけて、言ってくれてるのは分かる。――けどな、俺の息子はそんな柔じゃない。自分の身を守れるだけの強さは持っている」
――なんたって勇者の息子だからな。そう言ってニカッ、と笑みを浮かべる迅の眼差しはあまりにあたたかくて、私の視界が思わず揺らめく。
「……」
辛い。苦しい。助けてほしくてたまらない。ゾルギアに復讐を誓ったあの日、心の奥底に押し込めたはずの弱い心を、この目の前の男は見逃さずにキャッチしてくる。
これが何時の時代も人々に勇気と希望をもたらしてきた勇者たる所以なのか――そう思ってしまうほどに。
「……」
しかし、感情に流されていい場面ではない。
この勇者の手を取りたい気持ちはあるけど、それ以上に私は自分のせいで他人の大切な家族を奪ってしまうかもしれないことに耐えられない。
万に一つ、その可能性があるならば私はこの伸ばされた勇者の手を振り払わなければならないのだ。否、振り払うべきなのだ。
だから私は――
「それでも私は……あなたの手を取ることはできません」
大切な家族を奪う存在に、私はなりたくないから。
何よりも尊ぶべき絆を、この手で断ち切るような真似は、死んでもしたくないから。
「そうか……」
私の言葉に迅さんは頷くと押し黙り――そして何かを思いついたかのようにポンと自分の手を叩いた。
「なら、試してみる……というのはどうだ?」
「へ?」
「一年……一年間だ。一年の間だけウチに引き取られてみないか? それで確認してみればいい。俺や息子の刃更がお前が思っているような柔な存在じゃないってことをな」
――嫌とは言わせないぞ。迅さんの瞳は私に対し、そう告げていた。
東城迅という男が言い出したらきりがない頑固者であるということはこの短いやり取りでも十分に把握できる。おそらく、この提案を断ったところで諦めてくれないのは目に見えていた。
それでも私は迷った。本当にここで頷いてもいいのか、何としてでも迅さんを拒絶するべきではないのかと。
しかし気づけば私は――
「……わかりました」
迅さんの提案に頷いていた。
頷いてしまってから、私は自分の口を抑える。
(私……今、なんて……!?)
慌てて迅さんを見るが、その時には迅さんは上機嫌に笑みを浮かべていた。
「言ったな? 今、わかりましたって頷いたな?」
まさにしてやったり、と言った笑みを浮かべた迅さんはそのまま私の背中をグイグイ押してくる。
「そうと決まればこんな暑い中何時までもいるもんじゃねぇな。早く涼しいファミレスの中に戻ろうぜ」
「え、ちょっと……今のは……」
「早く行くぜ」
迅さんは聞く耳持たずだった。
「はぁ……」
断るべき時に断わり切れない、自分の心の弱さが恨めしい。結局は他人に甘えたい自分の想いを抑えきれなかったが故に引き寄せてしまったのだ。
こうなったらどうにか一年間、何事もなく過ごし抜き、一年後改めて断りを入れるしかない。
(私ならやれる……いや、やらなければならないのよ)
新たな決意を胸のうちで唱える。こうでも自己暗示しなければ、罪悪感に押しつぶされてしまいそうだったから。
「……」
こうして私は再びファミレスの店内に戻るのだった。
*
――十年くらい前、お前妹が欲しいって言ってただろ。
――いつの話だよ!
――よかったな。できるぞ、可愛い妹が。
――へ?
昨夜、刃更の親父である迅が唐突に振って来た妹話……もとい再婚話。
今日はその相手側の家族と出会う初めての日だった。
『……ちょっと、言いですか?』
『な、なんだよ急に』
刃更の不注意でトイレに乱入してしまったのにも関わらず、大人びた対応を見せてくれたあの赤髪の美少女は、迅と刃更の姿を確認するなり、有無を言わさず迅の腕を引っ掴むと、そのままファミレスの外に連れ出してしまった。
慌ててその後を追おうとした刃更であったが、連れ去り際に迅から「もう一人の妹の相手をしておいてくれ!」と言われ、今こうして再びファミレスの席に腰かけている。迅と顔見知りであった様子のあの美少女の存在は気にかかるが、今はそれどころの場合ではない。
「えっと……どうも初めまして。君がもしかして、親父が言ってた妹さんの……」
「成瀬万理亜です。さっき迅さんを連れて行ったのがお姉ちゃんの澪ちゃんです」
そう言ってにっこりと笑うのは中学三年生と言うには少し幼い――何とも男の庇護峪を刺激するような容姿を持つこれまた美少女であった。あのトイレにいた美少女の方はどうやら澪という名前らしい。
「えっと、親父からは俺のことは……」
「聞いていませんでした。だから澪ちゃんもちょっと驚いたんだと思いますよー」
だろうな。
万理亜の言葉を聞いて、刃更はため息を吐く。おそらく親父が連れていかれたのも、そこのところの詳しい事情を知るために連れていかれたのだろう。なんで説明してないんだよ、と親父に対する愚痴は尽きないが、今はそんなことを言っていても始まらない。
「えっと、万理亜ちゃんのほうは驚いたりしてないみたいだけど大丈夫なの?」
「うーん、驚いたには驚いたんですけど、澪ちゃんほど驚いてないっていうか……」
「ふ、ふーん」
万理亜の言葉に刃更はある種の戦慄を隠せない。まさかとは思うが、このまま今回のこの話がなかったことになってしまうのではないかと考えてしまうほどに。
それほどまでに迅を連れ出した澪の様子は、尋常なものではなかった。「聞いていない」ではすまされないような、そんな緊迫感が感じられた。
とその時になって再びファミレス特有の電子音が鳴り響き、若干やつれた様子の澪とその一方で上機嫌な様子の迅が戻ってくる。どうやら話し合いは終了したようだが……いったい何を話していたんだ?
「勝手にお父さんを連れ出しちゃって、ごめんなさい。私は成瀬澪。……よろしく」
何を話していたのか迅に問いただす前に、向かい側の万理亜の隣の席に座った澪が自己紹介をしてきたので、刃更も自己紹介をする。
「あ……東城刃更です。……あの、さっきは」
「あの話はお仕舞いって言ったでしょう? もう気にすることなんてないわよ」
そう言って、刃更を安心させるかのようにニコリと微笑む澪の微笑みがあまりに綺麗で、刃更は思わず惚けたように見つめてしまう。
普通、自分が用を足していた時にいきなり乱入してきた張本人――それも見ず知らずの初対面の男性のことを、こうも簡単に許せてしまうものなのだろうか。
なんというか、普通のこの年代の女の子とは違う、独特な雰囲気があるような気がした。自分と同い年であるはずなのに、なぜだか年上のお姉さんを相手にしているような気持ちになってくる。
そしてそんな一種の神秘的な趣のある雰囲気に加え、そこら辺のアイドルとは比べ物にならないくらい、綺麗で可愛らしい容姿で柔らかく微笑んでくるのだから、刃更が惚けてしまうのも無理もない。
「なぁーに、見惚れてんだぁ? 刃更クンよぉ?」
「!」
ゴクリ、と思わず唾を飲み込んでしまったところで、ふいに耳元で迅に突っ込まれ、刃更はビクン! と背筋を伸ばしてしまう。伸ばしてしまったところで、
「な……そんなことねぇよ!」
とムキになって否定するが、その言葉に説得力が無いのは明らかだった。
クスッ、と澪には笑われ、迅にはさらに冷やかしの視線を向けられ、一通りいじられたところで迅が、これから先のことについて、再び口を開く。
「じゃあ、早速、これからのことなんだが――」
この時、刃更は気づけなかった。
成瀬澪という少女の、その可憐な微笑の向こうに隠された、憎悪の炎を。
その真紅の瞳の向こうに秘められた微かな憂いを――。
無論、この少女と刃更は今日、初めて出会ったのだから、気が付けないのも無理はないことなのかもしれない。
ただ、思うのだ。自分がもっと早く、彼女の抱える苦悩に気が付いてあげられれば、その心の奥深くに刻まれた傷を癒すことができたのではないのかと。
「――そんじゃ、色々あるかもしれないが――皆で幸せになろうぜ」
一通り話し終えた迅が、ニヤッと笑って、そう宣言する。
「じゃあ、改めまして、刃更くんもよろしくね?」
「よろしくお願いします、お兄ちゃん!」
とにかく言えるのは。
「ああ……よろしく」
この日を境に東城刃更の平穏な日常は終わりを告げたということだ。
*
向き合う事さえままならずに、ずっと罪だけを背負って。
それでも生き続けることで、誰かを守る事ができるなら――。