伸ばされた白磁の腕は人ではない証。
俺は顔を上げて、赤く光る眼窩を覗き込んだ。そこには、俺に対する仄かな好奇心、それと収集家特有の妄執が宿っていた。
――彼は一体どのくらい俺を×ってくれるのだろう。
俺の本当の望みがひょっこりと頭を出す。ホムンクルスとしての性。誰かに仕える為だけに生み出された、我ながら哀れな存在の魂に刻まれた願望だ。
喉の渇きを覚える。この手を取れば、俺はデミウルゴス達と同じように、この圧倒的な支配者からの命令を受けられるのだろう。そして、永遠に続くのかと錯覚するほどの、人外であるが故のこの孤独からも抜け出せる。アルベドとデミウルゴスが"悪魔のように"にたにたと笑った。
それは甘美な誘惑だった。彼に仕える未来を思うだけで背筋がぞくぞくする。
ああ、それはどんなにか幸せだろう。
「お断りします」
――だが、俺は何でもないような顔でそう言うと、間髪いれず屋敷の扉を閉めた。
*********
荘厳な雰囲気に包まれ、ひんやりとした暗闇が漂う。そこは化け者達が巣食う墓場。
ナザリック大墳墓に残った最後の至高の存在――アインズが遠見の鏡でそれを見つけたのは、カルネ村を発見するよりも早かった。
うまく使いこなせない縮尺にいらいらしつつも上下左右、片っ端から動いていた鏡に、それは映りこんだのだった。
「これは、氷か……?」
必死になって腕を動かすと、僅かながらも拡大に成功する。
件の氷の中心部には立派な洋館が建っており、それはどういう訳か凍り付いていた。さらに氷は屋敷だけでは飽き足らず、周辺の植物にも食指を伸ばしている。
見ているだけで涼しげなそれが、ふんわりと冷気を伝えてくる気がする。如何にも怪しい様相だったが、不思議と惹きつけられ、アインズは鏡越しに骨の指でそっと触れた。
「あああああああ」
触れた指がどういった作用をしたのか、一気に屋敷が遠ざかり、鏡が何処かまた別の場所を示す。アインズは頭を抱えそうになりながら、また腕を動かす。次に映ったどこぞの村には、逃げ惑う村人とそれを追う騎士達が居たので、アインズの意識はそちらに移っていった。
カルネ村の一件を追え、アインズには一時の平穏が訪れる。すると、俄然あの氷の屋敷が気になってくるもので、童心に返った気持ちで外に出よう……としたら、デミウルゴスが矢張り「差し出がましいことは重々承知の上です。しかしどうか、この私を供にお付け頂くことは出来ませんか」と懇願してきた。その余波は近くに居たアルベドにも広がり、アインズの背後にはレベル100のNPCが二人付き従っている。
屋敷へ近付くたび、森のモンスターのざわめきが大きくなる。
「おいあそこに化け物が近付いてるぞ」
「氷漬けの屋敷に化け物が増える」
「化け物だ。巻き込まれる」
煩わしいな、と感じたところで、デミウルゴスが笑顔で「少々、お暇を」と言って茂みに立ち入っていった。
三十秒後に手巾で手を拭いながら帰ってきた彼は「アインズ様の仰る屋敷は数百年前からあるそうで……」と有益な情報を持っていた。向こうで何が行われたのか。アインズの背筋が冷えたのは冷気のせいばかりではない。
氷に閉じた森の一角では、生きとし生きるもの全てを拒むような静寂が佇んでいる。およそ生物が呼吸すら出来ないだろう空間には冷気が立ち込めて、人外にすらダメージを与えるほどだった。
(液体窒素でもぶち撒けたのか? 一体どんな手段でこれを……)
首を捻りつつ歩みを進めていると、ほう、と背後のデミウルゴスが感嘆のため息を吐いた。
「どうした」
「っは。この氷、アインズ様には遠く及びませんが、余程の手練の
(マジかよ!?)
そう言われると気になる。アインズは食い入るように凍りついた木々を眺めるが、その凄さが伝わってこず、やがて諦めたように、とりあえず頷いた。
アルベドは警戒してアインズに寄り添う。ごりごりの前衛職のそれを有り難く受け取り、アインズは少し怖気つきながら屋敷へ向かった。大丈夫、守護者が二人と自分も居る。大丈夫。……多分。
屋敷のドアをノックすると、中から狼の耳と尻尾を生やした執事服の男が現れた。
「ようこそいらっしゃいましたね。何か御用でしょうか?」
これにはアインズも閉口した。探検しに来ました、などと言うわけにもいかない。そもそも住人が居るとも思っていなかった。
デミウルゴスが機転を利かせ答えたことにより、沈黙は生まれずに済んだ。アインズは己の僕の頭の良さに改めて感心し、引っ越してきたという虚言を信じた青年を深く心配した。幾ら自身も人外だからと言って、怪しい一行をすぐに客間に通すのはどうなのだろう。
彼が強いのは、この氷の原因であることから十分に理解しているが、それでも前衛もこなせる
出された紅茶を飲んだ従者二人の顔が綻んだのを見て、アインズは胃のない身に歯軋りしつつ、手持ち無沙汰に紅茶を眺めた。
(それにしても、静かな屋敷だ)
淹れられた紅茶を持て余しつつ、アインズは天井のシャンデリアに取り憑いたウィルオーウィスプを見た。あれはこの世界では一般的な照明の方法なのだろうか……?
「デミウルゴス――」
「っは、既に」
何が?
静かだな、と世間話を振ろうとしたアインズは聞き返しそうになった。何を既に、なのだろうか。まさか招かれたばかりの屋敷に
アルベドはくふくふ笑って、警護の名目でアインズに擦り寄れることに喜んでいる様子で、彼女による説明は期待出来そうも無い。アインズは黙って、紅茶の水面に映った自分と目を合わせ続けた。
暫くして青年が戻り、此方の虚言の通り地図を渡してくれる。思わぬ収穫であった。そこにはトブの大森林の地理情報が事細かに記されていた。感謝の言葉を伝えると、無用の産物であるから、と控えめに微笑まれる。彼の洗練された執事っぷりはセバスに通じるものがあり、一級品であることが伺えた。
アインズは紅茶は楽しめなかったが十分に満足して屋敷を出立した。
帰路につき、氷の地帯を抜けたかと思うと、アルベドがまるで慣例行事のように毎度の如く爆弾発言を落とす。
「……ではアインズ様、いつあの屋敷を奪いますか?」
何言ってんの?
アインズは何度か瞬きし――比喩である――発言したアルベドを凝視した。
「そのような予定は無い」
確かに
仕方が無い、デミウルゴスに諌めてもらおう……と目を向けると、なんと彼も怪訝そうに目を細めている。お前もか。
「はあ、言わなければ分からないのか?
うちのがご迷惑をおかけしました、と本来アインズはあの場で謝るべきだったのだ。それを「お帰り下さい。そしてもう二度と、こちらへは来ないで下さい」という突然の拒絶に、"ナザリックへの勧誘"という最悪の一手を選んでしまった。
アインズは、彼の言動がクエストか何かだと思い込んでしまったのである。
ユグドラシル時代では、ある一定の条件を満たし勧誘の言葉を告げると、NPCが仲間になるというクエストが多くあったのだが……。ここはユグドラシルとは別物と分かっていたのだが、脊髄反射で勧誘してしまった。そしてにべも無く断られた。
だがしかし、アインズにだって言い分はあった。
怪しい屋敷の外装から始まり、"何故かすんなりと招かれる"。"何故かアルベドとデミウルゴスが危険視しない"。"何故か地図を対価無しで渡してくれる"。どうだろう。一連の流れはよくよく考えてみると、クエストに見えなくもないのでは? いや、クエストにしか見えまい。
アインズは己の恥を正当化する。精神安定の光が二度ほど舞った。
(もう二度と同じ轍は踏まないようにしよう……)
とにかく、彼がクエストの産物でないのなら(アインズは"眠っている主人"がクエストに関連するのではないか、と未だ習慣的に穿っているが)、アインズは、突如訪問した挙句、屋敷内に下手人を放ち、その上意味不明なことをのたまい、謝罪もせずに去っていった異形種、ということになる。客観的に見てあまりの酷さにため息が出そうだ。
どう考えても今必要なのは彼と、彼の主人に対する謝罪である。
アインズは改めて二人に彼の屋敷をもう一度訪れるように厳命する。アインズ自身は赤っ恥をかいてしまったので、もう二度と行きたくない。
二人はおぼろげながらも目的が分かったのか、今度こそこの命令に頷いた。
ここでアインズが「"謝罪のために"屋敷へ訪問しろ」と言っていたのなら、守護者との間の齟齬は殆どなくなっていただろう。
その上で、先ほどの「
アインズは知らない。二人が屋敷への訪問をどういう風に解釈したかを。
リュコスは知らない。己を待ち受ける未来が、今までの孤独が生易しく思えるほどに、壮絶な地獄絵図であることを。
守護者二人の見当違いの聡明さによって、リュコスの
勘違いからのさすデミの流れを作りたいので、次話投稿は少し遅れてしまうかもしれません。現段階で勘違いが三つほど生まれていますが、分かりやす過ぎますかね?