ドアノッカーの音が聞こえる。不本意ながら、そのリズムだけでドアの向こうに誰が居るのか、開けるよりも先に分かるようになったしまった。
俺は緩く首を振り、無意識にか、微かに浮かんでいた笑みに気づく。何だかんだで嬉しいのだろうか。唇を一度隠し、真一文字にきゅっと結んで、慣れた動作で燭台に火をともした。
「もし、何か御用でしょうか?」
「やあ、リュコス君」
「こんにちはヴォールク」
薄ら寒い呼称を使い、二人が
俺は何だか嫌な予感がして、だけどそんなはずはない、だなんて、らしくもなく大して付き合いの深く無い二人を信じようとしたりした。
いつも通りをいつも以上に心がけ、軋む足を動かして客間へと案内する。背後で二人が笑う気配がする。
客間の扉を開く――瞬間、風も無いのに蝋燭の火がふっと消えた。
「あ、れ……おかしいな」
頬を汗が伝う。何故だろうか。さっきから、悪寒が走って、仕方が無いんだけど。
指を鳴らし、燭台に再び火を点ける。すると、客間のソファーに浮き上がるようにして、おぞましい骸骨が現れた。
アインズ・ウール・ゴウンだった。
俺は反射的に歯をかみ締め、お辞儀をする。客人には礼を尽くさなければならない。
「ようこそ、いらっしゃいました。すぐに紅茶の準備を……」
「良い。今日は一つ、お前に提案があって来たのだ。
――今一度聞こう。我が従順なる僕の一員となる気はないか?」
率直に言って、魅力的な誘いだった。
先日と同じだ。初め勧誘された時の様に、言われるがままに、差し出された手を取ってしまいそうになる。
彼特有のオーラのせいだろうか。頭に靄が掛かったような感覚がした。それは決して、俺の意思を強制するものでは無くて、寧ろ――俺の心の奥の奥、自覚すらしていない本当の望みを引きずり出す。そんな悪辣極まりないものだ。ぞくぞくとした甘い陶酔が背筋を痺れさせて止まなかった。
(でも、それでも……)
「二度に渡るお誘い、身に余る光栄で御座います。けれど、何度言われても俺の答えは変わりません」
「そうか、残念だ」
笑った。死神が、笑った。
悪寒が走る。俺は震える足で一歩後ずさった。
アルベドとデミウルゴスが笑っていた。絶対的支配者に仕えることを喜ぶその顔に、俺は覚えがあった。
鏡を覗き込めば、いつでも見られる顔だった。
「本当に、残念だ」
「が、―――ッ!?」
何だ? 何が起こった?
腹に激痛が走る。
視界が高速で流れて、俺の体が吹き飛んでいることを自覚した。僅かな滞空時間の後、客間の扉を吹き飛ばし、俺は凍りついた壁にぶつかって漸く止まった。
「ぁ、っげ、ほ……アル、ベドォ……!!」
「ごめんなさいヴォールク。同じ僕として本当に不憫に思うけれど、アインズ様のご命令に比べたら、貴方への同情なんて、小指の先ほどにも満たない些事なの」
それにしても、案外頑丈なのね、貴方の屋敷。
つつ、とアルベドの指が氷をなぞる。
不意に、客間からアインズの気配が消えた。やつは何処だ? 何処へ向かった? 嫌な予感が止まらない。なんとしても奴を足止めしなければならない。
アルベドの口ぶりからして、彼女は俺がアインズの行動を妨げることのないよう、屋敷の外に出したいようだ。それも、窓や扉からなどの正攻法などではなく、俺の命よりも大事な大事な大事な大事なお屋敷を破損するという形で。
「ゅ、るせるかァアアアアア!!!!」
「これは手強いな」
デミウルゴスが羽を使って浮いている。前傾体勢のまま走り、彼の方から飛んで来た魔法を、自分から突っ込み、懐に入ることによって避けた。そのまま前のめりに走っていると、自然と地に四足がついていく。
アルベドが振りかぶっている
俺は勢いよく地に落ち、再び客間に叩き込まれた。
「邪魔をッ、するな!」
「アインズ様へは近付けさせないわ」
俺の背中を殴打した長柄斧を拾い上げ、お返しとばかりにアルベドに投げ返す。どの道室内でこれは振るえまい。ソファーに暖炉、カーペット、調度品に到るまで俺の氷は侵食を広げている。突き刺さることの無い代わりに、遮蔽物によって満足に振り回すことは出来ない。
うなり声と共に、口に収まりきらない牙が剥きだしになる。ふーふーと興奮と怒りで呼吸が荒い。
デミウルゴスが立ち上がり眼鏡のブリッジを持ち上げる。大して手傷は無いようだ。アルベドも並ぶようにして長柄斧を上段に構えなおす。
目も眩むような憤怒の中、ほんの少し悲しいと感じる自分が何より許し難かった。
******
(……矢張りしぶといわね)
不意打ちとして食らわせた一撃目。クリティカル判定が出ていたように思えたが。
確かな手ごたえは、しかし怒りを漲らせながら立ち上がったリュコスを見て落胆に変わる。何より、屋敷の氷が想定よりも固い。
先ほど飛び上がったリュコスに長柄斧を投げた時、一撃目に壁で強打しただろう部分と同じ場所を狙ったつもりだったが、それでも彼は痛み等微塵も感じていない様子で此方を睨んでいる。
横目でデミウルゴスを見る。羽に傷がついているが……致命傷ではない。まだ飛べるだろうし、そもそも彼は後衛だ。目で下がるように言うと、微かに頷いて一歩退いた。
ここで話は変わる。
リュコスがナザリックに来ない理由は様々あった。その一つとして、彼の主人の存在が挙げられる。
死に際に何ぞ命令でも受けていたのだろう。でなければ主人を亡くした僕があんな理性的な言動をしていられるはずがない。
では、最期の命令とは何か?
死んだ主人の為の墓にしては余りにお粗末な屋敷。リュコスのあの忠義心を思えば、国一つを更地にして、主人の慰めのために数多の人間と共に弔ってもおかしくはないのに、だ。
恐らくはこれこそが主人の命令。『屋敷を、思い出の詰まったここを、己の死体を守れ』。そういったところだろうか。だからこそ彼は凍らせた。誰もここを損ねられないように。
ただリュコスの主には誤算があった。
リュコスの精神が、磨耗していくということだ。
アルベドたち僕からすれば容易く想像できる未来だったが、リュコスの主は違ったらしい。
主人を失くしたリュコス。何百年も一人で生きた――いや、ただ在った彼。
その精神は狂い始め、死に際に申し付けられた屋敷の警護よりも、生前に、それも特にきつく言い含められた訳でもない『客人は手厚く迎えよ』という言葉を優先してしまった。そして、アインズに出会った。
リュコスがアインズと出会ったという事象を、アルベドは不幸だとは思わない。というよりも、幸運にむせび泣くべきだと考える。
あまつさえ、破綻の近い彼の在り方とは裏腹の、衰えぬ強さに、アルベドの主は惹かれたようだった。
嫉妬で奥歯を噛み砕いてしまいそうだった。御身に最も近しい守護者統括という身分を疎むなど決してありはしないが、あの方直々の勧誘という身震いしそうなくらいに羨ましい行為に、アルベドはリュコスを心底妬んだ。
彼は歓喜に泣き伏し、今すぐアインズに服従するべきだ。アルベドはそう思う。そう思うけれど。
主を亡くし、孤独に狂う姿を、少し――ほんとうに少しだけ、可哀相だとも思う。
アインズは言った。『あの屋敷に夜を齎そうではないか』と。
夜と聞いて、諸人はまず漠然と不安なイメージを抱くことだろう。だが、アルベドたちは違う。夜、即ち闇。ナザリックに所属する者達は、まず至高の御方たるアインズの眼窩を思い起こし、喜悦に背筋を震わせる。
そんなアインズが屋敷に夜を齎すと言った。夜とは即ちアインズ自身。死そのものと言っても過言ではない。
――オーバーロードたるアインズが、夜を、闇を齎す。
その言葉の意味するところは、アルベドたちにとって一つしかなかった。
******
長柄斧が振りかざされる。
避けようとしたが、アルベドの背後から降ってくるデミウルゴスの魔法に阻害され、俺は致し方なく硬化した爪で受け流した。火花が散って氷に落ちる。そんなもので溶けはしないが、俺が受け流した長柄斧が、勢い余って床を叩くのには肝を冷やした。
俺のメインウェポンはドラゴンの牙で作られたトマホークだ。芯には魔法で加工されたアポイタカラが使用されている。ご主人に頂いた自慢の一品だ。
だがあれは余りに破壊力が強すぎる。俺が思い切り振るえば屋敷の大破は免れないだろう。アルベドは俺が自ら攻勢に出づらいのを利用して、ブンブンと信じられない膂力で長柄斧を振り回す。
「がああああああ! どけッ!!」
アルベドが振るうのとは逆方向に長柄斧を蹴り、力が拮抗し硬直した時を狙い、確実に、アルベドだけに袈裟斬りを仕掛ける。まかり間違ってもカーペットには当てたりしない。
太ももの辺りまで切り裂いたが、爪は二ミリも沈まなかった。化け物かこいつは。
「ッチ、デミウルゴス、念のためポーションを」
「一応状態異常も……おや、彼の爪に何らかの付与があるようだ。ある程度耐性があるなら大丈夫だが、気をつけたほうが良い」
視線を巡らせる。
客間には扉が三つある。一つは先ほど俺ごと吹き飛んだいつも使っている一枚。もう一つは俺の背後にある。最後の一つはソファーの下に。
氷漬けとはいっても、俺が屋敷を巡回するためには幾つかの扉を開閉する必要がある。そういう扉の蝶番は凍らせずにしているのだ。
俺の背後の扉には、それをしていない。つまり開閉は不可能。では隠し扉は? ソファーの下という時間をとる場所にあるが、あれはご主人の棺の場所まで一直線に繋がっている。アインズが向かうとしたらあそこしかない。研究資料も概ねはあそこにある。
(隙をついて……いやそんなことを許すような相手じゃない)
乾いた唇を舐め、呼吸を落ち着かせる。憤激に目を曇らせてはいけない。この悪魔共に打ち勝ち、何としてでもアインズを止め、可能ならば殺害する。俺はご主人の命令を守らなければならない。
『命令だ。お前は私の××を××に×××けろ』
「分かってます、ご主人」
貴方に仕え、あなたの願いを叶えることこそが、俺の生きる理由なのだ。
長い……全然オリ主発狂までいかない……現段階で既に6割発狂してましたっていう現状説明しかできてない……
お気に入り200を突破していました。びっくりしました。すごい……なんていうか……ありがとうございます……(小並感)