「じゃあ、お疲れ様です」
「あー、お疲れさん」
ジムのトレーナーさんと挨拶を交わして、その場を去る。お腹が減ったので、途中で何か食べてから帰ろうかな。じゃあオカンに電話をしておこう。
「あ、オカン。俺だけど夜飯いらんわ」
『オレオレ詐欺はやめてよ』
「そんな訳ねぇだろ」
『冗談だよ。了解。じゃあね、愛してるわよ。響』
「気持ち悪いわ」
『響』、とは俺の名前である。苗字は『真野』。
日が落ちて、ビルの明かりが町を照らす。夜だというのに、活気にあふれておりその町が眠る様子はまだない。
オカンに連絡もしたから、牛丼でも食べようかな。結構ガッツリ行きたい気分だし。
適当なチェーン店に入ってカウンター席に座る。牛丼の大盛りを頼んだら、携帯を取り出す。が、素早く牛丼が出てきてしまった。ありがたいけど早すぎない?
携帯をカウンターの上に置いて、牛丼を口に放り込む。牛肉にタレが染み込んでてとても美味しい。
トレーニングをした後でお腹が空いていたのも相まって、大盛りを直ぐに食べ終えてしまった。
「ごちそうさまです」
「ありがとうございましたー!」
店員の元気のいい接客を聞いた後、店を出る。七月半ばだが夜だとやはり若干肌寒い。時々吹く風が気持ちよかった。
ビルが立ち並ぶこの街は人工的な光で明るく感じる。しかし、人工物の光が差さない場所も当然ある。ビルとビルの隙間は影になっており、文字通り一寸先は闇であった。
裏路地は勿論暗い。当たり前なのだが、吸い寄せられてしまう。導かれるように、惹かれていくように。
道は細い。その細さと暗さがマッチして絶妙な恐怖を煽る。どれだけ歩いたかも分からない。細くて奥深い道を歩く。これぞ正に奥の細道。
何メートルか先だろうか。ぼんやりと灯りが見える。暗闇で慣れていた目には少しばかり刺激的だった。
やがて光の先を越えた。そこに広がるのは現代の日本で見ることの出来ない、とても幻想的な原風景。
木に囲まれた森だろうか。上を向くと満天の星空で一杯であった。その景色に流石の俺も感嘆せざるを得ない。
「……すげぇな」
確かに凄い。俺みたいに擦れた現代人には勿体無い景色である。
しかしどうしてここに着たのか、理解できない。唯でさえ頭の悪い俺が地理など理解できるはずも無く、街を出たらこんな景色が広がっているとは思わなかった。……普通に考えたらありえないよね。
不審に思い、先程まで歩いていた道に目を向けようと振り返る。何も無かった。
ビルとビルの隙間から歩いてきたはずなのに、そこにあるのは歴史を感じさせるような樹木だけだった。
……あ、え、な、何で。
「どうして何も無いんだよおおぉぉぉおおおッッ!!」
*
数時間が経った。携帯は圏外、場所の特定は不可能に近い。連絡を取る事も出来ず、練習の疲れも出て普通に眠い。
まさか遭難? 冗談でしょ? 俺こんなところで死にたくねぇぞ。
こんな時こそ焦ってもしょうがない、とは言うが普通に焦る。何の宣言も無しにこんな森にほぼ素寒貧で放り出されて焦らない奴なんかいない。
夏だというのに、気温はとても低い。パーカー一枚でどうにかなるとも思えない。神でも妖怪でも何でもいい。誰か、誰か助けてくれ。
俺の願いを叶えたかのように後ろから草木が揺れる音がする。唐突な音にびっくりしてしまったが、近くに誰かがいる。それだけが俺の命綱である。
喜びの笑みを浮かべながら、振り返る。
「…………あ、あ?」
声は出る。頬を抓っても痛い。目の前は現実。
そこにいたのは大きなムカデ。現実ではありえないバケモノが俺の前でとぐろ巻いていた。恐怖のあまり、腰が砕けて地べたに座り込む。
怖くて、恐くて、コワかった。
ムカデは俺を品定めするように色々な角度から俺をにらみ続ける。その間俺は何もしない。否、何も出来なかった。
やがて満足したムカデは口を開けながら、俺の頭に噛り付こうとにじり寄る。俺はしゃがんだまま何も出来ずにその光景が終わるのを、俺の命が終わるのを、唯眺めていた。
……い、嫌だ。死にたくない。当たり前だ。俺はこれから一杯楽しいことをするんだ。何でこんなところで死ななきゃいけないんだ。
体は震える、でも立てる。恐怖で奥歯がなる、でも拳は握れる。相手は俺の数倍大きいバケモノだ、でも殺す。
「――こ、来いやァ、バケモノがああァァァああッ!!」
大声を張り上げる、一時は飲み込まれた恐怖を振り払うために。
ムカデは先程と違う俺の様子に怒っているのだろうか、聞き取れないような音で俺を威嚇する。に、しては視線が俺ではなく、俺の後ろに向かっている。
だけど、目の前のムカデから目を離すのは得策ではない。目を離さず、ムカデの一挙手一投足に気を配る。絶対に無駄死にはしない。吠え面かかせてやる。
「体は震えてるけど、かっこいいじゃない。少年」
声色は女性である。後ろにいるであろう女性は俺に声を掛ける。しかしそんな余裕も無く、無視をしてムカデを見つめ続ける。
ため息がこぼれた。俺ではなく、後ろの女性がため息をついていた。
「無視はよくないぞー。私だって慣れているとはいえ、悲しいんだからな」
知らんわ、そんなことに気を配れるか。こっちは殺すか殺されるかの瀬戸際だっての。……殺すのは無理でも一矢報いてやる。
そこで嫌な臭いに気付く。この臭いは……何かが燃えているのか?
目の前のムカデから黒い煙が吹き出ている。星の明かりで照らされていた巨躯なムカデはいつの間にか黒焦げの炭と化していた。
誰がやったか、決まっている。後ろの奴だ。振り返る。
「お、やっと振り返ったか。お姉さん寂しかったぞ」
足元まである長く、そして綺麗な白髪。白地に赤の入った大きなリボンと、毛先に小さなリボンが複数付いている。カッターシャツを羽織っており、下は赤いもんぺを履いていた。深紅の瞳はこちらを捉えており、笑顔をこちらに向ける。
「ごめんね。早く話したかったから先に殺しちゃった。……大丈夫?」
「あ、いや、はい。大丈夫です」
「敬語じゃなくてもいいよ。こんな所で一人なんていったい何してるのさ。私がいなかったらアンタ死んでたよ?」
「道に迷っちゃって……ここどこすか?」
「何その口調。まあいいや。で、アンタの問いに対する答えだけど、私も知らない。何故なら私も迷っているから」
「マジかい……」
「ま、マジ……? アンタは時折分からない言葉を使うね」
え、カタカナが通用しない? 確かに現代の日本にいるような服装ではないけど、コスプレイヤーだと思っていたんだが。聞いてみるか。
「すみません、その服装はアレ? コスプレ?」
「こすぷれ、ってのはよく分からないけど、この服装は普通にあったりするよ。で、こすぷれってのはどこの言葉?」
「あー、一応外来語、いや日本語でいいのか? んー、分からん」
「日本? ……あ、日ノ本のことか。お前は難しい言葉を知ってるな」
絶妙に会話がかみ合ってない。どういうこと?
現代人がコスプレという単語を知らないのは普通に考えたらそう無いだろう。しかも日ノ本って言ったぞ。このお姉さん。
いつの時代だよ。しかもその服装も自前の服だと言い張るし、頭がこんがらがってきた。
「お、おい。大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。じゃあお姉さん。最後に一つ聞きたいんだけど、今の年号って何?」
「年号……ってのは分からないけど、今は平安ってよく聞くよ。私は世間に疎いからね」
「は、はは、嘘ー。そりゃないぜ……」
「どうした? 私間違ったこといったか?」
間違ってくれていたらどれだけいいか。
俺は過去にタイムスリップしてしまった……?
「あ、ありがとう。お姉さん。助かったよ」
「足元ふらついてる状態で素直にさよならーなんて言えるか。私の寝床に行こう疲れてるみたいだし」
「それは助かる。ちょっと……ねむ、かったん……だ」
「おい! 大丈夫……か。眠っちまったか。まあ無理ないか。妖怪に襲われて命からがらって所だもんな」
誤字脱字訂正あったら報告お願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。