隣の席のチャンピオン 作:晴貴
清澄に変な男子がやって来た。
その男子、見汐太陽君を見かけたのは放課後。普段授業が行われている校舎を出て、麻雀部の部室がある旧校舎へ向かっていた時だった。校門の方から清澄高校のものとは異なる制服の男子生徒が歩いてきた。
太陽光を浴びて輝く、色素の薄いアッシュブラウンの髪。それをワックスで無造作に整えたショート気味のヘアースタイルはよく似合っていて、普段からしている手慣れた格好なのだろうと分かる。
さらにすっきりとした耳元には清澄高校でなら校則違反となるピアスをしているのも見て取れた。
長野県中の高校を探しても見つかりそうもない、絵に描いたような都会の男子。少なくともこの辺りの人間ではないだろうと、その雰囲気から察せられた。
失礼を承知で言わせてもらうと、とても怪しい。だから学生議会長という立場の人間として声をかけずにはいられなかった。
そして話を聞けばわざわざ東京から長野くんだりまで足を運んだのは友達に逢いに来たからだという。それだけならそういうこともあるかと思ったけれど、その相手が私の部の後輩、宮永さんとなれば話が変わる。
宮永さんは気弱で大人しく、若干人見知りをするような性格の子だ。男子と接するのもあまり得意ではなく、中学時代からの友達だという須賀君以外の男子と話しているところは見たことがない。
そんな彼女が、こんな見るからにチャラチャラした男子と関わり合いがあるだろうか。当然、不信感を覚えた。
どうしようかと逡巡する。けれど今の状況は私が一方的に見汐君を怪しんでいるだけで、彼と宮永さんは本当に友達なのかもしれない。少なくともここで拒否したり追い返したり、という手段を講じるべきではないだろう。
だから万が一に備え私が目を光らせていればいい、と同行を了承した。そんなわけで彼を麻雀部の部室まで案内したわけだけれど……。
「部長、その人誰だじぇ?」
部室に到着すると、部員の一人である片岡優希が尤もな疑問を発した。彼女以外の部員も声には出さないが、見知らぬ男子生徒を前に首を傾げる。その中には友達であるらしい宮永さんも含まれていた。
「こちら東京からやって来た見汐太陽君。宮永さんのお友達らしいわよ?」
「ええ、私のですか!?」
突然話題を振られて驚きを隠せない宮永さん。なんとか思い出そうとしているのか見汐君の方へ遠慮がちに視線を向けてはそれを下に落とすという動作を繰り返す。そして申し訳なさそうに白旗を宣言した。
「ごめんなさい、思い出せません……」
「ということらしいけど?」
「そりゃそうだ。初対面だし」
「へ?」
その間の抜けた声は宮永さんのものだったけど、恐らくほかの部員も同じような心境だっただろう。
「……あなた、さっき宮永さんの友達だって自分で言ってたわよね?嘘ついたの?」
「ついてねぇよ。俺は今日、宮永と友達になりにきたんだ」
「はい?」
「今から友達になれば『友達に逢いに来た』って言葉は嘘じゃないだろ?」
まるで悪びれる様子もなく、むしろしてやったりな表情でとんでもない暴論を吐く見汐君。頭が痛い。
「なんかすごい人やの……」
まこも頬を引きつらせながら苦笑している。いや、すごい人というか……。
「何、あなた宮永さんのファンなの?」
もしくはストーカー?いえ、ストーカーがここまで正面切って乗り込んでくるとは思えないしやっぱりファン?
いやいや、ファンでも友達になりにきたとは言わないような……ダメだ、見汐君の真意がさっぱり読めない。
「このチンチクリンにファン!?和のじゃなくて!?」
「ちょっと京ちゃん!どういう意味!?」
「お二人とも、ちょっと落ち着いて……」
言い合う宮永さんと須賀君の間に和が入って場を収めようとする。うちの部ではよく目にする光景だ。
それを見ていた見汐君は、小さな声で呟いた。
「見た目は似てるけど性格は結構違うんだな」
その目は宮永さんを捉えていて、彼女と、彼女に似ている誰かを重ね合わせているようだった。そして宮永さんに似ている、と言われて真っ先に思い浮かぶのは――
「まあいいか。はいはい、ストーップ!」
見汐君がパンパンと手を打ち鳴らす。
そうすることで全員の注目を自分に集めた。
「一応弁解しておくと俺は宮永のファンってわけじゃない。そして友達になるのは宮永じゃなくても構わない。この部の部員でなら誰でもいいんだ」
「どういうこと?」
「あー、話すと長くなるんだけど、まずは単刀直入に聞くぞ。君達、宮永照と麻雀打ちたくない?」
一瞬、彼が何を言っているのか分からなかった。
宮永照。それは全国優勝するためには絶対に避けられない、高校麻雀界のトップに君臨する者の名。そして、宮永さんが目標とし、全国で戦うことを切望している実の姉の名。
これに宮永さんが食いつかないわけがなかった。
「お姉ちゃんのお知り合いなんですか!?」
「知り合いってかクラスメイトね。はいこれ証拠」
雀卓の上にポイッと無造作に放り投げられた学生証。その表紙には全国高校麻雀選手権を連覇中である『白糸台高校』の文字と、見汐君の証明写真。
彼は本当に白糸台の生徒らしい。
「……あなたが白糸台の生徒だとして、どうして宮永照と麻雀を打つことに繋がるのかしら?」
「俺は文化祭実行委員でさ。今年の出し物がたこ焼きだのお好み焼きだのに偏ってていまいちパッとしないんだわ」
「なんの話?」
「まあ聞け。そこで俺はこう思った。なら自分達のクラスでちょっと変わった企画をやればいいじゃん、ってな。そして開催するのがこれだ」
そう言って、今度はカバンから一枚のチラシのようなものを取り出して、また卓上に置く。
いかにも手作り感満載なのは高校の文化祭らしい。そこに記されていたのは『麻雀喫茶』という、清澄高校の麻雀部員にとっては割りと馴染みのある四文字。
そのチラシによると飲み物や軽食を取りながら自由に麻雀を打てるという企画らしく、もし面子が足りなければクラスの生徒が卓に入ってくれるとも書いてある。
「クラスの出し物だから当然宮永も出る」
「つまり白糸台の文化祭に行けば宮永照と麻雀が打てるってわけね」
「そういうこと」
「どうしてそんなことをさせたいのかは分からないけど、それは無理よ。清澄も白糸台もそれぞれ代表校として全国大会への出場が決まっているの。大会の規則で代表校同士が試合をするのは禁止されているわ」
そう、見汐君の真意はどうあれ大会のルールで全国に行く学校同士では試合ができない。王者・白糸台はもちろん、私達清澄もつい先日決勝で風越や龍門渕を破って全国大会への出場を決めたばかり。見汐君の提案は無意味なものだ。
けれど彼は笑みを深める。
「まあそれはそうなんだけど。でもこれは麻雀部なんて関係ない、ただの学校行事なんだよ。宮永はクラスの一員として参加するだけだし、君達は単に招待されてたまたまうちの文化祭に来るだけだ。“俺の友達として”な」
……なるほど、友達になりに来た、というのはそういう意味か。
そして友達になるのは宮永さんにこだわらないという理由も納得できた。見汐君も中々悪知恵が働くタイプらしい。
「要するに見汐君は私達の誰かと友達だっていう建前を作りに来たのね」
「理解が早くて助かる」
宮永さんは白糸台の生徒として文化祭に参加する。私達は見汐君に招待されて遊びに行く。
そこでたまたま『麻雀喫茶』を見つけ、その席に着くのがたまたま宮永照だった、というだけの話。清澄と白糸台、どちらの麻雀部も関与していない、という状況が偶然にも揃うわけだ。
「『高校生一万人の頂点』。その実力を全国の本番前に味わえるのは大きな経験になるんじゃないか?」
「……ええ、そうね。実に魅力的な提案よ」
思わず心が揺れてしまうほどいやらしい誘惑だ。
けれど、それでじゃあお願いしますとはいかない。見汐君の話に乗ったとして、絶対確実に安全というわけにはいかないだろう。何よりも不気味なのはそうすることで彼に何の利益があるのか全く分からないという点。
「でも大会の規則に抵触するリスクは負わなければいけない。そこまでの危険を冒す理由があるのかしら?」
「それは――っと、悪い。電話だ」
見汐君の言葉を遮るように着信音が鳴る。彼はポケットからスマホを取り出すと、その画面を見て顔をしかめた。
「げ、このタイミングで電話かよ、宮永の奴」
何気ない見汐君の呟きに全員が息を呑む。なにせあの高校チャンピオンから電話がかかってきたというのだ。
自分達が会話をするわけでもないのに部室に緊張が走る。特に宮永さんはどうしたらいいかオロオロしている。
しかし見汐君はそんな空気に構うことなく、数秒だけ逡巡した後、電話を取った。ただし電話口の声が私達にも聞こえるようにしながら。
「よう、どうした?」
『小旅行に行ったっていうから、今どこにいるのかと思って』
「当ててみ。ヒントは自然が豊かなところだ」
『……樹海?』
「そんな殺伐とした小旅行があってたまるかよ」
宮永照は自然豊かと聞いて樹海を連想するらしい。そんな一生使いどころの無さそうなトリビアを得る。というか同級生が学校のある平日に小旅行に行ったなんて事態をずいぶんあっさりと受け止めているような……。宮永照の器が大きいのか、はたまた見汐君の行動がいつも突拍子のないものなのか。なぜだろう、後者のような気がする。
一方で宮永さんは迷った末に、前のめりになって電話から聞こえてくる声を一字一句聞き漏らすまいとしていた。声の主は本物のお姉さんなんだろう。
『それでいつ帰ってくるの?』
「今日中の予定。夜遅くなるけどな」
『そう。じゃあ明日のお弁当は用意しておく』
「おー、いつもありがとな」
お弁当?宮永照が?見汐君に?
ものすごく手慣れた感じで話してるけど、もしかして二人ってそういう関係なのかしら。え、じゃあ今私達は恋人同士の会話を聞かされてるの?
見れば宮永さんは意外そうな、そして他の子達は気まずそうな表情をしている。当然だ。カップルを通り越して、もはや新婚夫婦みたいな会話を聞かされてどんなリアクションをすればいいというのか。
「あ、そうそう。話変わるんだけどさ」
『何?』
「宮永の妹のこと。ちょっと調べてみたんだよ」
なんて思っていたら、今度はいきなり宮永さんの核心に迫るような話題になった。トークの振り幅が大きすぎる。ジェットコースターか。
ああ、宮永さんが今度は震え出した。感情が整理できなくて大変なことになっている。和、支えてあげて。
「そしたら宮永の妹大将じゃん。先鋒のお前と戦えなくない?」
『……本当に?』
「こんな嘘つくわけないだろ」
『普通ならエースは先鋒のはず。どうして咲が大将なの?』
「いや、俺に聞かれてもな。清澄の先鋒が妹より強いんじゃねぇの?」
そんなセリフに優希の肩がビクッと跳ねる。
うちの先鋒が優希なのは、彼女が点数移動を計算できないからという理由で選ばれた、ただの消去法なんだけど……。
「てかなんで気にかけてる妹のこと調べてないんだよ。たぶん今なら俺の方が近況に詳しいぞ」
そりゃまあこうして直接会いに来てるくらいだものね。よくよく考えるとかなりぶっ飛んだ行動だわ。
それにしてもこの口振りだと見汐君は宮永照に内緒で清澄までやって来たようだ。本当に彼はどういうつもりなのか。
『父さんから咲が高校でまた麻雀を始めたって聞いて、あの子なら絶対に先鋒を任されると思ったから……』
「相変わらず変なところで抜けてんな。けどまあ団体がダメでも個人があるし、そっちで期待したらどうだ?」
『……咲は人と競うのがあまり得意じゃないから個人戦で勝ち上がるのは難しい。チームのために戦える団体戦が咲に一番合ってる』
仲は疎遠だと聞いていたけど、さすがに実姉だけあって宮永さんの性格をよく分かっている。
その分析は正しい。宮永さんが最も力を発揮できるのは間違いなく団体戦だ。
反面、個人戦では今一つな試合が多い。原因は闘争心の無さというか、どうしても一歩引いてしまうところがある。それでも県三位に食い込んだのは宮永さんの実力を裏付ける結果だったが。
『それに個人戦には憩も出る。私より先に憩と当たったら……』
「えーい、うろたえるな。憩ってのがどこぞの誰かは知らんけど、宮永は姉らしく、妹のこと信じてドーンと構えて待ってりゃいいんだよ」
『咲を信じて……』
「ああ。強いんだろ?お前の妹は」
『……うん、強い』
「なら大丈夫だ。他ならぬ
そう返しつつ、見汐君は宮永さんに笑いかけながら親指を立ててサムアップのポーズを向ける。
これが見汐君なりの、宮永さんへの激励なのだろう。
不思議な人だ。よく分からない、知りもしない相手なのに、その言葉や行動が胸に響く。力を与えてくれるような気がする。今日初めて出会ったばかりだという事実を忘れそうになる。
その後見汐君は二、三言交わして通話を切った。そして何事もなかったかのように話を再開する。
「んで、なんだっけ?ああ、俺がここまでする理由だったな」
「ええ、聞かせてもらえる?」
今のやり取りでなんとなく予想はついていたけど、私はあえて見汐君の言葉を聞くことを選んだ。
「何も複雑な事情があるわけじゃない。ただ、宮永が妹と麻雀で勝負したがってるってだけだ」
「お、お姉ちゃんが私と……?」
「ああ。理由は本人が語るべきだろうから俺は言わないけど」
宮永さんの言動から、姉妹の間に確執があるのは知っていた。そして宮永さんはそれを解消したいと願い、その想いを原動力にして全国の舞台まで辿り着いた。
でもそれが一方的なものではなく、宮永照も妹とのわだかまりを解消したいと思っているのだとしたら。お互いが全国大会での対戦をその契機にしたいと考えているのかもしれない。
しかし今のままではその望みが叶う可能性は低い。だからその機会を作るために、見汐君はわざわざこんな手の込んだことを……?
そう思い至ると、お腹の底から笑いが込み上げてきた。それをすんでのところで堪える。
まったく、世の中にはこんな人もいるのね。仲違いしてしまった姉妹を仲直りさせるために大会の規則をかい潜り、文化祭の企画を立ち上げ、遠路はるばる長野までやってくる。誰かのために、こんなに懸命になれる人がいるなんて。
楽しくて、嬉しくて、微笑ましくて、ちょっとだけうらやましい。
「宮永さん、あなたはどうしたい?麻雀を打ちたいの?お姉さんと」
「……はい、打ちたいです!だから、行かせてください」
やれやれ、そんなに目を輝かせられたらダメなんて言えないわね。
「止めはしないわ。思い切りぶつかってきなさい」
「ありがとうございます、部長!」
「なんか宮永だけ行く感じになってるけど、一応全員分の招待チケットあるからね?どうせなら団体で来て売り上げにも貢献してってくれよな」
見汐君が半券付きのチケットを私に手渡してくる。
十枚はあるようだ。部員全員分を合わせてもお釣りがくる。他にも誰か誘ってみようかしら?
「抜け目ないのね」
「一石二鳥っつーんだよ」
軽口を交わし合い、ふと、ついさっきまで怪しんでいた見汐君に心を許していることに気が付く。
人を食ったような言動だけど、一番食えないのは彼自身なのかもしれない。建前なんて気にしなくていいや、という気にさせられる。
「ねえ見汐君」
「なんだ?」
「お友達になりましょうか」
そう言って、私は右手を差し出した。
建前上なんかじゃなくて、本当の友達になるために。見汐君は一切迷うこともなく私の右手を握り、そして笑った。
「よろしくな、竹井」
「ええ、こちらこそ」
しっかりと握手を交わす私達。その光景を見て、まこは「どえらい危険なコンビが誕生してしまった気がするのう……」と呟いていた。
人をからかう、という点において他の追随を許さない太陽と久でその場をかき回す話をいつか書きたい。