隣の席のチャンピオン 作:晴貴
右耳の内側をカリカリと優しく、丁寧になぞられるような感覚に、少しゾワゾワして肌が粟立ちそうになる。
だがそんな感覚よりも顔の左側。宮永の太ももに、スカート一枚を隔てて接している部分のぬくもりの方が俺の体を強張らせる。
「痛くない?」
「ああ。むしろ気持ちいいくらいだな」
「よかった。初めてだから失敗したらどうしようって思った」
「耳かき失敗とか怖いこと想像させないように」
なんて軽口は叩くものの、失敗云々より気が気じゃないことがある。
手作りだから仕方ないのかもしれないが、スカートの生地は薄めだった。エプロンドレスも同様だ。
そのせいで宮永の太ももの温度と柔らかさがかなり生々しく感じ取れてしまう。そしてそれは同じ人間かよと思うくらいには衝撃的な感触だった。
でもそんなのは考えてみれば当たり前のことかもしれない。
つついた頬や、繋いだ手。これまで俺が触れたことのある宮永の体は、どこもかしこも男とは別物の柔らかさだった。
それを今更ながら思い出す。そして本当に今更ながら、改めて思う。
――宮永も、やっぱり女なんだよな。
失礼この上ないと自分でも思うが、俺にとっての宮永はもう異性という認識が介在しないくらい、ほとんど家族とか漫画でよくある兄弟同然の幼馴染みみたいな存在になってた。
最初はただのクラスメイトで、でもその人間味を知ってからはとにかく面白いやつだってことが分かった。だからよくからかったりしてる内に、いつも傍にいることが普通になっていた。
そして思い返せば白夏との出会いが俺と宮永の距離をそれまで以上に近付けた。
朝起きたら宮永が家にいて、白夏と戯れていても驚かない。家のキッチンで料理を作ってくれることを簡単に受け入れられる。俺の部屋で居眠りしたのを見つけた時だって、何やってんだかって苦笑いしながらタオルケットをかけてやった。
そんな気心知れた宮永との関係性が心地よかった。
だから宮永を女の子だと、異性だと意識しないようにしていた……のかもしれない。意識してしまえば宮永との関係性が変化してしまうような気がしていたとか、そんな感じの心理じゃなかろうか。
そんなあやふやな言い方になるのは無意識でやってたからなのか、過去を振り返ってみてたところで自分でもはっきりとした答えが出ないからだ。
ただ一つだけ言えるのは、俺は今、間違いなく宮永を異性として意識している。
膝枕されるまでそんな簡単なことを自覚できなかったのは我ながら相当なポンコツだと言わざるを得ないが、それを自覚してしまったからこそ、俺の心臓はあり得ないくらい早鐘を打っているわけだ。
宮永のぬくもりが、耳に触れる指先の感触が、規則的に聞こえる微かな息遣いが、俺の心をこれでもかとかき乱す。
「終わった」
「ん、ありがとよ」
そんな至福なんだか苦行なんだか判断が難しい時間もようやく終わりを迎えた。時計を見れば十分もかかってなかったが、俺にとっては長く感じる時間だったのは言うまでもない。
今は宮永を直視するのも難しいのでここはひとまず退散して気持ちを落ち着けよう。
そう思った。
「次は反対側」
思ったが、退散できなかった。
そうだよなぁ、耳って二つあるもんなぁ。片方だけじゃ終わんねーか。
そういう理屈はまあいい。けどさ宮永。
「場所入れ替えねぇの?」
「?」
「いや、首傾げてるけど」
今、俺はソファーの右端に座っている。そして一人分のスペースを空けて、左端に宮永が腰かけている。だというのに宮永は座ったまま、また自分の膝をポンポンと叩くだけ。
三人がけのソファーだしお互いの体の位置を入れ替えないと左耳の掃除はできない。
そう説明すると、宮永はそんなことかとばかりにこう言った。
「見汐君が私の方を向いて横になれば大丈夫」
宮永の方を向いて?あー、それってつまり……。
「……こういうことか?」
「そう。動かないで」
メイド服のエプロンドレスによって視界が白く染まる。そして耳掃除のためにやや前傾姿勢を取るため、宮永の腹部が鼻先に軽く触れるくらい密着してしまう。
抵抗を示すことなく横になった俺が言えたことじゃないけど、これはさすがに……。
ぬくもりや感触に加え、今度はほのかに甘い香りまでしてくる。これは服の匂いなのか、それとも……いや、これ以上考えるのは止めとこう。
というかこれって傍目から見たら俺すごく間抜けな体勢じゃないか?
宮永に頭を抱き抱えられているようなもんである。しかも宮永はメイド服。特殊なプレイの最中だと思われても言い逃れできねぇわ。万が一アイさんに見られたらどうなることか。
しかし現役JKコスプレ耳かきリフレとか犯罪臭がヤバいな。
「……お金は取れそうだけど」
「どういう意味?」
ついつい漏れた言葉を宮永に聞かれる。意味なんて正直に言えるわけがなかった。
当たり障りのない感想で誤魔化す。
「あー、お金取れるくらい気持ちいいってことだよ」
「お金はいらない」
「まあそうだろうけど」
宮永がそんなことしておこづかい稼ぐわけないしな。どっちかっていうと雀荘で代打ちとかしてた方が似合う気がする。
雀荘で勝ちまくってたら店の奥から宮永が出てくるとか、想像したら絶望感しかないな。
「だからしてほしくなったら言って」
「……んん?」
「またするから」
「お、おう」
どうやらこれからはリクエストしたら耳掃除をしてくれるらしい。
何そのサービス。オプションで服装とか選べそうだな。
「なんか俺ばっかり色々してもらってるな」
「私がそうしたいだけ。気にしなくていい」
とは言われても。今日だって明日の衣装届けに来ただけで夕飯をご馳走になった挙げ句、ここまで世話を焼かれる身にもなってみろ。
なんかこう、やり返したくなるだろ。
「なあ宮永」
「何?」
「前に俺が『猫カフェの従業員は必ずメイド服を着なきゃいけない』って言ったの覚えてるか?」
「覚えてる。でも、あれは嘘」
「さすがにバレてたか」
「うん。バレバレ」
嘘つけ。あの時は普通に騙されてたくせに。
お前の騙されやすさは大星とどっこいどっこいだって俺は思ってるからな?そんなんがエースと大将に座っててなんでうちの麻雀部はあんなに強いのかね。
麻雀って騙し合いとか裏のかき合いが必要なんじゃないっけ?
「そうか。じゃあ嘘ついたお詫びに今度猫カフェ連れてってやるよ」
宮永の手が止まった。耳かきも離れる。
自分でも下手な誘い方だと呆れるな。普段ならもうちょっと自然に誘えそうなもんだけど。
若干の名残惜しさを感じつつ体を起こす。
「……いつ?」
「そうだな。大会前に休みはあるのか?」
明日から二日間の白糸祭を終えたらすぐ夏休みに入る。そして八月になれば全国高校麻雀選手権大会の開幕だ。
一応十日くらいの余裕はあるが、白糸台の麻雀部に休みがあるのかどうか。
「ある。八月二日はお休み」
「大会の直前じゃん。大丈夫なのか?」
「問題ない」
「……じゃあその日に大会前のリフレッシュも兼ねて行ってみるのはどうよ?」
「行く」
即決だった。まあ宮永の猫好き具合を見てれば納得である。
しかし学校帰りに寄り道したり夕飯の買い物の荷物持ちしたりってのはよくあるけど、宮永と二人でどっか遊びに行くってのは初めてだよな。
そう思うとなんか緊張しないでもない。
緊張する理由についてはもうある程度予想はついてるけど。
ここまでくれば、なのか。ここまできてようやく、なのかは分からないが。
まあどちらにせよ、恐らくそういうことなんだろう。遅ればせながらこの歳になって初めて知る。
誰かを好きになるってのは、こんなにも落ち着かない気持ちになるもんなんだな。