隣の席のチャンピオン 作:晴貴
時間軸は文化祭から半年後。
未来の二人がどうなっているかというネタバレ要素が含まれているので、それが嫌な方は全力回避をお願いします。
そんでもってほんのちょっっっとだけ性的な表現もあるので、そういうのが嫌な方もUターン推奨です。
まあ本当にちょっとだけ、軽めも軽めですけどね。
大きなあくびを一つ。それだけで冬の冷たい空気が肺になだれ込み、まだまだ寝足りない頭を少しだけシャキッとさせてくれる。
まあそれでも眠いもんは眠いんだけど。
スラックスのズボンにTシャツ。その上に学校指定のYシャツとネクタイを身に付け、さらにカーディガンを着込む。
右脇にブレザーとコートを抱え、左手に通学カバンを持って部屋を出る。
リビングに入るとまずもって照があいさつをしてきた。
「おはよう、太陽君」
「おーう」
時刻は朝の七時半前。
なんでこんな時間から照がいるのかといえば、夕べ家に泊まったからだ。といっても寝たのは沙奈の部屋でだが。
昨日は照と沙奈がバレンタインのチョコ作り白熱してそのまま泊まることになったというだけの話だ。ちなみに九割方沙奈がご教授を賜っていただけである。
「太陽君、これ……」
あいさつもそこそこに、照が後ろ手に隠していた、綺麗なラッピングが施された長方形の箱を差し出してきた。
え、このタイミングで?俺まだ心の準備できてないんだけど。
「早くね?」
思ったことがつい口に出る。それに反応したのは沙奈だった。
人差し指を左右に振りながらちっちっちっ、と舌を鳴らす。
「お兄ちゃんって毎年義理チョコはそれなりにもらってくるでしょ?」
「まあな」
マジで義理だけどな。
「だからこそ!一番最初にあげるのは照さんでなきゃダメ!」
「うん……それに、私のはちゃんと本命だから。受け取ってくれる?」
少し恥ずかしそうに、でもしっかりと俺の目を見ながら照はそう言った。
当然、世界のどこを探したって断る理由なんぞ見つかりっこないのでありがたく受け取る。
「ありがとな。これからもよろしく」
「私の方こそ、よろしくお願いします」
「いやー、朝から見せつけてくれるわねぇ」
俺と照のやり取りを眺めていた母さんがコーヒー片手にニヤニヤしている。
「見世物じゃないんですけど?」
「顔真っ赤なままよ、太陽」
「うっさい。さっさと仕事に行っとけ」
「はいはい」
母さんは仕方ないわね、と言いたげな苦笑を浮かべながら仕事に向かって行った。
数日はこの件でからかわれるな。まあ照からの本命チョコの代償と考えれば圧倒的プラスだからどうでもいいか。
「照さんが渡し終わったから私からもあげるね。はいどーぞ!」
沙奈が朝食のラインナップに昨日作ったチョコを並べてくる。これをおかずに白米食えってか?
というか、昨日の時点で沙奈の失敗作を延々食わされてるんだけど。
「ホワイトデー期待してるね!」
「それが目的かよ」
いやまあこれに関しては毎年のことだけどさ。今年は何を買わされんだろ……。
我が家は朝からにぎやかなことこの上なかった。
それでも家から一歩出ればいつも通りの朝だ。
気温は一ケタ前半。放射冷却によって冷え込んだ朝の外気に晒されて体が軽く震える。雪国の人間には気温がマイナスじゃないくせに何言ってんだって難癖つけられそうだけど、こちとら生まれも育ちも東京なんでこれくらいでも結構身に染みる。
「うおー、
「はい」
当たり前のように差し出される照の右手。それをいわゆる恋人繋ぎのかたちで握ると、そのまま俺が着ているダッフルコートのポケットに突っ込んだ。
これがかなりあったかいし、何かをする時も手袋をしてるより作業がしやすいのでオススメである。なのでここ最近の登校スタイルはもっぱらこれだ。
一つのマフラーを一緒に巻いたりしてるわけじゃないしこれくらい別に普通だと思うんだけど、案外そうでもないらしく最初はよく呆れられたりした。その最たる人物は弘世である。
「おはよう、二人とも」
その弘世とばったり鉢合わせした。こうして俺達の通学路が駅前通りと合流する地点で遭遇するのは珍しくなかったりする。
「菫、おはよう」
「おっす」
しかしそんな弘世も冬休みに入る前にはこのスタイルには何も言わなくなった。慣れたか、単に注意するのをあきらめただけの可能性もあるな。
「さて見汐、今日はバレンタインデーだが戦果は期待できそうか?」
「もう照からもらってっからどう転んでも勝ち組ですー」
「何?もうか?」
「一番最初にもらってほしかったから」
「なるほどな。そういうことなら気兼ねなく私も渡せる」
そう言うと弘世はカバンから包みを一つ取り出した。
「ありがたく受け取れ見汐。義理チョコだぞ」
「……ありがとよ」
堂々の義理チョコ宣言。ありがたみ半減である。
まあチョコに非はないので頂戴するが。
「ところで照、明日の予定についてだが十一時で大丈夫か?」
「うん。でも本当にいいの?」
「今さら今さら。沙奈も張りきってるしな」
「……ありがとう」
「私達がやりたいからやるだけさ。むしろ見汐と二人きりの方が良かったりしないか?」
「そんなことないよ……それに太陽君はあとで二人きりの時間作ってくれるから」
「ほほう」
「彼女の誕生日を祝うのは彼氏の役目ですし?だからニヤニヤすんな」
そんな感じで駄弁ってる内に高校に到着し、眠気に耐えながら授業を受ける。もう進路も決まってるし出席日数も足りてるから授業に対する意欲は最底辺だけどな。
ボーっとしたまま授業を消化すること四時限分。やっとこさ昼休みになって照と机を並べて弁当を食べる。弁当は当然照の手作りだ。今朝も早く起きて俺ん家の台所で母さんと一緒に作ったらしい。
「失礼しまーす」
騒がしい昼休みの教室にそんな声が割って入る。が、特に注目を集めることもない。
これもまたよくある光景だからだ。俺としてはようやく入室のあいさつをしっかりできるようになったところに成長を感じる。
大星は真っ直ぐ俺達の方に向かってきた。
「やほー!はい、テルー!」
「これは?」
「友チョコ!」
「……ありがとう。これ、お返し」
「やった!大切にするね」
「いや食えよ」
思わずつっこんでしまった。
「えー、でももったいなくない?テルの手作りだよ?」
「食べられなくなる方がもったいないだろ」
「……そうかも!」
しばし考えた後に大星はそう答えた。
アホっぽさ抜けないなぁこいつは。それが癒しのような気がしないでもないけど。
「はい、じゃあ太陽先輩もちゃんと食べてよ?」
「ん?俺にもあるのか」
「特別だからね?義理だけど」
特別なのに義理とは一体……。
つーか大星といい弘世といい、わざわざ宣言しなきゃならんもんかね。まあ照に余計な気を遣わせない為ってのは理解できるが。
俺が照以外になびくわけねーじゃん。
「はいはい」
「それで明日の誕生会だけどさ、私部活終わってからしか行けないよー……」
「それは仕方がない。私は淡が来てくれるだけでうれしいよ」
悲しみに暮れる大星を照が慰める。今まで何度も見てきた光景だ。
照の誕生会は十一時開始予定だし、麻雀部の練習も一時過ぎには終わるからそこまで焦らなくてもいいと思うけどな。慌てすぎてプレゼント忘れたりしないか不安である。
大星は照の慰めも虚しく昼休みが終わるまでめそめそしていた。
そして放課後。この時期の三年生にもなると放課後の学校にこれといった用事もなく、俺は照と一緒に帰る。相変わらず寒いので当然朝と同じように手を繋いでいる。
特にいつもと変わりない帰路。もうすぐ別れ道に差し掛かるというところで照がこんなことを口にした。
「太陽君」
「んー?」
「……これから、私の家にきてほしい」
「いいけど、なんかあるのか?」
「うん。少し」
「なら行くか」
珍しい照からのお誘いである。何の用事かは分からないけど特に予定もないしな。
照と一緒にいられる時間が長いならそれだけで行く意味はある。
通い慣れた照の住むマンション。なんならそこの住人達とも顔馴染みになりつつ今日この頃である。
もう照ん家には俺の着替えとか普通に置いてあるからな。まあ俺の家にも照の私物あるしお互い様だが。
「少しだけリビングで待ってて」
「りょーかい。暖房つけていい?」
「うん」
とりあえずコートを脱いでハンガーに掛け、暖を取りつつ照を待つ。時間にすれば数分のこと。
部屋から出てきた照はどこか緊張した面持ちで現れた。
「あの……」
「どうした?」
「今朝、一番最初にチョコをあげたよね」
「おう、確かにもらったぞ」
「でも、それだけじゃ嫌だから……」
おずおずと、照が包みを差し出す。
「それ、チョコか?」
「うん。太陽君に渡すのは最初も最後も私がいい……こういうの迷惑?」
「全く迷惑じゃないわ。むしろ嬉しいって」
いじらしい彼女である。思えば出逢った時と比べてずいぶん自分の気持ちや考えを表に出せるようになったもんだ。
俺がそれに好影響を与えられてるなら誇らしさすら覚える。
「……それで、このチョコを一緒に食べたくて」
「いいじゃん。食べようぜ」
俺に促されて照が包みを開く。
中に入っていたのはあまり目にしたことのない、ひょうたん型のチョコレートだった。
「面白い形してんな」
一つつまみ上げて口の中に放り込む。
それを噛むとチョコの味が一気に変わった。どうやらひょうたんの丸みの中に何かが入っていたらしい。これは……パイナップルとブルーベリーのフレーバーか?
見た目同様変わり種だな。
「それだと食べ方が違う」
「正しい食べ方とかあんの?」
「うん。まず噛まないで片方を咥えて」
「ほうか?(こうか?)」
ひょうたんの片側を咥え、半分が口の外に出るような形になる。
このままだとなんか間抜けだよな、なんて考えていると、残った片側を照が咥えた。
二~三センチほどの大きさしかないチョコでそんなことをすればどうなるか。答えは明白である。
俺の唇と照の唇がしっかりと触れ合った。
……ああ、こういうやつね。驚きながら頭の片隅ではやけに冷静にそんなことを思う。
照と付き合ってそれなりの長さになる。キスも初めてじゃない。
でもいきなりこんな展開になるとさすがにどぎまぎするというか、はっきり言ってめっちゃ恥ずかしい。それに耐えられずチョコを中程で折って離れる。ビビりと蔑むことなかれ。
「……噛んじゃダメって言ったのに」
「無茶言うなよ。あーもう、すげードキドキしてんだけど」
驚きと、緊張と、あとは愛しさで。割合的には1:1:8くらいだ。
「……太陽君は何味だった?」
「たぶんバナナだと思うけどな……」
ぶっちゃけ味なんて冷静に判別する余裕すらなかった。
「私はイチゴだったから外れ」
「……外れた場合はどうすんだ?」
「これは中身の味が揃うまで続けるものだから……」
今度は照がチョコを咥え、少し突き出すようにして目を閉じた。
……ちょっと君、大胆すぎません?いつからそんな子になっちゃったのかね?
俺もここまでされて引き下がれるほど甲斐性なしじゃない。
歯がぶつからないようにそっと、照の頬に手を添えながらチョコを口に含む。
しばらくそのままでいると双方向から咥えられたチョコレートは体温で溶けだし、それが滴って制服を汚さないようにお互いが舌を這わせて唇を
一旦唇を離し、その中身を告げる。
「オレンジだな」
「私はブルーベリー」
「じゃあもう一回か」
「うん」
俺と照の唾液、そして溶けだしたチョコレートが混ざり合ってじゅるじゅると卑猥な水音を立て、それが脳髄にダイレクトで響くような感覚。
チョコと一緒になって理性や自制心が溶けてなくなっていくのが分かる。それをダメ押しするように、照のほっそりとした両腕が俺の首に回された。
俺のあぐらの上に乗り、向かい合わせに抱き合った体勢でのキス。照の
味が揃う揃わないなんて最早どうでもいい。もう口の中にはチョコなんて欠片も残ってない。それでもキスは終わらないし、味覚は甘さを訴え続ける。もしかしたら照の唾液が甘いのかもしれない。
長く激しいキス。その合間に覗かせる照の
「……照」
「何……?」
お互いに呼吸が荒い。キスと興奮で酸欠不足なのかもしれない。
でもこの息苦しささえ気持ちいい。
「ベッド行こう」
「いい、よ……今日、お母さん帰ってこないから……」
その言葉が最後のトリガーを引いた。
「じゃあ俺も泊まるって連絡するかな」
「それなら、たくさんできるね」
「ああ」
照と恋人になって初めて迎えたバレンタインデーは、こうして暮れていく。
泊りの連絡は、文字通り事後承諾になったのは言うまでもない。
『あ、お兄ちゃん!やっと出た!』
心地よいまどろみの中で迎えた朝。そこから意識を目覚めさせたのは妹の甲高い声だった。
『今何時だと思ってるの!?』
「時間だぁ……?」
まだ万全とは言い難い寝起きの視界。それでも時計の針を読み取ろうと何度か目をしばたたかせる。ぼんやりと見えてきた。
「十一時、五分か……」
『大正解!じゃあ今日は十一時から何がありますか!?』
「何って、照の誕生会……ああ、オッケーちょっと待って状況把握したからマジで少し待ってほんとに」
色々理解が追い付いて急激に焦る。
整理しよう。今日は二月十五日の土曜日で、
問題なのが俺と照の状況である。まず俺達は一糸まとわぬ姿でベッドインしている。
ゆうべはおたのしみでしたね、って言ってる場合か。
とりあえず着替え……の前にシャワー浴びなきゃダメだなこれ。あとは部屋の換気と、ベッドシーツも洗濯しなきゃいかんね。一応乾いてるけどすごいことになってるし。
だってのに照は未だに俺の腕にすがりついたまま寝息をたてている。……そういやほとんど休憩なしで朝方まで頑張ってたもんな。おかげで空腹感もヤバい。
でも一番ヤバいのはこの状況だ。
『中にいるんでしょ?寝坊したことは怒んないから入れてよー』
寝坊は寝坊でも大人の寝坊なんだよ。……いや、大人の寝坊ってなんだ。落ち着け俺。
とはいえ玄関先に沙奈がスタンバっているこの状況で落ち着けってのはかなり無理がある。どうすっかな……と絶望していると電話口の声が変わる。
『見汐か?』
おおう、弘世……。お前も一緒なのか。
「……いかにも、見汐だぞ」
『何も聞かない。一時間後にまた来るからそれまでに支度を整えておけ』
貴方が神か。電話の声に後光が差して見える。どういうことかは俺にも説明はできない。
『いいな?』
「はい」
『……妹はまだ中学生だろう。あまり強い刺激を与えないように』
「仰る通りで」
つーか何があったのかほぼ見抜かれとるなこれ。俺と照はしばらく弘世に頭上がんねーわ。
とりあえず火急の事態は脱した。まずは眠りこける照を起こした。
「おはよう、太陽君……」
「おう。で、いきなりだけど状況説明するぞ」
とりあえずシャワーとシーツの交換、部屋の換気をしつつ身支度を整える。それを一時間以内に済ませなければいけないことを伝える。
「分かったか?」
「うん、分かった」
「じゃあ先に……」
行動を開始しようとした俺の胴体に、照がガッチリと抱きついてくる。
結構きつめの抱きつきだ。
「……あの、照さん?」
「……シーツの交換は、五分もかからない。お風呂も一緒に入れば時間を短縮できる」
「つまり?」
「……意地悪。分かってるくせに」
「いじけるなよ。悪かったって」
抱きついている照の頭を撫でる。きめ細かくさらさらとした髪質は肌に触れていると気持ちいい。それになんとなく落ち着く。
……落ち着いてる場合じゃないけど。ないんだけど。
「まあ、あと少しくらいこうしてても間に合うよな?」
「うん」
夕べだけでも数え切れないくらいしたのに、まるで飽きる気配もなく俺と照は唇を重ねる。ああ、マジで最近
そう思ってるのに俺も照も歯止めが利かない。むしろ求めても求めても全然足りないんだから仕方ないじゃん、って開き直りつつある。
どっちから求めても、どっちも際限なく受け入れてしまう。今でさえあと一回くらいなら平気かな、とか口に出してしまいかねない。
結局一時間経っても支度は終わらず、二人揃って弘世からガチ説教を受けることになるのだった。