隣の席のチャンピオン 作:晴貴
見汐が監督室を出て行ってすぐ、扉一枚を隔てた向こう側からにぎやかな声が聞こえてくる。
思わず呆れてため息が出そうになるが、しかし代わりに浮かんだのは苦笑だった。良くも悪くも見汐太陽という生徒はいつも騒ぎの中心にいる。
そしてそれは隣にあの宮永照がいても変わりない。
私が彼女――宮永照と出会ったのは教師生活五年目の春。監督を務めていた白糸台高校の麻雀部に宮永が入部してきたのがきっかけだった。
一目見て理解した。彼女は物が違う、と。
現役時代は国内ランク三桁。二桁の順位なんて夢のまた夢ではあったが、それでも七年間プロという舞台で戦ってきた身だ。小鍛冶プロを始め本当に同じ人間なのか疑いたくなるような雀士とも対戦してきた。
宮永に感じたのはそんな彼女らに匹敵しうる、周囲から隔絶した天賦の才。麻雀界ではよく「牌に愛される」という表現が用いられるが、彼女はまさに牌に愛された子だ。
そんな彼女を前にして私が思ったのは「自分がこの少女に麻雀を教え、育てることができるのか」という不安だった。
入部してきた時点でその実力はすでに私を超えていた。宮永が得意とするあんな
どんな策も異能も真正面からぶつかって叩き潰す。相手を圧倒し卓上を蹂躙する。それが宮永照の麻雀だった。
私は入部してすぐの宮永を団体戦の大将に据えた。それについてまったく異論を唱える声が上がらなかったのが彼女の突き抜けた強さを物語っていると言えるだろう。
白糸台高校の麻雀部と言えばそれなり以上の名門校だ。そこに籍を置く部員の中には全国でも上位に数えられる実力を持っている者も多くいた。それでも彼女には挑む気さえ失せてしまう。
強すぎるあまりに、宮永は早くも部内で孤高の存在と化していた。
そしてそれは彼女が全国デビューを果たしてからさらに加速していく。
一年生ながら団体戦の大将として登場し、決勝では劣勢を一気にひっくり返しての優勝。個人決勝においても全国を勝ち抜いてきた猛者を難なく飛ばして優勝を決めた。
個人・団体の二冠を獲得した超新星。宮永照の強さと名前は瞬く間に全国へと広まっていった。
宮永はその後も連戦連勝。大会に出場すればメディアが押し掛け、しかしそんな空気など知ったことではないとばかりに淡々と頂点に立つ。そしてまた彼女の名前が持ち上げられる。
その繰り返し。対戦した相手からは「人間じゃない」という声も聞こえるようになった。私が小鍛冶プロらに感じたものを、彼女達も感じていたのだろう。
結局宮永は二年生へ進級するまであらゆる大会で勝ち続けた。指導者としては喜ぶべきことなのかもしれないが、その時点で私は宮永の強さに危うさのようなものを感じ始めていた。
常に、そして麻雀を打つごとに、宮永の中の何かが張り詰めているように見えたのだ。
もしそれが限界まで張り詰め、そして破裂してしまったらどうなるのか。私はそんな不安に襲われるようになっていた。
指導者として、教師として、それだけは避けさせなければいけない。
しかしそのためにどうすればいいのか分からない。会話を試みても宮永は必要最低限のことしか喋らず、そしてあまり人と関わり合いたくないような素振りでもあった。
それでいて彼女は麻雀に関して手を抜くことは一切ない。まるで少しでも緩めれば今まで積み上げてきたものが無に帰すのだと言わんばかりに、後ろから迫ってくる何かを振り払って必死に逃げるかのように、麻雀にのめり込んでいた。
教師失格だという自覚を持った上で言う。宮永には近付き難かった。
そう思い、実際に尻込みしてしまった自分がひどく情けなく、教師を辞めることさえ頭をちらつくようになった。
そんな時である。偶然、校内で宮永と見汐が一緒にいるところを見かけたのは。
あの衝撃は一年経った今でも忘れられない。
場所は中庭のベンチ。私はそこを二階の渡り廊下から見下ろしていた。
木陰で一人文庫本を読んでいる宮永の元に近付く一人の男子生徒。その男子生徒は宮永に気配を悟られないようにするためなのか、慎重な足運びで生垣を挟んだ彼女の背後に回る。
一体何をするのかと凝視していると、それまで読書に集中していた宮永が急にバッと顔を上げた。そして二、三度周囲を見渡してから読書に戻る。
しかしまたすぐに、今度は文庫本をすごい勢いで閉じながら立ち上がった。そして先ほどよりも忙しない動きで辺りに視線を巡らせる。かと思えば今度は全身をビクッと振るわせて硬直した。生垣の奥では何かを手にした男子生徒がうずくまってお腹を抱えながら震えていた。恐らく笑いを堪えているのだろう。
後に男子生徒――見汐に確認してみたところ、スマホから心霊系の音声を流して宮永にいたずらをしていたのだと悪びれもせずに白状した。理由は「鉄面皮の宮永が涙目になってるところを見てみたかったから」だという。
呆れて開いた口がふさがらなかった。あの宮永照にそんなバカげた理由であんな幼稚ないたずらをする奴がいるのかと。
しかし思い返す。
あの後見汐のいたずらだと気付いた宮永はいつもの無表情で犯人に詰め寄り、彼はそれをヘラヘラと笑いながら受け流していた。それはまるで気心が知れた友人同士のような光景に私の目には映った。
そうこうしている内に昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。他の生徒達がぞろぞろと校内へ戻る中、宮永と見汐もまた連れ立って歩き出した。
見汐の二歩ほど後ろについて歩く宮永。前を歩く少年の背中を見るその顔は今まで見たことがないほど柔らかく、そして微かに、だが間違いなく笑みを湛えていた。
初めて見る宮永の笑顔。そしてそれを引き出したのは間違いなく見汐太陽だった。
宮永には彼が必要だと直感的に悟った。だから無理を通して麻雀部との縁を持たせたし、今年も同じクラスになるよう手を回しもした。
その選択は間違っていないだろう。現に見汐と知り合ってからの宮永は少しずつ変わっていった。それは人との関わり方も、そして麻雀の打ち方さえも。簡単に言えば視野が広がった、とでも言えばいいのだろうか。
劇的な変化ではないが、大きな成長である。強引な部分もあった打ち筋は洗練され、牌の読みもさらに精度を増した。卓上を掌握し、相手の一手二手先を知っているかのような麻雀。
二年生の一年間で宮永は一層その実力を伸ばし、同時に抱えていた危うさはいつの間にか霧散していた。
確かに見汐に宮永との関係を強く持たせるのは間違っていなかった。しかし百点満点の正解ではなかったようである。
先ほどの見汐のセリフが耳に残っていた。
『麻雀に比重傾き過ぎなんじゃないですか?』
まさにその通りだった。私は、そして恐らく彼女の周囲の人間も、宮永照という少女を麻雀というフィルター越しにしか見ていなかった。ただ一人、見汐太陽を除いて。
必要だったのは彼本人ではなく、彼と同じような視点。それだけに過ぎず、けれどそれはとても難しいことだ。とはいえ自分が教師としても人間としても未熟だったことは誤魔化しようのない事実である。
宮永照は麻雀界の歴史に名を残す存在だろうが、見汐太陽もまた只者ではないのかもしれない。
そんな二人が揃っているのだ。今年の白糸台高校麻雀部はきっと今までよりも、そしてどこよりも強くなるだろう。
私にはそんな確信があった。
オリキャラ
白糸台高校麻雀部監督
書いてて思ったけど二階の渡り廊下からテルーの表情読み取れるとか視力8.0くらいありそう。