隣の席のチャンピオン 作:晴貴
「そーいえばテルってどうして太陽先輩と仲良いの?」
昼休み。学食でお昼ご飯を食べていると不意に淡がそう尋ねてきた。
その一言に一緒に食事をしていた菫の視線も私に向く。けれど私の中にはもっと根本的な疑問が湧いた。
「仲、いいのかな?」
自分ではいまいちよく分からずそう聞き返してしまう。
すると二人とも呆れたような顔になった。
「どこからどう見ても仲良いよー」
「麻雀部以外ではっきり友達と呼べるのはアイツくらいなんじゃないか?」
暗に友達が少ないと言われたような気もするが、まあ事実なので反論することもない。
それよりも周りから見れば私と見汐君は仲がいいということになるらしい。あまり意識したことがないからか、そう言われるのはなんとなくむず痒い感じがする。
「太陽先輩って見た目ヤンキーだし、テルが友だちになったきっかけとか想像できなくて」
「ヤンキー……」
そうだろうか?確かに髪は染めているし耳にはピアスも空いていてチャラチャラとした印象は受けるかもしれない。でも素行が悪いということはないし、普段の言動を見ているとそういった存在からは遠いように思う。
「いや、淡も本気でそう思ってるわけじゃないだろう?」
「それはそうだけどテルの友だちじゃなかったら知り合いになってなかったかも」
私には全く臆さず接してきた淡が見汐君は遠ざけていたかもしれないと思うと少しおかしい。
でも改めて考えてみれば見汐君は無口で人付き合いが苦手な私みたいな人間とは正反対の性格だ。傍から見るとそんな二人が友達関係にあることを不思議に思うのも理解できる。
もしあの出来事がなければここまでの関係にはなっていなかったかもしれない。
「テルー?どうしたの?」
「なんでもない。それと私が見汐君と仲良くなったきっかけは……」
「うんうん!」
「――秘密」
「えー!?」
淡が不満そうな声を上げる。隣では菫がガクッと姿勢を崩していた。
菫も興味があったのかもしれない。
でも、これは秘密。私と見汐君、そしてあの子だけの。
どうしてか、と言えば明確な理由はないけれど。それでもこれは内緒にしておきたかった。
その後は昼休みが終わるまで淡に教えてとせがまれ、それは放課後、部活の時間にも及んだ。最終的には鹿島先生に怒られていたけど。
おかげで淡の追及から逃れることができた。
その日の帰り道。なぜ咄嗟に秘密と言ってしまったのか、ぼんやりと考えながら歩いていた。
しかしその場所に来ると意図せずに自分の足が止まる。
なんの変哲もない住宅街の一角にある公園。しかし七ヵ月前、私はこの場所で立ち往生していた。
「……どうしよう」
思わず心の声が漏れる。しかしそれも雨の音に紛れて誰に届くでもなく消えていく。
私が途方に暮れている原因は、あまり元気とは言い難い様子で横たわっている一匹の仔猫だった。
自宅へのショートカットのために毎日横切る公園。そこに設置された遊具の一つにドーム形状の滑り台がある。ドーム表面は滑り台になっているが、ドームそのものにも小さなトンネルがついている。小学生が四つん這いになって通れるくらいの大きさしかないけど。
そのトンネルの中にこの子はいた。
タオルが敷き詰められた段ボール箱には仔猫と、恐らくは水かミルクの類いが注がれていただろう平皿だけがあった。そしてご丁寧にも『拾ってあげてください』というメッセージカード付き。
もしかしたらいくらかの食料も一緒に入っていたかもしれないがもう食べてしまったのか見当たらない。なんにせよ食べ物も飲み物も一日二日程度の量だろう。そして今はそのどちらも底を尽いている。
あまり視界が良くないこの雨の中で気付けたのは偶然。運が良かった。
けれどここからどうすればいいのか迷ってしまう。
拾って帰ろうにも自宅のマンションはペット禁止。里親を探すにも一時的に保護はしなければいけないし、自分が里親探しなどできるとは思えない。だからといって見なかったことにするのは言語道断。
結果、その場から動けなくなってしまった。
幸い仔猫は濡れていないが、段ボールから飛び出る運動能力すら備わっていないほど幼い。このまま手をこまねいていても衰弱していく一方だ。
頭の中はどうしようという言葉で埋まっていく。
見汐君に声をかけられたのはそんな時だった。
「もしかして宮永か?何してんの?」
Tシャツに半ズボン、足元は黒のクロックス。右手に透明のビニール傘を持ち、左手に下げているのはコンビニの袋。
振り返った先にいたのはどこからどう見ても着の身着のまま出てきましたという出で立ちの見汐君。どうして見汐君がここにいるのか、という疑問は彼も近くに住んでいるのだろうと自己解決する。
優先すべきはこの子の方だ。
私は捨て猫を見つけたことと、そして衰弱していること、さらには仔猫を保護する手段がないという危機的な状況を正確に伝える。ここまで必死に言葉を連ねたのは高校入学以来初めてと言えるくらいだったかもしれない。
それに対する見汐君の答えはものすごく簡潔だった。
「じゃあこいつはウチで飼おう」
全く躊躇なく、見汐君はそう言い切った。俺がお前のご主人様だぞー、なんて言いながら仔猫を撫でる。
本当にそのまま連れて帰るらしく、傘とコンビニ袋の持ち方をあれこれ変えながらなんとか仔猫を持ち上げようとする。
さっきまで悩みに悩んでいた難題がものの数十秒で解決してしまった。
「くっそ、上手く持てねぇな。いっそ傘を捨てて……ってコイツが濡れるのはマズいか」
そんな難題をクリアした見汐君が仔猫の抱え方に四苦八苦し始める。
ついにはコンビニ袋の中に仔猫を入れようか思案し出した見汐君に、私は傘を差し出した。
「私が傘をさすから、見汐君はその子を抱いてあげて」
「……ああ、そうすりゃいいのか」
これで全部解決。あとは見汐君の家に行くだけ。
しかし公園から出たところで突然見汐君が問いかけてきた。
「……宮永って俺のことそこまで嫌いだった?もしそうなら今後の対応改めるけど」
質問の意味がよく分からなかった。なぜこのタイミングで、どうしてそんな質問をするのか。
もちろん見汐君を嫌ってなんていない。
意図が分からずに首を傾げる。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「どうしても何も、なんでお前俺に傘さして自分は雨に打たれてるわけ?一緒に傘入ればよくない?」
「……あっ」
「あっ、じゃねぇよ。俺と同じ傘に入るくらいなら濡れた方がましって意思表示かと思ったんだけど」
「そんなことない」
仔猫が濡れないことを最優先にしすぎてしまった結果そうなっただけ。
言われた通り、見汐君に並んで同じ傘の下に入る。
「天然娘め。手遅れだぞ」
「……うん」
今ばかりは天然と言われても甘んじて受け入れることしかできない。
私は全身、制服も下着もびしょ濡れになっていた。まだ残暑が残る九月の雨だからそこまで体が冷えていないけど、見汐君の家は公園を挟んで私のマンションとは反対側にあるようだ。
それだけの距離をびしょ濡れのままあるいたら風邪をひいてしまうかもしれない。まあ仔猫のためならそれくらいは安い代償だけれど。
見汐君の家は公園から歩いて十分ほどのところにあった。マンションではなく一戸建て。
私の住むマンションとは徒歩で十五分くらいの距離だ。
「到着っと。おい、沙奈ー!」
見汐君は玄関の扉を開けると家の中に向かって誰かの名前を呼んだ。すると階段を踏み鳴らしながら中学生くらいの少女が降りてきた。
「なに?お兄ちゃん」
沙奈と呼ばれた少女は見汐君の妹らしい。
見汐君はこちらに背を向けたまま親指で私を指すと、妹さんにこう言い放った。
「コイツ同じクラスの宮永ってんだけど見ての通り濡れ鼠だから風呂に入れてやって。あとお前の服も貸してくれよ」
「「え?」」
私と妹さんの声が重なる。
仔猫を送り届けたら、私はいつの間にか見汐君の家でお風呂に入ることになっていた。
長くなりそうなので前後半に分けます。