隣の席のチャンピオン   作:晴貴

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7話 side宮永照

 

 急展開に頭が追い付かなかったとでも言えばいいのか、私は流されるままに見汐君の家の湯船に浸かっていた。思いの外妹さんの「是非!」という押しが強くて断れなかったというのもある。

 まだ残暑が残る季節とはいえ雨に濡れた体はやはり冷えていた。温かいお湯が染み入ってくるようで気持ちがいい。

 思わず落ち着いてしまいそうになるが、冷静に考えるとそうそうゆっくりしていられる状況でもない。

 

 とはいえ私が着ていた衣服は今、全て乾燥機付き洗濯機の中だ。それが終わるまではご厄介になるしかないのが現状だった。

 

「あの、宮永さん。着替えとタオルここに置いておきますね」

 

 扉の向こう、脱衣所から妹さんの声が届く。

 

「ありがとう」

 

「いえいえ!」

 

 とても元気のいい返事が返ってくる。でもどこか恐縮しているように見えるのはどうしてだろう?

 そんなことを考えながらお風呂から上がって用意されていた着替えに袖を通す。ちなみに『下着は新品なので大丈夫です!』というメッセージが添えられていて少しだけクスッとした。服もショーツもちょっとだけ小さかったのに、ブラだけは若干の余裕があったことに感じるところもあったけど。

 

 脱衣所を出て、紺色を基調としたワンピースに、グレーのレギンスという格好で廊下に明かりが漏れ出ているリビングと思わしき方へ向かう。

 扉を開けるとそこにいたのは妹さんだけだった。

 

「お風呂と服、ありがとう」

 

「いえいえ!それよりも服は小さくないですか?一応余裕があるものを選びましたけど……」

 

「うん、大丈夫。それで見汐君は……」

 

「お兄ちゃんなら動物病院に行きました」

 

「……この雨の中を?」

 

「タクシーを呼んでたので濡れる心配はないですよ。とりあえずお医者さんに診てもらって健康状態を確認してくるって」

 

 どうして見汐君はここまで行動が迅速なんだろう。あの仔猫を飼うと決めた時もそうだけど決断に迷いがない。

 でも今みたいに自分ではどうしたらいいのか分からない時に一緒にいてくれると頼りになる。

 

「あ、あのー、それでですね……」

 

 妹さんがモジモジとしながらそう切り出した。

 

「どうかしたの?」

 

「宮永さんって先月の全国大会で優勝した宮永照さんですよね?」

 

「そうだけど」

 

「お、お兄ちゃんとは一体どういうご関係なんでしょう?もしかして恋人とかだったり……」

 

 恋人。予想外だったその単語に言葉が詰まって、反応が遅れてしまう。

 恋人とはつまり、お付き合いをしているということ。いわゆる男女交際。私と見汐君が?

 

「……見汐君とはクラスメイト。席が隣りなだけでそういう関係じゃない」

 

「で、ですよねー!宮永さんがうちのお兄ちゃんと付き合ったりなんてあり得ないですよねー!あははは……はぁ」

 

 分かりやすい落胆のため息。小声で「期待しちゃったよぅ……」と呟いていたのがしっかり聞こえた。

 反応から察するに私と見汐君がそういう関係であることを望んでいるらしかった。その理由はすぐに判明する。

 

「あの、宮永さん。こんな時に言うのも何なんですけど……もしよかったらサインくださいっ!」

 

 そういって彼女が取り出したのは見汐君と初めて会った時に彼が読んでいたのと同じ雑誌だった。表紙には営業スマイルの私が載っている。

 妹さんは私のファンであるらしかった。

 その後はサインをしたり一緒に写真を撮ったり、終始緊張した様子の妹さんと二人だけの時間を過ごす。見汐君が帰ってきたのはそんな時間が三十分以上経過してからだった。

 

「ただいまー」

 

「お帰りなさい」

 

 帰ってきた見汐君を出迎える。背後では妹さんが「夫婦みたいなやり取り……!」と興奮しているが、別に普通の会話だと思う。それ以外になんと言えばいいというのだろうか。

 

「手間をかけさせてごめんなさい」

 

「宮永が謝ることじゃないけどな。俺が飼うって決めたわけだし」

 

「……ありがとう。その子は大丈夫?」

 

 見汐君に抱っこされている仔猫に目を向ける。

 

「別にどこも悪くないってよ。飯食わせてミルクもらったらこの通りだ」

 

 見汐君が胸に抱いていた仔猫を目線の高さまで持ち上げる。猫はそれに呼応するように“にゃあ”と鳴いた。

 確かに公園で見かけた時よりも大分元気になっているように見える。

 

「というわけでコイツの名前を決めるぞ。宮永なんかアイディア出して」

 

「突然そんなこと言われても……」

 

 仔猫をじっと見つめる。瞳と鼻先以外真っ白だ。

 そんな姿にとあるものが連想される。

 

「ハク」

 

「それっぽいけど麻雀牌から取ったよな?」

 

「うん。シロだと犬みたいだからハク」

 

「保留で。次沙奈」

 

「虎姫!」

 

「却下。お前ら少し麻雀から離れろよ」

 

 三人であれこれと良さそうな名前を出し合う。それはどこか懐かしい空気だった。

 父や妹と一緒に暮らしていた時は、麻雀卓を囲みながらたくさん話をした。友達のこと、学校での出来事、将来の夢。あそこにはキラキラとした思い出が詰まっている。

 あの時は私も今より表情も感情もしっかり顔に出せていた。咲と一緒によく笑っていた。

 

 そうできなくなったのはいつの頃からだっただろう。咲が本気で麻雀を打っていないことに気が付いた時?麻雀で負けたくないと意地を張り出した時?

 今ではもう覚えていない。

 けれどここには、あの時の懐かしい空気が満ちていた。

 

「もう、お兄ちゃんさっきから却下ばっかり!少しは自分でもアイディア出してよ!」

 

 私がちょっと感傷に浸っている間に議論がヒートアップしていた。主役であるはずの仔猫はソファーのクッションで丸くなっているけど。

 妹にそう言われた見汐君は腕を組んで唸る。

 

「そうなぁ……宮永が第一発見者だし分かりやすくミヤナガでどうよ?」

 

 ミヤナガ……ミヤナガ?それは私の苗字だけど。名前に苗字をつけるのはおかしいと思う。

 見汐君は麻雀以前に私から離れるべきだ。

 

「呼び捨てはちょっと……ミヤナガさんなら」

 

 まさかの妹さんの方からも賛成の声が上がる。敬称の有無がそんなに重要?

 気にするべきところはそこじゃないはずだ。

 

 仮にあの子の名前がミヤナガになったとしたらまるで私が見汐君に飼われているようになってしまわないだろうか?

 ミヤナガに笑いかけたり、その体を撫でたり、時には同じ布団に入ったり、首輪を付けられたり。相手は猫だけど私の名前だ。私がそうされるわけではないけれど、何かいけないことのように感じてしまうのは私が間違っているの?

 

「見汐君」

 

「なんだ?」

 

「私、首輪を付けられるのはちょっと……」

 

「冗談に決まってるだろ。正気に戻れ宮永」

 

 そう言った見汐君は可哀想なものを見る、それでいてとても生温い視線を私に向けていた。

 

 

 

 

 

 公園を通りすぎる度にあの日のことを思い出す。

 恥ずかしい勘違いもあったけどあの出来事は私にとって大切な記憶になっている。

 

 三年生になって部内での役割も増えたせいで、最近はあの子に会えていない。また今度会いに行こう。

 あの子――白夏(ハッカ)がお気に入りのエサを持って。

 

 




ランキング1位ありがとうございます。
この人気、照が大魔王ではなく皆のアイドルだということが証明されました。

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