隣の席のチャンピオン 作:晴貴
「なあ見汐」
「なんすか?」
場所はもはやお馴染みといっても過言ではない麻雀部監督室。
俺は革張りのソファーに浅く腰掛け、身を乗り出してケース分けした必要事項をパソコンに打ち込んでいく。なんのデータかといえば麻雀部の雑用マニュアルである。
それは普段の部活動でのものだけに留まらず、大会や遠征・合宿先などにも対応したそこそこ内容のあるマニュアルだ。
本来なら正式な部員が引継ぎを行うものなんだろうけど、去年から鹿島先生が俺に雑用の類いを任せすぎたことで当時の一年生、つまり現二年生の
去年俺と一緒に雑用やってた男子部員が辞めちまったのが痛い。アイツが残ってれば俺がここまでする必要なかったんだけどなぁ。いやまあ突き詰めれば鹿島先生の采配ミスなんだけど。
おかげでいつもの部活以外、学外での活動中における雑用仕事をしっかりとこなせる奴が俺しかいない。っていうか俺は部員じゃないから正確には誰もいない。
大所帯なんだからマネージャーくらい募集しとけや!と鹿島先生を一喝した俺は悪くない。その場で先生に許可もらって、もうすでに学校中の掲示板に『麻雀部のマネージャー募集』のチラシ張ってやった。俺が卒業する前にきてくれマジで。
ちらっと辞めた後輩に手伝ってもらおうかとも思ったけど、常々「俺は雑用じゃなくて麻雀がやりたい」と言っていたのを思い出して声はかけなかった。
白糸台麻雀部は部員が多いが、それに反して卓や時間には限りがある。だから新入部員は余程の実力がないと中々卓に座ることもできないし、何よりレベルの違いを実感して退部する者もそれなりの数になる。
麻雀が打ちたいのにここでは自分の実力が足りず満足に卓にも座れない。そんな感じでくすぶってた後輩を思えば退部したのを責める気にもならないわけで。
アイツは今近くの麻雀クラブに足繁く通って麻雀を楽しんでるし、この仕事を手伝わせるのはそれに水を差す気がした。
そんなわけで俺は一人で雑用マニュアルの仕事に取りかかっている。先生には後でこの対価をしっかり払ってもらうけどな!
「宮永のことなんだが」
「先生そればっかですよね」
どんだけ宮永のこと好きなの?
「言ってくれるな」
「まあいいですけど。それで?」
「宮永と他の部員の距離を縮めるいい方法はないだろうか?」
「それ俺に相談します?」
「お前以上に適任がいるとは思えない」
言い切っちゃうのは教師としてどうなのよ。薄々勘付いちゃいたけどこの人ポンコツっぽいんだよなぁ。
麻雀の指導はかなり優秀らしいけどそれ以外がちょっと。
っていうか宮永はまだ部活内ですら孤立してんのかよ。まあネガティブな意味合いじゃなくて畏敬とか憧れが積み重なってる結果だろうけど。
「大星も一年ですよね。アイツを仲介して他の一年と関わらせたらどうです?」
「……あの子もあの子で宮永以外を見下している節があってな」
「今度制裁してやろう」
「怖いことをサラッと言うな」
だって相手にとっても、何より大星自身にとってもそういう態度って好ましくないし。
偉そうなことは言いたくないけどその辺の協調性を身に付けさせるのも教師の役目じゃない?
「じゃあ一年全員で宮永にドッキリをしかけるとか」
「万が一外したら修復不可能な溝を作りそうだが……」
「宮永なら無表情で許してくれますよ」
慣れてないと不機嫌か静かに怒ってるようにしか見えないだろうけど。
そんなやり取りがあったのが五月の頭、ゴールデンウィークに入る直前のことである。
麻雀部はゴールデンウィーク期間中に遠征合宿を行う予定で、その中で俺の雑用スキルが必要になるかもってことだったのでマニュアル化したのだ。
部外者の俺がついていくわけにもいかないしな。たとえ頼まれたってそこまで付き合う気はないけど。
なので見事に仕事をやり切った俺は今、ゴールデンウィーク最終日を満喫して惰眠を貪っていた。二度寝から目覚め、枕元のスマホで時間を確認する。
午前十一時十七分。まだ眠いけど、それ以上に腹減ったな……。
「少し早めの昼飯にするか」
寝巻のスウェット姿のまま一階のリビングに降りる。
静かなので誰もいないかと思ったが、リビングには宮永の姿があった。白夏と戯れていた宮永は俺に気付いて挨拶をする。
「おはよう見汐君」
「おー」
朝……って時間帯でもないが、とりあえず昼間に宮永が俺の家にいることについて違和感や驚きはない。白夏を飼ってから定期的にくるようになったからな。
最初の頃は俺に断りを入れてからきてたけど、今その役割は沙奈が受け持ってるので俺に情報は入ってこない。だから朝起きたらとか、家に帰ってきたら宮永がいる、という状況は日常風景だった。
「沙奈と母さんは?」
「渋谷まで出かけた」
「じゃあ昼までに帰ってはこねぇな」
渋谷なら買い物だろうし。
後で一応連絡だけは入れてみるか。
「見汐君はこんな時間まで寝てたの?」
冷蔵庫を漁っている俺に宮永がそう聞いてくる。
白夏を撫でる手は一時も止まらない。
「明日から学校だしな。寝溜めだ」
すぐ食えるものが何もなかった。かといって自分で作るのも面倒だし、ここはカップ麺で我慢するか。
そう思い戸棚からカップ麺を取り出した俺を宮永が制止する。
「寝起きでそういうのはあまり体に良くない」
「寝起き関係なくね?まあ不健康極まりない気はするけど」
「なら私が作る」
「マジで?」
「うん。台所借りるね」
宮永が白夏を置いて我が家の厨房に入っていく。
何度か宮永の手料理を食べたことあるけど料理の腕は結構いい。母親と二人で暮らしてるらしいから料理する機会も多いのかね。
ダイニングテーブルに腰かけ、テレビのチャンネルを適当に回しながら台所に立つ宮永の姿を眺める。ところでなんで宮永は自前のエプロンを持ってんだよ。
「昨日帰ってきたのか?」
「そう。大阪から」
「どうだった?遠征とやらは」
「三箇牧の子とまた打てたのは良かった」
「ふーん」
どこの誰だか知らないけど。まあチャンピオン宮永がそう言うくらいなんだからかなり強い奴なんだろう。
「だからこれはお礼」
「お礼?……ああ、そういうことか。直接役に立つもんでもないけどな」
「そんなことない。一年生の子は感激してた。痒いところに手が届くって」
「そーかい」
それなら頑張った甲斐があったな。
やらなきゃいけない仕事以外にも持って行った方がいい物リストや他校の生徒と行動を共にする場合の注意点、病気やケガなんかの緊急時に優先すべき必須事項まで詰め込んだくらいだし。それでもまだ真の完成には至ってないが。
鹿島先生にはそこまでやるかと呆れられたけど、アンタがもっとしっかりしてればあそこまでやってないわ。
しかし宮永がエプロン持参してきた理由はこれだったんだな。あのマニュアルを作ってくれたお礼にご飯ご馳走しますよ的な。
実に義理堅い。
「できた」
「おー、うまそう」
そうこうしている内に料理が完成した。黄金色の卵と少し焦げたケチャップの匂いが食欲をそそる。
宮永が作ったのはオムライスだった。
本日の料理長はケチャップを持ったまま小首を傾げる。
「なんて書く?」
「なんでもいいわ」
そもそもケチャップで字とか書かないし。小学生じゃねぇんだから。
作ったの宮永だからそうとは言わないけどさ。じゃあ、といって宮永が書いたのは“白夏”の二文字。
もう何も突っ込まないで食べることにした。
「美味しい?」
「ああ、うまい」
ケチャップライスにはウインナーの他にも細かく切られた玉ねぎやピーマンも混ぜ込まれていた。あの短時間でよく作れるものだと感心する。
やっぱり経験の差か。
俺や沙奈、そして父親はお世辞にも料理が上手いとは言えない。母親に任せっきりなのが見汐家の現状だ。沙奈にもそろそろ花嫁修業ってことで料理覚えさせるか。
「良かった」
味の確認が済むと宮永は再び白夏の元へと向かう。
オムライスをつっつきながら猫じゃらしで白夏と遊ぶ宮永を観察する。普段の無表情も少しほころんでいた。相当上機嫌だぞあれは。
そういえばこの光景は俺にとって見慣れたものだけど、鹿島先生を筆頭に宮永と距離を感じてる奴が見たら結構な衝撃映像なんじゃないか?小声で「にゃあにゃあ」言ってるし。
今度どさくさにまぎれて“みゃあなが”とでも呼んでみるか。
鹿島先生にされた例の相談が頭をよぎったりしつつ、俺のゴールデンウィーク最終日は宮永と二人で過ごしながら暮れていった。
たぶん過去最長(それでも3千字ちょっと)。