三発の弾丸は結局外れた。……いや、外さざるを得なかった。
少年と一誠の間を挟むかのように、金髪の少女が割り込んでいたからだ。
一誠は少女を知っている。名をアーシア・アルジェント。先日日本語が解らずに右往左往していた彼女を助け、話し、仲良くなった少女。
「……何を、なさっているんですか。アーシア様」
「そ、その人は……イッセーさんは私の恩人なんです!」
「恩人、ですか」
少年はちら、とフリードに目を移す。彼女は楽しそうに嗤っているままだ。
「……しかし、アーシア様。彼は悪魔です。ボク達教会関係者と悪魔は相容れない存在です」
「━━━!? イッセーさんが、悪魔……!?」
アーシアの驚愕の視線が一誠に注がれる。彼は心底申し訳なさそうに、そして気付かれたくなかったというような苦悶の表情で応えた。
「正直に言いますと……ボクはそんな理由では悪魔であれ人であれ、殺す事は好みませんが。フリード様がそう仰ったので。申し訳ないですが運がなかったと諦めてください」
そう言うと少年はハンドガンのマガジンをフリードと同じようなコートの内ポケットから取りだし入れ換える。カシャン、という空のマガジンが落ちる音と共にコッキングを終えて一誠に向けて銃口を向ける。
「……アーシア様、撃てないのですが」
「やっぱりダメです! イッセーさんは死んでいい人なんかじゃ決してありません!」
「興味のない事です。ボクにとってその判断は貴女がすることでも、ボクのすることでもありませんから」
それより、本当にどいて戴けませんか? と感情のない声がアーシアに突き刺さる。それでも、と彼女は少年の前に立ちはだかり続けるので少年は困ったようにフリードに目を向けた。
「申し訳ありません、フリード様。このままではフリード様の命を遂行する事ができません。助力を願います」
それを聞くと途端にフリードは露骨に顔をしかめ、苛立たしさを隠す事もなく少年に罵声を浴びせ始めた。
「はぁ!? なぁにバカな事言ってんだよボケナスビッチが! なんでそんな簡単ラクショーな事にオレサマが力を貸さなきゃなんねーんすかぁ!?」
「っ、申し訳ありません。ですがボク達にはレイナーレ様に、アーシア様に危害を加えてはいけないと厳命されていますから」
「あのクソアマの言う事の方がオレサマよりも大事だってのかよタコ! 要は殺らなきゃ良いんだろうがよ!」
「申し訳ありません。申し訳ありません」
朦朧とした意識の中で一誠は自分を殺しかけたこの少年の事が何処か哀れに思えた。
感情の起伏が皆無に等しい平坦な声で理不尽な怒りに謝罪し続ける。それは機械のように。
話の中心が自身から逸れた事も手伝って、一誠は改めて少年の姿を観察して━━━すぐに後悔した。
ただでさえ目に入ってくる情報量は人間の頃よりも膨大だと言うのに、それの内容が口にする事すら憚られるような悲惨なものだった。
頬に真新しい腫れ痕がある。恐らく殴られたか、執拗に張られたかだろう。
右目に傷がある。更に注意深く観察すると時々ギョロ、ギョロ、と光彩の焦点が不自然に合わなくなっている。多分、極端に視力が低下しているか、もう見えていないか。
左の
首に荒縄で絞められたような痕がある。時々コヒュー、という奇妙な呼吸音が聞こえるため日常的に首を絞められ、気道が狭くなっているのかもしれない。
拳銃を握っていない左手の奥からガラスの破片が突き刺さっているのが見えた。
右手と額、眉間辺りにはうっすらと火傷の痕が見える。火傷痕は薄いが、右手は銃を乱射した以上に苦しそうな動作を見せていてそれが見た目以上に苦痛なのを理解できる。
両手の爪が極端に短い。いや、これは短いなんてものではない。本来爪があるべき最低限の長さにすら達していない。きっと強引に剥がされたんだ。
服越しに、あるいは隠されていない部分だけでもこれだけの傷が見えてしまうのだ。もし何も纏っていない彼の姿を見て一誠は━━━いや、良識のある人間は堪えられるのだろうか。
何より一誠が恐怖したのは先程の狂気的な言葉だ。一心不乱にフリードという名を、今癇癪を起こしている女の名をまるで生き甲斐のように、恋い焦がれるかのように連呼し続けていた。
この傷痕の出来方からも今さっきのような戦闘(果たして戦闘と呼べたかはさて置いて)でできた傷でないのは一誠でも解る。フリードの横暴な口振りからその傷を作ったのも彼女であると察せる。
「……なぁ」
一誠は未だ摘出されずに体内に埋め込まれた鉛弾で痛む身体に無茶を言わせてなんとか声を絞り出す。
「……なに?」
少年は律儀に返事をしてくれた。自分の話が途中で切り上げられた事でフリードの癇癪は更に大きく増してきているが。
「……お前、な、んで。あんな女のとこに……いんだよ。そ、その傷も、さ……アイツに、付けられたんだろ……?」
「だって、フリード様はボクを必要にしてくれるから」
「ひつ、よう……? そんな事されて……そんな理由で、自分を傷付けるヤツに付いていく、ってのかよ……?」
「そうだよ。だってフリード様はボクを見てくれてる。あの場所の飼い牛みたいな扱いじゃない。ダメな事はダメだって、解らない事はこうするといいって教えてくれる。ボクの目が見えないのも、耳がないのも、腕に痛いのが刺さってるのも、焼けて痛いのも、食べ物の味が解らないのも、息が上手に吸えないのも、叩かれるのも、剣で胸を刺されるのも、爪を剥がされるのも全部全部全部全部、ボクが悪い事をしたからだよ。だからフリード様は悪くないの。全部ボクが悪い」
絶句━━━いや。絶句なんてありふれた言葉じゃない。名状のできない気持ちの悪い感覚が一誠を支配してある種の恐怖心すら生まれる。
世にはこんな人を人として扱わないような人間がいるものなのかと。そんな人間に道具として使われて、必要として貰えるからという理由だけで付いていくような哀れな子がいていいものなのかと。
これじゃあ人と人との関係ですらない。使い古した玩具をぞんざいに扱う人間とその玩具ではないか。
「そ、んな、事ォ……あって良い訳、ねぇだろ……!」
「ハッハハッハハハハ!! 無駄だってんですよ無駄無駄無駄ァ! そのお人形ちゃんはオレ様の言う事しか聞かない完璧パーペキの良い子なんですよォ!!」
女の甲高い嗤い声が部屋の中を反響する。良い子、というフレーズに少年は露骨に反応を示して改めて銃口を一誠に━━━否、
「んじゃお人形ちゃん、やっちまえ」
「はい、フリード様」
フリードの指示に従った少年は何を躊躇う事もなく、トリガーを引いた。
刹那。
「どぉらわいしょっとおおおおおおお!!!」
「っ、ギ……!?」
何の前触れもなく、何処から途もなく飛んできたドロップキックが少年の胸をフリードごと蹴り飛ばした。
「━━━は?」
「……え?」
ドロップキックをぶちかました張本人は身体が地に着く瞬間に手を押し付け、その二つを支点にして一回転するとハンドスプリングの要領で宙返りをして見事な着地をした。ドヤ顔付きで。
「私、参上!いやいやどーよ、どーだったかなひょーどーくんや!」
「い、いや……どうも、なにも……何が起こったのかぜん、ぜん……わかんねぇよ……鈴蘭」
現れた少女こと鈴蘭は一誠の息も絶え絶えなツッコミを受けると調子を良くしたようで、わざとらしく右手で顔を覆うようにし、左手を前に突き出して更にアピールする。
「フッ、流石私。今の超カッコいい登場の仕方で完全に空気はこっちのもんだいじ!」
「ま、まて……まさかお前、見てたのか……!?」
「はい! 具体的にはひょーどーくんをそこのパツキンチャンネーが助ける辺りから!」
「お、前ええええ……」
怒るにもこの瀕死体では怒るに怒れない。人の調子なんざ知ったこっちゃねぇと言わんばかりにマイペースに振る舞う彼女のせいでむしろ今死にそうだ。
「ってぇ……なんだってんだよオマエ……悪魔の御新規様ですかっての……」
「人間様追加で一名入りまぁす!」
「ッ嘗めんなクソガキ様ァ!」
フリードが右手に装備した刀身のない柄から光の粒子を、左手にリボルバータイプの拳銃を取り出すと鈴蘭に対して襲い掛かる。
先ずはリボルバーで牽制。どこから現れたかも知れない程の距離から現れたのだ。スピード、少なくとも瞬間速度は驚異的だと踏んだのだろう。
「はいよぉ!」
「はぁ!?」
しかし彼女が行った行動は避けるではなく"掴む"。そのままフリードの下に接近して銃弾を半透明のシールドに変化させて鈴蘭の身体を覆うようにして強襲する。
「ハッ! 素の速さはお笑いじゃねーですか!」
御世辞にも速いとは言えない動作を笑いながらシールドを貫くように突き穿つ。だがそれを読んだのか鈴蘭はその瞬間に自分の足を強化し、爆速で柄ごとフリードの手首を蹴り抜く。
「んがッ!?」
「……黒い」
蹴りの時のタメの時パンツが見えた。黒だった。超マセてる。
そして鈴蘭はそのまま遠心力によって本日二度目の
「ンゴァ……!」
文字通りの返り討ちに遭ったフリードはまたもや壁に衝突して身動きがとれなくなる。
「トドメじゃあああ!! しぃぃぃぃずめええええい!!」
勢いそのままに鈴蘭はフリードにトドメを刺すべく突撃するが、そんな彼女の前に人影が一つ立ちはだかる。
少年だ。彼は自衛の格好をするわけでもなく、ただフリードと鈴蘭の間に立ち塞がっていた。
思わず、鈴蘭はその動きを止めた。恐らくいつもの彼女なら立ち塞がる壁などお構い無しで粉砕したのだろうが、何故か彼女は止まってしまった。
「フリード様は、やらせない」
「………」
彼女の中に奇妙な感覚が到来した。何かを思いだそうとするかのような靄の掛かった感覚だ。
「ゲ、ヒ……助かったァ……そのままそのクソガキを、ぶっ殺しちまえ……!」
フリードが過呼吸を起こしながらも少年に指示する。たが少年も動く事をしなかった。
「………」
「……ぁ、ぇ……ぉ……ん、」
少年がえづくようにたどたどしく、自覚すらできない言葉を発する。いつも無口で、恐らく自分に関することを一度とて自発的に話すことをしなかったであろう少年は自分が何かを言いたがっている事に驚いていた。
かくいう鈴蘭も言葉が出なかった。いつも何かを喋っている。さもマグロのように動き、喋ることをやめると死ぬんじゃないかという程喋る彼女が一声も発さず、石のように固まっているこの現状に一誠は言葉を失っていた。
「き、こえてんのかよ……さっさと殺せってんだよ……」
「……ぃ、ぅ……ぉぇ……き……」
「あぁぁぁぁあああぁぁあああぁあぁあ!!!! もういい!!! クソビッチがァ!! さっさとオレサマ達を連れて何処へなりとも行けってんだよクソがぁ!!!!」
「━━━━━ぁ、は、い。フリード……様」
フリードの気が狂ったような絶叫を聞いた少年は弾かれたように我を取り戻し、フリードを抱えて放心状態の鈴蘭を余所にアーシアに「失礼します」と一声掛けて彼女も抱え、何処かへと跳び去って行った。
「………」
「お、おい……鈴蘭……?」
「━━━え? あ、ひょーどーくん。なーんか私らしくなかった?」
「い、いや……疑問系で聞かれても……それよりどうしたんだよ。あの子を見てからお前、変だったぞ」
「や、やっぱり私らしくなかったともーすか!」
一誠の発言に露骨に意気消沈したような反応。それでも彼女は心の何処かに消えていったあの少年の面影を遺しながら、表面上いつも通りの態度を示すのだった。