つまりはくそ熱いのに九尾の毛玉がモフモフしてくる
モブ子にとってそれは、まさしく殺人毛玉であった
■ 世界
現状で我々の認識下に入っている世界は二つ存在する。
まず第一に我々が太古の昔より住まい、外界からの侵略さえなければこの一つしかないと言われていた世界である
物質のみが存在し得る、我々にとっての常識が全てを支配する世界であり、人間の世界――勝手な解釈を織り交ぜるとするのであれば昼の世界だ。
剣や魔法なんてものの非存在が証明されてから数世紀、物理法則と言う名の秩序に満たされたこの大器ことは今更語るまでもないだろう。
『
今となっては滑稽極まりないものかもしれないし、この言葉を笑い種にする学者もいる。しかしながらその行為は三流の識者の戯言であると思う。
観測すらできない時空にまで心配事をするのは杞憂であり、絵空事に
もう一つの世界が存在するかもしれないと心配するのならともかく、我々の常識の通用しない世界から侵略を受けるかもしれないと学会で発表したら、まず連れていかれるのは頭の病院である。
結果としてはその通りであったのだが、それは結果論だ。そんな些末事を一々真に受けていたら世界が大混乱になってしまうのは火を見るよりは明らかだ。
それ故に、あの時の犠牲や損害はまさに天災であり、手痛いが妙な言い方をするのであれば、仕方のないことであったとすら思える。
妖怪による侵略。その当時の我々は第一に敵の正体を知ることに努めたが、その全貌が掴めて来るなり別の、単純であるが見落としてはならない違和感に気づくことになる。
『”奴ら”は一体全体どこからやってきたのだ?』
知っての通り妖怪には我々の常識が一切”通用しない”、科学も、数式も、我々が培ってきた人類の叡智を鼻で笑いながら奴らはやってくる。
細い脚部から時速150㎞の豪速で走り回る妖怪が居る、羽もないのに自由自在な挙動で空中に浮く妖怪が居る。
空中にどこからともなく水泡を出す者がいて、突風を巻き起こす者がいて、認識阻害を発生させる者が居る、どれをともっても我々の理解の範疇を越えている。
種も仕掛けもなくそんな事をする、その身体構造に仕掛けがあろうともなかろうとも我々にとっては理不尽なことをしでかすのが妖怪だ。
あるとすれば”この世界以外の条理”に従っているとしか仮定のしようがないことは火を見るよりも明らかだった。
”彼岸”
我々は彼らがやってきたであろう世界をそう仮定した。
そうだ、
人には決して踏み越えられぬ、犯すことのできぬ境界を越えて。
想像するだに
これこそが、我々が
――――鱈鰡書籍『憑物憑きと日本史』 三章 九十二頁より抜粋
「ここが食堂、購買もあるけれど大抵は食堂で食べるね。最高学府に近いからかはさておき味は保証するし、国庫が背後にあるだけあって安いんだ」
「へぇ、種類も豊富だし……お弁当作ってこようかと思ったけど」
「そこらへん、教官から聞いていなかったのかな」
「あはは。姉貴は普段家に帰ってこないし……正直私がここに来ることなんてないと思ってたから」
「そっか、でもこれからはここのお世話になるんだよ。そうだ、おすすめを後で教えてあげよう」
彼女とまず初めにやっていたのは広々としたホールだった、薄いクリーム色を基調とした壁紙が柔らかい印象を与えてくる。
壁一面に渡る窓ガラスから集光された光は一面を満遍なく照らし、微妙な陰影をつけていた。
そして一面に並べ立てられる長机や入って右側に設置されているカウンターは、この場所が彼女の説明通りの機能を果たすべく存在しているのだということを言葉以上に表している。
妖憑きにとっての学校であるとはいえその内装には特別な変哲さもなく、普通であり、その事実に私は少しばかりの安堵を覚えた。
これで食堂まで一般的な何かではなく――例えば照明が魔術的な何かで動いていたり、配給方法が想像の付かないようなものだったり。
そうであったならば私はきっと狼狽して心細くなっただろうから、これから少なくない時間を過ごすであろう学び舎にそんな素っ頓狂な事実を見出せば不安になってしまうだろうから。
「君が来たのは丁度いい時間だった、正午の込み具合は想像を絶するものがあるからね」
時計を見れば昼食時間はとうに終わっている、今は食堂の人もおらず閑散とした印象が強くなっていた。
しかしながら、広いホールにさえ所狭しと並べ立てられた椅子はこの場所がどれだけ盛況に混雑しているかを表している。
「椅子、多いんだね」
「倍だからな、普通の」
言われて、気づいた。
この学校では人一人につき二つ分の椅子が必要なのだから、道理で密集するわけだ。
そう思えばさっきまで純粋な普通であった光景が、その途端少しの濁りが混ざったように見えて、目に見えないほどの濁りである筈なのに全然違う光景に見えて。
嫌になる
純度100%の普通しか普通であると見られないことにも
そして、些細な気づきがなければその違和感に気づくことができないことにも
「ねぇ。そんな暗い顔しちゃだめだよ、分かるけどさ」
「……えっ?」
「教官に聞いた、キミは普通であることに殊の外拘るってね」
そう言って私の方に向き直った彼女の瞳には、こちらを咎める意思も叱責する意思も込められていなかった。
彼女は困ったような、けれどもどこか穏やかな顔をしていて――私は困惑した。
私は、その時はっきりと困惑した。
困惑している自分を、冷静に認識した。
てっきり「この場所に来たからには普通である訳にはいかない」とか、そういった注意を受けるのだと思っていたのだ。
そう言われても当然であり、むしろこれからのことを考えるとそちらの方が良い方が明らかで、彼女はそれを分かっている筈だった。
いつまでも”向こう側”に未練を持ち続けることは危険だ、特に私が身を置くであろう世界では”妖”という異常を受け入れなければならないのだから。
それを理解しているからこそ、予想よりも遥かに狼狽した。
姉貴は厳格な人間だ、多くの書物にそう書かれている。
私の目の前では一人の姉貴だけど、私の見ていない、知らない姉貴はそれはもう厳しいらしい。
そんな姉貴が私のために任命した彼女は、姉貴の信頼に足る厳格さを持っているだろうと思っていたのだから。
「……なんで、怒らないの?」
だから、つい聞いてしまった。
唇から言葉が零れれば、その迂闊さに私が慌てる間もなく彼女は口を開く。
当然のように、その問いに対する答えに対してどのような疑問を抱いていないかのように。
「私はそれでも構わないと思ったからね。妖に対してどんな想いを持っていたとしてもそれを抑えることはできない、だったらそれでいい。害意や悪意を持っていた場合は対処が必要だろうけど――君にはそんなモノはないだろう? ただ普通でないもの、つまりは”彼岸”に関わることに抵抗があるだけ、それだけだろう?」
正式に登校することになったら一緒に来ようねと、いつの間にか繋がれた私の両手を繋ぎながら笑う彼女にとって。
私が普通であることに拘るのは、特に重要な事ではないらしいというのが分かって。
私は、明確な安堵を覚えた。
その後も、彼女は私の手を引いて色々なところを回った。
「ここが体育館、時折半壊したり全壊するけれど三日後には直っている不思議な施設」
「直しているなら不思議じゃない――いや、三日で治るのは不思議だけど」
「誰も直しているところは見てないらしい、それ故にこの件は學園七不思議の一つである『超高性能事務員』の仕業ともいわれている」
「……七不思議ってところは普通と同じなのかな」
「だろうね、けれどもウチの七不思議は公然の事実を元に組み立てられているのさ」
何一つとして変哲なところがない体育館を見回した後で「なぁに、体育館に自動修復機能はないから誰かが立て直しているのは確かなのさ」と注釈があったのは、私の顔があまりにも妙なことになっていたからだろうか。
それが少し的を外れた言い訳であったとしても、なんだかんだで気を使ってくれることが分かって気分が良くなった。
「ちなみに体操着って、あるの?」
「そりゃあるとも、体操着と言うよりも動くのに支障がない統一衣装だから世間一般で言うあの特徴的でない服装とは少しかけ離れて入るけれど――楽しみだね、キミの活動用衣装が見てみたいよ」
私は中等部で、彼女はその発育の良さから恐らく高等部だろう。
だから私の様子を見てくるとなれば彼女が授業を脱出してくるしかないけれど、まあ恐らくは模範的な学生である彼女がそんなことをすることはないだろう。
それを冗談だと一瞬受け取れなかったのは、そう告げた時の彼女の瞳が笑っておらず真面目な顔だったからだ。
ハッタリが上手いのは羨ましいけれど、冗談ならば一瞬でそれと分かる兆候が欲しいものだった、そう真面目な顔で言われると私はすぐに信じてしまうから。
趣向返しに微笑みながら「支給されたら見せに行きますね」と言ったら、彼女は目を見開いた後「楽しみにしているよ」と告げた、少しはしてやったかもしれない。
「権禰宜學園はその前身となる権禰宜養成所の名残を旧校舎としている、我々の主な活動区域は新校舎だ」
そう言いつつバルコニーにやってきた彼女が指さしたのは、森の向こうにあるありがちな古びた木造の校舎――ではなく、本校舎と少し離れた場所にある少し外壁が色あせたコンクリートの建屋だった。
旧校舎と言っても未だに使われているようで、曇ることなく磨かれた窓が整備され続けていることを教えてくれている。
「旧校舎はどのような用途で使われているのかな」
「うん、主に呪い等の実験や危険物の確保や隔離だ。
「危険物を扱っているにしては、距離が近すぎない?」
「物理的に多少の距離があればいいんだ。あそこ張られた障壁は強力でね、核実験のような爆発が起ころうと外側には
「……過去形なんだね」
「ああ、あの時は凄かった。旧校舎が無傷であったことの方がもっと驚いたけど」
學園七不思議のひとつ『何があっても壊れない旧校舎』だと説明を受けた、”旧校舎”って言葉はもっとおどろおどろしいことに使われるのが適切だと思うのだ。
廊下を歩いていると、眼下に広がるグラウンドで講義をしている最中だった。
「第三グラウンドだ、第一グラウンドはこちらの反対側にあるけれど第二は存在していない。これが七不思議のひとつ『存在しない第二グラウンド』だな」
「ひょっとして、私に學園七不思議を見せて回ってるのかな?」
「失敬な、説明しようと適当に歩いていたら七不思議の場所に行ってしまうだけだ」
それも随分なことだとは思うし、存在しない第二グラウンドなんて不思議ではあるけれど……随分とお粗末なことだと思う。
何かのミスで地図に表記ミスが起こり、それが今に至るまで尾を引いている――当時の人が『二』と『三』を間違えたのかもしれない、ありえない話でもないけれどそれが事実だとすれば普通じゃない杜撰さだ。
一対一で対人訓練を行っているらしい彼らの様子は遠いせいで小さく、その詳細を見ることは叶わなかった。
けれども、一人の妖憑きにつき、一体の妖が憑いている事を確認するのは十分だった。
「コハクと、これからあんな訓練するんだね」
「ああ、戦闘訓練なんてやったことはないだろうけど……人間に求められるのは戦闘力じゃない、以下に敵の攻撃を避け、パートナーと連携を取り、勝算のある戦略が練られるかだ。あんまり気負いしなくていいよ」
振り返って肩をすくめる彼女は、私が戦うことに怖気づいたと思ったのだろう。
確かに私は元一般人で、今は妖憑きだけどやっぱり精神は一般人だ、今すぐに戦えと言われてもできない。
肉体的にも、精神的にも、なにもタフなところはない。多分殴られたら泣くし……でも戦えと言われたら戦うだろう、自分が傷つくのは嫌だけど相手を傷つけるのは仕方ない場合は許容できるから。
けれども、私が心配しているのはそこじゃない、私なんて大した問題じゃない。
私が戦闘訓練をすることによって、少なからず傷つけられる機会があるだろう。
嫌でも仕方ないのだ、この学校においては私が一番の新米であり、そもそも『妖憑き』その者についての知識がないのだから。
仕方ない
仕方ない
仕方ないのだ
私が傷つくのは仕方ないことで
私が戦わなければならないのも仕方ないことで
けれども、私は恐れる
私が戦うことで発生する、恐らくは避けようのない、逃げようのない事実。
(コハクが、その時正気で居られるかってのが怖いな)
自惚れではない、と思う。
どこぞの鈍感難聴主人公ではないのだ、私は普通であり、それ故にコハクから与えられる無償の愛情が本物であると理解している。
そして、それが
そして彼女は、私が傷つくことをどうしてだか恐れるのだ。
それも転んだのだとか、自分が原因である内はまだ良い。
まあ、その時も彼女は「
彼女は、コハクと言う狐は、私が『誰かに傷つけられること』に対して過剰すぎるほどの反応を示した。
その時のことを思い出すと身震いがするのだが――ともかく、あれほどの”殺意”が訓練の度に発せられると思うと溜息しか出ないのだ。
これからのことが心配で、心配で、堪らなくて。
振り返った彼女が、どんな顔をしていたかは分からないけれど。
少なくとも、手を引かれるのと同時に感じた柔らかさは抱きしめられたからだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
「……んぇ?」
間抜けな声を出してしまったのを、どうか許してほしい。
私は「抱きしめられている」という現状の理解はできたけれど、「なぜ抱きしめられているのか」という意味の理解はできなかったのだ。
「そろそろお別れだ、教官から連絡が入ってね。コハクちゃんとの質疑応答が終わったから合流するように、だって」
「それと抱きしめていることに、何の繋がりが?」
「やだなぁ、お別れのハグだよ」
少なくとも、私の知るお別れの抱擁はこんなに長く続けるものではなかった気がする。
それに、こんな深く抱きしめることもなかった気がする。
これは、普通じゃない
けれど、嫌でもない
拒否するのもなんだか失礼に値する気がしたから、そのままにしておいたら軽く3分はそのまま抱きしめられていた。
3分、180秒、口にするよりもそれはずっと長い時間。
彼女の柔らかいところと、硬いところ、意図せずに全部わかってしまうだけの時間、私たちはそうしていた。
「じゃあね、楽しみにしているよ」
どちらからともなく離れれば彼女は、呆気なく行ってしまった。
何の未練も感じさせずに、にこやかな笑みを浮かべて。
果たして何を待っているかは分からなかったけれど、多分先程約束してしまった任務用衣装の件だろう。
私としては冗談で言ったつもりだったけれど彼女は本気で受け取ってしまったらしい、面倒だけど彼女のクラスを聞いておく必要があるだろう。
……あれぐらいの美人なんだから聞けばすぐ答えが返ってくることは分かっている。
「少し遅かったじゃないか」
廊下を曲がれば、姉貴とコハクはもうすでに待ち合わせ場所にいた。
左手にハメた腕時計をちらりと確認する姉貴は、多分1分間に4回は同じ動作をしたのだろう。
時間厳守を信条とする彼女は、それが自分であろうとも他人であろうとも待ち合わせの時間付近になるとやたら時計を見る癖があったから。
その隣で佇んでいるコハクは、私と二人きりの時からは想像もつかないほど大人しく待っていた様子だった。
私が近づけば、彼女は姉貴の隣からすっと私の右後ろに移動して
すんすんと、音がする。
すんすんと、鼻腔を震わせる音。
はぁー…と、吐き出される音。
再び、すんすんと、音がする。
「……ア、ハァ……なるほど」
その声は平然としていて、どこか自らを納得させるような声色で。
恐ろしいものではない筈なのに、私は自分の耳がまるで骨を失ったかのようにペタンとへにゃってしまうのを確かに感じた。
「姉貴、その――」
「ああすまん、私の役割はこれで終わりだ。明日からお前は正式にこの学校へと転校することになる、姉としてこれしか言えないのはつらいが――励めよ」
私の肩を叩いて、姉貴はあっさりといなくなってしまった。
誰も居ない廊下へと、あとに残されたのは茫然とした私と、そっと後ろから寄り添うように密着し始めたコハクだけで。
私の部屋以外では接触すらしない彼女がそれを忘れて、その口から、ぶつぶつと念仏のような呪詛のような言葉が吐き捨てられるのを。
壊れた蛇口のように訥々とダダ漏れになる言葉が、なぜだか私にはその一言一句とも間違わずに聞き取れてしまったから。
「臭う、臭う、臭う――これは実に
理性を伴い制御のできるヤンデレなのでセーフ
ちなみに友ちゃんとコハクが好意を寄せるのは理由があると思うよ、ちなみにこれ以上レズハーレムにはならないと思うよ、50%の確率で