いくら全国大会まで存在する人気科目と言えど、戦闘機道はあくまでも授業の一環である。つまりそれ以外の時間には他の授業も行われている為、戦闘機を探す時間はかなり限られてしまう。5人は就業のチャイムと共に直様ジャージに着替えると、学園の裏山を訪れていた。
校舎の周囲は自然に囲まれている為、戦闘機探しは困難を極める。何せ、この学園が戦闘機道の世界で名を馳せていたのはそれなりに昔の事だ。戦闘機も泥を纏い、まるで迷彩を纏った狙撃兵の様に山に身を潜めている。足の裏が踏みしめる地面、迂回しなければならない池。どこにでも戦闘機がある可能性が隠れているのだ。
「華さんは、どんな戦闘機に乗りたいの?」
草をかき分けながら、みほが華に尋ねる。華は顎に手を当てて暫く悩んだ末に、困った様な笑みを浮かべる。
「そこまで戦闘機に詳しい訳ではないので……。そうですね……。願わくば、一撃離脱を主とした戦闘機の方が、やりやすい気がします……」
「一撃離脱!メッサーシュミットBf109などが有名ですね。しかしBf109は既に生徒会の河嶋殿が使用していますから……」
一撃離脱に重点を置いた機体は、メッサーシュミットBf109だけではない。むしろ薄い装甲がメインとして使われていた大戦中は、一撃離脱戦法を用いた機体の方が多い筈だ。
「疲れた。休憩」
戦闘機を探せる時間は限られて来る。日も傾きかけて急がなければならないと言うのに、麻子が岩に腰を下ろした。休憩を入れるという事は既に確定事項だったのか、彼女は腰にあるポーチの中から、コンビニエンスストアで販売している小さなケーキを取り出した。
「仕方がないなぁ。ごめん、みぽりん。少し休憩しない?」
やはり幼馴染の我儘には弱いのか、沙織も地面にハンカチを敷き、その上に腰を下ろした。みほも、勿論嫌がる皆を強制的に引っ張って探す様な人間ではない。焦りの気持ちは残しながらも、みほもその場に座り込んだ。
「そうだね。休憩しようか」
「ああ、それなら私が良い物を持ってきているでありますよ!」
優花里が背負っていたリュックを下ろし、ステンレス製の水筒を取り出した。そして全員にまたステンレス製のカップを配ると、水筒の蓋を開ける。コーヒーの香ばしい匂いが、辺り一面に漂った。
「……飲まなかったらどうするつもりだったのですか?」
「その時は、私が一人で飲んでました!ささ、五十鈴殿」
優花里が華のカップにコーヒーを注ぐと、白い湯気が立ち上った。
「華さんって『お茶』ってイメージがあるけど、コーヒーも飲めるんだね」
「ええ。コーヒーも好きですよ」
華はコーヒーを一口啜ると、ふぅと息を吐いた。その動作が妙に艶やかだった事が気に食わなかったのか、沙織も華を真似する様に、ズッと一口だけ吸い込んだ。
「やっぱりコーヒーは大人の女って感じがするよね。私、益々モテちゃうかも」
「沙織さんは男性におモテになるのですか? その割には、男性とお付き合いをされている所を見たことがありませんが……」
「華は黙ってて!」
男性経験が少ないと言う華の予想が当たってしまったのか、沙織は顔を真っ赤にしてコーヒーを飲み干した。思いのほか熱かったのか、涙目でチロリと赤い舌を出している。そういった沙織の動作はやはり同性のみほから見ても魅力的で、彼女が何故モテないのか、不思議で仕方が無かった。麻子はと言うと。カップを持ったまま突然立ち上がり、沙織の隣に腰を下ろした。
「どうしたの麻子? 一人で岩の上は寂しかった?」
「違う。なんかツルツルして座りにくかった」
「……ツルツル?」
川の流れで揉まれ水中に転がる石なら分かるが、『ツルツル』と言う表現は、地面に半分ほど身を埋める岩には到底似つかない。みほはコーヒーを飲み干して立ち上がると、岩の表面を手で撫でてみた。指の当たった所から、ポロポロと固形になった砂が落ちていく。――やはり、それは岩では無かった。
「……これ、戦闘機だよ!」
整備部と自動車部によって格納庫に運ばれたその機体を見て、優花里は感嘆の声を上げた。
「F2A! バッファローの愛称を持つ、ブルースター社制の艦上戦闘機です!12.7mm機銃も無事みたいですから、明日のフラッグ演習でも飛ばせますよ!」
「ゆかりん、戦闘機の事となると性格変わるよね……。ほら、華。座ってみたら?」
沙織の誘いに、華が頷いた。彼女は鞄からゴーグルを取り出して装着すると、ゆっくりとコックピットに腰を下ろす。密閉性のコックピットの中は、整備部により快適に修理されていた。計器も問題は無さそうだ。
「時間は遅いけど……飛行訓練だけしておこうか。タキシングの方法とかは大丈夫?」
「ええ。一通り覚えています」
そう言うと華は、コックピットを閉めた。密閉性のコックピットでは、蓋を閉めてしまえば此方の声は届かない。みほは携帯電話を取り出すと、華へ電話を掛けた。華はしばらく計器の不備を確認していたが、此方の電話に気が付いたのか、ポケットから携帯電話を取り出した。
「通信機代わり。音質は悪いけど、何もないよりはマシだよね」
『ええ。ご指導お願いします』
華が操縦桿を傾けると、バッファローの頭が、次第に滑走路と直線状になって行く。やがてバッファローの頭が滑走路と直線状になると、華が操縦桿を押し込んだ。重低音と共に、バッファローが次第に速度を増して行く。プロペラの音が、みほの鼓膜を揺らしていく。バッファローがぐらりと揺れた。プロペラの影響だろう。
『みほさん。どうすれば……』
「落ち着いて、ラダーペダルを踏んで調整して」
通信機の奥で二、三度深呼吸が聞こえると、機体の頭がようやく元の方向へ向いた。後は離陸のみだ。バッファローはみるみる速度を増して行き、瞬く間に離陸可能速度へと到達した。
「操縦桿を引いて!」
バッファローの車輪が、滑走路から離れる。長年土に埋もれていたバッファローが、ようやく再び、空を舞い上がる時がやって来たのだ。
『夜の海……。とても綺麗です』
月明かりの反射する海面に見惚れて、華が声を漏らす。みほも同感だった。月に照らされる漆黒の海面は、どんな宝石よりも美しさを誇っている。
「華さん。もう少し上昇して、下方に旋回して。練習試合では、絶対に旋回が必要になると思うから」
『旋回……ですか……』
華の声が篭る。
「こればっかりは、慣れるしか無いからね」
旋回による圧力を跳ね除ける方法があるのなら、是非使いたいものだ。みほも何度となく戦闘機に乗ってきたが、全身を痛め付ける圧力は耐え難いものがある。
バッファローは機首を下方へ向け、ぐるりと反転した。風圧に煽られた海面が、小さな波を立てる。ここで操作を間違ってしまうと、海面に頭から突っ込んでしまう。しかし上下感覚を失ってしまいがちな初心者は、操縦桿を引いてしまう事が多かった。結果機首は海面へ近付き、操作不能となり、機体を大破させてしまう。
「華さん。操縦桿を倒してください」
なるべく冷静に話し掛ける。機体は反転したまま頭を無限の星が広がる空へと向け、ようやくコックピットを上へと向けた。
『……ッ!やりました!』
華が歓喜の声を上げる。少し調子は悪そうだが、その場で上げてしまう程のものでは無い。これならば、ある程度のドッグファイトも可能だろう。
「それじゃ、着陸しようか。あの時は上手く出来てたけど……大丈夫そう?」
『やってみます。機首を下に向けながら減速……ですよね?』
「うん。勿論、忘れずにタイヤを出してね」
華の機体が、減速しながら滑走路へと近付いてくる。プロペラの振動が空気を震わせ、みほの鼓膜から心臓までをも突き抜ける。
「もう少し減速。そう……機首を上げて。タイヤが滑走路に当たる時は少し揺れるけど、失敗した訳じゃ無いから冷静に」
『はい!』
威勢の良い返事と共に、バッファローのタイヤが滑走路を捉えた。機体は小さく跳ねながらも、機体は重力に従い続ける。
「そのまま減速」
みほの指示通りに、バッファローが減速して行く。プロペラの音は次第に弱まり、やがて夜の静けさが滑走路を包み込んだ。コックピットが開くと、優花里が歓声を上げる。
「凄いです!感動です!こうして間近でF4Fバッファローの着陸を見られるとは!」
「凄いよ華!見惚れちゃった!」
「上手だった」
三者三様、照れて笑う華を褒め称える。みほにとっても、彼女の飛行に不満は無かった。機体も申し分無い。
「格好良かったよ、華さん。みんなも……明日は頑張ろう!」
明日。フラッグ戦演習を終えた大洗女子学園は帰港し、聖グロリアーナ女学院との練習試合が行われる。勝つ自信は無い。大洗女子学園は、圧倒的に戦闘機の練習時間が足りていないからだ。それでも、楽しむ自信はある。黒森峰の生徒だった時には感じる事の出来なかった高揚感が、みほの全身を包んでいた。