「はい、次の方ー」
「どーも、眼帯のお兄さん」
「…………」
「ど、どしたのかにゃ?」
「何やってんですか、エ……高槻先生?」
「にゃっ!? にゃんのことかなカネキケンくん!?」
「語るに落ちてるじゃないですか。
え? 高槻先生がエ「はーい! カネキュンちょいとこっちおいで! 塩野! ここしばらく任せた!」……うわー、本気でマジなんですか」
「ちょ、ちょいと話し合おうじゃないか!」
「えっ!? ちょっ、高槻先生ー!?」
━━━━━西尾錦━━━━━
「月山さんっ! ヒナミちゃんに「私を食べて」とか言わせるなんて何考えてるんですかぁっ!?」
「フハハハハ! 何を勘違いしているのかね、カネキくん!
僕はただリトルヒナミが、カネキくんと霧島さんがお互いの赫子を生やすぐらいに仲の良いことを羨ましがっていたので、リトルヒナミも霧島さんと同じことをしたらどうだい? とアドヴァイスをしてあげただけじゃあないか!」
「言葉の選択に悪意を感じるのですけれどっ!?」
「そう言われてもアレ以外にどんな表現の方法があったのかね?
残念ながら僕の拙い表現力では思いつかなくてねぇ」
「よくもまぁ、白々しいセリフを言えますね。
そんなにカレンさんとの結婚が嫌なんですか?」
「それはない! ……失敬、つい取り乱してしまった。だがね、カネキくん。経緯はどうあれカレンを娶ること自体には不満は持ってない。それだけはハッキリ言っておこう。
僕が気に病んでいるのはカレンを女性だと気付かなかった自らの不明と、あの日カレンに紳士的とは言い難い扱いをしてしまったことだけさ。
まぁ、前者については僕の不明だからカネキくんには関係ないが、後者については無関係とは言わせないよ」
「それは観母さんとか松前さんとかカレンさん本人に言ってください。
言っておきますけど、カレンさんが嫌がるようでしたらあんなことしませんでしたからね。男冥利に尽きるじゃないですか」
「だったら僕も同じセリフを返そうじゃないかね。
リトルヒナミが嫌がるようなアドヴァイスはしたつもりはないし、リトルヒナミのような可憐な少女にあのようなことを言われるのは男冥利に尽きるのではないかね、カネキクゥン!?」
「ぐっ!? ……そのセリフ、後ろを振り向いても同じこと言えます?」
「は? 後ろ?」
「御曹司……」
「ん? ああ、確かリトルヒナミの御父上のムッシュアサキだったか…………ム、ムッシュアサキ?
その手にお持ちになられている注射器とペンチは何なのかな? 明らかに我が家の庭には相応しくないと思うのだが……」
「御曹司、あまり思い出したくもなく言い触らしたくもないことですが、私は昔、ヤモリという喰種の手伝いをしていたことがありましてね。カネキくんとトーカちゃんに助けられたときもヤモリが……まぁ、今はそれは置いておきまして。
そのヤモリというのは拷問が好きな喰種でして」
「ムッシュ!? ムッシュアサキ!?
雇い主! 僕はムッシュの雇い主!!」
「あいにくですが私の雇い主は貴方ではなく、貴方の御父上です」
……なーにやってんだ、あのバカどもは?
確かにあのヒナミがいきなりあんなこと言い出したのには俺でも慌てたから、親父さんが怒るのは無理ないかもしれないけどよぉ。
でも使用人の目の前でお坊ちゃんを痛めつけようとするか、フツー?
「ふわぁ~、車って色んな種類があるんだねぇ」
「ええ、大きさは軽自動車から大型のバンまでは言うまでもなく、ご要望でしたら最近販売され始めた1~2人乗り用の超小型電気自動車のような特殊なものまでご用意出来ます。
ただ金木様の取得された普通自動車免許ですと、11人乗り以上のマイクロバスのような大きな車は運転することは出来ませんので、そのような運転することの出来ない車のカタログは除いております」
「さ、流石にそこまで大きな車はカネキくんも持て余すんじゃないかしら?」
「でも貴未さんやリョーコさんのもしもの時のことを考えると、お腹の大きな妊婦さんでも楽に乗れるような大きい車の方がいいですよね。
(貴未さんの前だから言わないけど、死体運びのときも大きな車の方が便利だし)」
「それはとてもありがたいわ。最近のお腹の大きさだと何処に行くのも大変で……。
ホラ、ニシキくんもちゃんと見てよ。もしかしたら私たちもお世話になるのかもしれないのよ」
「お、おう……」
で、女どもは女どもで、向こうのバカどものバカ騒ぎをスルーして和気藹々と車のカタログなんて見てやがるし。
いいのかよ、ヒナミ。父ちゃんと兄ちゃんが酷いことしようとしてんぞ?
いいんスかね、松前さん。お宅のお坊ちゃんが拷問されようとしてますよ?
いいんスかね、リョーコさん。ダンナさんが勤め先の御曹司を拷問しようとしてますよ?
いいのかよ、トーカ。カネキのヤローが明らかに人の心なくしてんぞ?
そして貴未。お前ってそんな神経図太かったっけ?
定例の……ってわけじゃないけど、月山のヤローの嫁さんが妊娠してから度々行われるようになった月山家庭園でのお茶会。お茶といっても妊婦にカフェインは良くないので、出されるのはもちろんデカフェコーヒー。
元々は離れて暮らしていたヒナミとリョーコさんたちが会うために行われていたお茶会だったらしいけど、最近は妊婦が増えたせいか俺が貴未に付き合って参加するぐらいにその内容が変わりつつある。
ま、要するに同世代となる子供のためのコネクション作りだ。
俺としても自分のガキには何でも話せる友達の1人や2人は作ってやりたい。ただでさえ俺と貴未のガキはハーフっていうハンデがあることだしな。
その友達が月山のヤローの子供ってのは不安だけど、そこはカレンさんや松前さんとかを信じることにする。あの人たちはマトモだ。
いつもの参加者には月山の嫁さんのカレンさんと、そのお付きのメイドで同じく妊娠中のアリザさんもいるけど、何だかカレンさんはつわりが酷いらしいので大事を取って今日のところは不参加だ。アリザさんはその付き添い。
それなら中止にした方がいいかもと思ったが、ヒナミもリョーコさんたちに会いたいだろうし、月山家としてもいくら若奥様が寝ているとはいえ客を歓待しないのは恥である、という感じで予定通りにお茶会がスタートした。
ついでに車の免許を取ったカネキのために月山家から車が贈られるらしく、女どもは車のカタログを見てあーでもないこーでもないと騒いでいる。
こういうところは人間でも喰種でも、女ってのは変わんねーなぁ。
……あれぇ~、おかしいな?
今のこの場所では人間の貴未だけが仲間外れのはずなのに、何故か俺だけが感じているこのアウェー感。
何か向こうの殺伐した空気とこっちのほのぼの空気の対比っておかしくね?
それにしても若奥様が妊娠したってわかったからって、そのお礼に車を一つポンとプレゼントってのは流石は月山財閥だわ。
「カ、カネキは何て言ってたんだ?」
「言うも何も、カタログをトーカちゃんにポイと渡して向こうに行ったのはニシキくんも見てたでしょ?」
「あ、いや……そうじゃなくて、車持ったら維持費とか駐車場とかあんだろ。アイツの住んでいるところって、大きな車を駐車出来るような駐車場付いてんのか?
それに免許取り立てで大きな車を運転するのは難しくねぇかな? 免許取るのは一発で合格出来たって言ってたから、そんな下手じゃないとは思うけどよ」
「あー、そういうことも考えなきゃ駄目かぁ」
「運転のし難さはともかく、何でしたら維持費や駐車場代、それこそ別の住居を用意する費用につきましても月山家で持たせて頂きますが……」
「そ、そこまでするのはカネキが気に病むんじゃないですかね?」
「いえ、待望の次々代の跡継ぎを得ることが出来たという、月山家が金木様から受けた御恩を返すのにはむしろ足りないくらいかと。
御当主である観母様からも、金木様には最大限の援助をするようにも申し付かっております」
「い、いやぁ……男にとって車ってのは一種のステータスシンボルみたいなもんだから、維持費まで出して貰うとカネキも自分の車って気がしなくて気楽に乗り回せないんじゃないかなぁー……っと。
自分の金を使ってこそ愛着が沸くってもんですし」
「そうね。確かに男の人ってそういうところはあるわね。
仕事道具だからニシキくんの言ったこととは少しズレるけど、アサキさんも自分の道具は自分で手入れをしているもの」
「このスポーツカーってカッコイイ……」
うわー、ここまで好意を示されると、逆にカネキも大変だわ。
確かに月山の家としても喜ぶのはわかるよ。何しろたった1人しかいなかった嫡男に子供が出来たってんだから。
それに加えて月山のヤローは子供が出来たのを知るとスッカリ人が変わったらしく、
しかもカネキの協力があれば、これからも子供は増える可能性大なわけだし。
……棚ボタで俺の大学卒業後の就職も月山財閥系列の会社に内定が決まったから、俺としてもカネキには感謝してるけどな。
生活費を稼ぐためとはいえ、喰種に関係ないどっかの会社に入って正体がいつバレるかビクビクする必要がなくなったってのは、貴未とこれから生まれてくる子供を守るためには良い環境だ。
ま、俺のためっていうか、貴未と子供のためにカネキも観母さんに頼んでくれたんだろうけどさ。
それとヒナミ。カネキがスポーツカー乗り回す姿なんて似合わないから止めておいた方がいいぞ。
血売って儲けてるカネキの収入だったら、よっぽどのスポーツカーでもない限り維持出来んだろうけど。
「それと大学に車通学するんだったら、カネキのキャラに合わないような車は止しておいた方がいいな。スポーツカーとか」
「ええ~~」
「我慢しろや、ヒナミ。
まぁ、草食系キャラのカネキなら軽自動車が一番似合いそうだけど、最近のカネキは髪も以前の坊ちゃん刈りみたいなダセェ髪型じゃなくなって服装も気を遣うようになってるから、大抵の車なら大丈夫じゃね」
「フフン♪」
何でトーカが得意そうな顔すんだよ。
確かにカネキの服はトーカが選んでるって聞いてっけどよ。
「そのせいでカネキって結構大学の女から人気が出てるらしいぞ。永近が言ってた」
「え゛っ!? 何それ聞いてない!?」
「ニシキくん!」
「いや、むしろこれは言っておいた方がいいだろ。
カネキって最近は明らかに金回りが良くなってるじゃねーか。着ている服も上物だし、(ウチの姉貴もそうだったけど)女ってそういうとこに目敏いからな。
しかも身体鍛えて男らしくなった上、喫茶店業務の経験のせいか仕草とかも綺麗というかキリキリと動くようになったから、そりゃそこらの女の目にも止まるよ」
「そうねぇ。確かにカネキくんは初めて会った頃よりも大人っぽくなったわよね。
身長とかは変わっていないみたいだけど、顔つきとかは変わった気がするわ。髪も少し伸ばしたみたいだし」
「うーん、そうかなぁ? ヒナミはお兄ちゃん変わってないと思うけど?」
トーカと同じくヒナミにはゲロ甘だからな、アイツ。
どうせ初めて会ったころと態度は変えたりしてねぇだろうから、ヒナミは気付きにくいだけだろ。
「ペンチで、指を……」
「金木くん、ちょっと薔薇園でムカデとかミミズ探してきてくれないかな?」
「
……いや、やっぱカネキ変わったわ。
喰種に成りたてだった頃のアイツを知っている身としては、あんなことしてるアイツ見てると何か感慨深くなってくるわ。
というか性格変わり過ぎじゃね?
しっかしそろそろ止めに入った方がいいんだろうか? 月山のヤローを助けに入るのは癪だけど将来の雇い主だし。
でもそれに何だかんだ言いながらカネキもアサキさんも月山を口で脅してるだけで、まだ実際に傷付けたりしていないんだよな。
執事の松前さんが止めようとしていないし、そもそも椅子に縛り付けられている月山が本気で抜け出そうとしていないからな。あんなちゃちい束縛だったら、俺たち喰種なら椅子壊してでも簡単に外せるし。
アレか? いわゆるツッコミ待ちか?
そもそも何で俺は月山のヤローは呼び捨てにしておいて、その使用人の松前さんとかは“さん”付けしてるんだろうか?
「あ、そうそう。カネキくんの髪といえばトーカちゃん、ハイコレ」
「これがお願いしていたのですか? ありがとうございます」
「ハ? 何スか、そのハサミ?」
「アサキさんが作ったクインケ鋼で出来たハサミよ。これならカネキくんの髪の毛も切れるんじゃないかしら?」
「今はわざわざ赫子を使って切るから、髪の毛切るだけで大事なんですよ。
これだったら気軽にカネキの髪の毛の手入れを出来るかも……」
「……そっスか」
カネキはいったい何処まで行くんだろうなぁ?
思わず遠い目をしちまったぞ。
カネキには悪いけどさ。古間さんからカネキが喰種として生きていくことを決めたってのは聞いたけど、やっぱり俺はカネキのことを同じ喰種とは思えんのよ。
いや、決してアイツのことが嫌いとかじゃねぇよ。
面と向かっては照れ臭いし最初の出会いが出会いだから言い難いけど、共食いから助けてくれたこととか貴未に血を分けてくれていることとか、アイツには世話になっているし感謝もしている。何かアイツが困っているんだったら手を貸すぐらいにはな。
けど、その……何だ。ぶっちゃけアイツって喰種以上のバケモノじゃん。
人間がネズミで喰種がネコだとしたらアイツはトラって感じで、明らかに1人だけ人間と喰種とはスケールが違うじゃん。店長とカネキのタイマン訓練見たことあるけど、CCGからSSSレート認定されている店長以上のバケモノだわ。
もうアイツが“隻眼の王”を名乗ればいいんじゃないかね?
ウン、仲間だとは思ってるよ。アイツは同じあんていくの仲間だ。そう思っているのは間違いない。
間違いないけど、たまーにカネキのことを新入りとしか知らないあんていくの客で、馴れ馴れしくカネキに先輩振るというか先達振る喰種がたまにいるんだけど、そういう光景見るたびにヒヤヒヤするんだよ。
ぶっちゃけアイツ怖い。良いヤツだってのはわかってんだけどよ。
でも「赫者になれば戦いでも服の心配がなくなるのかな……」とか呟いているのを見ると、明らかに常識が違うんだよね、俺たちと。
いくら11区で白鳩と戦ったときに服がボロボロになったからって、そのために赫者になろうとすんなや。
ロマのアホは「想像と違ったけど魔王っぽいのもイイ!」とか喜んでいたけどよ。
そんでロマはそのあとトーカに店の裏へ連れてかれたけど、そこで何があったかは知らん。
「やあ、皆さん。お揃いですね」
「観母様」
お、御当主様登場。
松前さんが椅子から立ち上がって挨拶したので、俺たちも立とうとしたら「いやいや、そのままそのまま」と言って自然に俺たちの中に入ってきた。
……この人が月山のヤローの親父さんってことが未だに信じられんわ。紳士過ぎじゃね?
「特にリョーコさんやキミさんは大事なお身体。礼を尽くしてくれるのはありがたいですが、まずはご自分のお身体とお子さんのことをお考えください」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ普段からカレンがお世話になっております。これからも先達者として彼女にアドバイスを頂けると幸いです。頼りになるウチの松前たちでしても、流石に妊娠となりますと経験者からのアドバイスというものは出来ませんので。
それと習くんは……まったく、お客様を放っておいて何をしているのかね?」
「耳の中に、ゲジゲジを……」
「ちなみにゲジゲジの正式名称は“ゲジ”。ムカデに似ているが毒は持っておらずゴキブリとかを食べてくれる益虫だよ」
「
スルー!? 向こうの惨劇はスルー!?
月山が次期当主としての勉強を精力的に始めた頃から、月山自身が助力を求めない限り不必要な助けはしないっていう教育方針に切り替えたって聞いていたけど、流石に拷問は見逃さない方がいいんじゃないですかね!?
「ウチのカネキとじゃれているだけですよ」
「そう言って頂けるとありがたい。確かに時には殴り合いをすることが出来るような友人は得難いものですからね。
さて、年寄りが若者の集まりにいつまでも顔を出していたら興醒めでしょう。挨拶も終わりましたので私はこの辺で」
「ご丁寧にありがとうございます」
「はい、金木くんにもよろしくお伝えしてください。松前くん、あとは頼みましたよ」
「こちらこそカネキが挨拶もせずに申し訳ありません」
……さも当然のようにトーカがカネキの代わりに挨拶してるのもスルーすべきなんだろうか?
いや、他の誰がカネキの代理になるのかと言われたら困るんだけどよ。
観母さんは去り際に俺の肩をポンと叩いて「ニシキくんもこれからよろしくお願いしますよ」と言って立ち去った。
その「よろしく」ってのは就職してからのことなんですかね? それともカネキを月山財閥に引き込むよう手ぇ尽くせってことなんですかね?
まぁ、月山財閥がカネキを引き込みたいってのはわかる。
近いうちに店長が昔所属していた組織ってとこから勧誘が来るとかって聞いてるし、余所に取られたくない月山財閥としては同じ大学に通っている先輩喰種の俺に唾つけた勢いでカネキを引き込みたいんだろう。
けどアイツはまだ1年生だし、何よりも卒業後はこのまま喫茶店とか開きそうな雰囲気なんだよな。トーカと一緒に。
貴重な就職先だから便宜図って媚び売っておきたいところだけど、他の組織に取られるってんならともかく、喫茶店やるってことなら応援してやりてぇんだけどなぁ。
でもカネキとトーカはこのままでいいんかね? 特にカネキ。
別にトーカが悪い女ってことじゃないし、世話になってる身でこういうことは言いたくないけど、カネキはトーカに構い過ぎっつーか依存し過ぎだと思うんだが? 何かあればすぐにトーカちゃんトーカちゃんだ。
半喰種になってアイツも大変なんだと思うけど、行動の基準をトーカに置き過ぎっぽいんだよな。
多分カネキのヤツ、トーカが言ったら白鳩にだってケンカ売るぞ。現にトーカの弟のために似たようなことしたし。
とはいえリゼがカネキを喰種の世界の入り口に立たせた女なら、トーカがカネキを喰種の世界の中に入らせた女だ。
そして何よりもカネキはトーカと出会わなければ、空腹を耐えきれずに永近のヤツを喰っていたのかもしれないことを考えると、それは仕方がないかもしれない。
いや、あのときのことは半分以上俺のせいなんだけど、でも俺のことがなくても肉を喰わなければいつかは飢えて狂っていただろうからな。
今のカネキは人間の食事も取れるからそんな心配はないけど、カネキの話を聞くとどうやら以前味わったあの飢えの苦しみの経験は、今でもカネキの深いトラウマになっているみたいだ。
むしろ今が飢えに苦しんでいないからこそ、余計にあの地獄のような飢えが怖いのかもしれないな。アレは俺もわざわざ飢えようとは思いたくないぐらい辛いし、それこそ元人間だったカネキにはもっと酷だろう。
それから助けたのがトーカってんだから、そりゃカネキもトーカに感謝するだろうし、世話になり続けたら情も沸いて惚れもするわな。そこらへんは仕方がない。
まぁ、だからカネキがトーカにベッタリなのも惚れた弱みと言っちまえばそれで終わりなんだけど、それが将来的にとんでもない爆弾になりそうな悪い予感がするんだよ。ホント。
いやだってさ、カネキがトーカに依存しているっぽいけど、トーカもカネキに依存してるっぽいんだよ。貴未も言ってたから俺の勘違いじゃないと思う。
ただしトーカがカネキに依存している理由はカネキみたいに深刻な理由あるわけじゃなく、トーカの好みにカネキがど真ん中だったってだけの理由っぽい。
トーカは弟のアヤトのことがあるから、本人は否定しているけど下の人間の面倒を見たがるタイプだ。ヒナミ相手なんかだと特にそういう傾向が出ている。
そんでそれとは別に、頼りがいのある男が好き……というより、ありゃファザコンって言葉が一番似合いそうだな。少しの間だけ店で働いていたときのアヤトとの会話を聞いてたら、事あるごとに父さん父さんだったし。
きっとトーカは父親みたいに頼りがいのある男に甘えたいって欲求持ってるんだろう。普段気を張ってるから余計にだ。
そしてカネキは普段ポヨヨンとして頼りなさそうだからトーカは自分が面倒見なきゃ、とか思ってそうだけど、何かあったら弟を助けて来たみたいにその強さで頼りがいのある一面を見せるギャップを持っている。
そんなところがトーカの好みには思いっきりあってるんだろうな。
だけど世話の焼き甲斐があっていざという時には頼れる男が好きって言っちまうと、何だか一歩間違えればトーカがただのダメンズ好きに思えてきた。アイツ将来ヒモとか養いそうじゃね?
心理学の授業は取ってないから詳しくないけど、共依存とかそんなことになったりしないかね、アイツら?
だいたいトーカが食事代わりにカネキの血を飲んでいるのは知っているけど、だとしても3日毎なんか頻繁に飲んだりしなくても平気なはずだ。絶対違う意味で飲んでるぞ、トーカのヤツ。
でもそれっていわゆるカニバ……いや、よそう。きっとあれだ。食事という理由で大手を振ってカネキとスキンシップ出来るのが嬉しいだけだろう。きっとそのはずだ。ヒナミがいないときは手首からじゃなくて首元から血を飲むのもそれの一環だ。
カネキに羽赫生えたから、トーカの羽赫はもう喰わせなくてもいいはずなのにまだ喰わせ続けているのもそんな理由だ。そうに違いない。
というかカネキはあんだけ献血して大丈夫なんだろうか?
トーカとヒナミの普段の食事代わり、貴未とリョーコさんとカレンさんとアリザさんの栄養ドリンクとして、更には月山家に売る血酒用といった感じで、週に1リットルを越えて2リットル近く献血してるぞ、アイツ。
まぁ、ケロッとしているから大丈夫なんだろうが…………ガキが生まれたら、カネキに何か礼をしなきゃな。今は礼をしてもどーせカネキのことだから、貴未と子供を優先してくださいとか言うだろうから今はしないけど。
でもどういう礼をすればいいのかがわかんねぇ。血売ってるおかげで俺より金持ってるし。
今度、店長に相談してみるかね。
━━━━━
カランカラン、と店のドアベルが鳴る。
「申し訳ありません。もう閉店……芥子か」
「久しぶりだな、功善」
「私を始末しに来たか? 芥子」
「…………カネキケン、はいないよな?」
「やはり彼が目的か。今はいないさ。今頃は家で勉強中だろう。年度末試験が近いからな」
「そうか。ならいい。
それで……お前を始末? まさか? それならもっと大勢でくるよ。“大勢”でね」
「いや、それでも無理だろう」
「…………ハッキリ言うなよ。何なんだ、アレ? 本当なのか?」
声が震えてるぞ、芥子。しかもいつも口にモノを入れてニチャニチャしてるのに今日はしていない。
まぁ、私が知っていることの全てを明かしているかもしれないかと思うと、カネキくんが怖いんだろうな。
11区の戦いからもう2ヶ月が過ぎている。
私が姿を現したことは当初からわかっていたのだろうが、一緒にいたカネキくんの正体に辿り着くまでは思ったより時間がかかったようだ。
まぁ、Vとしても予想外に過ぎるから仕方がないのだろうな。芥子のあの様子だと月山財閥で行った検査結果なども手に入れているようだが、それが本当かどうか信じ切れていなかったのだろう。
それが私が肯定したことで信じざるを得なくなったようだが、どちらかというと信じたくはないといった気分なんだろうな。
「功善、カネキケンを手に入れたお前はいったい何をする気だ?」
「…………」
「Vに歯向かうつもりか? そんなに妻と娘のことが忘れられないのか?」
「…………」
「悪いことは言わん。止めておけ。
正直に話せば、確かにカネキケンの力が本物なら我々とて危険だ。
だが所詮は個人の強さだ。お前のこの喫茶店を含めてもな。どんなにお前らが頑張っても共倒れが精一杯だ」
「…………」
「…………功善」
それはそうだろう。確かにあんていくも一応は組織という形をとっているが、Vに比べたら木っ端に過ぎない。
カネキくんもその力でVは倒すことは出来たとしても、形振り構わないVの権力を用いた反撃にあったら、その後はヒトの世界から姿を消す未来しか待っていない。
芥子の言う通り、Vと私たちでは共倒れが限界だろう。
……カネキくんがいなかったら、その共倒れも無理なんだろうが。
「どうする気なんだ、功善?」
芥子が私を注視する。気配を探れば店の外に数人の気配が。
どんな返答でも即座に戦闘になるとは限らないが、それでも返答次第でVとの関係は決定的な破綻を迎えるだろう。
「そう……だな」
「…………」
「芥子、お前が正直に話したからには私も正直に話そう」
「……聞こうじゃないか。遠慮はいらない。
ああ、そうだな。もう何年前になるのだろうか。
私が芥子の誘いに乗ってVに入ったのも、Vに入って喫茶店に通うぐらい生活に余裕が出来て憂那と出会ったのも、憂那と結ばれてあの子が生まれたのも、もう遠くて古い昔の話だ。
そしてこれからの話は、新しい未来へ繋がる話だ。
「正直に話せば、私もこうなるとは予想していなかった」
芥子の抱いていた緊張感が一気に霧散した。
いや、私としても本当に悩んでいるんだよ。まさかカネキくんがあんな風になるとは、あんていくに迎え入れた頃には思いもしなかったのだから。
「……そ、そうか」
「そもそも鉄骨落下事故からこう繋がるなんて予想出来たヤツなんていないだろう。お前は出来ていたか?」
「出来てたまるか。そもそも鉄骨落下事故を知ったこと自体が、11区の件でカネキケンを知ってからだ」
「だろうな。そして私どころか嘉納という医者ですら予想していなかっただろうな。知っていたらカネキくんを手放したりしなかったはずだ。
カネキくんをあんていくに引き入れたのは、本当に善意からだ。
それにカネキくんを使ってVに敵対しようとは思っていない。カネキくんにそんなことはさせられない」
「……ならいい」
「しかしカネキくんが嘉納という医者を探すことは止めたりはしないぞ。不自然だし、彼にはその権利がある。
そこからVに繋がるかどうかはわからん。嘉納という医者に聞いてくれ」
「ムッ……」
「むしろカネキくんが全てを知ったら、私も憎悪の対象に入るかもしれんぞ。知っていることを全て話していないのは事実だからな。
サービスだ」
「……頂こう」
芥子にアイスコーヒーを出す。
今度店で出そうかと検討中の水出しコーヒーだ。抽出に時間がかかるので先着順、もしくは予約が必要な一品だが、出すことになると久しぶりにあんていくに新メニューが加わることになる。
これもカネキくんのおかげかな。
「ほう、美味いな。そのデカい器具で淹れたモノか?」
「ああ、興味は昔からあったのだが、最近ようやく良い器具を手に入れてな。
色々と試してみて、最近ようやくこれに使うのに最適な豆と水を見つけることが出来た」
「……最近のお前は閉店してからも店に残っていると聞いていて、良からぬことでも企んでいるのではないかと思っていたが、残っていたのはもしかしてコレの実験のためか?
お前、喫茶店業務を楽しみ過ぎだろう。今度キッチンを丸ごと新しくするとも聞いているぞ」
「流石に耳聡いな」
「カネキケンの血を月山財閥に売って儲けているらしいな。カネキケンを手放さないのはそれが理由じゃないだろうな?」
「何のことやら……ホットでも飲んでみるか?」
「目を逸らすな。
…………頂こう」
カネキくんを手放さない……か。そんなつもりはないんだがね。
観母さんもそのようなことを言っていたので、私がカネキくんを囲い込んでいると思われているのかもしれないが、私はカネキくんをこの店に縛り続けるつもりなぞない。
大学を卒業して月山財閥系列の会社に入社するという未来もありだろうし、あんていくでの経験を活かして喫茶店を開くような未来でも応援しよう。
そもそも大学卒業後もあんていくに就職というのは…………ウン、バイト以上の給料を出すのは難しいな。世知辛いがこの小さな店では古間くんとカヤちゃんだけの給料ならともかく、カネキくんを正社員として雇う金を捻出するのは難しい。
どうせその場合だとトーカちゃんとセットになるだろうから尚更だ。
やはりカネキくんが喫茶店をやりたいと言うのなら、あんていく2号店というのが現実的かな。月山財閥というスポンサーもいるし。
となると芥子に一つ釘を刺しておくか。
「芥子、私からの
ウチの従業員の霧島董香という女の子のことは知っているな?」
「ン? ああ、資料は見ている」
「彼女を害するのは絶対に止めておけ。同じくヒナミちゃんもだ。
カネキくんと敵対することになるぞ」
「……どういうことだ?」
「断わっておくが脅しじゃない。同じように私がトーカちゃんを害することになったとしたら、カネキくんはトーカちゃんを守るだろう。それが例えどんな理由であったとしてもな。
理由は…………まぁ、若いからな。察してやってくれ。ヒナミちゃんの方はカネキくんとトーカちゃんが妹のように可愛がっている」
「ハハッ、そういうことか。了解した。
別に構わんさ。敵対しているわけでもなく、人に混じって平和に女子高生やってる子供に手を出すほどコッチも暇じゃない」
少しばかり穏やかな時間が流れる。
しかし話はこれで終わりではないだろう。
こんなことのためだけにわざわざ芥子が私に会いに来るはずが…………カネキくんの重要度を考えたらそうでもないかな?
だが別の用事もあるはずだ。
「功善」
「何だ?」
「単刀直入に言おう。お前の娘を何とかしろ。お前の責任で娘をどうにかするのなら、最終的にこの店でウェイトレスとして雇うことになったとしても構わん。
その代わりカネキケンをこちらに差し出せ」
そうきたか。要するにエトの命は見逃すからカネキくんをよこせと。
だがそんな要求を受け入れるわけにはいかない。色んな意味で。
「断わる。私に子などいない」
「……譲歩してやってるのがわからんのか?」
「そうではない。
そもそも藪蛇を突くのは好みではない。言っておくがカネキくんにはRc細胞抑制剤とかは効かんぞ」
「は?」
「正確には“効果を出すためにどれくらいの量が必要かわからん”と言ったところか。
彼は自分の身体が人間離れを越えて、喰種離れしていくのに悩んでいた時期があってな。知り合いの医者の力を借りて、色々と試したことがあるんだよ。
これも
「…………」
「私に声をかけてきたときのように、普通に勧誘するのなら構わん。機会を設けるぐらいならしてやろう」
「……そ、そうか」
「ちなみにライバルには月山財閥がいるがな。
カネキくんから聞いた話だと、大学卒業まで待つのはもちろんのことだが、就職したら会長秘書の待遇ということで初年度からの年収一千万越えは確約されたらしい」
「お、おう……」
「ちなみに一千万は手取りでだ。しかも休日も年「待て。わかったから」……お金や待遇だけで済むのなら、その方が手っ取り早くて安全だと思うがね?」
「……先程のカネキケンを差し出せというのは取り下げる。今度会う機会を設けてくれ」
「そろそろ大学の学年度末試験があるから、それが終わってからでいいな?」
「ああ、それは構わん。……待遇のことは上に話してみる」
「声が震えているぞ。
まぁ、月山財閥に待遇で張り合うのは青天井になりそうで怖いが」
「やかましい。
ただし功善。娘のことはカネキケンを使ってでも自分の責任で何とかしろ。先程言った条件はコッチの最大限の譲歩だ。それもカネキケンという条件付きでだ」
「……心当たりはないが覚えておこう」
邪魔したな、そう言って芥子は立ち去った。
……天秤の均衡を保ちたいのならカネキくんのことは放っておいた方がいいぞ、とは言えなかった。カネキくんを天秤の秤に載せたら、天秤自体が壊れそうなんだがね。
しかし私が言っても信じないだろう。こういうのは実地で体験しないとわかってくれないからな。芥子の胃が破れたりしないように祈るだけにしておこう。
それと歯に衣着せぬ芥子が美味いと言ったなら、この水出しコーヒーは店で出しても問題ないかな?
……エトを、ウェイトレスとしてこの店で雇う、か。
例えばカネキくんにお願いしてアオギリを殲滅し、エトを私の手元に置く。そしてカネキくんがVに入って活躍すれば、カネキくんもVに好待遇を受けるだろうから、誰も不幸には…………イカンな。甘美な誘惑過ぎる。
上手く行きそうなところがまた怖い。とても心惹かれてしまうのは否定出来ない。
エトがいて、古間くんとカヤちゃんと一緒にこの店を切り盛りして、四方くんやウタくんやイトリちゃんが顔を出し、別の場所であんていく2号店を開いたカネキくんとトーカちゃんがバイトをしているヒナミちゃんを連れてたまに苦労話をしにやってくる。
エトがカネキくんにチョッカイをかけてトーカちゃんと喧嘩を…………とかはないよな?
ああ、でも実現したとしたら、それは何と幸せな未来だろうか。
そんな穏やかな生活を過ごせたとしたら、憂那もきっと喜んでくれるだろう。
だが誰も不幸にならないというのは違うな。
何事かを為そうとしているエトは道半ばで挫折してしまうことになる。
……私はどうしたらいいのかな、憂那?
不幸になるかもしれないと知りつつ娘を応援すればよいのか、それとも無理矢理にでも手元に置いてこれからの一生をかけて今までの償いをするか。
Vと敵対するリスクを踏まえてあんていくの皆のことも考えると、答えは間違いなく後者なのだが…………エト。お前はいったい何をしたいのだ?
もし、もしお前が思うが儘に自らを貫き通そうというのなら、私も思うが儘に動いてもいいのだろうか?
…………時間はまだある。ゆっくり考えよう。
出来うるなら、娘もあんていくの皆も幸せになれる道を模索しよう。例えカネキくんを利用することになったとしても……。
ま、彼なら喜んで協力してくれるかな?
むしろその道を選ばなかった方が怒りそうかな、カネキくんなら。
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「ところで何でわかったん?」
「そりゃエトさんとは何度か会ってますから、服が変わっていても匂いと声でわかりますよ。
というかさっき寝坊したって言ってましたけど、髪ボサボサですしシャワー浴びずに来たでしょう? 言い難いですけど
それにエトさんのときに着てる服……というか包帯の上のローブって洗濯してます? それと同じ匂いしてますよ」
「うぐおっ!? ア、アッチの服はあんまり……」
「……洗濯したらますますボロボロになりそうですもんね」
「しっかし、カネキュン思ってたより鋭いんだね?」
「カネキュンて…………まぁ、こんな身体になってからですけど。
ところで高槻先生?」
「にゃ、にゃんだい?」
「今度僕が持ってる先生の著作持ってきますので、それにサイン頂けます?」
「オーキードーキー。取引成立だ」
「先生も僕の素性は知っていますからね。変なことはしませんよ。
ヤモリさんやアヤトくんみたいには。ヤモリさんやアヤトくんみたいには」
「2回も言わなくていいって。私だってまだ高槻でやることあるんだから。お互い不干渉で行こう。
あ、電話番号とメルアド交換しようぜー」
「メールだと証拠が残りますから、変なことは電話でお願いします」
「高槻先生ー! 早くっ! 早く戻ってきてくださいー!」
原作でも店長をスカウトするぐらい普段から戦力増強してるようなので、Vはこのカネキをスカウトするようです。とはいえ「結論は大学卒業するまで待ってください」で流されますが。
なのであんていく壊滅フラグは無事に消滅しました。ただしカネキュン担当になった芥子さんの胃は後日破れます。
それと店長が望むものが現実的に手に届きそうになったので、ちょっとばかり欲張ってしまおうかと悩んでいるようです。
ただしCCGに加えてアオギリの難易度がルナティック。
むしろCCGは難易度選択どころかゲームすら出来ない状況になりかねません。
そして自分の勝手な想像ですが、もし原作でもアオギリやCCGによるあんていく壊滅がなかったら、カネキくんはあんていくにヒデ以上に依存すると思うんですよね。
なのでウチのカネキくんは“白”でも“闇”でもなく“病み”になりかけてる模様。
まるで人間であった時と同じようなぬるま湯のような日々だからこそ、どんどん深みに嵌まっていっているようです。逃げようという発想がそもそも思いつきません。