辺りが燃えていた。つい数日前までは他の友人たちと楽しく食事をしていた場所だ。真っ赤に燃え、崩れ、見る影もないそこに座り込んだ己の足元に、人が倒れている。
目を凝らすと、それが女性であることが分かる。長く、豊かな美しい金髪は、流れ出た血によって赤く染め上げられている。どくどくと溢れ、血溜まりを作るそれは、本来腕が有り、手があるはずの場所から流れていた。
『ブレイク、これからお前の大事なものを全て奪ってやる』
『やめて…アダム…! やめて…!!』
いつしか己の前に立ちはだかった長身の男の声に、彼女は心臓を鷲掴みにされるような底冷えする恐怖を味わい、いやいやと首を横に振る。
鋭利な刃が、振りかぶられた。それが振り下ろされる直前、ブレイク・ベラドンナは飛び起きた。全身から冷や汗が噴き出しており、黒く波打つ艶のある髪はぺったりと額に張り付いている。それをかきあげるようにして、大きく深呼吸。
ベッドの枕元に置いた携帯端末、スクロールで時刻を確認するとまだ明け方、冬場とはいえカーテン越しに朝日が薄く外を照らし始めているのが見える。
「……、寒い」
部屋に立ち込める冷気は毛布一枚隔てた裸身のブレイクをぶるりと震わせた、本来暖房も完備されているはずの部屋ながら、「つけっぱなしで寝ると暑い」と隣で同じく一糸纏わぬまま呑気な寝息を立てている彼女が文句を垂れるものだから、今晩はブレイクが割を食っているのだ。
意趣返しとばかりに背中を己に向けて眠るその背中にしがみつくようにして抱きついた、柔らかな肢体と肩まで短く切った金色の髪から香る太陽のような匂いにブレイクは知らずごろごろと喉を鳴らし、頬擦りする。心地良い。
「ん、んん……ブレイク? 随分早起きね……」
程なくして、抱きつく背中の向こう側から声が聞こえた。眠たげながらどこか幸せそうに間延びした声。胸元に回している己の手の甲に、暖かな掌の感触を感じ、ブレイクは金色の瞳を僅かに細めて、いたずらっぽい声を紡ぐ。
「誰かさんがこんなに部屋を寒くしたからね」
それを聞いた目の前の金髪が体ごとぐるりと反転して、ヤン・シャオロンは菫色の勝ち気な瞳をブレイクに向けた。その溌剌とした表情はしかし、まるで幼子を見守る母のような暖かさも混ざり、ブレイクを見据えている。恐らく、魘されて起きたことなどすっかりお見通しなのだろう。
昔から、ヤンに隠し事を隠し通せたことはなかった。
「なるほどね、それじゃあ……こうしてればもう一眠りできるんじゃない?」
左右色の違うヤンの両腕が伸びてきて、ブレイクはそれに抱き寄せられるまま豊かな胸元に顔を埋める。一層深くなった陽だまりの香りを鼻孔に吸い込んで、ゆっくりと瞳を閉じる。
「……あの時の夢を見たわ」
「そっか」
「もう五年も前なのにね」
自虐気味に呟く言葉。それでも、ヤンはそれに何を言うでもなく、そっとブレイクの髪を撫でている。今、ブレイクの身体を包むヤンの右腕は、生来彼女のものであった腕ではない。
五年前、ビーコンを襲撃したシンダー・フォールはグリムを学園に放っただけではなく、ファウナス達の過激派組織『ホワイトファング』とも結託していた。
そしてその首魁にして、かつてのブレイクの相棒であるアダム・トーラスとの戦闘により負傷したブレイクを助けるため、単身勝負を挑んだヤンはその右腕を失ったのだ。
特殊繊維とフレームからなる剛柔を兼ね備えた無機質なその指先がファウナスであるブレイクの頭頂に生えた猫に似た耳を優しくなぞる。
「あたしだって忘れてない。この腕の借りだって返してないし、それに、ホワイトファングだってまだ色んなところで暴れてる」
「ええ……」
「だから、二人でみつければいいよ。どれだけ時間が掛かっても、ね」
ヤンはアダムが、ホワイトファングがブレイクの心にずっと影を落とし続けているのを知っている。あの日ルビーを失い、右腕を失って尚、再び立ち上がったヤンは開口一番ブレイクに会いに来たのだ。
「……ありがとう。でも、」
「ルビーのことは分かってるよ、ブレイク。このままにしておくつもりはないし」
レムナントを転々としながらホワイトファングとアダムを追い、各地で未だ迫害を受けるファウナスの救援、グリム被害に悩む土地での討伐を行いながらも、ルビーの噂は二人の所まで届いていた。ヤンも驚きこそすれ、取り乱したりはしなかった。寧ろ「あたしの言ったとおりでしょ」と笑ってみせたのだ。
尤もそれも、五年という月日の中で彼女が成長したという証でもあるのだが。
「これまでどおり、ホワイトファングの足取りも追う。一緒にルビーの手がかりも探す。やることは変わらない。だから、ね、大丈夫」
「……そうね」
どこか自分へ言い聞かせるような色も含むヤンの声に、ややあってブレイクも同調した。微かに笑みを漏らした気配を感じ、頭頂の耳に柔らかな口付けが落ちたのを理解したブレイクは漸くヤンとともに再び身を起こした。
いそいそと着替え始める傍らで、ヤンの端末が明朗なメロディを奏でた。着信だ。
「はーい? ……えっ! ああ、うん。平気だけど……はぁ!?」
シャツに袖を通しながら、ヤンの気怠そうな声が聞こえたかと思うと、直ぐにその声が素っ頓狂に裏返った。ぴくりと耳を震わせ、何事かとそちらを見たブレイクは同様に此方を呆気にとられた表情で見つめ返すヤンと向きあう格好になった。
そのままこちらへと向けてきたスクロールの端末画面を覗き込むと、通話中のアイコンの上に『Weiss Schnee』の文字が出ている。ブレイクも、声さえ上げなかったものの驚愕の表情を向けた。
『それで……ちょっと、ヤン聞いてますの!?』
懐かしさすらある、少しヒステリックな声が端末から響いた。知らず、口元に笑みが溢れるのを感じたブレイクはヤンの代わりに声を送る。
「もしもし? 久しぶり、ワイス」
『えっ、ああ……ブレイクも居ましたのね。お久しぶり』
この時間帯に、ほぼタイムラグなくヤンに続いてブレイクが出たことに狼狽えたのだろう。一瞬言葉を詰まらせながらも、ワイスのどこかつんと澄ました声を続ける。そのままスクロールをベッドに置いて、覗き込むようにヤンとブレイクは旧友へと声をかける。
「そうね、最後に会ったのはヤンの腕の調整でアトラスに寄った時だったかしら」
『そうなりますわね、あれが二年前だから……それぶりの再会になりますわ』
「え、ワイス。あれって本気? あんた会社は」
『ええ、任せてきてますわ。勿論私の承認が必要なものに関してはどこにいても出来ますもの』
戸惑うようなヤンの言葉にも涼し気な声を返すワイス。その言葉にブレイクも思わず訝しげな表情を浮かべる。
「え、なに。何の話?」
『……ルビーの話は聞いていますわね』
ワイスの口から彼女の名前が紡がれたのは、ある意味で予想通りと言えた。五年前から今まで、彼女ほど血眼になってルビー・ローズを探していた者をブレイクは知らない。五年間足取りのつかめなかった彼女の手がかりが、僅かながらでも見つかったのだ。
放浪の旅を続けている自分たちに連絡をしてくるには十分すぎる理由と言えた。
『調べた限りで、今月起こった殺人事件は郊外も含めて全てヴェイル。ルビーは、そこにいる可能性が高いです』
「それでこっちに来るって? ……あんたはほんと、時たまルビー並みに突拍子もないよね」
呆れたようなヤンの声。しかしながらその表情には嬉しさが滲んでいるのをブレイクは横目に盗み見た。ワイスは既に、準備を済ませヴェイルに向かっているようだ。
『では、午後にはそちらに着きますから。……その、ちゃんと服を着て出迎えてくださる?』
どうやら色々と察していたらしく、もごもごと言いづらそうな言葉を早口で継げたと思うと、一方的に通話は切れてしまった。思わずヤンとブレイクは顔を見合わせて噴き出した。
ヴェイル王国、ビーコン・アカデミー。学長室。五年という月日は、眼下に広がる学園都市を力強く立ち直らせていた。あの日、陥落した大陸間通信システムを擁する塔を始め、その街中に至るまでかつてのビーコンの姿を取り戻していた。
ただ一つ、戻らなかったのは血を流した人々だ。現学長、グリンダ・グッドウィッチ教授はデスクに置かれたコーヒーカップに目を向けた。鑑賞に浸る間は無い。かつての勢いを取り戻したとはいえ、グリムの脅威が世界から消えたわけではないからだ。
確かにあの日からしばらくは、ルビー・ローズが放った銀色の光のせいか半壊したビーコンへのグリムの攻撃は鳴りを潜めていた。それでもその勢いは徐々に盛り返しつつあるのだ。
「オズピン。あなたの守ろうとしたこのビーコン、必ず守り抜きますから」
カップの縁に手を触れ、ぽつりと呟いたグリンダは扉が開く音にそちらを見た。その瞳に感傷の色はなく、常と同じく厳しいものを湛えていた。
その瞳に映る扉の先には、金髪の青年が立っている。青い瞳に精悍な顔つき。上下を黒のスーツで固め、髪と同じ淡い黄色のネクタイを締めたジョーン・アークはゆっくりと足を踏み入れた。
「グリンダ教授。ジョーン・アーク、入ります」
「忙しい所すみません。生徒たちはどうですか」
硬い表情を浮かべていたジョーンはふ、とそれを崩して柔らかく笑い、両手を腰に当てた。
「皆元気です、気合だけならもういっぱしのハンツマンにハントレスですね」
ジョーンはビーコンの卒業生であり、チームJNPRを率いた経験もある。現在ではその指揮能力を買われてビーコンの教育実習生として働いていた。今年から幾つかカリキュラムも任され、在学時代の頼りない彼を思い返し浮かべたグリンダは小さく苦笑を浮かべる。
「あなたはまだ少し甘い。生徒たちを余り増長させて怪我をさせないようにしっかり監督しなさい」
「了解です、教授。俺ももうあの時のジョーン坊やじゃないですからね……それで。今日はそれを聞きに呼んだんじゃないんでしょう?」
のほほんとしているようでその洞察力には目を見張るものがある。相変わらず察しが良い。グリンダは静かに頷いて、僅かに緩んだ表情をしっかりと引き締め直した。そうして一つの資料を差し出した。
もう一歩歩み寄ってそれを受け取ったジョーンは、目を落としてから驚愕の表情を浮かべた。そしてそのままグリンダの方に視線を向ける。
「これは……」
「……ええ、ここ最近世間を騒がせている連続殺人事件です。今月、もう七件もヴェイルで起きている。そして、その容疑者は」
「ルビーは!!」
ジョーンが吠えた。グリンダも静かに紡いでいた言葉を途切れされる勢いだ。その表情は烈火の如く怒りを浮き上がらせている。
「ルビーは、そんな真似しません。絶対に……あいつは、あいつはピュラを救ってくれたんだ」
「五年です。ジョーン……人が変わるには十分すぎる年月ですよ。あなたが、五年前まで頼りない少年だったように」
重ねて何か言おうと口を開いたジョーンはしかし、食い下がるような視線は向けたまま振り絞るような言葉を紡いだ。
「……言いたいことは、それだけですか。それなら生徒の所に戻ります」
「チームJNPR。あなた達に調査を命じます。ルビー・ローズの捜索。そして可能なら捕縛を」
「なっ……」
踵を返しかけた所に告げられた要請に、信じられない、とばかりにジョーンは今度こそ言葉を失った。二の句を継がせる隙も与えないように、グリンダは言葉をそのまま続けた。
「結果如何ではあなたの正式な教師としての採用も検討しています。何かと入り用でしょう、あなたも彼女も、これから」
ジョーンの脳裏に深い紅の髪と緑の瞳の美しい、誰よりも大切な女性の笑顔がちらついた。思わず握りしめた拳を震わせながら、低く唸るように言葉を絞り出す。
「……それは、脅迫ですか」
「いいえ。ビーコン・アカデミーの責任者として、正式なハンターとしての貴方達への依頼です」
ジョーンは睨みつけるようにグリンダを見る。その瞳に宿る意志は揺らぐことなく、凪いだ水面のように静かだった。
「俺たちは、グリムを倒すためにいるはずです。友達を捕まえるためにいるわけじゃない。だけど……」
資料をグリンダのデスクに突き返したジョーンは今度こそ踵を返しながら、言葉を続けた。
「俺が、ルビーの疑いを晴らします。必ず」
ジョーンは短く言い残した言葉を最後に扉の向こう側に消え、再び静寂を取り戻した学長室でグリンダは椅子に腰掛けた。そのままゆっくりと背もたれに身を預け、瞳をゆっくり伏せた彼女は大きく息を吐き出して、別の資料をデスクの上に乗せた。
「オズ、あなたならどうしますか」
力なく呟いた言葉に応える声はなく、それは虚しく広い部屋の中に霧散して消えていった。