細々といこうかなと。
董卓討伐から二ヶ月が過ぎた。
朝廷を脅かす脅威は消え、中華の地は一時的な安寧を得ていた。
……そう、一時的な安寧を。
黄巾党の反乱、董卓による朝廷の掌握、そして乱用。
これは全て、『漢』という国の権威が弱り、病魔のように内側から侵されている証拠。
そして病床の体は既に末期を過ぎた死に体である。
董卓討伐に参加した者達はそう感じずにはいられなかった。
そして更にその先を読み、今各地の名高い英雄達は次の時代で生き抜く為の力を蓄えていた。
此度の戦乱の首謀者と目された董卓と仕えていた将らを得た曹操は兗州陳留にある城に腰を据えた。
陳留を拠点とした理由は三つ。
一つは兗州最大の街であり、ここを治めていた刺史を粛清したから。
二つ目は北、南、東から来る商人らの要所であるから。
そして三つ目は帝の居る長安へ兗州から一番早く向かうことができるから。
一つ目の刺史の粛清は陳留を拠点とすると決めた時、陳留を治めていた刺史は度重なる重税によって悪政を極め、その下にいる文官達も賄賂により官位を得て民から吸い上げた税で私腹を肥やしていた。
董卓討伐後、帝の勅命を受け兗州牧となった曹操にとって刺史の存在は邪魔であった。
直ぐさまに追放、粛清……という訳にはいかなかった。
彼らの存在自体は不要だが、彼らの持つ陳留の情報が必要だった。
華琳は心の内にある嫌悪感を押し込めて陳留周辺の地理や取れる作物など治世に必要な情報を刺史や文官から時間を掛けて全て聞き出した。
なぜ、時間を掛かったかというと、刺史達は帝からの勅命により兗州牧を授かった華琳には表立って逆らおうとはせず、肥えた私腹の一部を献上してご機嫌取りをしていたが、自分達の保身が確保されるまではと今まで集めた情報が古く、現在と同じかどうか検証していると理由を付けて小出しにしてきたため時間が掛かった。
華琳は献上品を受け取りつつご満悦を演じ切り私欲の深い刺史と文官の信頼を得ていき、自分らの身が安全であると思わせた。
それから治世に必要な情報や新たな文官を華琳及び慈燕らで直接審査、登用し必要最低限の人数を揃えると、元いた刺史及び文官、総勢二十名を打首にし城下に晒した。
その横に華琳の言葉が書かれていた。
『漢の地を乱す者は賊や匈奴だけにあらず。無能が悪政を敷くことにより世を乱し賊や匈奴の跋扈を許す。民よ、曹孟徳の治世を見ておれ』
これに恐れ慄いた残りの文官達は脱兎の如く逃げ出す。
だが、もう遅い。
陳留郊外に待ち構えていた曹操軍により直ぐさま捕らえられ打首になった。
今まで重税に苦しんでいた民達は華琳の悪政を許さない痛快さに心の救う思いに満たされた。
税政も改善された。
今までの理不尽なほどの重税ではなく、払えなく無い額や収穫物が定められた。
以前より遥かに税が軽くなったことも民達の印象を良くした。
そして治世にも力を注ぐ。
部隊長と麾下三名を一組として、昼夜交代制で警邏をさせると治安は前と比べて大きく安定した。
最初は監視されていると民達は少し不快感を表していたが、強盗、強姦、暴力沙汰が起こらなくなった事により今では当たり前のように受け入れている。
倒壊しかけている家や廃棄された母屋を取り壊し新たに作り直した。
その際、慈燕の指示により通路網を整備した。
乱雑に建物が建てられていた城下は徐々に整理され、行き交う荷馬車や通行人によるいざこざが激減した。
城下には領民が集まり、その領民を相手に商売をしようと商人も徐々に増え、今日も城下は賑わいを見せている。
人が増えると、治世に必要な人手が増える。
人が増えると、金の動きも大きくそれを税として少量ずつ召し上げるので、税の総量も増え、それを計算、管理する人手もまた必要。
今、華琳が力を入れているのは人材発掘、主に文官である。
そして今日も1人、華琳の下に少女が士官を志望し訪れた。
慈燕は先日、文官に必要な筆記試験の結果を手に少女の待つ応接室へと向かう。
部屋に入ると頭に頭巾を被った少女が大人しく椅子に座っている。
「遅くなりすまない」
「いえ、大丈夫でひぃ!」
少女は慈燕を見ると、悲鳴をあげた。
「お、男!?」
どうやら男という所に驚いている…いや怯えているようだ。
「驚かしてすまない。私は夏侯慈燕。貴方が荀文若ですね」
慈燕は出来るだけ穏やかな声で確認をとる。
荀彧は夏侯慈燕の名を聞き先程までの怯えや警戒心が少し収まり慈燕を見る。
「…あ、貴方様が夏侯の鬼才、そして武神と誉れ高き夏侯慈燕様でしたか。お…お噂はかねがねお聞きしております。私は性を荀、名を彧、字を文若と申します」
荀彧は声を少し震わせて名乗る。
「…鬼才とは過大評価だと思います」
慈燕は卓を挟んで荀彧の正面の椅子に腰掛けながら、自分の異名に恥ずかしさに咳払いを一つ吐きその気持ちを隠す。
「荀彧殿は男性が苦手なのですかな?でしたら私ではなく他の者の方がよろしいですね」
「いえ!確かに男は嫌いですが、貴方は私が唯一男の中で憧れた御人です。お会いできたこと嬉しく思います」
荀彧は頭を下げる。
手の震えはまだ治っていないが、荀彧の言葉には真意が込められている気がした。
慈燕は安堵の息を吐く。
「分かりました。では私がこのままお相手を務めます」
「はい」
「失礼致します」
互いに挨拶を終えた所で戸が軽く叩かれ一人の侍女が入ってきた。
「お茶をどうぞ」
侍女は茶を淹れて慈燕と荀彧の前に出す。
「では、失礼致しました」
そしてすぐさま部屋を出て行った。
侍女の退出を見送ってから慈燕は話し出す。
「荀彧殿は以前袁紹殿に士官していたとお聞きしましたが?」
「はい。袁紹殿の下で財政管理や軍師として仕えていたのですが、袁紹殿は少し…えっと、名門である事を理由にその…」
荀彧が言葉に詰まる。
袁紹をどう言えば良いのか頭を働かしている。
「正直にどうぞ。此処には袁紹殿をどう言おうと気にする者はおりません」
「……分かりました。袁紹殿は馬鹿で偉ぶるだけだと呆れ、愛想が尽きましたので辞めさせて貰いました」
本音で袁紹をバッサリと切り捨てた。
「そして前々から私の意志で就くならと思って居りました曹操様に仕えたいと思い、士官を希望しました」
荀彧は少し晴れやかな表情をしている。
よほど袁紹の下で何か溜まったものがあったのだろうと慈燕は思った。
「自分の意志で…荀家は名門ですね。それと何か関係が?」
「はい。名門を理由に親の意向で袁紹殿の所に仕えて居りました」
「……なるほど」
慈燕は頷き、荀彧の目を見る。
「よろしい。では明日から我が主、曹操の軍師としてその手腕を振るわれよ」
「え?もう終わり?それと軍師…ですか?私は城内の一文官での採用だと思っておりましたが?」
面接の簡素さといきなりの軍師採用に荀彧は驚く。
軍師は主の策に賛同、否定及び補足、又は主から策を求められた時に必ず策を出さなければならない。
軍師と主は信頼関係で結ばれて無くてはならない。
「そうです。貴女を軍師にと私が主に勧めました。貴女には軍師の才があると」
「…なぜ私をそこまで評価して頂けたのですか?私のことは筆記試験での評価しか判断基準がないと思いますが?」
「確かに。ですが前より貴女のことは知っていました。袁紹殿には貴女の才を見出すことは出来なかったようですね」
慈燕は手元にある竹簡を広げる。
「今回の筆記試験は最後の問題以外は文官として必要最低限の知識を持つかを知るため問題です。そして最後の設問はその者の持つ先見の明を計るものです」
「その答が夏侯様のお眼鏡に適ったのですか?」
「ええ。設問と答は覚えていますか?」
「はい。設問は『曹操軍がこの先に見据えるべきものは』、私の答は『華北の平定』です」
荀彧はよどみ無く答える。
「その答の理由は?」
答の理由は慈燕が荀彧と対面するに当たって一番知りたかったこと。
「董卓の討伐により一時期の平安を得ましたが、今の漢王朝には天下を平定するほどの力は残っておらず乱世へと進んで行きます。
曹操様が治めるこの兗州は北に袁紹、東に陶謙、南に劉表と袁術に囲まれております。東の陶謙は徐州の平定に苦戦しており、劉表は兵を集めるのに苦労しているとか。
残るは袁術、袁紹、そして更に北の公孫瓚です。
南に攻めると袁紹が南下します。北を攻めると袁術が北上して来ますが袁術軍には猛将が居らず、後ろに虎を飼ってますが、油断すれば自分の寝首をかかれる」
荀彧は一旦話を切り、卓にある茶を一口飲む。
「故に袁紹とは背後を突かれるより正面で戦う方がよろしいでしょう。袁紹も曹操様と戦う前に先ずは北の公孫瓚を叩き、背後を安心できるようにしたい筈ですので南下はして来ない。
それ故に曹操軍の増強に時間の猶予があります。
そして袁紹を破れば袁術が自由になりますが恐るゝに足らず。
北、東、南と順に滅ぼせばよろしいかと」
「ふむ。素晴らしいですーーー」
「それと…」
荀彧は慈燕の言葉を遮りながら自分の中で考えていたもう一つの答を言う。
「馬です」
「………ほう」
慈燕の驚き方を見て荀彧は満足そうに口角を上げる。
「戦に必要な軍馬を効率よく集める為には今はまだ北にある匈奴の地より買い集めるしかありません。十分な頭数が揃えばそこから自分らで増やして行けばいい。
その為に華北を平定し馬の調達を安全に行いつつ独占する。
それが答の理由の一つです」
「………ははっ」
慈燕が堪え切れず笑いが溢れる。
突然笑い出した慈燕に荀彧が訝しむ顔で見る。
「すまない。決して貴女を馬鹿にしたのでは無い。貴女がそこまで読んでおられることに驚き、同時に嬉しくなった」
「嬉しく…ですか?」
「ええ。私が鬼才などと呼ばれている所以は自分でも理解している。今まで私と同じ意を持った者と出会ったのは数えるほどだ」
鬼才と呼ばれてきた慈燕は、軍略に長ける者達から軍略の奇抜さ、何手先をも読む頭のキレの所為で化物を見る目で見られ続けてきた。
実の親からも。
慈燕は気にすることは無かったが、自分が他の者とは違う存在であることを自覚させられた。
「私が言うのも烏滸がましいかと思いますが、貴女の才は本物だ。そして貴女はまだ若い。その才は更に伸びて行きましょう」
「あ、ありがとうございます」
慈燕の手放しの賞賛に戸惑いながらも荀彧は確信する。
慈燕が自分と同じ所、それよりも先の事を見ていると。
荀彧は鬼才の片鱗を肌で感じた。
そして慈燕もまた、荀彧の才が本物であると確信した。
華琳との話し合いで袁紹を攻める事を見据えていることは一致した。
その為には兵がいる。
人材発掘は袁紹との戦のため。
だが、華琳はまだ人不足解消と兗州の平定に忙しく馬の事には言及していない。
その理由は今、馬が足りているからだ。
慈燕は華北の平定には馬の調達をし易くすることも含まれている。
華琳も華北平定後に馬の調達がし易くなったと副次的に得られたと思うだろうが、荀彧が今の段階で馬の調達をも見据えているとは思わなかった。
自分と同じ考えを持つ者が目の前にいる。
この者は華琳の覇道に必要だ。
「今日は宿にて一泊し、明日、また同じ刻に此処へお越し下さい。城内に文官の宿舎があるのでそこへ住んで頂きます」
「分かりました」
「荷を運ぶのに人手が必要なら言ってください。兵を二人ほど送りますので」
「いえ!荷は手に持てる物しか無いので!」
荀彧が慌てて慈燕の申し出を断る。
そういえば男が苦手だったなと思い出し慈燕は苦笑する。
荀彧は頭を一度下げ部屋の前にいた侍女に付き添われ部屋を出ていった。
侍女は先ほどとは違う者だったが荀彧は特に気にした様子はなかった。
慈燕は暫く、荀彧の座っていた椅子を見つめる。
ーー王佐の才ーー
ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
それはそうと、茶を淹れた侍女を見た荀彧の反応は何も無かった。
やはり噂にもなっていないようだ。
茶を淹れた侍女は董卓。今は月と呼んでいる。
士官する者に茶を出すのは彼女の役目とした。茶を淹れている月の姿を見た反応を毎回見ている。
だが、今までの者全てが特段反応を示さなかった。
董卓は死んだ。
それはもう周知の事実として疑う者はいない。
帝が直々の御言葉で伝えられたので、疑う者がいるとは思えないが。
ふぅ、と熱くなった心の熱を外に逃すように深く息を吐く。
と、左肩を叩かれそちらを見る。華琳だ。
「お疲れ様。如何だった…ってその目を見れば明らかね」
「……はは、分かるかい?」
「ええ。貴方の目は珍しく熱く燃えているもの」
クスリと華琳は笑う。
「そうだな。荀文若には非凡なる才を持っている」
「……へえ。貴方がそこまで言うの…」
「久々に凄い者と出会った気がするよ。あの才を他にやるには惜しいと」
「そう。ならその者の働きを期待しましょうか」
「摘み食いは程々にな」
慈燕は効かないと思いつつも注意を入れとく。
「あら、彼女は私に仕えるのよ。摘み食いじゃないわ」
慈燕の注意をなんのその。
華琳は食べることを否定しない。
「それに……」
華琳は座る慈燕を跨ぐ様に慈燕の膝に座る。
慈燕は受け入れつつ華琳の柔肌を撫でる。
慈燕の熱い手に華琳は感じる。
「んっ…貴方の心をそこまで占めさせるなんて少し妬けるわ。意地悪してしまうかもね」
「……程々にしてやってくれ」
「そうね。貴方の誠意次第かしら…」
華琳の可愛い嫉妬に、華琳の気持ちを感じることが出来て嬉しく思った。
女官が次の仕事のため華琳を探しに来るまで二人は睦み合っていた。
久々なので言い回しや言葉が変かも知れません。