佐藤浩志の普通とはほど遠い日常   作:はるのいと

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第七章 「僕は後光なんぞ背負ってねえっ!」

時刻は10時15分――。

混雑する朝のラッシュもピークを過ぎ、現在の電車内は閑散としていた。

当然ながら辺りを見回しても空席が目立つ。席はお好きに選び放題、というやつである。

どうして僕がこのような優雅な時間帯に登校しているのか? 

理由は恐ろしく単純である。要するにただの寝坊だ。

昨夜はとある理由から、思いのほか夜更かしをしてしまった。

 

僕の尊厳の為に一応断っておくが、官能小説を片手に一人寂しくエロい事をしていた、という訳ではない。

おっと、うっかり僕のマニアックな一面を(さら)してしまった。

いまの発言はどうか忘れて欲しい。というか忘れてください。

話が脱線したので元に戻そう。

昨夜は海外で行われているボクシング中継を観戦していた為に、致し方がなく夜更かしをしてしまったのである。

 

言わずもがな僕の隣では愚母も鼻の穴を膨らませながら、一緒にテレビにかじりついていた。

ヤツの影響もあってか僕はボクシング観戦が大好きだ。

何故か闘争心が疼き、気分が高まるのだ。どうやら血というのは争えないらしい。

昨夜の試合は最終ラウンドまでもつれた。

ポイントはチャンピョンが僅かにリード。

誰しもがこのまま判定になだれ込むものだと思っていた。

だが残り30秒というところで、挑戦者の放った強烈な右フックがチャンピョンの左顎をとらえる。

結果、カウント10で挑戦者の逆転KO勝ち――。

 

劇的な試合内容に深夜にも関わらず僕等は大いに盛り上がった。

その結果、テンションの上がった愚母は目覚まし時計をかけ忘れ寝坊。

そして当然のことながら毎朝、ヤツに叩き起こされている僕も、アホ面を浮べながら寝坊した。

 

これ程の完璧な遅刻になると、焦るという気持ちすら湧いてこない。

格闘家が言うところの ”勝ちたいという気持ちすら邪念” といった心境だろう。

このようにどうしようもない遅刻野郎の僕だが、今はそんな事など些末に思えてくるような、のっぴきならない状態に陥っていた。

 

今から語るのはおおよそ、10分ほど前の出来事である。

僕は電車に乗車すると、寝不足を補うため惰眠を貪ることにした。

冷房の効いた閑散とした車内で静かに瞼を閉じる。

すると程なくして隣に誰かが腰を下ろす気配を感じた。

先も述べたように車内はガラガラだ。

 

それにも関わらず何故にピッタリと寄り添うように隣に座る必要が?

よほど人の温もりに飢えてるのか? それとも極度の寒がりか?

僕は瞼を開くと隣に顔を向けてみた。

するとそこには先日、僕にイタ過ぎる手紙を寄こしてきた地味女が、ハニカミながら腰を下ろしていた。

 

これはある意味オカルトである。

緊張しているのか? はたまた極度の口下手なのか?

彼女は僕の隣に腰を下ろしてから一言も口を開こうとはしない。

自分から隣に座ってきたにも関わらず、終始無言――。

 

この嫌がらせとも取れる行動に、僕は若干の恐怖を覚えると共に大いに憤慨した。

こちらも彼女に負けずと10分程無言で応戦したが、そろそろ気まずさが臨界点に差し掛かってきている。

という訳で僕は静かに席を移動した。

すると地味女は素早く僕の後を追いかけてくる。

何度、席移動しようと彼女は金魚の糞かの如く僕に付きまとう。

それはまさしくストーカーそのものであった。

その常軌を逸したイタい行動に対し、フェミニストを気取る僕も流石に苛つきを覚えた。

 

「……これは何の嫌がらせかな?」

 

余りのしつこさに僕は逃げ回る事を諦めた。

そして額に薄っすらと浮かんだ汗を掌で拭うと、彼女に冷めた眼差しを向ける。

 

「お、おはようございます」

 

「いやいや……朝の挨拶はいいから、僕が聞いてるのはね――」

 

「あ、あのう……手紙は読んで頂けましたでしょうか」

 

ダメだ、全く話が噛みあわねえ、しかも驚くほどに顔が近い。

それは相手が二重に見える程の距離感だった。

すると彼女の髪の毛から匂い立つ朝シャンの残り香が、僕の鼻腔を擽ってきた。

爽やかなフローラル、それはとてもいい香りだったわけで……。

いかんいかん、なにをこの状況でウットリしてるんだ。相手は激イタの地味女だぞっ!

しっかせいっ、浩志っ!

 

「一応読んだけど……一つ聞いていいかな?」

 

「は、はい、何なりと」

 

「文面から慕ってくれてるのは分ったんだけど……どうして僕なの?」

 

「後光です」

 

「後光って……なに?」

 

「初めてお会いしたとき私はほどけさまの如き、後光を背負う浩志様を見ました。その時、とても感動したと同時に凄く優しい何かに包まれた感覚を覚えたのです。その瞬間から――」

 

「はい、ストップ。うん、キミの言いたいことは分った。もう、お腹いっぱいだから少しの間黙っててくれ」

 

怖え……これは相当キテるぞ。素人目で見てもかなりの重症だ。

現在、彼女に必要なのは僕のような普通の男子高校生ではなく、優秀な心のお医者さんだ。

しかしこのままに放置しておく訳にもいかない。

このての手合いは目を離すと何をするか分らないからだ。

とはいえ傍にいられるのも御勘弁なのです。

さてと、どうしたもんかな……僕は一休さんの如く瞼を閉じて熟考した。

 

ポク、ポク、ポク、ポク……木魚って本当にポク、ポクって聞こえるのかなあ?

テレビとかで見た時はそんな音がしてた気もするけど……。

っていうか木魚の事なんて今はどうでもいいだろうがっ!

よしっ、気を取り直して再度挑戦だっ!。

 

ポク、ポク、ポク、ポク、ポーク? そう、豚肉の事だね。

因みに僕は肉全般が大好きな肉食系男子だ。

なかでも豚肉の生姜焼きは白飯との相性も抜群なので、週2でも構わないと思っているくらいだ……てめえが生姜焼きが好きかどうかなんて聞いてねえんだ、ボケ! カス!

 

よしっ、、三度目の正直だっ! ポク、ポク、ポク、ポク……チーン。

やっとベストではないがベターな考えが浮かんだ。

要するに彼女は僕に対して恋愛感情を抱いているのではなく、単純に偶像視している訳だ。

だから ”この男は尊敬・崇拝の対象になりえない ”と思わせればよいのである。

といわけで僕は真剣な眼差しを彼女に向けた。

 

「ええと……眼鏡さん――」

 

「花村です」

 

「……花村さん、こないだの手紙だけどあの時どうして僕じゃなく、隣のアホ面に手渡したのかな?」

 

「ご、ごめんなさい。私、酷い近眼なので間違えて――」

 

「いいや、それは嘘だ」

 

「えっ?」

 

「キミは僕に手紙を渡すところを、第三者に見られたくなかったんだよ。何故ならそんなところを見られでもしたら、耐え難いイジメの日々が待っているからね」

 

「そ、そんな事ない――」

 

「勘違いしないで欲しいんだけど、僕は別にキミを責めてるんじゃないんだ。誰だってイジメられるのは嫌だからね……とはいえ自分は常に安全圏にいながら実は貴方の ”隠れファンなんです” と言われても僕としては正直なところ喜べないんだよ」

 

「……ご、ごめんなさい」

 

「それにこれは個人的な意見だから、気にしないで欲しいんだけど……申し訳ないけが僕は地味な女性が嫌いなんだ」

 

僕は鼻をほじりながら、これでもかという程のアホ面を花村女子に向けた。

どうだい? 高校生にもなって、真面目な話をこのような態度でする男子なんて嫌だろ?

しかも女性を容姿で判断する最低野郎だぞ? どうだ、これで幻滅しただろ。

僕は静かに花村女子を見据えた。

 

緑川駅、緑川駅、折口は右側に変りまーす――。

 

電車が停車すると花村女子は無言で席から腰を上げる。そして逃げるように下車していった。

致し方なかったとはいえ、女性を(けな)すのは流石に気分の良いものじゃない。

だがこれはお互いの為だ。

何故なら僕のファンになるという事は、現在ではリスクしか生まないからだ。

これからの楽しい学園生活を送っていくうえで、わざわざそんないばらの道を選ぶ必要はないのだ。

今は辛いだろうが彼女もいずれは僕の気持ちを、分ってくれる日が来ることだろう……。

 

ごめんなさい、正直に懺悔します。

彼女の事など小指の先程も考えていませんでした。

僕は単純にあの手のような方々に、つきまとわれたくなかっただけなのです。

神様、もう一度言います。本当にごめんなさい……。

よし、素直に懺悔したんだから神様も(ばち)を与えるような、卑劣な行為はなさらないだろう。

厄介事を片づけた幸福感からか気を緩みだした僕は、もう一度惰眠を貪ることにした。

 

 

 

「ヒーちゃん、何か良い事あったでしょ」

 

「どうしてそう思う?」

 

僕はいつものように徹男から献上されたおかずに箸を伸ばした。

今日も激ウマっ! この分だと痛風になるのも時間の問題だな。だが悔いはないっ!

 

「そんなのヒーちゃんの顔を見ればすぐに分るなりよ」

 

徹男は僕の顔を覗き込んできた。相変わらず可愛い……。

因みにヤツはこの愛らしい見た目や、その厄介な奇行に反して他人の事をよく観察している。

だから僕の微妙な変化にもすぐに気付くのであった。

 

「それって愛の力ってやつか?」

 

「そう、愛の力ってやつだよ」

 

僕と徹男はニヒルな笑みを浮かべると、軽くハイタッチを決めた。

相変わらず熟練漫才師のように、僕らの息はピッタリである。

 

「それで、良い事って何があったの?」

 

壇さんが小首を傾げながら尋ねてきた。

今日も彼女の美少女っぷりは、北半球を駆け巡っている。

 

「実は――」

 

僕は今朝の出来事を、渋くキメながら語り出した。

だが壇さんはすぐにアホらしくなったのか、途中からは殆ど聞いていない。

よって僕の武勇伝を聞いてくれていたのは、偉大なるYESマンであるテツオ・クロヤナギと大親友のアホ幹大だけであった。

 

「お前……それヤバいぞ」

 

僕の話を聞き終えた幹大は厳しい表情で呟いた。

 

「ヤバいってないがだ?」

 

「いいか、その地味子ちゃんにとってお前は神様みたいな存在だったんだぜ。そんなヤツから自己を全否定されるような事を言われたらどうなると思う?」

 

「えっ……どうなるの?」

 

「愛情と憎しみは表裏一体、よく言うだろ?」

 

「だからどうなるの?」

 

「うーん、親友の俺としては言いにくいなあ……」

 

「焦らすのはヤメてっ!」

 

「じゃあ、はっきり言うけどな、地味子ちゃんはお前に憎しみをぶつけてくるぞ。それは慕っていた思いが強ければ強いほど強力にな……ヒロ、駅のホームでは背中に気を付けろよ」

 

嘘でしょ? まさかそんなこと……。

いいや、幹大の言ってる事もあながち的外れじゃない。

っと言うよりこれ以上ない程に的を得ている。

コイツはどうしょうもない程の女好きだが、それ故に異性の気持ちを理解している。

少なくても僕よりかはずっと……。

要するに僕はかなり危険な状況に自分から陥ったということになる。

ま、まずいな、これは喩えて言うなら……いいや、喩えが全く浮かばないくらいに忌々しき状況だ。

 

「大丈夫っ、ヒーちゃんはボクちんが守るっ!」

 

「徹男、お前……もう絶対に僕を離さないでねっ!」

 

僕は涙ながらに徹男の華奢な手を両手でにぎった。

すると同時に壇さんが呆れ顔を向けてくる。

 

「二人ともバカな事やってないで早く食べなさい。もうすぐ昼休み終わっちゃうわよ」

 

「はーい」

「はーい」

 

まあ、悩んだってしょうがないし、花村女子だって命までは取らないだろう。

僕はそう思いつつ止まっていた昼食を再開した……。

いいや、厳密に言うと再開しようとしたのだが、それは叶わなかった。

何故なら徹男から献上された美味なおかずたちは、一人のデリカシーのない男子生徒によって、根こそぎ食べ散らかされた後だったからだ。

 

「超うめえ、これっ!」

 

「幹大よ、貴様はなんで徹男が僕に献上してくれた美味なおかずたちを、何の断りもなく平らげているんだ?」

 

僕の問いかけを無視すると、幹大は最後の楽しみに取っておいたであろう、牛フェレのステーキを頬張る。

そんな野郎の愚行を見て、僕は音も無く席から腰を上げた。

そして野郎の背後に回ると素早くフェイスロックを決める。

 

「吐けっ! 胃に収めた僕の昼食を早く吐き出せっ! そして風邪引いて、こじらせたあげく苦しみぬいて死ねっ!」

 

言うまでもないが幹大が僕の昼食をリバースする事はなかった。

だがその代り野郎は僕の強烈なフェイスロックにより速攻で失神した。

相変わらずのもやしっ子である。

 

それにしても腹が減った……因みに今日の僕の弁当箱の中身は空だった。

先も述べたように愚母は寝坊した為に、弁当を作る暇がなかったからだ。

でもそこは僕の母親だ、転んでも只では起きない。

ヤツは出掛けに僕にこう言って空の弁当箱を手渡してきたのだ。

 

「たとえ空でも弁当箱があるってだけで、気分は随分と違うはずよっ!」

 

常人には考えもつかない奇抜な発想……ヤツは相変わらず鬼才だ。

僕は静かに教室の窓に視線を移す。

そして拳をきつく握りしめると、屈託なく微笑む愚母の顔を思い浮かべた。

 

 

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