ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ハリー視点
試合直前最後の練習前、ウッドが怒り狂ったように叫んだ。
と言っても、いつもであれば、
『あぁ、またか』
くらいしか思わなかっただろう。彼はクィディッチ狂いであり、試合前に興奮して奇声を上げるのはいつものことだったのだ。
しかし、今回はいつもの奇声とはどうやら趣が違うらしかった。
というのも、
「対戦相手が変わった! 相手は
彼が叫んだのは、僕等にとっても嫌な知らせだったから。
更衣室に固まっていた全員の表情が驚愕に染まる。せっかくスリザリンに対する練習をしてきたのに、その全てが今無駄になってしまったのだ。すぐに納得できるような知らせではない。
一瞬の後、チーム全員がウッドに聞き返す。
「ウッド、何があったんだ?」
それに対し、ウッドはやはり憤懣やるかたない様子で続けた。
「フーチに今さっき言われたんだ! フリントの奴から、初戦の試合相手を変えて欲しいと申請があったってな! 理由はドラコの腕がまだ治っていないとのことだ! ふざけやがって!」
全員の驚いた表情が、今度は怒りに満ちたものに変わった瞬間だった。
勿論僕も怒り狂って怒鳴り声を上げる。
「マルフォイの腕はとっくの昔に治ってる! あいつ自身だって、怪我をした次の日にはそう言ってたじゃないか! 今更治ってないふりなんて!」
本当にふざけた話だと思った。
元々大した怪我ではなかったくせに、あいつが大げさに喚いたせいでハグリッドの授業は滅茶苦茶になってしまった。そのせいでハグリッドはショックを受けてしまい、今も『レタス食い虫』を学ぶ不毛極まりない授業を延々と繰り返している。全部あいつのせいだ。
それなのにあいつは、今度はクィディッチすら駄目にしようとしている。許されていいはずがない。
僕は感情のままにウッドに噛みつく。それにウッドは吐き捨てるように応えた。
「そんなこと分かっている! あいつの怪我は治っている! しかし証明できない! それにフーチも認めてしまった後だ! 何と言おうともう決定が覆ることはない! あいつ等がこの天気で僕らとやり合いたくないだけだと分かっていてもな! 雨の中だと箒の優劣を十全には活かしきれないと考えたんだろう!」
ウッドの怒りに満ちた言葉は続く。
「くそ! 僕らのこれまでの練習は、全てあいつ等を想定してのものだった! だが、ハッフルパフはあいつ等とは違うプレイスタイルだ! しかもハッフルパフのキャプテンは、あのセドリック・ディゴリー! あいつは強力なチームを編成した! 今までのハッフルパフとはわけが違う! もう時間がない! こうなったらただ練習あるのみだ! これが最後の練習の予定だったが、これからは
ウッドの言葉に、僕らは勢いのまま頷く。
スリザリンなんかの思い通りになってたまるものか。ハッフルパフを倒し、その次にスリザリンも一ひねりにしてやる。治り切ってる怪我を言い訳にするような奴らに目にもの見せてやる。
そう思い、僕らはウッドの言葉に頷いて
そう……頷いてしまった。
……その宣言を皮切りに、僕らグリフィンドールの地獄が始まるとも知らずに。
僕等は次の日にはもう、この時ウッドに同意したことを後悔することになる。
その日から、練習はより一層常軌を逸したものになったから……。
ウッドは言葉通りのことを実行した。骨休みのために設けられていた最後の数日間すら、練習に次ぐ練習によって塗りつぶされていく。どんな天気だろうと関係ないと言わんばかりに繰り返される練習。そして文字通りどんな時間だろうとも強要される練習。授業前は勿論、授業の合間まで。ウッドの情熱によって、もはや生活の半分以上をクィディッチに占められるようになったと言っていい有様になっていた。
そして、この日も……
「ディゴリーは優秀なシーカーだ! 彼は急旋回が上手い! だからハリー! 君は宙返りで奴を躱す必要がある! そのためには練習あるのみだ!」
ウッドの奇声が廊下に響き渡る。
この後授業があろうと関係ないと言わんばかりの剣幕に、僕は疲れ果てた表情を浮かべながら頷いた。数日しか経っていないというのに、僕のスリザリンへの怒りは鳴りを潜めてしまっている。
ただ休みたい。その思いだけで頭が一杯だった。
「……ウッド、じゃあこれから授業があるから」
「そうだな……。では、ハリー! また
僕はウッドの返事にため息をつきながら、『闇の魔術に対する防衛術』の教室に入った。
今僕が休める時間は授業の間くらいなものだ。このところ就寝ギリギリまでウッドの講義に付き合わされ、起床時間はまだ日が昇る前から叩き起こされる。正直あまり睡眠をとれているとは言い難い状況だ。だからこそ、ウッドの唯一入ってくる心配のない授業時間のみが、僕の唯一の休憩時間のような状況だった。
とりわけ『闇の魔術に対する防衛術』は素晴らしい気晴らしだ。ルーピン先生の授業は他のどの授業よりも面白く、一時的に試合のこと、そして何より練習のことを忘れることが出来る。今回行われる授業がたとえスリザリンと合同のものだったとしても、僕の楽しみは少しも衰えるものではなかった。
それなのに……
「
どこまでも追いかけてきそうなウッドから逃げ出し、ようやくたどり着いた『闇の魔術に対する防衛術』の教室にいたのは……ルーピン先生ではなかったのだった。
ダリア視点
グリフィンドールと合同で行われる『闇の魔術に対する防衛術』。私は授業が始まってもいないのに、何故か疲労感でいっぱいだった。
原因はグリフィンドールとの合同授業が嫌なわけでも、去年の様に私自身に問題が発生したわけでもない。
あったとしても、
『ダリア……。今度の試合だけどな、僕らの試合ではなくなった。今回の試合はグリフィンドール対ハッフルパフだ。フリントが雨の中グリフィンドールと戦いたくないなんて言い始めてだな……』
最近楽しみにしていた
私を今悩ませているものは……
「本当に……スネイプ先生は……」
なりふり構わずルーピン先生を追い出しにかかっている、
私は小さくため息をつくと、本来ルーピン先生がいるべき場所にいる
『闇の魔術に対する防衛術』の教壇には、舌なめずりをせんばかりのスネイプ先生が立っていた。
私に秘密が露見した可能性があること、そして何より満月の時期が近いことで、ルーピン先生の体調が最近優れなかったことは知っていた。パーティー以降も私に視線を送り続けていた先生の顔色が、日に日に悪くなっていたのだから気付かない方がどうかしている。
そしてそろそろ体調不良も最高潮の時期だろうから、先生の授業も一回くらいは自習になる。ルーピン先生の授業は確かに楽しいが、私もいい加減視線を無視し続けるのも疲れたのだ。これで少なくとも一回の授業分は休める……そう思っていた矢先に。
「どれだけルーピン先生が嫌いなのですか……」
あろうことか休んだルーピン先生の代わりに、スネイプ先生が教壇に立ったのだった。
しかも開口一番、
『吾輩が今回諸君にお教えするのは、『
と宣言したのだ。もはや隠す気がないどころか、積極的に宣伝しているとしか思えない。
特に今回の授業には私だけではなく、
私は視界の端に茶色の縮れ毛を捉えながら、シクシクと痛む胃を押さえつけた。
何故私がこんな意味もない心労を抱え込まねばならないのだ。喧嘩なら他所でやってほしい。
しかしそんな私の気分とは裏腹に、機嫌がいいのか悪いのか分からないスネイプ先生の言葉は続く。
「今日はルーピンは体調不良につき、吾輩が代わりに教鞭をとることになった。案ずるな、ルーピンに命の別状はない。
スリザリンの生徒は勿論のこと、ルーピン先生の授業でないことに不満そうな表情を浮かべてはいるグリフィンドール生すらも黙って教科書を開く。おそらくスネイプ先生の只ならぬ雰囲気に気圧されているのだろう。反抗的な……同時に疲労感に満ちた視線を隠そうともしないポッターですら、スネイプ先生と
ただ一人、予定を遥かにすっ飛ばした工程にグレンジャーさんは何か言いたそうだったが、彼女が何か発言する前に先生の授業が始まる。
「諸君の中に、狼人間について説明出来る者はいるか?」
授業で習ったのは、生徒ですら対処可能な生物までだ。去年の
スネイプ先生は唯一上がっている手を無視し、口元に薄ら笑いを浮かべながら言った。
「おやおや、こんなことになろうとは思ってもいなかった。諸君らの誰一人として、この問いに答えられるものがおらんとは……。三年にもなって実に嘆かわしい」
……本当に楽しそうである。ルーピン先生の秘密を弄びながら、ついでにグリフィンドール生を思う存分詰れるのは楽しくて仕方がないのだろう。辺りを見渡せば、自分達も答えられないだろうに、スリザリン生も一緒になって笑っている。刻一刻と不快になっていく時間に、私は静かに顔を伏せた。
これならルーピン先生の視線に耐える時間の方がましだ。少なくとも先生の秘密がこれ以上広がる心配をする必要はない。スネイプ先生の授業を邪魔するつもりにはならないが、少しは自重してほしい。
というより、
「……だが、ミス・マルフォイ。君になら答えられるのではないのかね? この学校で最も優秀である君になら……。さぁ、ミス・マルフォイ。答えたまえ」
私を巻き込まないでほしい。
私は質問に答えることなく、スネイプ先生の瞳を見つめ返す。
心底現状を楽しめる程
スネイプ先生とルーピン先生の間に何があったのかは知らない。しかし私にルーピン先生を追い出す
私はルーピン先生の授業に、そしてルーピン先生自体に興味があるのだから。
結果私が選択したのは、
「……私には
沈黙だった。
『出来ない』というより、『しない』というニュアンスを込めた返答。私の意志を正確に読み取っただろうスネイプ先生は不愉快そうに表情を歪め、他の生徒達は驚いた表情を浮かべている。
中でもダフネとお兄様、そしてグレンジャーさんは目を見開いて驚いていた。私が先生の質問に答えないことが不思議で仕方がないのだろう。
しかしそんな驚愕の時間は、一気に不機嫌になったスネイプ先生の声音に塗りつぶされる。
「……嘆かわしい。ならば代わりに罰則……ではないが、君には仕事をしてもらおう。ミス・マルフォイ。時期は追って連絡する。また
何を届けさせるかなど考えるまでもなかった。
先生は唖然とする私から視線を外し、今度は全員に教科書の『狼人間』の項目を書き写すように指示を出したのだった。
それからは、先生も含めて全員が無言だった。ただ羊皮紙に狼人間について書き込む音が響くのみ。生徒はチラチラと私に視線を送ってきはするが、誰一人として言葉を発しようとするものはいない。先生も先生で何か考え込むように黙り込んでいる。
ようやく無言ではなくなったのは、
「人狼の見分け方と
授業終了を知らせるベルが鳴ってからだった。
私を含めて、全員が逃げるように教室から出て行く。
そして教室まで声が届かないところまで来た時、堰を切ったようにグリフィンドール生が話し始めた。
「なんだ今の授業!」
「本当よ! いくら『闇の魔術に対する防衛術』の先生になりたいからって、あんな風にルーピン先生を馬鹿にするなんて!」
「何が『狼人間』だよ! そんなの詳しく知るわけないだろ!」
ただ一人、
「……」
グレンジャーさんを除いて。
彼女だけは怒鳴り声を上げる寮生に交じらず、ただジッと私の方を見つめていた。
ハーマイオニー視点
「やっぱりな! ボガートの時もそうだったけど、今年のダリア・マルフォイは大したことないな! スネイプの質問に答えられないなんて!」
授業終わり、談話室に響くロンの
『……私には
ロンを含め、多くの生徒は安直にマルフォイさんが『狼人間』のことを知らなかっただけと考えているみたいだけど……彼女が説明できないなんてことは絶対にあり得ない。確かに『狼人間』のような夜行性
でも、彼女はその普通の生徒には絶対に当てはまらない。私ですら知っているのだ。学年どころか学内最優秀であるマルフォイさんが知らないはずがない。マルフォイさんなら私以上に『狼人間』のことを知っているだろうし、私以上に上手く説明することも可能だろう。
では何故彼女はスネイプ先生の質問に
説明『出来なかった』という選択肢がない以上、考えられる可能性は一つだけだ。
マルフォイさんは……質問に答えることを
でも、それはそれで疑問が残る話だった。
スネイプ先生はスリザリンの寮監だ。彼はグリフィンドールにこそ当たりは強いが、スリザリンには贔屓としか思えない程甘いことで知られている。マルフォイさんだってその例外ではなく、『魔法薬学』では随分と可愛がられていたようにさえ思う。マルフォイさんもマルフォイさんで一年生の頃、ハリーを助けようとする先生を手助けしようとするなど、彼女なりに先生のことを慕っていたはずだ。
それなのに、彼女は説明を拒否した。先生から直々に指名までされたにも関わらず……特段先生に反抗的な態度を取ったことのないマルフォイさんが……。
そのことが私には不思議でならなかった。
「マルフォイさんは何故説明
談話室の暖炉を見つめながら、私は呟きを漏らす。
その声は思ったものより大きいものだったのか、マルフォイさんからスネイプ先生への批難に移っていたロンが反応を示した。
「スネイプの野郎! 羊皮紙二巻きなんてどうかして……ん? ハーマイオニー、何か言ったか?」
「……いいえ、何でもないわ」
ロンに話したところで真面な回答は絶対に得られない。私は適当にロンの追及を受け流し、再び思考の渦に沈み込んでいく。
不思議な事と言えば、そもそもスネイプ先生の選んだ題材も意味不明なものだった。
ルーピン先生の体調が悪いことは知っていたし、先生の代理でスネイプ先生が教壇に立つこともあり得ないことではない。ここまでは特に不思議な事はない。
でも、何故『狼人間』なのだろうか。
勿論たまたま先生が選んだ題材が『狼人間』だっただけの可能性もある。学んでいない以上、私とマルフォイさんしか答えられないのは明白であり、スネイプ先生からしたらグリフィンドール生を揶揄する絶好の機会だ。そのためだけに、私達が絶対に学んでいないであろう『狼人間』を選んだのかもしれない。
……でも私には、どうしても先生がたまたま『狼人間』を選んだだけとはどうしても思えなかった。
ルーピン先生を必要以上に馬鹿にする発言。まるで生徒達に『狼人間』の危険性について刷り込むような教え方。そしてマルフォイさんとのやり取り……。
『また
考えても分からないことばかりの状況に、私は思考を一度切り、気分転換のために教科書を開く。
今これ以上のことを考えても仕方がない。考えるにしろ、まだ情報が集まり切っていないのは確かなのだ。ならまずは、宿題をかねて『狼人間』について学ぼう。予習しているとはいえ、私がマルフォイさんより知識を持っているとは到底思えない。まずは一つ一つ、彼女に追いつくために勉強しなきゃ。
そう思い私は、『吸血鬼』の
この時、窓の外には少しも欠けのない満月が輝いていた。