ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
スネイプ視点
バケツをひっくり返したような雨に、頭を低く保たねば飛ばされそうな程の風。しかも時折雷鳴まで響いており、実際近くに落ちているのが見える程だ。
しかし……それでも今吾輩の視界一杯にホグワーツのほぼ全校生徒が集まっており、雷鳴に負けまいと声援を張り上げていた。
グリフィンドール対ハッフルパフの学内クィディッチ対抗試合。
天候がどうであろうが、凶悪犯が城に入り込もうが関係ないと言わんばかりの光景が、今吾輩の前に広がっていた。
理解に苦しむとしか言いようがない。
吾輩は昔からこのクィディッチというスポーツが嫌いだった。知性の欠片もなく、あの
……だが教師という立場になってしまった以上、吾輩にはここに来る義務があるのも確かだった。
「教員でさえなければこんな所には……」
教師がここで目を光らせておかねば、興奮した生徒達がいつ暴徒と化すか分からぬ上、いざという時に生徒を守ることも出来なくなる。どんなにクィディッチが嫌いであろうとも、吾輩がここに来ないという選択肢は最初から用意されてはいなかった。
雷鳴と声援が等しく鳴り響く中、吾輩は人知れずため息をこぼす。
本当に憂鬱な話だ。こんな天気なら試合を延期すればよいものを。
いや、天候のことを百歩譲ったとしても、何故今こんなイベントを開催するのか。城に殺人鬼が侵入し、その上奴を
いや、分からないというより、解りたくなかった。
何故ならその決断をした人物は、
「セブルスよ。ちと気になったのじゃがのぅ……ダリアはどうしたのじゃ? まだここに来ておらんようじゃが? 折角のクィディッチ試合なのじゃ、体調でも悪いのかのぅ?」
最も疑わしい
久方ぶりに試合を観戦しに来たダンブルドアの方に、吾輩は内心で何度目かの嘆息をつきながら振り返る。
確かに……ダンブルドアはミス・マルフォイをシリウス・ブラックの共犯とは考えていないのやもしれない。だが危険人物に変わりはないと、こうして吾輩にそれとなく彼女の所在を確認してきたのだ。
再三吾輩がルーピンのことで警告しているにも関わらず……。まるでシリウス・ブラックのことは二の次だと言わんばかりに……。
そんな判断を、吾輩は解りたくなどない。
吾輩は睨むように、
「……今回はハッフルパフとグリフィンドールの試合ですから、彼女は談話室におるのでしょう。彼女は兄の出る試合以外には興味ないご様子。今頃寮内で勉学に励んでおることでしょうな。彼女はそこらのボンクラとは一味違いますので。寧ろ
「そうか……残念じゃ。何、少し気になっただけじゃよ。思えば彼女と試合を観たことなどほとんどなかったからのう。この天気なら、彼女も安心して試合を観戦できると思うたのじゃが……」
やはりと言うべきか、ダンブルドアの返事はどこまでも心にもないものだった。
校長は吾輩に応えを返した後、再び視線を試合に戻す。吾輩が予想した通り、ルーピンへの言及は一言もなく……。吾輩の含みを気にすることもなく……。
舌打ちをしたい気持ちを一心に抑え込みながら、吾輩は再度試合に目を向ける。
しかし吾輩は目を向けたとしても、決して試合には集中してはいなかった。暗い感情が奥底から湧き上がってくるようだ。
愚かにも程がある。何故気付かないのだ、考えないのだ。吾輩のこの
ルーピンは狼男で、あのシリウス・ブラックの親友だった。おまけに学生時代、吾輩を
いや……ダンブルドアだけではない。吾輩が理解出来ないのは、
吾輩は彼女であれば、このシリウス・ブラックによって齎された状況の中で、いかに狼男であるルーピンが危険な存在であるかを認識できるものと考えていた。
優秀な彼女であれば、吾輩の真意を読み取れるはずだ。
故に彼女には間接的に奴の正体を教えた。そして優秀な彼女はやはり『脱狼薬』の存在を知っていた上に、実際ルーピンの秘密に気がつく素振りも見せていた。彼女はルーピンの学生時代のことを知らないとはいえ、間違いなく奴が狼人間であることには気が付いている。
しかし……。それなのに……ミス・マルフォイは一向にルーピンのことを周りに暴露しようとはしなかった。それどころか、彼女はルーピンを庇っている節すらあった。
まるで憐れむように、同情するように、そして……どこか
理解不能な行動だ。吾輩には彼女が理解出来ない。ダンブルドアの様に彼女を危険な人物として疑っているわけではないが、彼女が何を考えているのか理解できないことは共通していた。
「……くそッ。何故だ。何故なのだ。何故吾輩だけがこんな思いをせねばならんのだ!」
怒りや憎しみで頭がどうにかなりそうだ。シリウス・ブラックが脱獄したというニュースを聞いてから、自分自身の感情を上手く制御できない。奴が今もノウノウと吾輩と同じ空の下で生きていると考えただけで、吾輩は正常な思考能力を失っていくような気さえした。取り留めのない思考で、思いつく限りの人物に罵詈雑言を浴びせ続ける。
吾輩の暗い瞳の先では、ハッフルパフとグリフィンドールが死闘を繰り広げている。グリフィンドールはどこか疲労感を感じさせる動きをしてはいるが、ハッフルパフに対して50点もリードをつけた有利な戦い方をしていた。
……しかし、そんないつもであれば腹立たしい光景さえも、今の吾輩には気になることはなかった。いや、そもそも吾輩は試合を視界に収めてはいても、決して観戦しているわけではなかったのだ。考えることはシリウス・ブラックと、奴を手引きしているであろうルーピンのこと。そのルーピンを擁護するダンブルドアとミス・マルフォイのこと。
そして……ブラックの裏切りによって死んだリリーのことだった。
暗い感情に支配された吾輩は、決して試合など見ていなかったのだ。
今の吾輩にとって、周りを取り巻く環境、人間の全てが敵であるように思えて仕方がなかったのだ。
だからだろう……吾輩はそれが起こった時、一瞬対応が遅れてしまった。
吾輩がここにいる理由は、生徒を守るためだったというのに。
そして、リリーの息子に襲い掛かった、今年最大の危機だったというのに……。
ドラコ視点
スリザリンの試合ではないとはいえ、スリザリン寮の
グリフィンドールよ負けてしまえ、と。
そんな中、風の音に負けないように、僕の隣に陣取っていたパーキンソンが大声で尋ねてくる。
「ねぇ! ダリアとダフネの姿が見えないわ! 教員席にもあの子の髪は見えないし! ダフネはダフネでどこにも見当たらないわ! 二人がどこにいるか、ドラコは知ってる?」
ここに来ていないたった二人のスリザリン生の所在を尋ねる質問。
僕はそれに対し、同じくあらん限りの声で応えた。
「二人は談話室にいるはずだ! 『守護霊の呪文』とかいう呪文を練習するって言っていたぞ!」
ダリアはここ最近、この『守護霊の呪文』とやらの練習をしていることが多い。驚いたことに、学校で最も優秀な我が妹ですら習得に手こずっている様子だった。守護霊が吸魂鬼に対抗する唯一の手段だということくらいしか僕は知らないが、ダリアに習得できないのだから相当難しい呪文なのだろう。
だからこんな天気で、尚且つ僕の試合でもなければ、教員席にダンブルドアがいるような悪環境の試合には来ず、ダリアは談話室に籠って呪文の練習をしているというわけだった。
そしてダフネはダフネでクィディッチにはそこそこの興味を持ってはいるのだが、この天気では流石に態々出てくる気にはならなかったのだろう。
その上ダリアの、
『ダフネも残ってくれるのですか? よかった。近くにダフネやお兄様がいてくれた方が、おそらくこの呪文は習得しやすくなると思うのです……。その方が、私はより幸福を実感することが出来るので……』
という発言もあって、彼女も談話室に籠ることにしたのだった。
ダリアの幸福は
しかしそんな事情を知らないパーキンソンは、二人がクィディッチの試合に来ていないことに、どうやら不満を持っているらしかった。彼女は僕の応えに僅かに顔をしかめた後、
「あらそう! 主席さんは大変ね! こんな時にも勉強だなんて!」
そんな嫌味のような言葉を吐き捨てて、再び試合に視線を戻したのだった。
僕も僅かにため息をつきながら、空で雨に打たれ続けているポッターを見やる。しかし奴を視界にとらえても、僕はあまり試合に集中しているとは言えなかった。
何故なら僕も、こんな試合を観るくらいなら談話室でダリアと一緒にいたかったのだから。
「まったくこんな試合……。とっととスニッチを見つけろよな……。それだけがお前の取柄だろうに」
確かにクィディッチ対抗戦は寮対抗戦に大きく関わるものだ。これを制すことが出来れば、そのまま寮杯に直結する可能性すらある。
だからこそ、ホグワーツのほぼ全員が試合を観戦する。今後の寮対抗戦を占うために。試合を観戦することは強制されてはいないが、半ば決まりと言っていいものであることに間違いはなかった。
だが……正直僕には、もはや寮杯などどうでもいいことになりつつあるものだった。
一年の時も、そして二年の時も、捻じ曲げられた点数によってグリフィンドールが優勝した。
一年の時は、ポッター達がたかが
もはや寮杯に対する興味など、僕の中にはほとんど残ってはいなかった。
だから僕もスリザリンチームのシーカーでなかったら、こんな試合に来ることはなかった。
シーカー故に、流石にクィディッチの試合に来なければやる気を疑われてしまうと思ったから来たわけだが……正直ダリアと一緒にいた方が百倍有意義な時間であることは間違いない。
そもそもダリアが『守護霊の呪文』を習得しようと思った理由は、僕やダフネを『吸魂鬼』から守るためだ。ダリア自身は何も言わないが、『吸魂鬼』の影響を受けないダリアが『守護霊の呪文』を習得する理由などそれくらいしかない。だからダリアでさえ手こずる呪文を僕が出来るとはあまり思えないが、少なくとも一緒に練習し、そして少しでもダリアの手助けをしてやるのが筋というものだ。考えれば考える程、シーカーであるという理由以外にここにいる必要性などない。寮での立場を少しでも上にする足掛かりを失わないためにも、今シーカーを辞めさせられるわけにはいかないというだけなのに……。
ポッターをぼんやり眺めながら、僕は心の中で繰り返す。
雨のせいで酷く気温が低いが、ダリアはちゃんと暖かいところにいるのだろうか。ダフネが一緒にいるはずだが、ちゃんと魔法は習得できたのだろうか。呪文の習得には幸福感が必要だと言うが、ちゃんとダリアは今幸福を感じているのだろうか。
考えることはダリアのことばかり。時が経つにつれ益々試合に対する集中が落ちていくようだ。もう帰ってもいいのではないかとさえ思えてきてしまう。
僕はその場にいるだけで、ただクィディッチにおいて最大のライバルであるポッターの姿を視界に収めるだけだった。
そんな時だった。
あれだけ騒がしかった歓声が一斉に消え、皆が選手が飛ぶ空中ではなく、本来なら
この日、クィディッチ試合史上最悪の出来事が、ポッターに降りかかることになる。
ハリー視点
「我々が50点リードだ! だがこの天気では、早くスニッチを取らないと夜にもつれ込むぞ! ハリー! 頼んだぞ!」
ウッドの宣言と共にタイムアウトは終わり、チーム全員が再び空へと戻っていく。その動きには猛特訓による多少の疲れこそあったが、それ以上の決意と覚悟が垣間見れるようだった。
ハッフルパフを倒し、そしてあの憎きスリザリンも打ち倒すことで、今年もあの輝く優勝杯を手にするのだという覚悟が。
かくいう僕もウッドの言葉に強く頷くと、今までずっと苦楽を共にしてきたニンバス2000と共に飛び上がる。
雨は今まで経験したことがない程強く、風の影響もあって空中はとても寒い。それでも決してスニッチを探すことを諦めず、僕は四方八方に目を凝らした。
チーム全体、そしてグリフィンドール寮の全員が、今僕に期待してくれている。スニッチを掴むことで、僕こそが試合に終止符を打つことを。なら、僕はその期待に応えなければいけない。
雨が何だ。風が何だ。雷が何だ。僕はそんなものを恐れたりしない。そんなもので、僕の決意は揺らいだりなんてしない。雨音や雷鳴なんかより、僕にとっては声援の方が遥かに大きく聞こえる。どんなことがあろうとも、僕はスニッチを必ず掴んで見せる。
そんな強い思いを胸に、僕は必死にスニッチを探していた。
そう……この時までは。
僕はずっと確信していた。ホグワーツは安全なところであると。だからこそウィーズリーおじさんにシリウス・ブラックのことを聞かされた時も、ダンブルドアのいるホグワーツは安全だと高をくくり、寧ろホグズミードに行けないことの方こそを心配していた。それこそシリウス・ブラックが城に侵入した後でさえも……。
だからこの時起こったことは……僕にとっては完全に予想外の物だった。
次の瞬間から、僕を取り巻く状況は急転直下に悪化していくことになる。
僕は雨や雷なんかより、ずっと恐ろしいものに襲われたのだから。
最初の異変が起こったのは、僕が丁度人がまばらなスタンドの方に目を凝らした時のことだった。
雷鳴が響き渡り、稲妻がスタンドを照らした時……僕は見てしまったのだ。
巨大な毛むくじゃらな黒い犬……『グリム』にそっくりなあの犬が、誰もいない席から僕をジッと見つめているのを。
試合で興奮していた脳が一気に冷め、まるで世界が止まったような気がした。
スニッチのことすら一瞬にして頭から吹き飛び、指が箒の柄から滑り落ちる。慌てて体勢を立て直した時には、僕は1メートルも落下しており、同時に……スタンドにいたはずの犬も消えていた。
僕は茫然とスタンドの方を見つめ続ける。
「な、なんでグリムが……」
魔法界では不吉の代名詞であるグリム。『占い学』の度に僕に齎される死の予兆。
そんなものを見てしまった僕は、もはや試合どころではなくなっていた。グリムがいなくなっても、僕の頭にクィディッチが戻ってくることはない。
……いや、戻ってきたとしても、
『ハリーだけは! ハリーだけは、どうかハリーだけは!』
すぐに忘れてしまっただろうけど。
この時僕に襲い掛かった異変は、グリムだけではなかったのだ。
次の異変も突然のことで、同時に立て続けのことだった。
あんなに騒然としていた競技場が奇妙な沈黙に包まれたかと思うと、今度はあの女性の声が聞こえてくる。
ただでさえ雨で冷えた体に、どうしようもなく冷たく恐ろしい、あの
汽車の中で『吸魂鬼』と遭遇した時の様に。
そして……それは間違いではなかった。
まさかと思い下に目を向けると、少なくとも百人単位の『吸魂鬼』が蠢いていた。しかも全員が僕にフードに隠れた顔を向けて……。まずいと思った時には、もうすでに逃げることすら出来ない状態だった。
段々と遠のく意識の中、男女の声が頭に響き渡る。
『ハリーだけは! ハリーだけは、どうかハリーだけは!』
『退け、馬鹿な女め……。さぁ、退くんだ』
視界がぼやけていく。やはり汽車での時と同じ、まるで白い霧の中にいるような気分だ。
そういえば……僕はさっきまで何をしていたんだっけ?
『お願い! 私はどうなっても、』
『アバダケダブラ!』
霧の中に落ちていく。
甲高い笑い声と、女性の悲鳴。ぼくはそれらを聞きながら、やはりあの時と同じく……女性を助けなければという思いに駆られていた。
僕が
同時に……僕が『吸魂鬼』に気を取らている内に、セドリック・ディゴリーがスニッチを掴んでいた後のことでもあった。
僕を出迎えたのは、試合で敗北したという事実と……僕が落ちたせいで遠くに吹き飛び、運悪く暴れ柳にぶつかったことで粉々になったニンバス2000だった。