ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス   作:オリゴデンドロサイト

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取引(後編)

 

ハーマイオニー視点

 

グリフィンドールにとって史上最悪の試合から数日。

事件の中心であったハリーは目覚めたものの、未だに試合での出来事がショックだったのか、マダム・ポンフリーの言いつけを守って医務室で大人しくしている。

そんな彼をいつも通り見舞ってから、ハリーとは裏腹にようやく活気を取り戻しつつある談話室で、私はスネイプ先生の出した『闇の魔術に対する防衛術』のレポートを書いていた。

ハリーのことは勿論心配だけど、学生の本分は勉強である以上こちらも疎かにするわけにはいかなかったのだ。

……あまり集中出来ているとは言い難かったけど。

いつもに比べてレポートが中々完成しない。ロンも同様なのか、まだ()()()()()()()()()()()()()の前で複雑な表情を浮かべていた。

 

「ハリーの奴……まだ落ち込んでいたな。でもまぁ、仕方ないか……。ニンバス2000はハリーが一年の頃から使っていたんだものな。試合にも負けちゃったし……」

 

ロンの言い分に、私のレポートを書く速度が()()()落ちる。彼の言い分に対し、私は全面的には賛成出来なかったのだ。

確かにニンバス2000や試合のことも、ハリーが未だに落ち込んでいる原因の一つであるとは思う。けど……彼を本当に落ち込ませているのは、『吸魂鬼』のことなのではと私は考えていた。

皆が『吸魂鬼』を恐ろしいと言う。私だって恐ろしい。あの冷たい空気、悍ましい容姿。そして幸福感を根こそぎ吸い取られていくような感覚。あれが恐ろしくない()()なんてきっと存在しない。

でも、彼らに近寄られる度に気絶するのはハリーだけだった。彼は思っているのだろう。

 

自分は弱い人間なのだろうか、と……。

 

自分だけが気絶するほど影響を受ける状況に、ハリーが傷つかないはずがない。特に今年は殺人鬼に狙われていたり、ホグズミードに行けなかったりと、色々嫌なことが続いているのだ。考えすぎてしまうのも頷ける話だった。

しかし、それを感情の機微の分からないロンに言っても仕方がない。私は()()()()()()のレポートを書きながら応えた。

 

「……確かに箒も試合も残念だけど、彼が無事だったのなら、そんなのは些細な事よ。彼、一歩間違えたら死んでいたのよ。ダンブルドアがいなかったらどうなっていたか……。校長先生が呪文をかけてくれなかったら、ハリーは死んでいたわ」

 

「うん、まぁ……そうなんだけど……。20メートルは落ちたもんな……。それに『吸魂鬼』を追い払ったのもダンブルドアだ。……僕、あんなに怒ったダンブルドアを初めて見たよ」

 

今度の発言は私も()()同意できるものだった。

ロンの言う通り、私もダンブルドアがあれ程怒ったことなど見たことない。雨越しでも分かる程顔を紅潮させ、グラウンドに集まる『吸魂鬼』に()()()()()を浴びせる姿は鬼気迫るものだった。

 

でも、あれ程怒るのなら……。

 

私はレポートを進める手を()()()止め、あの時のダンブルドアの様子を思い出しながら続ける。

 

「そうね……。でも、これでダンブルドアが()()()()『吸魂鬼』を敷地内に入れないようにしてくれるはずだわ」

 

知らず知らずの内に、私の返事は少しだけ険を含んだものになっていた。

別にダンブルドアの対応が悪かったと思っているわけでも、校長に対しての尊敬の念が揺らいだわけでもない。ダンブルドアは今世紀最も偉大な魔法使い。彼に防げなかったということは、誰にだって無理なことだったのだ。ダンブルドアに落ち度なんてない。そんなことは分かっている。

でも、それでも……。

 

『ワシは()()、ダリアを疑ったことは一度としてない』

 

不満がないと言えば、嘘になってしまうだろう。

シリウス・ブラックが城に侵入した夜の発言を思い出す。寝入ったふりをしていた私達のそばで、確かにダンブルドアはそう発言していた。

私にはあの言葉がどうしようもなく、マルフォイさんを去年は疑っていたことを……そして、()()()マルフォイさんを危険人物とは考えていることを表しているような気がした。

そんなこと、私が過敏になり過ぎているだけだとは思う。冷静に振り返ってみれば、ダンブルドアの発言にそんな意図は一切ないことが分かる。ただダンブルドアは、マルフォイさんがシリウス・ブラックの共犯ではないと言いたかっただけ。

でも、それでも……私は考えてしまうのだ。

 

もし……もしも、私が感じ取ってしまったことが正しかったとしたら……それはなんて理不尽な言葉なんだろうか、と。

 

マルフォイさんは『継承者』ではなかった。その事実を知っているのは、事件が解決した後に副校長室にいたメンバーだけ。それ以外の生徒達は、未だにマルフォイさんを事件の首謀者だと考えている節がある。私達はジニーがこれ以上辛い目に遭わないために、秘密の部屋の真実を黙秘したのだ。

マルフォイさんを犠牲にして。真実を話さないことで、マルフォイさんが煩わしい視線に曝され続けることを知っていて……。

それなのに……ただでさえ理不尽な目に遭っているマルフォイさんを、まだ危険な人物だとして疑う。それはどうしようもなく理不尽なことに思えて仕方がなかった。

本来なら彼女に謝るべきなのだ。ジニーのために謝ることが出来なかったとしても、少なくとも彼女が『継承者』ではなかったという事実だけは明言すべきなのだ。

それがどうだろう。ダンブルドアは謝りもしないどころか、彼女に対して未だに……。

 

考えれば考える程、心の中に何かモヤモヤした感情が渦巻いていく。ダンブルドアの発言を盗み聞いてから、何だか私の足元が少しだけ揺らいでいくような気さえする。

私はついに思考に没頭するあまり、レポートを書く手を止めてしまう。もはやレポートを書くような気分ではなかったのだ。

そんな私の思考を遮ったのは、

 

「ハーマイオニー! 手が止まっているじゃないか、どうしたんだい? 早くレポートを完成させてくれないと困るんだけど……」

 

私の完成したレポートを虎視眈々と狙うロンの大声だった。

声に反応して視線を上げると、相変わらずロンのレポートは一行たりとも進んではいない。どうやら彼は私のレポートを写す気で、こんな風に私の前に居座っているらしい。勿論ハリーのことが心配なのもあるのだろうけど、スネイプ先生の宿題を真面目にする気など最初からなかったのだろう。

いつもであれば、私はロン本人のためにも突き放すような発言をする。特に今回の『狼人間』は、魔法界において非常に重要な知識なのだから猶更だ。未だにスネイプ先生が何故この題材を選んだのかは分からないけれど、魔法界で暮らすなら必ず覚えていた方がいい知識なのは間違いない。他者の宿題を写すだけでは意味はないのだ。

……でも、今の私にはロンの将来まで真面目に考えている余裕などなかった。私はため息を吐き、まだ完成していないレポートをロンに差し出し応える。

 

「大丈夫よ、ロン。ちょっと考え事をしていただけ。それにほら、今なら写していいわ。私は少し気分を変えて、教科書の()()()()()を読むから」

 

「……いや、写させてくれることは嬉しいんだけどさ、何だかいつもの君らしくないよ。いつもならもっと反対するはずなんだけど……」

 

ロンの呟きを無視しながら、私は宣言通りに『狼人間』とは別のページを開く。

確かにレポートを続ける気分ではなくなったけど、勉強を止めるわけにはいかない。ルーピン先生の体調が戻らない間、スネイプ先生が『闇の魔術に対する防衛術』の教鞭をとり続ける可能性がある以上、私は他の夜行生物を予習しなくてはならないのだ。彼女は『狼人間』についての質問に何故か()()()()()()けど、必ず私以上の知識を持っているはずだ。マルフォイさんに早く追いつくためにも、私は勉強をし続けなければいけない。

彼女が質問に答えなかった理由……そして、スネイプ先生が『狼人間』を題材に選んだ理由を知るためにも。

 

そう思い、私は手始めに『狼人間』の前のページ、『吸血鬼』の項目を開く。

私の開いたページには、牙をむき出しにした恐ろしい吸血鬼の挿絵が描かれていた。

血に飢えたように牙をむき出し、今まさに恐怖に震える人に襲い掛かろうとしている、そんな恐ろしい絵が……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「お兄様、ダフネ。今の『守護霊』、どう見えました? 何かの動物に見えているでしょうか?」

 

ハッフルパフ対グリフィンドールの悲惨な試合が行われてから数日、試合での出来事を聞いた私は、今まで以上に深刻な気持ちで『守護霊の呪文』の習得に励んでいた。

もう一刻の猶予もない。老害を僅かでも信用し、『吸魂鬼』が校舎内には入ってこないと考えた私が馬鹿だった。やはりあの生き物は他者の命令を聞くような殊勝な心など持ち合わせていないし、老害に奴らを止める力もない。今回はお兄様の試合ではなかったから良かったが、次奴らが入ってこない保証などどこにもないのだ。

次箒から落ちるのはポッターなどではなく、お兄様の可能性だってある。

だから私は何としても自力でお兄様をお守りするため、こうしてお兄様達にも手伝ってもらいながら、『守護霊の呪文』の練習をしていた。最初はお兄様達の迷惑になるかもとも思ったが、習得できない方が遥かに問題だと考え直したのだ。

全てはお兄様が試合に出場された時、私が確実にお兄様達を守ることが出来るように。

しかし……

 

「う~ん。最初の靄よりかは形になっているが……何の形かまでは分からないな。すまない、ダリア」

 

「そうだね……。でも羽があるみたいだし、()のような気がするのだけど……何の鳥だろうね? まぁ、ダリアの守護霊なんだから、きっと綺麗な鳥で間違いないよ」

 

呪文の習得が上手くいっているとはお世辞にも言えなかった。

確かに銀色の霞のようなものは出せている。初めの頃はこの霞すら出なかったことを考えると、多少の進歩はしていると言えるのだろう。

だがそれだけだ。これではお兄様とダフネを同時に守ることは出来ない。せいぜい私一人を守る程度のものであり、それすら『吸魂鬼』の影響を受けない私には関係のない話だ。お兄様とダフネを守れないのであれば何の意味もない。

私の『守護霊』習得は、完全に行き詰っていた。

 

「これでは駄目ですね……。何が……一体何が()()()()のでしょうか」

 

私は二人に聞こえないように、口の中で小さく不満をこぼす。

しかし私が不満そうな無表情を浮かべているのに気が付いたのだろう。ダフネが私の守護霊もどきを突っつきながら、明るい声で話しかけてきた。

 

「それにしても、この『守護霊の呪文』って相当難しいんだね。難しい呪文だってことは知ってたけど、まさかダリアにさえ中々習得できないなんて。ルーピン先生はよくこんなものを出せたね。やっぱりあの先生は凄い先生なの?」

 

ダフネはやはり優しい子だ。かなり無理やりな話題転換である気もしたが、彼女なりに私の気分転換を図ってくれているのが分かる。

ダフネの気遣いに、私は先程までの不満顔から一転、思わず表情がほころんでしまっていた。

 

幸福だ。私は今、確かに幸福を感じている。

()()()()()()()、そうと知りながら愛してくれているマルフォイ家。そして私の大切な親友であるダフネ。彼らとの時間以上に、私は幸福な時間を知らない。

()()()()()()である私が、どうして他者に()()()()()()()()()()()()()()の幸福を求めることが出来ようか。

やはりダフネや家族といる時間こそが私の幸福なのだ。殺人を思い浮かべながら呪文を唱えても何も出なかったことから、これこそが私の幸福な気持ちであることに間違いない。望みと幸福は全くの別物ということなのだろう。

だから私の守護霊が完成しないのは、きっと()()問題があるからなのだ。

 

私は不満顔を引っ込め、ダフネの優しさに苦笑しながら応えた。

 

「そうですね。この呪文はダフネの言う通り、並の大人ですら習得に手こずるものです。少なくとも、今までの防衛術の先生達は習得すらしていなかったことでしょう。去年の詐欺師とは比べることすら失礼なのでしょうが……。ルーピン先生は間違いなく優秀な先生ですよ」

 

「……よかったね、ダリア。ようやくいい先生と巡り合えて」

 

私はダフネの言葉に素直に頷く。

本当に素晴らしい教師だと思う。狼男だったり、それに気が付いた私に少々鬱陶しい視線こそ送ってはくるが、それさえ無視すればどの教師よりも素晴らしい授業を行っていると言える。

私の大好きな『()()()()』に()()()()()()を教える先生でもあるため、私は今ルーピン先生の授業を一番楽しみにしていた。

そしてそれは私だけの意見というわけではなく、ダフネやお兄様のものでもあるようだった。ただ、

 

「ふん、あんな汚らしい恰好をしているんだ。()()()ボロを出すさ。だがそんなことより……ダリア。あいつのことでなんだが……何か悩んでいるんじゃないのか? 最近あいつと何かあったのか? もしそうなら、」 

 

「いいえ。大丈夫ですよ、お兄様。ただ何と言いますか……少し扱いに困る情報を得てしまっただけですので。これと言って私に不利益が降りかかることはないのでご心配なく。困るのはどちらかと言うと、ルーピン先生だけですよ。まぁ、それが悩みと言えば悩みなのですが」

 

「そうか……。ダリアがそう言うのなら、()()それでいい。だが、何かあったら必ず僕に言うんだぞ。去年のように、待っているだけなんて嫌だからな……」

 

多少私が先生のことで悩んでいることが気になっている様子ではあったが。

おそらく私へ送られる視線や、それに対しての私の僅かに余所余所しい態度に違和感を覚えたのだろう。しかし、それもそこまで強く追及されるようなことはない。去年のように自己の存在に対する悩みではない上、そこまで深刻に悩んでいるわけではないと思ったのだろう。

結果、二人は多少の懸念を持ちながらも、私の楽しみを心から応援し続けてくれていた。

本当に……今年は『闇の魔術に対する防衛術』の先生が真面目でよかった。今年も去年同様の先生なら、私はもうこの学校に期待することなどなくなっていた。お兄様達も、私を苦しめ続けていただろうこの科目から引き離していた。ルーピン先生だから、私は今年の『闇の魔術に対する防衛術』の授業を楽しめているし、お兄様達もそんな私を応援してくれているのだ。

 

……だからこそ不思議だった。

何故スネイプ先生はあそこまでルーピン先生を目の敵にしているのか。『脱狼薬』を作れるにも関わらず何故、人狼をあそこまで犯罪者の如く扱おうとするのか。

そして、

 

「マ、マルフォイ様。ご歓談中失礼します。その、スネイプから伝言を頼まれまして……。すぐに研究室に来るようにとのことです……」

 

何故こうまで執拗に、私に秘密を暴露させようとするのかが。

 

私の幸福な空間に、突如水を差すような言葉がかけられる。声の方に目を向ければ、たった今談話室に帰ってきたらしい男子生徒が、怯えた表情を浮かべて立っていた。

どうやら私の表情は読めないものの、垂れ流す空気が冷たい物に変わったことには気が付いているらしい。彼はさらに表情を青ざめさせながら続けた。

 

「わ、私もマルフォイ様にこのようなことを伝えたかったわけではないのです! ただ、相手は教師であるから仕方なく! と、ともかく、スネイプが先程()()()()()()ものがあるから研究室に来いと! そ、それでは、わ、私はお伝えしましたので!」

 

そして逃げるように男子生徒は去り、再び私達だけが談話室に残される。

しかし、先程まであった穏やかな空気ではもうなくなっていたのだった。

まったく……最近のスネイプ先生は本当に余計なことをしてくれる。

 

「……そう言えば、この前の授業の時にスネイプがそんなこと言っていたな。まさか本当に呼び出してくるとはな……。『狼人間』のことをダリアが()()()()()()くらいで、なんでダリアが罰則を受けないといけないんだ?」

 

「そうだよね。それに、運んでほしい物って前と同じものでしょう? それくらい自分で運べばいいのに……」

 

お兄様達の訝し気な声が談話室に響く。二人ともスネイプ先生の論理的とは言えない行動を不思議がっている様子だ。しかし私もそんな二人の疑問に答えることは出来ない。何故なら私もスネイプ先生の考えていることが理解出来てはいないのだから。それでも、

 

「……考えても仕方ないですね。罰則ではないことが救いと考えるしかありません。では、お兄様、ダフネ。少しだけ席を外します。()を届けたら、またすぐに戻ってきますので」

 

私に行く以外の選択肢はないわけだが。

正直罰則ではない関係上、私が先生の依頼を無視しても特に問題はない。しかしその場合、スネイプ先生がルーピン先生に薬を届けない可能性がある。まさか満月の期間中にそんなことをするとは思えないが、生憎今は満月の時期ではない。薬は謂わば予防のようなものだ。私が来ないなら仕方がないと、スネイプ先生が嫌がらせのために薬を運ばないかもしれない。

今の先生は何をしでかすか分からない、そんな危うさがあった。

私は先日のスネイプ先生の憎しみに沈んだ表情を思い出し、お兄様達に一言言った後、薬の配達をさっさと終わらせるために談話室を足早に後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルーピン視点

 

セブルスが私のことを心底嫌っているのは知っていた。

それもそうだろう。私、ジェームズ、ピーター、そしてシリウスの4人は、お世辞にもセブルスにとっていい人間だったとは思えない。あの輝ける学生時代、僕達はまだまだ子供だった。才能に酔いしれて傲慢になっていたのだ。後から振り返ると、何故あのようなことをしたのかと頭を抱えたくなるようなことなどごまんとある。その中でも、特にセブルスには多大な迷惑をかけたように思う。彼は彼で僕達に嫌がらせじみたことをしてはいたが、それでも僕達が彼にしていたことを考えるとまだ可愛いものだ。

だから彼が僕を嫌う理由は分かる。寧ろ友好的に接されると思う方がどうかしている。昔のいじめっ子であり、その上『人狼』である僕を警戒しない方がおかしい。

 

でも、だからと言って……

 

「先生。お届け物です」

 

こんな嫌がらせをしてくるのは、流石に納得しかねるものがあった。

満月の時期が過ぎ、ようやく夜に狼へ変身することがなくなったとはいえ、私の体調はまだ全快というわけではない。だから部屋に籠って休んでいたわけだが、そんな私の耳に届いたのは、私が今最も警戒し、恐れている生徒のものだった。

私に届け物。そんなもの、考えるまでもなく一つしかない。

 

セブルスは再び『脱狼薬』の配達を、ダリア・マルフォイに頼んだのだ。

私の正体を彼女に露見させるために。

 

いくら私を嫌っており、そしてシリウスの共犯者として疑っているとはいえ、これはあんまりではないだろうか。

『狼人間』についての講義をすることもどうかと思うが、これは正直常軌を逸脱しているように思える。よりにもよって、ダンブルドアが最も警戒する子に……。兄思いの面も垣間見える不可思議な子ではあるが、ダンブルドアが警戒しろと言う以上、私は()()()()()()()()()のだ。それをセブルスは……。

私はドアの向こうにいる人物に聞こえないようにため息をつくと、覚悟を決めて中に呼び入れる。

 

「あ、あぁ、ありがとう。ダリア、中に入ってくれるかい?」

 

「……はい。失礼します」

 

ドアがゆっくりと開かれる。案の定ドアの向こう側にいたのは、白銀の髪と薄い金色の瞳で彩られた少女、ダリア・マルフォイだった。

彼女は湯気の立ち昇るゴブレットを片手に持ちながら、()()()()()()()()()()()()何の躊躇いもなく入ってくる。

そしてゴブレットを近くのテーブルに置くと、

 

「前回の授業で体調が優れないとお聞きしたのですが、今の顔色は良さそうですね。体調は大分戻られたのですね。よかったです。()()()()()()()()()()()()、お体には気を付けてくださいね。ではここにスネイプ先生からの薬を置いておきます。それでは……」

 

どこか白々しいセリフを勢いよく言って、そのまま部屋を出て行こうとしたのだった。

私はそんな彼女に慌てて声をかける。

 

「待ってくれ、ダリア! 前回もそうだったが、折角運んでくれたというのに、私は何も出せていなかった。どうだろう、もしよければお茶の一杯でもどうだい?」

 

ここを逃してしまえば、私はずっとこの子のことで怯えなければならなくなる。

私はここ最近、ずっとダリア・マルフォイに視線を送っていた。彼女が『脱狼薬』の存在で、私の秘密に気が付いた可能性があったから……。

だから彼女を警戒し、恐怖していた。もし私が人狼だと周囲に言いふらされれば、私はこの仕事から追い出されてしまう。いや、教職から追放されることも恐ろしいが、もっと恐ろしいことに、私を推薦して下さったダンブルドアに迷惑をかけてしまう可能性がある。彼女は()()マルフォイ家だ。校長が狼人間を教員にしていたと分れば、必ずやそれを理由にダンブルドアを攻撃するだろう。そんなことだけは、絶対にあってはならないことだった。

 

今も視線を白々しく無視し続けるダリアに、私は重ねて声をかける。

彼女が本当に私の正体に気が付いていないかを知るために。もし知っているのだとすれば、彼女の目的を聞き出すために。

そして……彼女にどうしようもなく感じていた違和感を理解するために。ダンブルドアが話していた彼女と私の感じていた彼女、その違いを理解するために……。

 

「勿論大したものじゃない。何せティーバッグしかないからね。でもどうだろう。折角運んでくれたのに、何もしないというのも寝覚めが悪くてね……。私の我儘だが、付き合ってはくれないかい?」

 

正直これは賭けだ。こんなあからさまな誘い文句に、彼女がのってくる可能性は低い。ハリーは誘いに応えてくれたが、ダリアとは状況が全く違う。彼女の考えを()()()()()方法は思いついているが、誘いにのってこなければ何の意味もない。

だが、そんな私の心配は、

 

「そうですか……。ではお言葉に甘えて」

 

杞憂に終わったのだった。ダリアは私の誘いにいとも簡単に応え、そして、

 

「これ以上無視しても、先生がお辛いだけでしょうし……」

 

何事か呟いた後、僕の指し示す席に腰掛けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

誘いにのったのは迂闊な判断だった。先生との奇妙なお茶会が始まった瞬間、私はそれを悟ることになる。

 

自身の秘密が他者に露見する。

致命的な秘密を抱える人間にとって、これ程辛く恐ろしいことはないだろう。特にルーピン先生の場合、露見したかもと思われるのが私なのだ。老害に何か吹き込まれただろう先生にはさぞ恐ろしい時間だったに違いない。

怪物である私には、ルーピン先生の恐れが理解も共感も出来る。

だからこそ、私は先生が安心できるように、先生の分かりやすい誘いにのったのだ。本当はお兄様達のいる談話室に早く帰りたい。しかしここで先生の誘いを無視すれば、先生は今後も私に鬱陶しい視線を送ってくる。先生だって宙ぶらりんな可能性に怯える方が嫌だろう。私はそれを止めさせるため、こうして気が付いていない演技を目の前でして差し上げようと……そう思っていたのだけど、

 

「どうぞ、ダリア。ティーバッグで申し訳ないが飲んでくれ。私は紅茶を飲む前に、まずこの薬を飲むことにするよ。この薬はとても苦くてね……()()を取ってくれないかい?」

 

いきなり難題に向き合う羽目になってしまったのだった。ルーピン先生の言葉に、私の動きが静止する。

何故なら砂糖を渡せるわけがなかったのだ。

確かに『脱狼薬』はごく最近できた画期的な薬だ。これさえ飲めば、狼人間は満月でも理性を保てる。まさに夢のような薬。人狼であれば誰しも欲しがる薬だろう。

しかし、この薬には大きな欠点がある。ルーピン先生の言うように、この薬はとんでもなく苦いのだ。勿論私は飲んだことなどないが、文献にはとてつもなく苦いと書いてあった。しかも魔法薬の特性上砂糖を入れるわけにもいかない。

それなのに、

 

「どうしたんだい? 何か砂糖を渡してはまずいことでもあるのかい?」

 

先生は私に砂糖を渡すことを要求してきたのだった。優しい口調とは裏腹に、どこか探るような視線を送る先生を見つめ返す。そしてその僅かに細められた瞳を見た瞬間、私は悟った。

 

これは罠だった。私が『脱狼薬』を知っているのか、それを判断するための罠だったのだ。どうりでやや強引と思われる程私に紅茶を勧めるわけだ。私は見事に先生の罠にはまり、気が付けばもうどうにもすることが出来ない状況に陥ってしまった。私は先生の言葉に動きを一瞬止めてしまった。これではもう、どう言い繕おうと先生に気が付かれてしまう。

 

私は自分の失敗を悔やみながら、必死になって思考する。

私には選択肢が二つある。拒否することと、大人しく砂糖を渡すことだ。

だがもし私が砂糖を渡すことを拒否した場合、先生に私が『脱狼薬』について知っていたことが完全にバレてしまう。

 

『砂糖を入れるな』

 

とスネイプ先生が言っていたと言い訳できるかもとも考えたが、そんな初歩的なことを先生が伝えていないとは考えにくい。それにもしスネイプ先生が私に言っていたのだとしたら、一回目の運搬時に私が伝えなかったのはどう考えてもおかしい。満月直前の一回目は伝えず、満月を過ぎた二回目から伝えるなどあり得ない。ごり押しで話を通すことも可能かもしれないが、それでは決してルーピン先生の不安を拭うことは出来ないどころか、より一層不安感を強くさせてしまうことだろう。

 

では砂糖を渡すことを受け入れたとしたら……それはそれで問題がある。というより大問題だ。

確かに私が知っていたことを誤魔化せるかもしれないが、そもそも私はこの判断に時間をかけすぎている。もうどう言い繕っても駄目だ。それにあくまで予防としてとはいえ、薬を飲むにこしたことはない。いきなり理性が消し飛ぶことはないが、安全面では些か疑問が残ってしまう。

だからこそ私は、

 

「……先生、その薬に砂糖を入れてはいけませんよ。ご存じでしょう?」

 

こう応えるしか道はなかったのだった。私は迂闊に先生の誘いにのったことを激しく後悔する。

これで当初の、先生の疑いを完全否定する演技をするという作戦は完全に瓦解してしまった。

 

「先生も人が悪い……。こんなことで私を試すなんて」

 

私の呟きで、私が自身の罠に気が付いたことが分かったのだろう。先生は僅かに目を見開いた後、

 

「……まさか私の意図にすぐに気が付くとはね。でもやはり……君は気が付いていたんだね。私が『狼男』であることを……」

 

再び視線を鋭いものにして、私に対する警戒を露にしたのだった。どちらか分からない宙ぶらりん状態も恐怖を感じるが、やはり秘密が露見していたことも嫌なのだろう。まぁ、当たり前のことだが。

私だって、実は秘密がバレていたと分かれば軽い恐慌状態に陥る。ダフネのような大切な人間ならいざ知らず、赤の他人にバレること程恐ろしい物はない。

こうなっては仕方がないと、私はずっと無視し続けていた視線を見つめ返した。

 

「えぇ、そうですね。スネイプ先生の調合を手伝わされましたので。その時に『脱狼薬』だと気が付きました」

 

「そうか……やはりスネイプ先生の目論見通りというわけか」

 

それっきり、嫌な沈黙で部屋が満たされる。お互い何と言っていいのか分からないのだろう。先生は先生で益々視線を鋭くしているし、私は私で何と先生に言葉をかければいいのか分からなかった。

ダフネのような優しい子ならこんな時に言う言葉が分かるのだろうが、生憎私は優しくも、彼女の様に会話が上手というわけでもない。

結果少しの間、私達の間には緊迫した空気が流れ続ける。そんな空気を最初に破ったのは、

 

「それで……ダリアはそれを知ってどうするつもりなのかな? ずっと前から知っていたなら、いくらでも周りに言う時間があったはずだ。何故周りの子に私のことを言わなかったんだい?」

 

ルーピン先生だった。私が答えるとは思っていないのだろうけど、恐る恐るといった様子で尋ねてくる。先生にとって聞くだけで勇気がいる質問に違いない。

でも私の応えは実にあっさりとしたものだった。

 

「いえ、どうもするつもりはありません。お兄様や、()()()()にも話していないのですよ? 他人に言いふらして回るつもりなんて最初からありませんよ」

 

正直これしか答えようがない。理由を尋ねられても、

 

「どうしてだい? 私は人狼だよ。優秀な君のことだ。スネイプ先生が教える前から、人狼の危険性なんて分かり切っているのではないのかい? それなのに、何故?」

 

「いえ、何故と言われても……。『脱狼薬』があれば、先生は理性を失わずに済むのです。それをどうして態々追い出す必要があるのですか?」

 

理由の半分しか答えることが出来ないのだから。まさか私も秘密を抱えているからなんて言えるはずがない。どうしても当たり障りのない、且つどこか信憑性に欠けるものになるしかなかった。

案の定、ルーピン先生は少しも納得した表情をしていない。益々私のことが分からなくなったと言わんばかりの表情を浮かべている。

やはり大人しく砂糖を渡しておけばよかったか? 

宙ぶらりんの方が嫌だろうと思ったことが間違いだったのか? 

 

堂々巡りの状況に私も少し困ってしまい、所在無げに紅茶に口をつけたのだが……紅茶から立ち昇る()()()のような湯気を見た瞬間、私は名案を思い付くことになる。

そう言えば、先生は『守護霊の呪文』を使えていた。それで私は先生のことを優秀なのだと判断出来たのだ。汽車での守護霊は確かに完全に形になっているものではなかったが、それでも先生が何かしらの呪文のコツを知っていることには間違いない。

……そうだ、もしやこれは千載一遇のチャンスなのではなかろうか。これなら私は先生からもっと多くのことを学べるし、先生は先生で、私の()()()()()()()()()は秘密は露見しないと安心することが出来る。ようは先生は理由が知りたいのだ。理由を用意してしまえば、先生は少しは安心出来るのではないだろうか。

そう思いついた瞬間、私は一も二もなくそれを口にしていた。

 

これから約一年、先生との奇妙な時間を始める第一声を。

 

「納得されていないみたいですね。では……私と取引しませんか? それならば、先生も少しは納得できるでしょう?」

 

突然の申し出に先生は驚いてしまうだろう。下手したらより警戒させてしまうかもしれない。

でも、私はどうしても習得したいのだ。『守護霊の呪文』を。

そしてもっと知りたいのだ。先生の授業を。……先生自身のことを。

 

「……なんだい、その取引というのは? 君は私に何を要求するつもりなんだい?」

 

私は眉を上げる先生に言い放った。

 

 

「私に定期的に授業を、『守護霊の呪文』を教える授業をしてはいただけませんか? お恥ずかしながら、私はこの呪文がどうしても使えないのですが……先生はこの呪文が使えますよね? だから教えて欲しいのです。私に『守護霊』の出し方を。()()()()()()()()()。私は先生の授業をもっと受けたいのです」

 


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