ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ダフネ視点
……私はグレンジャーのことが嫌いだった。
ダリアを傷つける切欠を作ったのは間違いなく彼女であったし、何より私からダリアを奪うかもしれないと思えば彼女のことが憎く、そして恐ろしくて仕方がなかった。
だから私はグレンジャーをひたすら私から……ダリアからひたすら遠ざけていた。グリフィンドールとスリザリンといった関係以上に、私達との間には大きな溝が横たわっていた。
何故か多少の罪悪感を感じようとも、私はグレンジャーをこれからも近づけるつもりはなかったし、仲良くなる気などさらさらなかった。
でも……それが変わり始めたのは、おそらく……。
私は『マグル学』という学問が好きだ。
私は純血主義の家系に生まれたし、私自身も純血主義的な考えを持っている。でもそれは純血を尊ぶというより、魔法族が連綿と受け継いできた文化を愛するという面の強いものだ。決して『マグル』や『マグル生まれ』の人間を排除しようと考えたものではない。だから今まで見たことも聞いたこともない世界を学ぶというのは、私にとっては純粋に楽しくて仕方がないものだった。
でも、だからと言って『マグル学』の授業が楽しいかと聞かれれば……私は違うと答えるだろう。
授業内容は楽しい。先生の教え方に不満があるわけではない。
しかし私が授業を受ける環境は……絶望的に不快極まるものでしかなかった。
初めは我慢できていたのに、ここ最近は環境の更なる悪化もあり
「あいつ……休暇が明けてもまだいるんだ。なんでここにいるんだ? あいつはスリザリン生だろ? しかもダリア・マルフォイといつも一緒にいるような……。それって『継承者』の仲間ってことだろう? 純血主義者のくせに……こんな所にもやってきて。俺たちを監視でもしてるのか?」
「早く出て行ってくれないかな……。スリザリン生なんかが『マグル学』を受けるなんて聞いたこともないわ」
授業中だというのに、私の耳には近くに座っている生徒達の囁き声が届いてくる。そしてそれが聞こえていないのか……或いは聞こえていて敢えて無視しているのか、『マグル学』の教授であるチャリティー・バーベッジ先生も何も言わない。授業開始から半年が経っても尚私に不信感を露にした視線を送ってくることから、おそらく後者の可能性の方が高いだろう。
まさに四面楚歌。私のマグル学授業での状況はまさにその一言に尽きた。私に敵意を持った視線を送ってこないのは、逆に
この状況は私が授業を受け始めた瞬間に始まり、今なお止む気配はなかった。寧ろ段々と悪化してすらいる。休暇明けの今日は特に顕著だった。
……正直ダリアを未だに『継承者』と疑っているような連中に何と思われようと、私にとってはどうでもいいことだ。私もダリアと知り合わなければ
でも実際は……最近の私は彼らに僅かな罪悪感を感じており、それがこの四面楚歌な状況に対して僅かな不快感を覚えている原因となっているのも確かだった。
私が『マグル学』を受けた理由。未だに私が『マグル学』を受講しているとは露見していないが、スリザリンの中では、
『マグルの愚かさを知るため』
という私が他人だったら鼻で笑うような理由で押し通される予定になっている。勿論完全な嘘っぱちなものでしかなく、実際の動機は全く違うものだ。しかしそれを標榜しなければ、こうして『マグル学』の授業に通うことすら叶わないこともまた事実だ。私が攻撃されるのはどうでもいいけど、その場合ダリアにだって迷惑が掛かってしまう可能性があることだけは我慢できない。
そしてそれはスリザリン生達に対してだけではなく、他の三寮に対しても同じことだった。どこから情報が洩れるか分からない以上、他の寮が考えるスリザリンらしさから逸脱するわけにはいかない。もしもの時でも
それを聞いたマグル生まれの子たちが不快な思いをするだろうことを知っていて……。
僅かな罪悪感がノイズの様に私の思考を乱し続ける。本来ならこんな状況でも楽しめるはずなのに、私の思考が僅かに彼らの存在に引きずられてしまう。
そしてそれはこの日も……
「では、今日の授業はここまでにしましょう。次回はマグルが如何に箒を使わずに移動しているかについてです。……魔法族より劣っていると言われている彼らが、実際は如何に
最後だけ私を見つめながら、バーベッジ先生が授業の終わりを告げる。
それを皮切りに、授業中であったため多少控えめだった私への視線が一気に多くなった。
私はいつも通り逃げるように帰る準備を開始する。そんな私の背中にこれまたいつも通りの悪口が投げつけられる。
「……やっぱり『マグル学』を受講しておいてよかったよ。純血主義なんて凝り固まった考えに囚われるのは馬鹿げてるしな。スリザリンの連中の様に……」
「本当にね。スリザリンなら、もっと違う科目を選べばいいのにね。スリザリンの連中なんて……」
私には彼らに言い返す気力もなかったし、何より彼らに言い返せる言葉もなかった。
スリザリンの多くが排他的な純血主義であることは間違いなかったし、何より嘘に塗れた私も……。
だからこの後起きたことも必然のことだった。
荷物をまとめ上げ終えた私は、すぐさまスリザリン寮を目指して移動を開始する。今頃ルーピン先生の授業を受けているため寮にダリアはいないだろうけど、彼女が帰ってくると考えればこの僅かに感じる罪悪感だってすぐ忘れることが出来るのだ。ダリアとさえ一緒にいれば、私のこのちっぽけな悩みも嘘のように消えていくのだ。
しかし……
「ねぇ、グリーングラス。ちょっと貴女に聞きたいことがあるのだけど」
今日に限って、私が寮にすぐに帰ることはなかった。
いつもだったら背後からの悪口だけで終わるのに、休暇明けすぐだということで皆のテンションも上がっていたのだろう。教室を出てすぐ、地下へと向かう階段の直前で一人の女子生徒に声をかけられてしまった。
青色のネクタイをつけた彼女は、その表情を怒りに歪めながら私に尋ねてきた。
私が今まで敢えて黙ってきた、私の『マグル学』を受ける建前を。
「貴女、どうして『マグル学』を受けているの? スリザリンのくせに、私達と同じ『マグル学』を受けるなんて……一体何の悪だくみをしているのよ!?」
この日、私があえて無視し続けていた歪みが……遂に私に牙をむくこととなる。
ハーマイオニー視点
私がマルフォイさんの秘密を知ろうが知るまいが、時間というものは問答無用で過ぎ去っていく。
たとえ私が
クリスマス休暇明けの今日だって、私は休暇前同様ひたすら
忙しければ忙しい程、私はハリー達のことを考えずに済む。不用意に知ってしまったマルフォイさんの秘密について、これ以上自分を責めずに済む。
そんな無責任なことを、私はマルフォイさんに罪悪感を覚えながらも思っていた。
でも……
「貴女、どうして『マグル学』を受けているの? スリザリンのくせに、私達と同じ『マグル学』を受けるなんて……一体何の悪だくみをしているのよ!?」
すぐにそれは甘い認識でしかなかったことに気付くこととなる。
『マグル学』を終え、私は
そこには一人のレイブンクロー生が、険しい表情を浮かべながらグリーングラスさんを問い詰めている光景が広がっていた。
「何よ! 黙ってないで答えなさいよ! スリザリンの生徒が、一体どういうつもりで『マグル学』を受けているのかって聞いているのよ!」
「……」
いくら鈍感な私だって、グリーングラスさんが『マグル学』において浮いた存在であり、彼女に対し皆があまりいい感情を持っていないことには気が付いていた。
しかし、私は結局何か行動を起こしたことなどなかった。
私には……彼女にどう声をかけてあげればいいのか分からなかったのだ。純血主義からではなく、純粋に私の今までしてきたことで私を嫌っている彼女に、私が何と言えばいいのか想像することも出来なかったのだ。
だから私は最初の授業以来グリーングラスさんに話しかけたことはなく、彼女の状況を分かっても尚彼女に話しかけることが出来なかった。
その付けを、この時払うことになるとも知らずに。
私が何事かと驚いている間にも、事態はどんどん進んでいく。
厳しい視線に晒されたグリーングラスさんが、遂に逃げるように行動を開始したのだ。しかし、
「なんで私がそんなことを貴女に言わなければいけないの? 私がどんな理由で授業を受けようと、それは私の勝手でしょう? ……私は忙しいの。私が『マグル学』を受ける理由なんて、勝手に考えていればいいよ。……まあ、多分貴女が考えている通りだと思うけど」
どうやら話はここで終わる様子ではなかった。
「何よそれ、私を馬鹿にしてるの?」
ただでさえ鋭い視線を更に鋭くしながら、レイブンクロー生は続ける。
「スリザリンの貴女には知ったことじゃないかもしれないけど、私のおばあちゃんはマグルだったの……。でも、お母さんが魔法使いだってことが分かって、ホグワーツを卒業して、同じ魔法使いのお父さんと結婚してからは少し疎遠になってた……。別に仲が悪くなったわけではなかったけど、何となく距離が遠くなっていた。だから私もそんなにおばあちゃんに会ったことがなかった。そんなおばあちゃんが……この休暇の間に死んじゃったのよ。私はおばあちゃんのことを少しでも知りたいから、この『マグル学』を受けることにしたのに……。それなのに……。あまり会ったことはなかったけど、それでも大好きなおばあちゃんだったのに……」
そこまで話したことで、彼女は更に感情が高ぶった様子だった。
見れば彼女の手が杖に伸びつつあった。それに気が付いたのは……この異常な空間の中で唯一グリーングラスさんに敵意を抱いていない私だけだった。
他の皆も、レイブンクロー生の言葉に感化されたのか、グリーングラスさんへ冷たい視線を投げ続けている。誰一人、グリーングラスさんへ危害が加えられているこの状況に疑問すら抱いていなかった。
まさにスリザリンであれば、こんなことを言われても、こんなことをされても仕方がないという空気がそこにはあった。
レイブンクロー生の言葉にたじろいだ様子のグリーングラスさんに、彼女は大声を上げ始める。
「それなのに……貴女は私が『マグル学』を受ける理由を馬鹿にするのね! スリザリンのくせに! どうせマグルを馬鹿にするために、この授業を受けているんでしょう! 授業を受けて、それでも影でマグルのことを馬鹿にしているんでしょう! 私のおばあちゃんを、純血でない私を貴女は陰で笑っているんでしょう!」
「わ、私は……。別に貴女を馬鹿にしてなんか……」
「何よ! なら、どうして貴女がここにいるのよ! 理由をはっきりと言いなさいよ!」
「そ、それは……」
彼女の『マグル学』を受けた理由。それは単純に、彼女とマルフォイさんが『マグル学』に興味を抱いてくれていたから。でも、彼女はそれを言うわけにはいけない。それはスリザリンの中ではタブーとされることだから。
それを言ってしまえば……彼女自身だけではなく、『吸血鬼』であるという秘密を抱える、親友のマルフォイさんにも迷惑をかけてしまう恐れがあるから。
それでも彼女が私に初めに言っていたような、
『マグルが如何に愚かであるか知るため』
という建前を今ここで言わないのは、おそらく目の前にいる女生徒に配慮してのことなのだろう。
感情の高ぶった彼女にそんなことを言えば、彼女が更に傷ついてしまうと思ったのだろう。
しかし、そんな彼女の優しさが通じることはなかった。
「ふん! やっぱり言えないのね! それにさっき貴女も言っていたものね! 多分私が考えている通りだとね! 本当に、何なのよ貴女は! そんなこと考えているなら、ここから出て行ってよ! 私達をこれ以上馬鹿にしないでよ!」
そして……悲劇が起きた。
もはや憎しみすら感じられる大声を出した後、レイブンクロー生が遂に杖を振りかざしたのだ。
彼女としては別に呪文を使うつもりなどなく、ただグリーングラスさんを脅すだけのつもりだったのかもしれない。実際、彼女が何か特定の呪文を使うことなどなかった。
でも、絶望的に場所が悪かった。
階段の直前に立っていたグリーングラスさんが杖に驚いたように後ずさり……突然無くなった足場にバランスを崩してしまった。
私は魔法を使えばよかったのだ。
人を宙に浮かせる呪文なんて、私ならいくらでも知っていた。だからこの時、咄嗟に私も杖を出していれば全ては穏便に片付いた。
しかし実際の私が取った行動は……ただ我武者羅に、転げ落ちそうになるグリーングラスさんを抱きとめることだった。
両手に抱えていた教科書を放り出し、ただ無意識にこちらに倒れるグリーングラスさんに飛びつく。
当然、杖がなければただの女の子でしかない私に、女子生徒の全体重を受け止めきれるはずがない。
結果私とグリーングラスさんは仲良く階段を転げ落ち……そこで意識をあっけなく失ってしまったのだった。
気が付いた時には……そこは医務室のベッドだった。
ダフネ視点
「マ、マダム・ポンフリー! でも、私は授業を受けなくちゃ、」
「いけません! 貴女
「そ、そんな……」
横から響く大声のせいで私は目を覚ます。
目を覚ました私は、何故かベッドの中で横になっていた。
「あれ……? なんで私、ベッドの中にいるの?」
自分はさっきまで『マグル学』教室の近くにいたはず。そこで突然レイブンクローの女子生徒に絡まれて……その後、どうしたんだっけ?
私は自分の現状を訝しがりながら、まずはベッドから出ようと体を起こそうとする。
しかし、
「いたッ! な、何が……?」
まるで全身を打ち付けたかのような痛みに、思うように体を動かすことが出来なかった。
ここがどこなのか、そして私に何が起こったのか何一つ理解出来ない。
そしてそうこうしているうちに、どうやら私の立てた物音に近くにいた人達が気が付いたらしい。
ベッドの横のカーテンが開かれ、そこからマダム・ポンフリーが顔をのぞかせたのだった。どうやらここは医務室であるらしかった。
「ミス・グリーングラス! 気が付いたのですね! さあ、ベッドに横になっていて! どこか痛むところはありませんか!?」
私は彼女の勢いに飲まれながら、何とか返事を返す。
「マ、マダム・ポンフリー。少し体が痛いですが、そこまで大げさなものではありません。そ、それより、一体何があったのですか? 何故、私は医務室にいるのですか?」
私の質問に、マダム・ポンフリーは痛まし気に表情を歪めながら応えた。
「貴女は階段から落ちたのです。何があったか聞きたいのはこちらの方ですよ。その場の生徒がすぐ知らせてくれたから良かったものを……」
そしてため息を一つ吐いた後、私に飲ませるためと思しき薬を用意しながら彼女は続けた。
「さぁ、体が痛むなら寝ていなさい。今日は一晩ここに泊まるのですから、ゆっくりしていなさいね」
正直、未だに自分の現状が理解しきれているわけではなかった。レイブンクロー生が杖を構えたことに驚いてしまったせいで、階段を転げ落ちてしまったことは何となく思い出したけど……記憶がおぼろげで、あまり実感など湧いていなかったのだ。
でも、そんな中でもはっきりと分かったのは、
「そ、そんなわけにはいきません! わ、私は早く寮に帰らなくちゃ! ダリアが、ダリアが寮で待ってるんです! 授業が終わったら、一緒に寮で過ごす約束をしているんです! だから、私は帰らなくちゃ!」
ここにこれ以上いるわけにはいかないということだった。
私がどれくらいの間眠っていたかは分からないけど、少なくとも『マグル学』の授業が終わった後に私は気を失ったのだ。今頃は皆夕食を食べ終えてすらいるかもしれない。
私はダリアと授業が終わり次第、一緒に夕食を食べ、談話室で勉強会をすることを約束していた。それなのに私が談話室に帰らなければ、ダリアがとても不安な思いをしてしまう。
私はここで一晩過ごすことなど出来るはずがない。
しかし現実は非情なもので、マダム・ポンフリーの態度は頑ななものだった。
「駄目です! 私は貴女をここから帰すわけにはいきません! 意識を失っていたのですよ! 一晩ここで様子を見なければなりません! まったく、ミス・グレンジャーといい、どうして治療を受けずに皆帰ろうとするのですか! ……ミス・マルフォイには、スネイプ先生に貴女のことを伝えておくように言っておきます。それなら貴女も安心して治療に専念できるでしょう?」
「で、でも、」
「でももへったくれもありません! いいですね! ミス・グレンジャーと二人! 今夜は大人しくしているのですよ!」
ここまで来て、私はようやく医務室にいたもう一人の存在に気が付く。
マダム・ポンフリーが横にずれたことで、隣のベッドからこちらを心配そうに見つめるグレンジャーと目が合ってしまったのだ。
……そういえば私が階段から落ちる瞬間、誰かが私を抱きとめようとしてくれたような……それがもしかして……。
私とグレンジャーの間に、奇妙で気まずい空気が流れる。
こうして、私とグレンジャーの医務室での一夜が始まったのだった。
次回女子会