ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ダリア視点
「お父様! お待ちしておりました!」
「あぁ、ダリア。元気にしていたか?」
「はい、勿論です! お父様の御心配されるようなことは何もありません!」
「……本当にそうであれば良いのだがな。シシーも心配していたぞ。お前はやはり無理をしすぎる。何かあれば、必ず私達に報告するように」
試験期間がいよいよ終盤に差しかかった今日。残る科目は『闇の魔術に対する防衛術』のみで、いよいよ試験の終わりが見え始めたタイミングで……待ちに待ったお父様の来訪がやってきたのだった。
太陽が沈み、血のような
そうたとえ……このお父様の来訪が、実はヒッポグリフの処刑のためのものだったとしても、だ。
たかが下等生物一匹の生死など、私の幸福には何の関係もない。
しかし、
「それにしても……。ダリアは大丈夫であろうが……。ドラコ、お前は勉強をしていなくとも良いのか? 私はダリアを呼びはしたが、お前を呼んではおらん。もう終盤とはいえ、まだ試験は残っているのであろう? ならばお前は勉学に励んでおった方がよいのではないか?」
「はい、父上……」
お兄様には何か引っかかるものがあるらしかった。
お父様が話しかけて下さったというのに、明らかな生返事でしかない。折角ついてこられたものの、何か違うことを考えておいでなのは間違いなかった。先程から大広間横倉庫の扉をチラチラ見てばかりだ。
そんなお兄様に対しお父様が何か仰ろうとされていたが、私は急いで声を上げ遮る。
「ドラコ、何を呆けておるのだ。まったく、これでは先が思いやられる。この前も突然処刑を止めるようになどと、戯けた手紙を送ってきおって。……どこで聞いたのかは知らんが、こ、これは
「そ、そんなことより、お父様! こうしてここまで来られたのです! ホグワーツは去年の……あの事件以来でしょう? なら、お久しぶりの学校のはずです! 一緒に校内を歩きましょう!」
折角のお父様との時間を、お兄様への小言で終わらせたくなどなかったということもあるが、出来る限り一緒にいる時間を引き延ばしたいという思いからの提案だった。お父様もそれがお分かりになったのだろう。お兄様に向ける厳しい表情から一転、僅かに綻んだ優しい表情で私の無表情を見つめて下さる。
この瞬間、私はこのお父様との時間がより長く、そしてより幸福なものに変わったと確信した。
たとえこの後処刑が控えていようとも、私に甘いお父様ならきっと時間ギリギリまで私といてくださる。たとえ短い時間であろうとも、きっとお父様は私の小さな我儘を聞いて下さることだろう。
そんな風に、私は楽観的に確信していたのだ。
そう、お父様が私の提案に一瞬頷こうとしたところで、
「まったく、やっと我儘を言ったかと思えば……。そうだな。お前と会うために、態々早めに来たのだ。まだ予定まで時間はある。前回はゆっくりとここを見て回ることも出来なかったからな。ではまず、」
「ルシウスよ。随分早い到着じゃのう。コーネリウスとマクネアは既に到着しておったが、お主はもっと遅ぅに来ると思っておったよ」
老害が現れるまでは。
私は幸福な空間に突然湧いて出た生ゴミを睨みつける。そこには果たして予想通りの人物と、奴に続くように二人の男性が立っていた。
一人は細縞のマントを着た恰幅のいい小柄な男性。予言者新聞でもよく目にする魔法省大臣その人だ。もう一人は真っ黒な細い口髭を生やした大柄な男性。誰かは知らないが、大鎌を持っていることから処刑人であることは窺い知れた。
こんな時間にこんな場所にいるのだ。ヒッポグリフのことを聞き及んでいる以上、このメンバーが何のためにここに集まっているのかは簡単に想像出来る。私としても彼らの目的自体にとやかく言うつもりはない上に、寧ろよくぞここまで来てくれたと老害以外のメンバーに関しては歓迎したい程だ。
だがこのタイミングで現れたことに対して不快感を持たないかと言えば……それはまた話が別だ。
私は不機嫌な感情を隠すことなく、ただこの場に現れた邪魔者達を睨み続ける。それに対し、後ろの二人は怯んだように立ちすくんでいたが、
「おぉ、なんとダリア達と会うために、ここまで早く来ておったのか。それはすまんことをしたのぅ」
やはり老害だけは何の反応も示さず、心にもない言葉をかけてくるのだった。
「ダリアも、折角の家族との団欒を邪魔して悪かったのぅ。じゃが、実はワシらはこれからやらねばならんことがあるのじゃよ。ルシウスから何か聞いておるかの?」
「……お兄様に怪我を負わせた下等生物の駆除という、本来なら裁判を経ずとも学校側が為すべき義務を為すとなら聞いていますよ」
私の返事に、本来は処刑のことを私に知らせるつもりはなかったのだろうお父様が顔を顰めている。そんなお父様の反応に頓着することなく、私と老害の会話は続く。
「そうか……やはりダリアも知っておったか。確かにドラコ君を傷つけたのは、まことに残念な
「ダンブルドア、何のつもりだ。今更処刑を覆すなど、」
「ルシウスは黙ってくれぬかのぅ。ワシは今ダリアと話しておるのじゃ。……ダリアよ。止められるとすれば、もうお主だけじゃ。ダリアよ。どうか……お主から、ルシウスに言うてはくれんか? バックビークの処刑を止めるようにと」
まったく……何を言い出すかと思えば。
黙って聞いていれば、随分好き勝手な御託を並べ立てて……。
誰にも命を奪う権利はありはしない?
そんなこと、怪物である私にだって分かっている。だからこそ、殺人に憧れる私はどこまでも醜く、どこまでも悍ましい存在なのだ。そんなこと、老害に言われなくとも分かっている。
でもそれ以上に……私はマルフォイ家こそが、ダフネ・グリーングラスこそが尊いと思っている。
だから……私はダフネやマルフォイ家を守るためなら、たとえ穢れた行為であっても喜んで行う。たとえこの処刑のことで、多少の罪悪感をグレンジャーさんに感じていたとしても。
それは私の権利ではなくとも……私の義務なのだ。
だからこそ、
「……お断りします。何故私が、お兄様を傷つけた下等生物を許さなければならないのです? それに、寧ろこれはお父様の慈悲なのです。本来であれば貴方か森番が責任を取らねばならないところを、たかがヒッポグリフの命一つで許すと仰っているのです。感謝されこそすれ、非難されるいわれはありません」
私の答えはこれしかないのだ。
老害からの提案は勿論、グレンジャーさんからのものだろうが……ダフネからのものだろうが、私の選べる選択肢はこれしかなかった。
しかし、老害がそんな私の事情に理解を示すはずなどない。老害はそんな私の応えに、数秒今までとは違った本当に悲しそうな表情をしてから、
「そうか……本当に、本当に残念じゃ。……やはりリーマスの勘違いじゃったようじゃのぅ」
いつも私に向ける、どこか警戒した視線に戻ったのだった。
もはや見慣れた視線を私に向けながら、老害はきっぱりとした口調でお父様に話しかける。
「では、ルシウス。時間までまだ少しあるが、メンバーが揃った以上もう行くことにするかのぅ。コーネリウスも忙しい中、態々ホグワーツまで来てくれたのじゃ。これ以上ハグリッドを待たせるのも可哀想じゃ。のう、コーネリウス?」
「あ、あぁ、正直こんな役目は早く終わらせてしまいたい。久方ぶりにホグワーツに来たかと思えば、まさか凶暴なヒッポグリフの処刑なんて……。ルシウスも、そ、それにミス・マルフォイもすまないね」
魔法大臣にそう言われてしまえば、いくら魔法省高官のお父様とて従うしかない。
私の無表情も僅かに歪んでいるだろうが、更に苦虫をダース単位で噛み潰したような表情をされたお父様が、いかにも渋々といった態度で応えた。しかし、
「……コーネリウスがそう言うのなら、まぁ、仕方ないですな。ダリア、それとドラコ。楽しみにしていたところを短くなってしまい、すまないな。特にダリア」
その発言はすぐに、意外な人物によって遮られることになる。その人物とは、
「お前が折角我儘を言えたというのにそれを叶えられず、すまない。この埋め合わせは次にするとしよう。夏休みまでに考えておきなさい。では、」
「いえ父上。僕は父上についていきます。僕はヒッポグリフに襲われた当事者です。あいつの死ぬところを見てみたい。だから……僕も処刑についていこうと思います。……ダリア、お前は先に帰っていろ」
意外にも、今まで黙り込んでいたお兄様だった。
意外な人物からの意外な言葉。お兄様の言葉に、この場にいる全員の視線がお兄様に注がれることとなる。
お兄様がずっと見ておられた、倉庫に隠れていた人物の視線も含めて……。
ルーピン視点
いよいよ太陽が沈んだ時間。
私は一人事務所で『忍びの地図』を開いていた。地図の上にはいくつもの名前が記されており、それぞれの人物が今どこにいるかも手に取るように分かる。そしてその中には勿論、
「まったく……あれだけ叱ったというのに……。また懲りずに城から出るなど……。いくらヒッポグリフの処刑前にハグリッドに会いたいからといっても、こんな時間に城を抜け出すなんて言語道断だよ。これは流石に罰則を与えなくてはいけないかな」
ハリーとその親友達の名前も記されていたのだった。
私は校庭を動く三人の名前を『地図』で確認しながら、漏れ出そうになるため息を何とか抑え込む。
ハリーがまったく反省していなかったとは言わない。今回のことだって、ハグリッドのことを思えば当然の行動だとさえ言えるだろう。きっと彼の父親だって、彼と同じ立場であれば同じ行動をとったことだろう。いつもハリーのストッパー役であるハーマイオニーも一緒であることから、彼らがただ友達を慰めるために行動していることは分かる。
でも、それを教師であり……ジェームズの親友であった私が肯定していいものではない。私にはハリーを守る義務がある。たとえハリーに恨まれようとも、私にはハリーを叱ってやる義務があるのだ。
やはり地図で見張っておいてよかった。今夜は無理だが……明日になれば、必ずハリーを叱ってやらねば。
今は外に出るわけにはいかない私は、せめて『透明マント』を外で脱いでくれるなと祈りながら、ハリー達の周辺にシリウスがいないかを確認する。
まず地図の右側。大広間前のロビーには、ダンブルドアにコーネリウス・ファッジ、ワルデン・マクネア、ルシウス・マルフォイ。そしてダリアとドラコ・マルフォイに……倉庫に隠れるように
「大広間前にこのメンバーが集まっているということは、いよいよ処刑が始まるということか」
私は少しの間黙祷し、今度は地図の左側に目を向ける。そこにはいよいよハグリッドの小屋に辿り着いたハリー達三人組。小屋の中で彼らを迎え入れるハグリッドがいた。
しかし、
「な、何故この名前がここにあるんだ!?」
小屋の中に刻まれた名前は……彼らだけではなかった。
息をすることすら忘れて見つめる先には……『ピーター・ペティグリュー』と書いてあったのだ。
「馬鹿な……あり得ない。彼は死んだはずだ! シリウスに殺されたはずだ! それが何故……?」
誰もいない事務室に、私の驚愕に満ちた声が響き渡る。
私が驚いている間にも、まるでピーターと
訳の分からないことばかりだ。ハリーが以前、ピーターの名前を地図で見たと言っていたが、自分で見たとしても俄かには信じがたい事態だった。
そして、訳の分からない出来事はそれだけではなかった。
ハリー達はダンブルドア一行、そして彼らの後をつけるように動くダフネとすれ違うと、一気にもうすぐ城に辿り着くであろう場所まで駆け抜ける。
その横から突然……地図の外から猛スピードで駆け寄る『シリウス・ブラック』という文字が現れ、ロンとピーターを引きずるような形で『暴れ柳』に引きずり込むのが見えた。
彼が狙っていると思われていた、ハリー・ポッターを置き去りにして。
何かが……私の思いもつかなかった何かが起こっているのは間違いなかった。
私は『地図』を片付ける手間も惜しみ、急いで杖だけをひっつかんで外に飛び出す。
何が起こっているのかは分からない。しかしハリーを守るためにも……真実を知るためにも、私は今行くしかないことだけは分かっていた。
部屋を飛び出した私の中には義務感と焦燥感……そして僅かな
何故私が今夜外に出てはいけないと思っていたか、まだ私が薬を飲んでいないという事実を振り返る余裕は……残念ながらこの時の私の中にはありはしなかった。
ダリア視点
何だかよく分からない状況になった。
何故お兄様は、あんな心にもないことを言ったのだろうか。お兄様は言っては悪いが小心者であり、いつもの口調とは裏腹に人並みの良心や良識を持ち合わせているお方だ。
だから、
『あいつの死ぬところを見てみたい』
なんてことを、お兄様が本来口にするはずがない。平時はともかく、このような土壇場になってそのようなことを言うなどあり得ない。
そもそもグレンジャーさんからの頼みとはいえ、一度は処刑自体を止めるよう私に言ってきたのはお兄様だ。明らかに言動が矛盾している。
しかも、
『……ドラコ君や。そのようなことは言うものではない。生き物が死ぬところを見たいなどと……。お主はまだその意味を理解しておらんのじゃ。それを見れば、お主は必ず後悔することになる』
という老害の言葉はさておき、何度お父様や私が真意を問いただし、談話室に帰るよう言っても、お兄様は頑なに意見を変えるつもりはなさそうだった。
何度言っても、
『僕は当事者だから。僕にはそれを見る権利と義務がある』
の一点張りだ。
それはこうして実際に外に出てきても変わらない。お兄様を一人にするわけにはいかないと私もついては来たが、
「お兄様、本当に処刑に立ち会うおつもりなのですか? お兄様には何と言いますか、少し刺激が強すぎる光景だと思いますが?」
「……いや、僕は行くよ。寧ろお前は帰れ、ダリア。今から起こることは、寧ろお前にこそ刺激が強すぎる。……お前は
やはりお兄様の意志が変わることはなかった。
時折前から送られてくる視線の中、お兄様はただ黙々と前だけを見て歩き続ける。結局所定の時間がいよいよ迫っていた上、
『ルシウス。すまないがもう時間がない。本来は戻ってほしいところであるが……彼がここまで言っておるのだ。彼は本件の最大にして唯一の被害者だ。彼の意見を尊重する必要がある。彼にも何か思うところがあるのだろう。それに何より、私はもうこれ以上この件に時間を取りたくないのだよ』
『待て、コーネリウス! 私の息子は、』
『……コーネリウスがそう言うのなら、仕方ないのぅ。ドラコ君……それにダリア、言いたいことがあれば、いつでも言うのじゃよ』
土壇場になれば私達が止めてくれるやも……若しくは私達の行動の結果を見せつける目的があるのか、ダンブルドアが一転して私達の同行を認めたわけだが……お父様は未だに反対しているのは間違いない。
先程から時折振り返り、私とお兄様にいかにも複雑そうな視線を送ってくる。
しかしその視線も長続きはしなかった。遂に森番の小屋に私達はたどり着いてしまったから。
老害が全員を代表し、小屋のドアをノックする。
すると中から森番が出てきて、
「バックビークの処刑は見世物じゃねぇ!」
開口一番、私とお兄様を見つめながら言い放ったのだった。
どうやら森番にとって、私達の同行はそういう風にしか受け取れなかったらしい。いや、そもそもお父様や私以外のメンバーがお兄様の言動に違和感を持っているかどうかも怪しい。彼らはお兄様が一度は処刑を取りやめようとしたことすら知らない。違和感を持っていないからこそ、最終的には諦めたように同行を許可したのだ。
マルフォイ家なら、こういう行動をとっても可笑しくはない……と。
しかし、こいつらはそれで納得するのかもしれないが、私はお兄様がそんなことをする性格だとは思っていない。
私はお兄様にそぐわない行動に首を傾げながら、事の成り行きを黙って見守るのだった。
ダンブルドア視点
やはり……リーマスの言っておったことは間違いだったのじゃろぅ。
ワシは心の底から湧き起こる失望感を感じながら、目の前の光景を見つめる。
「ヒッポグリフのバックビーク。以降被告と呼ぶが、本日6月6日の日没をもって処刑さるべしと決定されたため、本日執行することをここに宣言する。死刑は斬首とし、委員会任命のワルデン・マクネアによって執行される。ハグリッド、ここに署名を」
狭い小屋の中。突然人口密度の上がった室内で、ファッジが規定通りの文言を読み上げており、そんな彼を何の感情も感じさせない無表情で見つめるダリア。そしてその兄であるドラコも、妹同様何を考えておるのか分からぬ無表情で虚空を見つめていた。
少なくともバックビークの処刑に対し何らかの負い目や恐怖を覚えている様子は皆無じゃった。
ワシは彼らに聞こえぬよう、小さくため息を漏らしながら思う。
正直そこまで期待しておったわけではない。ダリアは最初こそここに来るつもりはなかったようじゃが、処刑を止めるつもりがないどころか、積極的に支持しているのは間違いなかった。ドラコ・マルフォイに関しては
しかしここまで来てしまえば……いざ一つの命が目の前で奪われる段階になれば、彼らとて何か感じ、上手くいけば処刑を取りやめてくれるやもと期待しておった。
じゃがそんな良心は……残念じゃが彼らの中にありはしなかったのじゃ。
ドラコ・マルフォイはともかく、ダリアに関してはリーマスからの報告でもしやと思っておったのじゃが……。やはり当初のワシの
ワシはそこまで考え、小さく頭を振って邪念を追い出す。
いや、ワシは何を考えておるのじゃ。これでは教師失格じゃ……。入学式の時も同じ思考をし、あの時も自らを律したというのに、ワシはあの時から何も進歩しておらん。
まだダリアやドラコの未来が決まったわけではない。もしかしたらこの処刑を、自身の行動の結果目の前で命が奪われる場面を見れば、彼女達も或いは何かしらの罪悪感を感じてくれるやもしれん。
そうであれば僅かでも彼女達の中に良心が残っておるという証明になる。教師であるワシが、子供たちの未来を信じないでどうするというのじゃ。
そうたとえ、
「さて、マクネアの署名も終わった。さっさと片付けてしまおう。マクネア、処刑の準備を、」
「……大臣、待ってください。まだ僕の用事が終わっていない。僕はまだ……この
処刑の直前、ただでさえ精神的に追い詰められているハグリッドを更に詰るような、理解不能なことを言いだしたとしても……。
小屋にいる全員の視線を集めながら、ドラコ・マルフォイはただ淡々と話を続ける。
まるであらかじめ用意していた台本を読み上げるかのように。
「あのヒッポグリフの処刑は当たり前のことだ。
「ドラコ君……と言ったかね? 君の言いたいことは分かる。だが何度も言ったように、もう時間がないのだ。私はさっさとこんなこと片付けてしまいたい。それに、裁判でもうハグリッドに責任がないことを証明している。彼に処罰を与えることは、」
「ええ、だから分かっています、大臣。ですが、大臣も先程言っていたではありませんか。僕の意見を尊重する必要があるって。時間は取らせません。
小屋の中は痛いほどの沈黙に満たされる。それぞれがそれぞれの反応をし、すぐには言葉が出ない様子じゃった。
マクネアやコーネリウスはとにかく処刑を早く執行したい一心で、ハグリッドにいいから早く謝罪しろと言わんばかりの視線を送っておる。そしてルシウスは息子の言葉に一理あるとでも思っておるのか、どこか複雑な表情を浮かべており……ダリアだけはいつものごとく何を考えておるのか分からぬ無表情じゃった。ハグリッドに至ってはもはや怒りのあまり言葉も出ない様子じゃ。
かくいうワシもすぐには言葉が出んかった。
何と言うか……ドラコの主張がどこか支離滅裂で、一体何を目的にしておるのか理解出来んかったのじゃ。
何故今頃になってこんなことをドラコは言い始めたのじゃろうか。そもそも彼は本気でハグリッドの謝罪を求めておるのじゃろうか。ただハグリッドを詰るためだけにこのような発言をしておるとと考えるのが一番妥当じゃが……果たして彼の目的がそれだけじゃとは、ワシには思えんかった。
じゃからこの中で最も早く衝撃から覚めたワシは、ドラコの意図を推し量りながら、ゆっくりとした口調でまずハグリッドを庇うことにした。
「……ドラコ君。先程も言うたが、今回校長としてワシも少なからず責任を感じておる。君には本当にすまんかった。じゃが、ハグリッドをこれ以上責めるのはいかがなものかのぅ。ハグリッドはすでに十分にショックを受けておる。これ以上彼に求めるのは、あまりにも酷というものじゃよ」
今にも暴れ出してしまいそうなハグリッドに配慮した、ワシなりの時間稼ぎのつもりだったのじゃが……ドラコはワシに一瞥もくれず、ただハグリッドだけを見つめながら続ける。
「お前には言っていない。僕はもう、お前に何の期待もしていないんだ。老害は黙ってお茶でも啜ってろ。それで、僕に謝るのか謝らないのかどっちなんだ?」
もはや挑発的とすら言える言葉の数々。何かが切れる音がしたと思うた時にはすでに遅く、振り返ればハグリッドが怒りを露にドラコに掴み掛ろうとすらしておった。
「ドラコ! お前、よくもぬけぬけと! バックビークを見世物にした挙句……ダンブルドア先生まで侮辱しおって! よくもそんなことが言えたな!」
視界の端で即座にダリアが杖を抜き放ち、ハグリッドに呪文を放とうとしておるのが見える。
まさか、これが彼の目的だったのじゃろうか? バックビークだけではなく、今度こそハグリッドにも刑を与えるために挑発を?
ワシは自身の思考にやはり僅かな違和感を感じながら、ハグリッドを抑え込む。
「ハグリッド! 止めるのじゃ! どんな理由があれ、お主は生徒を傷つけてはならんのじゃ!」
理性を失いかけても、ワシの声ならばハグリッドに届いたようじゃった。
今まさにドラコに殴り掛かろうとした姿勢で静止し、ゆっくりとした動作で元の位置に戻ってゆく。
そして、
「すみません、ダンブルドア先生。す、少し頭に血が上っちまって。お、俺は教師なのに……。俺みたいな体だけが大きい奴が殴れば、子供がどうなるかなんて分かり切ったことだってのに……。ド、ドラコも……すまなかったな」
バックビークのことではなく、今しがた殴り掛かったことに対してじゃが、ハグリッドが静かに謝罪の言葉を口にしたのじゃった。
それを受け、ドラコもドラコでダリアを抑え込ながら応える。
「……まぁ、それでいいだろう。もう
最後は何を言っておるか分からんかったが、本当に彼の目的はこれで達したということなのじゃろう。
本当に何がしたかったのか分からぬ
そんな中、考えても仕方がないと思うたのか、コーネリウスが真っ先に声を上げる。
「よ、よく分からないが、ドラコ君がそう言うのならもういいのではないかね? ハグリッドが生徒に殴り掛かろうとしたことは由々しきことだが、今回の件はまた別件だ。さぁ、マクネア、行こう」
しかし、
「ん? バックビークはどこだ?」
彼の注意がドラコに注がれることは、もうなかった。
小屋を出て、本来バックビークが繋がれておるべきカボチャ畑には……影一つなかったのじゃから。
その光景を、周りの人間達が大騒ぎする中……ドラコは何の感情も感じさせない表情で眺めておることを、ワシは最後まで理解することが出来んかった。
ワシの中には結局どんなに言い繕おうとも、家柄で人を判断する愚かしさが少なからずあったのじゃから。
じゃから……ワシはこの後ハリー達から今年の事件の真相を聞いた時も、今までシリウスを犯人だと自らを納得させていた理由を直視しようとはしなかったのじゃった。
ハーマイオニー視点
「ハリー、急ぐのよ! それに静かに!
「わ、分かってるよ、ハーマイオニー。……君の方こそ声が大きいよ」
私達は今校庭の中を『透明マント』を被って横断しているであろう
罪のない命……バックビークとシリウス・ブラックを助けるために。
まだ私達の中で一日、現実ではまだ
私達は知ってしまったのだ。グリムが実はシリウス・ブラックであったこと。彼はルーピン先生と学生時代の友達であり、同じく同級生であったスネイプ先生を一度悪戯で殺しかけてしまったこと。そんなシリウスは……実は無罪であり、今までハリーではなく、本当の『秘密の守り人』であったピーター・ペティグリューを狙っていたこと。そして……そのペティグリューは生きており、今までロンのネズミに変身して生きながらえていたことを。
一夜にして明かされた、まさにどんでん返しと言えるような真実の数々。
しかもそれらが明かされた後も、城にペティグリューを連れて行こうとしたタイミングでルーピン先生が狼人間になってしまったり、シリウスとハリーが『吸魂鬼』に襲われたりと大変だった。
多くのことが短時間に起こりすぎて、もう正直頭がパンクしそう。
でも……それでも私は行動し続けなければならないのだ。
何故ならドサクサに紛れてペティグリューは逃亡し、シリウスの無罪が証明できなくなってしまったせいで……彼は『吸魂鬼』の
だから私とハリーはこうして時間を巻き戻し、夜の校庭を駆け抜けているわけだけど……。
「ねぇ、ハーマイオニー。バックビークを助けるのは僕も賛成なのだけど……その後どうするつもりなんだい? 何か計画でもあるの?」
「……ないわ。そもそも過去を変えることはとても危険なことなの。今の時間にいる誰かと接触することなんて出来ないわ。だから必然的に私達の出来ることなんてそう多くはないの。本当に慎重に行動しなくちゃ……。でも、バックビークだけはまず助けなくてはならないと思うの」
正直無計画どころの話ではなかった。
全てが行き当たりばったりの行動。
一応方針としては、
「ハーマイオニー。こんなのはどうだろう? ダンブルドアは西の塔にシリウスが閉じ込められているって言ってた。だから……バックビークに乗って、シリウスを助け出せばいいんだ! そうすれば、シリウスはバックビークに乗って逃げることも出来る!」
「そうね……でも、そんなこと誰にも見られずにやり遂げたら、それこそ奇跡だわ!」
ハリーの言葉通りのものは考えていたけど、難易度が高いなんてものではない。
それでも、私達はやり遂げる以外に道はないのだけど……。
私達は誰にも見つからないように森まで駆け抜け、今度は森の端を縫うように木々の間を進む。
鬱蒼とした木々の中にいるため見つかりにくいけど、もし誰かが窓から見ていたらと思うと気が気ではない。
そしてそんな焦りばかり生じる行軍の末、ようやくハグリッドの小屋横のカボチャ畑に辿り着いたのだけど……。
「行く?」
「まだ駄目よ! 今連れ出したら、ハグリッドが逃がしたと思われてしまうわ! 今小屋の中にいる私達とも出くわしてしまうかもしれない! だからバックビークが外に繋がれているところを、ルシウス・マルフォイ達が見るまで待たなくちゃ!」
「それじゃ、やる時間が60秒くらいしかないよ! あいつらはバックビークを殺したがってるんだ! 小屋からすぐにでも出てきてしまう!」
「でも見られるわけにはいかないわ! 分かって、ハリー!」
再度難関に直面してしまうのだった。まさに息をつく暇もない。
しかも私達が議論している内にも事態は進み、裏口から私達自身が出てくるのが見える。入れ違うようにマルフォイさん一行が到着し小屋に入っていく場面も見え、もはや一刻も猶予がないのは明らかだった。
しびれを切らしたように、ハリーがカボチャ畑の中で佇むバックビークに飛び出そうとする。
「ここで待ってて。僕が、」
しかし、彼が実際に飛び出すことはなかった。
何故なら、
「こんばんは、バックビーク……だっけ?
薄暗くなったカボチャ畑の向こうから、彼女が先に飛び出してきたのだから。
茂みから驚愕の視線を私達が送る先には……グリーングラスさんが、どこか吹っ切れた表情を浮かべながら立っていたのだった。