ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ホグワーツ城の空き部屋の中で、俺は今杖を奪われ、一人椅子に縛り付けられた状態でいた。
俺を縛り付ける縄は異様な程頑丈で、どう頑張っても抜け出せそうにない。このままでは確実に再びアズカバンに収監されてしまうことだろう。
だが闇の帝王が復活した今、たとえアズカバンに収監されたところで再び出てこれるようになるのは時間の問題でしかない。ここから抜け出す計画自体は根本からぶち壊されたが、それでも俺の勝ちは揺るがない。これは別に闇の帝王の……俺の敗北を意味しているわけではないのだ。
あのお方は権力の座に戻られた。俺はこれから他の魔法使いが夢見ることも叶わぬ栄誉を手にする。つまり俺の望みは闇の帝王が復活した時点で必ず叶うことになるのだ。
……だがそれなのに、どうしてだろうか。
俺は項垂れ、抵抗する気力も湧かぬまま一人考える。
本来なら俺はこれを喜ばなければならない。喜ばなくては帳尻が合わない。今までの努力も
だというのに、
「何故俺は……まったく
寧ろこの胸に空いた穴は大きくなっていたのだ。
もはや何も感じられない。何もする気が起きない。これから輝かしい未来が待っているというのに、いざ手の届く段になると俺は……何故かそれが酷くどうでもいいものにすら思えてしまっていた。
何故あれだけ欲していた地位を手に入れた瞬間、俺はこんなにも……もはや俺には
何故かこれから始まる未来のことを一向に考えられない。思い出すのはやはり、
『愛している……息子よ』
最期にあの男が見せた笑顔ばかりだ。考えが一向に纏まらない。どこかずっとこのまま静かなこの部屋の中にいたいとすら思っている。
しかしそんな俺に、
「成程。ムーディが闇の帝王の仲間だと気が付いた時はまさかと思いましたが……なるほど別人が彼に化けていたのですね」
突然あの忌々しい……美しくも冷たいあの小娘の声がかかったのだった。
視線を向ければ、本来こんな所にいるはずのない小娘……ダリア・マルフォイの姿があった。いつもの冷たい無表情に、まるでこちらに一切の興味を抱いていないような冷たい視線。
違いがあるとすれば……その瞳がいつもの薄い金色と違い、何故か
だがそんなことに疑問を抱く暇もなく、奴は俺に静かに話しかけてくる。
「貴方が誰かは知りません。知る気もない。どうせ貴方にはここで死んでもらうのです。貴方が持っているやもしれない情報は、これからの私にはあまりに不都合なものですから。それに貴方がセドリックを……」
唐突に現れ、そしてやはり唐突に不穏なことを言い始めた小娘は、その手に持つ真っ黒な杖を俺の方に向ける。
これが他の生徒なら俺も一笑に付しただろう。だがこの小娘……ダリア・マルフォイなら本当にやる。この小娘には俺を殺す理由がある。闇の帝王がお戻りになった以上、こいつが闇の帝王の計画を邪魔しようとしていたことが露見すればどうなるか……こいつの立場であれば全力で俺を消しに来ることだろう。
そしてなにより、こいつは殺人に対し迷いがないのだ。
思い出すのはこいつに呪文をかけられた日のこと。あの時こいつは俺どころか周りにいた生徒達にすら強力な呪いを放っていたというのに、こいつには何の迷いもありはしなかった。おそらくマクゴナガルが止めにこなければ、俺達は確実に殺されていたことだろう。とてもただの14歳の小娘とは思えない。他の生徒であれば、他者にたとえ呪いを放ったとしても必ずそこに迷いがある。認めたくはないが、この小娘が異常な存在であるという一点のみは俺も納得するしかなかった。
そうその一点において……こいつは俺の
だから当然、俺は本来であればこの危機的状況に恐れを抱く
夢の実現を目前にして、こんな小娘に突然殺されてしまう。縛られている以上抵抗することも出来ない。俺の命運はここで尽きようとしている。
だが……やはり俺はこの状況になっても何の感情も抱くことはなかった。
感じるのは全てがどうでもいいという諦観のみ。もはやあれだけ感じていた小娘への敵愾心もすっかり消え失せていた。
あれ程この小娘のことを嫌い、あれ程この得体のしれない小娘を出し抜こうと考えていたのに、今この段階になって何故……俺はこの小娘に何の感情も抱いていないのだろうか。
そしてそれを目の前の小娘も疑問に思ったのだろう。冷たく俺を見つめていた赤い瞳を僅かに揺らし、僅かに躊躇ったような口調で尋ねてくる。
「……何故何の抵抗もしないのですか? 私が貴方を殺さないと高を括っているのですか?」
その言葉に俺は半ば投げやりな口調で返す。だが同時にそれは本心からのものでもあった。
「いいや……別に高を括っているわけではない。お前なら俺を何の躊躇いもなく殺すだろうな」
「ならば何故?」
「……もうどうでもいいと思ったからさ。もうここで死んでもいい。俺にはもう……
俺の言葉を受け、いよいよ訳が分からないとダリア・マルフォイは杖を下ろす。そしておもむろに俺に近づいてくると、小娘は俺の目をジッと覗き込んできたのだ。その瞬間俺の中に何かが滑り込んでくる感覚を覚える。それは紛れもなく『開心術』だった。今この瞬間、俺はこいつに俺の……それこそ心どころか過去さえも見られていた。
だがそれでも俺は抵抗する気力にならない。寧ろこの瞬間のみ、俺はこいつに俺のことを
結果小娘は俺の全てを理解したのか、赤からいつもの薄い金色に
「驚きました。貴方はクラウチ氏の息子だったのですね……。そして彼を殺したのは……貴方だった。愚かな男ですね」
言葉だけなら俺を小馬鹿にしたものと思える。この小娘とは違い、
しかしその声音には俺への嘲りなど一切なく、先程までとは違いどこか同情的な響きすらあった。
そしてその言葉こそが、
「本当に……愚かな男ですね。結局いざ本当にどうしようもない段階になって……もう行きつくところまで行ってしまった時に、自分が本当に欲しかったものに気付くなんて。貴方はただ
俺が奴に読み取らせた、俺すら気づいていなかった、いや敢えて見ないようにしていた心の奥底にあった感情だったのだ。
奴の言葉が俺の中にストンと降りてくる。他人に言われることで、ようやく俺は自分が本当は何を望んでいたかを理解した。奴の言う通りだ。今までの俺ならこの答えを聞いても決して受け入れはしなかっただろう。だが今全てを自らの手で失い、自身がここが果てだと思っていた所に来た今なら分かる。
そうだ……この小娘の言う通りだ。俺はただ普通の父親が欲しかったのだ。
普通に家に帰ってきてくれて、普通に俺を褒めてくれて、普通に俺を叱ってくれて……普通に俺を愛してくれる父親が。
少なくとも俺のことをちゃんと見てくれる父親が欲しかったのだ。
最初からそれを俺は持っていたにも関わらず。
何だかあまりにも簡単に手に入れてしまった答えに乾いた笑いが漏れる。
今なら分かる。俺が何故闇の帝王を目指していたのか。その本当の理由が。
俺はずっと闇の帝王と自分には多くの共通点があると思っていた。二人とも父親に失望し、二人とも父親と同じ名前をつけられる屈辱を味わった。
何にも煩わされることなく、この世の頂点に君臨し続ける偉大な人物に。誰もが恐れ、そして
そうなれば俺は決してこんな煩わしい感情を抱かずに済む。俺は真の意味で父親から解放されるに違いないのだ。
そう俺はずっと思っていたのだ。
だが現実は違った。
闇の帝王のように人を殺し、そして最後に自分の父親を殺したとしても……俺は結局、
いや、自分でバーティ・クラウチ・ジュニアになることを放棄したのだ。人を殺した瞬間……自分の父親を殺した瞬間に。
あの瞬間に俺は何者でもなくなってしまった。
人を殺したことで……その時
それを本当に闇の帝王と同じになってから気が付いた。
行きつくところまで行きつき、いざ一瞬振り返った瞬間、自身の後ろに何も残っていないことに。そして闇の帝王も結局……俺と同じ何者でもないことに。
闇の帝王とは結局ヴォルデモート卿という名前の
その点で言えば俺と闇の帝王は違うのだろう。闇の帝王は今も尚前に進み続けており、俺は振り返ってしまった。
そして思い出すのはやはり、
『愛している……息子よ』
やはり最期に見せた
失ってから、俺はあの父さんの本当の気持ちに気付いてしまったから。闇の帝王とは違い、俺は
俺は項垂れ、ただ乾いた笑いを漏らし続ける。もはや言葉はない。
俺はようやく人生の答えを得たのだ。得たとしてもそれは終着点であり、どうしようもなく取り返しのつかないものでしかなかったが。
そんな俺をダリア・マルフォイは、先程までとは違いどこか悲しそうな瞳で見ていた。表情こそいつもの無表情だが、それでも今の俺には分かった。
その
そしてそんな俺の認識は正しかったらしく、
「貴方は……
彼女の言葉が最後まで続くことはなかった。
部屋の温度が突然冷たくなる。ダリア・マルフォイが勢いよく顔を上げた先には吸魂鬼が一体。彼女の登場と同じく突然に、俺の最期へのお迎えが現れたのだ。しかも部屋の向こうからは、
「ま、待ちなさい! 勝手な行動は許しません! ファッジ大臣! 何故城に吸魂鬼などを!?」
「わ、私は護衛が必要だと思っただけだ! 君らから脱走犯がいると聞いていたからな! わ、私は魔法大臣として当然の権利を行使しただけだ!」
こちらに息を切らして走っている様子のマクゴナガルとファッジの声まで聞こえてきていた。もはや俺たちが言葉を交わすことは出来ない。
ダリア・マルフォイは急いで自身に『目くらましの呪文』をかけ姿を完全に見えなくする。こっそりこの部屋から抜け出すつもりなのだろう。……当初の彼女がここに来た目的を果たすこともなく。
だが彼女の目的は別のモノによって果たされる。
何故なら部屋の中に押し入ってきた吸魂鬼が何のためらいもなく俺の方に近寄り、その唇を俺に押し付けようとしていたから。吸魂鬼はその者が持つ幸福感を全て吸い上げ、そしてその最後に口づけをすることで魂まで吸い取るという。成程今この瞬間最悪の記憶しか残っていない俺は、奴にとっては最高の御馳走であることだろう。
まさに俺にピッタリな最期と言える。
自分で自らを切り刻んだ挙句、人に必要なものをすべて削ぎ落し……その果てに何もかもを失くしてしまった俺の最後に。
だから俺はこれから起こることを理解しながらも、その瞬間を諦めを持って受け入れる。
ただ一言、
「ダリア・マルフォイ……お前は俺みたいな人間になるなよ。家族のことで怒れるお前は……まだ間に合うのだから」
そんな言葉を、透明になりながらもまだこちらを見ているだろう彼女に残して。
表情は見えない。見えたとしても俺には理解出来るとは思えない。彼女が今怒った表情をしているのか、呆れた表情をしているのか、それとも悲しそうな表情をしているのか。俺にはもう分からない。
俺に分かるのはただ、
「間に合いはしませんよ。生まれたその瞬間から……私は既に人間ではないのですから」
そんな透明な虚空から漏れ聞こえてきた彼女の言葉だけだった。
その瞬間、俺の意識は永遠に覚めない眠りについた。
ウィンキー視点
一年前まであたしが仕えさせていただいていたお屋敷。今ではあたし
そんな屋敷の中、今あたしの目の前には
ですが考えてみればそれも当たり前のこと。
何故なら棺桶の中身は……二つ共
一つはあたしのご主人様の物。ですが未だにご遺体が見つかっていないため、こうして箱のみが用意されている。
そしてもう一つはお坊ちゃまの物。ですがお坊ちゃまは正確には……まだお亡くなりになっていない。永遠に覚めない眠りであることに変わりはないですが、肉体という一点においてはまだ生きておられる。だからこそ、お坊ちゃまの箱も空っぽ。
こんなに悲しくて、ですがどこまでも空虚なお葬式に誰が来られるというのでしょうか。
「あぁ……お可哀そうなご主人様、お坊ちゃま。あ、あたしは無能なしもべでございますです!」
誰もおられない屋敷の中で、あたしは一人悲しみから咽び泣く。
何故こんなことになってしまったのでしょう。疑問と後悔、そして罪悪感が心に浮かんでは消えていく。そして最後に残った答えは……やはり全てはあたしが悪かったのだという思いだけでした。
思えばいくらでも変えて差し上げる瞬間はあったのです。
たとえば、
『お前はいずれ私と同じ魔法省高官となるのだ。いや高官どころかそれ以上の、それこそ魔法大臣にまで上り詰める。それがお前の生まれてきた意味だ。そうならなければお前は無価値だ。私の息子ではない』
ご主人様が、ご主人様のお父様によくこのようなお言葉を浴びせられていた時。
あのお言葉を投げかけられた時、当時まだ少年であったご主人様はいつも泣きそうなお顔をされていた。ですがあたしはそれが分かっていてもお止めしようとはしなかった。あたしの母はお止めしようとしても、あたしはいつも震えるばかり。ただご主人様が陰で泣いているのを見ているばかり。ご主人様のお父様の大声に震え、決してご主人様のために行動しようとはしなかったのです。
そんなあたしをご主人様が信用なされなかったのは当然のことだったのでしょう。
たとえば、
『父さんは俺のことなんてどうでもいいんだ! あの人は家に帰ってきさえしないじゃないか!? おまけに俺にこんな名前までつけて! 父さんは……いや、あいつは結局自分のことしか考えていないんだ! 俺のことなんてどうだって……』
お坊ちゃまが奥様にそんな悲痛な言葉を吐露された時。
あたしは知っていたのです。言葉や行動こそ不器用であっても、ご主人様は確かにお坊ちゃまを愛されていたことを。奥様と同じく、とても深くお坊ちゃまを愛されていることを。
ですがあたしは結局お坊ちゃまの悲痛な思いを慰めて差し上げることも、ご主人様の本当の気持ちを教えて差し上げることも出来なかった。あたしは最後までその悲しいすれ違いを知っておりながら、ただの傍観者に徹していたのです。しもべ妖精がご主人様の人間関係に口を出すのは間違っていると、しもべはただご主人様の命令に従っていればよいのだと思ったから。
そしてたとえば……
『もうお前の顔など二度と見たくない! 今すぐどこかに行ってしまえ!』
ご主人様に追い出されてしまった時。
あの時もっとあたしが上手くやっていれば……。透明になられたお坊ちゃまが決して愚かなことをしないように監視してすらいれば。ご主人様に本当に大切なことが何か教えて差し上げてすらいれば。
もしあの時少しでもあたしが勇気をもって行動していさえすれば……ご主人様達はお亡くなりにならずに済んだのではないのだろうか。
考えれば考える程、自身の罪を再確認していくような気分でした。
もしあの時あぁしていれば。もしあの時少しでもこうしていれば。どの瞬間を思い出しても、あたし自身の愚かさと矮小さを再確認するばかりでした。
だからこそあたしは結局、
「あぁ、あたしは本当に無能で臆病なしもべでございます。も、申し訳ありません。……申し訳ありません」
そんな誰にも届かない謝罪を繰り返すしかございませんでした。
どんなにすれ違っておられても、
『ジュニアはちゃんと勉学に励んでいるか? ……いや、きちんとご飯は食べているのか? あの子はちゃんと健康か?』
『勿論よ。そんなに気になるのなら、貴方が確認すればいいのに』
『……そんなこと、私には出来ない。息子とどうやって話せばいいのかも分からないのだ。私が話せば、かえってあの子は意固地になってしまう。そんなことより……君の方はどうなんだ? 君は幸せか?』
『えぇ、それこそ勿論よ。今私は本当に幸せです……愛しているわ、貴方』
そこには確かに幸福な光景が広がっていたというのに……もうそれはこの世のどこにもありはしない。
全てはあたしが臆病だったせいで。
あたしは自身の愚かさのせいで、自身の全てを……そしてご主人様がようやく手に入れた幸福さえも壊してしまったのでした。
あたしは一人静かな屋敷の中で咽び泣き続ける。
この屋敷にあるのはもう二度と戻ってこない幸福な日々の名残のみ。
……結局お二人の別れには誰も来られず、お二人はこの世の誰にも思い出されることもなく、ただひっそりとその存在を忘れられていくのでした。