ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス   作:オリゴデンドロサイト

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変わらない流れ

 ダリア視点

 

私にとっての幸福とは、ひとえに私の大切な人達の幸福に他ならない。私のことはどうでもいい。ただひとえに私の大切な人達、マルフォイ家とダフネさえ無事であれば、他の人などどうでもいい。

それ以上の幸福を望むことは……罪ですらある。

私は罪人だ。人の世をかき乱す怪物だ。この世に本来ならば存在すらしてはならない異物。それが私だ。

ルーピン先生の言葉が脳裏をよぎる。

 

『君は自分のことが嫌いだと言ったが、本当にそれは悪いことばかりだったのかい? それがなければなかったことや、それがなければ出会えなかった人達がいはしないかい? もし少しだけでも心当たりがあるのなら、この場だけでもいい。自分を少しだけ……少しだけでも許してあげたらどうだい?』

 

あぁ、確かにルーピン先生の言葉は正しかった上、私はその言葉で一時的に自分自身に希望を見いだせもしていた。

だがそれも『闇の帝王』が復活するまでの話だ。

私はもう無邪気にルーピン先生の言葉に甘えることは許されないことをしてしまっている。巨人族のこともそうだが、グレンジャーさんと敵対している時点で私は……。

もう私のオーグリーが形になることはない……。

……認めがたいことであるが、認めよう。私は確かにグレンジャーさんに好意的な感情を抱いている。一年生の頃から分かっていたことであるが、敢えて、改めて私は認めなければならない。

でもだからこそ、私はダフネのお膳立てで彼女と会話した時に思ったのだ。

 

多くのモノを犠牲にしても家族とダフネの幸福すら守れていないのに、私にこれ以上の幸福を望む権利などあるのか……と。

 

答えは明白だ。そんな権利あるはずがない。()()()()()()()()()()。敵対しておきながら、それこそ彼女の友人、ひいては家族すら害することになるかもしれない私が、どのような顔をして彼女と向き合えばいいのだ。

……きっと彼らを殺す時も、闇の帝王と同じ笑顔を浮かべているだろう私が。カルカロフ校長の死を笑顔で見つめ、巨人の破滅に喜びを見出している私が。

私は人間ではなく、ただの人殺しが好きな怪物に過ぎない。これまでも……そして、これからも、

 

『アズカバンから集団脱獄! かつての死喰い人、シリウス・ブラックを旗印に結集か!?』

 

決して変わることはないのだ。

 

私とダフネが監督生風呂に行ってから数日。本来爽やかな朝食の時間であるはずの大広間は、朝刊の第一面記事によって今騒がしい様相を呈していた。

 

『昨夜遅く魔法省が発表したところによれば、アズカバンから十人以上の集団脱獄があった。それも元死喰い人である、特別監視下に置かれた凶悪犯罪者達がだ。コーネリウス・ファッジ大臣は次のように発表した。

 

『まことに残念ながら、我々は現在シリウス・ブラックが脱獄した時と同じ状況に直面している。無論多くの市民が考えている通り、これはブラックが脱走したことと無関係であるはずがない。誰の手引きかなど考えるまでもないだろう。特に今回脱走したベラトリックス・レストレンジ。奴はブラックと従妹の関係にある。努々市民の皆さんにおかれましては、おかしな流言に惑わされぬように』

 

大臣の言う流言が何かは語るまでもないが、ともかく危機的状況であることに変わりはない。ロングボトム夫妻を『磔の呪文』で拷問したベラトリックス・レストレンジを始め、多くの危険な脱獄囚達がブラックの下に集結しているのだ。魔法界は愚かな少年や老人に惑わされぬよう、より一層団結してこの危機に当たらねばならないだろう』

 

大広間を見渡せば、大勢の生徒がいくつものグループを作り、一つの記事を必死に眺めている。当然このような記事を読んで落ち着いていられる人間など、この学校の中では()()()くらいのものだろう。

朝刊一つ一つに大勢群がる他のグループと違い、記事を持つ私の周りにいるのはダフネとお兄様だけだ。いつもの取り巻き連中も私のことを恐れてか他の新聞を囲んでいる。無論私がそんな今更のことを気にするわけもなく、他のグループと違い静かな口調で言葉を発した。

 

「いよいよ来ましたか……。いずれこの日が来ると分かってはいましたが……」

 

こんなことが起こるのは予め予想が出来ていた。

闇の帝王は最近ずっと部下が成果を上げないことに怒り狂っている。有能な部下がいない。そもそも部下の数が圧倒的に足りない、と。

ならば現状を打開するため、奴が新しい部下を求めるのは必定だ。そして奴が求める条件に合致する部下は……今までアズカバンに収監されていた、奴に絶対の忠誠を誓っている死喰い人のみ。即戦力かつ、これ程奴のために行動する魔法使いなど他にはいない。特に巨人族という戦力を手に入れた今は……。

いよいよ訪れてしまった最悪の事態に、私は思わずため息を漏らす。ただでさえ憂鬱な気分が更に沈み込みそうだ。

事態がいよいよ悪化しつつあることに。……それなのにそれを、

 

「……この記事おかしくないか? こんなことになって、どう考えてもおかしいだろう。……考えたくないが、ポッターが言っていたことは正しかったのか?」

 

「その通りだよ。僕は常々言っていたじゃないか! 彼は英雄だ! 彼が嘘をつくはずがないってね!」

 

おそらく殆どの人間が理解してはいないことに。

記事を読んだ生徒達の反応は概ね三つだ。一つはこの惚けた記事を読んでも、未だに魔法省を妄信している間抜け。大体の生徒がこちらだ。次に記事に違和感を覚え、魔法省に疑問を投げかける生徒。そして最後に、隣のハッフルパフテーブルから漏れ聞こえてくるような、最初からポッターを信じていたと喜色満面になる生徒。そちらを見れば、少し小太りな生徒がまるで演説でもするかのように熱弁を振るっている。確かダフネからの報告にあったDAメンバーだったはず。彼も含め、DAのメンバーはポッターの正当性が証明されて嬉しいのだろう。

だが私に言わせれば、そのどの反応を示す生徒であっても真に現状を理解できてなどいない。

ポッターの言っていたことは正しい? だからどうしたというのだ。正しいことに価値など無い。問題はそこではないのだ。そこで思考がストップしているのは、やはり彼らがただお遊びの延長でDAに参加しているからだ。

 

何故考えないのだろう? 何故闇の帝王は、今アズカバンに収監されていた死喰い人を解放したのか。そんな自分の存在を薄々感づかれるようなことを、何故今の今まで隠れ潜んでいた闇の帝王が実行したのか。今まで部下が少ないと怒り狂いながらも行動しなかったのは一体何故か?

 

……それはもう、ある程度()()()()()()()()()()()からに他ならない。もういつ自身の存在が露見してもいい、いつでも戦える状態が整いつつあることに他ならないのだ。

ポッターの言っていたことが正しいとようやく皆が気付き始めた? 馬鹿々々しい。ようやくではなく、()()という表現こそが正しいのだ。……全てがもう手遅れなのだ。

 

そのどうしようもない事実に気が付いている人間が、一体いか程この大広間に存在しているだろうか。

私の無表情に何かを感じ取るダフネにお兄様、そしてこちらをジッと見つめている()()。その他に一体何人の人間が気付けている?

あのグレンジャーさんですら無理な様子だ。グリフィンドールの席を見れば、何人かの生徒に囲まれているポッターにウィーズリー、そしてグレンジャーさんの姿。囲む生徒はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべており、ポッターは戸惑った表情を、ウイーズリーとグレンジャーさんは勝ち誇った表情を浮かべている。あの様子では、彼女ですらポッターのようやく証明された正当性に酔いしれているだけだろう。

 

戦争が……本当の人の生き死にが等価に試される戦争がもう直ぐそこまで迫っている。善悪など関係なく、ただ純粋に運や実力によってのみ人の生き死が齎される。本物の戦争が……。

もう何もかもが遅いのだ。

 

「ダリア……」

 

「……ごめんなさい、ダフネ。大丈夫、大丈夫ですから。だからそんな悲しそうな顔をしないでください」

 

悲しげな表情を浮かべるダフネの頭を私はそっと撫でる。監督生風呂での出来事で唯でさえ彼女を悲しませてしまっているのに、余計に彼女の負担になるようなことを言ってしまった。

……いくら私にはグレンジャーさんと会話すらする権利がなくなったとしても、やはりあの場を衝動的に飛び出してしまったのは失敗だった。いくら彼女と一緒にいることに……幸福感を覚えることこそが苦痛になってしまったとしても、ダフネのことを思えば平静を装うべきだったのだ。あれは明らかな失敗だった。そのせいでダフネはこうしてずっと悲しげな表情を浮かべている。

責められるべきは私なのに、私だけであるはずなのに、ダフネはそれでも自分自身を責め続けているのだ。彼女は決して悪くないのに……。

 

 

 

 

大勢の人間が現状を正しく認識出来ていなくとも、決して闇の帝王は待ってはくれない。

今こうして、大勢の人間が呑気な話をしていたとしても、

 

『高等尋問官令。今日この日をもってルビウス・ハグリッドおよび、フィレンツェなる亜人を永久に教職より追放する』

 

着々と全ての物事が、闇の帝王の望む通りになりつつあるのだから。

大勢の囚人がアズカバンから脱走した当にその日。まるで今朝の朝刊など無かったかのような愚かな張り出し。このようなあからさまな告知をすれば、更に皆が魔法省に疑問を抱くのは必定だろう。

なのにこんな張り出しをアンブリッジ先生がしたというのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハーマイオニー視点

 

流れが変わりつつある。私にはハッキリとその空気の変化が感じ取れていた。

今までは私にロン、そして何よりハリーが大広間に入った時、私達は皆からいつだって嘲笑されていた。隠そうともしない悪口。まるで異常者でも見るみたいな視線。それらに私達は談話室以外……いいえ、グリフィンドール談話室ですら晒されていた。誰もハリーの言葉を信じてくれはしない。何故なら()()()()()()()()。あまりに残酷な事実に対して、その証拠があまりにも乏しいから。それは今まで友人だったグリフィンドールの皆も同じだった。

でも今は違う。今朝の朝刊は確かに残酷な情勢を示すものだった。死喰い人の大量脱獄。敵の戦力が大幅に増強されたのは間違いない。戦いはより一層厳しいものになることだろう。

しかし、今回の事件で……ようやく皆の目が覚めつつあった。

ハリーのルームメイトでありながら、今までハリーを避け続けていたシェーマスもその一人。彼は気まずげな表情を浮かべながら私達に近づき、ボソボソとした声音で言ったのだ。

 

「ハ、ハリー、や、やぁ。実は僕……君に言いたいことがあって。その……僕、君を信じてもいいかなって。何というか、ここのところ魔法省はどう考えてもおかしいと思うんだ。死喰い人が大勢脱走したのに、それでも君の非難ばかり繰り返している。ママも手紙で言ってた。最近魔法省は何か隠しているって。だから僕……ごめん。今までずっと酷いことを君に言ってたと思う」

 

彼だけではない。今までハリーを馬鹿にしていた何人かが、それこそ寮関係なくハリーに近づき謝罪の言葉を口にする。スリザリン生は一人もいないけれど……それ以外の寮生は分け隔てなく。勿論まだ私達を嘲笑する声も聞こえる。でもそれも昨日までと比べて極々小さなものに変わっていた。

 

明らかに昨日までとは流れが変わっている。悪い方ではなく、間違いなくいい方向へ。休暇明け直後も、休暇明け中何も事件は無かったとハリーを馬鹿にしていた人がほとんどだけど、それを今更蒸し返しても仕方がないだろう。

ようやく……ようやく待ちに待った時が来た。いずれこうなることは分かっていた。皆が信じていなくても、『例のあの人』が復活したのは紛れもない事実。ならいずれあの人が帰ってきた時、必ず皆の目は覚めるはず。それがいつになるか正直分からなかったけど、ようやくその時が来たのだ。皆がようやく気付き始めた。真実に。ハリーの言葉が正しいことに。

 

今まで耐えるしかなかったけれど。ようやくこの時が来たのだ。これで全てが上手くいく。流れが変わった今、何もかもが正しい方向に向かうはず。敵の戦力が増強されようとも、それ以上にこちらの戦力も強まる。上手くいけば、それこそDAのメンバーだって増やすことが出来るはず。

 

それが()()()私が考えていた嘘偽らざる気持ちだった。暗いニュースばかりの中で、ようやくあった明るい知らせ。私は確かに……そう、確かに心が浮き立ってしまったのだ。

愚かにも、少し考えれば決して明るいはずのないニュースに。

それはアンブリッジが更なる『高等尋問間令』を出しても変わらなかった。

 

『今日この日をもってルビウス・ハグリッドおよび、フィレンツェなる亜人を永久に教職より追放する』

 

その張り出しを見た時、勿論ハグリッド達の心配をしていた。『占い学』はもう受講していないためよく分からないけど、ハグリッドは私達の友人。心配しないはずがない。

でも同時に思ったのだ。あのトレーローニー先生ですら、教員ではなくなっても城から追放されてはいない。ならばハグリッドも大丈夫。たとえ教師ではなくなっても、城に残っている限り必ず反撃の芽はある。本当に久しぶりに持てた明るい展望に、一度浮足立った心は中々落ち着くことはなかった。

 

そう……浮足立っていた。それがこの時の私を正しく表現した言葉だろう。

後から考えれば、どう考えてもおかしなことばかりだというのに、この時の私は決してその違和感に気が付くことはなかったのだ。

 

何故敵は今こんな行動をとったのか。今まで隠れ潜んでいた敵が、何故こんな大勢に存在を露見する可能性のある行動をとったのか。

ほんの少し。ほんの少しでも考えていれば、答えに簡単に辿り着いていたはずなのだ。

当に浮足立って考える力を失っていたとしか言いようがないだろう。

 

……若しくはダリアの、

 

『これからもダフネをよろしくお願いします。たとえ私が敵になったとしても……』

 

あの()()()()()()()を何とか振り払おうと必死だったのか。

どうしても……どうしたってあの浴場での彼女の無表情が頭から離れてくれない。

今まで私は何度もダリアに別れを突き付けられたことがある。それこそ一年生の頃から何度も。その度に何度も挫けそうになった。でも彼女に嫌われたとしても、私は決して彼女のことが嫌いにはなれなかった。なっていいはずがなかった。だからこそ私は何度も挫けそうになりながらも彼女に纏わりつき、ダフネのお陰もあり何とか彼女と自然と会話する仲くらいにはなれていたのだ。

なのにそれが……一夜にして本当の意味で崩れ去ってしまった。

去年終わりも彼女に完膚なきまでに拒絶されてはいた。でも後から思い返せば、心のどこかで信じていたのだろう。彼女は決して離れていきはしない。たとえ敵の陣営に身を置いていようとも、私達に敵対することは決してないのだと。そしてその予想通り、ダリアは態度こそ私のことを拒絶していても、最終的には決して私のことを見捨てることはなかった。私が困った時はそれとなく私に手を貸してくれた。それこそ一年の時から変わらない優しさをもって。

 

でも……今回は何故か前回の拒絶以上に心が落ち着かずにいる。

何故だろう。何故だか今回だけは、私は心の底から次を信じられずにいる。いつだって無神経に次こそはと信じ切っていたのに、今回だけはどうしても次を想像もできない。

 

心のどこかで、今度こそ私達の関係は終わりなのだと悟ってしまっているのだ。

勿論ダリアは陰ながら手助けはしてくれるだろう。でも、決してこれまでの曖昧な関係ではない。本当の意味で後戻りできなくなってしまった。そんな悲壮感を彼女から感じ取ってしまったのだ。

もう彼女にとって私といる時間は苦痛でしかない。彼女にいらぬ期待感を与えてしまっている。

そのどうしようもない事実に私は気が付いてしまったから。

 

 

 

 

私は心の中に広がり続ける不安と喪失感に気づかない振りをするため、ただ一つだけの希望に無我夢中に縋り付く。

 

「ぼ、僕、ハリーのことを信じてみようかなって。そ、それであの、ハッフルパフの連中がダンブルドア軍団っていう名前の組織のことを話してたんだけど……ぼ、僕も入れてもらうことできないかな?」

 

「えぇ、勿論よ。ハリーのことを信じてくれて、貴方も防衛術が必要だと考えたのでしょう? なら大歓迎よ」

 

朝刊から数日すると、何人もの生徒が私達に話しかけるようになった。知っている生徒も、それこそ全く知らない生徒も。でも皆ようやく真実に気が付き、現状を変えなければと理解した生徒達ばかり。これで少しは事態が良くなるはず。少なくとも今までのように、学校中から敵意の視線を向けられることはなくなるはず。少しだけでも状況は良くなったのだ。だからダリアだってきっと、いつか私達の味方になってくれるかもしれない。

そう愚かにも……この時の私は信じようと自分を誤魔化していたのだった。

 

それがどれだけ愚かなことなのか気づかないまま……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネビル視点

 

休暇が明けてから初めてのDA。休暇中と違い、クリスマスに実家に帰っていた生徒も再び参加している。いや、それどころか……休暇前よりも人数が少し多くなっている様子だった。

今年に入ってずっとハリーを避けていたディーンにシューマス。それに名前も知らない他寮の生徒が数人。今までいなかった生徒が何人か参加している。しかもその生徒達全員が、他の今まで参加していたメンバーに負けない程熱心に練習に打ち込んでいるのだ。

今までとは明らかに変わった風景。これが意味することは、いくら頭の悪い僕にだって分かる。

つまり……ようやくハリーの言葉を皆が信じる気になったのだ。

これは今までとはあまりにも大きな違いだ。学校中の人間がハリーのことを信じるようになったわけでなくても、こうして一緒に()()仲間が増えたのは大きな違いだろう。

 

尤も……その事実だけで、あの朝刊を見た時に感じた怒りや苦しみを打ち消すことは出来なかったけれど。

 

ベラトリックス・レストレンジ。今回大量脱獄した囚人の一人。そして……僕の両親を拷問した死喰い人。僕が最も()()()()()敵。

あいつは今までアズカバンの中にいた。だからこそ僕の憎しみは今まで行き場がなかった。僕の両親を拷問し、もはや生きているとは言えない状態にした奴のことを憎みたくても、アズカバンにいるだけであいつは罰を受け続けている。そもそも僕は奴に会うことすら出来ない。恨み言の一つも言えない。だから多少もやもやした感情を抱えていてとしても、僕は何とか自身の感情を押し殺すことが出来ていたのだ。

……でも今は違う。あの朝刊を読んでからというもの、心の奥底で何かどす黒い感情が渦巻いている。こんなことは今まで一度もなかった。僕は臆病でいつだって弱い人間だった。だから誰かに本気で怒ることもなかったし、誰かを()()()()()()()なんて一度も考えたことない。奴が……僕の両親を、そして僕自身を今も苦しめている人間が、今ものうのうと外を出歩いていると考えると頭がおかしくなりそうだった。

スリザリン生に意地悪された時でも思い浮かばなかった考えが、次から次へと浮かび上がってくる。

出来ることなら僕自身の手でレストレンジに罰を与えてやりたい。いや、レストレンジだけでない。レストレンジの仲間、あいつを擁護する連中……つまりスリザリン生のことも、僕はコテンパンにしてやりたくなっていた。

グリフィンドールにハッフルパフ、そしてレイブンクローの生徒達はあの朝刊によって少なからず動揺していた。ハリーのことを信じるようになったかはともかく、少なくとも何かしら思うところがある様子だった。でもスリザリン生だけは相変わらずだった。いつも通りハリーのことを馬鹿にして、死喰い人が脱獄したことなんて気にもしてない。

それはスリザリン生がそもそも僕らの敵だからに他ならない。あいつらは最初から『例のあの人』側の連中なのだ。

レストレンジへの憎しみが増す毎に、僕のスリザリン生への怒りが増していくようだ。ぶつけようのない怒りが、手近な人間たちに向けられていく。それが()()()()()()()と僕自身も内心気が付いていても、今まで蓋をされていた感情が次から次へと湧き上がる。

そしてその対象は、

 

「……グリーングラス。なんであそこまで言われたのに、君はまだここにいるのさ」

 

DA唯一のスリザリン生、ダフネ・グリーングラスも、最初は例外ではなかった。

休暇前同様……いや、それ以上に意外な程練習に熱心に打ち込むグリーングラスに、気が付けば自分でも信じられないくらい冷たい声音で僕は話しかけていた。

DAのメンバーが増えたことで、当然会が始まった瞬間一悶着あった。いよいよ『例のあの人』の復活が現実味を帯びた状態で、その対抗組織に敵であるスリザリン生が交じっている。しかもあのダリア・マルフォイの一番の取り巻き。最初からDAに参加しているメンバーですら彼女のことを受け入れてはいないのだ。後から参加した生徒達には、さぞ彼女をここに居座らせている僕らのことがおかしく思えたことだろう。

 

『な、なんでここにグリーングラスがいるんだ!?』

 

『き、君達は正気か!? こいつがいたら、すぐにアンブリッジに僕等の活動がバレるぞ! い、今すぐこいつを追い出すんだ!』

 

『皆黙って! ダフネを馬鹿にすることは私が許さないわ! それに彼女は()()()()()()()()な羊皮紙に名前を書いてもらっているの! 彼女が裏切ることなんてあり得ないわ! だから下らないことを言っていないで、すぐに練習に取り掛かって! ただでさえ貴方達は遅れているのだから、余計なことを考えている暇はないわよ!』

 

勿論いつものように彼等の声は、平時からは考えられない程激高したハーマイオニーの言葉で黙らされた。でも彼等の不安や不信感が消えるはずもなく、寧ろ最初からのメンバーの不信感を再燃させてすらいた。言葉はなくても、今もグリーングラスに鋭い視線があちこちから突き刺さっている。

そしてそんな風にグリーングラスに、今僕も冷たい視線を投げかけていたのだ。他の人とは違って、僕のものは単純にただの八つ当たりみたいなものだ。彼女に冷たい視線や言葉を送ることにどうしようもない程()()()を感じていようとも、湧き上がり続ける黒い感情に自分を制御することが出来ない。

脳裏に浮かぶのは、聖マンゴ魔法疾患傷害病院のベッドに今も横たわるパパとママの姿。レストレンジに拷問されたせいで、二人が僕のことを認識してくれることすら……もう二度とない。

そんなどうしようもない事実に対する怒りを、僕は他の人の反応を免罪符に彼女にぶつけてしまっていたのだ。

 

でも、

 

「そんなの、私も自分の身くらい自分で守らなくちゃいけないからに決まっているでしょう? 馬鹿共が何を思っているかなんてどうでもいい。私はハーマイオニーの言葉は間違ってないと思った。私には力が必要なの。ただそれだけのことよ。そうでなくちゃ……私はいつまでも()()のお荷物になってしまう」

 

こちらに一瞥もすることなく、ただ黙々と『守護霊の呪文』を練習するグリーングラスに、僕の怒りは一瞬で鎮火されてしまうのだった。

スリザリン生への怒りが消えたわけではない。でも……やっぱり他のメンバー以上に集中した表情で呪文を唱えるグリーングラス。休暇前からそうだけど、今の姿を見て、彼女のことを他のスリザリン生と同じと考え続けることは到底出来なかったのだ。僕はもう、彼女を他のスリザリン生同様には見れななくなってしまっている。そんな彼女に一時的な感情をぶつけてしまったことで、僕は急速に冷静になっていく。スリザリンはともかく、彼女への怒りを保つことが出来ない。あまりに一生懸命な姿に一瞬にして怒りが鎮火された後、僕の中に残ったのは罪悪感のみだった。

吐き出した言葉に対する強烈な罪悪感を感じながら考える。

僕は何を馬鹿なことを考えていたのだろう。レストレンジのことが憎くても、その憎しみをあいつ以外に向けることは間違ったことだ。ましてや僕が一番に当たり散らしたのは、よりにもよってグリーングラスだ。彼女が一体何をしたというのだ。彼女はただこのDAに参加しているだけ。そんな彼女に当たるなんてどう考えても間違っている。

先程まであれだけ誰かに怒りをぶつけてやりたいと思っていたのに、気が付けば()()()に彼女のことを()()しながら、僕は急いで謝罪の言葉を口にしていた。

 

「……ごめん。僕、どうかしてた」

 

「でしょうね。いつもの貴方らしくなかったわ」

 

そして僕の謝罪に対して、グリーングラスは何でもないかのような口調で応える。それどころか練習を一旦止め、どこか気づかわし気な表情を作りながら僕に話しかけてきたのだ。

 

「……貴方がそんな風に怒っているのは、やっぱりあの脱獄のせいだよね。特に……ベラトリックス・レストレンジ。貴方が気にならないはずがないもの」

 

僕の事情を理解している言葉。これが他のスリザリン生であれば、僕は思わず激高して殴りかかっていただろう。同じグリフィンドール生にすら、僕は自分の家庭事情を話したことはない。魔法界出身でも知らない生徒は多い。それをスリザリン生の連中が知っている。それも僕の両親をあんな風にした奴の仲間が。そんなの、僕達家族を嘲笑っているとしか思えない。

でも実際には……僕がグリーングラスの言葉に怒りを感じることはなかった。彼女はスリザリン生なのに、あのダリア・マルフォイの取り巻きなのに……僕は最初に八つ当たりをしてしまったものの、どうしてもそれ以上の怒りの感情を向けることが出来なかったのだ。

頭に浮かぶのは、グリーングラスが一生懸命練習する姿、僕に呪文を教えてくれる姿……そして今目の前で僕を気遣う姿。僕にはどうしても、もう彼女をスリザリン生だからなんて理由で否定することは出来なくなっていたのだ。

僕は自分の変化に内心驚きながら彼女に返事をする。

 

「君も知っているんだね。僕の両親のこと……」

 

「いいえ、知っているとは言えないわ。レストレンジが貴方の両親を襲った。それだけしか知らないもの。……この前のセストラル。別に両親のことではないのでしょう?」

 

「う、うん。あれは僕のおじいちゃんだよ……。僕が小さい頃のことだよ。で、でも僕のパパとママは、」

 

「いいえ、無理に言わなくてもいいわ。セストラルのこともごめんなさい。少しだけ気になっていたものだから。辛いことは無理に話さなくてもいいわ。特に今は『守護霊の呪文』の練習だから。私が言いたかったのは、無理する必要はないってことだけよ。……私は今の貴方みたいに我慢して、今もずっと辛い思いをしている子を知っているから」

 

そして僕の返事にやはりどこか気遣わし気な口調で応えた後、再び前を向いて練習し始める。

 

『……エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ』

 

彼女の呪文と共に、杖から銀色の靄が噴き出す。それは以前の霞でしかなかったものとは違い、

 

「すごいわ……これは()かしら。前よりハッキリしてるわ。ダフネ、いつの間に出せるようなったの!?」

 

完全とは言えなくても、もう何の動物かハッキリと分かるモノに変わっていた。

少し靄のかかった銀色の狐が、グリーングラスの周りを元気よく跳ね回る。それを見たハーマイオニーもこちらに駆け寄り、興奮した様に声を上げた。

ハーマイオニーの言葉にグリーングラスが応える。

 

「……集中してるから。ううん、()()()()()()()()()()。監督生浴場のことで分かったの。もう私達に残された時間はそこまで多くない。ハーマイオニー、貴女もそうでしょう? もう私達に迷っている時間はない。……もう残された時間はないからこそ、今までの時間が()()()()()()()()()()()()()()。今まであの子と過ごした時間。私にはそれしかない。他のものは私には()()()()。それだけで私には十分なの」

 

……正直、彼女が何を言いたかったのかはよく分からない。ハーマイオニーは彼女の言葉を受けて真剣な表情を浮かべた後、すごすごと自分の練習に戻っていたけど、彼女にはグリーングラスの言葉の意味が理解できたのだろうか。グリーングラスとハーマイオニーの間のみでしか理解できない言葉としか思えない。

でも僕は……グリーングラスの先程までの言葉も含め、朧気ではあるけど彼女の心情を理解することが出来ていた。

ようするに……彼女()必死なのだ。僕もレストレンジのせいで余裕を無くしていたけれど、彼女も余裕がないのだ。それが何故なのかは、おそらくダリア・マルフォイのことで間違いないと思うけれど……今までグリーングラスのことをただのスリザリン生としか見てこなかった僕には詳細が理解出来るはずがない。でも彼女が()()のことで必死になっていることくらいは僕にだって分かるのだ。

でも、それを理解すると同時に、僕は先程まで感じていた怒りとはまた違う不安のようなモノを感じ始める。

 

何かがおかしい気がする。レストレンジの脱獄という大きな事実に目が眩んで、何か違うことを見落としている気がしたのだ。

どうしてグリーングラスもそんなに必死になるのだろう? 高等尋問官親衛隊隊長等、ダリア・マルフォイは順風満帆にホグワーツでの権力を手に入れている。なのに、どうしてグリーングラスはこんなにも必死になっているのだろう?

主の周りを飛び跳ねる狐を見ながら、僕はそんな朧げな不安を感じるのだった。

 

 

 

 

……僕らの様子を、それこそ僕以上に不安そうに見つめる()()()()()()()の存在に気が付くこともなく。


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