ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス   作:オリゴデンドロサイト

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追放(前編)

ハリー視点

 

冬は終わり、淡い陽光がホグワーツを照らす季節になってきた。ホグワーツを厚く覆っていた雪が解け始めると同時に、城の中もどこか明るい空気が漂い始めているような気がした。

というのも、ジャスティンとニックが石になって以来、誰も襲われてはいないのだ。クリスマス休暇をあけてから、ホグワーツの中は平和そのものだった。

そして明るいニュースがもう一つ。

ある日の午後、僕はマダム・ポンフリーがフィルチに、

 

「マンドレイクがもうすぐ収穫できる時期になりますから、ミセス・ノリスももう間もなく帰ってきますよ!」

 

そう優しく話しかけているのを目撃した。

マンドレイクが収穫できれば、ミセス・ノリスだけでなく、コリンを含む今まで襲われた生徒も皆元に戻ると言うことだ。そうなれば誰に、そして何に襲われたのか話してくれるかもしれない。

クリスマスの夜、僕らは結局決定的な証拠を得ることは出来なかったけど、薬さえ完成すれば今度こそダリア・マルフォイもお終いだ。

学校中が神経を尖らせて警戒しているため『秘密の部屋』を開けることも出来きず、かと言ってこれ以上犯行を起こさなかったとしても、もうすぐ決定的な証拠をダンブルドアは手にする。今頃あいつは表情こそいつもの無表情であるものの、自分が捕まる時がすぐそこまで来ていることに内心恐怖していることだろう。そう考えればこそ、今夜六時に寮に押し込められる生活にも我慢することが出来た。

 

本当に明るいニュースばかりだ。

でも、全てが全ていい方向に行っているわけでもなかった。

 

ほとんどの生徒が、ダリア・マルフォイがもうすぐ捕まるかもしれないと思っているものの、いまだに僕が犯人、もしくは共犯者だと疑っているものもまだ大勢いるのだ。特にハッフルパフのアーニー・マクラミンが顕著だった。未だに僕を見かける度に警戒の視線を送ってくる。ピーブズもその状況が面白くて仕方がないのか、廊下に現れる度に、

 

「お~♪ マルフォイ~♪ ポッタ~♪ いやなやつだ~♪」

 

と歌っていた。ホグワーツが平和になったと言っても、僕に対する疑いが晴れたわけではないのだ。

 

そしてもう一つ、今僕を最も悩ませている問題が……ハーマイオニーだった。

ジニーと入れ替わるように顔色を悪くしているハーマイオニー。一日授業をさぼってふさぎ込んだ時は一時はどうなるかと思ったが、今は授業にちゃんと出るようにはなっている。でも元通りとは到底言い難く、未だに授業に集中しきれているというわけでもなさそうだった。授業外においても、相変わらず僕とロンが声をかけても反応が鈍い。

ハーマイオニーがどうしてこんな状態になったのか。最初はよく分からなかった。けど、ハーマイオニーが時折漏らす独り言を聞いているうちに、彼女が一体何に悩んでいるのか僕にも少しだけ分かるようになってきていた。

結局のところ、ハーマイオニーは未だにダリア・マルフォイを信じてしまっているのだ。ハーマイオニーは未だにダリア・マルフォイを『継承者』だとは思っておらず、あいつを追い込んでしまったのは自分だと考えてしまっているようだった。彼女の信頼は強固なもので、僕とロンがいくら話しかけてもただ首を横に振るだけだった。

……こんな状態で、本格的にダリア・マルフォイの証拠が挙がってしまうとどうなってしまうのか。

あいつは『継承者』として生徒を襲ったのだ、捕まることは絶対に避けることは出来ないだろうし、そんなことが許されていいはずがない。

でもそうなってしまえば、今度こそハーマイオニーのダリア・マルフォイへの信頼は裏切られてしまう。ハーマイオニーが何でドラコの妹で、スリザリンで、そしていつもあんな冷たい表情をしているような奴を信頼するのか分からない。でも理由は分からないものの、ハーマイオニーのあいつへの信頼が本物であるのも間違いないのだ。

 

「ハーマイオニー……いい加減元気出してくれよ」

 

でもハーマイオニーがふさぎ込んでいる理由が分かったところで、僕等にはどうすることも出来ない。ダリア・マルフォイの話をしようにも、ハーマイオニーは話を聞いているのかも怪しい様子だ。結局僕らに出来るのは、ハーマイオニーが元気になるまで根気強く傍にいてやることだけだった。

今も僕等は、授業が終わるとただ茫然と談話室で座り込むハーマイオニーに声をかけていた。一応授業の復習をする気力はあるのか、教科書だけは開いている。でも、ページは一向にめくられる様子はなかった。

 

「……なあ、ハーマイオニー。君らしくないよ。まったく集中できてないじゃないか。いや、確かに君は少し勉強のし過ぎだったけど、やってないのも何か気味が悪いというか……」

 

そうロンがしきりに話しかけても、

 

「……」

 

やっぱり反応することはなかった。

ロンが、

 

どうしよう?

 

とでも言いたげな視線を送ってきたが、僕も何も思いつかない以上、肩をすくめることしか出来ない。

まったく僕らに反応することのないハーマイオニー。僕等はいよいよ手持無沙汰になり、でもこんな彼女を置いていくわけにも行かず、仕方ないので僕らもハーマイオニーの横で教科書を広げることにした。

 

「試験までまだまだあるんだけどな……」

 

ロンは不満そうに『薬草学』の教科書を開くが、やはりというかあまり集中出来ていない様子だった。数分もすると、教科書からクィディッチ雑誌に変わっていた。

僕も僕で勉強には全く集中出来ず、教科書から視線を上げ、ポケットに入っていた『トム・リドル』と書かれた日記を何気なく取り出した。

見れば見る程不思議な日記だった。中は完全に白紙。裏表紙にロンドンのホグゾール通りの雑誌店の名前があることから、この『トム・リドル』という生徒がマグル出身であることがわかることくらいしか、僕の興味を引きそうなことはない。

にも関わらず、僕はこの何の変哲もない日記にどうしようもなく引き付けられていた。

僕が何気なく日記を開き、白紙のページをめくっていると、

 

「ハリー。まだその本持っていたのか?」

 

ロンが雑誌から顔を上げ、驚いたような顔をしていた。

 

「その本、何も書いてないんだろう? 何で捨てないんだ?」

 

「……僕も分からないんだ。でも、どうしても気になって……」

 

「ふ~ん」

 

そう言ってロンは胡乱気に日記を見つめていたが、

 

「うん? トム・リドル?」

 

表紙に書かれている名前を見て反応した。

 

「その名前知ってる。T・M・リドル。そいつ、()()()()()学校から『特別功労賞』を貰ったんだ」

 

「何でそんなこと知ってるの!?」

 

僕は感心しながら尋ねると、

 

「そいつの盾を50回以上磨かされたからね。ほら、僕ら『暴れ柳』の件で処罰を受けただろう? 君はロックハートとファンレターの返事を書く作業だったけど、僕はトロフィー・ルームで銀磨きだったんだよ。あの時フィルチの監視だったから、僕、そいつの盾をずっと磨かされてたんだ。いやでも覚えちゃったよ」

 

ロンの言葉に、僕は何だか嫌なものを思い出してしまった。あの時は本当に大変だった。ロックハートはずっと意味不明な話をしてくるし、途中『あの声』が聞こえてくるし、碌なことがない一日だった。

ロンと二人でちょっとげんなりしていると、今まで何の反応も示さなかったハーマイオニーがこちらをジッと見つめていることに気が付いた。正確には、ハーマイオニーはジッと僕の持つ日記を見つめていた。

 

「ハーマイオニー、どうしたの!?」

 

今まで僕らを無視するが如く反応を示さなかったハーマイオニーが、やっと興味を示したことに喜びながら声をかける。ハーマイオニーは日記を凝視しながらロンに尋ねる。

 

「ねえ、ロン。この日記の持ち主、50年前に賞を貰ったって言ったわよね?」

 

「う、うん。そうだけど……」

 

ロンはハーマイオニーの鬼気迫る様子にたじろぎながら応えた。

するとロンの答えを聞くやいなや、ハーマイオニーは日記を僕から奪い取り、

 

『アバレシウム、現れよ!』

 

と唱えた。が、何も起きない。すると今度は、カバンから真っ赤な消しゴムを出したかと思うと、思いっきり白紙のページをこすり始めた。

 

「な、なにをしてるんだ、ハーマイオニー!」

 

「『現れゴム』よ! ダイアゴン横丁で買ったの! これなら!」

 

ハーマイオニーは僕の制止を聞かず、ゴシゴシとページが千切れんばかりにこするが、

 

「……何も出ないね」

 

やはり何も起こることはなかった。こする前と変わらず、ただの白紙だった。

 

「どうしたんだよ、ハーマイオニー。急にこんなことして」

 

ロンが急に活動的になったハーマイオニーに恐れおののきながら尋ねる。

それにハーマイオニーはまた憔悴しきった表情に戻りながら応えた。

 

「……この日記は50年前の物なのよ。『秘密の部屋』は50年前に開かれたって、ドラコは言ってたわ。そして部屋を開いた犯人は追放されたともね。もし、このトム・リドルが50年前、スリザリンの継承者を捕まえたことで、賞を貰ったとしたら? この日記は全てを語ってくれるかもしれない! 何も書いてないように見えるけど、『秘密の部屋』のことがその辺を転がってる日記に書かれてたら駄目でしょう!? だから何か普通では読めない手段で書いているはずだと! 思ったのだけど……」

 

ハーマイオニーはおもむろに立ち上がり続ける。

 

「私には無理だった……。その日記がただの紙切れで、私の考えはただの考えすぎかもしれない。でも、もし、私の考えが正しかったとしても……私にはその日記の秘密は読み解けなかった……。私はやっぱり……」

 

そう言ったきり、ハーマイオニーはフラフラと覚束ない足取りで寝室の方に上がって行ってしまった。時計を見ると、確かにもう遅い時間だった。

 

談話室には、僕とロン、そしてやはり何かを感じさせる日記だけが取り残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

忌々しい。

最近の私の心情を表現するのなら、この一言に尽きていた。

ダンブルドアが夜歩きしていた私をそのままにしておくはずがないとは思っていた。が、まさかあんなあからさまな張り出しをするとは……。

 

あの夜のみを警戒した張り出し。ご丁寧にもクラブ活動だけは許可する旨を書いてあるそれは、どう考えても私を狙い撃ちにしているものだ。

そしてそれに私が気付くことも織り込み済みなのだろう。

 

『秘密の部屋』が開かれてから、あの老害はひたすら私にこんな警戒とも警告ともつかないことをしてきた。これもある意味ではその延長なのだろう。

しかし、今回のこの警告は、今までものの中でも一際私を苛立たせるものだった。勿論今までのものが我慢できるものかと言ったら、今までのものは今までのモノで腹立たしいものだった。秘密が露呈するのではないかといつも緊張を強いられていたし、何よりどうでもいい人間達とはいえ、彼らから露骨な敵意と警戒の視線を送られ続けるのは決して気持ちいいものではない。

しかし、我慢できるか出来ないかと言えば、まだギリギリ許容範囲のものだった。……許容するつもりはないが。

 

でも今回は違う。今回のことは、私だけに関わることではないのだ。私の大切な人たちとどういう距離で付き合えばいいのか。それを決めるのに私が知らねばならないこと。私のかけがえのない時間を保つのに必要なものを探す時間を、あいつは奪ったのだ。

あの老害にそんな意図はなかったのだろう。あの爺は単純に、私の『継承者』としての作業を邪魔しようということぐらいの気持ちだったのだろう。それは校長の立場として正しいものだ。彼には生徒の安全を守る義務がある。寧ろ何もしないことの方がどうかしている。

 

尤も、それは私が本当に『継承者』であればの話だ。

 

私が『継承者』でない以上、こんなことに何の意味もない。ただいたずらに私の時間を奪うだけだ。

あの老害は見当違いの推理で、結果的に私の時間を奪ったのだ。私は一刻も早く、怪物を見つけ出さなければならないのに! 門限など関係ない。私には怪物を探す義務があるというのに! それが唯一、私が私自身を知ることの出来る方法だと言うのに!

授業が始まってからも、一向に『あの声』が聞こえてはこないことに対するいら立ちもあり、私は前からなくなりつつあった心の余裕を完全に失っていた。

 

本当に忌々しい。張り出しを無視して抜け出そうにも、あの老害がまた私を待ち伏せしている可能性もある。次見つかってしまった時は、今度こそ何かしらの罰則が与えられるかもしれない。それこそ何かしらの理由をつけて、また校長室に呼ばれてしまうかもしれない。

八方ふさがりだった。今私は……あの声を探すことすら出来ない。夜は談話室に閉じ込められ、そして昼は……

 

「やあ! ダリア!」

 

ロックハート先生がやたらと私に纏わりついてきてくるのだ。次の授業への移動中、廊下に生徒が溢れているにも関わらず、ロックハート先生は果敢に私に話しかけてきた。

これが私の心の余裕を奪う、もう一つの要因だった。

実のところ、纏わりついているのはこの先生だけというわけではない。最も会話していて鬱陶しい先生がこいつであることは間違いないのだが、ロックハート先生が()()と思われる時以外は、別の先生が私の周りには必ず存在していた。一見そうは見えないが、必ず視界の端に私をとらえ続けるように、先生たちはいつも私の周りに立っていた。そして私が少しでも生徒のいない所に行こうとするものなら、何かしらの理由をつけて話しかけてくるのだ。唯一自由に出来るのが、一日の最初の授業がある時間まで。授業が終わった瞬間、その授業の担当の先生が何かしらの理由をつけて、私の近くに必ず存在していた。

つまるところ、私は夜だけではなく、昼さえも、生徒と()()()()()()()()監視されているのだ。

 

「相変わらず表情が硬いですよ、ダリア! どうしたのですか!? 有名な私に声をかけられて緊張しているのですか!?」

 

「……違います」

 

私は平坦な声で返すが、ロックハート先生の鬱陶しい程の勢いは止まらない。

 

「ではもしかして、秘密の部屋のことが心配なのですか!? そのことなら大丈夫ですよ! 部屋は今度こそ永久に閉ざされました! 犯人は私に捕まるのも時間の問題だと観念したのでしょう! 私にコテンパンにやられる前にやめるとは……中々利口な奴ですよ!」

 

周りの生徒の空気が凍っていた。彼らからしたら、ロックハートが『継承者』である私に喧嘩を売っているようにしか見えなかったのだろう。私と先生を囲んでいた生徒の輪が一気に広がる。

しかしそんな空気の中をもろともせず、もしくは気づくことなく、ロックハート先生が話し続けようとしたところで、

 

「先生! 私達次の授業があるので、これで失礼します!」

 

私達を囲う輪から、突然ダフネとお兄様が飛び出してきた。そして私を強引にその場から引っ張って歩き始めた。

その場から一刻も早く私を連れ出そうとするお兄様達の後ろから、

 

「おや、そうですか!? それは残念! それはそうと、私は今度皆さんの気分を盛り上げる様なことを企画しているのですが、ダリアも期待しておいてくださいね!」

 

そうロックハート先生は、大声で意味不明なことを話していた。

 

でもその時にはもう、私の意識はロックハート先生にはなく、ただこの大切な人達から一刻も早く離れなければ……ただそれだけを考えていた。

私は……この人達の傍にいてはいけない。私はまだ……自分のことを何も知らない!

 

そんな私の心境に気付くことなく、もしくは敢えて無視したお兄様とダフネは、私を連れしばらく無言で歩いていたが、ロックハート先生が完全に見えなくなった辺りで急に話し始めた。

それはこの沈黙が気まずかったのもあるのかもしれないが、多分、久しぶりに話す私を気遣う彼らなりの優しさだったのだろう。

 

「……まったく! あいつはいつもいつも何でダリアに絡むんだ! それはダリアが美人なのは間違いないがな!」

 

「まったくだよ! まぁ、他のアホ共と違って、ダリアを『継承者』だとは思っていないことは評価できるけど……。でもそれにしても、」

 

「お兄様。それとダフネ」

 

私が二人の言葉を断ち切るように話しかけると、お兄様達は気まずそうな表情で私に向き直った。私は咄嗟に顔を逸らし、二人の目を見ないようにする。

まだ、私は怖かった。こうやって私に話しかけてくれる二人は、やはり本当に優しい人達なのだろう。そんなこと、最初から分かっていることだけど。

 

でもだからこそ、そんな二人を本当は怖がらせているのではと考えるのが、恐ろしくて仕方がなかった。二人の瞳に、ぬぐい切れない恐怖があるのではと考えるだけで足がすくんだ。

二人の瞳を覗く勇気が、私にはなかった。この恐怖に、自分自身を少しも信用出来ない私が抗うことなど出来なかった。

 

「先程はありがとうございます。でも……もう私のことは放っておいてください」

 

だから私が口に出来たのは、そんな拒絶の言葉だけだった。こんなこと、お兄様達に言いたくなんてなかった。でも、こうしなければ、お兄様達はいつまでも私を追いかけてしまう。お兄様とダフネは優しいから……。

 

「そ、そんなこと出来るか! お前は僕の妹だ! お前を放っておくことなんて、出来るわけがないだろう!」

 

「そ、そうだよ! 私だって、」

 

やはり、優しいお兄様達はこんな言葉だけでは離れてくれない様子だった。私は努めて冷たい声を意識して、ダフネの言葉を遮る。

 

「いいえ、お兄様、ダフネ。放っておいてください。それが、お兄様のためでもあるのです」

 

そう、これは二人のためでもあるのだ。こんな怪物の傍に、二人はいていいはずがないのだ。ただの人間である二人が、こんな化け物に優しくすることがまず間違っているのだ。

……そう思わないと、私はお兄様達のいない時間に我慢できないから。

 

「……それは、どういう意味だ?」

 

「……お兄様が知る必要などありません。ただ……もう私の傍には近づかないでください。迷惑ですので」

 

私はお兄様の質問に答えることなく、その場から踵を返す。

お兄様達との久しぶりの会話。……まだ私には許されないことなのに。こんな短時間、そしてこんな一方的で理不尽な会話なのに、私にはこの時間が……とてつもなく掛け替えのない時間に思えた。

それは多分……心のどこかで、もう永遠に訪れることはない時間かもと思っていたからかもしれない。

 

先程の授業がロックハート先生でよかった。

先生たちの監視は、幸い今はない。おそらく、ロックハート先生は私の監視をしているという意識はないのだろう。彼が担当の時だけは、その場を振り切りさえすれば自由な時間だった。

 

そうでなければ……ダンブルドアの手先である先生方に、この頬を伝う冷たいものが見られてしまったかもしれないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラコ視点

 

季節も移ろい、冬の寒さが少しずつ消え去っている。城の空気も()()()()()()()明るくなっているが、それに反して僕とダフネの上だけには暗雲が立ち込めている気がした。

あの張り出しの()()()、ダリアは夜だけは寮に帰ってくるようになった。だが朝は相変わらずだ。寧ろ以前より早い時間に出て行っているような印象すらある。まるで夜に出来なかったことを、朝に取り戻そうとしているような……そんな印象を僕は持っていた。授業は僕らと離れた席に座り、食事を僕らがいない時間にとり、夜は寮にいるものの、決して僕らと目を合わせようとしない。休暇中と違い、無事に過ごしている姿こそ確認できるものの、相変わらず僕とダフネはダリアとまともに会話できていなかった。最近での唯一の会話が、先日ロックハートに絡まれているダリアを連れ出した時のものだった。

……こんなにダリアと一緒にいない時間が続くのは初めてのことだ。思えば僕とダリアは、いつも一緒の時間を過ごしていた。僕がダリアに一方的に嫉妬していた時だって、ダリアは何だかんだで僕の傍にいつもいてくれた。それこそ僕が生まれてから、ダリアと離れて過ごしたことなんて一度もなかった。

ダリアが傍にいるのは……僕にとって当たり前のことだった。僕が嬉しい時も、楽しい時も、怒った時も、悲しい時も、苦しい時も、辛い時だって、いつもダリアは僕の傍に寄り添ってくれた。ダリアはいつも僕の味方でいてくれた。

 

なのに……僕はいざダリアが辛い時に、何の力にもなれていない。

僕は、ダリアの苦しみを何一つとして分かってやれない。

 

先日のロックハートに絡まれていた時だって、僕はダリアをあの場から連れ出すことは出来たものの、結局根本的な解決は何一つとして出来ていない。

僕はあの時、ダリアの言っていることが何一つ理解してやれなかった。直前まで、ダリアの表情はクリスマス前同様全くの無表情だった。僕でさえ一切読み解くことのできない、本当の無表情。でも、あの時、ダリアが僕らに傍に寄るなと言ったあの瞬間だけは……ダリアの表情はどうしようもなく悲しみに満ちていた。

 

『……お兄様が知る必要などありません。ただ……もう私の傍には近づかないでください。迷惑ですので』

 

僕に知る必要がない? もう私に近づくな?

 

そんなわけあるか! 僕が知らないで、誰がダリアの苦しみを知るというのだ! 僕がダリアの傍にいないで、一体誰がダリアの傍にいるというのだ!

あの時の泣きそうなダリアの表情から、あれがダリアの本心でないことは分かっている! なのに僕は、なんでこんなにも無力なんだ!

 

そう頭の中で叫び続けていても、現実が変わることはなかった。

結局あれからも、一度としてダリアと話すチャンスは巡ってこない。周りには大勢の生徒。そして()()()()()()、生徒のいないタイミングですら教師の誰かしらが近くにいる。ダリアと話を出来るはずがなかった。

 

僕は、結局無力で駄目な兄だった。僕は唯一救いたい妹すら、満足に救うことが出来なかった。

 

いたずらに時間は過ぎてゆく。

そしてあれからしばらくした二月十四日。……それは起こった。

 

その日も僕とダフネ、そしてダリアを()()いつものメンバーで朝食をとりに来ていた。ダリアはいつも通り、ここではないどこかで何かをしている。僕は暗い表情で大広間の扉を開き……そっと閉めた。

 

「ドラコ、どうしたの?」

 

「いや……ちょっとな……」

 

遂に僕は幻覚まで見始めたらしい。大広間は大理石でできた荘厳な空間だったはずだ。でも、僕の目には一瞬……けばけばしいピンク色の空間に見えたのだ。

僕は目をゴシゴシこすった後、再び扉を開き……絶望した。どうやら僕の見たのは幻覚ではなかったらしい。

 

大広間の壁という壁が、けばけばしいピンク色の花に覆われ、おまけに天井からはハート型の紙吹雪が降り続けていた。昨日までの厳かな雰囲気はどこにも存在しない。

 

朝から気分が悪くなる光景に絶句しながらテーブルにつく。丁度その時、教員席の無能教師が立ちあがり、皆に『静粛に』と合図をしているところだった。無能は、この悪夢のような大広間と同じけばけばしいピンク色のローブを着ている。あいつがこの惨状の元凶だと、僕は一秒で理解した。

 

「バレンタインおめでとう!」

 

ロックハートが演説を始めた。

 

「皆さんを驚かせようと、私がささやかながら準備させていただきました! こうしてみると、皆さん非常に気に入ってくれているようですね!」

 

少なくとも奴の横に並んでいる教員連中は、その『皆さん』の中に入っていないことは間違いない。どの教員も、『継承者』に石にされたのではと疑ってしまう程無表情だった。おそらく今ならダリアの方が表情豊かだろう。

 

「ですが、皆さん驚くのはまだ早いですよ! 私の用意したのはこれだけではありません!」

 

どうやらこの大広間の惨状だけでは飽き足らないらしい。

ロックハートはそう言って手を叩くと、玄関ホールに続く扉から、酷く不愛想な表情をした小人がゾロゾロと入ってきた。ご丁寧に全員が金色の羽を生やしているのが、より小人の場違い感を強めている。

 

「彼らは今日、学校中を巡回してバレンタイン・カードを配ります! そしてバレンタインはそれだけではありません! 先生方もこのお祝いムードにはまりたいはずです! さあ、スネイプ先生に『愛の妙薬』の作り方を教えてもらってはどうですか!? フリットウィック先生に『魅惑の魔法』について聞くのもいいかもしれません!」

 

スネイプ先生の表情を見るに、『愛の妙薬』の『ア』の字も出してはいけないだろうことは確かだった。

 

「……ダリアがいないのは不幸中の幸いだったね」

 

ダフネのしんみりとした言葉に、僕は黙って頷いた。僕達ですらこの状況に吐きそうなのだ。今のダリアがここにいれば、多分そのまま気絶していたことだろう。

僕等はこのどこを見ても気分が悪くなりそうな空間から、一刻も早く逃げ出すために食事を掻っ込む。

そしていつもの倍の速さで食事を済ませた僕らは、大広間から一目散に逃げ出した。

 

「最初の授業って何だっけ?」

 

「……『闇の魔術に対する防衛術』だ。あの毒々しい色をしたローブを、授業の時はしていないことを祈るばかりだ」

 

そうダフネの質問に答えながら歩いていると、大広間前の階段で、

 

()()()・ポッター! あなたに歌のメッセージです!」

 

どうやらこの狂った企画における最初の犠牲者が出ているようだった。

階段の踊り場。どう考えても邪魔な位置を陣取っているポッターと小人。どうやらポッターが転んだところを、間が悪く小人に捕まったらしい。奴の持ち物が階段に散乱している。僕はそんな奴らに近づき、

 

「一体何をしているんだ?」

 

冷たい声で話しかける。ポッターは余程僕の前で歌とやらが詠まれるのが嫌なのか、慌てて逃げようとするが、見た目以上に力が強いらしい小人にガッチリと捕まれ、その場から離れられないようだった。

そして、小人は歌い始めた。

 

『あなたの目は緑色、まるで青いカエルの新漬のよう♪ あなたの髪は真っ黒、まるで黒板のよう♪ あなたがわたしのものならいいのに♪ あなたは素敵♪ 闇の帝王を征服した、あなたは英雄♪』

 

歌が終わり、その場にいた()()()()全員が笑い始めた。ポッターも、おそらく本心からではないだろうが、誤魔化すような笑みを浮かべている。

 

だが、僕とダフネは全く笑っていなかった。ダフネに至っては、先程からポッターにゴミでも見る様な視線を送っている。

 

いつもであれば、僕も後ろのクラッブとゴイル同様笑っていたことだろう。でも、今の僕にそんな余裕などなかった。

ダリアが辛い思いをしている時に、こんな下らないやり取りをしている連中に腹が立って仕方がなかった。

ダリアの苦しみも知らず、こうしてただ漫然と暮らしている人間達が、僕は憎くて仕方がなかった。

 

ダリアを苦しめる人間達が、こうして笑っていることが許しがたかった。

 

僕はこれ以上こんな奴らと同じ空気を吸いたくなかったため、そのままポッターの横を無理やり通ろうとした。

 

でも、その途中……何故か一冊の本に目が釘付けになってしまった。

 

「……なんだこれは?」

 

それはポッターが転んだ時に散乱した本の一冊だった。

日記帳とおぼしき本。それがぶちまけられたインクの中にポツンと転がっていた。

 

……何故だろう。僕は一刻も早くここを離れたいのに。この本だって、特に僕の興味を引くような見た目もしていないのに。何故、僕は……。

 

「ドラコ? どうしたの?」

 

階段の途中で突然止まった僕を訝しく思ったのか、ダフネが心配そうに声をかけてくる。

 

「いや……。でも、何だ……この本は……」

 

僕は戸惑いながら、その本を拾い上げる。

何故だ……見れば見る程ただの本だ。何の変哲もない日記帳。

なのに……。なのに何で僕は、この本から……。

 

「ドラコ。それを返せ」

 

ポッターの声に、僕ははじかれるように顔を上げた。どうやら思った以上に深く考え込んでいたらしい。

周りに一瞬視線を向ければ、ポッターと小人のせいで立ち往生していた見物人達も、ポッターの静かな怒りの声に静まり返り、固唾を飲んで僕らを見つめている。そんな中で、唯一ウィーズリーの末娘だけが、青ざめた表情で日記を見つめているのが妙に印象に残った。

 

「……いや、ちょっと見てからだ」

 

しかし大勢の人間が見ているからと言って、この本から感じる違和感を無視することは出来なかった。僕はポッターを無視し、再び本を調べようとした。が、

 

『エクスペリアームス、武器よ去れ!』

 

どうやらポッターは日記帳の中身を見られるとでも思ったのか、僕の手元にあった日記を強引に取り上げた。僕の手元にあった本が、ポッター目がけて飛んでゆく。僕が憎々し気にポッターを見やると、僕に勝ったとでも思ってるのか、どこか得意げな表情を浮かべている。横にいるウィーズリーも満足げに笑っていた。僕は怒りに任せポッターに杖を向けようとするが、

 

「ハリー! 廊下での魔法は禁止だ! マルフォイお前もだ! その杖を今すぐおろさないと、君のことも報告させてもらうぞ!」

 

厄介な邪魔が入ってしまった。ウィーズリーの兄、確か……()()()()・ウィーズリーが騒ぎを聞きつけてきたのだ。ウィーズリーのクズの意見など無視したいところだが、こいつは厄介なことに監督生でもある。ウィーズリーなどが監督生に選ばれるなんて世も末だと思うが、ここで必要以上に波風を立てるのも馬鹿らしかった。

僕はこちらを得意げに見つめるポッターに舌打ちすると、さっさとその場を後にすることにした。苦し紛れに、先程の詩をポッターに送ったと思しきウィーズリーの末娘に、少し馬鹿にした表情を送ってから階段を登り始める。よく考えると、あの本に拘る理由などない。先程本から感じた違和感だってただの気のせいだろう。

 

ただ……

 

「ドラコ、さっきの本、どうしたの? 私にはただの日記帳にしか見えなかったけど?」

 

ポッターから十分離れた場所で、ダフネが話しかけてきた。

 

「いや……そうなんだが。僕にもただの日記帳にしか見えなかったのは確かだ。でも……」

 

「でも? 何?」

 

戸惑いながら話す僕に、ダフネが言葉の続きを催促する。それに対し、やはり僕は戸惑いながら、

 

「あの日記から……何だかダリアと同じ空気を感じたような……そんな気が一瞬したんだ……」

 

そう絞り出すように答えた。

そんなはずはない。あれはただの日記だ。日記がダリアと同じ空気を醸し出すはずがない。

そんなことは分かっている。

 

なのに僕は……。

あの本が、()()()()()()()()()()()()……心のどこかで感じてしまっていた。

 

「ダリアと同じ空気? え、どういうこと?」

 

ダフネには僕の言葉の意味が分からなかったらしい。当然だ。話した僕も意味が分からないのだから。

 

「いや……忘れてくれ。それより、そろそろ教室に行かないとな。最初の授業は何だ?」

 

考えても仕方がない。それに、どうせ先程のは僕の気のせいなのだ。最近疲れが溜まっているからそのせいだろう。僕は頭を切り替えるために、ダフネに今日の予定を聞く。

 

「……さっき自分で言ってたじゃない。『闇の魔術に対する防衛術』だよ。……あ、それと今思い出したけど、次の時間、グリフィンドールと合同だよ」

 

「……朝から疲れることばかりだな」

 

つくづくロックハートが関わってくる日だ。しかもただでさえ鬱陶しい授業が、グリフィンドールなんぞと合同。

すぐそこまで迫っている想像するだけで胸糞が悪くなる時間のことで すでに僕の頭の中は一杯になっていた。もうこの時点で、先程感じた違和感のことなど僕の頭の中にはなかった。

 

 

 

 

尤も、たとえ次の授業がグリフィンドールとの合同でなかったとしても、僕は先程の違和感など忘れ去っていただろう。

朝一番の授業で起こった出来事は……それくらい僕に衝撃を与えるものだったのだから。

 

それは僕達には非常に腹立たしいことだったが……同時に、ダンブルドアにとっては致命的なことでもあった。

 


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