ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ハーマイオニー視点
何故こんな所にマルフォイさんが!?
初めはそんな疑問で頭が一杯だった。
今学校中の生徒は競技場に集まっている。生徒、それどころか教師も含め、学校にいる人間がこんな所に今いるはずがない。ダンブルドア校長がいない今、今日だけは安全に窮屈な生活から脱せられると皆我先にと競技場に行っているはず……。そう思った。
そう思ってしまった。
でも……それは間違いだとすぐに気が付く。
私は何を馬鹿なことを考えているのだろう。彼女が息抜きのために、あんな人の集まる所にいくはずなんてないのだ。
確かに、皆久しぶりに訪れた休日と言える休日に熱狂している。魔法界で最も人気であるクィディッチ。しかも今日の試合で優勝の決まる大一番。久方ぶりの楽しい行事に、皆今の窮屈な生活を一時的に忘れることが出来ることだろう。
マルフォイさんをのけ者にして。
どんなに学校中の生徒がクィディッチに熱狂しようとも、
マルフォイさんは今『継承者』として学校中から疑われている。そんな彼女にとって、生徒や教師が集まっている空間こそが、最も窮屈な空間なのだ。
常に向けられる警戒の視線。出会う度に上げられる恐怖の声。たとえクィディッチの試合中であっても、その状況に変わりはないだろう。
それに今日の天気は晴天。肌が弱い彼女にとって、この開放的な天気はより一層鬱陶しいものに思えたことだろう。
私は罪悪感で僅かに視線を伏せた。
私は……そんな簡単なことにも気付かなかった。私のせいで彼女は辛い立場に追いやられているというのに、私はそんな考えればすぐ分かるようなことにさえ気づけなかった。
なんて声をかければいいか分からなかった。理不尽な状況に陥っている彼女に、その理不尽の一端を担ってしまった私が、一体何を話せばいいのか分からなかったのだ。
『もう二度と……ダリアに近づかないで』
私がマルフォイさんに近づいていいはずがない。それに近づいたところで、謝罪も、言い訳も、そして何より彼女の心労を少しでも和らげてあげられる言葉さえ、私はマルフォイさんにかけることが出来ない。
思考が同じところを回りだす。マルフォイさんに近づきたいという気持ちと、マルフォイさんに対する罪悪感とで思考は一向に前に進もうとしない。
何も話すことが出来ず、ただ口の開閉を繰り返すばかりの私。そんな私に、
「……何故、あなたがここにいるのですか?」
冷たい声が投げかけられた。マルフォイさんの声には……明確な怒りが含まれていた。
彼女の怒りに、私の思考は今度こそ完全に停止する。
はじかれる様に顔を上げると、マルフォイさんの冷たい相貌と視線が交差した。
「な、何故って?」
マルフォイさんの突然の怒りに、私は素っ頓狂な返しをしてしまう。私がここにいることが、何故彼女を怒らせたのか分からなかったのだ。
一瞬、私のしてしまったことをマルフォイさんが知っているのではないかと思った。
でも、それはないと思いなおす。グリーングラスさんは確かにあの時、信じられない程の怒りを私に向けていた。しかし彼女が私達のしたことをマルフォイさんに話していないことは、マルフォイさんの最初の反応で分かっている。そうでなくては、マルフォイさんは私に話しかけてさえ来ないだろう。それくらいのことを私はしてしまったのだ。
では何故、彼女はここまで怒っているのか。
その疑問はすぐ氷解することになる。
「……マグル生まれの貴女が、何故一人でこんな所を歩いているのですか?」
一瞬、彼女の言っていることが理解できなかった。何故、そんなことを彼女が気にするのか分からなかったのだ。
でも、その意味を理解した瞬間、私は激しい衝撃を感じた。
あの時と同じだった。
彼女の言葉は紛れもなく……私を心配してくれたものだった。
『秘密の部屋』が開かれた日。彼女は私を真っ先に心配してくれた。私が『継承者』に襲われやしないかと、彼女は案じてくれたのだ。そして今も、『マグル生まれ』である私が無用心に出歩いていることを、彼女は心配して怒ってくれたのだ。
マルフォイさんは、自分が辛い立場にあるというのに、それでも尚初めに私の身を案じてくれたのだ。
私は俯き……そっと涙を流す。
間違っている。彼女を『継承者』として疑うなんて……絶対に間違っている。こんなに優しい彼女が、『継承者』であるはずがない。冷たい表情を浮かべているからと言って、彼女の心が凍っているわけではない。彼女は無表情の下に、いつも温かな心を隠し持っている。
今この学校で、ドラコやグリーングラスさんを除けば、私はマルフォイさんが『継承者』でないと知っている唯一の人間だ。
だからこそ、私は……必ず彼女を。
「私は以前言いましたよね? あなたは気を付けるべきだと。貴女はマグル生まれなのです。つまり『継承者』の恰好の的です。ならば……グレンジャーさん? ……泣いているのですか?」
私の涙に気が付いたマルフォイさんが訝し気に尋ねてくる。私は急いで涙を拭き、彼女をこれ以上心配させないように、なるべく元気に聞こえるだろう声で応えた。
「いいえ! 何でもないわ! マルフォイさん、ごめんなさい、心配させてしまって! あなたに忠告されたのに……」
私の上げた大きな声に、マルフォイさんは一瞬驚いたようにその薄い金色の瞳を見開いていたけど、
「……いえ。別に構いません。貴女のことなどどうでもいいことなので。ただこれ以上犠牲者が出れば、理事であるお父様の名にも傷がつくと思っただけです」
彼女はいつものように冷たい言葉を話した。まるでこちらを突き放すような言葉。
それに対して私は、
「相変わらずね」
ただ苦笑するだけで応えた。冷たい態度を取られようと関係ない。私は知っている。彼女が本当は優しく温かい人間であることを。たとえこのホグワーツにいる全員が彼女を疑おうとも、私だけは彼女を疑ったりしない。
今はそれで十分だと思ったのだ。
マルフォイさんは、ただ苦笑をもって答える私を胡乱気に眺めていたが、ややあって、
「……いいのですか?」
ポツリと呟いた。その声は、先程の冷たい声とは一転し、心なしか寂しげなものだった。
「何が?」
唐突な言葉に私は意味が解らず、ただ短く聞き返す。マルフォイさんは少し逡巡した後、やはりどこか独白するように、まるで懺悔するような口調で話し始めた。
「あなたも知っているのでしょう? 私が『継承者』だと疑われていることを……」
マルフォイさんの言葉を聞くにつれ、私の心が熱くなる。クリスマスの時から感じていた罪悪感を、一時的に忘れてしまう程の熱量を感じる私を横目に、マルフォイさんの言葉は続く。
「今この城にいる全員が私のことを疑っている。あのろう……ダンブルドアが私を疑っているから……。貴女はそんな私といて……怖くない、」
「怖くなんてないわ!」
私はマルフォイさんの話を遮るように大声で応えた。
マルフォイさんに対する罪悪感は未だに大きく存在する。正直こうして話し続けていいものなのかも分からない。
でも、これだけは……これだけは、今言わなくてはいけないことだと思った。
「貴女が『継承者』なんかじゃないって、私は知ってるわ! 間違ってるのは皆の方よ! どんなに皆が貴女のことを『継承者』だと言おうとも、私だけは違うと答えるわ! だから、私は怖くない!」
怖いはずなんてない。怖がっていいはずがない。だって彼女は『継承者』なんかじゃないのだから。怖がる必要性なんてどこにもない。
内にある熱を吐き出すように大声を上げる私に、
「そ、そうですか……」
マルフォイさんは戸惑ったように視線を右往左往させていた。けどすぐに我に返ったのか、咳払いをし、改めて私に尋ねてきた。
「そ、それで、結局何故こんな所に。正直非常に迷惑なのですが」
「ご、ごめんなさい。でも、私、どうしても調べたいことがあったの。……『秘密の部屋の恐怖』のことで」
私はそう話しながらマルフォイさんに背を向け、図書館の扉を開ける。そういえばそうだった。マルフォイさんとの会話で忘れそうになっていたけど、私がここに来た目的は他にあったのだ。
私が図書館に来た理由……それは目的の本を探すためだった。
私の考えが正しければ、
そうなれば今度こそマルフォイさんの無実を証明することが出来るのだ。
私は興奮しながら図書館の中に足を進める。
私が怪物の正体について触れた瞬間、どこか優し気に私を見つめていたマルフォイさんの瞳が、冷たいものに変わり始めていた。
ダリア視点
私はまた同じ間違いを犯してしまったのだろうか……。
グレンジャーさんの背中を見つめながら、私は何となくそう考えていた。
秘密を抱える私には、大切な人なんて家族だけで充分だ。ダフネのことだって、化け物である私が大切だとさえ思ってはいけなかったのだ。
それなのに……。それなのに、私は何故……グレンジャーさんに疑われていないと知って、心のどこかでホッとしていたのだろうか。
確かに、私はグレンジャーさんのことを気に入っている。それは認めよう。彼女の知的好奇心、そして私に向ける純粋な憧れの視線。常に緊張を強いられる生活を送る私にとって、それらはどこか私の気持ちを和らげるものであったのは間違いない。
でもそれだけだ。
彼女は私にとって、マルフォイ家やダフネのように大切な人間なはずがない。そもそも接点がない。スリザリンとグリフィンドールでは、あまりに関わりあう時間が少ないのだ。
去年助けたのだって、単に見捨ててしまえば、私の心の奥底に存在していた
……そのはずなのに。そうでなければいけないのに。
私はグレンジャーさんに見捨てられていなかったと知って、どうしてあんなにも安心していたのだろうか考えた。
こんな感情は間違っている。絶対にあってはならない。私は彼女を嫌いにならなければいけないし、同時に彼女に嫌われなければならない。
ダフネのことだって、私は本来そうあるべきだったのだ。それなのに私はダフネを好きになってしまった。ダフネに好かれてしまった。
だから私が化け物だと、一番知られたくない人間に知られてしまった。
自分自身を傷つけ、そして何よりダフネを……いつの間にか家族と同じくらい大切になった人の心を傷つけた。
その間違いを、私は再び犯そうというのか。そんな間違い、私は二度と犯してはならない。
だから……。だからこそ……私は今証明しなければならない。
目的の邪魔になるグレンジャーさんを……私は
今目の前には、グレンジャーさんの無防備にさらされた背中があった。彼女は先程の言葉の通り、私を心底信頼しきっているのだろう。
化け物である私には、そんな価値なんてないというのに。
「この本よ! これになら、『秘密の部屋の怪物』のことが……」
グレンジャーさんは興奮したように『闇の魔法生物』を開いている。
『闇の魔法生物』。それは奇しくも、私が吸血鬼であることに気が付くきっかけになった本だった。吸血鬼のページを通りすぎ、目的のページを探すグレンジャーさん。
そんな彼女の後ろで、私はそっと杖に手をかけていた。
でも、内心では……
ああ……どうか間違っていて欲しい。彼女が間違った推測をしていて、全く違う生き物を怪物と疑っていることを、私は性懲りもなく願っていた。
そんな
私の大切なものは家族だけだ。何故知り合って間もない、碌に接点もない少女のことを気にする必要があるのだろう。
それに……どんなに願ったところで、結論が変わるわけではない。
「あったわ! これよ! 『バジリスク』! なんでもっと早く気付かなかったのかしら! スリザリンの継承者のみが操れる怪物。そんなの蛇以外考えられないのに! ハリーが近くにいたというのに、うっかりしていたわ! それにこの蜘蛛が最も恐れる生き物! これならハグリッドの言っていたこととも辻褄が合うわ!」
グレンジャーさんはそこで言葉を切り、ようやく私の方に振り向いた。
彼女の瞳には、
「怪物の正体は分かったわ! これさえ分かれば、いずれあなたの無実を……マルフォイさん? ど、どうしたの?」
私の雰囲気が変わっていることに、彼女はようやく気が付いたのだろう。グレンジャーさんは戸惑ったように私を見つめている。
まあ、戸惑うのも当然だ。彼女に理解できようはずがない。彼女には何の落ち度もないのだから。悪いのは……全て私なのだから……。
逆に彼女は称賛されるべきことをしたのだ。あのダンブルドアでさえ気が付かなかったことを、彼女はただの二年生でありながら探り当てたのだ。
でもそれは、私にはとうてい認めることが出来ない話だった。何故なら……
「グレンジャーさん……。貴女は知りすぎた……。ええ、そうです。怪物の正体は『バジリスク』です。だから、貴女は私にとって邪魔なのです。怪物の正体が今知られるのは、私には迷惑なことなので」
私の言葉に、グレンジャーさんは目に僅かな恐怖を抱えながら応えた。
「な、なにを言ってるの!? だ、だって、怪物が『バジリスク』だって知らせれば、それこそ対策を立てることが出来るわ! ううん。それだけではないわ! 怪物の正体がわかれば、きっと『継承者』を探す手がかりになる! 貴女が無実だってことも、」
「いいえ。繋がりませんよ。怪物の正体が分かったところで、『継承者』の正体までたどり付けません。現に私は……未だに『継承者』が誰か分かっていないのですから」
「……どういうこと?」
私が何を言っているのか分からないのだろう。戸惑うグレンジャーさんに、私はそっと告げた。
「だって……私は怪物が『バジリスク』だと、とっくの昔に気が付いていたのですから」
そう私は知っていた。怪物の正体を。でも、言わなかった。
バジリスクによって犠牲者が出るかもしれない。その可能性もあるのに、私はダンブルドアに怪物の正体を伝えなかった。
私は……怪物のことを教師達に、ダンブルドアに知られるわけにはいかなかったからだ。
『継承者』の正体などどうでもいい。ただダンブルドアに、『バジリスク』に対しての対策を取られるわけにはいかないのだ。
私には……怪物がどうしても必要なのだ。私自身を知るのに、私にはバジリスクの存在が必要不可欠なのだ。
「ど、どうして……。どうして怪物の正体を言わなかったのよ。それを先生に、ダンブルドア校長に伝えればあなたの疑いだって……」
「……貴女が知る必要はない。それに、どうせ貴女は……」
私はそう言って、手に持っていた杖を構えた。グレンジャーさんの瞳に映る恐怖が明確なものになる。
その瞳の中にある恐怖に、私は身勝手に傷ついている自分自身を見つけていた。
そしてふと気づく。
私は今……全く
私は怪物だ。何かを殺すことが、この上なく好きな
でも何故か、私はグレンジャーさんを殺す姿が想像できなかった。
こうして杖を突き付けているというのに、私は何故か、彼女に魔法を放つ自分自身を考えることが出来なかった。
家族のために、邪魔な人間を殺す。私にはうってつけの状況のはずなのに……。
いや、きっと殺しは拙いと
今この城の中には、おそらく私とグレンジャーさんだけだ。グレンジャーさんがいないことは勿論、教員席以外ではクィディッチを観戦出来ない私が不在であることは、既に誰かが気が付いている。そんな状況でグレンジャーさんが死ねばどうなるか……考えるまでもないことだった。
私は殺すという選択肢を
殺すことに比べて、記憶を消すことに成功する可能性は低い。記憶を消すにあたって、最も障害になるのは
そして残念なことに……私は『忘却術』がそこまで得意というわけではない。
でも……それしか方法がないのも事実だった。
後で多少違和感を持たれるだろうが、殺せない以上仕方がない。
「マ、マルフォイさん……。な、なにをしているの!」
私が内心でより
私はそんな彼女に『忘却術』をかけようとして、
『殺してやる……八つ裂きにしてやる……殺してやる……』
突然、その声が私の耳に届いた。
それは……私の待ちに待った声だった。
でも同時に、今最も聞きたくない声でもあった。