ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ダリア視点
……たとえば月明りに照らされた書庫。
月明りに照らされた本を読む私に、お母様が優しく話しかけてくださった。
いつだってお母様は、私を愛する家族の団欒へといざなってくださった。
……たとえば人が集まる駅のホーム。
離れ離れになることを悲しむ私を、お父様は優しく撫でてくださった。
私に甘いお父様が、やはりどこまでも私に甘く、お母様に抱かれる私をそっと撫でてくださった。
……たとえば雪の降りしきる庭。
自身の生い立ちを知り打ちひしがれる私を、お兄様は優しく慰めてくださった。
いつだってお兄様は、私が傷ついている時に寄り添ってくださっていた。
目を閉じれば、今まであった何気なくも、本当に掛け替えのなかった光景が数えきれない程脳裏に浮かんでくる。
美しい家族だと思った。
上品に微笑むお母様。どこか素直でない笑みを浮かべるお父様。そしてお父様にそっくりな、でもどこかお母様の優しい微笑みをも感じさせる笑みのお兄様。
マルフォイ家の日常は心地よく、どこまでも美しい光景だった。
私は断言できる。マルフォイ家こそが、この世界で最も偉大な家族であると。マルフォイ家以上に優しく、そして美しい家族などどこにもいないのだと。
だというのに……美しい日常の光景は、私という存在によってどうしようもなく穢されていた。
あんなに美しかったのに……。心の中に大切に仕舞っていた数えきれない程の思い出が、今は酷く汚らしいものにすら思える。
美しい家族の日常。その中に、どうしようもなく悍ましい怪物が紛れ込んでいたのだから。
人間の姿をしておりながら、人ならざる
殺人という悍ましい行為を、
嘘みたいに幸福だったのに。
私は体だけではなく、心も怪物のそれであったのだ。
だからもう……私は家族の元へ、大切な人達の元へは帰ることが出来ない。いや、帰ってはいけない。
私がどんなに家族を愛していようとも、私はただの怪物なのだ。
バジリスクに託した望みも、もう幻でしかないのだから。私を救える同類など、この世に最初から存在しなかったのだから。
「あぁ……もう私には、どこにも居場所なんてないのですね……」
縋っていた希望がただの妄想でしかなかったと知った私は、虚ろな目でバジリスクの死体を眺めながら呟く。
当然、いくら見つめても応えはない。彼はやっと自由を手に入れ、そしてその短すぎる自由を胸に死んでいったのだから。それにたとえ応えたとしても……決して私の望む答えは得られないだろう。
彼はただの『バジリスク』であって、私と同じ『怪物』ではなかったのだから。
私はこの世界にたった一人の怪物だったのだから。
何をする気にもならない。もう全てのことがどうでもいい。マルフォイ家と共にあれない、家族に愛されない人生など、何の価値も見いだせない。
夢のように幸せだった日々は酷く遠いものになり、怪物である私に残されたのは、ただ失ってしまった虚しさと悲しみだけだった。
「これからどうしましょう……」
私は自分の愚かな呟きを、即座に鼻で笑った。
口から出た言葉とは裏腹に、もうすでに私の心は決まっていたのだ。……何をする気力がなくとも、私がすべきことだけは分かっていたのだ。
マルフォイ家と一緒にいられないのなら、私が生きている意味はない。『闇の帝王』が私を造ったのだとしても、この命はマルフォイ家のものなのだ。
だから私は……家族を
私が人殺しを望むのなら、その望みを叶えてやろうではないか。マルフォイ家を傷つけてしまう前に。
あの美しい家族に、こんな怪物はいらない。あの美しい光景を、これ以上穢してなるものか。
恐れはない。迷う必要もない。方法も知っている。それこそ
私は記憶に残る大切な人達の笑顔を思い浮かべ、そして、
自分を殺そうとする時は、特に楽しいとは思わないのですね……。やはり……私は人ではないからだろうか。
そんな益体のないことを最後の最後に考え、
しかし、
「ダリア!」
決してこんな所で聞こえるはずのない声に私は思わず振り返った。
果たしてそこには私の予想通りの人物、私の大切な人に
私は突然な出来事に、思わずずっと避け続けた瞳に目を合わせてしまう。
……たとえば本棚が立ち並ぶ図書室。
本からふと視線を上げると、彼女もこちらに視線を上げていた。視線が交差した私達は、何だか無性に可笑しくて小さく笑いあった。
思えば彼女の視線はいつも親し気で……そして温かかった。
いけないことなのに。秘密しかない私には、彼女に大切に
そして今も……彼女は変わらず私の大好きな視線を送りながら叫んでいた。
その瞳には、私がずっと恐れていたような、私への恐怖は欠片ほども存在しなかった。
「ダリア! 迎えに来たよ! 一緒に帰ろう!」
ダフネ視点
彼ら4人組を見つけたのは、本当にただの偶然だった。
談話室を飛び出したのはいいものの、特に『秘密の部屋』の目星がついていたわけではない。巡回しているかもしれない教師達に見つからないよう気を付けながら、取り合えず第一の事件現場にでも行くかという軽い気持ちで三階廊下を歩いている時……私は彼らを見つけたのだ。
彼らは私と同じく、今ここには絶対にいるはずのない存在だった。
ポッター、ウィーズリー。あと、何故かポッターに杖を突き付けられながら歩く無能教師。
そして……怪物の正体を見事に見破った、ハーマイオニー・グレンジャー……。
明らかに尋常ではない様子の4人組が視界に入った時、私は咄嗟に物陰に隠れて彼らの様子を窺った。
こんな状況で、そしてこんな場所で出会った、明らかに様子のおかしい人間達。
『秘密の部屋』について何か知っているのは火を見るよりも明らかだった。
「私は本当に……運がいいみたい」
私は女子トイレに駆け込む4人組を眺めながら呟く。
もしあの集団が、グレンジャーを除いた三人組であったのなら、私は特に何も思わずこの場を早々に後にしていたことだろう。無能教師は勿論、ポッターやウィーズリーに『秘密の部屋』がどこにあるかなど探し出せるはずがない。
でも、彼らには今グレンジャーがいる。怪物の正体が『バジリスク』だと見破ったグレンジャーのことだ。ダリアを無自覚に追い詰めたことはともかく、彼女になら『秘密の部屋』の在処など簡単に見破れてしまえる能力があるのは間違いなかった。
そして私の予想は当たっていた。
しばらくブツブツ聞こえていた声が消えた時、私がトイレに突入して初めに目にしたものは……大人一人が滑り込めるほどの、大きな穴だった。本来そこにあるはずの蛇口は消え、絶対にあるはずのない穴だけが目の前に開かれていた。
この穴こそが……『秘密の部屋』の入り口であることは疑いようがなかった。
なら……私が取るべき行動は一つだけだ。
この下にどんな光景が広がっているかは分からない。辺りに見当たらないことから、グレンジャー達は皆ここを下りて行ったのだろう。無事に降りられたのならいいが、そうでない可能性も十二分にある。『秘密の部屋』には『バジリスク』がいるのだ。彼女達がもう食べられてしまった可能性すらある。そして、今ここを下りようとしている私も……。
でも、そんなことは関係ない。
私は何のためらいもなく、トイレに不自然に開かれた穴の中に飛び込む。
私は……もう待つことは止めたのだから。
長い長いトンネルを下りた先……そこには、暗くジメジメした空間が広がっていた。
急に出口になっていたため私は咄嗟に受け身を取れず、盛大に尻餅をついてしまった。
ドスン!
辺りに酷く大きな音が鳴り響いた。私は慌てて辺りに杖を向けながら警戒する。
ここはもはや安全地帯とは言えない。ここにはバジリスクは勿論、私より先に降りたであろう4人組もいるのだから。
しかしどうやら、私の警戒は杞憂だったらしい。辺りを見回しても、バジリスクも、そして馬鹿4人組もいない。
私はほっと溜息をつきながら杖を下すと、なるべく足音を立てないように気を付けながら前に進み始めた。
焦りは禁物なのは分かっている。でも、これ以上ダリアを独りぼっちにしておきたくない。
そんな焦りと共に、私は先を出来る限り急ごうとして……出来なかった。
……私の歩みはあまり長くは続かなかったのだ。
ドーン!
暗いトンネルに突然轟音が響いた一瞬後、まるで岩が崩れるような音が続いて鳴り響いたのだ。
そして、
「少し待ってて、呪文で岩を壊すから」
ハーマイオニー・グレンジャーの声が暗闇の向こうから聞こえてきた。
私はじっと暗闇に身を潜め、彼女達の様子を窺う。
「僕は先に進むよ! 君達はロックハートとそこで待ってて! もし一時間たっても戻らなかったら……君達は戻ってくれ」
「いいえ! 私達もすぐに行くわ! お願いよ、ハリー! そこで待っていて!」
……ダリアを疑っていた分際で、何やら下らないドラマを繰り広げているらしい。
私は下らない話に耳を貸さず、現状の理解だけに注意を傾け……どうやら、彼らはトンネルの崩壊で分断されてしまったらしいことを理解した。
岩の向こうにいるのはハリー・ポッター。彼だけがこの先に進める状態にあり、グレンジャー、ウィーズリー、無能……そして私は、先に進めなくなってしまったようだった。
盛大に舌打ちしたい衝動を必死に抑えながら、私はどうするべきか必死に考える。
ここで即座に飛び出し、トンネルを塞いでいる岩を退けるべきだろうか?
いや、それは出来ない。そもそもこの愚図共は、未だにダリアを『継承者』だと思って行動していることだろう。ならダリアの
ならどうするべきか。答えは一つだけだ。
幸いこちら側にはグレンジャーがいるのだ。口惜しいことに、彼女は私よりも優秀だ。彼女なら道を塞いだ岩を、私よりも早い時間で取り除くことが出来るだろう。私と彼女、どっちか一人しか作業が出来ないのであれば、彼女がやった方がより早くダリアの元へたどり着ける。ならここで彼女達を無力化するよりも、グレンジャーに岩だけ取り除かせるのが最も
そう結論付けた私は、じっと
必死に杖を振るうグレンジャー。そしてその横で無能
しばらくして……その時がやってきた。
「やったね、ハーマイオニー! これで僕らもジニーを助けに行けるよ! この馬鹿がやらかした時はどうしようかと思ったけど……。やっぱり君は天才だよ!」
辺りにウィーズリーの歓声が響き渡った。ここからは暗くてよく見えないけど、グレンジャーが岩を退け終えたのだろう。
これで私とダリアとの障害物は、
なら、私も行動を再開しなければ。私は構えていた杖を、まずグレンジャーの方に向けた。ウィーズリーの杖は折れているから、彼には反撃する能力はない。それならば、まず狙うべき相手は一人だけだ。
「ロン、ありがとう。でも、今はそれどころじゃないわ! さあ、そんな馬鹿なんかほっといて先に、」
「ご苦労様」
グレンジャーが振り返った瞬間、私の魔法が顔面に命中する。彼女は驚愕した表情のまま、ゆっくりと気を失っていった。
……罪悪感が全くないわけではない。阿呆二匹とは違い、彼女だけはダリアを疑っていない可能性が高いのも事実だ。そんな彼女を問答無用で排除することは、彼女が今までしたことを加味しても、ほんの少しだけ罪悪感を覚えざるを得ないものだった。
でも結局、私は躊躇わずやった。ダリアの秘密を守るのに必要なことだったから。この先にいるダリアと私の会話を、彼女に聞かせるわけにはいかなかったから。
ダリアを追い詰めたグレンジャーに、ダリアの秘密を知る権利があるものか。
グレンジャーに呪文を放ったことで、ウィーズリーも私の存在に気が付く。
彼は私に折れた杖を向けながら、
「ダフネ・グリーングラス! なんでこんな所に!? やっぱりお前もダリア・マルフォイの仲間だったのか!?」
案の定馬鹿な発言をした。やはり未だにダリアが『継承者』だという愚かな勘違いをしているらしい。間違いだらけの認識。彼の認識の中で唯一正しいのは、
「仲間……? そんなの当たり前でしょう?」
私がダリアの仲間であるという事実だけだ。私は絶対にダリアを裏切らない。お前たちとは違う。私はダリアを疑ったりなんかしない。
私は尚何か叫ぼうとするウィーズリーを気絶させると、続けざまに無能に呪文をかける。『失神呪文』とは違う、無能に相応しい呪文を。
『ペトリフィカス・トタルス! 石になれ!』
頭が
私は最後に無能ご自慢の顔面を思いっきり蹴り上げると、用は済んだとばかりに前だけを見据えて足を進めた。
馬鹿どものせいで大分時間をくってしまった。先に進まなくては。今三人は無力化したけど、まだこの先にはハリー・ポッターがいる。あの無駄に行動力だけはある愚か者のことだ。ダリアの足手まといになっていることは想像に難くない。あの馬鹿も早く潰さなくては。
曲がりくねったトンネルを進み続ける。早くダリアの元にたどり着きたい。それだけを願いながら。
『バジリスク』と『継承者』以外の障害物は、もうポッターだけなのだ。そんなこと気にしていられないと、自らが立てる音を気にすることなく走り続ける。だから私がそれにたどり着いたのは、比較的すぐのことだった。
いくつもの曲がり角を曲がった先。そこには不自然に割れている壁があった。割れた壁の向こうには、今まで進んでいたトンネルとは比べ物にならない程広い空間が広がっている。
そこは間違いなく、『秘密の部屋』だった。
私は一つ深呼吸をして、そっと中に足を踏み入れる。
トンネルを抜けた先、そこには暗闇の中に蛇の彫刻が絡み合う柱が立ち並ぶ、酷くだだっ広い空間が広がっていた。
私はダリアの声が少しでも聞こえないかと耳を欹てながら、少しでもあの綺麗な白銀の髪が見えはしないかと目を凝らしながら前に進む。
ダリアは絶対に『継承者』なんかに負けたりしない。ダリアは絶対に『バジリスク』なんかに殺されたりしない。確かに、『バジリスク』が
だから聞こえるはずだ。見えるはずだ。あの子の声を、姿を。
あの綺麗な声を、私が聞き逃すはずがない。あの何よりも綺麗な姿を、私が見逃すはずがない。私はいつだって、あの子の隣にいたのだから。
そして……私は彼女をすぐに見つけることが出来た。
暗闇の向こうに私は見た。まるで死んだように倒れ伏すポッターとジネブラ・ウィーズリー。そして……巨大な蛇の前に佇む
そこには……見間違いようがない、白銀の髪が微かに光り輝いていた。
「ダリア……」
ああ……やっと見つけた。私の大切な友達。
小さい頃からずっと憧れていた……私を救ってくれた大好きな友達。
私は噛みしめるように足を進める。
倒れ伏すポッターやウィーズリーの妹なんて気にもかけない。彼らが何故倒れているのかなど、どうでもいい問題だ。死んだように横たわる『バジリスク』も、今は問題にはならない。私の予想通り、ダリアが『バジリスク』を倒しただけのことだろう。唯一残された懸念は、本物の『継承者』がどこに行ったかという問題だけど、今の私にはそれを気にする余裕はなかった。
ダリアが生きてここにいる。その事実だけが、私の今最大の関心ごとだったのだ。
彼女の何よりも綺麗な髪を見てしまった私の心に、今まで抑えていた思いがあふれ出す。
ごめんね。ダリア。
深い後悔と罪悪感、そして愛情が心に満たされる。
ずっと……私は待つだけだった。ダリアが独りぼっちだと知っていたのに、私は決して自分から歩み寄ってはいなかった。いつだって、貴女が歩み寄るのを期待するだけだった。
友達なのに。友達に
ごめんね、ダリア。
私は心の中で謝罪を繰り返し、前に進む。
……辛かったよね。寂しかったよね。悲しかったよね。ダリアが何に悩んでいたのかは分からない。でも、ダリアが辛かったことだけは分かっていたの。それなのに私は、ダリアをずっと独りぼっちにしてしまった。方法なんていくらでもあったのに。私は色んな言い訳をするばかりで、結局あなたを助けようとなどしていなかった。
結局私は、貴女に嫌われることが恐ろしくて仕方がなかったのだ。
貴女の秘密を知っていると知られたくなかった。貴女が傷ついている時、貴女の悩みを理解していないと気づかれるのが怖かった。
だから逃げたのだ。それらしい言い訳ばかり並べ立てて、結局私は逃げていただけだったのだ。
貴女に嫌われることから。貴女のことより、私は貴方と一緒にいる自分を優先してしまった。
私は貴方との関係を気にするばかりで、貴女のことを考えてはいなかったのだ。
そんなの……友達とは言わないよね。ごめんね。ごめんね、ダリア。
でも、私はもう逃げないから。貴女を救う。だからもう、私は迷わないから。
たとえ卑怯だと言われても、私はもう迷わない。
たとえ貴女に嫌われたとしても、私は貴方が救いたい。今ならそう思える。
だから……お願い、もうこんなところで独りぼっちにはならないで。
「ダリア!」
私はそんな決意と共に、ダリアに話しかけた。