ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス   作:オリゴデンドロサイト

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優しい怪物(後編)

 

 ダリア視点

 

何故ダフネがここまで怒り狂っているのか分からない。この反応は、私の理解の範疇をあまりにも超えるものだったのだ。私の予想としては、私の残りの秘密を聞いたのだ、『闇』に触れたことのないダフネなら必ず何かしらの恐怖感を覚えるものだと思っていたし、それが()()()()()()思っていた。

しかし実際のダフネの反応は恐怖ではなく……理由も分からない怒りだった。これがダフネを騙し、無自覚に私という怪物を傍に居させ続けたことに対しての怒りだったのであれば、私にだって理解できた。でも彼女の放つ言葉の数々は……どうもそういうわけではないように()()()()()。彼女の怒りが何に対してのものなのか、私には理解できなかった。

 

しかし彼女の反応が予想外だったからといって、私がやるべきことが変わるわけではない。

私の秘密を知ったのに、彼女は少なくとも()()()()()()()()()()()()恐怖は感じていない。なら、彼女に再度恐怖を教え込むだけだ。彼女が恐怖を感じ切れていないのだって、きっとこれだけ言ってもまだ、彼女が事実を理解しきれていないからだろう。突然告げられた事実は、その全てが日常と乖離した悍ましいものばかりなのだから。だから私は、

 

「私はいずれ貴女達すら傷つけてしまう怪物です。それはどんなに優しい貴女が否定しようとも、決して覆らない事実なのです」

 

今度こそ直接的に私の傍にいる危険性を伝え、私という怪物から離れてもらおうとした。しかし彼女の反応は、

 

「だったら、今すぐ私を殺しなよ!」

 

……さらに予想外のものだった。

 

「私は貴方の秘密を全部知ったよ! 他でもない、貴女自身が全部話してくれたからね! どんなに私が馬鹿だって、貴女の言った秘密を言いふらすことくらいは出来るよ!」

 

何故か先程以上に怒りを燃え上がらせた様子で、ダフネは私に捲し立て続けた。

自分を今殺さねば上で私の秘密を言いふらすという、そんな()()を……。

 

……彼女の話が嘘であることは()()間違いない。彼女の話が本当であれば、彼女の声には怒りではなく恐怖が宿っているはずだ。それなのに彼女の声には、恐怖は微塵も含まれていないようにすら感じられた。ただ純粋に、対象が明確ではない怒りだけが含まれていた。

 

しかし……心の中の私が、そっと私自身に呟く。

本当に……彼女はただ怒っているだけなのだろうか? 本当は事実を理解していて、ただあまりのことに恐怖を通り越しただけなのではないのか? 

 

何より……私の悍ましさは、ダフネの優しさをもってしても受け止めきれるようなものなのか?

 

心の中にいる、私の最も恐れる私自身が続ける。その間にも、ゆるゆると私の杖腕が無意識に上がり続けていた。

 

私がいつものように現実逃避しているだけで、実際は彼女の怒りは私に向いているのではないのか?

怪物であることを隠し続けてきた私に……。

11年間も自分のことすら正しく認識していなかったのだ。そんな私が、どうしてダフネの感情を正しく理解できていると言えるのだろうか?

もしそうであるのなら、彼女が今言っていることも、実は本当のことではないのか?

 

危険な怪物を傍に置き続けていた私に復讐するために……。それを知りながら放置した、マルフォイ家を貶めるために……。

 

彼女は私の秘密を言いふらそうとしているのではないのか?

 

 

そんなはずがない!!

 

 

そこまで考え、私は今まで以上の激しい自己嫌悪感に襲われた。杖を上げるごとに頭痛すら感じ始める。

私は何て馬鹿なことを考えているのだろうか。そんなことがあるわけないではないか。ダフネは優しい子だ。今までずっと私なんかの傍に居続けてくれた、私がマルフォイ家と同じくらい信頼している子なのだ。私は()()()()()()()()、彼女のことを信用している。そんな彼女を、私はなんて愚かな想像で貶めようとしているのだ! 

 

「冗談は止めてください……。なんで……なんでそんなこと言うのですか?」

 

頭の中がぐちゃぐちゃだった。何もかもが間違っている、矛盾している。ダフネの言動に対する私の反応だって、酷く矛盾している。何故私はダフネが裏切らないと、こんなにも未だに確信しているのだろう。ダフネから離れなくてはと思っている私が……。

それに……今の状況はあの時と同じだ……。あの時、図書館でグレンジャーさんに魔法をかけようとした、あの時と……。

状況的には似ても似つかない。あの時は今とは違い、魔法をかけねばならない状況にあったし、何より相手はダフネとは違い、()()()()()()人間であるグレンジャーさんだった。

 

しかし、根本的な部分では同じだった。私は誰かを傷つける絶好の機会が訪れているというのに……一切楽しいとは思っていなかった。それどころか私は今回、ダフネに()()()()()()()()()出来なかった。私がグレンジャーさんを見捨てなければならない状況で、最後まで決して見捨てられなかったように……。

 

怪物であるはずの私が取るはずのない行動。

……私はより一層、自分という存在がよくわからなくなっていた。

 

「酷いです……。どうして、ダフネはそんな私を困らせるようなことを言うのですか? 貴女は私から離れないといけないのです……。私は怪物だから……。なのに……どうして分かってくれないのですか。なんで、私から黙って離れてくれないのですか……。貴女がそんなこと言わなければ、私はこんなに苦しまなくて済んだのに!」

 

もう何も理解できない。何も考えることが出来ない。どうすればいいのか、もう私には分からない。

胸が苦しい……。頭が割れそうに痛い……。全部……全部全部、ダフネが私に下らない冗談を言うから!

 

私は胸に感じるより一層強まった苦しみと、混乱のあまり割れそうなくらい痛む頭をどうすればいいか悩もうとして……一つの()()()()()()答えにたどり着いた。

 

……いや、どうすればいいかだけは分かっている。

 

混乱しきった思考の中、一つの答えに私は思い至る。

 

そうだ……私は何を悩んでいるのだろうか。

ダフネが何を考えているかは分からないが、私のやるべきことは一つだけだ。こんなに言ってもダフネが離れてくれないのなら、()()()離れればいいだけのことなのだ。それに、これは最後には必ず私がやるべきことだった。

……本当はこの手段を取りたくはなかった。やるなら、ダフネが去ってからにしようと思っていたのだ。そうでなければ、彼女にいらぬトラウマを植え付けてしまうかもしれないから。でも、もう私がとれる手段がこれしかないというのなら……。

 

私は今度こそ杖を構え、その先を()()()()()向けた。

 

「な、何をしているの?」

 

離れられないのなら、私から離れればいい。苦しいのなら、その元凶を消せばいい。

 

ダフネに杖を向けられないのなら、()()()()()()()()

 

「……さようなら、ダフネ。……アバダケダ、」

 

私の行動にダフネは驚きの声を上げているが、私は構わず呪文を唱えようとして、

 

「駄目!」

 

突然飛びついてきたダフネによって止められた。

私の手を抱きかかえるように絡みつくダフネが叫ぶ。

 

「何てことをしようとしているの、ダリア! そんなことしちゃ駄目だよ!」

 

「放してください! 私は、怪物を殺さなくてはいけないのです! 貴女達の傍に、これ以上怪物を置いておくわけには、」

 

「だから! 貴女は怪物なんかじゃない! そんなことしても、何の意味もないんだよ! ただ無駄にドラコを悲しませるだけだよ! 私だって、ダリアが死んじゃったら悲しいよ、許せないよ! 貴女に何かあったら、私は、」

 

尚何か言いつのろうとするダフネを、手袋を外している私は()()()()()()()()()()()()慎重に引き離す。そして、また私が少しでも不審な動きをしようものなら、再び飛びついてやると言わんばかりのダフネに対し、

 

「何故!」

 

私は睨みつけながら尋ねた。

 

「何故、貴女は私が怪物でないと言い切れるのですか!?」

 

何故貴女は私にありもしない救いを見せつけようとするのか……そんな憤りのような感情を感じながら。

たった一つの希望であった『バジリスク』は、ただの幻でしかなったのだ。もう、私を救えるものはどこにも居はしない。

 

「私は言いましたよね? 私の秘密を。こんな悍ましい怪物の話をされて、何故それでも貴女は私を『怪物』ではないって言い切れるのですか!? それに……」

 

私は先程ダフネが言った言葉を思い出す。

 

『貴女は間違っている! 貴女は絶対に私やドラコを傷つけない、殺さない! 貴女は怪物なんかじゃないんだから!』

 

あの時の言葉には、何故か確信が含まれているように感じられた。根拠になる事実など、どこにもありはしないはずなのに。

私はさらに視線を鋭くしながら叫ぶ。

 

「私が貴女やお兄様を傷つけない? 何故そんな適当なことを言うのですか!? 貴女はいったい、私の何を見て、そんな()()()()()()言っているのですか!?」

 

私の怒りすら含まれた叫び声。

邪魔しないでほしかった。私を怪物でないなんて()()()()言うくらいなら、寧ろ放っておいてほしかった。離れてほしかった。再び杖を自分に向けようにも、ダフネが飛びついてくる気満々な以上、彼女の安全のためにも行動を起こすことすら出来ない。私は今度こそどうすることも出来ず、ただ怒りのままに声を上げるしかなくなっていた。

 

しかし私の叫びを受けたダフネの反応は……またもや私が予想出来ないものだった。

 

何故かダフネはキョトンと驚いた表情をした後、ふっと口元を綻ばせながら応えたのだ。それは先程までの怒りや当惑といった表情ではなく、どこか慈愛に満ちた表情ですらあった。

そして彼女はまるで誰もが知っている常識を教えるような気軽さで言葉を紡ぎ始める。

 

「ダリア……貴女は本当に賢くて、勇気があって、それにどんな手段を使っても前に進むスリザリンらしい子だよ。だからこそ……だからこそ、貴女は今間違った結論にたどり着いているの」

 

私が自分の中の闇に囚われるあまり、決して見ようとしていなかった私のもう一つの一面を。

 

「賢すぎるから、勇気がありすぎるから、狡猾だからこそ、貴女は心の奥に入り込みすぎたんだと思う。決して自分の中の闇から逃げずに、()()()向き合い続けたからこそ、貴女はそこまで間違ってしまったの。その上貴女は優しいから……少しでも貴女の家族を貶める可能性があることに我慢できなかったんだろうね。でもね、ダリア。だからこそ、貴女は簡単な事実を見落としてる。でも私は馬鹿だから。だから気付くことが出来たんだよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダフネ視点

 

ダリアが自分に杖を向けた時はどうなることかと思ったけど、私が飛びついたことで一応()()は思いとどまってくれた様子だった。

 

よかった……ようやく少しは私の話を聞いてくれる気になったみたい。

 

でも油断は出来ない。何故ならダリアが思いとどまっている理由が、彼女の精神状態が回復したからではなく、再び飛びつかれたら()()危険だとでも彼女が思っているのが()()()想像に難くなかったから。

 

ここからが正念場だ。少しだけだったとしても、ダリアが私の話を聞く気になっているこのチャンスを逃すわけにはいかない。

私は必ず、ダリアをここから無事に連れ出してみせるのだ。

 

どんな手段を使っても。

 

私は困惑したような空気を醸し出すダリアにゆっくりと話し始める。

先程まで感じていた怒りを抑え、ダリアが少しでも安心できる表情を浮かべながら。

 

「ダリア……確かに貴女は何かを傷つけることに喜びを見出している()()()()()()。……それは私だって否定しない。ピクシーを殺していた時貴女は……()()()()楽しそうだったからね……。でも、()()()()()()。私は()()()()()()貴女を否定したりなんてしない。貴女は傷つけたり殺したりすることに喜びを見出していても、今まで人を殺したことは一度だってない。それに、貴女が殺しで理性を忘れるくらい()()()()思っている時はいつも、貴女の大切な人が傷つけられた時だけだった。貴女はいつも人を殺したいと思っているわけじゃない。そうでなくちゃ……」

 

そして私は少し笑いながら言い放った。

 

「そうでなくちゃ、ダンブルドアなんて何度も死んでると思うよ?」

 

……場の緊張をほぐすための、私なりの冗談だった。しかし当然のことながら、彼女はまったく反応を示さなかった。そんな余裕などないのだろう。

私はダリアが何の反応も示さないのを見て、少し残念な気持ちになりながらもすぐに話を続けた。

 

「ダリアは考えすぎているだけだよ。貴女は貴女自身ですら知らなかった一面に、過剰反応しているだけなんだよ。自分の知らなかった闇を見つめすぎて、それが起こすかもしれない可能性を考えすぎていただけ。貴女は絶対に私やドラコを傷つけない。それはさっき私に杖すら向けることが出来なかったことが証明している。他の人間だって、貴女は切欠がない限りは決して傷つけない。さっきも言ったけど、そうでないと今頃この学校は校長を含めて死人だらけだよ。今年は貴女を心底馬鹿馬鹿しい理由で追い詰めた連中ばっかりだから」

 

今年は……いや、今年だけではない。去年だって私が知らないだけで、ダリアが不快に思うこと、我慢できないことは山ほど起こったことだろう。主にダンブルドア関連のことで。

それなのに、ダリアはほとんど私の前でその殺人に対する憧れを見せることなどなかった。私が目撃したダリアが()()殺そうとしている場面なんて、ジネブラ・ウィーズリーの一件くらいのものだ。今年はともかく、去年だけならば私はずっとダリアと一緒にいたというのにだ。

 

「貴女はいつだって我慢できていたんだよ。人を殺したいと思っていたとしても、貴女はそれを普段は感じることすらなかった。そうでなきゃ、貴女みたいな賢い子が11年間気付かなかったなんてあるはずがないの。それに貴女が殺しを愉しむようになる切欠だって、いつも貴女にとって大切な人を傷つけられた時くらいのものだった。貴女の殺人への憧れは、いつだって貴女の優しさ故でしかないんだよ! 図書館でのウィーズリーに杖を向けた時だって、貴女は結局殺してはいない! だから貴女は人を殺したことはないし、これからだって殺すことはない! 貴女は人を殺したいと思っていると同時に、それが罪であることを知ってる! だって貴女はいつだって優しいから!」

 

私はただ事実を言っているだけだ。何も間違ったことを言っているつもりはない。

それなのに、これだけ言っても尚あまり反応を示さないダリアに業を煮やし、私の声が段々と大きなものとなってきていた。

 

「そんな貴女が怪物? 馬鹿なこと言わないでよ! 貴女は優しい子なんだよ!? どんなに貴女自身がそれを否定しても、それだけは絶対に変えられない事実なんだよ! 人殺しが楽しいと思っていたとしても、その切欠が貴女の優しさで、そしてそれを抑え込んでいたのも貴女の優しさであるのなら、それはただ人殺しに()()()()()()()()、ただの優しい女の子だよ! 怪物なんかじゃない!」

 

私は最後はあらん限りの声で叫んでしまっていたため、少し息を整える必要があった。そして女の子らしからぬ声でぜぇぜぇ言っている私に、ダリアがようやく口を開いた。

 

少しも納得した声などではなかったけど。

 

「……貴女に何が分かると言うのですか?」

 

ようやく反応を示したダリアの表情は、酷く冷たいものだった。

 

「貴女は私を優しいと言いましたね。怪物である私には最も程遠い、『優しい』などという評価を……。貴女は私の何を見てそんな愚かな評価を下したのですか? 貴女に私の何が分かると言うのですか? 一年しか私を見ていない貴女に……。何故たった1年間しか私と話していない貴女が、私より私のことを知っていると言えるのですか!?」

 

ダリアの言葉は間違っていない。彼女からしたら、私はたった一年前からの知り合いでしかないのだ。それなのに訳知り顔で自分のことを断言されれば、それは腹も立つだろう。自分のことを怪物だと()()()()()()()状態なら尚更だ。

 

でも私は、

 

「……知っていたよ。私が貴女のことを知っていたのは、たった1年の間のことじゃないよ。私はずっと昔から……組み分けで貴女と出会う前から、貴女のことを知っていたよ」

 

一方的なものではあるけど、たった一年前からの知り合いというわけではない。

 

これを話せば、少しはダリアも納得してくれるかな……

 

昔の自分に対する恥ずかしさから、今までダリアに隠し続けていたことを話すことにした。ダリアが自分の秘密を教えてくれたのだ。なら、私も自分の愚かさを話さなくては公平ではない。

それにダリアを説得できる可能性が少しでも上がるなら、私が多少恥ずかしい思いをすることなどどうでもいいことだ。

私は訝し気なダリアに、静かに語り始めた。ダリアも黙っていることから、少なくともこちらの話を聞く気はある様子だった。

 

「『組み分け』の時……私は貴女を見たこともないように振舞っていたけど……本当は私、ずっと前に貴女を見たことがあったの。6歳の『お茶会』の時に……。ごめんね……ダリア。私、貴女にずっと隠していたの。私は……当時本当に愚かな人間だったから。マグルやマグル生まれを殺せと平然と言ってしまうような……それも今思えば自分の寂しさを和らげるだけに言っているような……そんな信念も余裕もない、どうしようもないくらい愚かな人間だったの」

 

「……」

 

突然の話ということもあるが、今の私からは想像もできないこともあるのだろう。ダリアが()()()()()()()()でこちらを見つめている。当然だ。私は彼女の前で、昔の愚かな自分をひた隠しにしてきたのだから。

 

「私の両親は純血貴族の例に漏れず、自分の血に誇りを持っているの。それは今の私だって同じだけど、でも、当時の私はパパとママの愛をどうしても信じ切ることが出来なかった……。純血であるという誇りと私自身への愛が両立できるとは……あの時の私にはどうしても信じることが出来なかった……。だから私は、両親の私への愛が私が純血であるという、それだけの理由からくるものではないかと疑ってしまっていた。それだけでも十分愚かなのに……私はその寂しさを和らげるために、私を苦しめていた『純血主義』にのめり込むなんていうさらに愚かな選択肢を取ってしまったの。他人を見下すことで、自分の空虚な心を埋めようとしていたの。本当に……愚かだよね……。そんな愚かだった私を……貴女にだけは、本当は知られたくはなかった……だから、私は隠していたの……」

 

私はそこで今まで暗かった口調を変え、出来るだけ明るく聞こえるように続けた。

愚かな私の話は終わり、これから私の大切な恩人の話になるのだ。

 

「でもね、六歳の『お茶会』の時、私はそんな愚かな自分に向き合うことが出来た。自分の愚かな価値観を、見つめなおすことが出来た。貴女に出会ったから」

 

「……私に……ですか?」

 

困惑したような声を出すダリアに、私は早口に話し続けた。

ダリアに迷うだけの時間を与えてはいけない。

 

「そうだよ。といっても、私は貴女と話したわけではないのだけどね。遠目から貴女を見た私は、貴女を見て思ったの。なんて綺麗な子なんだろうかって。貴女はなんて美しい子なんだろうかって。純血筆頭の『マルフォイ家』だとかそんな理由ではなく、貴女個人はなんて輝いている人間なのだろうかって……。私は貴女を見た時、その時感じていた見当違いな寂しさなんて吹き飛んでしまったの。それくらい、私にとって貴女の存在は衝撃的だった。だから知りたかった。こんなにも綺麗な子はどんな人間なのか。貴女のキラキラした瞳は、一体何を見つめているのか。私はそれを知りたくて、貴女と話したくて仕方がなかった。……結局、大人たちが貴女に纏わりつくせいで話すことは出来なかったけど、それでも分かったことはいくつかあった。貴女は純血だからではなく、貴女だからこそ家族に愛されていること。そして……私が思った通り、貴女が信じられないくらい優しい女の子であること……」

 

当時私はたったの六歳。あの時はもう遥か昔の出来事。でも、今でも私の脳裏にはあの時の光景が焼き付いている。目を閉じれば、今でもあの『お茶会』を思い浮かべることが出来る。

 

「貴女は大人に囲まれたことに疲れて、ルシウスさんに休みたいって言っていたよね? あの『お茶会』は、貴女が主役だっていうのに。それなのに、貴女のお父さんはそれを許可した。貴女を純血としてしか見ていないなら、そんな対応はあり得ない。あの時のルシウスさんは、貴女をただ純粋に心配していた。貴女は純血だから愛されていたのではなく、ただ貴女自身だから、マルフォイ家の人たちに愛されていた」

 

「……ええ。その通りです。正確には私は純血ではありませんが……。マルフォイ家は、私に吸血鬼の血が流れているというのに、私を愛してくれた」

 

愛情あふれる言葉。慈愛すら感じられる呟きを漏らすダリアの無表情には……その声音とは裏腹に、どこか苦しさが浮かび上がっていた。

おそらく家族と一緒にいたいという思いと、家族から離れなければならないという()()()()認識との狭間で苦しんでいるのだろう。

 

そんなことで悩まなくてもいいというのに。

 

「そうだね。だからこそ、当時家族の愛情を信じ切ることが出来なかった私は、貴女により強い興味を持ったの。貴女からなら、私が心の奥で求め続けていた答えを得ることが出来る。そう思った私は、どうしても貴女と話したかった。なのに、貴女は大人たちと少しだけ話したら、すぐに引っ込んでしまったよね。私は我慢できなかったの。貴女と話せないまま『お茶会』を終わることなんて、どうしても耐えられなかった。だから……私は追いかけたの。会場を出た貴女を……」

 

「……そう言えばあの時」

 

どうやらダリアもあの時、誰かが自分を追いかけて会場を抜け出していることは覚えていたらしい。

 

「ごめんね……あの時勝手に家の中を歩き廻ったりして。ダリアも覚えていたんだね。うん、そうだよ。あの時、貴女を追いかけていたのは私だったんだ。私は貴女に隠れて追いかけていたことを気付かれてしまった。そこで観念して貴女に話しかければよかったんだろうけど、私も自分が悪いことをしている自覚はあったから逃げちゃった。でも……おかげで私は貴女のことを知ることは出来た」

 

私はあの時の光景を噛みしめるように続ける。

 

「貴女はあの時『屋敷しもべ』と話していたよね? それもすごく優し気に。貴女は彼のことを、本当の家族のように扱っていた。『屋敷しもべ』は普通害虫のように扱われるのが一般的なのに……マルフォイ家でもそれは同じことだっただろうに……貴女は決して彼をそんな風には扱ってはいなかった。それで私は知ることが出来たんだ……貴女はいつも冷たい無表情だけど、その内面は決して冷たくも、ましてや貴女の言う怪物なんかじゃないんだって。貴女は決して周りに流されない強い心と、どこまでも他者を労われる優しさを持っているんだって」

 

そう、あれこそが、私が彼女のことを知る切欠になった光景。おそらくあの場面を見ていなかったとしても、私は彼女の優しさにいずれは気が付けたことだろう。でもあれを見たからこそ、私は本当に彼女と出会ったその瞬間から、真っすぐに彼女の表情とは真逆の性質を見つめ続けることが出来たのだ。

 

私はあの『お茶会』からずっと、貴女の優しさに心奪われていた。

 

「あんなに『屋敷しもべ』に優しく出来る貴女が、優しい心を持っていないはずなんてない。私はずっと知っていたんだよ。1年前からではなく、ずっと昔、あの『お茶会』の時からずっと。だから貴女と一緒に過ごすことの出来たこの1年と少し、貴女の日々見せるちょっとした優しさを私は見逃したことなんてなかった。貴女はいつも、そっと他者を思いやり続けていたよ。家族であるドラコは勿論、家族ではない人間達のことも……。特にグレンジャーのことなんか……。と、とにかく、私はずっと前から貴女が優しいことを知っていたよ! 確かに貴女と話したことがあるのはホグワーツに入った時からだけだよ!? でも、貴女の優しさだけなら私は絶対に間違ったりしない!」

 

私は大声で言い切ると、これでどうだとダリアの方を睨みつける。

でも、ダリアはやはり強情だった。彼女は未だ揺れ動く声音で呟いた。

 

「……ドビーは私の家族です。家族に優しくするのは当然ではありませんか。私は決して、家族以外に優しくしたことなんて、」

 

「あるよ!」

 

暗く静かな『秘密の部屋』に、何度目かの叫び声が響き渡った。

 

「どうしてそんなに頑固なの! どうしてダリアは自分のことになると、そんなに自分を責め続けるの! 貴女が家族以外に優しくしたことなんてない!? そんなの、考えればいくらでもあるじゃない! 『屋敷しもべ』のことだけじゃないよ! 1年生の時なら、貴女は飛行訓練の授業でロングボトムを助けたじゃない! つい最近のことなら、貴女が殺そうとしたジネブラ・ウィーズリーを保健室まで運んであげたじゃない! そ、それに……グレンジャー……貴女はずっと彼女のことを助けてあげていた! トロールの時だけじゃない! 貴女はずっと彼女のことを陰ながら助けてあげていたじゃない!」

 

「ロングボトムの時は……正直()()()()()()()()でしたのであまり覚えていませんが……確かあの時は、お兄様の目の前で人が死ぬのはまずいと思っただけですよ。そこに転がっているウィーズリーを運んだのは、私が優しいからではありません。貴女が優しいからです。私は放っておいてもよかったのですが、ただ貴女が運ぶと言ったから運んだだけです。グレンジャーは……私は彼女を助けたことなど一度もありません……。ただ私が行動した結果、彼女が勝手に助かっているだけです。寧ろ私は、彼女を傷つけようとしたことすらある……」

 

何を思い出しているのかは分からないが、グレンジャーの時だけ酷く狼狽した態度のダリアに、

 

「なら私は!?」

 

絶対に否定できない事実を突きつけた。

 

「貴女はグレンジャーはともかく、私のことは絶対に助けてくれていた! 否定なんてさせないよ! 貴女が私とドラコから離れたあの日だって、貴女は私を助けてくれた! 自分のことを顧みずに! 自分に薬がかかることを厭わずに! 貴女は自分を犠牲にしてまで私を助けてくれたよ! あの時は咄嗟のことだったから、貴女が打算的な考えで私を助けたなんてことはあり得ない! 貴女は無意識に、私を助けることを選んでいたんだよ! ほら、貴女は他人を助けたことがあったじゃない! 私はマルフォイ家の人間ではないのに、貴女は助けてくれていたじゃない!」

 

まさかあの魔法薬学での出来事を持ち出されるとは思っていなかったのだろう。ダリアは少しの間戸惑うように口を開け閉めした後、絞り出すように何か言おうとした。

 

「だ、だって……貴女は……貴女だから……。マ、マルフォイ家ではないけれど……貴女は……わ、わたしの……」

 

言葉にならない、ただの独白のような呟き声。

 

でもそれは紛れもなく、他者を遠ざけなければならないと思い続けていた彼女の心の鎧に、ひびが入っている音だった。

 

やっと……私の言葉がダリアの本音を、心の奥底にあった本当の望みを引き出せた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

「何!? はっきり言ってくれないと分からないよ!?」

 

私の口から漏れ出す言葉に、ダフネがまるで食いつくような勢いで尋ねてくる。

でも、私にはそんなダフネの態度を気にしている余裕などなかった。

畳みかけるようにかけられる言葉の数々に、私の思考はどんどん混乱していたのだ。

まるで私が今まで否定し続けていたものを暴き出すような言葉の数々。『闇の帝王』の言葉のように、私を傷つけるものではなかったけど、私を混乱させるには十分な言葉の数々だったのだ。

 

私は……『怪物』であるはずなのに……。私は……マルフォイ家の人間ではないのに……。綺麗なマルフォイ家を穢してしまう、汚い存在なのに……。

激しくも温かい言葉の数々。それは人間であることを諦めきっていた私には、寧ろ苦しいものであったはずなのに……どうして……。

 

そして混乱する思考の中、私は遂に言ってしまったのだ。

 

私がダフネには絶対に言ってはいけなかった言葉を。

ホグワーツに入ってからずっと、私が我慢し続けていた言葉を。

 

「あ、貴女は……私の家族ではないけど……。私は貴女のことが……()()()()()()……。だから……」

 

口から漏れ出した無意識の言葉。私はすぐにそれに気づき、咄嗟に口を閉じる。

 

私は今なんと言った!?

なんて愚かなことを私は!

 

激しい後悔が私を襲い、私は唇を嚙むように口を閉ざした。これ以上、私が()()を言ってしまわないように。

 

でも、もう遅かった……。

もう解き放ってしまった言葉は、決して戻ってはこないのだから。

 

「ダリア……やっと言ってくれたね……」

 

私が余計なことを言ってしまったばっかりに、ダフネの表情がみるみる温かなものになってゆく。

 

幸福そうな、私のいつまでも見ていたい程()()()()、見ていていつも苦しくなるほど()()()()()笑顔へと変わってゆく。

 

ダフネが私のことを好いてくれていることは知っていた。でも、私は彼女を近づけてはいけなかった。好きになってはいけなかった。好きになられてはいけなかった。

彼女から秘密を守るために。彼女を、()()()()()()守るために。

 

でも、私は言ってしまった。秘密と……そして私のあってはならない思いを……。

 

「い、今のは忘れてくだ、」

 

私はこんなことをしても意味はないと気が付いていながら、すぐに先程の言葉を否定しようとする。あんな言葉を言ってしまったら、ダフネにいらぬ期待を持たせてしまうと思ったから。私は決して誰にも近づいてはならないのに、あんな言葉を言ってしまったら、いざという時彼女にも、私と同じ苦しみを与えてしまうかもしれないのだから。

でも、

 

「ううん。絶対に忘れないよ」

 

私が与えてしまったダフネの微笑みは、決して消えることはなかった。

ダフネはゆっくりと、混乱する私を鎮めるように静かな声を紡ぎだす。

 

その声に私は……いけないことだと()()()()()()()、どうしようもなく惹かれてしまっていた。

あふれ出してしまった思いを、再び自分の中に押し込もうとしているのに……口を閉ざしたとしても、思いはどこまでもダフネの言葉を求め続けていた。

 

苦しいのに、苦しかったのに、苦しくなければいけないのに。私はどうして、こんなにも彼女の言葉に耳を傾けてしまっているのだろうか。

 

「私ね、白状すると少しだけ不安だったんだ。貴女が私のことを、本当は何とも思ってはいないんじゃないかって。でも……ようやく言ってくれたね。だから何度だって言ってあげる。もういい……もういいんだよ、ダリア」

 

そこに救いなんてないはずなのに。もう、私にはどこにも居場所なんてないはずなのに。

私はどうしようもなく、ダフネの言葉が温かく感じられていた。

 

その温かみは私をどうしようもなく傷つけるのに、私は決してそれから耳を離せなかった。

それは……彼女がもう私の秘密の全てを知っていると、知っても尚私に優しくしようとしていると、私が心のどこかで安心して()()()()()()からなのだろうか。

 

「私が貴女にずっと言ってきた通り、貴女は怪物なんかじゃない。そして私は、もう貴女の秘密を知ってしまった。だからもう、貴女は私を遠ざける必要なんてないんだよ。貴女は私を傷つけない。貴女は私のことを大切だと思ってくれているんだから。それに、私は貴女の秘密を知っても、少しも貴女のことを怖いなんて思ってはいないんだから」

 

私が自分のことをひた隠しにしてきた理由。

それをダフネは、一つ一つ私の逃げ道をなくしていくように、噛みしめるように、私を言いくるめるように話し続ける。

 

「だからね、ダリア。もう、一人になる必要なんてないんだよ。貴女は自分のことを、独りにならなければならない怪物だって思う必要はないの」

 

ダフネはそう言い終えると、じっと私の顔を窺ってくる。そして私の無表情から、いつものように私の感情を読み取ってしまったのか、

 

「まだ……自分のことを信じられない?」

 

困ったように、まるで幼い子供の駄々を見つめる母親のように。私にそっと尋ねてきた。

ダフネの私を心配してくれる、私の大好きだった表情。どんな表情をしているダフネも大好きだが、この表情は私の特に好きな表情だった。

 

彼女が私にそっと寄り添ってくれていると、どこか安心できるから……。

 

しかしそんな表情を向けられようとも、

 

「自分を信じることなんて……出来るはずがないではありませんか……」

 

当然、私が自分を信じられるはずなどなかった。信じていいはずがなかった。

彼女の言い分は、彼女が優しいからこそ成り立つ暴論だ。私が今彼女に上手く反論しきれないのだって、私がどうしようもなく混乱しきっているからだ。本当のマルフォイ家でない私に、何の罪も異常性もないなんてことはあり得ない。それに、

 

「貴女はジネブラ・ウィーズリーを私は殺さなかっただろうって言っていましたね? でも、私はあの時、本当に人を殺すことについて一切の躊躇いなどなかった。たとえ貴女の言う通り、私が家族や貴女のような大切なひ……か、家族を傷つける存在ではなかったとしても、私はいつか絶対に人を殺してしまう存在です。そうなれば……私はもう、人ではなくなってしまう。家族に大切だと言ってもらえるような存在ではなくなってしまう……。私は、今度こそ家族に迷惑をかけてしまう……」

 

彼女の先程の発言には、今の混乱している私にですら確実に間違っていると言える箇所があった。

あの時の私は、完全に無意識に行動していた。いつも抱えているような殺人に対する忌避感は存在せず、私は人を殺すことが当然のことであるかのように感じていたのだ。

 

あれこそが……私の異常性の全てを表しているものだった。

私が人間ではなく怪物である理由。私が大切な人と一緒にいてはいけない原因。

 

しかし、そんな私の渾身の反論に対するダフネの反応は、酷くあっけらかんとしたものだった。

 

「正直な話ね。私はそこのウィーズリーやポッターも含めて、今上にいるドラコ以外の人間なんて()()()()()()()()()()()()のだけど……。でも……貴女が言う通り、あの時人を殺すことに何のためらいがなかったとしても、貴女は決して人を殺すことはないと思うよ。それに、もし万が一貴女があのままウィーズリーを殺していたのだとしたら……それこそ私やドラコから離れてはいけないよ。私達なら、貴女を止めることだって出来るんだから」

 

先程以上に酷い暴論だ。私の悩みも苦しみも、彼女はただ私を信頼しているということだけで切って捨てたのだ。

私の中には……どこにも信じられるところなんてないというのに。

私の全てが嘘と秘密で出来たものだ。体も嘘。心も嘘。私はずっとダフネに嘘をつき、自分の悍ましい真実を隠し続けてきたというのに。

 

なのに……何故か彼女は私の全てが嘘だったと知り、私の汚らしい真実を知っても尚、いつまでも私を信じると言い続けるのだ。

そんなこと、私には到底できない。

 

「……何故、そんな風に私を信じていられるのですか? 何故、そこまで私に自分を信じろと言えるのですか?」

 

私は思わずダフネに、まるで縋りつくような声を上げていた。

今まで感じていた激しい罪悪感とは違う、何か不安のような、それとも期待のようなよく分からない感情に突き動かされ、私は声を張り上げていた。

 

「私は11年間ずっと、自分が怪物であるということさえ気づけなかったのですよ!? そんな自分を、どうやって信じられるというのですか!? 私のどこに、信じられる要素があると言うのですか!?」

 

彼女が何を言おうとも、この事実は変わらない。私は自身のことを、あの鏡を見るまでまるで理解などしていなかったし、今でも理解などしていない。そんな私自身を、私はどうしても信じることなどできない。

そんな私の叫びを受けとめたのは、相変わらずの優しい微笑だった。

 

「……ダリア。自分のことを自分一人で理解できる人間なんて、この世界にはいないと思うよ。昔の私もそうだった。自分一人で自分自身の闇から逃げ出そうとして、結局逃げるどころか取り込まれかけてしまった。それを助けてくれたのが貴女だった……。結局ね、自分の中の闇は、自分一人では照らすことが出来ないんだと思う。答えを示してくれる誰かの存在を感じることで、私達は初めて自分の闇に立ち向かえるんだよ。貴女はずっと独りで答えを探し続けてきた。それこそ家族にすら頼らずに。貴女は頑張り屋だとは思う。とても勇気のある子だと思う。でも……それじゃ駄目だったんだよ。貴女がどんなに賢くても、一人では、決して照らし出せない闇もあるんだよ。貴女が自分のことを知らなかったのだって仕方がなかったんだよ。だからね……少しは妥協してもいいんだよ? 自分を許してもいいんだよ? 自分のことを知らなかったからといって、自分を責め続ける必要なんてないんだよ?」

 

そして私にそっと手を伸ばしながら、

 

「今からは、私が一緒に闇を照らしてあげる。多分、上で貴女を待ってくれているドラコだって同じだよ。貴女はもう一人で闇に立ち向かう必要なんてない。だからね……少しは自分を信じてもいいんだよ?」

 

ダフネは私が手を伸ばし返すのを待ち続けていた。

しかし当然のことながら、私は手を伸ばせるはずがない。突然そんなこと言われても、『はいそうですか』と言って自分を信じられるはずがない。

 

マルフォイ家ではないのにも関わらず、無自覚にマルフォイ家を穢し続けていた私を、私は絶対に許すことが出来ないのだから。

 

「これだけ言っても……駄目?」

 

「……駄目です。私には……出来ない」

 

一向に手を伸ばさない私に業を煮やしたのか、困ったような表情で問いかけるダフネに、私は拒絶の言葉を吐いた。

出来るはずがない。ダフネが何と言おうと、私は自分を信じることなど決して出来ない。

結果、私はただ項垂れることしか出来なくなった。

 

マルフォイ家唯一の汚点を消すことも出来ず、だからと言ってダフネの言うように自分を信じることが出来るはずもなく、私はただ何をするでもなく地面を見つめ続ける。水面に映る、マルフォイ家の人間とは似ても似つかない怪物を見つめ続ける。

 

でも、私は今までで一番衝撃的で、一番狡猾な言葉で顔を上げることとなった。

 

ダフネはしばらくの間私を見つめた後、

 

 

 

 

「だったら……私のことを信じてよ」

 

 

 

 

絶対に見過ごせないことを言ったから。

 

「貴女が自分のことを信じられないのは分かった。確かに今までずっと責め続けていたものを、すぐに信じろと言うのも酷な話だとは思う。でもそれなら……自分のことを信じられないのなら、私のことを信じてよ」

 

ノロノロと顔を上げる私に、ダフネは朗々と続ける。

 

「貴女はさっき、私に杖を向けることさえ出来なかった。それに、さっき貴女は私のことを大好きだって言ってくれた……。ありがとうね……。私、本当に嬉しい。今私、本当に幸せだよ。だからね、今度は私がお返しする番。貴女に与えられた恩を、今度は私が貴女に返す番。ダリアがそこまで言うのなら、()()()()自分のことを信じなくてもいい。だから……お願い……私のことを少しでも好きだと……さっきの貴女の秘密を言うといった嘘を見抜くくらいに私を信じてくれるなら……貴女がただの優しい女の子で、貴女が私やドラコから離れる必要ないっていう私の言葉を信じてよ。私が傍に居ていいということを信じてよ」

 

それは酷く優しくて、同時に……酷く狡猾な言葉だった。

そんなこと……そんなことを言われてしまったら……。

 

「……ずるい。ずるいです……」

 

信じる以外、私に選択肢はないではないか!

 

「ずるいずるい! どうしてそんなこと私に言うのですか!?」

 

私は狼狽した声で喚き散らした。

 

「そんなこと言われたら、私は信じるしかないではないですか!? こんな私とずっと一緒にいてくれた貴女のことを、私が否定出来るはずがないではないですか!? 貴女は本当に狡猾で……どこまで……優しい子なんですか!」

 

ダフネを信じないということは、ダフネが私に復讐しようとしていると認めてしまうことと同義だ。それならば、私はダフネを()()()()()()()()()()()()。そんなこと、私に出来るはずがない。

今までずっと私と一緒にいてくれたダフネ。私の秘密に気付きながら、それでも私をそっと見守ってくれたダフネ。秘密を知っても尚、私にこんな温かい言葉をかけ続けてくれるダフネ。

 

私が……信じないなんて言うことが出来るはずがない。ダフネをこれ以上、私の心の卑しさで貶められるはずがない!

 

しかしそれでも尚、私は信じていないと()()()()()言わないといけないのは分かっている。でも、それでも私は……彼女に杖を向けられなかったように、彼女を否定する言葉を言うことさえ出来なくなっていた。

 

私の心の奥底に、ピシリ、ピシリと何かにひびが入っていく音がする。

今までずっと抑え続けていた何かが、心の奥底に決して見ないように抑え込んでいた何かがあふれ出し始めている。

 

理性を得体のしれない感情が凌駕する。

 

自分のため、そして何より家族のために秘密を守り続ける。大切な人を守るため、自分という存在を人から遠ざける。

そんな今まで義務だとすら思っていたことに、私は今まで以上の強い苦しみを感じ始める。

 

自分を信じられないけど、ダフネのことなら信じざるを得ない私に、ダフネが追い打ちのように声をかけてくる。

 

「ダリア……お願い、もう一度言って。私は貴女のことが大好きだよ。貴女の無表情でも豊かな表情が好き。貴女の賢いけど、自分のことになると途端に不器用なるところが好き。……貴女の優しい心が好き。だから、私にも言って。貴女が私の傍に居てくれるって。決して、一人になんてならないって。その思いをもう一度私に教えて……」

 

否定しなければならない。遠ざけなければならない。信じてはならない。そして……好きになってはならない。

そう私は必死にあふれ出す自分自身を押し込めようとするが、

 

「……好きです……」

 

一気にあふれ始めた思いを、もう止めることなど出来なかった。

理性とは裏腹に、私の言葉は感情にまみれていた。

 

口から……心から、私の本当の思いがあふれ出す。

 

去年からずっと隠していた、ダフネへの思いが。

 

「貴女のことが好きなんです……。私はずっと、貴女と友達になりたかったんです……。私とずっと一緒にいてくれて、心配してくれていた貴女のことが大好きなんです……。家族じゃなかったとしても、貴女と一緒にいたかったんです……。だから……」

 

そして、私はついに言ってしまった。

 

「私を傍に居させてください……。私を、貴女の友達にしてください……。私を……見捨てないで……」

 

……私の罪が、また一つ増えた。それも今までで一番大きな罪が。

ダフネのことを信じたとしても、私のことを信じられたわけではない。私が怪物であるという事実が変わったわけではない。大切な人を傷つけるはずがないという、ダフネの言葉を完全に鵜吞みにしたわけではない。

でも、それでも、私はもうダフネから離れる選択肢さえも取れなくなってしまった。

 

私は……遂に果たすべき義務からすら逃げ出してしまった。

 

ああ……私はなんて愚かなのだろう……。

 

今までずっと、かろうじて踏みとどまっていたというのに。この選択を切り捨てきれなかったからこそ、私はこんなにも苦しい思いをしてしまい、これから大切な人を傷つけてしまうかもしれないのに、私は完全に道を踏み誤ってしまったのだ。

 

何より救いようがないのは……間違った選択をしてしまったのに……私がどこか後悔しきれていないということだった。

 

義務から逃げ出したというのに……怪物を殺すことから逃げ出したというのに……私は何故、こんなにも苦しさと同時に、嬉しさに満ちた感情を持ってしまっているのだろう。

 

「うん……。うん! 勿論だよ! 私はこれからも、それにこれまでだって、ずっと友達だよ!」

 

ダフネの瞳から、彼女の優しい涙があふれ出す。その涙に、私は余計心が締め付けられる。

 

あぁ、この痛みはきっと私への罰なのだ。

優しいダフネに、言ってはならないことを言ってしまったことへの。ダフネと一緒にいるという……心底無責任な選択を選んでしまった私への……。

私はこの痛みを、これからずっと感じ続けていかなければならないのだ。

 

そう後悔しているのに、私は何故か、この痛みすら愛おしいと感じていた。

 

薄暗く、どこまでも闇に包まれていたはずの『秘密の部屋』に、ただダフネの嗚咽だけが響き続ける。

言葉はお互いにない。何を話せばいいのか、お互い分からない。ダフネは止めどなく流れる涙を拭くのに忙しく、私は私でダフネにどんな言葉を掛ければいいのか分からない。

 

結果、私が発した言葉は、

 

「ダフネ……泣いているのですか?」

 

そんな見れば誰でも分かるような頓珍漢なものだった。私はやはりどうしようもなく愚かだ。

ダフネは涙を流しながらも少し笑った後、

 

「嬉しいの……。嬉しくて仕方がないから、涙が出て止まらないの……」

 

再びローブで自分の瞼を拭く作業に戻って行ってしまった。

僅かに見える彼女の頬が赤いことから、少し恥ずかしい気持ちもあるのだろう。

 

「本当に貴女は……」

 

私は先程までの激しさとは真逆の対応を示すダフネに苦笑しつつ、思わず手を伸ばし……止めた。

去年の学年度末パーティーの時のように。今年の『魔法薬学』の直前、『継承者』と疑われた私に涙してくれた時のように。

 

あの時の私は、決して彼女に触れることなど出来なかった。彼女に近づいてはならないと、私は決して彼女を慰めることすら出来なかった。

 

でも、今は……。

 

いけないことだとは分かっている。

でも……後悔したっていい。苦しくなってもいい。

こんなにも近づいてしまったのだ。それならもう……ここで我慢する必要があるのだろうか。

勿論答えは必要あるだ。私が怪物ではなくなったわけではないのだから。

 

でも、今だけは……。今だけは、この感情に従ってみたい。

 

ごめんね……ダフネ……。

 

私は心の中でダフネに謝りながら、そっと今まで触れることすら出来なかった彼女の頭に手を置き、

 

「あぁ……。やっと……貴女に触れた……」

 

ハッと見上げたダフネの瞳を直視した。

そこには昔から少しも変わらぬ私への愛しみと……いつもの無表情ではなく、後悔しているはずなのに、何故か()()()()()()()()()()私の顔が映りこんでいた。

 




百合ではありません。友情です。

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