ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ハリー視点
話しかけられると思ってもいなかったのか、どこかギョッとした表情を浮かべるルシウス・マルフォイ。変わらず無表情のままのダリア・マルフォイの横から、僕に食ってかかるように大声を出す。
「何故ここで私と……ダリアの名前が挙がるのだ? 馬鹿な小娘がどうやって日記を手に入れたかなど、私とダリアが知るわけがなかろう!」
「いいえ。貴方は知っているはずだ。だってジニーに日記を与えたのは……
効果はルシウス氏に関して
「ジニーはウィーズリーおばさんの準備していた本の山に、日記が最初から入っていたと言いました。でも、ウィーズリー家がそんな品を持っているはずがない。あるとすれば、ジニーが本を買う段階で紛れ込むくらいしか、ジニーが日記を手にする機会なんてないはずです。そしてフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で出会ったのが……貴方だ。貴方が日記をジニーの持っていた鍋に紛れ込ませたんだ」
僕は声高にルシウス氏に言いつのる。怒りをぶつけるように。ジニーがこれ以上、自分を責めなくて済むように、僕は声を張り上げて本当に罰せられるべき人間
でも、
「……何を言うのかと思えば。君は何を馬鹿なことを言っておるのだ? よしんば書店で私と出会ったとして、何故私が犯人だということになるのか理解出来ん。そもそも本当に書店で日記が紛れ込んだかも分らぬ上に、私以外にも書店には大勢いた。言いがかりにも程があるぞ、ポッター」
「そ、それは……」
表情こそ慌てたものになっているものの、ルシウス氏に僕の言葉が届くことはなかった。
それどころか、僕の攻勢は早々に途絶えてしまうことになる。
だって、僕がルシウス氏とダリア・マルフォイの犯行だと確信した理由を言ってしまえば……。
僕はダリア・マルフォイの陰にソロリソロリと移動するドビーを見つめながら、これ以上何も言えなくなってしまった。
僕が言葉に詰まったとみるや、ルシウス氏は畳みかけるように話し始める。
「……ふん。それ見たことか。所詮は子供の癇癪か。ポッター。よしんば日記がウィーズリーの持ち物でなかったとしても、それを私の仕業だと言い張るのは無理があると思うがね。
「ダンブルドアを侮辱するな! 校長は、お前みたいな奴が侮辱していいような人じゃない!」
こいつが犯人だという確信、そして決定的な
本当に嫌な奴らだ! こんな奴ら、絶対に許すわけにはいかない!
頭に血が上ってしまった僕は、のらりくらりとかわし続けるルシウスの代わりに、もう一人の罪人に目標を変えることにした。
もう一人の容疑者であるダリア・マルフォイに。『継承者』でなかったとしても、やはり事件には無関係ではなかった罪人に。
「それにルシウス・マルフォイ、罪を犯したのは貴方だけじゃない! ダリア・マルフォイ、君は確かに『継承者』ではなかったけど、今回の事件に無関係だったわけではないのだろう!?」
「……」
答えはなかった。彼女はいつも通り一切表情を変えず、僕を無表情に眺めている。僕が糾弾しているというのに、こちらに何の興味も示していないかのような無表情。反応したのはどちらかと言えば彼女ではなく、彼女の周りにいる人間達だけだった。グリーングラスはただ蔑んだような表情に変わり、ルシウス氏も同様の表情に変わっている。
そんな中、ドビーだけはただでさえ大きな瞳を見開きながら、
「ち、違います! ダ、ダリアお嬢様は……」
と小さな声で何か言いかけたが、すぐさま自分を罰するように耳をひねり始めていた。
期待していた反応が返ってこずイラつく僕に、しびれを切らしたのはマクゴナガル先生だった。
「ポッター、どういうことなのです?」
マクゴナガル先生の問いに、僕は必死に裾を引っ張るハーマイオニーに構う余裕もなく続けた。
「……僕が『秘密の部屋』に入った時、彼女はトムと何か話していました。何を話していたのかは、支離滅裂でよく分かりませんでしたが、確かに何かトムと話していたんです! それに僕が『バジリスク』を剣で倒した後も、彼女は僕を気絶させたんです! ダリア・マルフォイ! 君はあの時、僕が『武装解除』したから呪文をかけたって言ったけど、本当は何をしていたんだ!? あの時は君を『継承者』だと疑っていたことを悪く思っていたから追求しなかったけど、今は違う! 君の父親が今回の事件を手引きしていたのなら、君が無関係なはずがない! 君は余りにも不可解な行動が多すぎた! それにグリーングラス、君もだ! 君はハーマイオニーやロンを気絶させてまで『秘密の部屋』に来た! ジニーを助けるために来た二人をだ! 一体何の目的があったんだ!? 答えろ! ダリア・マルフォイ! ダフネ・グリーングラス!」
「……」
今度こそは言い逃れすることは出来ない
しかし、ルシウス・マルフォイの時と同様、僕の必死な糾弾は通じることはなかった。相変わらず馬鹿にしきったような表情のグリーングラスが何か言う前に、ルシウス氏の方を一瞬見上げていたダリア・マルフォイが口を開く。
無表情ながら、その声音は言い逃れをするものではなく、寧ろどこか僕を挑発するような響きを持っていた。
……僕がルシウス氏への怒りを
「……『秘密の部屋』で言った通りですよ。貴方はそんなことすら忘れてしまったのですか? 貴方に呪文をかけられたので、貴方が敵であると誤認してしまっただけです。ダフネだって、貴方のお友達達と同じ動機で来ただけですよ。『継承者』に私が攫われたと思って助けに来てくれた。責められる理由などどこにもない。優しい彼女を否定することなど、絶対にあってはならない。……それと、私が何か『継承者』と話していたと仰いますが、それがどうしたというのですか? 貴方には関係ないことです。『継承者』の戯言を信じるなんてどうかしています。最後に……貴方が寝ている間に何をしていたかですか? それこそ、何故あなた如きに話さないといけないのですか? それに、私が何か言ったところで、
淡々とした物言いでありながら、どこまでも僕の神経を逆なでする言い方だった。
頻りに頷くグリーングラスを横目に、ダリア・マルフォイはダンブルドアを睨みつけてから続ける。
「本当に愚かですね、ポッター。証拠もないのに騒ぎ立てる貴方は、実に滑稽です。それとも、何か証明できるものがあるというのですか? そんなもの、絶対にありはしないでしょうけど」
僕は煽るように話すダリア・マルフォイに反論したくても……実際は悔しさのあまり俯くことしか出来なかった。
……証拠ならあるのに。フォークスの見たであろう光景だけではない、さらに確固たる証拠が……。
僕はドビーがルシウス氏の傍に控えている光景を見た瞬間、
ドビーは僕の元に現れた時に言っていた。
『これはご主人様を裏切る行為です! ご主人様だけではございません! ドビーめを大切に扱ってくださる
それは紛れもなく、ドビーの主人とお嬢様とやらが今回の事件に関わっている決定的な証拠だった。ドビーがマルフォイの『屋敷しもべ妖精』であるのなら、ルシウス・マルフォイは勿論のこと、ダリア・マルフォイも何かしらの形で今回の事件に関わっている可能性があるのだ。
『継承者』ではなかったとしても、彼女は今回の事件を裏で手引きしたもっと許されない人間だった。
でもそれが分かっていたとしても……僕はドビーのことを言うわけにはいかない。
ドビーが僕のもとに来たことを言えば、ここでダリア・マルフォイ達の犯行を裏付けることが容易になることは間違いない。僕と……そして
でも、それは出来なかった。
何故なら……ドビーがダリア・マルフォイ達の犯行を証言してしまえば、その先ドビーは無事に過ごすことが出来ないだろうから。
ドビーはきっと……殺されてしまうことだろう。ダリア・マルフォイによって……証拠隠滅のために。人だって笑顔で殺そうとするような奴だ。ドビーだって、彼女は
なら、ドビーの発言をもってダリア・マルフォイの犯行を証明するわけにはいかない。ドビーには散々迷惑をかけられてしまったけど、それらは全て僕を思ってのことでもある。ドビーが犠牲になるようなことを出来るはずがない。
彼が
僕はやはり何も言えなくなってしまい……血が滲むほど固く拳を握るしかなくなった。フォークスのことだって、ダンブルドアにはどうにかすることが出来るかもしれないというだけで、実際はどうにも出来ない可能性すらある。
結果、僕は悔しくともただ睨みつけることしか出来なかった。
そんな僕に声をかけたのは、
「あぁ、ダリア。そなたの言う通り、誰も証明できんじゃろぅ」
やはりダンブルドアだった。
ダンブルドアは僕の方に微笑みながら口を開いた。
僕を優しく包み込む、あのいつも僕を導いてくれる声音で。
ダフネ視点
私の目の前では、酷く不愉快な茶番劇が繰り広げられている。
白々しくて、愚かで、下らない……そんな見るに堪えない茶番が。
「トムが日記から消え去った今、この日記が誰によってジニー・ウィーズリーの手元に置かれ……そして誰によってトムの犯行が
ダンブルドアはルシウス氏と……視界の端に
ルシウス氏のみに対する言葉とは裏腹に……ダンブルドアはどこまでも
「ルシウスよ……。今回はこれ以上追求せぬが、ヴォルデモート卿の学用品をバラまくのは止めることじゃ。もしこれ以上罪を犯すと言うのであれば、必ずや君の毛嫌いするアーサー・ウィーズリーが、君を真っ先に捕まえに行くことじゃろぅ」
「……」
……何なのだろうこの光景は。私は段々と冷たくなっていく思考で、このどうしようもなく馬鹿馬鹿しい茶番劇を眺めていた。自然とダリアの手を握る力が強くなる。
確かに、ルシウス氏の今の表情はお世辞にも無罪と思えるものではない。ダンブルドアの視線に立ちすくみ、ダリアの方をチラチラと青ざめた表情で見やっているのは、どう考えてもやましいことがないというわけではなさそうだった。もし本当にルシウス氏が『秘密の部屋』を開く手引きをしたのなら、それはダリアが追い詰められる原因を作ったのは、他ならぬルシウス氏だったということになる。
それはそれでダリアが可哀想で仕方がなく、ルシウス氏に自覚があったとしても絶対に許せないことではあるのだけど……私はそれ以上に、このどうしようもなくダリアへの行いを無視した光景に腹が立っていたのだ。
証拠がない状況でダリアを疑っていたくせに、今度は証拠がないのにルシウス氏どころか……ダリアさえも容疑者と訴えるポッターを信じる。こんな馬鹿な話があっていいはずがない。そんなの不公平だ。ダリアを一体なんだと思っているのだ。
言及こそしていないけど、ダリアのことに関してもポッターの意見を鵜呑みにしている様子のダンブルドア。そのダンブルドアの意見をさらに鵜呑みにするマクゴナガル先生とウィーズリー夫妻。夫妻と同じくルシウス氏とダリア、そして私を睨みつける
私はこの部屋の中を構成する全ての物が、どうしようもなく穢れたものに見えて仕方がなかった。でも、反論してもどうせ聞き届けられない上に、余計なことを言ってしまえばさらにダリアを追い詰めることになってしまう可能性がある。黙って馬鹿どもの話を聞かないといけない空間に、私は息をすることすら不快に思えて仕方がなかった。黙って出て行ってもよかったのだけど、それでも未だにこの部屋に踏みとどまっているのは、一番つらい思いをしているだろうダリアをここに置いていくわけにはいかないという思いからだった。
怒りを通り越して何も言えなくなっている私を横目に、ダンブルドアは顔面蒼白なルシウス氏から視線を逸らしながら話す。
「さて、事件はこれで全て解決したようじゃのう。タイミングがいいことに、先程マンドレイクから造られた薬も完成したとの連絡もあってのう。これで更に
ポッターと愉快な仲間達に向き直りながら、老害は
「グレンジャーさんは別じゃが、二人にはこれ以上校則を破るようなら退学にすると言うたのう……それは撤回じゃ。君達は本当によくやってくれた。
「さて、ここまで話が進んでおるのに、未だに自分の行った役割について何も言おうとせぬ人物がおるのう。ギルデロイ、どうしたのじゃ? いつもの君らしぅないのう。何故そんなに静かにしておるのじゃ?」
それに対し、ウィーズリーが急いだように話し始めた。
「先生、ロックハートは……僕達にかけようとした『忘却術』が逆噴射したんです。今じゃ自分のことすら覚えていないみたいなんです」
……やけに静かだと思っていたらそんな理由だったらしい。いつもならダリアに空気も読まずに絡んでいるのに、何故こんなにも静かなのだろうと不思議に思ってはいたのだ。もしウィーズリーの言葉が真実であれば、今までの馬鹿どもが話していた中で最大にして唯一の明るいニュースだった。
……まぁ、
ウィーズリーの説明を受け、老害はわざとらしく首を振った後、
「なんとそうであったか! 自らの剣に貫かれるとはのう、ギルデロイ……。じゃが、このまま放っておくわけにはいかんのう。……おお、そうじゃ。わしとしたことが忘れておった。ジニーや、辛い時に長々とこの年寄りの話に付き合わせて悪かったのう。マダム・ポンフリーの元に行き、熱いココアの一杯でも飲むがよい。グレンジャーさんとウィーズリー君も同様じゃ。……マクゴナガル先生、ついでにギルデロイを連れて行ってもらってもよろしいかのう?」
考え
どうやらルシウス氏……そして私とダリアを解放する気はまだないらしい。まだ私達から……ダリアから話を聞き出したいとでも思っているのだろう。特にダリアに関しては、犯行を裏付ける
でも、
「……
ダリアの方が一枚も二枚も上手だった。最も、ダンブルドアと一緒の空気を吸いたくないという理由と共に、本当に私のことを心配してということもあるのだろうけど。
ダリアの怒りに満ちた声音に、部屋の中の空気が完全に凍りつく。
彼女の発言が厚顔無恥だとでも思っている様子の馬鹿どもは、ただでさえ鋭かった視線をさらに鋭くしていた。しかしダンブルドアだけは、やはり証拠がない以上ここに縛り続けることは出来ないと考えたのか、
「……よかろう。ミス・グリーングラスも、悪かったのう。もう戻ってよいぞ。じゃが……ダリアよ。一つだけ訂正せねばならん。実は今日君の父以外の理事から懇願されてのう。戻ってきてくれなければ、アーサー・ウィーズリーの娘が死んでしまう。家族を呪うと脅されたからワシの停職には賛成したが、やはりワシに校長に戻ってもらわねば困ると言われてしまってのう。
相変わらず警戒心丸出しの視線を送りながら応えた。
ダリアは老害の復職に無表情で舌打ち一つし、一瞬ダンブルドアの後ろにいる『不死鳥』と視線を合わせたかと思うと、これ以上ここにいるのは不快だと言わんばかりにサッサと扉に向かって私を引っ張り始める。
私も全く異論はなかったため、ダリアと……そして私達に続くような形のルシウス氏と共に部屋を後にしようと足を進めた。
しかし、
「……待ってください」
私達はまだこの不快な空間から出ることは出来ないらしい。
今まで泣きそうな表情でポッターの袖を引っ張っていたグレンジャーが、私達を呼び止めてから、ポツリと絞り出すように話し始めた。
「……ダンブルドア先生。……どうして? どうしてです? どうして貴方は、グリーングラスさんに『特別功労賞』と点数を与えないんですか?」
突然何の脈絡もなく発せられた言葉に……何だか酷く不愉快な話になりそうな予感がした。
グレンジャーは絶望に満ちた声で続ける。
「マルフォイさんもジニーと同じで『継承者』に攫われていたんです。彼女は『継承者』なんかではなかった。皆の疑いは間違いだった。でもそんな中で、グリーングラスさんだけはマルフォイさんを信じて、彼女を助けに行こうとした。それは私達の行動と何一つ変わらないものです。……それなのに、どうして私達は賞と点数を貰って、彼女には何もないのですか? 先生は……マルフォイさんとグリーングラスさんをまだ疑っているというのですか?」
……グレンジャーに胡乱気な目を向けるのは、私だけではなかった。この瞬間だけは、皆共通して訝し気な視線をグレンジャーに送っている。言葉にしなくとも、ダリアを犯人の一味という前提のもとに進められていく会話。その流れを完全に無視したグレンジャーの言葉に、全員が息を呑んだように静まり返っていた。
それはダンブルドアも例外ではなく、予想もしていなかった人物からの、予想もしていなかった言葉に目を見開いている。グレンジャーとしては、無理やりにでもダリアが犯人ではないという前提での話に持っていきたいのだろうが、ダンブルドアはそんな彼女の意図には気付かず、あるいは無視し、まるでグレンジャーが
「……グレンジャーさん。ワシの認識が間違っておらんならば、ミス・グリーングラスは君達に『失神の呪文』をかけて、『秘密の部屋』に入っていったはずじゃ……。『継承者』と『バジリスク』がどこに潜んでいるか分からぬ中、君達を暗闇の中に放置したのはどうかと思うのじゃが……。それを君は
グレンジャーがまるで慈愛からくる、とても
……目の前の光景に酷い吐き気を覚えた。
これ以上、こんな茶番に付き合っていられない。
「ダンブルドア先生、そうではなく、」
「ふざけたことを言わないでもらえませんか? 反吐が出る」
ダンブルドアの言葉にグレンジャーが何か応える前に、私は遂に我慢できずに口を開いていた。
私が泣いて喜ぶとでも思っていたのだろう。突然の口汚い罵倒に、グレンジャーさん以外のダンブルドア信奉者たちが目を見開いた後顔を真っ赤にしている。
勿論、私がそんな視線にたじろぐはずがない。私は冷たい視線にさらされる中、自分の中でくすぶり続けていた怒りをぶちまけ始めた。
「私がどうしてグレンジャーに許されないといけないのですか? 確かに私がやったことは、ジネブラ・ウィーズリー
そう、それがどうしたと言うのだろうか。ダリアを傷つけた連中のことを、どうして私が気にする必要があるのだろうか。ポッターにウィーズリー兄妹。それに……グレンジャーがどうなろうと私が知ったことではない。
それなのに……どうして私は……。
燃え上がる怒りの中で、一瞬だけ感じてしまった
「『継承者』でもないのにずっと『継承者』だと疑い続け、挙句の果てに攫われても尚ダリアを追い詰めた貴方達のことを、どうしてダリアの親友である私が考慮しないといけないんですか? 私は自分がやったことにこれっぽっちも後悔なんてしていません。私の行いが悪だと言うなら、いくらでもそう言えばいい。でも、私は後悔だけは絶対にしない。同じ状況になれば、私は何度だって同じことをします。どんな手段を使っても、どんな犠牲が出ようとも、私はダリアの味方であり続ける。この思いを、貴方達の下らない茶番で穢されてなるもんか! 私は賞や点数を貰うために、『秘密の部屋』に行ったんじゃない! ましてや、ダリアを疑う人間から貰う点数なんていらない! ダリアと私を馬鹿にするな!」
私だってスリザリンの端くれだ。普段から手段なんて選ぶつもりはない。寮優勝のためだったら、それがどんなに汚い点数でも喜んで享受することだろう。
でも、こいつからの点数だけは違う。
老害から貰う点数、賞、言葉。それらは全て、ダリアを貶めてきた口から発せられたものだ。そんなもの、私は絶対に欲しくない。
そんな怒りをぶつけるように捲し立てたのだけど……案の定、これだけ言っても尚私の言葉は理解されなかったらしい。
ダンブルドアだけが妙な表情を浮かべる中、グレンジャー以外の人間は怒りを募らせている様子だった。
もう私の言うことは何もない。これ以上、ここにダリアを足止めするわけにはいかない。
私は何も言われないのをいいことに、今度こそ完全に彼らを無視し、ダリアの手を引っ張った。
「ごめんね、ダリア。下らない時間をとらせちゃって。こんな所早く出ていこう。ルシウスさんも……一緒に行きましょう。これ以上こんな所にいたら、私達まで腐った人間になっちゃうよ。それに、ドラコだって心配しているはずだよ」
ドラコの名前で一瞬ダリアの手が強張ったけど、私がそっと手を握りなおすと安心したように前へ歩き始める。
あぁ……やっと終わった。長い、長すぎる程続いた今年の事件が。
部屋のドアを開けながら、私はそっとため息をつく。私達の後ろをどこか所在なさそうな様子のルシウス氏と『屋敷しもべ』、そしてウィーズリー一家と無能教師に、
「ごめんなさい……。わ、私、そんなつもりではなかったの……」
と涙声で小さく呟き続けるグレンジャーが歩いているが、私はその全てを無視し、片手に感じるダリアの温もりだけに意識を向けながら思う。何故か感じていた罪悪感も、このダリアの温もりがあればドンドン小さなものになっていくようだった。
あの馬鹿どもの様子だと、結局ダリアに向けられる疑いの目は変わらないのかもしれない。ダリアを取り巻く状況は、実際は何一つ変わらないのかもしれない。
でも、一つだけ確実に変わったことがある。
私とダリアは……ようやく友達になることが出来たのだ。私からの一方通行なものではなく、お互いが認める、本当に一緒にいたい友達に。
だから恐れる必要はない。恐れてはいけない。
私は今度こそ、ダリアに真の意味で寄り添っていられる。大切なものを必死に守りながら、その過程で出来た傷を隠し続けるだろうダリアと、私は一緒にいることが出来る。
ダリアは孤独ではなくなった。
悩みを消すことは出来ないかもしれない。ダリアの代わりに傷ついてあげることは出来ないかもしれない。
でも、一緒に悩むことは出来る。一緒に傷つくことは出来る。……一緒に、傷つきながらも前へ歩き続けることは出来る。
だからもう……私は恐れることはない。ようやくダリアが孤独ではなくなったのだから。
そう思っていた直後……それは突然起こった。
それは紛れもなく……ダリアへの罰に他ならなかった。
誰かを犠牲にすることで、娘を守ろうとした父親の罪への罰。娘の敵を追放するという手段が、いつの間にか目的にすり替わっていたルシウス氏への罰を。
世界と人間はどこまでも残酷で理不尽だった。娘を守ろうとした父親への罰を、その娘自身が受ける。本当に……理不尽なことだと思う。
でもそれこそが……罰の本質なのかもしれない。
だって罰は……理不尽なものでないと、
ハリー視点
ドアの向こう側へと、ダリア・マルフォイ達が去ってゆく。何の証拠も挙がらず、それ故に何の罰も受けないまま。ジニーはあんなに苦しんでいたというのに……。
本当にこれで終わってしまっていいのだろうか。本当にこのまま、僕は諦めてしまってもいいのだろうか。
僕はダンブルドアと二人残された部屋で、必死に考えを巡らせる。
そして、
「……ダンブルドア先生」
僕は急いで口を開いた。
「その日記。ルシウス氏にお返しして来てもよろしいでしょうか?」
僕の必死な様子が伝わったのだろう。ダンブルドアはそっと僕の瞳を覗きこんだかと思うと、そのまま静かに言った。
「勿論じゃとも、ハリー。ただし急ぐのじゃよ。宴の件もあるが、君にはまだいくつか話したいこともあるしのう」
やはりダンブルドアは偉大な方だ。何の脈絡もない提案なのに、彼には僕が今から何をしようとしているかなど全てお見通しなのだろう。僕はダンブルドアへの感謝と畏敬の念を胸に、机の上にある日記を鷲掴みにしてから部屋を飛び出した。
……本当にこの計画が上手くいくかは分からない。でも、やるだけの価値はあるはずだ。たとえ失敗したとしても、誰も傷つくことはない。もし上手くいけばダリア・マルフォイを捕まえられるようになるばかりではなく、マルフォイ家という危険な一家の中に身を置くドビーを
周り角で消えかけている一行の背中に急ぎながら、僕はソックスの片方を脱ぎ、日記の間に挟んだ。そして、
「ルシウス・マルフォイさん!」
目的の人物を呼び止めた。
走ったせいで息を弾ませながら、僕は不愉快そうにこちらを振り向くルシウス氏にソックス入りの日記を押し付ける。
「忘れものですよ!」
日記を手渡されることで、僕の言いたいことを理解できたのだろう。ルシウス氏は憎々し気に言い放った。
「何のつもりだ、ポッター。悪ふざけにも程がある。これは私の物ではない、そしてその証拠もない。君にはそう言ったはずだが?」
彼は怒り狂いながら僕に視線を移し、日記の残骸を無意識に
計画の成功した僕が、必死に笑いを抑えているとも知らずに。
上手くいくかは五分五分だと思っていたけど、存外に上手くいってしまった。それはもう拍子抜けすぎて、
僕は勝利を確信していた。これでドビーは……。一時はどうなることかと思ったけど、これでやっとダリア・マルフォイを……。
まだルシウス氏は勿論、グリーングラスも、そしてダリア・マルフォイでさえ僕の真の意図には気が付いていない。ただ僕が挑発のために日記を持ってきただけとしか思っていない様子だった。こちらを呑気に見つめる彼女達を横目に、ルシウス氏は言葉を続ける。
「あまり調子に乗っていると、君も君の両親と同じような目に遭うぞ、ポッター。連中も実にお節介で、どうしようもない愚か者だった」
口調こそ柔らかだったけど、紛れもなく脅しに他ならない。ルシウス氏は冷たく僕を睨みつけた後、これで本当にここに用はなくなったと言わんばかりに、
「ダリア、医務室に行くぞ。それと……ミス・グリーングラスも。馬鹿どもにこれ以上構ってはおれん」
そう言って、ダリア・マルフォイとダフネ・グリーングラスを伴い歩き出そうとした。
でも、
「あぁぁぁぁ!」
ドビーの上げた突然の大声で立ち止まることになる。ドビーは日記の中にソックスがあるのを見つけた後、声にならない悲鳴を上げたから。
彼が振り返ると、そこには遂に笑みを抑えきることが出来なくなった僕と、日記に挟んであったソックスを見つめるドビーの姿があった。
……僕は最初、悲鳴はドビーの
でも、違った。ドビーの悲鳴は喜びから来るものではなく……
「ち、違うです! こ、これは何かの間違いなのです! ド、ドビーめはソックスなど受け取っていないのです! お嬢様、ド、ドビーは決してソックスを受け取っておりません!」
驚愕と……悲しみや恐怖から来るものだった。
まるでこの世で一番恐ろしいものを見たかのような反応でソックスを放り出すドビーの姿を見て、ルシウス氏は僕が一体どういうつもりで日記を渡したのかようやく理解できたようだった。
ルシウス氏は目を見張りながら、予想も出来なかったドビーの反応に驚く僕を怒鳴りつけようとして、
「小僧! どういうつもりだ!? よくもマルフォイ家の召使を、」
「……ポッター、どういうつもりですか?」
ダリア・マルフォイの凍てつくような声音によって遮られた。その声音は……『禁じられた森』で聞いた時と同じ、どこまでも冷たく残酷な響きを持っていた。
この場にいた全員が、思わずといった様子でダリア・マルフォイの方を見つめる。
そして皆の視線を受けながら、それでも尚僕だけを睨み続けるダリア・マルフォイの瞳は……やはりあの『禁じられた森』での時と同じ、
「ドビーは私の家族です。そんな彼との絆を、貴方は引き裂こうとした。……どういうつもりですか? どういう了見で、私の大切な家族を奪うつもりなのですか? 答えなさい……。答えろと言っている! ポッター!!」
叫んだと思ったその瞬間には、もう彼女は杖を抜き放っていた。あまりの速さに、
……彼女は放とうとしていた。『秘密の部屋』で僕を気絶させたような生温い呪文などではない、『禁じられた森』で見せたような、決して人間に放ってはならないような呪文を。
僕を傷つけるために……。僕を……殺すために。
しかし、
「ダリア、駄目だよ!」
ダリア・マルフォイの凶行は、グリーングラスによって止められることになる。杖腕とは反対の、今までずっと握っていた手を引くことで、グリーングラスはいとも簡単にダリア・マルフォイを止めてしまったのだ。
ダリア・マルフォイの血のように紅い瞳を覗きこみながら、グリーングラスはゆっくりと繰り返す。
「落ち着いて、ダリア。大丈夫、大丈夫だから。貴方の『屋敷しもべ』は、ソックスは受け取っていないって言ってるよ。だから大丈夫。彼には貴女から離れようなんて意志はないよ。貴女の家族は、貴女から離れようなんてしていないよ。そうでしょう? ええっと……ドビー?」
必死に、でも決してダリア・マルフォイを刺激しないように話すグリーングラスが、ソックスを放り出した態勢で凍り付くドビーに尋ねる。
それに対しドビーは急いだように叫ぶ。
「も、勿論でございます! お、お嬢様、そしてご友人のお嬢様、ド、ドビーめは決して……決してお嬢様を
ドビーの叫び声は紛れもなく、ダリア・マルフォイからの
彼は僕がソックスを与えたにも関わらず、それを受け取らなかったのだ。
僕は思わず大声を上げて
この状況で、最も言ってはいけない言葉を。ドビーがマルフォイ家から解放されていない状態で、僕が決して言うまいと思っていた言葉を。
「ど、どうしてだよ、ドビー! 君はもう自由になったはずだ! 君は衣服さえ貰えば、マルフォイ家から自由になれるって言ってたじゃないか! だから僕は……。君だって、そんな奴らと一緒にいたくなかったはずだ! だからこそ君は僕を助けるために、夏休みも、それにクィディッチの試合の時も僕の所に来て、『秘密の部屋』について
……やってしまったと思った。僕は予想外の事態に驚くあまり、言ってはならない人物たちの前で、一番隠しておくべきことを言ってしまったのだ。
自分の失態に僕が気付いた時には、今度こそドビーは本当に凍り付いたかのように立ちすくんでしまった後だった。奇妙な静けさが廊下に満ちる。
そんな中、一番初めに声を上げたのが、
「……どういうことか説明しろ、ドビー」
先程以上の怒りの形相を露にしたルシウス氏だった。
僕の失言のせいで、ドビーは危険な状況に陥ってしまっていた。
ドビー視点
ご主人様の怒りに震えた声が廊下に響く。どこまでも冷たい……今まで向けられていたどんなものよりも冷たい声が……。それは間違いなく、ドビーめが向けられたことのない、本物の殺気だった。ご主人様には何度も殺してやると言われたが、今までの言葉はただの口上だけのものでしかなかったのだ。
身も震える程の恐怖を覚える。恐ろしくて、ご主人様のお顔も碌に見つめることが出来ない。しかしそんな恐怖の中でも……ドビーめはご主人様がお怒りになるのも当然のことだと心の奥で感じていた。
何故なら……ドビーめが行っていたことは、紛れもなくお嬢様に対する裏切り行為だったのだから。
「ポッターに警告だと? こいつは何を言っておるのだ? ……いや、そもそも何故ポッターがお前の名前を知っておるのだ? お前とは初対面のはずだが……。まさか。ドビー……答えろ。お前の知る真実を」
ご主人様からの『屋敷しもべ』に対する
従いたくなどなかった。ドビーめが真実を話してしまえば、きっとドビーめは……お嬢様とこれ以上過ごすことが出来なくなってしまうから。
しかし、心とは裏腹にドビーめの口は、まるで
ドビーめの口から、ドビーめの意志に反し紡ぎだされ始める。ご主人様の怒りをさらに燃え上がらせるような真実が。
「ド、ドビーめは、ハリー・ポッターにお知らせしようとしたのであります……。今年のホグワーツは危険であると……。今年ハリー・ポッターはホグワーツに行ってはならない。行けば必ず危険な目に遭う。ド、ドビーめはそれをハリー・ポッターにお伝えしようと、」
お伝えするつもりなどはなかった。ドビーめはただ、
だから……ドビーめは罰を受けることになる。
自分を傷つけることなどよりも、もっと苦しい罰を。
「もうよい」
これ以上ドビーめの話を聞き続けられる程の余裕がなくなられたのだろう。ご主人様は、ドビーめの言葉を即座に遮っていた。
ドビーめがお話ししたのはほんの一瞬。しかし、それでもご主人様が全てを理解するには十分な時間だった。
そしてご主人様は怒りを鎮めるためなのか何度もため息を吐かれた後、最後に吐き捨てるように話され始める。先程の怒りに満ちた声とは違う、まるでご自分を抑えることで必死と言わんばかりの、能面のように冷たい声で。
「……成程、よく分かった。どうりでポッターがあのようなことを突然言い出すわけだ。何故突然日記が私のものであると言い出したのだと思えば……。お前だったのだな。お前のことを、あらかじめ知っておったからこそ、小僧は……。お前は裏切っていたのだな。主人である私を。……お前を大切に扱っていたダリアを。お前はダリアを裏切ったのだな」
「ち、違うのです! ド、ドビーめは決して、」
咄嗟に否定しようとするも、現実が変わるわけではない。何も違いはしない。ご主人様の仰ることは全て正しいことだ。しかし、ドビーめはやはり恥も外聞もなくご主人様に縋りつく。このままでは、ドビーはお嬢様といられなくなってしまうから。
だがやはり、
「何が違うものか。お前の余計な行動のせいで、私とダリアは……。いや、勿論私は日記のことなど、全く知らなかったわけだが……。と、ともかく、お前は邪魔をしていたわけだな。ダリアの幸福への道を……。お前は知っておりながら、
全てが遅すぎたのだ。ドビーめの行動が露見してしまった段階で、たどり着くべき未来は一つだけだった。ご主人様は一頻り大声でドビーをなじった後、突然糸が切れたように静かになり、
「ドビー。お前はソックスを受け取っていないと言ったな? だが、それは間違いだ。そのソックス。お前に与えよう」
昔はあれ程憧れていたのに、今や最も聞きたくなくなっていた言葉を口にされた。
ドビーめは……マルフォイ家の『屋敷しもべ』ではなくなって
「ご、ご主人様、どうか、」
「何度も言わせるな、ドビー。私は衣服を与えると言ったのだ。お前は晴れて自由というわけだ。……お前のような『屋敷しもべ』など、我が家には必要ない。お前の顔など二度と見たくない。お前のような裏切り者を、ダリアに二度と近づけさせるものか」
尚も縋りつこうとするドビーめから、こちらを茫然と見つめておられるお嬢様を隠しながら、ご主人様がハリー・ポッターに吐き捨てる。
「ポッター、よかったな。お前の計画通りというわけだ。さぞ嬉しかろう。だが、その成功に何の意味もありはしない。どれだけお前のような子供が叫ぼうとも……お前のお仲間の『屋敷しもべ』が一匹叫ぼうとも、日記が私のものであると……ダリアが今回の事件に関わったなどという戯言が証明されるわけがない。『屋敷しもべ』の証言なんぞで、我がマルフォイ家に傷一つつけられるはずもない。世の理というものを、その愚かな『屋敷しもべ』と学ぶことだ。来なさい、ダリア」
そう仰ったきり、日記のみを奪い取り、今度こそドビーめを押しのけ歩き出そうするご主人様。しかし、
「お、お父様、どうか、」
今度はお嬢様が縋りつかれることになる。
お嬢様は賢いお方だ。ご主人様がされたこと、そしてドビーめがしてしまったことも全て理解しておられることだろう。ドビーめが行ったことによる、ご自身へ及ぶかもしれない危険性すらも……。
それなのに……お嬢様はそれでもドビーめをお許しになろうとされていた。何より家族を貶められることを嫌うお嬢様が、ドビーめをお許しになる。それはお嬢様が……こんなことになっても尚、ドビーめのことを家族と認めてくださっている所作に他ならなかった。
未だかつてない罪悪感に身を引き裂かれそうになっているドビーを尻目に、ご主人様がお嬢様を諭すようにお話しになる。
「……ダリア、駄目なのだ。もうあれは、信用に値するものではなくなった。お前に全てを与えられておりながら、あれはお前を裏切ったのだ。お前が何と言おうとも、あれをお前の傍に置いておくことは出来ん。これはお前のためでもある。私には父親として、それを行う義務があるのだ。それに、これは寧ろ私なりの慈悲なのだよ。本来であれば殺してやるところを……お前のことを思って生かしておいてやっているのだ。だからダリア……来なさい。私は常々思っていた。このような汚らわしい生き物がお前の傍にいることなど、本来はそちらの方がどうかしている。これでやっと正常な状態に戻ったのだよ……。ドビー。お前を今殺さぬのは、ダリアのためでしかない。ダリアに感謝するのだな。これでも尚家に戻ってくるようなことがあれば……私は必ずや、お前を殺すことだろう」
お嬢様とご主人様の視線が交差する。必死に懇願するような瞳のお嬢様。そんなお嬢様の視線を受けながら、頑なに冷たい表情を保とうとされるご主人様。
そして先に折れたのは……お嬢様の方だった。
力なく項垂れるお嬢様。そんなお嬢様の横から、お嬢様のご友人が声を上げる。
「で、ですがルシウスさん。ダリアはドビーを、」
ご友人にもお嬢様の表情がお分かりになるのだろう。心配そうにお嬢様を横目にとらえながら、彼女は抗議しようとする。しかし、ご主人様のご意見は当然の如く変わることはない。
「ミス・グリーングラス。これは我がマルフォイ家の問題だ。それに……君はダリアの友人になったのだろう? ならばわかるはずだ。その『屋敷しもべ』はダリアを裏切っていたのだ。なら、後は分かるな? ドビーを……信用できない『屋敷しもべ』を、ダリアの傍にこれ以上置いておくわけにはいかんのだ。私は何か間違ったことを言ったかな?」
そう、ご主人様は正しい。ドビーめが諦めきれないだけで、裏切ったドビーめをそれでも受け入れてくださるお嬢様の方が異常なのだ。異常な程、お優しいお方なのだ。
お嬢様のことだ。きっと諦めた理由も、ドビーを思ってのことに違いないのは想像に難くなかった。
戻ってほしい。家族であるドビーめと、離れ離れになりたくなどない。そう思って下さると同時に、お嬢様は気付かれたのだろう。
ドビーめが戻っても、そこに安心できる空間はなくなっていることに。ご主人様がもう……ドビーめに辛く当たらない保証はどこにもないことに。
そうドビーめのことを案じて下さり、お嬢様は諦めてしまわれたのだ。
その証拠に、
「で、でも……」
「ダフネ、もういいのです……。もう、道はないのですから……」
「……ダリア?」
尚言いつのろうとされるご友人を手で制し、こちらに静かに視線を戻された。
その表情はいつもの無表情であるはずなのに……痛みをこらえるようなものに、ドビーめには見えていた。周りにはいつもの無表情にしか映ってはいないのだろうが……お嬢様の表情は、確かに絶望に染まっていた。
あぁ……こんな表情をさせるつもりなどなかった。ドビーめはただ、お嬢様と一緒にいたかっただけなのだ。
痛めつけられたって構わない。お嬢様に与えられた安息を失っても構わない。最悪殺されたって構わない。
ドビーめはどうなっても構わないから、ただお嬢様と一緒にいたかっただけなのだ。
その思いに突き動かされ、ドビーは最後の懇願をする。でも、
「お、お嬢様……どうか……。ド、ドビーめは決して、決して貴女様を裏切ったわけでは……。私のご主人様は貴女様なのです! ド、ドビーめを大切に扱って下さり、あまつさえ家族と言って下さったお嬢様にこそ、ドビーめは……」
「ドビー……さようなら。どうか……元気でいてね」
やはりお嬢様は、その優しさをもって、ドビーを悲しみと共に突き放したのだった。
ドビーへの罰は……そのままお嬢様への罰でもあったのだった。
ドビーめとお嬢様は、二人同時に、大切な家族の一人を失ったのだ。
引きずられるように歩くお嬢様の背中に、自然と意味も価値もない慟哭が漏れ始める。
「お嬢様……も、申し訳ありません。お嬢様を悲しませるつもりなどなかったのです……。お嬢様を、そのような表情にさせるつもりなど、ドビーにはなかったのです……。ドビーはただ……あのような手段では決して……。ドビーめはマルフォイ家を……お嬢様を貶めるつもりなど決してなかったのです……。お嬢様……どうか……ドビーめを見捨てないで……」
届きはしない。ご主人様に連れられたお嬢様の背中は、見る見るうちに遠くになってゆく。決してご主人様もお嬢様も振り返りはしない。
お嬢様の優しさ故に……。
それでも、ドビーめの口は動き続け……ようやく止まったのは、所在なげにドビーめの傍に立たれるハリー・ポッターに気付かず、ここではないどこかに逃げるように『姿くらまし』した後のことだった。
この日、ドビーめは自由となると同時に……大切な家族を失ったのだった。
ダンブルドア視点
今しがたハリーの出て行った扉を見つめながら、ワシは物思いにふける。
『屋敷しもべ』を
一体何を悩んでおったかは分からぬが……少なくとも、これでハリーの自身に対する迷いはなくなった。
自身が所属する寮が一体どこであるかを自覚し、その寮に相応しい資格が自身にはあるとの自信を取り戻したことじゃろぅ。
どれだけトムに似ていようとも関係ない。『組分け帽子』にいくらスリザリンに入る資格があると言われようとも、自らグリフィンドールを選ぶことが出来た。自身が最も大切にするものを、自身が進んでいくために最も寄る辺にすべきものを、自分の勇気であると選び取ることが出来たのじゃと。
「……彼なら大丈夫じゃろぅ。この先様々な困難が彼を待ち受けておる。じゃが、きっと彼ならそれを乗り越えて行ける。大切な仲間もおる。そして何より……彼は何と言っても、真のグリフィンドール生なのじゃからのう」
ワシは机の上に置かれた、ハリーが『組分け帽子』から取り出した剣を見つめながら呟く。
ハリーとその友達達は、去年と同様今年も本当に大きな困難を乗り越えてくれた。普通の少年少女には決して挑むことすら出来ないような困難に立ち向かい、そして最終的に
「ワシなんかには勿体ない程立派な子らじゃ」
微かな罪悪感を感じながら、ワシは惜しみない賛辞を口にする。
予言に従い、ハリーをヴォルデモートと対峙できるような英雄にする。そのために彼を導き、そして彼の手助けをしようと決意していたのじゃが……実際にワシに出来たことはあまり多くはなかった。寧ろまったくの無力だったとさえ思える。
ワシのしたことと言えば……
「……ダリアは『継承者』ではなかったか」
ダリアを『継承者』として疑い続けたくらいのものだった。トムと同じ空気を感じさせるダリア・マルフォイ。現在この学校にいる生徒の中で、唯一『継承者』足りえる家柄と実力を兼ね備えるダリアをワシは『継承者』であるとし、監視と共にこれ以上彼女の手を汚さすまいと必死に牽制することしか出来なかった。
しかしそれは、
ハリーを導くなどと言うても、ワシは本当に無力で、無知な老人でしかない。
ダリアのことも、結局彼女が今回の事件にどのような形で関わっていたかワシには一切分からなくなってしまった。いや、そもそも本当に関わっていたのかも分かりはしない。
彼女が最も疑わしい人物であったことは間違いない。実力と家柄に加え、夜間の出歩き等不審な行動が散見されていた。彼女を疑わないという選択肢は、ワシにはなかった。じゃが、結果は違った。
ワシは結局……何一つダリアについて理解しておらんかった。
じゃがそれでも……。ワシがどんなに無力であろうとも、決して前に進むことを諦めてはならん。
トムはいずれ必ず復活する。今は弱っておっても、必ずやより強大な力を持って復活し、以前以上の闇を世界に振りまくことじゃろぅ。
そのいずれ訪れるであろう日に備えて、ワシにはなるべく不安の芽を摘み取っておく必要がある。じゃからワシは、
「フォークスよ。お主はトムとハリーの決戦の後、ダリアが何をしておったか見ていたはずじゃ。詳細までは分からんじゃろぅが、少しその時の光景を見せてもらえんかのう?」
まずダリアのことを少しでも理解するために行動することにした。
ハリーは言っておった。フォークスなら、彼女が何をしていたか知っているはずであると。もし彼と情報共有できるのであれば、必ずや彼女の罪を暴くことが出来ると。
確かにハリーの言う通り……ダリアが何を行っておったのか、その一端が分かれば彼女が今年の事件にいかに関わっておったか、それどころかどの程度彼女が
ワシは将来の戦いを見据え、フォークスの心をのぞき込もうとした。不死鳥であるフォークスに憂いの篩を使うことは出来ん。じゃが、心をのぞき込めば、ある程度の光景くらいは把握することができる。
そう思いワシはフォークスの瞳を見つめようとして、
「……フォークス? どうしたのじゃ?」
見つめることが出来んかった。フォークスはまるで、その光景を見せることを拒むように目を逸らしていた。
「……見せとうない。そういうことかのう?」
こんなこと今までに一度もなかった。ワシが内心当惑しながらフォークスに尋ねると……彼は首を縦に振り肯定し、やはり決してワシと目を合わせようとはしなかった。
「……『服従の呪文』がかかっているわけではなさそうじゃのう。何故じゃ? 何故ワシに見せとうないのじゃ? そなたも分かっておろう? 彼女には謎が多すぎる。彼女が何をしておったか、それを知れば彼女が今後の戦いにどのような役割を果たすのかも推し量ることが出来る。それを分かった上で、フォークス、お主は何故ワシを拒むのじゃ?」
フォークスは非常に賢い生き物じゃ。何故このような
「フォークス……何故なのじゃ?」
ついぞフォークスがワシと目を合わせることはなかった。
目を合わせるどころか、ワシを拒絶するように飛び立ち、止まり木の上で眠り始めてしもうたのじゃった。
ワシが何故フォークスがワシを拒絶していたかを知るのは、これよりもずっと後のことじゃった。
その時になって、ワシはようやく理解することになる。
ワシには……資格がなかった。
ダリアを疑うばかりで、決して彼女に歩み寄ろうとはしていなかった。トムに対する後悔や警戒、そして『不死鳥の騎士団』での立場によって、ワシは目が曇ってしまっていた。教師という立場にありながら、トムとの戦いを意識するばかりで、一人一人の生徒の感情に真に目を向けることをしていなかった。
ワシは……教師でありながら、どこか自分のことを教師であると理解しきれてはおらんかった。
……フォークスはそれを見抜いたのじゃ。ワシの眼が曇っておることを見抜き、ダリアの真実を知らせても決してワシがいいようにはせんじゃろうと気付いておったのじゃ。
ワシは……ダリアを疑うばかりで、決してダリアが一人の悩める
……じゃからじゃろぅ。
ダリアが
『選ばれた子が生まれる七月の末、闇の帝王はついに僕を完成させる。気をつけよ、帝王の敵よ。そして気をつけよ帝王よ。その子が司るのは破滅なり。その子は決してどちらの味方にもなりえない。この先どちらかに破滅をもたらすことだろう』
ワシは予言通りに行動するトムを愚かと断じておりながら、ワシもその愚か者と同類でしかなった。
もし、ワシがハリー達に向ける様な視線を彼女に送っておれば……。もし、彼女の無表情を少しでも理解しようとしておれば……。
もし、ワシが彼女の危うさの中に確かにあった、彼女の底知れない悩みや優しさに気付いておれば……。
後悔ばかりの人生の中で、
トムの時と同じ。
彼女を本当の意味で
その残酷な真実に気がついたのは……全てが手遅れになった後じゃった。