ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス   作:オリゴデンドロサイト

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吸魂鬼(前編)

 

 ハーマイオニー視点

 

ハリーやロンは20分も前に汽車に乗ることに不満を漏らしていたけれど、私からしたら寧ろ遅いくらいですらあった。全校生徒がこの特急に乗車する関係上、コンパートメントがすぐに埋まってしまうのだ。勿論完全に埋まり切る部屋はそう多くない。大抵のコンパートメントには数人分の空きがあり、いつもはそこに入れてもらうのが常だった。

 

……でも、今回はそれも出来ない。私達は今回、なるべく自分達のみで占拠できるコンパートメントを探す必要性に駆られていた。

何故なら、

 

『ロン、ハーマイオニー。君達だけに話しておきたいことがあるんだ』

 

汽車が動き出し、いよいよ見送りに来てくれていたウィーズリー夫妻が見えなくなったあたりで、ハリーがそんなことを言い始めたから。

何の話かは分からないけど、ハリーのあまりにも真剣な表情から真面目な話だということは分かる。出発直前、ウィーズリーさんに呼び出されていたことに関係しているのかもしれない。

私とロンはハリーに二つ返事で頷き、三人仲良くトランクを引きずりながら必死に誰もいないコンパートメントを探し始めたわけだけど……やっぱり中々見つけることは出来なかった。どこのコンパートメントもいっぱいか、他のグループが中で談笑していた。

そしていよいよ最後尾車両に差し掛かり、これはもう諦めた方がいいかもと思い始めたあたりで、私達はようやく空いている部屋を見つけることが出来たのだった。

 

……いや、正確には、完全に空いているというわけではない。窓際の席でぐっすりと眠っているけれど、客が()()()()コンパートメントの中に存在していた。

 

今までホグワーツ特急で、食べ物を売りに来る魔女以外に大人の客を見たことはなかった。でも()は生徒ではなく、大人の男性だった。

あちこち継ぎはぎだらけの、見るからにみすぼらしいローブ。病気でもあるのか、目元には隈がくっきりと浮かび上がっており、まだかなり若いはずなのに髪には白髪さえ交じっている。荷物棚に置いてあるカバンもくたびれたものであり、唯一()()()()『R・J・ルーピン()()』と書かれた名札も、急いで取り付けたものなのか今にも剥がれそうになっていた。

 

最初は特急内で初めて見る大人を訝しみ、ここの部屋もやめた方がいいかと思ったけど……もう他に選択肢はないと思いなおす。最後尾車両にも関わらず、やはり他のコンパートメントでは生徒が夏休みの話題で盛り上がっている様子だった。ハリーの秘密の話を聞くのなら、もうここに決めてしまうしかない。

 

「……残念だけど、ここしか空いてないみたいね」

 

ハリーとロンも同意見みたいだった。私が振り返りながら言うと、二人とも素直に頷いている。私達はそっと窓際から離れた席に陣取り、音を立てないように引き戸を閉めた。

 

「この人誰だと思う?」

 

そして荷物を棚に上げ、ようやく少し落ち着いた頃にロンが声を潜めて尋ねてくる。

それに私は、先生のカバンを指さしながら即座に応えた。

 

「ルーピン先生よ。そこのカバンに名札が付いているわ。きっと『闇の魔術に対する防衛術』の先生よ。空いている科目は一つしかないもの」

 

「……大丈夫なのかな、こんな人で。呪いを一発でもくらえば、それだけでやられてしまいそうに見えるんだけど……」

 

「……」

 

ロンの言葉に私は反論できなかった。ロンの言う通り、お世辞にも決闘に強そうには見えなかったのだ。まだ去年の()()()()の方が、見た目だけなら強そうに思えた。

 

「ま、まあ、新しい教師の話は別にいいんだよ。どうせ授業が始まればすぐに分かることなんだから。そ、それよりハリー。僕達だけに話したいことってなんだい?」

 

私達が入学してから今まで、真面な『闇の魔術に対する防衛術』の授業など一度たりともなかった。それが今年も続きそうなことに少し憂鬱な気分になったのか、ロンが急いで気分を切り替えるためにハリーに話を振る。私もロンと全くの同意見だったので、

 

「そ、そうね。ハリー。彼はぐっすり眠っているから、ここでなら秘密は守られるはずよ」

 

急いで彼の話に乗ることにしたのだった。

ハリーもこれ以上新しい先生の話をしていても仕方がないと思ったのか、どこか重々しく頷いた後話し始める。

 

ウィーズリー氏から受けた警告を。

 

シリウス・ブラックが脱走する前、ずっと『あいつはホグワーツにいる』と繰り返し寝言で言っていたことを。彼はハリーを殺すことで、『あの人』の権威を取り戻そうとしていることを。そして……

 

「だ、だけど、また捕まるでしょう? だって、マグルも総動員してブラックを追跡してるんだから。だ、だから、」

 

「……いいや、ハーマイオニー。ブラックがどうやってアズカバンから脱走したのかも分かってない。それどころか、あいつはアズカバンの中で一番厳しい監視を受けていたらしいんだ。それこそ面会できるのは魔法大臣ぐらいのものだった。それをあいつは史上初めて脱走に成功した。ホグワーツにだって入り込めてもおかしくないよ」

 

彼がホグワーツに入り込むかもしれないということを……。

ハリーは話の内容とは裏腹に、どこか楽観的にシリウス・ブラックのことを考えているみたいだけど……私はどうしようもなく不安な気持ちになっていた。不安感を和らげるためロンに救いを求めても、返ってきた答えはやはり無慈悲なものでしかなかった。不安な気持ちはさらに強まってゆく。

 

アズカバン。

『吸魂鬼』という生物が看守をしているというその場所は、()()()脱走者を出したことがないとされる魔法界一の牢獄()()()。誰も脱走者がいないという事実があるからこそ、皆安心して平穏な暮らしを送ることが出来ていた。

でもシリウス・ブラックが脱走した。世界一脱走の難しい牢獄から。それはつまり、この世界のどこにも彼から身を守れる場所がないことを意味していた。

勿論ホグワーツだって例外ではない。どんなに魔法的な守りがあろうとも、シリウス・ブラックがどうやって脱走したかが分からない限り、ホグワーツにだって潜り込める可能性は高い。

 

それに、ホグワーツが世界一安全だと言われる理由のダンブルドア先生だって……。

 

今世紀最も偉大な魔法使い。『ゲラート・グリンデルバルド』を破り、史上最悪の闇の魔法使いである『例のあの人』にすら唯一恐れられた存在。そんな彼がいるからこそ、ハリーだけではなく、魔法使い皆がホグワーツこそ世界で一番安全な場所だと言う。彼なら()()()()()。彼を信じろ。彼なら何とかしてくれる。そう彼を信じ切って……。

 

でも……私は去年知ってしまった。ダンブルドアだって間違えることはあるのだと。彼の間違いで、一人の生徒が苦しみ続ける羽目になることだってあるのだと……。

私にはもう、ダンブルドアがいるからという安直な理由で、ホグワーツが安全だと信じ切ることなどできなかった。

 

本当に今年は、まだ始まったばかりだというのに不安なことだらけだ。

授業のこと。()()()()()。ペットのこと。そして……()()のこと……。

夏休みを挟んでも、悩みが解決することはない。寧ろ悩みは増え続け、どんどん深みにはまっていくような気さえしていた。

一年目と二年目の頃は、こんなことはなかった。いつもこの特急に乗る時の私は、新しく始まる生活や、新しく得るであろう知識にワクワクした気持ちでいた。一年の始まりはいつも夢と希望に溢れていた。

 

それがどうだろう……。私はなぜ、今こんなに暗い気持ちになっているのだろうか。今年どころか、今後の学校生活にすら希望を見いだせない。

思考が再び暗い方向に転がり始める。

……しかし、再び帰りの汽車の時と同じような不毛な繰り返しに陥ることはなかった。

 

私の頭上に、

 

「このコンパートメントに新しい教師がいるって聞いたんだが……なんでいかれポンチのポッティーと、ウィーゼルのコソコソ君もいるんだ?」

 

突然気取った口調の声がかけられたから。

急いで見上げると、顎の尖った青白い顔に侮蔑の色を浮かべたドラコ・マルフォイ。彼に従うように付き添うクラッブとゴイル。そして……

 

「……」

 

何も言わず、ただドラコと同じような瞳でこちらを見つめるダフネ・グリーングラスさんと、いつもの無表情であるダリア・マルフォイさんが立っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダフネ視点

 

夏休みが明け、私は一週間ぶりにダリアとの再会を果たすことが出来た。

 

『ダフネ! 一週間ぶりですね!』

 

『うん、ダリア! 今年もよろしくね! さあ、早く空いているコンパートメントを探そう!』

 

あのダイアゴン横丁での買い物からもミッチリ予定が詰まっていたわけだけど、その疲れが一気に消え去っていくようだった。ダリアの無表情を見ているだけで、私は心の底から幸せな気持ちになってくる。そして嬉しいことに、親友と一緒にいる時間が幸せと感じるのはダリアも同じであるらしい。私と会った瞬間から、ダイアゴン横丁で待ち合わせした時以上に表情がほころんだものになっている。しかも嬉しさあまってコンパートメントに入ってからも、私から決して離れようとはしない様子だった。

 

物理的に。

 

クラッブとゴイルも部屋の中にはいるというのに、窓から一番離れた席に座る私達はピッタリとくっついて座っている。まだ夏真っ盛り。正直暑いか暑くないかと聞かれれば暑いと答える。それにクラッブとゴイルの驚愕とした視線も先程から突き刺さってきている。彼らはダリアの幼馴染とはいえ、家の関係上完全には気を許すことは出来ない相手なのだ。

でも、私はダリアから離れる気にはならなかった。窓から入ってくる日光を遮るような位置を取りながら、私は黙ってダリアの体温を肩で感じ続ける。どんなに暑くても、不快な視線にさらされようとも、この時間は私にとって幸福そのものだったから。

私と会ったことで気が緩んだのだろう。黙って私の肩に頭を預けていたダリアが、いつの間にか静かな寝息を立て始めていた。私も私で黙ってダリアの綺麗な白銀の髪を撫で続け、この至福な時間を存分に楽しんでいた。

なのに……

 

「ダリア! 今他の奴から聞いてきたんだが、なんでも最後尾車両に新しい『闇の魔術に対する防衛術』の教師がいるらしいぞ! どんな奴か見に行かないか!?」

 

突然部屋に響き渡るドラコの大声によって、私達の幸福な時間は終わりを告げたのだった。

ドラコの声で目が覚めてしまったのか、目を閉じていたダリアがノソノソと体を起こし始める。そして私の鋭い視線にたじろぐドラコに、

 

「……行きます」

 

小さくもハッキリした声で応えていた。

ダリアは入学当初から『闇の魔術に対する防衛術』が一番好きな()()だと言っていた。同時に、一番嫌いな()()が『闇の魔術に対する防衛術』だとも……。

一年の時はニンニク臭のせいで授業どころではなく、二年の時はそもそも授業ですらなかった。だから『今年こそは』という期待と共に、『どうせ今年も』という不安が入り混じっていることは容易に想像できた。今も新しい教師がいると聞いて、早くどんな人間が着任することになったのか知りたくて仕方がなくなったのだろう。

ドラコもそれが分かっているからこそ、興奮した様子でコンパートメントに帰ってきたと分かっているのだけど……それでもダリアを起こしたことに、私は不満を隠すことが出来なかった。この特急が途中で止まることはないのだから、先生が途中でいなくなってしまうことはない。それならダリアが起きてからでもよかったはずなのだ。

 

「そ、そうか。なら行こうか。……ダフネ、お前はどうする?」

 

ドラコも私の視線で気が付いたのだろう。しかしダリアが行くと言った以上、もう一度寝てもいいなんて言えない。少し気まずそうにしながら、今度は私に意思確認をしてきた。

当然、私の居場所はダリアの隣だ。ダリアが行くのに、私が行かないという選択肢はあり得ない。それに、

 

「……私も行くよ。ちょっと大人数で押しかけることになるけど、私も早くどんな人をダンブルドアが選んできたか知りたいし」

 

始業式前に『闇の魔術に対する防衛術』の新しい教師を見ておくこと自体は悪いことではない。

去年も一昨年も、ダリアが苦しんでいるのを知っておりながら、着任している以上私は何もすることが出来なかった。ニンニク臭に低脳と、ダリアを苦しめる連中であると知っていながら……。でも、今年は違う。今年はまだ着任してもいない。無能であるだけならまだ自主勉強するだけで解決できるが、ダリアを傷つけそうな奴であるのなら排除しなければならない。まだ着任していない今なら、まだ間に合うかもしれないのだ。排除できなかったとしても、少なくとも対策だけは立てることが出来るだろう。

 

今年こそは……ダリアを守り抜いてみせる。

 

そんな決意を胸に、私はドラコへ向けていた視線を引っ込めながらダリアと一緒に立ち上がる。そしてダリアに付き従うクラッブとゴイルを連れ、新任教師がいるという最後尾車両まで来たわけだけど……。

 

辿り着いた先にいたのは、新任教師だけではなかった。

 

「このコンパートメントに新しい教師がいるって聞いたんだが……なんでいかれポンチのポッティーと、ウィーゼルのコソコソ君もいるんだ?」

 

何故かコンパートメントには、新任教師と思しき大人と一緒に、私が大嫌いな三人組の姿もあったのだった。

 

ダリアの()は、何も先生だけではないのだ。

私達は新任教師を見極めるどころではなくなっていた。

 

ダリア以外の表情が途端に不機嫌なものに変わる。ドラコも口調こそいつもの気取ったものだけど、その表情には隠しようもない侮蔑の色が浮かび上がっている。

ドラコには去年あったことを、()()()()()()()()()()()()()概ね話してあった。ドラコも私も、決してこいつらが去年ダリアにしたことを忘れてはいない。忘れられるわけがない。

こいつらはダリアをとことん追い詰めた。ダリアを『継承者』と疑い、『継承者』でないと分かった今だって、

 

「……マルフォイ、何の用だ?」

 

ポッターとウィーズリーは警戒した視線をドラコと私、そして後ろの方にいる()()()に向けていた。彼らはあれだけダリアを苦しめておきながら結局、何一つ反省などしていなかった。

 

「へぇ、随分なご挨拶だね、ポッター。僕は心配してたんだよ、そこのコソコソ君のことをね」

 

ドラコが不機嫌さを隠しもせず続ける。

 

「ウィーズリー、君の父親がこの夏小金を手にしたって聞いたんだが、大丈夫だったかい? 母親がショックで死にやしなかったかい?」

 

「黙れ、マルフォイ!」

 

ただ新任教師を見極めに来ただけのはずなのに、部屋の空気はいつの間にか驚くほど冷たいものになっていた。ダリアだけはじっと新任教師とグレンジャー、そして何故か荷棚の籠中にいるオレンジ色の猫を何とはなしに眺めているが、クラッブとゴイルは勿論、私も私で何かあればいつでも参戦する気でいた。去年までであればダリアに危害が及ばない限りただの傍観者に徹していたけど、こいつらには正直私だって腹を据えかねているのだ。

対して馬鹿共もドラコの揶揄にいきり立ち始める。

 

「ちょ、ちょっと、ロン止めて!」

 

唯一平静を保っているグレンジャーの制止を振り切り、ウィーズリーとポッターが勢いよく立ち上がる。

まさに一触即発。誰かがちょっとでも動こうものなら、すぐにでも殴り合いが始まりそうな空気になっていた。

しかし……事態は再び思いもよらない方向に進むことになる。

 

 

 

 

突然……汽車が速度を落とし始めたのだ。

それどころか、何の前触れもなく明かりが一斉に消え、辺りが急に真っ暗闇に包まれる。

あんなに晴れていた空はいつの間にか激しい雨模様に変わっており、明かりの消えた車内では一寸先も見通すことは出来ない。

 

そんな暗闇の中で、今までぐっすりと寝入っていた新任教師がそっと目を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダリア視点

 

新しい『闇の魔術に対する防衛術』の先生を初めて見た時の感想は、

 

『ああ……今年も駄目そうですね』

 

というものだった。

継ぎはぎだらけのローブに、目元に刻み込まれた隈と少なくない白髪。カバンも見るからにみすぼらしく、唯一新品な名札も剥がれかけている。

見た目で人を判断する気はない。しかしダンブルドアが今まで選んできた先生達を鑑みるに、

 

『みすぼらしい見た目だけど、何かしらの事情があるだけの新進気鋭のやり手教師』

 

という可能性を考えるより、

 

『当てが最後まで見つからず、自暴自棄になった老害が数合わせのため適当に連れてきた浮浪者』

 

の可能性の方が遥かに説得力を持つものだった。ニンニクの臭いがしないだけまだましだ。

 

今年もやはり駄目なのでしょうね……。流石に去年のような演劇ということはないでしょうから、ダフネと自主勉強をしっかりやりましょう。

 

そんなことを考えながら、こちらをジッと見つめるグレンジャーさんと、彼女のペットと思われる()()()()()猫を何とはなしに眺めていた時……突然何の前触れもなく汽車が止まり、中の明かりが一斉に消えた。

 

「な、なんだ!? 故障か!?」

 

突然訪れた真っ暗闇の中、ウィーズリーの素っ頓狂な声が響く。

皆慌てているのか、暗闇の中明かりを灯すことも忘れ、ただ闇雲に部屋の中を動いているのを感じる。

 

「イタっ! ロン、今の僕の足だよ!」

 

「ダ、ダリア、大丈夫か! どこにいるんだ!」

 

「ちょっと! クラッブ……かゴイル! 貴方達は体が大きいんだから今動いちゃだめだよ! ダリア、大丈夫!?」 

 

「ん? 何だか急に()()()()()()()()?」

 

「さっきまであんなに晴れていたのに……」

 

「何だかあっちで動いているな。誰かが乗り込んでくるみたいだ」

 

暗くなっただけなのに、僅か数秒でカオスな空間が出来上がっていた。……何故魔法を使おうという発想が湧かないのだろうか。

全員が好き放題に動こうとする中、私は静かに杖を抜き明かりを灯す。

 

『『ルーモス、光よ』』

 

しかし点った光は一つではなかった。コンパートメントを照らし出す明かりは()()あった。

一つはコンパートメント入り口付近で私が出した光。もう一つは……窓際の席から出されたものだった。

 

「皆、静かに!」

 

今まで騒いでいた面々も一瞬で押し黙り、しわがれた声のした方に一斉に振り返っている。

そこには先程の寝入っている姿からは想像もできない程、研ぎ澄まされた瞳で辺りを警戒している先生が立っていた。

 

「動かないで。私はこれから運転手の所に行って、何事なのか尋ねてくるよ。君達は無暗に動き回らないこと。入り口にいる君達も、危ないからここで待っておくように。いいね?」

 

「……クラッブとゴイルはこのコンパートメントには入り切りませんが?」

 

「……クラッブとゴイルというのはそこの二人のことだね。仕方ない。君達は隣のコンパートメントに行きなさい」

 

疲れたような灰色の顔をしてはいるが、やはり目だけは油断なく鋭くしながら、先程と同じしわがれ声で先生が再び指示を飛ばす。

そして私達スリザリン組に狭いながらコンパートメントに入るように言い残し、クラッブとゴイルが隣のコンパートメントを()()しに行くのを見届けた後、先生は廊下へと出て行こうと()()

 

そう……行こうと()()

実際に彼が外に出て行くことはなかった。

 

何故なら、渋々ながらコンパートメントに入った私とダフネ、そしてお兄様と入れ替わりに……入り口には()()()のようなものが立ち塞がっていたから。

 

その黒い影は、顔をすっぽりと覆う頭巾を被っていた。大きなマントを揺ら揺らとはためかせ、マントからは水中で腐敗した死骸のような手が付きだされている。この世の穢れを一身に集めたような姿かたち。そんな生き物は、この世に一つしか存在しない。

 

吸魂鬼(ディメンター)……」

 

私の思わず漏らした呟きに反応したのか、吸魂鬼がこちらにゆっくりと顔を向ける。

しかしそれも一瞬。僅かに()()()()()()かと思うとすぐに私から顔を逸らし、ガラガラと音を立てながらゆっくりと息を吸い込み始めたのだった。

 

吸魂鬼は人間の幸福を餌とし、近くにいる人間に絶望と憂鬱をもたらすとされている。まさに今奴が行っている行動こそ、その幸福を貪ろうとするものなのだろう。まだ真夏だというのに酷く冷え切っていた部屋がさらに冷たいものになる。全員の顔から明るい色は消え去り、ただ絶望だけが残された表情に変わっていく。お兄様とダフネも例外ではない。ポッターなど余程辛いのか、気絶したように座席から滑り落ちている。

 

 

 

 

でもそんな中……()()()はあまりに平穏無事に過ごせているのであった。

空気の冷たさを感じても、それ以上何か感じることはない。音に聞く幸福を吸い取られるような感覚を感じる様な事もない。

 

私は吸魂鬼を目の前にしても、()()()()()()()()()()立つことが出来ていた。

 


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