ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ハリー視点
ホグワーツ三年目初日。大広間に朝食を摂りに来た僕、ロン、そしてハーマイオニーの三人をまず出迎えたのは、スリザリンの席から湧き上がる大きな笑い声だった。目を向ければドラコ・マルフォイを中心とした集団が、代わる代わる気絶する真似をして盛り上がっている。輪の端っこに座るダリア・マルフォイとグリーングラスを除いて、全員が全員馬鹿馬鹿しい仕草をしては、辺りにドッと笑い声を響かせていた。
考えるまでもなく、明らかに僕を馬鹿にする動作だった。
あいつらは昨日だけではなく、これからも僕が気絶したことをとことん馬鹿にするつもりなのだ。
「ハリー、知らんぷりよ。付き合うだけ時間の無駄。相手にするだけ損なんだから」
「……うん。分かってるよ」
すぐ後ろにいたハーマイオニーの言葉に頷きながら、僕はグリフィンドールの席に向かう。口調とは裏腹に、ハーマイオニーがどこか
でも、ドラコ達はそうは思わなかったらしい。僕から絡まなくても、向こうは僕を放ってはおこうとしなかった。僕はどうあっても不快な思いをするしかないらしかった。
席に向かう途中、
「あ~ら、ポッター! ちゃんと起きてこられたの!? 昨日は怖~い『吸魂鬼』のせいで眠れなかったんじゃないの!?」
奴等に見つかってしまったのだ。パンジー・パーキンソンが僕の方に振り返りながら甲高い声を上げ、
「ほら、ポッター! 『吸魂鬼』が来るわよ! うぅぅぅぅ!」
相変わらず馬鹿にしたような仕草で気絶する振りをするのだった。下卑た笑い声の中、持てる忍耐力を総動員してグリフィンドールの席に座る。隣にはネビルが座っていた。彼は談話室の合言葉のメモと睨めっこしていたが、僕が隣に座ったことで顔を上げいつものおっとりとした声で話しかけてきた。
「おはよう、ハリー。ど、どうしたの? 怖い顔しているけど、何かあったの?」
「スリザリンの連中さ」
ロンも僕同様怒り心頭なのか、勢いよく席に着きながら応えた。
「あのろくでなし共……。あんな風にハリーを馬鹿にしているけど、ドラコの奴も『吸魂鬼』が来た時は随分な様子だったんだぜ? ダリア・マルフォイに支えられて、あいつもほとんど気絶しかかってた。『吸魂鬼』の前で平気そうな顔をしてたのはダリア・マルフォイくらいなものさ。あいつだって、表情が変わらなかったのはただ面の皮が厚いからに決まってる」
「……マルフォイさんは厚顔無恥なんかじゃないわ」
ロンの言葉を受け、ネビルは僕らの事情を理解したらしかった。ボソリと反論するハーマイオニーに対して曖昧に苦笑した後、僕に同情の視線を送りながらネビルが続ける。
「そ、そうなんだ。でも、ハリーが気絶したのも仕方がないと思うよ。僕も怖かった。あいつらは僕のいたコンパートメントにも入ってきたんだ。そしたら凄く空気が寒くなって……。銀色の何かがあいつらを追い払ってくれたから良かったけど、もしあのまま『吸魂鬼』がコンパートメントにいたら僕もきっと倒れてたよ。僕は君よりずっと臆病だから、ハリーが気にするようなことなんてないよ」
ネビルが僕を慰めようとしてくれていることは分かる。彼は少し物覚えが悪く、どこかいつもビクビク怯えているところがあるけれど、その実とても優しく、同時にグリフィンドールらしい勇気に溢れる人間なのだ。一年生の時だって、彼は僕らを思うからこそ『賢者の石』を守りに行く僕らを止めようとした。彼の発言に悪意などなく、彼の優しさから来ているものであることは僕だって十分に分かっていた。
でもそれが分かっていても、
「……だけど、結局気を失ったりしなかったんだろぅ?」
今の僕には彼の言葉を素直に受け取ることは出来なかった。
心に余裕がなかったのだ。ドラコに揶揄されるまでもなく、僕は一人だけ気絶したことが恥ずかしくて仕方がなかったのだ。まるで学校の中で、僕が一番弱い奴みたいに思われるのが我慢できなかった。特に今年は『シリウス・ブラック』という殺人鬼が僕を狙っているせいもあり、僕は特別過保護にされる可能性がある。僕が弱いと思われてしまえば、それだけより僕の監視は強いものになってしまうだろう。ホグズミード行きもただでさえサインがないことで絶望的なのに、今回の一件で更に絶望的なものになってしまう。今後のことを考えると不安ばかりで、心の余裕が生まれる余地など皆無だった。
しかも僕がこうして落ち込んでいる間にも、スリザリン席の方から笑い声が響いてくる。目を向ければ丁度マルフォイが恐怖で気絶する真似をしているところだった。
僕の我慢も限界に近かった。
いつもは僕に止められる方であるロンも、僕の様子の変化に気が付いたのだろう。先程まで僕と一緒にスリザリン席を睨みつけていたけど、慌てたように話題を変えようと明るい声を上げた。
「ま、まあ、ハーマイオニーが言うように、あんな奴ら放っておくに限るよ。それにドラコの御機嫌もすぐ終わることになるさ。クィディッチ第一戦はグリフィンドール対スリザリンだ。マルフォイなんて君がコテンパンにしてやればいい。空では妹の守りもないわけだしね。空で震える奴の目の前でスニッチを掴んでやれよ」
僕の唯一絶対の特技であるクィディッチ。ホグワーツで最も楽しい時間の話。だからロンの言葉は効果覿面。明るい話題に僕の気持ちも一気に持ち上がる……というわけにはいかなかった。
ドラコとクィディッチで戦ったのは去年が初めてだ。結果は僕らグリフィンドールの勝利。ニンバス2001を金にものを言わせて揃えたスリザリンに勝利したことによって、僕らはクィディッチ優勝杯を手に入れることが出来たとさえいえる。あの優勝のお蔭もあって、去年の僕らは寮対抗戦でもスリザリンに圧勝することが出来た。
しかし試合内容はと言えば、決して圧勝と言えるようなものではなかった。寧ろ辛うじて勝てただけとさえ言える。点数は勿論のこと、シーカー戦ですら辛勝だった。ドラコは口上だけはいつものように僕を小馬鹿にしていたけど、その目だけは決して油断せずに僕の方を見つめ続けていた。油断していなかったあいつは正しく強敵だった。箒の腕は遥かに僕の方が上だったけど、箒に関してはあいつの方が上だった。そして奴の箒の性能を最も活かした形でのプレースタイル。スリザリンらしい狡猾で卑怯な方法だったけど、間違いなく効果的な作戦でもあったのだ。ドビーがブラッジャーを僕にけしかけていなかったら、僕はあの局面を打破することすら出来なかったかもしれない。
そう考えると、去年と違い何の妨害もなされないだろう今年の試合を、必ず勝てるものと言い切ることは僕には出来なかった。依然僕の箒はニンバス2000で、奴の箒はニンバス2001だ。しかもドラコは去年の教訓を活かしてくることは間違いない。
クィディッチの話をされたからと言って、僕の気持ちが持ち上がるわけもなかった。
「……うん、そうだね。頑張るよ……」
僕の声色が変わっていないことに、ロンは所在無さそうに朝食を見つめている。微妙な空気が僕らの周りに立ち込めていた。
そんな空気の中全く違う話題を提供したのは、
「あら? 新しい学科は今日から始まるのね」
ロンの隣に座るハーマイオニーだった。どこか幸せそうな、でも同時に言いしれない疲労感と不安感を感じているような声音が微妙な空気を切り裂く。
僕は後ろから聞こえる笑い声を無視するためにも、ハーマイオニーの提供してくれた話題に飛びついた。これ以上スリザリンの奴らの話をしていても疲れるだけだ。ちょうど横から配られてきた今年の時間割に目を通しながら、僕は無理やり明るい声を上げる。
「……本当だ。僕が受ける今日の授業は『占い学』と『魔法生物飼育学』だね。特に『魔法生物飼育学』は今年からハグリッドが先生だから、絶対に
素朴な疑問だった。結局ハーマイオニーが何の授業を選んでいるのか、僕らは知らないことに気が付いたのだ。去年は尋ねても、
『マクゴナガル先生と相談中なの』
としか答えてはくれなかった。僕等も僕等で、『秘密の部屋』事件を解決したばかりで勉強のことなど一切考えていなかったこともあるけど、流石に親友が選んだ授業を知らないのはどうなのだろうか。だからこそ僕は質問したわけだけど、
「私は貴方達と同じ授業も取っているわ」
ハーマイオニーの答えは酷く素っ気なく、同時に以前同様曖昧なものだった。
……何だか違和感を感じる答えだ。どうして自分の選んでいる科目くらい簡単に教えてくれないのだろうか。
ロンもそう感じたのか、ハーマイオニーの肩越しに時間割をのぞき込む。そして、
「おいおい、ハーマイオニー! 君の時間割滅茶苦茶じゃないか! 一日
素っ頓狂な声を上げたのだった。僕も身を乗り出してハーマイオニーの時間割をのぞき込むと、ロンの言う通りのものが見えた。
ホグワーツには『変身術』『薬草学』『魔法史』『呪文学』『闇の魔術に対する防衛術』『天文学』『魔法薬学』と言った7つの必須科目と、『占い学』『マグル学』『数占い学』『魔法生物飼育学』『古代ルーン文字学』の5つの選択科目がある。僕達は三年に上がったことで、7つの必須科目といくつかの選択科目を受けることになるわけだけど……ハーマイオニーの時間割には、その全てが書き込まれていた。合計12の科目が割り振られており、いくつか時間が被っている物すらあった。酷い時には同時に3つの科目を受ける日さえある。
どう考えても、たとえハーマイオニーがどんなに優秀だったとしても、物理的に不可能な予定表だった。同じ時間にハーマイオニーが
「ハ、ハーマイオニー。これ、本当にマクゴナガル先生と相談を、」
「ええ、したわよ。私が出来るだけ多くのことを学びたいと先生に相談したら、先生は快く相談に応じて下さったわ。その結果がこれよ。ちょっと時間割が詰まっているかもしれないけど、全部先生との相談の上で決まったことだから大丈夫よ」
目を丸くしながら尋ねる僕への答えは、相変わらず無味乾燥なものだった。取りつく島のない答えに、僕とロンは困惑しながら肩をすくめあう。
でもこの時間割通りに物事が進めば、ハーマイオニーだって過労死してしまうのではないだろうか。僕はそれが心配になり、明らかに拒絶のオーラを振りまくハーマイオニーにもう一度だけ尋ねようとした。
その時、
「おお! ハリー、ロン! ハーマイオニー! 元気にしちょったか!?」
大広間に大きな声が響き渡った。目を向ければ、たった今大広間に入ってきたらしいハグリッドがこちらに手を振りながら歩いている姿が目に入った。教員席に向かう彼は僕らの前で立ち止まり、興奮しきっているという様子で話し始めた。
「ハグリッド! おはよう! そう言えば昨日、」
「そうなんだ! お前らももう知っちょると思うが、今年からの『魔法生物飼育学』は俺が教えることになっちょる! 本当に信じられねぇ! ダンブルドア先生様は本当に偉大なお方だ! 俺のやりたいことをちゃーんと見抜いておられたんだ!」
「おめでとう、ハグリッド!」
興奮したハグリッドの様子と昨日知ったあまりに嬉しい内容に、僕はハーマイオニーの時間割のこと、そしてドラコに揶揄われていた事実を一時忘れお祝いの言葉を返した。
友達である彼が新しい先生なんて、これ程嬉しい知らせはない。ハグリッドは怪物好きであるため、全く心配がないかと言えば嘘になるけど……まあ、彼が嬉しく思っているならそれは僕等にとっても嬉しいニュースだ。
「ありがとうな、ハリー! お前さん達ならそう言ってくれると思うちょった! ああ、そうだ! お前さん達がイッチ番最初の生徒だ! 昼食後すぐの授業だ! 記念すべき最初の授業だからな! すげーもんを用意しちょるぞ! 是非楽しみにしておいてくれ! なんせあの……おっと、お楽しみだったんだ! いやはや、先生になったからには、お前さんらに見せたいものが色々ありすぎていかんな! たとえば、」
ハグリッドの大興奮は続く。彼が満面の笑みを浮かべながら話していると、僕らも幸せな気分になってくる。たとえその内容が、どう考えても人間を襲う怪物のことであったとしても……スリザリンの奴らのことを話しているよりずっと楽しい話題だ。
先生になれた喜びを全身で表現するハグリッドに、僕らは時間が許す限り付き合おうと思っていた。ハグリッドの言葉に適当に頷き、時折朝食を食べながら相槌を打つ。ハグリッドと喜びを共有するために。
これが『占い学』の教室である北棟で、僕がトレローニー先生に『死神犬グリム』、以前見たような気がする犬を見たと……僕が死ぬと予言される数時間前の出来事だった。
ハーマイオニー視点
『占い学』を今受け終わり、
理由は勿論先程受けた『占い学』だ。
『占い学』の先生、シビル・トレローニー先生は開口一番私達に言った。
『皆さんがお選びになった『占い学』。初めにお断りしておきますが、他の科目と違って教科書が役に立ちませんの。『眼力』が備わっていない限り、そのお方は何一つ学び取ることは出来ないでしょう』
教科書が役に立たないような、何の根拠も確実性もない科目があっていいわけがない。
しかも挙句の果てに先生は、全員に信憑性のない不吉な予言をした後、ハリーに対しては一際大きな声で、
『まぁ! 貴方! 恐ろしい敵をお持ちのようね! 不吉なオーラを感じます! そ、それに……。まぁまぁ! この茶葉の形! 『
誰でも知っているような事実を予言し、ただでさえ危険な状況にいる彼を無駄に不安がらせるようなことを言い出したのだ。無神経にも程がある。ハリーは必要以上に落ち込み、これでもかという程顔色を悪くしていた。
本当に下らない科目だと思った。まだ受けたのは一回だけだと言うのに、すでにこの科目を削った方がいいのではないかとすら思っている。
お茶の葉の塊に死の予兆を読んだ振りをするなんて……こんなのまるっきり時間の無駄よ!
私はマグル学の授業を受ける準備をしながら、不機嫌な頭の中で先程の授業を罵倒し続ける。
そんな私の思考を中断させたのは、
「……あれ?」
突然耳に届いた女の子の声だった。
憧れのマルフォイさんといつも一緒にいるスリザリン生の声。この教室では聞こえるはずのない声に勢いよく振り返ると、そこには思った通りの子が立っていた。
金髪で目のパッチリとした女子生徒。本来は美人というより可愛い部類の瞳を、最近は私に対して鋭く殺気の籠ったものに変えていたダフネ・グリーングラスさんだった。
な、何故スリザリン生である彼女がここに!?
突然の事態に気まずさよりまず驚きが先行する。いつもであれば彼女に睨まれるだけで、去年私がしてしまったどうしようもない間違いを思い出してしまうのだけど……今はただただ思いがけない事態に困惑するばかりだった。純血主義ばかりのスリザリン生がここにいるという事実は、それだけ私にとっては信じられないようなことだったのだ。
でもそれは彼女も同じらしく、
「……おかしいな。教室はここだと書いてあったと思うのだけど。グレンジャーがここにいるはずがないし……間違ってたかな?」
何かブツブツと呟いた後、いそいそと扉を閉めて外に出て行ってしまったのだった。
どうやらマグル生まれである私が『マグル学』を受けるということより、自分が間違った教室に来たと考えた方が理解できると思ったらしい。ロンにも言われたけど、マグル生まれである私はそれこそ先生以上にマグルのことを知っていることだろう。ホグワーツに入学する前はずっとマグルの生活を送っていたのだから。
それでも魔法族がどのようにマグルを見ているかを知りたくてこの科目を選んだのだけど……どうやら魔法族には理解不能な考え方らしかった。確かによく考えれば、選択科目を取捨選択しないといけなかった人には猶更理解出来ないだろうことは想像に難くなかった。何せ貴重な授業枠の一つを溝に捨てたようなものだ。もっと選ぶべき科目があると考えるのが普通だ。私が今年行っている方法など、普通は選択肢にも上がることはないだろう。
おそらく彼女も同じような結論に達して、ここが『マグル学』の教室ではないと判断したみたいなのだけど……ここが教室であるという事実が変わるわけではない。
しばらくすると再び扉が開き、訝気な瞳をしたグリーングラスさんが再度教室に足を踏み入れてきた。そして視線同様困惑した声音で、
「……どうしてグレンジャーがここにいるの? ここは『マグル学』の教室だよ。多分教室を間違えてるよ」
そんなことを言ってきたのだった。私はやや物怖じしながら返答する。
「だ、大丈夫よ。私も『マグル学』を取ってるから。こ、この教室で合っているわ」
上ずった声が出てしまった。
先程は驚くばかりだったけど、やはり彼女と話しているとどうしても罪悪感を感じてしまう。彼女とマルフォイさん以外のスリザリン生には、私はただのスリザリン生として対応することが出来る。それは時々猛烈に腹を立てる時はあるけど、いつもはただの嫌な奴らとして、ただ適当に相手をして話を流すことが出来る。
でも、マルフォイさんとグリーングラスさんには違った。私が彼女達に他のスリザリン生達と同じ対応など出来るはずがない。
彼女達は他のスリザリン生達とは違う。私は彼女達と……。それなのに、私は彼女達を……。
グリーングラスさんは私の内心の葛藤を傍に、数秒私の方を胡乱気な目つきで見つめていたけど、すぐにどうでも良さそうな声を出しながら歩き始めた。
「ふ~ん。そうなんだ。変わったことするんだね。マグル生まれの貴女がマグルについて知ることなんてそれ程多くないと思うけど……まあ、頑張ってね」
そう言ったきり私の脇を通り過ぎ、そそくさと私からは離れた席に座ってしまう。
気まずい空間だった。これはチャンスなのに。まさかグリーングラスさんがこの科目を取っているとは思っていなかったけど、今なら二人きりで話すことが出来る。去年は大きな間違いを犯してしまったけど、私はこのまま彼女達と冷え込んだ関係などではいたくない。だからこそ私は今少しでも彼女と話をしなくてはいけないと分かっているのだけど……明らかな拒絶の空気に、私は再度声をかけることが中々出来なかった。
やっと声を出せたとしても、
「グ、グリーングラスさんは、ど、どうしてこの科目を選んだの? あ、貴女はスリザリン生なのに」
酷く唐突かつ、よく考えれば失礼極まりない質問をしてしまっていた。焦るあまり変な質問の仕方をしてしまった。まるでスリザリン生である彼女を馬鹿にしているような発言だ。大勢のスリザリン生が『マグル学』を選択しないというだけで、スリザリン生が選択してはいけないという決まりなどありはしない。
案の定こちらを振り返ったグリーングラスさんは眉を顰めながら応えた。
「何? 私が『マグル学』を選んだら、何か貴女に不都合でもあるの?」
「そ、そんなんじゃないわ! ごめんなさい! そんなつもりはなかったの! ただスリザリン生の貴女が、『マグル学』を選んで他の寮生に目を付けられないかが心配で……」
慌てて訂正するも、空気は先程以上に険悪なものになり果てている。グリーングラスさんはこちらをじっと殺気だった目つきで睨みつけており、私は完全に委縮して小さくなってしまっていた。でもグリーングラスさんは私の委縮しきった態度に冷静になったらしく、すぐにまたどうでも良さそうな瞳に戻しながら続けた。
「……貴女に心配してもらわなくても大丈夫だよ。私が『マグル学』を選んだ理由は、マグルが如何に愚かであるか知るため」
「え!? そ、そんなの、」
「……ということにスリザリンの中ではなってるから。私があいつ等にとやかく言われることはないよ。あいつ等を騙すなんて簡単だよ。どうせダンブルドアにさえ騙されるような連中だし。私がこの科目を選んだのは、単純に『マグル学』に興味があったからだよ。……ダリアも興味があったみたいだけど、あの子はマルフォイ家としての立場があるからね。私がこっちを選んだ方が教えあえるから」
グリーングラスさんの言葉に、私は少し恥ずかしい気持ちになった。私は一瞬、彼女がマグルを馬鹿にしたことに納得しかけてしまった。彼女は去年まで、私のことをマグル生まれとしてではなく、ただのハーマイオニー・グレンジャーとして見てくれていた数少ないスリザリン生だった。彼女が純血主義ではないことは分かっていた。それなのに私は、それでもどこか彼女のことをスリザリン生の一部として考えていたのかもしれない。私の知る大多数のスリザリンらしい答えに、私はそうであるかもと思ってしまったのだ。自分の愚かさに嫌気がさす。
……でも、今の私の感情は恥ずかしさだけではなかった。
グリーングラスさんの答えを聞いた私は今、恥ずかしさと共に嬉しさも感じていたのだ。
何故なら彼女の話の中には、
「そう……マルフォイさんも『マグル学』に興味を持ってくれているのね」
私の思っていた通り、やはりマルフォイさんが好奇心旺盛な子であると分かる言葉が交じっていたから。
マルフォイさんは私の憧れであり目標だ。それはどんなことがあろうとも変わることはない。彼女が純血主義なんかに侵されず、今も多くのことを貪欲に学び取ろうとしていることが嬉しくて仕方がなかった。
私は目を伏せ、恥ずかしさと共に嬉しさを噛みしめる。そんな私に掛けられた声は、
「グレンジャー。忘れたの?」
今日一番の冷たさを持ったものだった。
はじかれた様に顔を上げると、あの殺気すら含んだ瞳と視線が交わる。
今度は彼女がすぐに冷静さを取り戻すことはなかった。
冷たい視線に硬直する私にグリーングラスさんは冷たく続ける。
「去年も言ったよね。もうダリアに近づかないで。迷惑なの。それともなに? 貴女はまたダリアを傷つけたいの? あれだけのことをダリアにしておきながら、まだダリアを傷つけ足りないの?」
「そんなつもりはないわ!」
私は唐突な言葉に困惑しながらも即座に反論する。
嫌われても仕方がないことを私は去年してしまった。どんなに言い繕おうと、私がマルフォイさんを傷つけた事実を変えることは出来ない。でも私がマルフォイさんを傷つけようとしたという部分だけは絶対に否定しなくてはならない。しかし、
「ちゃんと貴女に言われたことだって覚えてる! 確かに私は貴女にあんなことを言われても可笑しくないことをしでかしたわ! でも、マルフォイさんを傷つけるつもりなんてなかったの! 寧ろ私はマルフォイさんを助けようと思っていた! 全部裏目に出てしまったけど、私はただマルフォイさんや貴女と友達になりた、」
「うるさい!」
私の言葉は途中で遮られてしまったのだった。グリーングラスさんは更に視線を鋭くしながら大声を上げる。
「あんなことをしておいて、何が友達になりたいだ! ダリアがどんな思いをしているかも知らないのに! ダリアのことを何一つ知らないくせに! 貴女なんかが何の覚悟もなしにダリアに無邪気に近づいて、ダリアがどれだけ苦しんでいるかも知らないくせに! いい! もうダリアには近づかないで!」
そう叫んだきり、彼女は黙って席に着き黙々と準備を始めてしまう。感情に任せたような荒々しい動作。羽ペンなどほとんど投げ出すように机に放り投げている。しかも余程感情が高ぶっているのか、時折すすり泣く声すら上がり始める。
私はこれ以上声をかけられなかった。マルフォイさんのために怒り、そしてこうして涙さえ流している彼女に、私は何と声をかけていいか分からなかったのだ。
「ご、ごめんなさい」
だから私は黙り、ただ心配して彼女を見つめることしか出来なかった。
もし私が彼女の涙が怒りから来るものではなく……先程の言葉に対する罪悪感から来るものであることに気が付いていたのなら、もっと違う言葉をかけていたのかもしれない。
だけど彼女の感情に気付くことが出来なかったこの時の私は、ただ黙っていることしか出来なかった。
気まずい空気の中、時間が経つにつれ一人二人と教室に人が集まり始める。その頃にはグリーングラスさんも涙は流しておらず、全員が全員ただスリザリン生がこの教室にいることだけを敵意が籠った視線を向けながら訝しがっている。それは『マグル学』の先生、チャリティ・バーベッジ先生が来てからも同じだった。先生も特に何も言うことはなかったけど、明らかにスリザリン生がここにいることを警戒しているのは明らかだった。時折何か言いたげにグリーングラスさんの方を見ている。
これに対しても、私は結局何一つグリーングラスさんに対し声をかけることが出来なかった。
これが私とグリーングラスさん、そして彼女の友達であるマルフォイさんとの距離だった。
同じ教室。それこそ歩けば数秒もかからないような距離。
それでも私と彼女達は大きく離れた場所に立っていたのだ。
この時の私達の間には、スリザリンとグリフィンドール、傷つけられた者と傷つけた者、そして知らない者と知っている者、そんなどうしようもなく大きな溝が横たわっていたのだった。
ダフネ視点
後ろから気まずそうなグレンジャーの視線を感じながら、私は感情に任せて物を放り出すように机に揃えていく。感情を抑えることが出来なかった。知らず知らずの内に涙さえ出てきてしまっている。
これから初めての授業。内容を理解し、終わったらダリアと色々教えあわないといけないのに、私は正直授業など受けられる様な精神状態ではなかった。
本当に嫌な奴だと思ったのだ。グレンジャーがではない。彼女にあんな酷い言葉を吐いた
グレンジャーを未だに許しきれていないという気持ちは勿論ある。彼女に悪意がなくても、ダリアが去年受けた仕打ちを考えれば簡単に許せなかった。
でも、先程の怒りはそれだけが原因ではなかった。
私はグレンジャーからダリアの名前が出ただけで、自分の中にどうしようもなく嫌な感情を感じ、その感情の赴くままに暴言を吐いていた。
私は先程ダリアのためではなく、自分のためだけにグレンジャーに叫んだのだ。
ダリアのためと言いながら、自分のこのよく分からない感情に翻弄されていることにたまらなく腹が立つ。しかもそれをグレンジャーに身勝手にぶつけてしまった。感情の赴くまま、グレンジャーに大声を上げてしまった。
「ごめんなさい……」
小さく呟いた謝罪は、当然後ろのグレンジャーには届かない。そもそも私は彼女に謝罪することすら、この感情のせいでできなかかった。
この感情の名前を知るのは、私達が今年初めてルーピン先生の『闇の魔術に対する防衛術』の授業を受けた時だった。
次回後編
数占いと魔法生物飼育学予定