007/暁の水平線より愛をこめて   作:ゆずた裕里

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第三話 『金剛石は永遠に』
1. James Bond, The Secret Service is Back


 八月某日、二〇五九時。

 

 ボンドは、全ての鍵をかたく締め切った執務室の中、英国諜報部支給のノートパソコンの前でその時を待っていた。時計の音のみが聞こえる中、部屋いっぱいにピンと張り詰めた空気が流れる。ボンドが手持無沙汰そうに室内の小物に目を向けていたその時、二一〇〇時の時報が執務室全体に鳴り響いた。

 

 それと同時に、ノートパソコンからアラーム音が鳴り響く。誰かから連絡が入ったことを示す音だ。ボンドはマイク付ヘッドホンを装着し、すばやくパスワードを打ちこむと、マイクに向かって調子を確認するような声で告げた。

 

「007。ボンド。ジェームズ・ボンドだ。日本は現在二一〇〇時。天気は晴れだ」

 

 その声に音声認識が反応すると、ノートパソコンの画面いっぱいに、妙齢の男性の姿が映し出された。この男性こそがボンドの上司であり、英国諜報部の主任、通称Mである。ボンドとMをつないでいるのは、英国情報部の専用の秘密衛星通信だ。

 

「あー、もしもし、聞こえるか?007?」

「ええ、感度良好、万事問題なしですよ」

「よし、よかった。周りには誰もおらんな?」

「はい」

「盗聴器は?」

「ありません。先ほど調べました」

「よかろう。それでは007、現在進行中の君の任務に関して、補足事項を伝える」

 

 ボンドはMの映ったモニターに、前のめりになった。

 

「007。深海棲艦については、日本からこちら側にも情報がきておる。しかし、日本側も深海棲艦についての詳しい現状を把握できていないらしく、こちらにもまだ政府が本腰をあげるまでの情報が揃っておらん」

 

 ボンドはMの話を聞き、それは当たり前だろうな、と考えた。ボンドも、深海棲艦についてはタイガー田中から聞いた以上のことは知らないし、その存在についてもこの目で見るまでは半信半疑であった。ましてや報告を受けた本国のお偉方たちは、ほとんどがマトモに受け取らないだろう。

 

「だが、未だに近海での原因不明の沈没事故は後を絶たん。そこでだ。君にはタイガー率いる公安調査局の対深海棲艦に関する作戦にも全面的に協力し、深海棲艦についての情報をより深く探ってもらいたい。とにかく、今ある情報では少なすぎて我々もどうしようもないのだ」

「なるほど……つまり本格的に、英日共同作戦となるわけですね」

「まあ、そうなるな。あと、もしも日本側が出し惜しみしているような情報があれば、全て公安調査局にばれないよう抜き取って、こちらに流してくれ。忘れるなよ、これが本来の君の仕事なんだからな」

「わかりました。そうだ、M」

「何だ?」

 

 衛星通信という慣れない形での命令を出し終え、ホッとしていたMにボンドは言った。

 

「これまでの私の報告、どれだけ信じてもらえてます?」

「全部だ。……奇妙なことだが、君が言うなら信じざるを得ないだろう」

「M、あなたは本当に頼りになる人だ」

「この世界は何事も信用だよ。以上だ007。健闘を祈る」

「それでは失礼します」

 

 モニターからMの姿が消えると、そのままボンドはノートパソコンのデータを抹消するコードを入力した。この連絡を聞き、ボンドは心中のろうそくに再度火がともったような気がした。艦娘相手の提督として、日本の海上保安局から連絡を受け艦娘たちを船舶の護衛につかせる日々を送っていたが、またこうして、かつて英国諜報部でしてきたような仕事ができるのだ。ボンドはかくして、危険と冒険を愛する英国男子の魂を取り戻した。

 

 

 

 翌日の昼過ぎに、ボンドは兵器開発課を訪れた。また近いうちに、Qのおもちゃの世話になるだろう、との思いからだった。ボンドは部屋の中程に、背中に艤装を背負い、椅子にちょこんと座った夕張を見つけた。ボンドが目をこらすと、夕張は太い黒縁のメガネをかけていた。Qがいつもかけているものと同じものだ。

 Qのメガネをイタズラしているのなら、Qのやつにばれたらメチャクチャに怒られるぞ。それとも、Qのやつがわざと、自分と同じメガネをかけさせたのだろうか。だとしたら、あいつは何て趣味をしているんだ。

 ボンドは、ゆっくりと夕張に近づくと、からかうように話しかけた。

 

「やあ、夕張。そのメガネはQにかけさせられたのか?別にあいつのいうことは全部聞かなくても……」

 

 その声に夕張が振り向いたと同時に、艤装の砲塔が一斉にボンドに照準を合わせた。

 

「ああっ、気分を害したなら謝るよ、悪かった」

 

 ボンドは両手を上げ、夕張をなだめるような口調で言った。一方の夕張はそんなボンドの様子を見てクスクスと笑っている。ボンドはなんだか、かつがれたような気になっていた。

 

「ボンド、人のやることなすことにいちいちケチをつけるな」

 

 部屋の奥の暗がりから、サンドイッチを片手にQが現れた。Tシャツ姿にボサボサの髪をしているところから、どうやらつい先ほどまで眠っていたようだ。だが、そんな姿とはうらはらに、Qは珍しく自信満々な口調でボンドに話し始めた。

 

「彼女がつけているのは自動照準装置だ。目線の動きをメガネが読み取って艤装に反映させ、常に目線の先に照準が合うようにしてある。これで彼女たちの砲撃命中率も上がるだろう」

 

 夕張は輝く瞳をグルグルと回し、様々な方向に砲を向けていた。その様子は、ショーウインドウで綺麗な小物に目移りしている女の子のそれによく似ていた。ただ、それを大抵は何もないところでやっているので、ボンドには夕張が幻覚を見ているようにしか見えなかった。そんな夕張を、Qは嬉しそうにニヤニヤしながら見ている。はたから見たら両方とも危ない人間だ。

 兵器開発課には、趣味と実益を兼ねながら兵器を開発している人間が多いが、この男の「趣味」にはいささか注意しなければいけないかもしれんな。ボンドは、白髪頭の前任者を懐かしく思っていた。

 

「彼女、これがひどく気に入ったみたいで……ここ数日間ずっと着けているんだ」

「照準を定めるのは 君の目だけ(For Your Eyes Only)、ってわけか。ところでQ、俺へのプレゼントはどこだい?」

「あともう少し待って欲しい。でも、折角だからちょっとだけ見せようか」

 

 Qはボンドを連れて、部屋の奥へと進んだ。Qが明かりをつけると、そこにはカバーに覆われた、二人乗りの乗り物大のものがあった。ボンドは、久々に胸に湧きあがるものを感じた。これまでボンドは、この手の装備品についてはそこまで感嘆を覚えた経験はなかった。しかし衰えた冒険心がよみがえった今、忘れていた幼心のようなものや、これまでの冒険や戦いの記憶が去来し、ボンドの中であふれそうになっていた。

 

「ボンド、これが現時点での特殊装備付モーターボート、その最新型だっ!」

 

 そう言うと、Qはゆっくりと、しかし誇らしげにカバーを外した。ボンドはそこに現れたものに目を丸くした。ボンドは目の前の光景が信じられず、思わずつぶやいてしまった。

 

 

「……ゴミ捨て場か?」

 ボンドがそう言うのも無理はなかった。肝心のモーターボートは部品がことごとくバラバラにされ散らばっており、かろうじてモーターボートの形をとどめているに過ぎなかった。さらにはそのモーターボートのようなものからは周りのコンピューターに何十本ものコードが伸び、何らかの延命措置をされているかのような状態になっていた。ボンドは、心に湧き上がりし情熱の泉が、一気に干からびていくのを感じた。

 

「フロントガラスには、さっき君にも見せた自動照準装置をつけておく。装備の魚雷や砲も、夕張に頼んで深海の連中に効くものを準備してもらってる。それに……」

 

 ボンドには、Qの説明など全く聞こえていなかった。

 最初にそれを見た時の感動は、あれは一体全体なんだったのか。そうだしまった、期待というものは、得てして裏切られる。そのことをすっかり忘れていた。夕張の浮かれている様子に、俺も飲まれてしまったか?そもそも、こんなガラクタにしか見えないものを俺に見せて、こいつは一体何をしたかったんだ?こんな状態を見せられたら近いうちに完成すると言われても、はいそうですかと素直に信じられるわけがないだろう。

 

 さまざまな恨み言を脳裏によぎらせたボンドに、Qは今更ながらフォローの言葉をかけた。

 

「今はこんな状態だが、開発部のスタッフの全精力をつぎこめば、あと三日で完成させられる計算だ。まあ、楽しみに待っていてくれよ」

「ああ、それまでは叢雲や金剛と一緒に大海原をかけ回る夢でも、見ていようかな」

 

 それが、この時のボンドが言えた唯一の前向きな言葉だった。

 

 

 

 そんなボンドの落ち込みも、長く続くことはなかった。

 執務室に戻ったボンドを迎えたのは、タイガー田中と叢雲だった。タイガーの顔を見たボンドは、水を得た魚のように元気になった。

 

「ボンド!英国から話は聞いたぞ!本格的に我々に協力してもらえることになったようだな。改めて、よろしく頼むぞ、ボンド」

「タイガー、あくまで俺は、英国のために仕事をしてるんだからな。それを忘れてもらっては困るよ」

 

 タイガーとボンドはそうお互いに言い、かたく握手を交わした。

 

「それじゃあ早速、君に任務の連絡だ」

 

 そう言うとタイガーは、自身のブリーフケースからいくつかのファイルや封筒を取り出した。それらにはいずれもマル秘の印と、タイガー直筆のサインがついていた。

 

「ここにあるのは、これまで海上保安局に入ってきた、深海棲艦によって攻撃された船舶会社のリストだ。国内国外で様々な会社の名前が挙がっているが、国内の会社に一社だけ一度も攻撃を受けていない幸運な会社がある」

 

 そう言うと、タイガーは封筒のひとつからある会社のパンフレットを取り出した。

 

「今山海運。東アジアから東南アジアを中心に海上物流を担っている大手企業だ。大小問わず様々な会社の船が襲われている中、今山海運だけは安全をウリに急激に業績を伸ばしている。深く考えなくても、こんなおかしな話はない」

 

 ボンドは今山海運のパンフレットをパラパラとめくる。パンフレットによると社長の名前は「今山寛治」というらしい。名前の隣に、優しげな壮年の日本人男性の写真があった。だが、経歴を見る限りでは、日系のドイツ人のようだ。写真と名前、経歴を見比べながら、ボンドは釈然としないものを感じていた。

 パンフレットをじっと見ているボンドの代わりに、叢雲はタイガーに疑問をぶつけた。

 

「でもタイガー、今山海運が被害の届け出をしていない可能性はないの?大企業なら、世間体を気にして出さないことくらいありうると思うんだけど」

「ああ、その可能性も考えて、公安調査局から一人、今山海運に部下を送り込んだ。捜査の結果、船の沈没や消失の証拠はおろか、それを隠した痕跡すら見つからなかった。それに……」

「それに?」

「その部下は報告をした二日後に千葉県の浜辺で見つかったよ。全身傷だらけのホトケになってね」

 

 それを聞いた叢雲は絶句し、ボンドは目を細めた。普通の諜報戦であれば、その会社が敵の拠点や基地だと考えるのが本筋だが、深海棲艦にもそれが通じるだろうか。ボンドは少し冗談めかして、タイガーに話してみた。

 

「だが、あの化け物どもが一企業と手を組むなんてことがあるだろうか?」

「あるかもしれんぞ?」

 

 ボンドはタイガーの予想外に真剣な様子に閉口してしまった。タイガーはそのまま続けた。

 

「奴らについては分かっていないことが多い。一見ありえないことが事実かもしれないからな」

「ごもっとも」

 

 日本に来てからというものありえないことだらけのボンドは、もう何があっても驚かない自信があった。

 

「それじゃあ俺は、その会社に乗りこんで、情報を手に入れればいいんだろう?」

「ああ。だが、現場でのサポート役として艦娘を一人連れていきたまえ。万が一の時には頼りになる」

「艦娘?となると……」

 

 ボンドはそう言うと、叢雲に目を向けた。叢雲の鋭い瞳はボンドをじっととらえていた。どうやら、叢雲も覚悟はできているらしい。しかし、そんな二人にタイガーは口を挟んだ。

 

「ちょっと待った。君たちが二人で会社に乗りこむつもりか?こっちとしても頼もしい限りだが、今の君らじゃ、どう見ても娘を連れて会社に来た父親にしか見えんぞ。叢雲、気持ちは嬉しいが今回は裏に回ってくれ」

「分かったわ。でも、あとは誰が……」

 

 その時執務室の扉の外から、室内の雰囲気に合わない明るい声が聞こえてきた。

 

「ジェームズ!今日こそは一緒に、ティータイムを楽しみましょう!」

 

 ボンドはタイガーに目を戻すと、タイガーは書類をブリーフケースにしまいながら、普段見せないほどの笑みをニヤニヤと浮かべていた。

 

「アフタヌーン・ティーか。ボンド、今日は私たちもご一緒させてもらおうかな」

「好きにしたまえ」

 

 

 

 この後のティータイムで、「What's!?」と「Really!?」の二単語がひっきりなしに聞こえたのは、言うまでもない。


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