沖縄本島鎮守府に降り立ったボンドを出迎えたのは、訓練に励む艦娘たちの姿だった。大きな湾内はブイの仕切りでいくつかに分けられ、それぞれ砲撃、雷撃、対潜と、状況に特化した訓練が行われている。これを見ていると、ボンドの鎮守府での訓練がまるでお遊びのようであった。この様子を叢雲が見ていたら絶対に対抗意識を燃やし、
「ボンド、これを見て何とも思わない?これに懲りてあんたもちゃんと訓練のメニューを考えなさい」
などと嫌味を言われていただろう。まったく、自分でやる訓練のことくらい自分で考えればいいじゃないか。ボンドはそこにいない叢雲への文句を考えながら、今回の任務に同行しているのが、ここの訓練の様子を見て
「Wow!みんな頑張り屋さんデスネー!」
などと能天気に言っている金剛で良かったとつくづく思っていた。
「ここでは僕が海上自衛隊にいたころの訓練方法やタイガーのアドバイスを取り入れながら、艦娘たちそれぞれの特徴や自主性を重んじた訓練をしています。ミスターボンドの鎮守府ではどんな訓練をしているのですか?」
「うちでは基本的に、訓練のことはみんな艦娘たちに決めさせてますからね。ここと同じく、みんなのびのびと訓練に励んでますよ」
神崎提督の問いかけに、ボンドは淡々と答えた。
今回のボンドの沖縄行きに金剛が同行したのは、ボンドの護衛のためだけではなかった。金剛はタイガーから、ここ沖縄本島鎮守府の深海棲艦討伐に協力するように言われていたのだ。ここ沖縄本島鎮守府は、東シナ海に出没する深海棲艦との戦いの最前線だが、配属されている艦娘は軽巡洋艦や駆逐艦などの攻撃力に若干の不安がある艦が大半であった。勿論、戦艦など高い攻撃力を持った艦娘はいることはいるのだが……
「ミスター・ボンド、彼女が我が鎮守府所属の戦艦、大和です」
神崎提督の指した先には、スラリとした背の高い、日傘を持った美女が立っていた。彼女はその手になにやら紙を持ち、あたりを見回していたが、ボンドたちの姿を見つけると頭を下げた。ボンドは彼女のお辞儀に対し深々と頭を下げた。
「彼女は非常に強力ですけど、あまり出撃しすぎると予算超過で山ほど始末書を書くことになりましてね……」
「だからといって、あまり箱入り娘にしても世間知らずになって良くないよ。なんなら私が彼女を……」
「ジェームズ!」
金剛がボンドの脇腹を突っつくのを見て笑う神崎提督に、大和は指令書を渡した。
「ボンドさんの鎮守府から来たって子がお越しになりました。第三発着場で待っておられます」
「了解、ありがとう。ではミスター・ボンド、参りましょうか」
第三発着場はコンクリート作りの建物で、まるでUボートのバンカーのようにボンドには感じられた。ひんやりとした空気の流れるその部屋の一角では、夕張が赤いファイルを手にボンドたちを待っていた。
「提督!お待ちしていました!」
「夕張か。Qはどうした?」
「徹夜でこれを完成させた後に、あとは私に任せるって言ったっきりグッスリですよ。だから私、一人で沖縄に来たんです」
夕張はそう言いながら、隣にとまっている黒塗りのモーターボートに目を向けた。これがQの作った、特殊装備付のモーターボートである。金剛はモーターボートを見て目を輝かせた。
「Wow!これがジェームズの艤装ですねー!」
「ん、まあ、そんなところかな」
「これで一緒に出撃できますね!Greatデース!」
はしゃぐ金剛を尻目に、ボンドはひらりとモーターボートに乗りこんだ。一緒に出撃できるだけで喜べる金剛と違い、ボンドはまだ喜べなかった。それも当然だろう。先日研究室でQがモーターボートと称するガラクタを見せられたボンドは、あのガラクタから作られたモーターボートがまともに動くか疑っていたのだ。
とりあえず、乗りこんでも沈まないってのは分かったぞ。あとは実戦に耐えうるかどうかだ……
一方、夕張は手元のファイルを見ながら、慣れない口ぶりで解説をしていた。
「えっと……まず、フロントガラスは防弾ガラスで、砲撃には数回耐えるようにテスト済みです。あとガラスには自動照準装置……開発部で私がかけてたあのメガネのやつ……がつけられていて、正面の砲と魚雷発射管と連動しています。あと、後部座席の下には、艦娘の艤装が収納できるスペースがあって……」
そんな夕張の説明を無視して、ボンドはエンジンを始動させた。それを見た夕張は、あわててボンドに叫んだ。
「ああっ、提督ちょっと、まだ説明は終わって……」
「習うより慣れろ。それが私のモットーでね。行ってくるよ」
そう言って一同に手を振ると、ボンドはまるでそのまま遊びに行くかのように外海にボートを走らせていった。
ボンドはボートを走らせながら、潮風と水飛沫の爽快感に身をゆだねていた。スピードも緩急自在で、走らせていて非常に気持ちがいい。
ボンドが兵装のスイッチを入れると、フロントガラスにヘッドアップディスプレイが表示され、照準や残弾数などさまざまな情報を映しだした。Qのやつ、なかなか面白いことを考えるじゃないか。
Qのアイディアに気を良くしたボンドは、そのまま艦娘たちの訓練エリアへと走っていった。ボートに乗って突然現れたゴキゲンな英国人の姿に、訓練に励んでいた艦娘たちは皆面食らってしまい、茫然と見つめることしかできなかった。そんな艦娘たちの間をボンドのボートがくぐりぬけると、高く上がった水飛沫が彼女たちの服を濡らした。
「ちょっと飛び入り参加させてもらうよ!」
ボンドは声を張り上げると、海上にずらりと並んだ的を見た。よし、まずは砲撃戦だ。ボンドはボートのエンジンをふかし、的の前を一気に駆け抜けていった。そして、その鋭い目で的を確実にとらえながら、フロントガラス前に装備された単装砲で次々と撃ちぬいていった。おお、これはいいな。艦娘たちもこんな感じで戦っていたのだろうか。そんなことを考えながら、ボンドは砲撃戦の教官をしていた川内に近づき、声をかけた。
「今の演習、評価は何点かな?」
「10点満点……Sです!」
「ありがとう、それじゃまた」
続いてボンドがお邪魔したのは雷撃戦のエリアだった。ここでは艦娘が引いている標的に雷撃を行う、実戦さながらの演習が行われている。ボンドはここでも先ほどと同じように一声かけると、そのまま的に向けてボートを進めていった。そして、標的に狙いを定めると、ボートの船首から魚雷を撃ちこんだ。魚雷は海面に航跡を描くと、
その先の標的を木端微塵に吹き飛ばした。ボンドは一撃離脱戦法のように、ぐいっと舵を切ると、艦娘たちに手を振りながらそのまま雷撃戦エリアを後にした。
そしてそのままボンドは対潜エリアにお邪魔したのち、意気揚々と第三発着場に戻ってきた。その表情はまるで、思いっきりレジャーを楽しんだ後のようであった。
「素晴らしいよ、夕張!帰ったらQにそう伝えてくれ!」
しかし、そんなボンドの表情とは逆に、発着場で待っていた一同は浮かない顔をしていた。皆ボンドが帰還時にあげた水飛沫でビショビショに濡れてしまっていたのだ。
「あなたがいるといつもQが機嫌が悪い理由、分かった気がします」
夕張のいかにも機嫌悪そうなその発言に、ボンドははにかみながら頭を掻いた。
その日の晩。
ボンドと神崎提督は、海を臨むすだれ張りのあずま屋で、沖縄料理をつまみに泡盛を飲みかわしていた。両者のラフな服装もあり、その様子はどう見ても外国人観光客と話しているバイトの兄ちゃんにしか見えないのだが、話している内容はとても深刻なものであった。
「……というと、沖縄の今山海運倉庫が怪しいと?」
「ああ。明日明後日中に調査をしようとは考えている。ここからは……」
「南に車を20分ほど走らせたところです。明日詳しい場所をお教えしましょう。あっ、と」
神崎提督は泡盛の瓶を手に取り、ボンドに見せた。ボンドは自分の空のグラスを差し出すと、泡盛のおかわりを注いでもらう。
「あっ、どうも。それで、そっちはどうだ?明日明後日あたりは」
「沖縄近海一帯の一斉巡回をかけようかと考えてます。艦隊を四方に分散させて。こちらとしても小競り合いばかりではなく、そろそろ敵の拠点を見つけて叩かなくてはいけませんから」
「私の方からも、倉庫の調査で何か分かったら教えるよ」
「よろしくお願いします。おや……?」
ボンドが神崎提督の視線の方向に振り向くと、東屋の柱のかげに金剛が立っていた。どうやら艦娘たちの食事会も盛り上がりのピークを過ぎ、落ち着いてきたらしい。しかし金剛は、いつもと違いどこか浮かない顔をしていた。神崎提督は明るい声を張り上げて金剛を呼んだ。
「なんだ、君か!おーい、どうだ、飲めるなら……」
「いや、彼女は私にだけ用があるみたいだ。宴に入りたいときは、彼女は自分から入ってくる」
「そうですか……」
「それじゃ、ちょっと失礼」
ボンドは落ち着いた様子で神崎提督を制すると、畳から立ち上がり金剛のもとに歩いていった。
あずま屋を離れた後、ボンドは金剛とともに鎮守府近くの海辺を歩いていた。そんな二人を照らすのは、煌煌と輝く鎮守府の明かりと、やわらかな三日月の明かりだけであった。波の音しか聞こえない空間の中、まず口を開いたのは金剛だった。
「ジェームズ……私、今まで感じたことがないくらい不安で……」
「えっ?」
「何が不安なのか分からないデスけど……その……」
俯く金剛に、ボンドはなんとか勇気づけてやらなければと考えていた。明日からの戦いは、これまで金剛が経験してきたような普通の深海棲艦との戦いにはならないのではないかと、彼女も薄々感じているのだろう。先日の東京でのカーチェイスで、敵に攫われかけたことを考えれば、金剛の不安ももっともだ。
明日からは金剛とは別行動になることも、彼女の不安を大きくしているのだろう。明日からの戦いがどうなるかは自分にも分からないが、このままでは金剛は普段通り戦えそうにないのは確実だろう。
「金剛、落ち着いて聞いてくれ」
そう言ってボンドは、金剛の髪を撫でた。
「明日がどうなるかなんて、誰にもわからないさ。この私にだって分からない。それに、何事も準備をしっかりした後は出たとこ勝負だよ。日本ではこう言うんだったかな?『人事尽して天命を待つ』。心配することはないさ」
そう言ってもなお、金剛はどこかさみしげな様子を見せていた。
「それに、戦う者というのは、みな大切な人とは離れたところで戦うものさ。そうじゃないと、絶対に生きて帰ってまたあの人に会おう、って気持ちが薄れてしまう。それは、今も昔も、どこの国でも同じことだ。もっとも、絶対に生きて帰れない中で、そのことを思いながら戦った人たちもいたわけだが……そうだ」
ボンドはポケットの中から何かを取り出すと、金剛の手に握らせた。金剛が手のひらを開くと、そこにはボンドがいつも使っている9ミリ弾の実包があった。
「お守り代わりになるかは分からないが……持っていたまえ」
金剛はそのまま手を握りしめると、ようやくいつもの笑顔をボンドに見せた。
「さすが紳士の国、英国の軍人さんネ……Thank you, ジェームズ!これで私も天下無敵デース!」
その笑顔を見たボンドはホッとした。しかし同時に、ボンドは今言った金剛の一言に、ある重要なことを思い出した。
それは、自分が今、命令で日本に来た「英国海軍中佐ジェームズ・ボンド」で通っていることである。つまり、ボンドのことを英国諜報部員だと知っているのは、鎮守府内ではタイガーと彼の関係者とQ、そして唯一自分から正体を明かした叢雲だけなのだ。他の人間や艦娘、そして金剛にさえも、ボンドが「007」であるとは知られていない。
もしボンドの正体が英国のスパイであったことが分かれば、艦娘たちはボンドを必要以上に警戒し、最悪の場合英日合同の対深海棲艦作戦の継続が不可能になってしまうこともありうる。
金剛は自分を「007」であると知らない。彼女にとって俺は「日本に出向した英国海軍中佐ジェームズ・ボンド」でしかない。もし金剛が俺のことを英国の犬と知ったとしても、同じ笑顔を向けてくるだろうか……。
「Hey!今度はジェームズの方が不安になったデスか!?」
ボンドは金剛の明るい声で我に返った。どうやら変に深刻な顔になっていたようだ。金剛も、そんな自分の顔を見て、今度は自分が励まさなければと思ったのだろう。健気な女だ。
「あ、ああ、そうかもしれないな。よければ今夜は……一緒にいてくれないか」
「...Of course!」
少なくとも今はそのことを考えるときではない。そうボンドは思いながら金剛に口づけた。