これまで襲い来る深海棲艦を片っ端からなぎ倒してきた川内たちだったが、その数の多さにさすがの彼女たちも疲弊の色を隠せずにいた。
「キリがないっ……」川内が思わずつぶやいたその時。
戦場の空気を震わせる巨砲の轟きと共に、ついに彼女たちの希望がやってきた。
超弩級戦艦・大和をはじめとする最精鋭の艦娘の揃った連合艦隊、総勢十二隻。
「お待たせしました。あとは私たちに任せて、第一陣の皆さんは後方に下がってください!」
大和は基地上部の陸上型深海棲艦に砲撃を撃ちこみながら、川内たちに声をかける。しかし川内はニヤリと笑って収納管から魚雷を取り出し、ペンを回すようにくるりと回転させると、
「せっかく賑やかになってのに、帰れなんてヒドいですね」
そう言って右舷側の敵巡洋艦に向けて魚雷を叩きこんだ。
「あと二時間すれば夜ですし、それまで粘らせてください!」
その言葉に大和は大きく頷くと、基地に向けて艦載機を飛ばした。
扉を開けて基地上部に出たボンドは、まず耳をつんざかんばかりの爆音に襲われることになった。深海棲艦たちが砲撃をしているのは十数メートル離れたところだったが、それでもボンドの耳はその砲撃音でほとんど麻痺してしまった。ボンドは両手で耳を抑えながら、深海棲艦どもには目もくれずに大空を見上げた。
ボンドがしばらく硝煙たなびく空を見ていると、砲撃音の鳴りやまぬ方角から、緑色の飛行機がこちらに近づいてきていた。零式水上観測機、大和の飛ばした偵察機であった。よし、思った通りだ!
ボンドは偵察機を見つけると、抑えていた耳から手を離し、聴覚が狂っていくのも気に留めずに必死に両手を振り回した。だがその振り回し方は普段人がやるような振り回し方とは明らかに違っていた。
そんなボンドの姿は、偵察機を通して大和にも伝わっていた。
「敵基地上部に、ボンドさんを発見!何か手を振って……」
「一体何のつもりなんでしょうか」川内は言った。
「これは……手旗信号です!『……シヲウテ』」
川内たちは大和がボンドからの信号を読み取る間、大和を全力で援護した。
「『キチノアシヲウテ』……『基地の脚を撃て』!」
「基地の脚……雪風、双眼鏡で確認して!」
「はいっ!」
川内から命令を受け、雪風は基地に双眼鏡を向けた。
「水中ですが、確かに脚みたいなものがあります!」
「私も今、偵察機で確認しました」と大和。
「分かった……全軍、基地の脚の部分に雷撃よ!……本部、応答願います!」
「こちら本部、どうした川内」
川内からの連絡に、神崎が応答した。
「提督、タイガーさん、今ボンドさんから連絡がありました。ボンドさんの報告によると、海面下にある基地の脚を攻撃するようにとのことでした」
「了解!そのまま基地を攻撃してくれ!以上だ!」
「……賭けに勝ったな」とタイガー。
「ボンドさんは大丈夫でしょうか」
「ヤツが攻撃しろと言っているんだ。心配いらんよ」
「了解……機動部隊に告ぐ、機動部隊に告ぐ」
神崎はそのまま機動部隊に無線を切り替えた。
「機動部隊は攻撃隊全機に基地脚部への集中攻撃を指示せよ。繰り返す、機動部隊は攻撃隊全機に基地脚部への集中攻撃を指示せよ!」
ボンドは自分の真上を旋回する偵察機にひたすらに手旗信号を送り続けていた。そしてボンドは、偵察機がひらひらと左右に機体を傾け、そのまま飛び去っていったのを見て、ようやく手を下ろした。なんとか伝わったようだ。とボンドが思ったその時だった。
ボンドは深海棲艦の一体がこちらに砲を向けているのに気がついた。ボンドが扉から下る階段に飛びこんだ次の瞬間、先ほどまでボンドのいた扉は爆音とともに炎と煙をあげていた。はからずも階段から落ちてしまう形になったボンドだが、通路の奥から銃を手にやってきた数人のスタッフを認めると、すぐさま起き上がり反射的に彼らの心臓に銃弾を撃ちこんでいった。
これで遅かれ早かれ基地は沈む。あとはその時までに金剛を見つけ、脱出するだけだ……。ボンドはそう考えながら、通路をかけだしていった。
……なんとかしてジェームズと合流して、ここから脱出しないと。金剛はその思いを胸に、基地底部の廊下を走り回っていた。金剛はストロンバーグから聞いたことなど、なに一つ気にしてはいなかった。タイガーに紹介された人だから信頼できる、という気持ちもあったが、そもそもボンドの正体が何者であろうと金剛には関係なかったのだ。金剛にとってボンドは、『私が愛した提督』以外の誰でもなかった。
「いたぞ!こっちだ!」
金剛は振り向きながら、すぐ後ろに迫るスタッフ二人を見た。そして廊下の角を左に曲がり、いつでも反撃できるように背中の艤装を確認した。そして正面を向いたその時。
「動くな!」
金剛の眼前には、こちらに指先を構えた詠美が立ちはだかっていた。金剛を挟み撃ちにするように追い込んだのだろう。
「あなたは会社にいた……」
「久しぶりね、通訳さん。おっと動かないで。少しでも動いたら毒針が貴女の身体を貫くわよ」
金剛の背後の曲がり角にも、先ほどのスタッフ二人がついていた。唯一の逃げ道は、金剛の右手側にある、両開きの大きな自動ドアのみ。しかしこれも、カードキーか何かがないと入れないようだ。ここまで来て、金剛は覚悟を決めた。
金剛はすぐさま砲を扉に向けると、ためらいもせず扉を撃ちぬいた。砲撃で起きた硝煙を煙幕の代わりにして、金剛は扉の向こうに駆けこんだ。その時金剛の長い髪を、二度ほど素早く小さいものがかすめていった。
硝煙の中を抜けた金剛は、目の前の光景に足を止めてしまった。金剛の出た先は、あの深海棲艦の生簀の一部だった。出撃でほとんどが出ていったとはいえ、まだまだかなりの量の深海棲艦が金剛の立っている足場の周りに残っていた。金剛が遠くを見据えると、生簀の奥の壁にさらに奥へと続く扉があった。金剛には考えている暇はなかった。
金剛は足場を蹴って飛び出すと、ひしめく深海棲艦の背中を因幡の白兎のごとく飛び移りながら扉の方に向かった。時折足蹴にした深海棲艦が怒って飛び跳ねるのも気にせず、金剛は一気に駆け抜けた。そして最後の深海棲艦から飛び降りて着水すると、金剛は奥の扉を撃ちぬいた。その時生簀全体に甲高いホイッスルのような音が鳴り響いたが、金剛は自分に襲い掛かった深海棲艦を一匹仕留めると、そのまま部屋を後にした。
生簀の部屋に鳴り響いたのは詠美の口笛だった。その音に深海棲艦たちはいっせいに詠美に注意を向けた。そして詠美が手を生簀の奥に降ると、深海棲艦たちは一斉に金剛の出て行った扉へと殺到した。
生簀の外は廊下に水が張ってあるような水路になっており、深海棲艦が移動できるようになっているようだった。金剛はその中を進みながら、追ってくる敵を倒していった。そして詠美が追いつくと、双方ともに激しい砲撃戦を繰り広げた。
砲弾と硝煙、怒号の飛びかう大海原に、また一つ新たな音が加わった。その鈍く風を切るような音は、次第に大きくなっていくと、戦場にその銀翼をきらめかせた。
十数機の零戦五二型に守られた九七式艦攻や流星、その数総勢四八機が、基地の脚を雷撃せんがため艦娘や深海棲艦の間を低空で飛んでいった。
そしてこれらの攻撃機はある一点を目指して収束しはじめた。その一点こそ、それまで川内たちが雷撃をぶつけてきた、「レッド・スティングレイ」左舷後部の脚である。そして、大和や川内たちが見守る中、ついに攻撃隊による空襲が始まった。
魚雷は次々と海中に投下され、何条もの白い航跡を作りながら脚部へと向かっていく。そしてそれらが扇のような形を作った次の瞬間、脚部周辺に立て続けに水柱が上がっていった。湧きあがった白波とともに、淡い黄色をした液体が浮かび上がった。
「油です!油が浮き上がってきました!」
戦いの合間に双眼鏡を覗いていた雪風の報告に、川内は声を張り上げた。
「さあ、前脚もつぶすよ!」
一方指令室の中では、左舷後脚が破損したことを示すサイレンが鳴り響いていた。
「ストロンバーグさん、このまま前脚までやられたら……」
「潜れ!海中に潜れ!」
ストロンバーグの指示に、スタッフは基地が足をたたんで潜るようにパネルを操作する。
川内たち水雷戦隊は、魚雷を前脚部に十数本撃ちこんだところで基地の動きに気がついた。その頃には、基地上部はほとんど水に浸かってしまっていた。雪風が基地を指さして叫ぶ。
「見てください!基地が沈んでいきますよ!」
「いや、潜っていくんだ。沈むならあんなゆっくり沈まない!」と川内。
爆雷では前脚にダメージを与えるのに魚雷よりも時間がかかる。艦娘たちにも疲労からか損害が出始めていることを考えると、なるべくなら今すぐにカタをつけてしまいたいところだ。
「させません!」
そう叫んだ大和は、前脚部に徹甲弾を撃ちこんだ。弾は基地の手前で着水したが、勢いそのままに魚雷で弱っていた前脚部の付け根を貫通し、基地内部で炸裂した。その威力は凄まじく、海上に水柱と共に炎が上がった程であった。その際砲弾は油圧ポンプを完全に破壊した。そして、左舷側の支えを失った巨大海上基地は、どんどん左へと傾いて行った。
基地の中はもはや沈没船のような状況だった。傾いていく基地の中で、ストロンバーグはマイクに向かって叫んだ。
「総員退避!詠美は金剛を仕留めてから退避せよ!」
そう言い残すと、ストロンバーグはスタッフと共に指令室を後にした。
「脱出ポッドから逃げるぞ。護衛の深海艦をつけてな」
基地底部は、上部よりも悲惨な状況になっていた。水路の水は基地の傾きに伴って大きく波打ち、金剛も詠美も飲みこまれかねない程だった。さらに、水が漏れだした上部からは、海水が油圧ポンプなどから漏れ出た油や小物と共にドッと流れこんでくる。その状況では、双方とも撃ちあいをしている余裕などない。二人とも混乱の中で、互いを見失ってしまった。
そんな状況がようやく落ち着いたのは、基地の右脚だけがかろうじて基地を支える形になって止まった時だった。傾きはおよそ四十五度。詠美はまるでビックリハウスの傾いた部屋のようになった基地内で、金剛を呼んだ。詠美は、金剛を仕留める許可が出たことでようやく深海棲艦としての本性が完全に現れたようだった。
「金剛……もう観念しなさい……今はあなたも私も油まみれよ!私の武器なら空気銃だから無理なく撃てるけど……あなたが砲を撃ったら引火して火だるまになるのよ!……さあ、早く私の前にひざまずきなさい」
詠美は赤く光る眼をギラつかせながら、黄色く光る水面をゆったり進んで金剛を探した。あたりはかなり浸水が進み、生簀の一部では天井まで水が届くほどになっていた。
金剛はその声を聞きながら、基地の奥へと追い込まれていった。階段やほとんどの扉は、水が押し寄せたり開かなかったりなどで進めなかった。疲労と極度の緊張、そして追いつめられる恐怖が、しだいに金剛の身体を蝕んでいった。そんな中でも金剛はボンドを心のよりどころにした。ジェームズなら、こんな時どうするかしら……
金剛は、拳をぎゅっと握りしめた。
ストロンバーグとスタッフ五名は、基地上部にある脱出ポッドの発着場にたどり着いた。脱出ポッドは一人乗りの小さな潜水艦で、甲標的と呼ばれるものに近かった。脱出ポッドを前にして、スタッフの一人がストロンバーグに尋ねた。
「他のスタッフたちはどうしますか」
「犠牲になってもらう。将軍は戦場で死ぬわけにはいかんからな。そして、君たちは選ばれた存在だ」
そう言ったストロンバーグの瞳は、青く光っていた。
ベルトコンベア上に並べられた脱出ポッドにストロンバーグたちは乗りこむと、自動で発射管に押し込まれ、射出された。
射出された先の海中では、潜水可能な人間型の深海棲艦が待機しており、ストロンバーグたちを先導して青く深い闇の中に消えていった。
詠美は基地底部で回れる箇所を回りつくし、最後の部屋、指令室直下の生簀だった部屋に入ろうとしていた。金剛は確実にこの部屋にいる。詠美は心して、部屋に足を踏み入れた。
その時扉の陰から金剛が飛びかかり、詠美の左手を両手でつかんで抑え込もうとした。詠美は至近距離から金剛を撃とうとするも、金剛に腕を左右に振り回され、金剛に砲門を向けられない。しばらくもみ合っていた二人だったが、詠美が金剛の腹部に膝蹴りを入れ、金剛をふりほどいた。そしてさらにダメ押しとばかりに金剛の頬に固い左手の一撃を食らわせた。
水面に叩きつけられた金剛は泣くような、うめくような声をあげて、部屋の奥、指令室の窓のあたりにふらつきながら逃げていった。この期に及んで逃げ場所でも求めているのだろうか、時々水面に倒れながらもがいて逃げていく様子は、詠美にはひどく哀れなもののように映った。
しかし詠美はそんな金剛をゆっくりと、容赦なく追いかけていく。
「金剛?あなた『ヒョウモンダコ』って知ってるかしら?体に青い斑点のついたとってもキレイなタコなんだけどね、人ひとりは軽く殺せるような猛毒を持っているのよ。唾液にテトロドトキシン……フグの毒と同じ成分が入っていて、噛まれたら神経が麻痺してだんだん息ができなくなるんですって。……私の毒もこれに似たような毒なの。社長は『アカエイ』なんて名前をつけてくれたけど、毒の種類を考えたら、こっちのほうが合ってたかもしれないわねぇ~」
詠美がまるで聖書でも暗誦するように述べるうちに、金剛は指令室の割れた窓の下に追い込まれてしまった。窓までは金剛の身長の倍ほどの高さがあり、金剛の手では届かない。金剛はその事実を知って絶望したのか、壁を背にして腰を落とした。その頬には青いアザがついていた。
「かすり傷からじわじわ苦しんで沈んでいくのと、ひと思いに頭を撃ちぬかれて沈むの……どっちがいいかしら」
「待って!」
詠美が左手を金剛に向けたその時、金剛は叫んだ。しかし命乞いのような悲痛さはなく、どこか力強さがあった。
「今の話、なかなか面白い話だったデース。折角だから最後に私も、海の生き物……海産物に少し関係ある話をしたいネ。OK?」
詠美は依然として金剛に左手を向けながら言い返す。
「いいわ。小話だろうと遺言だろうと聞いてあげる」
「Thanks. 私は料理が好きで、よくジェームズにもいろいろな料理を作ってあげていました。その中でも一番得意な料理がカレーライスだったのですが……」
その口調は場に似つかわしくない、明るい世間話のようであった。しかし金剛は詠美のギラつく瞳にじっと目線を合わせ、一瞬たりともそらすことはなかった。これがこの時の金剛の張れる、最大限の虚勢だった。
「シーフードカレーを作る時に、ジェームズの秘書艦の叢雲から、ひと手間かけてもっと美味しく作る方法を教えてもらいました~!何だと思いますか?」
「何って……あなたなめてるの?」
にじりよる詠美に、金剛は手を突きだして慌てて静止した。
「NO!NO!NO!まだ撃たないで~!そう!その美味しく作る方法っていうのが、具材を鍋に入れる前に、お魚も貝も、一度油でカラッとあげることだったんデース!そうすれば一緒に入れる野菜がトロトロに溶けるくらい煮こんでも、魚介類の旨みがある程度具材に残るので、カレーも具も両方美味しくなるのデース!そう聞いて一度作ってみたら、ジェームズにもタイガーにも褒められてしまいました~!いつもは私の料理にベリーハードな叢雲も、『今日はまあまあね』なんて言ってくれたりなんかして……」
詠美は眉間にしわを寄せながら、モノマネ交じりの金剛の話をじっと聞いていた。なんでこんなくだらない話を聞いているんだろうか、と思っていたその時だった。
「う~、こんな話をしていたら、最期の最期に料理がしたくなってきました……だから……」
金剛はそこまで言うと指令室の窓に手を伸ばし、その縁をつかんだ。浸水で底部に流れてくる水により、いつの間にか金剛の手が届く位置にまで水かさが上がっていたのだ。今の金剛の話は、すべて水かさがあがるまでの時間稼ぎだったのだ。
「貴女を素揚げにするのデース!ファイヤー!」
決め台詞のように言い放つと、金剛はそのまま飛び上がり、指令室によじ登ろうとした。しかし、それを詠美が見逃すはずはない。詠美は出し抜かれた怒りから、赤く目を光らせた修羅の形相で金剛に左手を向けた。
「オノレエェェェェェッ!」
そう叫んだ次の瞬間、詠美の左手の発射口から、火薬の爆ぜる音と共に、出ないはずのマズルフラッシュが噴き出した。突然のことに詠美は絶句したが、それも一瞬だった。マズルフラッシュの炎は油を浴びた詠美の全身、さらに生簀の水面に張った油に引火し、生簀一帯は文字通り炎の海になった。
金剛は間一髪指令室の中に転がり込んだため、引火は免れた。
金剛は詠美に飛びかかった時、詠美の空気砲の発射口に、数日前ボンドからお守りとして貰った拳銃弾を詰めこんでいたのだ。そして毒針が発射された際にその先が詰められた銃弾の尻をたたき、暴発したというわけだ。飛び出した弾丸は詠美が発射時の反動に耐え切れず手を動かしたため、見当違いの方向へと飛んでいくことになった。
金剛は明かりの消えた操作パネルに寄りかかりよろめきながら立ち上がると、指令室の窓から詠美の叫びと共に真っ赤に燃えさかる生簀をじっと見つめた。ジェームズ、またあなたに助けられてしまいましたネ……さあ、いま会いに行きますよ……
金剛はふらふらと指令室を出ると、そのまま上に続く階段を登った。途中階段の傾きがきつい部分があったため、金剛はそこで艤装を捨てた。そこから何階か階段を上がっていったが、金剛の体力はこれが限界だった。基地の上部に達したところで、金剛は階段から離れ廊下に出ると、そのままバタリと倒れてしまった。
それからしばらくすると、金剛の倒れている階も水がつかり始めた。しかし金剛は起き上がらなかった。
その時金剛の顔の前に、男物の革靴を履いた、大きな足が立ち止まった。