007/暁の水平線より愛をこめて   作:ゆずた裕里

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其の二

 ボンドは提督ごとに用意された英国調の落ち着いた雰囲気の個室の中、ひとりベッドの上で横たわり瞳を閉じていた。下着姿で微動だにしないその様子は、まるで眠っているか死んでいるかのようだった。

 その時突然、ボンドのスマートフォンに着信が入る。その音にボンドは目を開けると、上体を起こしてスマートフォンを手にし、そのまま耳に当てた。

 

 「いけたか?」

 『ああ、楽勝だよ。あとはパソコンで会おう』

 

 ボンドはスマートフォンを切ると、バスローブを羽織りながらドアの向こうにいる叢雲を呼んだ。その呼びかけに、どうも分かりかねたような顔をして部屋に入ってくる叢雲。続いて大き目のキャリーバッグからノートパソコンを取り出したボンドに、叢雲は声をかける。

 

 「ボンド、アンタ一体何してたの?」

 「この部屋に入る前、君はこの部屋には隠しカメラと盗聴器が仕掛けられてるって言ったろう。だから、Qに頼んでカメラと盗聴器をハッキングして、ダミー用の映像と音声を録ってもらっていたんだ。今録った映像と音声を一晩中ずっと流していれば、この部屋で何をしても相手にはばれないってわけさ。無線発信のカメラと盗聴器だったからできた芸当だよ」

 「ふぅん、そんなこともできるのね」

 

 感心しているような、していないような微妙な口ぶりで叢雲は言う。

 

 「で、さっきのコースターは何だったのよ?」

 

 と言いながら、ベッドの上、ボンドの隣に座る叢雲。

 

 「今からQに何もかも説明するから、その時まで待っててくれ」

 

 不満げにふくれっ面をする叢雲をよそに、ボンドはベッドの隣の小さな棚の上にノートパソコンを置き、操作している。しばらくすると画面にQの姿が現れた。それを見て、叢雲はボンドのすぐそばまで近づき画面を覗きこんだ。

 

 『あ、来た来た。そっちは僕の姿映ってる?』

 「ああ、バッチリだ」

 『で、僕に見せたいものって何?変なものはいらないよ』

 「実はこのコースターなんだが……」

 

 そう言ってボンドはパーティ会場から持ってきたコースターを、パソコンのカメラに見せるように取り出した。

 

 「この真ん中の黒い点が、どうやら超小型メモリらしい。それを解析して、中身を見てほしいんだ」

 『分かった。同封してあるスキャナーをUSBにつないで、その上にコースターを置いてよ。あとはこっちでやっておく。あっ、読み取り中はコースターに触るなよ。下手すりゃ最初からやり直しだ。あと99%のところで触りでもしたら、僕はもう通信を切ってやるからな』

 「通信の切れ目が縁の切れ目、ってやつだね」

 「くだらないこと言ってないでさっさとやんなさい!」しびれを切らした叢雲が叫んだ。

 

 ボンドは四角い板のようなスキャナーを取り出すと、ノートパソコンのUSBに差した。そしてスキャナーの上面、光沢のある黒い板の部分にコースターを乗せる。すると、Qのいる画面からピッ、という電子音が鳴る。

 

 『おっ、来た。超小型メモリ、って読みはどうやら当たりみたいだ。待っててよ……うわあ。読み取れたけどひどく複雑に暗号化されてるなあ……こいつを解除するからちょっと待ってて』

 「どのくらい待てばいい?」

 『『ちょっと』さ、『ちょっと』!』

 

 そう言うとQは画面の中で前かがみになる。ノートパソコンの画面には、Qのボサボサ頭しか映らなくなった。

 

 「やれやれ……じゃあ、こっちも情報を漁ってこようかな」

 

 ボンドはそう言うとバスローブを脱ぎ、素肌にそのままワイシャツを羽織った。

 

 「ボンド、どこ行くのよ。私はどうするのよ!」

 「ちょっと探りをいれてみるのさ、『ちょっと』ね。君はこの部屋でQからの報告を聞いていてくれ。また帰ってきたらお互いに情報交換しよう」

 

 そう言う間にボンドはワイシャツにスラックスというラフな姿になり、扉の向こうに消えてしまった。

 

 「ねえちょっと!……ふん!」

 

 完全に放っておかれてしまった叢雲は、不機嫌そうに立ち上がるとキャリーバッグから制服を取り出した。そしてバスルームまで行くと、パーティの間中ずっと着ていたドレスを脱ぎ始めた。そんな叢雲は鏡に目をやると、自分の顔をまじまじと眺めながら、今の自分の状況をふと考える。

 

 ボンドはあんな調子だし、Qはひたすら暗号解読に夢中で、自分には見向きもしない。まったく、どいつもこいつもどういう神経をしているのかしら。

 そんなことを思いつつも、叢雲はどこか違う世界で生きているかのような隔たりを二人との間に感じていた。鏡の中から自分に向けられる切なげな視線を振り切るかのように、叢雲は俯く。

 

 叢雲が着替えて部屋に戻った丁度その時、ノートパソコンからQの声が聞こえてきた。

 

 『お待たせ。叢雲、ボンド、できたよ』

 「Q、何の情報だったの?」

 『なにかのログインIDとパスワードのようだ。どうやらそのメモリ自体が、専用のプログラムで暗号解除するとそのままログインできる代物みたいだね』

 

 そこまで聞いて、叢雲はピンとくるものがあった。

 

 「Q、もしかしたらこれと関係があるんじゃ……」

 

 叢雲はQに、パーティの時にボンドから受け取った堂本の名刺を見せた。

 

 「この鎮守府の提督の名刺。この男が一枚かんでるっていうネットカジノへの行き方がここに書いてあるわ」

 『あっ、そのURLだね。そこでこのIDを使うと、一体どこに行けるのかな……』

 

 そう言うと画面の中のQはキーボードを打ち始めた。

 

 『ああ……このID、『深層ウェブ』に繋がるやつだ……』

 「深層ウェブ?」

 『普段使われるインターネットじゃ潜り込めないようなさらに奥深いところにある、素性を知られては困る連中が使っているサイトのことだ。そこは魑魅魍魎の世界。何でもござれの無法地帯さ』

 

 素性を知られては困る連中、って一応アンタもそうなんじゃないの?叢雲はそう思った。

 

 『こういうところに潜るには細心の注意を払わないといけない。僕ら政府の人間さえも出し抜こうとしている輩の集まりだからね。叢雲、準備をしなきゃいけないからまたちょっと時間をくれ。閲覧できるようになったら、また呼ぶよ。すまない』

 「大丈夫よ。待つのにももう慣れたわ」

 『そうだ。僕が準備をしている間、夕張から今回の特殊装備の解説を聞いていてくれないかな。夕張!』

 

 画面の外から夕張の元気な、はーい、という声が聞こえた。

 

 『叢雲に装備の解説をしてやってくれないか!叢雲、夕張の方にカメラを切り替えるぞ』

 

 そう言ったQの姿が、一瞬にしてニコニコ笑顔の夕張の姿に切り替わる。

 

 『はーい、じゃあここからは私が、Q特製キャリーバッグの説明を……あれ?ボンドさんは?そこにいないの?』

 「ボンドはさっき出ていったわ」

 『そう……じゃあ叢雲ちゃんだけでいいから聞いてくれない?ねっ!』

 「……分かったわ」

 

 夕張は楽しそうに足元からボンドの持ってきたキャリーバッグと同じものを取り出した。

 

 『それじゃあ始めます!まず、このバッグのここ、伸ばせる取っ手は取り外しができます。さらにこの取っ手は、こんな感じに……持ち手と管まで分解できます。そうしたら持ち手の、伸ばす時に押すボタンの横にフタがあるので、それも外します。これで、持ち手の片側に、もう一つ穴ができるわよね。そうしたら……』

 

 そこまで言うと、夕張は持ち手と管をそれぞれ片手ずつに持ち、突然ビートの効いた鼻歌を口ずさみながらその場で踊り始めた。

 

 『アイハブアチューブ♪アイハブアハンドル♪ンッー!……』

 「いやそういうのはいいから真面目にやって頂戴」

 

 叢雲の反応はこの上ないほど冷ややかだった。

 

 

 

 

 

 

 一方のボンドは、堂本の執務室への潜入する方法を考えながら、廊下を進んでいた。もしかしたら、この鎮守府にある艦娘の資料から、轟沈の真相の手掛かりが掴めるかもしれない。あのコースター以外何も手がかりがない以上、そこに当たってみる価値はあるはずだ。そう考えていたその時だった。

 

 「あら、ジェームズ!」

 

 ボンドは自分を呼ぶ声に振り向く。緊張していたためか、その右手はワルサーの入った右手に伸びていたが、それを使う必要はなかった。声をかけたのはへそ出しにミニスカという、あまりに挑発的な制服姿の陸奥だった。

 

 「何してるの?こんな時間に」

 「いや、ちょっと探し物を……」

 「探し物ってなぁに?私も暇だし、よかったら一緒に探すの手伝ってあげるわ」

 

 そう言って、陸奥はボンドにウインクする。しかし、ボンドはそのアプローチに目を伏せた。

 

 「いや……もう大丈夫だよ」

 「えっ……?」

 

 戸惑う陸奥の眼前まで近づき、そのエメラルドの如く緑色に煌めく瞳をじっと見つめるボンド。

 

 「探していたものは、今見つかったからね」

 「あら、あらあら……」

 

 

 

 

 

 

 『……それじゃあ説明はこれでおしまい。装備は無傷のままで返してね!』

 「分かったわ。ねえ夕張、ちょっと聞きたいんだけど」

 『ん、なあに?』

 「アンタ、Qとはうまくやってるの?」

 『えっ!?ちょちょっ、なんでいきなりそんなこと聞くの!?』

 

 突然顔を赤くしてどぎまぎしはじめる夕張に、叢雲は冷静に言う。

 

 「勘違いしないで。そこの連中にはうまくなじめてるかって聞いてんのよ」

 『あっ、うん……ま、まあ、最初は戸惑うこともあったけど、なんだかんだでうまくやってるか……な。ちょっと変な装備のテストしたりするのも、結構楽しいし!』

 「ふぅん、そう……」

 

 その時。

 

 『夕張、叢雲、カメラを切り替えるよ』とQの声。

 『あっ、う、うん!』

 

 夕張がまたどぎまぎしはじめた直後、画面がQの姿に切り替わる。それと同時に、Qは深くため息をついた。先ほどまでのQとはどこか雰囲気が違う。

 

 「Q、どうかしたの?」

 『叢雲、今ログインした先のサイトを見てきたんだけど……』

 

 そう言って、Qは勿体ぶるように椅子に座りなおした。叢雲は言いだしたい気持ちを抑えながら、Qの姿を見守った。

 

 『……正直言って、僕はあのサイトの内容を君に見せたくない。恐らく君たち艦娘にとって非常にショッキングな内容だと思う。君ならともかく、夕張に見せたらどうなることか……』

 

 どこか煮え切らない態度のQに、叢雲は毅然とした態度で言いきった。

 

 「そんなこと言っていたら何も分からないじゃない。私への気遣いは感謝するわ。でもそれが今の私の仕事だし、アンタの仕事でもあるわけでしょ!私だって、覚悟はできてるつもりよ。……ほら何してんの、早く私に見せなさい!」

 『……分かったよ』

 

 画面内のQがキーボードを操作すると、画面の右の隅に、小さな別の画面が現れた。それがQのみていた、『例のサイト』が映るウインドウだった。かなりの覚悟をしていた叢雲は最初そのウインドウを見た時、何か分からず拍子抜けしてしまった。

 

 

 

 しかし、この後にQの説明を聞いた叢雲は、全身が総毛立ち愕然とすることとなる。


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