007/暁の水平線より愛をこめて   作:ゆずた裕里

24 / 25
其の四

 冷たい。全身が冷たい。

 そんな感覚に、ボンドは目を覚ます。だがあまり気持ちのいい目覚めではないようだ。どうにも息苦しくてたまらない。ボンドは暗がりの中目を凝らしてあたりの様子を伺いながら、今の自分の状況を把握しようとした。

 ボンドは素裸に剥かれ、体を体育座りのように曲げられて地面に掘られた穴の中に詰めこまれていた。穴はきつくて身動きがとれない。下手に動くと体のあちこちの傷が痛む。

 そんなボンドを見下す眼差しを、堂本と取り巻きたちが向けていた。

 

「さて……おたくはどこの回し者だ?」

 

 しゃがみこんだ堂本の冷静な声が、ボンドの耳に飛びこんでくる。

 

「教えてもいいが……どんなスペシャルサービスを受けさせてもらえる?そうだ、あのバーテンの子をつけてくれ。まだ夜明けまで時間が……」

 

 そこまで言うと、ボンドの頭は強い衝撃を受けてのけぞり、後頭部を穴のふちにしたたかに打ちつけた。ボンドは今しがた自分の額を蹴りつけた堂本のブーツのつま先を、恨めしげに睨みつけた。

 

「……まあ、どこの誰だろうと関係ない。でも折角この鎮守府に来てくれたんだ……それなりのもてなしをしなければいけないね」

 

 堂本が左手を振って合図をすると、取り巻きたちは米袋大の袋をナイフで切り裂き、その中身をボンドの周りに入れ始めた。土だろうか?だが土にしては冷たいな……そう思ったその時、体中の傷口をしみるような痛みが襲い掛かった。まるで小さなピラニアが、全身の薄皮をつついているかのようだった。

 ボンドは痛みに思わず下唇をかんだ。その汗のふいた下唇が、しょっぱいを通り越して塩辛くなっていた。

 こいつら、俺の周りに塩をつめている!

 

「……日本には、『敵に塩を送る』ということわざがあってね。敵の苦境を救ってやることを言うんだが……その意味で使われるのは今日限りだな」

 

 堂本が得意げに話す間に、塩はボンドの首筋までしっかりと詰めこまれた。絶え間なく続く痛みが、まるで自分を少しずつ死に追いやっているように感じる。というよりも、事実そうなのだ。塩は傷口から少しずつボンドの体の水分を奪っていき、渇きの苦しみに追いやるのである。

 

「安心しろ、ミスター・ボンド。日本の戦国武将も敵に討ち取られたとき、その首は塩漬けにされたんだ。それと同じことだと考えてくれ」

「しょっぱい殺し方だな。いっそのこと一思いに首を飛ばしたらどうだ?」

「そんなことをしては話ができないじゃないか。私は、お前から情報を聞き出すためにこんなことをしているんだよ。ちゃんと話してくれるなら、塩漬けになる前にここから掘り起こしてやる」

「お断りだ。今日初めて会った人間を漬物にしようとする奴なんかに話すことなんてない。

「さてさて、どこまでその勢いが続くのやら……」

「はっ、こんなことくらい朝飯前さ。漬物だけにね」

 

 ボンドはひたすらに、堂本を煙に巻くような言葉をなげかけた。

 それは堂本に会話の主導権を完全ににぎらせないためでもあったが、それよりもボンドが自分の正気を保つためでもあった。どんなひどい状況でも、ひたすら威勢よく軽口をたたいていれば、体の中から生きる気力がわきあがってくるものだ。

 一方の堂本は、そんなボンドの軽口に卑屈な笑顔で返した。見かけは笑ってはいるものの、額には青筋が立っていた。

 

「まあ、いいでしょう。それでは失礼しますよ。あいにく私は、塩風呂に浸かっている人間とあまり長く話している時間はないので。しばらくしたらまた戻ってきます。もし君がこの塩風呂に飽きたら、その時に言ってくださいね。まだまともな口がきければ、の話ですが」

「お気遣いありがとう。欲を言えば、もう少し塩かげんを温かくして欲しいんだけどね」

 

 相変わらずのボンドに、堂本は返事の代わりに蹴りを入れた。

 続いて二度、三度。

 しかし堂本蹴りを入れるたびに、ボンドは痛みに耐えながら心の中でほくそ笑んだ。

 一見まともな知識人に見える人間が、ただの俗物であることがばれる姿ほど、見ていて醜いものはない。

 堂本はあと数発ボンドに蹴りを入れると、満足したのか振り向きもせずに取り巻きを連れてボンドの目の前から去っていった。

 

 顔にいくつもアザを作ったボンドは、小さく乾いた笑い声をあげた。堂本の化けの皮を思いっきり引っぺがしてやったことが愉快だった。ざまあみろ、こんな姿はタイガーや艦娘たちには見せられないだろう。

 ボンドはひとしきり笑った後に、まだ意識がはっきりしているうちに考えを整理しようとした。

 

 

 

 まず、堂本が鎮守府の提督として活動している裏で何かをしようとしているのは確かだ。あのマイクロチップのアドレスと、地下へと続くエレベーターの先に、その答えがあるはずだ。それは……。

 ボンドは愕然とした。手がかりらしい手がかりをまだなに一つ見つけられていないことに、自分のことながら幻滅した。

 ちくしょう、せめてあのマイクロチップが何だったのかを知ったうえで探りに出ていれば、それをネタに堂本から更なる情報を聞きだせるかもしれなかったのに!

 

 そんなことを悔やんでいるうちにも、ボンドは喉に渇きを覚えはじめていた。パーティでカクテルを飲んだことが、今となってははるか昔のようにも思える。

 ボンドは身体をひねり、少しでも塩から抜け出そうとした。しかし塩はすでにボンドの身体の水分を吸って固まりかけており、びくともしなかった。ボンドがじわじわと殺されていく準備は、確実に整っていた。それでもなんとか抜けだそうと、ボンドがもがいていると……

 

 突然、ボンドは自分の腹に、なにか強い響きを感じた。どうやら、地面の底から衝撃が伝わってきているようだ。その正体はいささかも察しがつかないものの、嫌な予感を覚えたボンドは、すぐにここから抜け出そうと塩の詰まった穴の中を必死になってもがいた。

 

 しかしそんなボンドも傷口から少しずつ体力を奪われていき、ついに体の力を抜いた。もう一度あの強い響きが聞こえてくれば、ボンドはもうしばらく諦めずにもがいていたかもしれない。しかし響きももう聞こえない今、こうなってしまっては、ゆるやかにミイラになっていくのを待つしかない。

 

 ボンドは少しずつ強くなる渇きに苦しみながら、頭を上げた。目の前には、見渡す限りの大海原が広がっていた。今ならあの海の水だって全部飲み干せそうな気がする。そんなことをぼんやりした意識の中で考えていたボンドを、鋭い頭痛が襲いはじめていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。