ボンドが作業棟でとらわれの身になっていた、その時。
二人の男がボンドたちの部屋の扉を蹴破り、持っていたサイレンサー付のMP5サブマシンガンをフルオートで撃ち放った。味気ないタイプライターのような音とは裏腹に、放たれた銃弾はノートパソコンやベッド、机の上の灰皿に至るまであらゆるものを蜂の巣にした。
一通り撃ち終えた男たちは、ポケットからマガジンを取り出すと再装填した。そしてバスルームやクローゼットの中、ベッドの下を、銃を撃ちこみながら片っ端から漁っていく。
「確かにここにいるんだろうな?」
「そのはずだ」
そう言って一人が弾痕から月明かりの漏れるカーテンを引きはがす。その向こうの窓は大きく開け放たれていた。
「しまった!逃げられたか!」
「探しに行くか」
「いや、まずは出口を塞ぐのが先だ。ついてこい」
二人は静かに部屋を出ていった。
それからしばらくして、クローゼットの扉がパタンと倒れた。恐らく蝶番に弾が命中していたのが、今まで持ちこたえていたのだろう。続いてクローゼットの中から、ところどころに生々しく弾痕のついたキャリーバッグが倒れる。
キャリーバッグが床にぶつかると同時に勢いよく蓋が開くと、中から憔悴しきった叢雲が息を切らしながら外に転がり出てきた。Q特製の防弾キャリーバッグは、その身を穴だらけにして叢雲を守ったのであった。
叢雲は汗まみれだったが、ずっと部屋にいる訳にもいかなかった。
たぶんあの男たちはすぐにでも戻ってくる。このことをすぐにでもタイガーに連絡しないと……たぶんQも連絡してくれるだろうけど、彼も何が何だかさっぱりってのが正直なところだと思う。電話はボンドが持っていってしまったし、この部屋にある他の通信装置はすべて壊された。
あと外との連絡に使えそうなのは……私の艤装の通信機!
叢雲はすぐさまキャリーバッグの取っ手を引き抜くと、夕張に教えられた手順を思い出しながら分解、組み立てていった。
「まずハンドルを外して……」
「ネジも外す……」
「そしたら二本の管を繋げる……」
「それをネジ穴に刺す……」
すべての手順を終えた叢雲の手には、竹の水鉄砲にグリップがついたような、奇妙な形の消音拳銃が出来上がっていた。これはいわゆる一般的な拳銃というよりは、大戦中に英国の特殊作戦執行部が使った隠密用消音拳銃、ウェルロッドに近いものだ。
弾は一発しか装填できず、排莢は銃身の、太さの違う二本の筒を水鉄砲のように前後にコッキングして行う。そしてバッグのハンドルを伸ばす時に押すストッパースイッチが引き金の代わりだ。しかし代物が代物なので、精密射撃には向かない。用途は護身に限られるだろう。
叢雲はバッグの内布の裏地に入っていた9ミリ弾を一粒、筒の側面にあけられた排莢口から装填した。そして窓の外を伺い、ひと気がないのを確認すると、ボンドと合流するため夜の闇へと飛び出していった。
私に艤装じゃなくてこんなものを持たせるなんて、と考えながら。
ぽつぽつと灯っている電灯の薄明かりの中、叢雲はつい三十分前にボンドがたどった道のりを進んでいった。艦娘たちの艤装は、すべて艤装整備棟のなかにおさめられている。
叢雲はあたりを小動物のように注意深く見回しながら、先へ先へと進んでいった。少しでも物音が聞こえるたびに、叢雲は音のする方へと注意を向けた。
その姿は、大海原で堂々と深海棲艦を戦う艦娘とは、大きくかけ離れたものであった。もちろん艦娘にも夜戦で闇の中から忍び寄り、敵を奇襲することはあるのだが、ここまでコソコソと臆病者のように隠れることはあまりない。
闇から闇へと隠れて進みながら、ついに叢雲は艦娘整備棟へとたどりついた。整備棟の中は、まだ灯りがついている。叢雲は白く塗られたトタンの壁に耳を当て、中の様子を伺った。なにか話し声がのようなものが聞こえるが、何を言っているかは分からない。
もしかしたら、無線か何かを使っているのかも。そう思った叢雲は、頭の艤装に精神を集中し、Qが組み込んでくれた盗聴機能を作動させた。
中にいる人間とは距離があり、さらにトタンの壁を挟んでいるためか盗聴には少々時間がかかったものの、しだいに会話の内容が分かってきた。
『……ええ、いい最終試験になりました。しかし、あれをぶっとばすには……』
『当たり前だ。今回はそのために、特製のものを用意したんだからな。あともう少ししたらそっちに行くぞ』
『かしこまりました』
通信の声は、それでとだえた。相手はたしかに、この鎮守府の提督、堂本であった。
叢雲はこの時、堂本が今夜何かを企んでいると確信した。でも何をするつもりなの?あのネットカジノと何かの関係があるのかしら?それに『特製のもの』って一体……?
数多の謎が脳裏をかけめぐるうちに、叢雲は肌寒さを覚え、自分の華奢な身体を抱きしめるように抱えた。しかし、その肌寒さは港から吹く海風とは関係なかった。深海棲艦を相手にするのとは違う、得体のしれない気味の悪さが、叢雲の心胆を寒からしめた。
叢雲は先ほどQと見た艦娘の『轟沈予想』に、艦娘でない人間の、底知れない闇を感じた。この鎮守府に隠された謎を追うことで、その深淵を今、叢雲は覗こうとしているのだ。ここから先は、どんな危険が待ち受けているか、彼女にも分からない。もしかしたら、無事で戻ることも叶わないかもしれない。
叢雲は大きく息を吸うと、同じくらいの時間をかけてゆっくりとはいた。その瞬間、叢雲の肝が据わった。ここでじっとしていたって、ボンドがなにかしてくれるわけじゃない。とにかく、私のできることをやるだけよ。それで最悪の結果になったとしても、それだけのことよ。
叢雲はそう考えると、整備棟への入り口を探すため身をかがめて進み始めた。ただ歩いている間も、叢雲は心の中で、延々とボンドへの恨み言をつぶやいた。こんな時にあの男は、いったい何をしてるのよ。あんなことを言っておきながら、きっとどこかで他の艦娘と仲良くやっているのよ。そうよ、そうに違いない。だいたいあの男は……
しかしそうしているうちに、叢雲は身体の肌寒さが、少しずつ収まっていくのに気づいた。普段ボンドと話をする時のような、しょうもない恨み言を繰り返すうちに、叢雲の心を覆っていた不安な気持ちが収まっていったのだろう。
それでも安心はできない。この事態を打開しない限りは。叢雲はただ、その思いだけでひとり闇の中を進んでいた。
叢雲は整備棟の外周を回るうちに、整備棟の裏手に妙なものがあるのに気付いた。二メートルくらいのトタンで囲われた敷地内に、なにかが山のように積まれている。その日、月は出ていたものの、敷地は整備棟の陰に隠れているために、何があるのかは遠目にはよくわからない。敷地内にはいれるように開けられたトタンの隙間に、叢雲はその正体を確かめるために近づいた。
トタンの間から覗きこんでようやく、叢雲はそれが何か分かった。
敷地内にうず高く積まれていたのは、すべて破損した艦娘の艤装であった。
艦娘のために開発した艤装でも、老朽化や深海棲艦との戦いでの破損は避けられない。そういった艤装は普通の工業製品と同じく、スクラップとして取り置かれるのが普通であった。
ただ、叢雲はスクラップ置き場のど真ん中に立ち、その艤装の山をまるで死体の山であるかのように見つめていた。
この艤装……何かおかしい。
艤装の山にふと覚えた違和感と、墓場のような禍々しさに、叢雲は動けずにいた。その違和感の正体を、この時の叢雲はまだ見つけられていなかった。
叢雲が艤装の山を見回していると、その一角に何か見覚えのあるガラクタを見つけた。まさか……と思いながら叢雲は、そのガラクタに近づいていく。そしてそれの姿をはっきりと自身の目で認めた時、叢雲は言葉を失った。
それは紛れもない、叢雲自身の艤装なのだった。艤装の表面の一部が焼け焦げ、側面は食い破られたように大きな穴が開けられていた。おそらく、叢雲が脱出したり、島の外部に連絡を取れないように、堂本の手下たちによって前もって破壊されてしまったのだろう。
叢雲は突き動かされるように山から艤装をおろし、問題なく起動することを願いながら背中に担いだ。しかし願いも空しく艤装は何の音も立てず、大きな風穴に夜風が吹きこみ木枯らしのような音を立てるだけだった。
叢雲は大きな喪失感とともに艤装を下した。無線が使えないということも大きかったが、何よりも自身の体の一部でもある艤装が破壊されたことに、ショックと憤りを覚えた。しかし叢雲はふたたび艤装に目をやると、いくつかの奇妙な点に気づいた。
まず、艤装の大きな穴は外から開けられたものではなく、内側から破られてできたものだった。それは外からの力で叩きこわれされたというよりも、内側から機関が爆発を起こした時のものに似ていた。そして艤装の内側は焼け焦げ、そこからはまだかすかに焼けるようなにおいが漂っている。穴の中に手を入れてみると、ほんの少しだけ温かい。
これはもしかして……叢雲は続いてほかの艤装にも目をやった。叢雲の予感は的中した。スクラップになっている艤装はいずれも、内側から爆発したかのような穴があいているか、膨張したかのように変形していたのだった。
叢雲の感じた禍々しさも、そこにあった。これらの艤装は、明らかに普通の戦闘や解体などの、外側からの力で壊されたものではない。
轟沈の多い鎮守府、艦娘の轟沈予想賭博、そして内側から破壊された艤装……。
今までの謎がひとつに結びついた瞬間、改めて叢雲は、自分がとんでもないところに足を踏み入れてしまったと実感した。
とにかく、今はボンドと合流しないと。叢雲はこの禍々しいスクラップ置き場から立ち去ろうとすると、その一角に、自分の艤装の槍が半分ほどに折られて捨てられているのに気づいた。叢雲はその槍を拾い上げ、月明かりにかざした。折られた部分の切り口が竹槍のように鋭くなっており、短くても十分役には立ちそうだ。
もしかしたら、今の戦いだとこれくらいのほうが使いやすいかもしれない。叢雲はそう思うと、右手の拳銃をポケットに納めて、槍に持ちかえた。そして月明かりを避けるようにトタンの陰に隠れながら、スクラップ置き場を後にした。
叢雲は工廠に置かれている資材の陰を、音を立てぬように慎重に進んでいった。あたりはしんと静まり返り、虫の鳴くような、かすかなリリリという音しか聞こえない。叢雲は高ぶる神経を抑えながら、常にあたりに気を配っていた。少しでも物音を立てたのを敵に感づかれたら、一巻の終わり。叢雲はこれまで感じたことのない緊張の中にいた。
ところでボンドはどこにいるのよ。こっちの手がかりは全然つかめてないじゃない……。そうだ、ここの鎮守府の秘書艦、陸奥のところに行けば、何かわかるかも。……正直、行くのはかなり気が引けるけど。
それにしても、まだ夜は明けないのかしら。叢雲は部屋が荒らされてからずいぶん長いこと時間が経っているような気がしていた。しかし東の空はまだ、いささかも明るくなっていない。叢雲の長い夜は、まだまだ続きそうだ。
叢雲は宿舎へと続く途中の倉庫街に入った。それでも大きな通りを堂々と進むわけにはいかないので、倉庫と倉庫の間の暗がりに入った。
何が落ちているかも分からないような暗がりの中を、叢雲は槍で足元の安全を確認しながら進んでいく。
と、その時。
通りに面した方向から、かすかに足音が聞こえてきた。叢雲は気づいた瞬間進むのをやめ、じっと息を殺した。足音と一緒に、数人の男たちの話し声も聞こえてくる。最初は何を話しているかわからなかったものの、声が近づいてくるに従って内容がしだいにはっきりしてくる。
「英国のスパイか……まあいい、殺してから上に報告する。機密を守ったと言えば何をしようとお咎めなしさ」
聞き取れたその一言だけで、叢雲はボンドの身に何かがあったと察した。まずい状況にあるみたいだけど、命はまだ大丈夫みたい。そう思った瞬間、叢雲の緊張の糸が、ほんの少しだけほぐれた。そうしているうちにも、男たちの姿は叢雲の目の前を通り過ぎ、声も次第に遠のいていく。
叢雲は通りに出ると、遠くに男たちの姿を認めた。男たちはあわせて五人で、うち一人は先ほどの声から堂本だと分かった。残りの取り巻きのうちひとりは、パーティにいたあの十円ハゲの男だろう。
あの連中についていけば、きっと何か分かる――。
そう思った叢雲は意を決したように槍をぎゅっと握りなおすと、男たちと十分に距離をとりながら、その後ろをつけていった。