007/暁の水平線より愛をこめて   作:ゆずた裕里

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第二話 『来たのはやつらだ』
其の一


 ボンドは、外部に続く地下鉄への階段の前で、今日で四本目の煙草をふかしていた。

 ボンドは先日の深海棲艦との戦いの後、自分も艦娘たちのそばで指揮ができるように、ある人物をイギリスから呼ぶようタイガー田中に伝えた。そして、今日はようやくその人物がこの鎮守府にやってくるのである。

 秘書艦の叢雲はボンドの隣に立っていたが、ちょうどボンドから見て風下に立っていたため、ずっと煙草の煙にさらされる格好となっていた。大げさに咳払いをしながら、叢雲はボンドにつぶやく。

 

「ボンド、煙草を吸うときは、周りにも気を配りなさいよ。それが紳士ってもんじゃないの?」

「あっ、これは失礼したね」

 

 そう言うとボンドは叢雲の前を横切り、風下へと移動する。ボンドの身にまとわりついた煙が叢雲の視界から消えると、その向こうの階段の下に何者かの影が現れた。

 

 階段の下から姿を現したのは、黒髪で眼鏡をかけた、いかにもエンジニア、といった風貌の青年であった。この青年こそが、英国諜報部では「Qセクション」と呼ばれる、兵器開発部の主任である。そんな彼は、兵器開発部の外部では担当部門の名前から、しばしば「Q」と呼ばれている。

 

「Q!」

 

 ボンドは煙草を踏みつけて消すと、Qに近寄った。Qはそんなボンドを見るなり、しきりに目をパチクリさせながら、待ってましたと言わんばかりに不満をたれた。

 

「……まったく、冗談じゃないよ、ボンド」

「Q、そんなに嫌そうな顔をするなよ。君の先任だったら、喜んで日本に来てたよ」

「あの爺様がどうだったかなんて僕には関係ないね。突然今の仕事を中断させられて、その上空飛ぶ棺桶にぶちこまれて日本くんだりに送られる羽目になるなんて、最低最悪だ」

「まあそう言うなよ。それじゃ、ここについて……」

「いや、艦娘の情報なら先日こっちにもおりてきたよ。僕自身は、ちゃんとわかってるつもりだ」

「さすが、若いと飲みこみが早いね。ところでタイガーは?」

「他の人を迎えに行ってるよ。誰かは知らないけどね。開発部の部屋で待ってるように言われてる」

 

 叢雲が差し出した手を、Qは細い手で優しく握る。

 

「秘書艦の叢雲よ。よろしく。ミスター……」

「Qと呼んでください。どうぞよろしく」

 

 イギリスでは見せなかったQの紳士的な姿に、ボンドは口を挟まずにはいられなかった。

 

「Q、そっちにはやけに友好的だね」

「僕は、小さな船が好きなんだ」

 

 そう聞いた瞬間、ボンドは妙なものを見る目でQを見た。

 

「飛行機よりもね」

 

 Qはボンドにそう言い捨てると、開発部の部屋へと足を進めた。

 

「君がまだマトモな男でよかった」

 

 ボンドもそう呟くと、叢雲と共に開発部へと向かう。

 

 鎮守府の中央棟の地下にある、開発部の部屋に着いても、Qは相変わらずご機嫌斜めだった。部屋はイギリスのQセクションと変わらないほどの設備が揃っており、ボンドの目には何も申し分ないように見える。しかしQは、やれ照明が明るすぎるだの、やれ潮風で機械が錆びないかだの、ここの技術者はレベルが低くないかだの、文句ばかりたれている。仕事場にかなりのこだわりを持っているか、そうでなければよっぽど日本に来たくなかったのだろう。ボンドが叢雲に目を向けると、叢雲もQに閉口してしまっていた。

 

「ボンド、彼、落ち着きがないのねぇ。大丈夫なの?」

「心配しないで。イギリスでもこんな感じだったから」

 

 正直なところ、Qはイギリスでもここまで文句をたれたことはなかったが、ボンドは叢雲を下手に心配させたくなかった。早くタイガーが帰ってこないものか……とボンドが考えたその時、うわさをすれば何とやら、開発部の自動ドアの向こうからタイガーが現れた。

 

「やあみんな待たせたな!どうだQ、この部屋は?」

「……まあ、いくつか言いたいことはありますが、問題ありませんよ」

 

 タイガーが来てくれたのなら、これで一安心だ。ボンドはこの機嫌の悪い、英国諜報部一の偏屈屋と一対一で発注をする気はなかった。ボンドは先日の戦闘に関してQにさくっと説明した。あまり長話をすると、タイガー同伴とはいえQの機嫌をさらに損ねると思ったからだ。

 

「という訳で、彼女たちと出撃できるような装備を作ってほしいんだ」

「……分かったよ。いつも通りの感じで作ろうか。ただ、敵のデータが分からないからなぁ……」

「いつごろにできそうだい?」

「僕の機嫌が悪い限り……一生出来ないかもね」

「そんなこと言うなよ、Q」

「だいたい君は僕の折角作った装備をメチャクチャにするし……そもそも僕の説明をちゃんと聞かないから……」

 

 また始まった。先任から受け継いだこの台詞にボンドは飽き飽きしていたが、ここまで言ったのなら九割は承認してくれたも同然だ。しかしこの時はいつもの発注はとちょっぴり違っていた。いつも通りのやり取りに横から口をはさんだのは、タイガーだった。

 

「よく言ってくれたね、Q。実は前から君がそういう悩みをかかえていると聞いていてな、頼りになる味方を連れてきたよ」

「えっ?」

 

 タイガーの言うことが飲みこめないQを尻目に、タイガーは自動ドアに呼びかける。

 

「おーい、来たまえ!」

 

 タイガーの呼びかけで自動ドアの向こうから現れたのは、淡い緑色の髪を、エメラルドグリーンのリボンでポニーテールに結んだ、茶色の瞳の少女だった。裾が短めの襟付きシャツと、リボンと同色のスカートの間には、細めのウエストが見えていた。しゃんとした様子で立っているのが活気があって可愛らしい。どこか暗い印象のQとは大違いだ。

 

「彼女が装備の説明をするなら、ボンドもちゃんと聞くだろうと思ってな。自己紹介を」

「はい!軽巡洋艦、夕張です!よろしくお願いします!」

 

 タイガーはキョトンとした表情のQを指すと、夕張に説明した。

 

「そして、彼が君と一緒に仕事をする兵器開発課の主任、通称Qだ」

「これからよろしくお願いしますね!」

 

 夕張はまぶしい笑顔をQに向けると、その手を取りぎゅっと握手をした。Qは一瞬夕張と目線を合わせると、軽くその手を握った。その時Qがかすかに浮かべた微笑みは、叢雲の時のそれとは大きく違っていたように、ボンドには感じられた。

 

「よろしく」

「夕張は兵装実験艦娘でもある。艦娘用の装備を作ったら、彼女でテストしてやってくれ」

「わかりました」

 

 Qと夕張が隣同士で並んでいるのを見て、ボンドがつぶやく。

 

「良かったじゃないか、Q。君にもようやく可愛いガールフレンドができたな」

 

 ボンドのその言葉に、夕張の頬がポッとほのかに赤く染まる。

 

「からかうなよ、ボンド」

 

 Qは静かにそう言うと、俯きながらメガネを直した。

 

「彼女と一緒にいれば、君の根暗も治るかな」

 

 ボンドがそう言ったその時、タイガーはボンドに近づき、小声で話しかけた。

 

「ボンド、君にも会わせたい艦娘がいる。彼女は今執務室で待たせてあるよ。叢雲は遅れて向かわせるから、それまでうまくやりたまえ。君も、彼女のことを気に入ると思うよ」

 

 タイガーはニッコリと笑って言った。

 

「タイガー、お気遣いありがとう。どんな艦娘だろうと、最善を尽くすよ」

 

 ボンドはそう言って部屋を後にする。タイガーは応援するようにボンドの肩を叩くと、叢雲とQ、夕張を呼んで開発部の部屋の説明を始めた。

 

 執務室へと歩みを進めながら、ボンドはこの後のことをぼんやりと考えていた。タイガーが執務室に叢雲を近づけず、自分一人を会わせるということは、そのようなことも期待できるかな……いや、下手にそういうことは考えるもんじゃない。淡い期待というものは、得てして裏切られるものだ。

 

 ボンドは執務室の前に着きドアノブをひねると、数センチ扉を開けて中を覗いた。自分なりに少しでも期待感を煽ろうとしたのだ。ドアのすきまから、若い娘の後姿が垣間見えた。純白の日本の伝統衣装のようなものに身を包み、栗色の長い髪に金色のカチューシャをつけている。

 

「後姿は可愛らしいね。これは期待できるかな」

 

 ボンドが英語でつぶやいた瞬間、ドアの向こうの娘が振り向いた。ぱっちりとした瞳の、あどけなさのある娘。それがボンドの第一印象であった。ボンドはゆっくりと執務室のドアを開けた。

 

「失礼。女の子相手にはまず後ろから、って性分でね」

「あなたが提督ですか?」

 

 娘はボンドに、明るい透き通った声で話しかけた。その日本語での問いかけに対し、ボンドは英語で答える。

 

「いかにも。私はボンド。ジェームズ・ボンドだ。よろしく頼むよ、金剛ちゃん」

「Wow!提督!どうして私のことが分かったんですか?」

 

 ボンドは椅子に座り、煙草に火をつけて一服やりながら金剛に語る。

 

「ドアの向こうでの私のつぶやきに反応しただろう?あのとき私は英語で君を褒めたが、その言葉に君は振り向いた。人間は自分を褒める言葉は耳にスッと入るものだから、あの状況で私の言葉に反応したということは、君は私のイギリス英語を聞き、理解できる艦娘、つまりイギリスと関係のある艦娘だと思ったんだ」

 

 金剛はボンドの話を落ち着きなく聞いている。どうやら当たっているようだ。

 

「日本の艦艇にはイギリスで作られたものがたくさんあるから、そのうちのどれかとは思ったが、そこから先は……勘さ」

「提督すごいデース!まるでシャーロック・ホームズみたいですネー!」

 

 金剛は手を叩いて喜んでいる。見た目には叢雲より年上そうだが、精神的にはまだ幼さがあるとボンドは感じた。

 

「ありがとう。まあ日本の訛りが入っているとはいえ、同郷の言葉をこんな東の果てで聞けると、ホッとするね」

 

 金剛に誉められて上機嫌のボンドには、もはやQのことはどうでもいいらしい。ボンドにとっては、女子の甘い声でイギリス英語を聞けたのが嬉しかったのだろう。

 

「提督はどこの生まれですか?」

「私か?生まれはスコットランドの田舎だ。君はバロー・イン・ファーネスの生まれだろう」

 

 ボンドは、わざときついスコットランド訛りで金剛に言った。スコットランド訛りは早口のうえにクセが強く、英語よりドイツ語のように聞こえることもある。

 

「う~、提督がなに言ってるのかぜんぜん分かんないデ~ス……」

 

 案の定、金剛は聞き取れず困り果てていた。ボンドはにやけながら軽く謝り、再度聞き取りやすい英語で言い直した。金剛はそれにふくれっ面で答えた。

 

「バロー・イン・ファーネスにはヴィッカース社の造船所がある。英国生まれの日本艦のほとんどがここの生まれだ。風情があっていい街だよ。行ったことは?」

「ないデース……」

「そうか……さて……」

 

 ボンドは煙草の火を消すと、金剛のそばに近寄った。改めてボンドがそばに立ったことで、金剛はさらに落ち着きをなくしていた。

 

「君のことはよく知っていたつもりだったが、まだ分からないことがたくさんあるな……」

「なっ、なら、提督にはもっと私の魅力を教えてあげマース!」

「ほう、それは有難いね。そうだ、君にこの鎮守府を案内しないと。まずはそうだな……仮眠室から。そこでじっくり君の魅力を教えてもらおうかな」

「提督ぅ!」

 

 金剛はこのあからさますぎる誘いに顔を真っ赤にした。そんな金剛を抱き寄せ、その頬を撫でるボンド。

 

「ジェームズ、って呼んでくれ」

「Oh,James...」

 

 こうして、そのまま二人は執務室を後にした。

 

 

 


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