007/暁の水平線より愛をこめて   作:ゆずた裕里

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其の二

 ボンドが金剛と執務室を出てから一時間ほど経った頃。タイガーはボンドを探して司令部の中を歩き回っていた。タイガーは叢雲と手分けしてボンドを探していたのだが、その叢雲とは先ほど、仮眠室へと続く廊下ですれ違っていた。叢雲が顔を真っ赤にしていたことから考えると、どうやらボンドはタイガーが予想した通りのコトをしていたようだ。叢雲はよっぽど頭に血がのぼっていたらしく、タイガーがすれ違いざまに話しかけても完全無視であった。

 

 それから少しして、タイガーはようやくボンドと金剛に出くわした。きまり悪そうな顔をしたボンドの右腕を、金剛が両手で抱き着くようにしっかりと握っている。これにはさすがのタイガーも苦笑いしかできなかった。

 

「ボンド、今まで何をしていたんだ?」

「ああ……日英同盟の再締結さ」

 

 それだけ言ってボンドと金剛はタイガーの前からそそくさと立ち去った。

 

 困り顔のボンドを尻目に、金剛はボンドの右腕をぎゅっと強く抱きしめ、さらに餌をねだる猫のように頬ずりを始めた。

 

「まったく、あんまりベタベタしないでほしいな。はしたないじゃないか」

「んんぅ、ジェームズ……絶対絶対離さないデース!」

「……これは参ったな」

 

 そんな金剛であったが、突然、何かに気付いたかのようにボンドの腕からバッと顔を上げる。

 

「はっ!!!ジェームズ、今何時ですか?」

 

 ボンドはオメガの腕時計に目を通した。短針が目盛の二を、そして長針がまもなく十二を指そうとしていたところだった。

 

「もう昼の二時になるよ」

「Oh,James!うっかりしていました!すぐ準備しますから、執務室で待っていてくだサーイ!」

 

 そう言って金剛はかけだしてどこかに行ってしまった。ボンドはその様子に面食らった。まったく、さっきまではあれだけしおらしくて静かだったのに、色々と起伏の激しい娘だ。

 

 

 

 執務室に戻ったボンドを出迎えたのは、いつもにも増して不機嫌そうな叢雲だった。そんな顔ばかりしていると、普段の顔がそれで固まってしまうぞ。そうボンドは思ったが、うっかり口に出そうものなら金剛よりも厄介なことになるのは火を見るよりも明らかだったので、ごまかし半分の会釈にとどめた。

 

「お帰り、ボンド。で、どうだったの?新しい艦娘は」

「うん、戦艦だったよ。非常に戦力になりそうな子だ」

「面白くもなんともない感想ね。ねえ、あんたがその子に対して知ってること、全部教えてくれない?」

「全部、ねえ……どこまでのことを喋っていいものやら」

 

 ボンドがそこまで喋ったその時、叢雲は視線をさらにするどくして言い放った。

 

「節操のない男は嫌いよ!」

 

 これまで見たことのなかった叢雲の威勢に、ボンドは心中で驚いた。ボンドは今まで何度も叢雲をからかい、怒らせてきたが、ここまで厳しい叢雲は見たことがなかった。本当に言いたかったことをようやく言った感じだな。いや、ひょっとしたらこれは、俺が金剛と仲良くしていることに対するヤキモチなんじゃ……

 

 そこまでボンドが考えたその時、執務室のドアがバンと勢いよく開かれる。

 

「ジェームズ!準備ができましたー!さあ、一緒に来るのデース!」

 

 金剛は執務室に飛びこむと、ボンドの腕を掴み、部屋の外へと引っぱって行った。先ほどの殺気はどこへやら、あっけにとられた表情の叢雲にボンドは叫んだ。

 

「彼女が新しく来た戦艦、金剛だ。また後で詳しく紹介するよ!」

 

 金剛とボンドの姿が完全に見えなくなると、叢雲はため息をつき、開けっ放しのドアを勢いよく閉めた。

 

 

 

 一方、金剛は鎮守府内の広場までボンドを引っ張ってきていた。

 

「まったく、一体俺をどこに連れていく気だ?」

「着きましたー!あそこデース!」

 

 金剛は、広場の一角の、大きな木の下を指さした。そこには、なんとも見事なアフタヌーン・ティーセットの一式が準備されていた。純白のテーブルクロスの敷かれた、洒落たテーブルの上のティースタンドにはスコーンやケーキ、サンドイッチが並べられている。紅茶はインド産のダージリン・ティー。すべて、金剛ご自慢のアフタヌーン・ティーセットだ。さらに、テーブルは木陰の中にあり、海を眺め、そよ風にあたりながらゆったりとしたティータイムを過ごすことができる。これらの準備からは、金剛のボンドと楽しい時間を過ごしたいという思いが強く感じられる。

 

 しかし、一つだけ、そして最大の問題があった。

 

 ボンドは、紅茶が大嫌いなのだ。

 

 朝一番にエスプレッソを飲む習慣を持っていることからも分かるが、ボンドはコーヒー派であり、紅茶に関しては「紅茶なんて泥水を飲み始めたから大英帝国が衰退した」とまで言い張るほど嫌っている。もちろん、付き合いの上でアフタヌーン・ティーに参加することはあるが、それでもだいたい話や食事をする方がメインで、進んで紅茶を飲もうとはしなかった。

 

 そんな訳で、ボンドは金剛とのアフタヌーン・ティーでも紅茶には手を付けず、もっぱらサンドイッチやケーキを食べていたのだが、どうやら金剛は紅茶を飲んで欲しいらしく、会話の合間に、

 

「ジェームズ、折角の紅茶が冷めてしまうデース」

 

と飲むように促してくる。そう言われるとボンドは気付いたように紅茶を飲み干すのだが、飲み干したら飲み干したで、金剛は要求してもいないのにおかわりを入れてくる。下手におかわりをさせまいと、カップの中に紅茶を少しだけ残して置いておいても、金剛はボンドに飲むように言った。ボンドは何回も文句を言おうと思ったのだが、屈託のない金剛の笑顔を見るたびに、その気が失せてしまっていた。我ながら情けないと、ボンドはティーカップに注がれる紅茶を見るたびに思った。

 

 会話する、催促される、飲む、おかわりが注がれる、の流れが何度目かに至った時、金剛はふと、こんなことを口にした。

 

「ジェームズ、私が生まれた町バロー・イン・ファーネスに、この姿になった今ジェームズと一緒に行きたいなって思ってます。どうですか?」

「ああ、いいとも。いつか一緒に行こう」

 

 ボンドは手元の紅茶に目を向けた。この紅茶にブランデーかウイスキーでも入っていれば、もう少しいい笑顔で今の言葉を返せただろう。そうだ、次アフタヌーンティーに引っぱられたときのために、懐に入れておこう。

 

 ティースタンドの軽食が消えてしばらくして、ボンドはようやくアフタヌーン・ティーから解放された。金剛はどうやら明日もやる気満々だったので、ボンドは忙しいから一週間に一回だけだと釘を刺しておいた。金剛はそのことに不満げだったが、ボンドはそんな金剛に言った。

 

「毎日していたら、折角のお茶会も平凡な日課になってしまうだろう?俺は君とのお茶会を特別な日にしたいんだ」

「ジェームズ……確かに、それもそうですネー……」

 

 ボンドの本音をひどく遠まわしに交じえた提案を、金剛はうっとりとして承諾した。

 

 

 

 こうしてボンドは執務室に戻り、エスプレッソを淹れ口直しをしていた。ボンドとしては、金剛とのアフタヌーン・ティーを終えて、まるで一仕事終えたような気分になっていた。ホッとして椅子に座り、書類に目を通すボンドに、叢雲が相変わらず皮肉たっぷりに声をかけた。

 

「おかえり、ボンド。楽しかった?」

「相手の出方を伺いながら押したり引いたりでね。疲れちゃったよ」

「あっ、そう。ところで、明日の一二〇〇時のタイガーとの会合だけど……」

 

 そこまで叢雲が言った時、ボンドは何か胸騒ぎがした。

 

「叢雲!すまないがその会合、タイガーに頼んで一四〇〇時からにしてもらってくれ!」

「えっ!?どうしてよ」

「いろいろと不安要素があるんだ」

 

 深刻な表情のボンドに、叢雲は何かあると感じ、黙って承諾した。

 

「分かったわ。私に変更の連絡をさせたこと、感謝しなさいよ!」

「ありがとう」

 

 そして翌日の一四〇〇時。

 ボンドと叢雲、そしてタイガーは、鎮守府中央棟の応接室にいた。

 

「ボンド!突然時間変更するなんて、何かあったのか」

「いや、それがね……」

 

 そこまでボンドが言った途端、外から何かが聞こえてきた。

 

「ジェームズ!一体どこに行ったデスカー!ティータイムの準備できてますよー!」

 

 その声が聞こえた時、叢雲もタイガーも、すべてを察した。

 

「昨日一応言っておいたのだが、もしかしたらあの時、のぼせ上って忘れちまってるんじゃないかと思ったからね」

 

 そうタイガーに説明したボンドには聞こえないように、叢雲はポツリとつぶやいた。

 

「……小さな男ね」

 

 

 その頃。開発部の一角で、Qはノートパソコンに向かって作業をしていた。せわしなくキーボードを叩いていると思えば、机の上の眼鏡を触ったり、突然目玉をギョロギョロと動かして目の体操を始めるなど、はたから見たら奇妙なことこのうえない。何を考えているかは、Q本人にしか分からないだろう。

 

 そんなQの後ろから突如聞こえてきたのは、夕張の声だった。夕張の手には、湯気のあがった二つのカップの乗ったお盆。

 

「そろそろ休憩しない?コーヒー、淹れてきたんだけど……紅茶の方が良かった?」

「いや、コーヒーで大丈夫。そこに置いておいて。ありがとう」

 

 Qは夕張の方を振り向きもせずに淡々と礼を言うと、机の上の一角を指さした。

 夕張はQの示した場所にカップを置くと、ノートパソコンのモニターを覗いた。モニター上には複雑なプログラムがびっしりと書きこまれており、夕張をきょとんとさせた。Qに目を向けると、夕張のことをいささかも気にすることもなく、モニターをいつもの眠たそうな顔つきでじいっと見ていた。これは邪魔しちゃダメなやつだったかな……という考えが夕張の頭をよぎった瞬間、Qが静かに口を開いた。

 

「一週間」

「えっ?」

「あと一週間で、面白いものを見せてあげるよ。それまで待ってて」

 

 Qはモニターを見つめたまま、相変わらずのそっけない口調で言った。

 その言葉に夕張がニッコリ笑って頷くと、Qは再びキーボードを打ち始めた。

 

 

 

                       《JAMES BOND WILL RETURN...》


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